IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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さて、また一か月ぶりの更新。何気今回は文字数が多いので、要注意です!


新キャラも続々と登場する今回、さてみんな覚えられるかなー?


第十一話 それぞれの夜

「ということで織斑君、クラス代表決定おめでとー!」

 

 その号令が合図となり、食堂にクラッカーの炸裂音が鳴り響いた。色とりどりの紙テープが舞い上がり、火薬のにおいが室内に充満していく。頭についた紙テープを鬱陶しげに払いのけていた一夏も、思わずその火薬のにおいには顔をしかめた。なにせ、合計すると四十を軽く超える量のクラッカーを一斉に鳴らしたのだ、火薬の量も相当なものとなっているだろうし、それは匂うに決まっている。

 窓を開け、喚起をしながら散らばった紙テープを片付けていく。パーティーなどの始まりにはもってこいのクラッカーであるが、こういった面はやはり不便だ。パーティー開始早々片付けなどという無粋な真似をしなければならなくなるのは、クラッカーの欠点であると一夏は思った。

 

 時刻は夜の八時。いつもなら食堂は閑散としている時間帯であるが、今日はどういうことか一年生の主だった生徒のほとんどがこの場に集結していた。

 

「ということで、おりむー改めておめでとー!」

 

「あ、ああ……ありがとう、のほほんさん」

 

 布仏本音、通称のほほんさん(一夏命名)が改めてお祝いの言葉を投げかけてくるのに、一夏は頬をひきつらせた笑顔で応じた。本音の顔には悪意の欠片など少しもない。当然であるが、本音だけではなくここにいる一部を除いた殆どの生徒にもそんなものはなかった。だが、今の一夏にはこの『織斑一夏、クラス代表就任おめでとうパーティー』が自分を皮肉っているとしか思えない心境にあった。誰かが自分を皮肉るために、こんな悪意に満ちたパーティーを催したのではないか。そんな考えが頭の中をぐるぐると行き来していた。

 一夏がなぜそのような考えに支配されているのか、というのは深く説明するまでもなく、先日行われたクラス代表決定戦に由来する。その結果はやはりというか、結局というか、軍配はセシリアに上がった。代表候補生であり、第三世代型の専用機を持つセシリアからしてみれば、至極当然の結果であるといえよう。玄兎という予想外のアクシデントはあったものの、最終的には予定通りであったことに変わりはない。そうなると、クラス代表はセシリアということになるはずだったのだが、どういう因果かセシリアはその試合が終わったすぐ後、クラス代表の座を辞退したのである。現実とは何があるかわからない。セシリアの突然の心変わりともいえる行動によって、織斑一夏は晴れて一年一組のクラス代表に選出されたのであった。

 

 当然、これは一夏側にとっては吉報である――――はずだった。

 

「俺は……負けたんだぞ」

 

「受け入れろ。これが結果なのだから」

 

 未練がましい一夏の発言に隣の席に陣取っていた箒が、憐れむような視線を一夏に向けた。箒はなぜ一夏のテンションが低いのか、その理由を知っている。ゆえに今現在の彼の気持ちは理解しているつもりだ。だが、その気持ちを理解したところで、箒にはこの現実を変えることなどできない。「諦めて、現実を見ろ」と諭すほか今の箒にできることはなかった。

 

「クラス代表ってのが、そんなに嫌なの? あんたは」

 

「鈴か。嫌ってわけじゃないが、なんか納得しないっていうか、なんていうか」 

 

 テーブルに所狭しと並べられた豪華な料理(といっても、すべて食堂で作られているものだが)を自身の取り皿に取り分けてきた鈴音が、不思議そうな表情をして一夏に言った。「そんなに嫌なら一夏も辞退しちゃえば?」とはおくびにも口に出さない。鈴音は一夏とは小学四年のころから中学二年までの付き合いで、当然ながら姉の千冬の存在も知っている。鈴音の親が経営している中華料理屋に姉弟揃って来ていたぐらいだ、単なる顔見知り以上の親交はあった。だから、わかる。あの千冬が、嫌だ、という理由だけで簡単には首を縦に振らないであろうことを。そして、一夏がそのことを重々承知であることも、長い付き合いの鈴音には分かった。

 一夏の要領を得ない返答に鈴音は眉をよせ、「何がよ」

 

「負けたのに、こうやって祝ってもらっているのってさ、こう……さ」

 

 一夏は何かを伝えようと身振り手振りを交えて話を進めてくれるが、彼の胸の内にあるもやもやを表現するには彼の表現力は低すぎた。おかげで鈴音も箒も、訝しむような表情で一夏を見ている。

 

 そんな一夏に助け舟を出したのは、意外な人物だった。

 

「要するに、負けたから自分にはその権利はない……そう言いたいのですわ、その殿方は」

 

 テーブルを挟んだ向こう側、呆れ顔で立っているセシリアは深々とため息をつくと皿を持ったまま鈴音の隣の席を陣取り、ゆっくりと腰を下ろした。座る場所はほかにいくらでもあるだろうに、なぜにここなのだろうか。鈴音のそんな考えが顔に出ていたのか、セシリアが「ここに座ったのは偶然話が聞こえたからですわ。深い意味なんてありません」と興味なさげに皿に盛られているローストビーフを食べた。鈴音が改めて周りを見ると、なるほど一夏がいるこの席一帯が箒や鈴音以外誰も座っていないのに対し、その周りの席にはこちらを興味深そうに見つめる視線で埋め尽くされている。察するに、一夏と一緒に食事をしたいがいざするとなると恥ずかしい、といった具合なのだろう。なんとも乙女チックなものね、と鈴音は内心呟いた。

 

「このわたくしに敗北を喫したのに、なぜ自分は祝ってもらっているのか。貴方が考えていることは、そんなところではありません?」

 

 そう訊かれて一夏は、うーん、と唸った。この複雑な気持ちを表現するには、ちと足りない気もするが概ねその通りなのである。なまじあの試合に負けた悔しさがある分、このパーティーに抱く感情というものはそれに嬉しさが混じってぐちゃぐちゃにされたような複雑すぎる姿をしていた。クラス代表になるのは嫌ではないが、本当に自分がなっていいのか。セシリアのほうが、玄兎のほうが適任ではないのか。祝ってもらえてうれしいという気持ちも当然あるが、それと同時にそんな「何か違うのではないか」という疑問もあった。

 

「あえて一言言わせてもらいますと…………あまり自惚れないでくださいます?」

 

 セシリアの一言に一夏は背を思わずぴしゃりと伸ばした。彼女の言葉がまるで背中を思いきり叩くように、一夏の中に響いた。

 

「わたくしが辞退した理由は、最初の試合で引き分けという不甲斐ない結果を残したからです。専用機と訓練機、見るからにハンデがあったあの戦いでわたくしは自分の身の丈を思い知らされましたわ。ですから、戒めという意味も込めて辞退したのです。量産機に引き分けた専用機というのはいい恥さらしにしかなりませんからね」

 

 自嘲するように肩をすくめる。

 

「それにすでに気づいているかもしれませんが、あの赤神というお方は貴方との試合のとき、明らかに手を抜いていました。最初の時とは動きが大違いでしたから、すぐに気づきましたわ。貴方があの試合勝てたのも、彼がどういうわけか手加減して臨まれていたからにすぎません。専用機持ちで、かつ代表候補生であるわたくしを追い詰めておきながら、ド素人の貴方にあの方が負ける道理なんてそれ以外あり得ませんわ」

 

 その話を聞いた箒は一人納得していた。どうせあの人の事だから、クラス代表にはなりたくない、という小学生並の理由で一夏に勝ちを譲ったのだろう。あの時は舞い上がっていて、その可能性にすら気づいてはいなかったが、よくよく考えると彼の考えそうなことではあった。

 

「そもそも、貴方はあれが初めての試合。負けるのは当たり前ですわ。それを少しばかり奮戦したからといって、皆さんが祝ってくれている席で悩むなど、馬鹿すぎて話になりませんわ」

 

 最後のほうは面倒になってきて早口で捲し立てた。その声に苛立ちや怒りといった感情は含まれていない。ただただ事実を述べているだけといった風だった。

 

「………………そうだな」

 

 セシリアの発言から少し間をおいてから、一夏が独白するようにぽつりと言葉をこぼした。そして、唐突に自分の両頬を自分の掌で二、三度力いっぱい叩いた。じんわりと広がる頬の痛みを感じながら、一夏は大きく息を吸い込み、吐き出す。

 

「そうだよな。セシリアの言う通りだ。折角みんなが開いてくれたパーティーなんだ、主役の俺がそんなことでうじうじ言っていたら、台無しだよな」

 

 自らに言い聞かせるような物言いだった。

 確かに自分はセシリアに負けた。それは圧倒的な経験の差からくるもので、玄兎とセシリアの試合の時のように機体のスペックに差が殆どない分、悔しさは大きかった。だが、それは至極当たり前のことでもあるのだ。経験者と初心者が勝負して、初心者が負けるのは当然で、逆に勝つことのほうが珍しい。さらに一夏はその日が初めてのISによる試合だったので、なおさらだった。

 

 あの日、一夏の試合を見ていたギャラリーは彼にこんな評価を一様に下していた、初心者にしてはいい動きをしている、と。通常ならば空中で動き回ることでさえ初心者には四苦八苦するはずのISを、危なげにだが乗りこなしていた一夏は、どちからといえばその操縦技術は上手いほうである(飽くまでも初心者としてだが)。だから、ここにいる一年一組のクラスメート他数十名の中は、一夏がセシリアに負けたという印象よりも、一夏が専用機持ちの代表候補生相手に「奮戦」したという印象を持っている者が多い。

 セシリアはそういった一夏と周囲の認識の差というものに気付いていた。だから、あえて「うぬぼれるな」という辛辣な言葉を使い、注意を促したのだ。野球を始めたばかりの素人ピッチャーが、いきなりプロのバッターに敵うはずがない。結果は最初から見えており、一夏の場合その結果に行き着く途中がよかった、と評価されているのである。だが、勝利を得るにはまだまだ遠い位置に一夏はいる。ここからどれだけ勝利という可能性に近づけるかは、彼の努力次第だ。今の段階では話にならないどころか、お粗末にもほどがあるが、それそれで伸びしろがあるという意味にも捉えることができる。要するに、可能性はあるが、それは飽くまで将来の話であり、現時点で一夏がセシリアに勝てる可能性などこれっぽっちもないというわけだ。

 悔しいとはつまり、勝てたかもしれない、という期待の表れであり、一夏はまだ「負けたから、悔しい」そんな領域にすらいないのである。

 

「あれ、ところで玄兎はどこにいるんだ?」

 

 不意に玄兎のことが頭に浮かび、一夏はきょろきょろと食堂を見回した。しかし、玄兎の姿はどこにも見当たらない。こういう食事が出るイベントごとには必ず出席してそうな彼だが、何か用事でもあったのだろうか。

 

 そんな一夏の疑問に答えたのは、隣で黙々と料理を食していた箒だった。

 

「ああ、玄兎さんなら今頃反省文を書いているころではないか?」

 

「反省文?」

 

「どうせ、試合で手を抜いたことを咎められたんじゃないの? 千冬さんになら、あいつが手を抜いたことぐらいわかっただろうし」

 

 鈴音がどうでもいいという風な態度で推測する。どのみち、玄兎はこのパーティーには参加できないらしい。

 

「まぁ、参加できないやつのことなんてほっとけばいいのよ」

 

 

 

 一方で玄兎。

 

「おおおぉぉお……終わらねぇ」

 

「いい加減なことするからよ。天罰ね」

 

 笑いをこらえ口元を扇子で隠す楯無に、玄兎が忌々しげな視線をぶつける。そんな視線も楯無には面白かったらしく、次第に笑い声が漏れ出してきていた。

 

 そして、次に目を向けるのは彼の机の上に山積みにされている原稿用紙の束。枚数にして百はあるというから驚きだ。

 

 反省文百枚。それが千冬の下した玄兎への罰だった。

 

「一夏君相手だからって変に手を抜いたりするから、こうなるのよ」

 

「手加減ぐらい誰だってするだろ」

 

「貴方の場合、それがあざとすぎるのよ」

 

 明らかな手抜き。千冬に今回、咎められたのはそれだった。経験者が初心者相手に最初から本気を出すのも、それはそれで大人げないが今回の玄兎の場合、あまりにも〝わざとらしすぎた〟。玄兎としてはあの場に自分の本気を知る人物が楯無以外にいなかったことでばれないだろうと踏んでいたが、それも現状を招いた要因の一つかもしれない。

 

「提出期限が今日までなんだから、ほらよそ見している暇はないわよ。ほら、書いた書いたー」

 

「てか、お前はなんでここにいるんだよ……」

 

「監督兼嫌がらせ」

 

「明らかに本命は後者だよな!?」

 

 そんなことで玄兎は今夜、食堂で行われているパーティーには出席できなかった。楯無がそれを許さなかったのだ。夕食は彼女の作ったものを食べたので、放課後部屋に戻ってきてからは一切部屋から出ていない。正直、精神的にまいりそうだった。

 だが、提出期限である今日までにこれを書き上げないと後が怖い。楯無の指示に嫌々ながらも従っているのは、そういった事情もあるからである。

 百枚まで、残り二十枚と少し。それを書き終えたときには、すでに時刻は午前零時を回っていた。

 

 

 

    *     *     *

 

 年季の入ったシャンデリアの明るくもなく、さして暗くもないという加減の利いた光がもとから落ち着いた雰囲気をこの店の印象をさらに深め、無駄な装飾が施されていない店内にもぴったりとマッチしていた。まるでこの場の時間だけがゆったりと流れているような感覚だ。煩雑とした世の中から隔離されたような空間に、ナターシャ・ファイルスは思わず待ち人のことも忘れてうっとりとした気分に浸りかけていた。出てくる料理も一級品で、滅多に食べられるようなものではないし、何よりナターシャの隣からは夜の帳がおりてなおさんさんと輝く街並みを一望できるとあって、彼女はご機嫌だった。さらにこの店の代金のすべてが待ち人である神谷玲也の奢りだということも、彼女がいつになく上機嫌である理由の一つだった。

 

「約束の時間まで残り一分…………そろそろ」

 

 ナターシャが口元を綻ばせながら、腕に巻く見るからに高級そうな時計に目をやった。玲也との待ち合わせは午後の七時。彼の性格ならばもう来てもいいころだ。

 

「って、言ってたら来ないのがあいつなのよね」

 

「と言われると、来たくなるのはどうしてだろうね?」

 

「ひゃっ!?」

 

 不意に耳元で囁かれナターシャは背筋に冷たいものが走ったような感覚を受けた。びくりと肩が震え、小さく可愛らしい悲鳴がこぼれる。驚きによって心拍数が跳ね上がった心臓を落ち着かせるため、何度か深呼吸をしてからナターシャは後ろを振り返った。

 

 案の定、彼はいた。

 

「やあ、大丈夫?」

 

 特に悪びれた様子も見せず、悪戯が成功した子供のような無邪気な声で玲也は言った。黒いフードを目深く被っているためその表情は伺いしれないが、そこにはさぞ薄い笑みを張り付けてあるに違いない。ナターシャは先まで上機嫌だった気分が氷水をかけられたようにみるみると低下していくのを感じていた。

 

「ははっ、やっぱり君の反応は面白いね。うん、面白い」

 

 そんなナターシャを見て、玲也は密かにフードに隠れる相好を崩した。玲也はこれまで様々な人種や性格、考え方をした人物と出会ってきたが、彼女のように胸の内にある遊び心を無意識のうちにくすぐってくる人物にはいまだ出会えてない。人間観察が趣味の玲也は、非常に興味深く接していて飽きない人間としてナターシャを認識していた。ちなみに以前、そのことを当人にうっかり口を滑らしたために、一か月近く口もきいてもらえず、お詫びのしるしにとブランド物の品々を大量に買わされたのは、今となっても苦い思い出だ。

 

「……それで、さっそくだけど本題に入らせてもらうよ」

 

 ナターシャが半眼で睨みつけてくるので、玲也は渋々本題へと入った。これ以上、彼女の機嫌を損ねるとまた厄介な「お詫び」を要求されかねないと玲也の第六感が知らせてくれたのだ。

 

「僕が頼んでいたものは、ちゃんと持ってきてくれたかな?」

 

「これでしょ。この古ぼけた手記」

 

 ナターシャがため息でもつきたそうな表情で手に掲げたのは、掌にすっぽりと収まるサイズの古い日記帳だった。随分と年季が入っているのか、所々破けたりしてボロボロだ。中の字もかろうじて読めるという程度で、かすれて読めなくなっている個所も多い。

 この日記帳は今から約数週間前に、玄兎達『紅い兎』に依頼してアメリカの軍事研究施設「フロント」から探し出してもらったものだ。「フロント」はつい最近まで現役の研究施設として稼働していたのだが、今年の二月に起きたとあるテロ事件をきっかけに施設は稼働を停止、放棄されてしまっていた。テロ事件が解決した今、本来ならば「フロント」は通常通り稼働を再開させるはずだったが、思いもよらぬ障害がそれに待ったをかけていた。今の「フロント」はテロ集団が放った大量の無人捕縛ロボットが内部を巡回し、外にはもともと施設にあった対IS用の強力な兵器が配備されている。しかもそれらは施設からある一定の距離に侵入すると一斉に迎撃モードへと移行し襲い掛かってくるという鬼畜仕様となっているのだ。さすがの軍もこれにはお手上げといった様子で、今のところ一定距離内に近づかなければ安全ということもあり、あたり一帯を封鎖するだけに対処は留まっている。

 

 改めて考えてみると、よく彼らはそんな場所へこんな古ぼけた日記帳を取りに行こうと思えたものだ、とナターシャは思った。自分なら、絶対に断るであろう。そんな場所へのこのこ行くのはある意味命知らずだけだ。アメリカ軍の監視を抜け、次に「フロント」そのものの監視及び迎撃システムを潜り抜け、捕縛ロボット大立ち回りを演じる。これほどのことをたかが手記一冊のためにしなければいけないのは、あまりにも無謀というものだ。

 だが、彼らは快く承諾してくれたばかりか、その依頼をけろっとした顔であっさりとやってのけたのだ。まるで朝飯前だと言わんばかりに。

 

「ほんと、よく引き受けてくれたものだね、玄兎君たちは。自分がその立場だったら、絶対に引き受けたくないタイプの依頼だというのに」

 

「それを依頼した張本人が言ったら、駄目じゃないの?」

 

「確かに、それもそうか」

 

 どうやら彼も同じことを考えていたらしい。いつの間にか対面側の椅子に腰かけていた玲也は、納得したように相槌を打った。

 

 不意にナターシャの脳裏にある疑問が浮かんだ。

 

「そういえば……この手記って、わざわざ危険を冒してまで手に入れる価値があるものなの?」

 

 ずっと心に引っかかっていたことだった。玲也は現在、世界中を情報屋として飛び回っており、〝情報屋のカミヤ〟といえばどんな情報でも金さえ出せば売ってくれるということである意味有名である。そんな彼が欲するものといえば、当然情報だ。情報屋にとって情報というのは商売道具であり、大切な資金源である。

 そう考えると、やはりこの手記はその手の情報が記されたものなのだろうか。ナターシャはこれでも軍に所属している身である。もしも手記の内容が軍に関する情報などであると非常に困るのだが、どうなのであろう。

 しかし、そんなナターシャの不安や疑問の絡んだ考えに反して、彼から返ってきた言葉は「さぁ、わからない」といった曖昧なものだった。

 

「これが今回、わざわざ玄兎君たちに危険を冒してもらってまで手に入れる価値があったかどうか……まだはっきりとはわからない。でも、僕の推論が正しければこれが「鍵」となるはずだよ」

 

「鍵?」

 

「そう鍵。キーアイテムというべきかな、この場合。この手記に書かれていることは、もしかすると今僕が一番欲しい情報に繋がるかもしれない」

 

「玲也が今、一番欲しい情報…………?」

 

 なぜかその瞬間、ナターシャの背筋に悪寒めいたものが走った気がした。第六感が、駄目だ、と告げているような気がした。

 

 

 ――――――これから先は聞いては駄目だ、と。

 

 

 玲也は相も変わらず黒いフードで顔を隠していて今どんな表情をしているのかは判断しかねるが、シャンデリアの明かりに照らされたその口元だけはうっすらとだが見ることができた。その時の彼の口元は今日一番に緩んでいたかもしれない。

 

この世界の秘密(・・・・・・・)だよ。この…………偽りだらけの世界のね」

 

 

    *    *    *

 

「世界の秘密……?」

 

 その言葉を聞いたとき、まっさきにナターシャの脳裏に浮かんだのはある一機のISだった。それの情報は今国家機密同然の扱われ方をしており、テストパイロットを務めることになっているナターシャですら全容は知らず、ことの一端を知ったのはつい最近である。今ではスポーツとして認知され始めているISを、軍事用として開発しているなんてことが世間にバレたら、民衆の反感を買うことはまず間違いない。二十一世紀騒乱以降、落ち着いていたデモ運動も活発化する恐れだってある。情報としては、間違いなく一級品の代物として扱えるだろう。

 だが、ナターシャは「それはない」と自身の意見を却下した。確かに情報屋としては手に入れていて損はないものだが、それでも彼が欲するようなものではない、とナターシャは思う。危険を冒してまで、あの混乱期を復活させる理由は玲也にはないはずだ。

 

 ならば、それはなんだろうか。そう考えた時には、ナターシャの口はすでに動いていた。

 

「それってどういう」

 

 だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。テーブルの向こう側に座っていたはずの玲也が突然、テーブルから身を乗り出してナターシャに抱き着いてきたのだ。それがあまりにも唐突な出来事だったせいか、うまく受け身をとることができずそのままの態勢で後ろに倒れてしまった。おかげで後頭部を床に強く打ちつけてしまって、少し視界がぼやけてしまっている。抱き着かれた瞬間、「れ、れいやっ!?」と軽く狼狽しかけ、「みんなの前で大胆だよ」という言葉が喉元まで出かかったが、寸前のとこでどうにか呑み込めた。代わりに頭部強打という痛みを負うことになったが、舌をかまなかった分マシだろう。

 

 その直後のことだった。あの甲高い、耳に妙にこびりつく、硝子が割れる音が店内に鳴り響いたのは。

 

「きゃぁぁあああ!」

 

 一拍の間を置き、悲鳴が連鎖的に木霊していく。悲鳴による恐怖は、波紋のように人へ人へと伝染し、パニックを誘発させる。何が起こったのかわからない、だからこそ人々はわれ先にとこの場から逃げ出そうとした。出所がわからない恐怖ほど、怖いものはない。分からないものは、対処しようがないからだ。今の客たちは皆が思考を放棄し、ただ本能のままに動いている。命を守るために、己を守るために。

 そんな混沌とした状況の中、唯一といっていいほど冷静だったのは玲也だった。

 

「派手だなぁ……数もそれなりに……」

 

 のほほんとした笑みでそういうと、玲也は急に立ち上がった。ナターシャも手を引かれるようにして立ち上がる。

 

「ちょっと派手なことするから、目を瞑って、耳塞いでて」

 

 優しい声音で諭すように玲也が言った。朦朧する意識のなか、ナターシャは意味も分からず、うん、と頷く。覚醒しない意識とぼやける視界のせいで、脳が正常に働かない。状況がまったく理解できなかった。だからなのだろう、ナターシャが目を閉じる寸前に見た玲也が持つ黒い円柱の物体が何なのか、瞬時に判断できなかったのは。

 耳を閉じても喧騒は聞こえていた。決して広いとはいえない店内だ、少しの人数が悲鳴を上げたとしてもそれは耳をふさいでいても充分鼓膜を打ってくる。店内にいた従業員、客の全員がそれをするとなると、耳をふさいだぐらいではその音を防ぐことはできないだろう。

 だから。だから、ナターシャは驚愕に顔を染めた。さきほどまで煩く響いていた悲鳴も逃げる足音も、怒鳴り声も一斉にぴたりとやんだ。まるで皆が示しを合わせたかのようだった。静寂が場を包み込む。

 

「もういいよ、開けても」

 

 恐る恐る目を開ける。一瞬とはいえ目を閉じていたせいか、シャンデリアの明かりが今となっては妙にまぶしく感じられた。

 店内は先ほどとは打って変わって静けさを取り戻してた。怖ろしく静かで、まるでここだけ時間が止まっているかのようだ。

 

「な、なにこれ……」

 

 顔を上げ、あたりを見回したナターシャは愕然としたように呟いた。

 逃げようとしていた人間が全員、気絶していた。いや、数人はかすかに意識があるようだがそれでも朦朧としているようだった。目の焦点が泳いで、定まっていない。

 

「拳銃が二丁に、無線機……」

 

 玲也が気絶している人間の一人に駆け寄っていった。その人間が左手に握っているものを見て、ナターシャは思わず目をむいた。黒光りする艶やかな光沢に、洗練されたデザイン、先端に空いた穴はまるで地獄の底まで続いているのではないかと思わせるそれは、間違いなく銃だった。

 なぜ拳銃なんか、と思ったところでナターシャはハッとした。あの拳銃の銃口に取り付けあるのはサプレッサーと呼ばれる射撃する際に発せられる銃声を消すためのものだ。そんなものがなぜあの銃に取り付けてあるのか、答えは明白だった。あれが、先ほどのガラスを砕いたのだ。間違いない。硝子が砕け散ったあの時、ガラスの近くにいたのは玲也以外誰もいなかった。となると、ガラスを割ったのは必然的に遠くからということになる。サプレッサーをつけておけば銃声が響く心配もないし、ある程度距離があってもガラスを撃ち抜くことは可能だ。

 

 徐々にナターシャの脳が覚醒し、あの時の状況が鮮明に掘り起こされていく。

 それにほかの皆が出口付近で倒れているのに対し、この男は明らかに逆方向の位置で倒れている。この男が何らかの目的で銃を行使し、この騒ぎの元凶となったであろうということは一目瞭然のことだった。

 

「とりあえず、ここから逃げよう。警察と救急車はもう呼んであるから、大丈夫」

 

 男から取り上げた拳銃を分解させながら、玲也は言った。その言葉を聞いて、ナターシャはようやく自分が置かれた立場というのを理解した。どうやら彼が抱えていた厄介ごとに巻き込まれたようである。

 

 

 

 

「スタングレネード!? どこでそんなもの手に入れたのよ……」

 

「それは教えられないね。情報屋に情報を教えてもらうときは、お金を払ってもらわなきゃ」

 

 現金にも金を要求するその態度にナターシャは思わず顔をしかめるが、しばらくすると諦めたようにため息をついた。

 

「どこで手に入れたかは聞かないでおくわ。これ以上、面倒事には巻き込まれたくないの」

 

 諦観したような表情でナターシャは言った。今までの苦労が垣間見える、そんな表情である。

 ナターシャのそんな反応を見た玲也の「賢明な判断だね」と褒める態度はどこか白々しいものがあった。どうやら遠回しに「お前のせいで厄介ごとに巻き込まれた。どうしてくれる」と伝えているのに気付いているらしい。気づいていて、それでもなおこのような態度を取りつづけているのだから、相手にしている側としては腹立たしいことこの上ない。

 とはいっても、ナターシャと玲也はもうかれこれ十年来の付き合いだ。彼がこのような性格だということは重々承知であるし、何よりもう慣れてしまった。腹は立つが、これぐらいで一々目くじらを立ててるようでは彼の相手は務まらない。彼と付き合っていくためには寛大な心はもとい、諦め耐え抜くことができる心も必要なのだ。

 

「それにしても、あんな人が密集している場所でよくこれを使う気になれたわね。一般人だし、下手したら誰か死んでいてもおかしくないのよ?」

 

「そこは大丈夫。あれは僕が知り合いに頼んで改造してもらった特殊なものだからね、安心安全だよ」

 

 そういう問題ではない。喉まで出かかったこの言葉を呑み込んだナターシャは、次にもっと根本的な疑問を彼にぶつけることにした。これを教えてもらわずにして、彼を帰すわけにはいかない。

 

「それで今日の一件はいったいどういうことなの? 私にもわかりやすく、丁寧に、こと細かく説明してくれるとうれしいんだけど」

 

「怒ってる?」

 

「ええ。だいぶね」

 

 涼しい表情をしているナターシャも、内心でははらわたが煮えくり返る思いだった。せっかく高級レストランでの食事が玲也のせいで、もといあの変な男のせいで台無しになったのだ。今日は玲也の奢りだったということもあってか、非常に悔いが残る。

 それに今日は玲也と久しぶりに二人っきりで食事を楽しめる、またとないチャンスだったのだ。最近はお互い仕事やら私用やらが忙しくろくに会う機会もなかったから、余計にである。単身赴任していた夫がようやく帰ってきたかと思ったら、その日またすぐに出張で出て行ってしまった妻が抱いている感情もこのようなものなのだろうか、とナターシャは思った。

 「まぁ、話せば長いけど」と前置きした玲也はなにから話そうかと手を顎に当て、考える素振りをした。

 

「事の発端ということをかなり端を折っていえば、君の持ってる日記帳を探そうとしたからなんだ。いや、正確にいえば日記帳そのものに価値はないよ。あるのは飽くまでも内容の方。そして、それを手に入れることでたどり着けるかもしれない情報だ」

 

「それが、さっき言ってた『世界の秘密』とかいうものなのね?」

 

「そう。そして、僕はそれにたどり着くためにいろんなところで情報を集めてきた。それが災いして、あの人たちに狙われてる……ってところかな」

 

「狙われてるって、そんな呑気に言ってていいの?」

 

「大丈夫大丈夫。真正面から戦わない限り、大丈夫」

 

「今回もあっさりと居場所ばれちゃったのに?」

 

「あれはわざとだよ。彼らの出方を見たかったんだ。まぁ、拳銃なんていう物騒なものまで出してきたのは予想外だったけど」

 そう言って玲也は、あはは、と呑気な笑い声をあげた。危うく命も危なかったというのに、なんとも危機感の薄い男である。こんなことで本当にこの先、大丈夫なのだろうか。ナターシャは彼のそんな危険意識の低さに、一抹の不安を覚えながらも、内心では別の事を考えていた。

 玲也の発言だ。彼の先の言葉の中に気になる一文があった。

 

 わざと?

 

 出方を見たかった?

 

 つまり、自分はそれらを玲也が見たいがために囮としていいように利用されたのか?

 小さな疑問が疑惑を呼び、さらなる疑惑を浮かび上がらせる。そして、新たな疑惑が浮かび上がってくるたびにどことない疲労感と脱力感がナターシャを襲ってきた。

 よくよく考えてみると、初めからおかしかった。久しぶりに連絡をしてきたと思ったら、『紅い兎』へ依頼の仲介をしてくれと言ったり、その礼に自分の奢りで少しばかり高級なレストランへ二人で行こうと言ったり、普段の彼ならば絶対にあえり得ない発言ばかりだ。この時点で、少なからず彼が何かを企んでいるであろうということには気づけたはずなのである。だが、その時のナターシャいささか正気や平常というものを欠いていた。事実を述べるなら、嬉しさのあまり興奮が頂点に達していたのだ。二人っきりでレストランに行こうというのはつまりデートお誘いということであり、過去に彼からそういった類の誘いがあったのはごくわずかであったから、なおさらだったのかもしれない。

 もしも、過去に戻れるのならばあの時の自分に「落ち着いて、状況を理解して、相手の言葉の意図を考えろ」と忠告を促したい。ナターシャは過去の舞い上がっていた自分を恥じた。まるで自分が玲也の掌の上で踊らされていたような気がして、ナターシャはがっくりと肩を落とした。数週間分の疲労が一気にやってきたような気怠さだ。病は気からと日本のことわざにあるが、案外それは的を得ているのかもしれない。

「まぁ、一般市民に被害が及んじゃったのは素直に僕の油断だね。市民の中に紛れ込んでいる人も数人はいたみたいだけど、さすがに全員が拳銃を所持しているとなると、僕もスタングレネードを使わざる得ないよ。命は惜しいからね、僕でも」

 

「言い訳がましいわね。でも、あの場面でスタングレネードを使っていなければ、あの男は拳銃を放つだろうし、貴方の言う通り客のなかにも仲間が紛れているのなら、貴方が逃走しようとした段階で一般市民に危害が加えられる、もしくは被害が及ぶ可能性は十分にあったわ。市民も全員無事だったんだし、玲也は正しい判断をしたと思うわよ? 少なくとも、あの状況ではね」

 

 珍しく玲也を擁護する意見をするナターシャに、擁護された当人である玲也は思わず驚いたような表情でナターシャを見た。

 

「なによ。私が古い知り合いの弁護をして何か悪い?」

 

「……いや、まったく。その調子どんどん頼むよ。何しろ、警察にスタングレネードなんて所持していたことがばれたら、即牢屋行きだからね。僕はまだ、自由でいたい」

 

 いくら一家に一丁銃がある銃社会のアメリカでも、さすがにグレネードなんてものを所持しているのは違法だ。下手すると、いや下手しなくとも刑務所行き確定である。

 

「はいはい。さすがに今回のは目を瞑っておくわ。それに私も下手したら命が危なかったかもしれないし、助けてもらった礼ということで」

 

 さすがに銃弾から身を挺して守ってくれた恩を、仇で返すような鬼ではない。ナターシャは「しょうがないな」と思いつつ、そう約束する。

 

「それにしても、そこまでして手に入れたい世界の秘密って、なんなの?」

 

 今日の疑問の根底をなすのはやはりこれだろう。それがもとで彼はナターシャに『紅い兎』への依頼を仲介してもらい、日記帳を手に入れ今日の一件が起きた。すべてはその「世界の秘密」とやらの情報を得るために、玲也が行動を起こしたことが原因にある。

 ならば、それはどんなものなのだろうか。さきほども一考したが、あの光景を目の当たりにした今、余計に分からなくなってしまった。

 

「うーん、さすがにこればかりは君にも教えられないかな」

 

 玲也の答えは淡白なものだった。

 

「ど、どうして?」

 

「だって、教えたら君にも危害が及ぶかもしれないじゃないか」

 

 それもそうだ、とナターシャは納得した。玲也がその一端を調べようとしただけでも命を狙った連中だ、彼以外にもその秘密を知り得ることがある人物を放っておくはずがない。しかも、その人物がプライベートでの交流関係が乏しい玲也と古い知り合いで気がしれた仲だった場合、果たしてどういうことをしでかすであろうか。それを考えると、背筋がぞっとするように震える。

 

「でも、私もとっくに巻き込まれてるんだけど?」

 

「……君は軍の関係者だから、というのも理由にあると言ったら諦めてくれる?」

 

「責任は取ってもらうわ」

 

 厄介なものを見る目で自分を見る玲也に、不敵な笑みを浮かべつつナターシャはそう言った。その「責任」というものが、どんな意味を持つのか、どんな意図の上で紡がれた言葉なのか、玲也には見当がついていた。ついていたから、これまたどうしようか悩んだ。

 彼女がどこまで本気なのかは分からない。過去にだって、冗談だろうと思って受け取った言葉が後々に本気だった、なんてわかるのは二人の間には日常茶飯事の出来事である。玲也も表情を読みにくいとよく言われるが、彼女もまた嘘か真実かの区別がつきにくい表情をすることがあった。だからこそ、慎重に次の言葉は選ばなくてはいけない。

 

「この一件に君を巻き込みたくないんだけどね……」

 

 どこか観念したかのように、玲也が呟いた。

 

 上を見上げると、満天の星空がきらきらと暗転した空色を美しく彩っている。素直に、美しい光景だと玲也は思った。だからこそ、こんな景色が嘘偽りだと思うと、ひどく虚しい気分になる。

 二人がいるのは、賑わいを見せる中心街から少しばかり離れた場所だった。人が誰もいないのではないかと勘違いしいそうなほど、閑散としていて先の店とはまた違う意味で落ち着いた雰囲気を持っている。静かで、人の気配どころか動物の気配、鳥の、虫の気配すらも感じられない、そんな所だ。

 なぜこんな場所にいるのかというと、追っ手を警戒して逃げる際にとりあえずと乗ったタクシーで、静かな場所へ適当に行ってくれ、と頼んだらここへと連れてこられたのがここだったのである。確かに静かだが、逆に人気がなさ過ぎて不気味だ。不気味さが一周して、落ち着きをもたらしてくれる、不思議な場所である。

 

「そうだね。今言えることといえば、〝ルイス・アシュダウンって男には気を付けろ〟ってことかな?」

 

「る、ルイス? 誰よ、それ」

 

「いや、知らないならそれでいいよ。ただもし出会うことがあったら、そいつとは関わらないことをお勧めするよ」

 

 いつもどこかふざけているような印象があった彼の雰囲気が、突然がらりと変わった。声音からも妙な真剣みが伝わってくる。どうも本気で忠告してきているらしい。思わず、ナターシャもごくりと息をのんでしまった。

 そして、しばらくすると不意にその張りつめた空気が弛緩するように消えていった。

 

「まぁ、ようは変な男に捕まるなよって、ことだけどね」

 

「失礼な一言ね。私にだって、男を見る目ぐらいあるわよ」

 

「僕に惚れてる時点で、その言葉には説得力ないなぁ」

 

 と、彼は大仰に笑った。

 

「へ、へぇええ!?」

 

 一方でナターシャには動揺と驚愕の波が襲ってきた。それもそのはずである。今まで誰一人として打ち明けたことのなかった自身の胸の内を、いともあっさりと、しかもその想い人に見破られていたのだ。さらに、それを彼は何のこともないように話しているのだから、少しばかり動揺するのは当然であろう。

 冷静に考えると、彼は人の表情や声、ちょっとした動作からその人物の内情や性格を当てることを得意としていた。腐れ縁とまで言わしめる彼との関係上、接する機会はこの世界においてナターシャがダントツであるといっていい。つまり、彼に内情を一番悟られやすい立場にあるわけだ。それでいて、彼の気を引こうと行動を起こしたことがあるのだから、殊更分かりやすかったのかもしれない。

途端、ナターシャの顔が沸騰した。

 いくら彼が自分の恋心に気付いた理由がわかったからとはいえ、現在進行形で恥ずかしいことが起きていることには変わりない。彼があまりにもストレートに物を言ったから、ナターシャも一旦冷静になっていたが、彼女が冷静になって考えて彼の意を理解するほどその冷静さは欠けていき、同時にどうしようもない恥ずかしさがこみあげてきた。

 

 穴があったら入りたいとはまさにこのことである。

 

「あれ、そんなに驚くの?」

 

 一拍の間を置いて、忸怩の念に駆られるナターシャを玲也は、あれれ、と不思議そうに眺めていた。

 

「さすがの僕も最近日本で流行っている、唐変朴野郎、ってわけじゃないんだし、さすがに気づくよ。十年近くの付き合いだし」

 

 日本ならば奥ゆかしい女性というのは、その文化や風習から以外の事多いが、ここアメリカにおいてはあまりに見かけないタイプである。いや、ナターシャも異性と話すのが苦手だとか、好きな人に話しかけるのが少し恥ずかしい、とかそういったことはない。現に玲也と顔を合わせれば何食わぬ顔で出掛ける約束を取り付けたり、この容姿もあって学生時代から異性と話す機会も多かった。

 そんな彼女がなぜこんな反応をいまさらするのか。それは今までの玲也の態度に問題があった。

 

「今度、二人っきりで出掛けましょうよ」

 

 と言うと、

 

「ああ、いいよ」

 

 と素っ気なく、まるで決まり文句のように反応を返す。表情が読みにくい分、言葉が素っ気ないと全体的にもそう感じてしまうのだ。慣れているから、ナターシャとしてはどうってことないが、時折彼は自分に興味なんてないのではないか、異性として、一人の女として見られていないのではないかと不安に思うのである。

 そんな男がまさか「とっくに気づいていたけど?」なんて言うとは思わなかったから、ナターシャとしては嬉しと感じるよりも前に恥ずかしいという感情が表に出てきてしまっていたのだった。

 不意打ちにもほどがあるでしょう、とナターシャはこころの中で叫んだ。待ちに待った展開のような気もするが、気恥ずかしくてまともに彼と顔を合わせられない。

 

「はは、やっぱり君は可愛いね~」

 

 そこにこの追い打ちである。この男、もはやわざと言っているのではないか。

 火照る頬を冷えた風が撫でていく。まるでナターシャの興奮と感激と心臓の動悸を鎮めようとしているかのように、肌寒い空気があたりを通過していった。

 

「今日は一段と風が冷たいね」

 

「ええ、そうね」

 

 内心の緊張を表に出さぬよう心がけながら、ナターシャは答えた。

 余談であるがこのところ、世界各地で異常気象が続いている。日本では夏だというのに各地で大雪が観測され、ここアメリカでも一部の地域では冬だというのに夏のように気温が上がったりしたのに対し、一方の地域では例年の倍以上に寒かったりと異様な現象が度々起きていた。一部の研究者の中には地球が滅ぶ前兆だと言う者もいるが、実際のところ地球に一番の影響を与えるであろう太陽の活動にも目立った変化もなく、いたって平常通りなのだ。地球そのものに何かしらの変調があれば、地震やら火山の噴火といった自然災害も起きていいはず。なのだが、起きるのは異常〝気象〟のみだ。しかもそれらが怖ろしいのは、ついさきほどまで〝普通〟の天気だったのが、突然にして異常気象へと変貌を遂げるところにある。前触れもなく」、まるで神様が気まぐれで為しているかのようにだ。

 

「君はさ。この世界が偽物だ、って言われたらどう思う?」

 

「どういう意味よ、それ」

 

「そのままの意味だよ。たとえば僕に〝君の住む世界は実は偽物で、本物は別にあるんだよ〟って言われたら、君はどう思うのかな?」

 

 どういうことよ、それ。ナターシャはそう言うと、顎に手を置き少しの間考えを巡らせた。

 

「信じる信じない以前に、相手にしないわ。またいつも世迷言と思うわね、きっと」

 

 この言葉はなんとなく言ったものであったが、その言葉を聞いた玲也は途端何か考え込むような態度を見せた。手をあごにあて、考え込むような仕草をする。表情は見えないが、その雰囲気から彼が何かを悩んでいるということだけは伝わってきた。

 

 そして、おもむろに玲也はフードを脱いだ。

 

 日本人らしい黒髪に、それなりに整った顔立ちはいまだ少年のように若々しく、それでいて大人びた印象をもたらしている。

 そんな彼の面に張り付いているものは、彼らしくもない悲しげで儚げな笑みであった。

 

「そろそろ、帰ろうか」 

 

「え、ええ」

 

 珍しい彼の表情に見入ってしまっていたナターシャは少し遅れて、反応を示した。

 なぜだろうか。その時の彼の表情がひどく辛そうで、物憂げなもに見えたのは。何かに迷い、決心が揺らいでいるようなそんな表情に見えたのは、なぜだろうか。

 

「何もないと、いいんだけど……」

 

 そんなナターシャの不安が後にとんでもない形で的中することになるのだが、それはまた先のお話である。

 

 

         *     *    *

 

 目を閉じ、精神を統一する。呼吸から、心臓の脈動における身体のすべてを支配し、五感を研ぎ澄ましていく。

 

「はっ」

 

 息を吐いたのは刹那の時間であった。その瞬く間に、彼の前に合った巻藁が綺麗な三等分になって、どさりと床に落ちた。しばらくの間、男は態勢を刀を振りぬいた格好のまま保っていたが、巻藁が落ちた音を合図にするかのようにゆっくりと刀を鞘へと納めた。

 そこで背後から、ぱちぱち、という拍手が聞こえてきた。そこにいたのはこの場には似つかわしくない、白衣を纏った青年である。

 

「お見事。さすがは名門柳生家の出身ですね」

 

「ふん、見ていたのか」

 

 男は賞賛してくる青年に向かって興味なさげに鼻を鳴らし、背を向けた。

 

「集中していたみたいですので、ちょっとだけ見学させていただいていました」

 

 そういって青年は人懐っこい笑みを浮かべた。そんな彼に男は閉じていた目を薄く開け、「ルイス。何用だ」と単刀直入に言った。青年との付き合いも体感としてはかれこれ長いことになるが、そこでわかったことで彼は話題を提示するとき本題を話すためにとんでもない回り道をする。それは青年の悪い癖だった。もったいぶった言い方をするのである。男としては青年のこの癖が嫌いであった。そのため、今回も話が妙な話題から始まりそうだったので、こちらから本題へと切り込んでいった次第である。

 

 ルイスと呼ばれた青年が、つれないなぁ、と小さくため息をついた。

 

「いえ、単なる報告ですよ。前々から言っていた強襲用ゴーレムが完成したんです」

 

「ほう、ならばあの計画を早速実行に移すのか?」

 

「時を見計らって、ですけど。どうします?」

 

 ルイスの言う、どうする、という意味を男はすぐに理解した。「勿論、俺も行く」

 

「と言うと思ってましたから、あらかた皆さんの役割は割り振ってあります。目的さえ果たしてもらえれば、そのあとは宗玄さんの自由にしていいですよ?」

 

 言い終わり、ルイスはちらりと宗玄を盗み見た。その時に見た彼の顔は、どこか哀愁にも似た雰囲気を漂わせていた。だが、それもすぐに霧散し、別の感情がそこに張り付いた。闘争心という名の、笑みである。

 

「がははははっ。自由とな? お前にしては随分と気前のいいことだな。何かいいことでもあったか」

 

「こちらとしては貴方の意向をくんだまでですけどね。熱望だったでしょ、篠ノ之(・・・)との再戦は」

 

「本当ならば、柳韻とやりたかったが…………しょうがない。あやつの娘とやらも、そこそこ腕がたつと聞く。それにあの織斑だ、暇つぶしと調整ぐらいにはなるだろう」

 

 宗玄はそう言って、にやりと口角を釣り上げた。普段表情をあまり表に出さない彼にしては、珍しい光景だった。そこまで篠ノ之という名は、彼の中で大きなものなのだろう。武士のような冷たい威厳を放つ大男が、その双眸に獰猛な光を宿らせ、狡猾な笑みを浮かべるほどに。

 そんな宗玄を見たルイスは「しょうがないですね」と言いたげに、肩をすくめた。

 

「それじゃあ、僕は伝えることは伝えましたのでこれで帰りますね。詳しいことは追って説明しますので」

 

「帰り道には気を付けておけ。何があるか、わかったものではない。護衛の奴にもよく聞かせておけ。殺気は出すな、気取られるぞ」

 

 宗玄がぎろりとルイスの背後を睨みつける。その視線は刀のごとく鋭く、それを射ぬいていた。

 

「あれ、気付いてました?」

 

「気配を消し切れておらん。あの、爺にもよく言っとけ」

 

「課題ですね」

 

 あはは、とルイスは笑い、そのまま白衣を翻しながら踵を返した。そのまま宗玄がいた道場を出ると、月明かりと肌寒い空気がルイスを出迎えた。季節は春だというのにこの寒さ、はさすがにまいってしまいそうだ。この寒さの影響で、桜の開花も全国的に遅くなっているという。これでは毎年楽しみにしている花見も、今年はお預けかもしれない。ルイスはそんなことを考えんながら、ふいに口を開いた。

 

「宗玄さんの御忠告、聞いたかな?」

 

 

 ――――――面目ない。

 

 

 微かに聞こえた男の声は、どことなく悔しそうであった。音源はルイスの背後。そこにはいつの間にか、黒装束を身にまとった細身の男が片膝を地面についた姿勢で立っていた。

 

「あの御仁、相当な腕前だと聞き存じております。故にもしも主に刃を向けられるかもしれぬと思うと、自然と殺気が出てしまった次第でございます」

 

「あ、うん。やめようね、次から。というか、それこの前もやって注意受けてたよね?」

 

「死神殿と会った時でございますな。あの時は死ぬかと思いましたが……いやはや拙者は未熟者故」

 

「これから君を連れ歩くのはよしておこうかな」

 

「そ、そ、それはな、なにとぞ、ご、御勘弁を!」

 

 などと言っていると、男はついには泣き出しそうな勢いでルイスに縋り付いてきた。顔が黒い布で隠されているせいで表情が見えにくいが、恐らく泣いているのであろう。

 

「じょ、冗談だよ。だから、泣きながら縋り付いてくるのはやめて!」

 

「ほ、本当で……ご、ございますか」

 

「君も《妖刀》の端くれなら、そのぐらいで泣かないでよ。主として、こちらが怖くなる」

 

「失礼ながら、拙者……刀ではございません」

 

「いや、ごめん。僕も君たちの呼び方考えてなかったからといって、安易に玄兎君たちの呼び始めた名前を君たちの通称にしたのは間違っていたよ。うん」

 

「……はて、なんのことでございますか」

 

「…………こちらの話です。気にしないでください」

 

 正直に「君は馬鹿なのかい」とわかりきったことを訪ねたくなってきたが、そこはぐっと堪えた。馬鹿に馬鹿なのかと聞いても返ってくる返事は否定しかない。馬鹿は自身が馬鹿だということを理解していないからこそ馬鹿なのであって、それを理解している馬鹿は存在しない。いるとすればそれは、馬鹿を演じているだけであろう。

 だから、今ここでそれを言ってしまうと彼は確実に「拙者は馬鹿ではございませぬ!」と言い出すはずで、そうなると収集がつかなくなりそうでルイスとしても御免こうむりたい事態であった。

 

「とりあえず、半蔵君は以後気を付けるように」

 

「はっ」

 

 依然として片膝をついた姿勢を崩していない半蔵は短くそう返事をし、こくりと頷いた。

 

「あ、そうだ。ジャックさんから、何か報告はあった? 僕、最近ゴーレムの調整に手間取ってろくに会ってないんだけど」

 

「ジャックザリッパー殿のことですな」

 

「……相変わらず言いにくいね、この名前」

 

「敵からつけられた名前でありますが、当人としては相当気に入っている御様子。あまり指摘なさらないほうが……」

 

「わかってる。僕もそこまで野暮じゃないよ」

 

 今から少し前のことだ。ルイスたちの仲間で《妖刀》達を取り仕切るリーダー格である爺が、とある事件の影響か巷で切り裂きジャック、通称ジャックザリッパーとして名を馳せたことがあった。かつてイギリスに実在した連続殺人犯になぞらえてつけられた名前だが、これを彼はどういうわけか大いに気に入ってしまった。今では皆に自ら「オレノナハキョウカラ、ジャックザリッパー、ダ」と言いふらしている始末である。正直、呼んでいる側からしてみれば呼びにくいにもほどがある名前だが、彼の気に入り方は尋常ではなく、指摘するとかえって拙いような気がして皆指摘できずにいるのだった。

 

「それで何か報告はあったかい?」

 

「それならば、数件ほど上がっておりますが。緊急にお伝えしなければいけないものは、今のところは」

 

「神谷玲也の件についてはどうかな?」

 

「それについて、いささか苦戦しているようでめぼしい情報は今のところありませぬ。ですが、一つ面白い報告がありました」

 

「面白い?」

 

「どうやら目標の次なる目的地がフランスらしいのです」

 

 自信満々に報告をする半蔵だったが、その言葉を聞いたルイスは今までの苦笑いから表情を一変させた。相好が曇っていく。

 

「…………それは重大な、ニュースだね。ビッグニュース(・・・・・・・)だね」

 

「これはあれとの関係に感づいた、ととってもよろしいのでしょうか?」

 

「そうだね。どこから漏れたかはしらないけど、警戒してたほうがよさそうだ」

 

 あの男はいったいどこから情報を仕入れているというのだ。いくら警戒しようとも、いともたやすくそれを突破し情報を手に入れてくる。まるで情報を集めるだけに存在する、幽霊のようだ。存在自体は確認できるのに、霧のように掴めず、掴んだかと思うとするりと隙間から抜けていく。まさに幽霊のような男、それがルイスにとっての神谷玲也の印象であった。

 

「では、拙者からの報告は以上でございます」

 

「ああ、ありがとう。帰り道は静かに頼むね」

 

「仰せの通り」

 

 一通りの報告を済ませた半蔵はルイスのその一言を聞くと、すぐに彼の背後へと隠れるように移動した。黒い装束をまとっているせいか、陰になっている場所に入りこむとその姿を視認することが難しくなってきた。まるで姿そのものが消えたかのようだ。

 

「さてさて、帰ったらとりあえずごはんにしようかな……うわぁ、もう九時半だよ。ううっ、こんなことならここに来る前食べておくべきだったかな」

 

 そんなことを呟きながら、ルイス・アシュダウンはとぼとぼと帰路についたのだった。 

 

 

 




さて、ようやく学園以外の面子が出てきた(汗

原作では登場回数が少ないナターシャさんも、この作品ではじゃんじゃん登場してきます。玲也との絡みにも注目です。

そして、ルイス。彼らはとある理由で亡国企業が出てこない今作品において、敵サイドということになります。個性的な彼らですが、どうぞよろしくお願いします。


では、また来月に!w
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