三角初音(15→16)×純田まな(22)でsumimiをやる話です。
純田まな年齢捏造+初音が豊川祥子と出会わなかった世界線が前提になります。


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イントロ。
邂逅まで。




 

 七月、喧しいほどに蝉が鳴いていた。

 

「とーせ、とーせ」

「とーせ、とーせ」

 

 日が暮れるか暮れないかの頃、棚田の近くの神社に集まって、着火剤や布の詰められた竹に火をつける。松明のように火を灯した青竹を手に、私たちは徒歩で5分も掛からないような棚田の畦道を、ゆっくりと練り歩く。

 私のすぐ前には初華が手持ち無沙汰に火手(ほて)を揺らしていた。

 

 真昼ほどの直射でなくとも、真夏の屋外にいれば自然と汗が滲む。島の人間が全員ここにいるのではないかと思うくらいの人の多さと、テンションが高い観光客の一団に熱気が募る。年に一度の虫送りの行事。炎に寄ってきた羽虫が光の中に飛び込んでいくのに、思わず肩が跳ねた。

 

「わ、お姉ちゃんビビってる!」

「仕方ないじゃん。……虫、苦手なんだし」

「いい加減慣れなよ、もう。学校でだって、虫がこんなにダメなのお姉ちゃんだけだよ?」

「うん……」

 

 私と、お母さんと、妹の初華と。3人固まって、日が暮れるのを見送った。東から押し寄せるような青黒い夜に、棚田を囲うように灯った焔が煌めく。青く育った稲の頭の上を、虫を焼くための炎が次々と渡っていく。

 暑いし、人が多いし、退屈な行事だったけれど、水面に跳ね返った焔の美しさだけは、今でも思い出す。

 

 

 

 

 ──全部消えてしまえばいいのに。

 

 

 

 

 家族に本当と嘘があるとすれば、私だけが嘘だった。

 お父さんとお母さんの子どもなのは妹の初華だけで、私はお母さんの連れ子だったから。私たちはいつだって3人と1人だった。

 家に居たって感じる孤独を、外では尚更に意識した。

 

 ──二人とも、よく似ているのにねぇ。

 ──そう? 初華ちゃんの方が明るくていい子よ。

 ──顕郎さんの血かしら。

 

 車で3時間もあれば一周してしまえる小さい島においては、くだらない噂話がこれ以上ない娯楽だった。

 公然の秘密は口を軽くする効力を秘めていて、さがないスピーカーはいつも私に付き纏った。学校では、親の陰口をそのまま垂れ流すような嫌な同級生ばかりだった。

 

 初華とは仲が良い姉妹だったと思うけれど、私はいつも、心の底では初華を妬んでいた。

 初華だけが本物で、初華だけが愛されて、初華だけが光の当たる世界に生きている。それが羨ましくって堪らなかった。姉としての優しさは、諦めの裏返しだった。

 

 海が近くにあることだけが、私の心を軽くした。

 星が瞬く夜、私は時折家を抜け出して、港へ走った。

 

 夜凪にゆるくうねる水面は、月光を束ねて網を作った。月光の網の中で、時折黒い影が走ったり、堤防の隅に吹き寄せた海藻が泡を集めて銀色に光った。

 

 遠くに瞬く星だけが私を見ていた。

 七月の空に、ふたご座はとうに沈んでいる。カストルとポルックスの神話を読んだとき、私はカストルに自分を重ねた。神ではなく人間として生まれた兄のカストルと、本物ではなく偽物の家族として生まれた姉の私。

 けれど私と初華が同じ宙に浮かぶことはないだろうと思う。だからふたご座は嫌いだ。

 

 いつか島を出よう。

 港に来る度、本土を眺めてそう決意した。

 

 

 きっかけはすぐに訪れた。

 育ての父が亡くなった。事故で、呆気なく。

 

 疎外感はあれど、優しく育ててくれたお父さんの死は悲しかった。お父さんを悼む気持ちは、決して偽物なんかじゃなかったと断言できる。……けれど同時に、安堵があったこともきっと事実だった。

 

 これで私は、初華と同じになれる。初華と対等の家族に──

 

 私の心に多少なりとも余裕のようなものがあったとすれば、それはこの薄暗い安堵に依拠したものだっただろう。

 

 だから、罰を受けた。

 

 ──お姉ちゃんはパパとホントの家族じゃないから悲しくないんだ! 

 

 肩に添えた手を振り払われた。

 泣き腫らした目で初華が私を睨みつけて、吐き捨てるように言い放つ。

 何を言われたのか、理解するのに一瞬、時間を必要とした。

 初華にそんなことを言われるとは露ほども考えていなかったから、咄嗟に飲み込むことができなかった。

 

 私たちは本当に、姉妹じゃなかったんだ、と悟る。

 私が初華を妬んでいたのと同じように、初華も私を異物として認識していた可能性に、思い至ってしまった。

 

 途端に恐ろしくなった。

 目の前の初華の輪郭が、ぐにゃりと歪んだ。

 私たちの間に、黒い線が一本引かれる。もうこの溝が埋まることはないのだろう、と思った。

 

 葬儀を終えてすぐ、お母さんのタンスの奥を探した。そこに私のお父さんからの葉書が三枚隠されていることを、私だけが知っていた。そのうちの一枚を抜き取って、着替えをカバンに詰めた。初華と撮った写真は全て破いて捨てて、日記は燃やしてしまった。灰を海へ投げると、波がさらっていった。

 少し迷って、ギターを持ち出した。お父さんが唯一私に与えてくれたのはこれだけだった。……どうせ、初華は弾けないのだし。

 

 太陽に翳した葉書には、「豊川定治」と書かれている。頼りはこれだけで、けれど期待もしていない。この人にとっても、きっと私は本物じゃないから。

 

 東京へは、岡山から新幹線で向かった。

 灰色で背が高い街は、不思議と、心地よかった。土の匂いも草の匂いもしない。車の排気ガスと、食べ物と、アスファルトの匂い。この街にいる人は、他人を見張ったりはしていない。多すぎる人の波から一人一人を見分けることなんてきっと誰にもできないのだ。

 

 電話をかけた。

 はるか殿上人であるはずの()()()は、不振なはずの私の着信に応答した。

 

『初めまして、お父さん。どうか私を、助けてくれませんか』

『……名前は』

『初音といいます』

『そうか。良い名前だ。……あとで掛け直す』

 

 わずか二言を交わしただけで通話は切れてしまった。

 掛け直すという言葉を信じたりはしなかった。

 

 眠る場所も確保しないまま、私は灰色の森を歩き出す。夏の日差しにすっかり汗をかいて、シャツの感触が不快だった。ギターケースが蒸れる。

 

 夕方に差し掛かる頃、高円寺で1度力尽きて、ギターを下ろした。日陰にしゃがみこむ。こんなに人が多いのに、休める場所はあまりない。飲食店に入るのも、所持金を思えば最終手段にしておきたかった。

 シャッターの降りた店舗の日陰に寄りかかって、通行人を眺める。背景みたいな人達が、徐々に肉と魂を手に入れる。スマホを眺めながら、歩き慣れた様子の人。逆に、地図アプリを見ているだろう不安そうな人。親子連れ、カップル、指輪をつけた夫婦。

 

 さっきから、うっすらと音楽が聴こえるのに気が付いていた。どこかでライブでもやっているのだろうか。

 足の痛みがマシになってようやく、歩く気力が戻ってきた。

 音楽に導かれるまま、暗くなり始めた路地を歩く。一年分の人とすれ違って、ようやくギターの音色の源泉にたどり着いた頃には、演奏は終わりかけていた。

 

 演奏していたのは、少し歳上に見える、男性二人組だった。一人がアコースティックギターを弾いて、一人が歌う。路上ライブなんて文化が、こんな秩序立ったような街で成立することに不思議な感慨を抱いた。

 

「おねーさん! ああ、そこのギターケースを持ったおねーさん!」

 

 演奏を終えたボーカルの人が、私へ手招きした。

 面倒事に巻き込まれそうな気配がしてすぐに立ち去りたかったけれど、私に観客の視線が集まってしまって怯んだ。

 

「オレたち撤収するからさ、ここ使わない?」

「え、……そういうつもりじゃなくて……」

「せっかくギター持ってるんだし、勿体ないって。お客さんもいるしさ」

 

 弾けるでしょ、と言葉を重ねられて、私は思わず頷いた。

 行く宛もない放浪の一日目に相応しい出来事かもしれない。普段であれば絶対に逃げ出していた状況に置かれても、非日常が私を大胆にさせた。

 

「じゃあ、少しだけ」

 

 アコースティックギターを取り出して、爪弾いてみる。観客の幾分かは人の流れに合流していって、また新しく立ち止まる人が現れて。

 歌うに連れて、心がほつれていった。緊張していた心臓が、海辺に座っていたときのように勢いよく血液を送り出す。

 

 今更涙がこぼれそうになった。

 初華、やっぱり私も、悲しかったよ。

 

 誰かがギターケースにお札を入れて、何人かがそれに続いたことにもあとから気が付いた。

 

 しばらくして、最初にいた観客があらかた立ち去ったところでギターを下ろした。何を言えば良いのか分からなくって、深く頭を下げる。まばらな拍手が頭上から響いて、逃げるようにギターを片付けた。人の波に拐われて数分歩くと、先程までの熱と注目はすっかり霧散していた。

 

 次はどこへ行こう、と彷徨い始めたところで、スマホの着信音が鳴った。ついさっき掛けた番号が画面に表示される。

 

『私だ。今何処にいる?』

「高円寺の──」

『車を向かわせる。駅で待っていなさい』

 

 言葉に従って駅に向かう。指示の通りの場所に立っていると、すぐに高級車とわかる意匠の黒い車が私の近くに停車した。自動でドアが開く。後部座席にはインターネットで見たことがある顔の男性が座っていた。

 

「……初めまして。初音です」

「乗りなさい」

 

 人工皮革のシートに身体を預ける。僅かなタバコの匂いと消臭剤の残滓。

 豊川定治さんは、仏頂面で私を見た。

 

「何が望みだ。金か」

「……一人で、暮らしたいです」

「難しいことを言う。家族の連絡先は?」

「お父さんは死にました。お母さんは……通じるか、分かりませんけど」

 

 電話番号を告げると、定治さんは難しい顔をしてスマホを眺めていた。

 

「……そのギターは弾けるのか」

「少しは。その、お母さんが、豊川の人は皆音楽に造詣が深いから、ピアノは無理でもギターくらいは、って。……私は豊川の人間じゃないんですけどね」

「ああ、豊川を名乗ることは許さん。……ホテルを取った。今日はそこで休みなさい。明日には仕事を用意しておく。或いは、今日のうちに島へ帰ることだ」

 

 結局、交わした言葉はその程度で、私はホテルの前で車を降ろされた。

 もう、島へ戻るつもりは無い。定治さんが非協力的だったとしても、たとえ、東京で生きていくことが難しかったとしても、あの家に私の居場所はない。

 

 ホテルの部屋に入ると、1日歩き詰めだったぶんの足の痛みが一度に押し寄せてきた。靴を脱いで土踏まずを揉みほぐしてみる。

 シャワーを浴びて汗を流した。着替えもほとんど持ってこなかったから、コインランドリーで今日着ていたぶんを洗濯する。

 

 どれだけ非日常に飛び出したつもりでも、ベッドの上に寝転がってしまえば、日常が戻ってくる。

 瞼の裏の黒に焼き付くのは島での記憶ばかり。

 

 お父さんの亡骸、初華の表情、崩れ落ちたお母さんの背中。

 月明かり、銀波、対岸の赤い灯り。

 

 

 忘れてしまえ。

 弱い私がそう叫んだ。

 

 

 

 朝が来ると、電話がかかってきた。

『Win-Wing Production』……豊川グループのグループ企業である芸能事務所に、練習生として身を置くことになったらしい。

 

「契約書になります。事務所で説明しますが、軽く目を通しておいてください」

 

 クリアファイルに綴じられたA4の紙を眺める。アイドル練習生という文字列が見えて、思わず初華のことを思い出した。

 私に務まるだろうか。……そうでなければ追い出されるだけか。

 それにしても、酷いコネ入社だ。笑ってしまうくらいに不公平。

 

 ゲストと書かれた社員証を渡されて、事務所の中に入る。小さな会議室で改めて契約の説明を受けた。目の前の男性がマネージャーになること、二人組のユニットとしてのデビューを考えていることなんかを伝えられた。昨日の路上ライブの映像まで確認されているらしい。いっそ不気味なほど、私の前には即興のレールが強固に敷かれていた。

 

「質問や要望はありますか? 後からでもお答えしますが、手続きが進む前の方が対応できる幅も広いかと思います」

「……私とユニットを組む予定の人って、どんな人ですか?」

「純田まなさんですね。主にボーカルの技能を評価されている方です。テレビ局ののど自慢大会の優勝経験もありますし、有望株ですね。この後レッスンで顔合わせがあります」

「そうなんですね。……足を引っ張らないようにしないと」

 

 白髪混じりのセンターパート、銀縁の丸眼鏡に臙脂色のネクタイのマネージャーさんが柔和に微笑んだ。散らばった書類を整え直してクリアファイルに仕舞う。

 

「三角さんはどのくらいギターを触られてどれくらいですか?」

「五年くらい、です」

「独学で?」

「いえ、父や……弾ける人に教えて貰っていました」

「そうなんですね。ああいえ、路上ライブでは随分慣れている感じがしたものですから」

「……人前で演奏したのはあれが初めてです」

「そうでしたか。いずれにせよ、即戦力は歓迎しますよ。例えそれがどれだけ飛び入り参加でもね」

 

 ひとつ、くだらないことを思い付いた。

 

「その、芸名なんですけど、『初華』にしても良いですか?」

「構いませんよ。被りもありませんし……」

 

 初華は怒るだろうか。私を責めるのなら、良心の呵責など一切なくただ責めて欲しい。

 もう良い姉でいるつもりはなかった。初華だって、そんな私を望んではいないだろう。

 初華の夢を代わりに背負うような精神からではなく、私は自分本位にこの名前を名乗る。初華ならきっと、アイドルとしてもやっていけるから。

 

「では、()()さん。レッスンへ向かいがてらにはなりますが、事務所を案内しますね」

 

 ひっそりとした決意を置き去りに、私たちは会議室を出た。

 

「私、アイドルになるんですね」

「何か不満でも?」

「いえ。知り合いの……その、夢が、アイドルだったなぁと思い出して」

「初華さんは、アイドルが目標ではないんですね」

「──私は居場所が欲しいんです」

 

 口に出してみて、しっくり来た。

 私は居場所を探している。

 

 衣装室や役員用の応接室、会議室、普段使われるスタジオなんかを一通り案内されて、最後にレッスンスタジオにやってきた。

 

「ご紹介します。初華さんとユニットを組んでいただく純田まなさんです。こちら、純田さんと二人で活動していただく予定の初華さんです」

「初華ちゃん、よろしくねっ!」

「うん、よろしく……お願いします」

「敬語なんかいらないよ! ね、ういちゃんって呼んでもいい?」

「うん。じゃあ私も、まなちゃんって呼んでいい?」

「もちろん!」

 

 引き会わされた純田まなちゃんは、私よりもいくつか年上に見えた。都会の人間は同じ中高生でも大人びて見えるから断言はできないけれど、大学生くらいの年齢に見える。

 

 まなちゃんが私の手を取った。

 連れられたスタジオにはレッスンシューズが用意されていた。新品の靴紐を結んで、磨かれたフローリングと靴底のゴムが擦れる音が響く。

 

「いろいろお話したいけど、まずはレッスンだからさ。ういちゃんの歌とギターを聴きたいな」

 

 小首を傾げて、まなちゃんが微笑んだ。


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