IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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第十三話 散りゆくは、花か希望か

 夜のとばりが降りた町は昼と打って変わって静かだった。あの賑やかさはどこへやら、と玲也は一人苦笑した。春だというのに吹き抜ける風が真冬のように寒い。かじかんだ指先に息を吹きかけ、手をポケットへと突っ込んでからまた歩き出す。

 目に映る景色はやけに白かった。どうやら雪が降ったようで、地面は濡れており周りの家々には申し訳程度に雪が積もっている。この時期に雪とはまた季節外れもいいところだ。

 

「話には聞いてたけど……かなり山奥なんだなぁ」

 

 玲也が感慨深そうにつぶやく。麓のホテルから雪崩の影響を受けて徒歩で登り始めて、五時間近くが経過している。体力的にはまだまだ余裕があるのだが、この雪の中をただひたすらに歩き続けているにも関わらず肝心の目的地にはいまだたどり着けていなかった。その外観すら見えてこないのだから、一体どれほど登ればいいのか。こうなると、肉体的な疲労感よりも精神的疲労感のほうが勝ってくる。いい加減にしてほしい。玲也はそう思いながら、これが徒労にならないことを祈っていた。

 

 しばらくすると、待ちわびたそれが徐々に姿を現し始めた。大きな洋館である。

 

 人里離れた田舎町のさらに山奥に位置するこの洋館は、どこか近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。周囲を森で囲まれているせいか、どこかのホラー小説にでも出てきそうな館にも見える。古ぼけた外観と歴史を感じさせるレンガ造りというのも、この建物がそう感じられる理由なのかもしれない。

 しかし、そういった印象とは裏腹に家のあちらこちらには手入れされた跡らしきものが散見された。手前にある花壇には色とりどりの花々が蕾をつけており、その周囲もきちんとした手入れが施されている。家主かそれともその家族か、その性格が伺える。また、周囲の木々の中にもいくつかこの地方では自生しない種類のものがあった。恐らく、この家に住むものが植えたのであろう。

 こうした特徴を発見していくと、最初に感じたホラーめいた印象はだいぶ薄れてきた。不思議なものだ。今となっては怖いという印象よりも、家族団欒で楽しんでいる風景が頭にある。広い花畑を駆け回る娘に、それを遠くで見守る父と母。よく晴れた日だ。ビスケットに入った昼食をおいしそうに頬張る娘の姿。それを微笑ましそうに眺める両親。そんな光景が目に浮かぶようだった。

 

 一面雪化粧の庭に手前にあった柵を乗り越えて入っていく。雪を踏みしめるたびに、きゅっ、という甲高い音が聞こえてくる。耳障りというほどではないが、玲也はこの音があまり好きではなかった。顔をしかめながら、玄関へとたどり着いた。

 玄関は至って普通のつくりをしていた。強盗を警戒してか、セキュリティは最新鋭のものを使用している。見渡すと、なるほど入ってくるときには気づかなかったが、死角に防犯カメラまで設置してあった。立地条件もあって強盗には入られにくそうな家なのだが、ここの家主は相当警戒心が強い者らしい。ドアノブに手をかけると、意外にも鍵は掛かっていなかった。ここまで防犯システムを施してある家にしては、なんと不用心なことか。

 しかし、家の中に入るとその不用心さに納得した。何せ、すでに家の中を何者かに荒らされた後であったからだ。

 

「酷いね……無茶苦茶だ」

 

 そのあまりの惨状に思わず玲也は目を逸らしたくなった。足元に広がる赤い液体が玲也の靴を汚し、鉄臭いにおいで鼻をつんざく。一歩踏み出すと、ねちょりという不快な音が耳にこびりついた。

 もしかすると、暴風が物理的な攻撃力を持つとこのような光景になるのかもしれない。

 血だまりの中を歩き、一つの死体へと近づく。つんと臭いに一瞬顔を歪めるが、玲也はそのまましゃがみこみその死体を覗き込んだ。顔がなかった。ひしゃげた身体は自然には起こり得ないような方向にねじ曲がっており、中でも首は一度回転させてから元の位置に戻したような痕があった。顔には苦痛の表情すらなく、真っ赤に焼けただれていて、もとがどんな顔だったのかさえ分からないほどだ。辺りにある死体のほとんどは、この死体と似たような死に方をしている。何をどうやったら、こんな風になるのやら。到底人間のやったことのようには思えなかった。

 

「なら、これをやったのは人間じゃない誰かということなのかな」

 

 死体に向かって両手を合わせながらも、玲也は冷静に思考する。こんな惨状を作り上げることができる、かつ作り上げる理由がある連中に玲也は心当たりがあった。彼らならば、このような惨状は朝飯前であろう。この死体達はかろうじて残っている黒服から見て、SPか何かだ。護衛だと思われる。腐っても対人のスペシャリスト。ちょっとやそっとではくたばるような人間ではるまい。

 死体を一瞥し、玲也は別の場所へと足を運んだ。死体が連なっている場所を辿りながら、玲也は侵入者が目指したであろう場所へと進んでいく。

 吐き気を催すほどではないが、長い時間いると体調をおかしくしそうな場所だ。極力長居することは避けたい。そんなことを考えながら、玲也は不意にその歩みを止めた。

 死体を辿ってたどり着いたのは、やはりというか書斎から続く地下室だった。ここには先のフロアの何倍という数の死体が転がっていた。まさに阿鼻叫喚の地獄絵図。常人ならば踏み入れた瞬間、卒倒しそうである。今までの死体をさほど抵抗感なく見てきた玲也ですら、顔を歪め目を逸らしたほどだ。

 

 酷い。一角は黒く焼けこげ、一角は四肢がバラバラに切断され、またある一角は身体が水を絞った雑巾のように捩じられている。ことごとく積み上げられた死体の山は、もはやなんとも形容しがたい刺激臭を放っていた。数にすると、一体何百という人間がこの場に無残な姿となっているのであろうか。殺す方も殺す方だが、雇い主もここまでよく人を集められたものだ、と玲也はまったく関係のないことに対して感心した。

 しかし、これではっきりした。ここに匿われていた、いや隠されていた人物が誰なのか。玲也も実を言うとその人物に会うためにわざわざこの場所に足を運んだのが、どうやら遅かったようである。

 

「やるねぇ……飽くまでもこちらにカードを渡さない気なのか」

 

 顎に手を当て、玲也はくくくっと喉を鳴らして笑った。あちらがそういう姿勢ならば、こちらにも考えがある。目には目を、歯には歯を。ならば――――――

 

 

 ――――――力には力を、だ。

 

 携帯を取り出し、ある番号へとつなげる。数回の着信後、彼女は電話へと出た。とても不機嫌そうな声で『……ご用件を』と告げる。

 

「依頼だよ。君たち『紅い兎』にね」

 

 電話越しのナギが明らかに嫌そうな顔をしたのがわかった。いつも通りの反応だ。玲也は自分が彼女らに嫌われているのは重々承知だった。だが、彼女らもこの仕事で生計を立てていると言っても過言ではない身の上。貴重な依頼を無下にはできないはずだ。そんな計算の上で、玲也はこの場には似つかわしくない飄々とした口調で言葉を紡いでいく。

 

「依頼内容はとある人物の捜索および救出。前金として三十万出そう」

 

『……それはつまり〝危険が伴う〟ということですね?』

 

 ナギが静かに問う。玲也ゆっくりとあたりの惨状を見渡し、言った。

 

「ああ、とてもね」

 

 

 

      *     *    *

 

 

「男を落とすには、まず自分を相手に意識させなきゃ話にならない」

 

 そう語るのは自称、男である玄兎だ。勿論、実際に男である。

 

「だけど、相手はあの一夏だ。そんじょそこらの方法では、効果はないだろう。だからこそ、やるのはただ一つ!」

 

 ごくりと鈴音が息をのみ、彼の言葉を待った。

 

「その作戦の名は……!」

 

「……その名は?」

 

「お色気作戦だ!」

 

「…………あんたに本気で期待したあたしが馬鹿だった……」

 

 思わず頭を抱えた。少しでもこの男を信じた自分が憎たらしい。そういえば、箒や一夏伝いに玄兎の小テストの成績を聞いたことがある。全て0、もしくはそれに近しい点数だという。授業中、居眠りばかりしているのであるから当然といえば当然の結果である。そんな男にこの現状を打破し、逆転することができる策をそう簡単に考えられるはずもないというものだ。見通しが甘かったか、と鈴音は少しだけ後悔の念を胸の中に抱いた。

 鈴音が玄兎に「一夏への告白の手伝いをしてくれ」と依頼してから一日が経過した。今日は昨晩、鈴音の同室の者が帰ってきたために出来なかった作戦会議を玄兎の自室にて開いている。作戦会議をすると鈴音が聞いたとき、玄兎は確かに「いい作戦がある」と言っていた。藁にも縋る思いで玄兎に依頼をした鈴音は、この言葉に大きな期待を持った。それも彼がそれを自信たっぷりに言うものだから、余計だった。

 

 そのいい案というのは、言わずもがな先の「お色気作戦」である。これを頭抱えずにして、どうしろと言うのだろうか。

 言い知れぬ不安感が不意に鈴音の心中に去来した。この男に任せておいて本当に大丈夫なのだろうか、というそこはかとないものだ。

 

「そもそも、自分でいうのもなんだけど、わ、私のどこに……その、一夏を、落とせるほどの、み、魅力が……あるって……言うの……ああもう!」

 

 自分で言っておきながら、なんだか腹が立ってきた。確かに鈴音は箒やそのほかの生徒と比べると、俗にいうお子様体型というものに近かった。胸もあまり大きくはないし、スタイルはいい方だがそれでもまだ大人としての色気は感じられるほどではない。中学時代はこれでもモテたほうだが、一夏は見向きもしなかった。それに一夏はどちらかといえば、年上の女性がタイプのようなのだ。本人は無自覚なのだろうが、そういった大人の魅力を醸し出す女性と会ったときしばし目を奪われていることがある。そういった体験から鈴音は一夏を色気で落とすのは無理だと、早々から諦めていたのだった。

 しかし、そんな鈴音とは対照的に玄兎は飽くまでもこの作戦は一夏に通じると踏んでいるようだった。

 

「女の色気は胸の大きさで決まるもんじゃねえのよ。大体、俺は大きいより小さめの方が好きだぜ?」

 

「あんたの性癖なんてどうでもいいから……」

 

「ずばり、仕草よ」

 

 人差し指で鈴音を指さし、玄兎はそう言った。仕草とは、これまた難しいことを言ってくれる。

 

「仕草……ねぇ。例えばどんなのよ。その色気を感じる、仕草って」

 

「それは人それぞれだろ。俺と一夏の性癖は違うだろうしな」

 

 それもそうだ。鈴音は少しばかり納得すると、黙考した。

 一夏に色気を感じさせることができる仕草とは一体何か。

 よく耳にするのは、髪をかき上げるときの動きといったものだが、果たしてそれが一夏にも当てはまるかどうか。こればかりは、鈴音にはどうしようもない問題だった。鈴音はまだ十五の年端もいかない少女だ。当然、付き合った男など皆無で、男というものをそこまで深く理解してはいない。生物学的な男というものは理解していても、人間の男としてそれを理解するにはいささか人生経験が短すぎた。そんな彼女がいくら知恵を振り絞ったところで、導き出せる答えはたかが知れているであろう。

 そこで玄兎だ。彼は一見すると、いやどう見ても女子のような出で立ちをしているが、その実は正真正銘の男である。彼がいれば鈴音一人では厳しかった「男の感性」というものが少しは見えてくるのではないか。鈴音はそう考えていた。

 

「まぁ、考えるよりまずは実行に移せ、だ。うじうじ考えるよりも、行動で示した方が相手に好意も伝わりやすいってもんだ」

 

「そう言ってもね、あんた。一体何をすればいいのよ? それを考えるための、これでしょ?」

 

「だから、お色気作戦だって言ってるだろ。それがダメだったら、最終手段として一夏を襲うってのもあるがな」

 

「お、襲う!?」 

 

「おう。既成事実作れば、怖いもんはないぜ」

 

 けろりとした顔で玄兎は言ってのけた。鈴音の顔が徐々に赤みを帯びていくのを見て、不思議そうに首をかしげた。「まぁ、これは飽くまで最終手段。やっちまったら、ある意味最後だからな」そう言って、あはははっ、と豪快に笑った。彼は何気なく言っているが、その内容は本当に切羽包まった女がやるような行動であった。既成事実を作って男を奪うなど、普通の女子高校生がやるようなことではない。昨日の告白された云々といい、彼の生きている世界を垣間見たような気がした鈴音であった。

 一夏を襲っている光景を想像してしまったのか、鈴音が首から上を真っ赤にさせていたが、しばらくしてその雑念を払うように首をぶんぶんと横に振った。

 

「とりあえず、一夏と二人っきりにならないと意味ないわね」

 

「一番の障害は箒だな。あいつをどうにかしないと…………最近は部活にも顔出してないとか言ってたし」

 

 玄兎の言う通り、この作戦において一番の障害となるのは箒の存在だった。彼女は何かと理由をつけては一夏の傍にいることが多い。一応剣道部に所属しているようだが、最近では一夏と一緒にいたいあまり(本人は否定しているが)サボりがちになっているようだった。逆に鈴音はラクロス部に所属しており、その活動故に一夏といる時間は箒と比例して減っているのだという。

 

「……部活ってのは、サボっちゃダメなものなんだけっか?」

 

 玄兎が不意にそんなことを訊いてきた。当たり前だ、と鈴音は返した。

 

「なら、いい案がある。生徒の怠惰を直すには、その長に出張ってもらうしかないな」

 

 「長?」と鈴音が疑問を顔に浮かべた。「いるじゃねえか、一人だけ」

 

「この学校の生徒の頂点にして、最強の生徒がな」

 

 玄兎がその時に浮かべた表情は、まるで悪戯っ子のそれと酷似していた。

 

 

 

「確かにそれはいい状態とは、いい難いわね」

 

 玄兎が生徒会室で楯無に話した内容は、最近箒が剣道部をサボりがちになっているがいいのか、というものだった。鈴音の依頼を遂行するために必要不可欠なのは、一夏の周囲にいる女性を一人残らず彼から遠ざけることだ。そうすることで、鈴音と一夏が二人っきりなる状況を自然と作り出し、鈴音がより一夏に告白できやすい場を与えることが出来る。そのために、まず玄兎が着手したのは一夏の幼馴染であり、現在鈴音が目下恋敵だと認識している箒だった。

 

 箒は鈴音にはないアドバンテージを抱えている。それは鈴音が二組であることに対して箒は一夏と同じ一組であるということと、一夏と同室であるという点だ。これはただ一緒にいる時間が長くなるというメリットがあるだけではない。常に一緒にいるということは、昼休み、放課後、朝昼晩の食堂でしか一夏と会う機会がない鈴音と比べその倍近くの時間を共に過ごすということになる。ほぼ一日中共に過ごしているといっても過言ではない。やはりそうなると、親密度というのは当然のように高くなるものだ。見ず知らずの者とでも、そのような状況下であればよほどのことがない限り親しくなることができるであろう。ましてはあの二人は、顔見知りで幼馴染である。最初期にあったギクシャクしたものは、とっくの昔に取り払われ、今ではすっかり仲の良い男女となっていた。

 そういった差を埋めるためにも、言い方は悪いが一夏と箒が一緒にいる時間を短くする、というのが鈴音には求められていた。

 

「剣道部の部長からも相談受けてたし、気になることもあったから…………ちょうどいいかもしれないわね」

 

 思案顔でそう述べる楯無を見て、玄兎は小さくガッツポーズを作った。生徒会長である楯無直々に動いたとあれば、さすがの箒も無視はできまい。

 

「それにしても、玄兎にしては珍しいわね。あなたがそんな風なことを言うなんて。いつもなら、自分には関係ないからって、スタイルなのに」

 

 ぎくりと玄兎が肩を強張らせた。楯無の率直な疑問は後ろめたいことがあるせいか、やけに深く玄兎の胸の内に突き刺さった。それもまたピンポイントに言い当ててくるので、動揺を顔に出さないようにするのは苦労した。「ようやく、玄兎も学生としての意識が芽生え始めたのね……うんうん、偉い偉い」だから、そうやって違う方面へと解釈してくれたことは何よりも有難かった。この依頼をやるにあたり、鈴音からこの案件をほかの誰にも話すなというものがあった。つまり守秘義務があるということだ。それを犯してしまうと、やはり依頼人からこっぴどいお叱りを受けるわけであり、最悪の場合依頼を白紙に戻される場合だってある。今回のようにうっかりミスでそれを破ったとなれば、それこそ目も当てられない。

 

 「ところで」と楯無は言う。

 

「箒ちゃんの一件も確かに目を瞑ってはいられない一件なんだけどね……今、目下一番に解決しなきゃいけない問題は、どちらかといえばあなたの方なんじゃないの?」

 

「お、俺?」

 

「遅刻に居眠りに体調管理。どれを取ってもIS学園史上、最悪の問題児――――――職員の間ではもっぱらの話題よ、あなた」

 

 そう言って楯無は大きなため息をついた。玄兎が顔顰める。 

 

「昨日も言ったけど、それ治さないと本当に大変なことになるわよ? 留年だって覚悟しなきゃならないし」

 

「りゅう……ねん?」

 

 なんだそれは、と言いたげに玄兎がオウム返しに言った。「留年っていうのは、高校や大学で単位が足りない生徒は進学できず、そのままもう一度その学年をやり直すという制度のことよ」

 

「進学できないって……下手すりゃずっと一年生のままってことか?」

 

「それもあり得るわね。まぁ、二年以上留年したって人はあまり聞かないけど……もし玄兎が今の調子で一年間過ごしていたら、留年は確実でしょうね」

 

「おいおい、そりゃ困るぜ。こっちには仕事があるんだ。そう何年もここにいるわきゃいかねえよ」

 

 玄兎はそう言って唸った。そもそもこの学園に通っているのは、半ば千冬の強制であり、玄兎本人が望んで来たわけではない。そういった思いもあったからこそ、玄兎は真面目とは程遠い学園生活を送っていたのだが、それが原因でこの牢獄のような学園生活が長引くとはこれまたどういうことか。

 困った困った、と玄兎は頭を掻いた。ただでさえ、束とアリサから休日には帰って来いだの、連絡寄越せなど言われている御身分である。三年間という期間だけでも彼女たちは必死に抗議を繰り返した。それが延長するかもしれないとわかった日には何をしでかすか。考えるだけでも、ゾッとする。

 

「なら、今からでも真面目に学園生活を送ることをお勧めするわ。まだ一年の一学期、それも五月に入ったばかり。十二分に間に合う時期よ」

 

「つってもな、真面目にしろと言われても何をしていいのか……」

 

 今までの好き勝手な振る舞いが結果的に自身の首を絞めるものとなるのであれば、玄兎としてもその生活を改めることに異議はない。だが、問題は何をすればいいのか、だと思っている。早寝早起きは玄兎の苦手なものの一つだ。いつもマイペースで好き勝手に生きてきた玄兎は、実はその人生で組織というものに属した経験が数えるほどしかなかった。しかも、そのどちらとも時間に縛られる生活を送ったのはほんのわずかな間だけで、残りのほとんどをルーズな時間の中で過ごしてきたのである。

 

 当然、そのような人生を歩んできた玄兎が時間に対してルーズになったのは言うまでもないだろう。

 

 しかし、既に体に染みついた習慣とも言うべきそれは、直そうと思ったところでそう簡単に直せる代物ではない。効果的なのはやはり規則正しい生活を続けそのリズムを体に覚えさせることだが、これは一度染みついたリズムの上から新しい生活リズムを刻みつけるような、いわば上書き作業のようなものだから一朝一夕で為せるようなものではなく、かなり長い目で見ていかなければないらないものだ。

 だからこそ、昨日の案なのだ。何も楯無はあれを単なる下心だけで提案したわけではない。きちんとした理由のもとに、吟味した結果としてたどり着いた結論なのである。

 

「だから、まずは玄兎と私が同室になって、私が朝あなたを起こすようにするのよ。そうしたら、自然にきちんとした生活リズムを体に覚えさせられることができるはず。そうなれば、一人でも自然と時間になったら起きれるようになるわ」

 

 我ながら説得力あるな、と楯無は思った。

 

 玄兎がやけに深い思案顔を浮かべた。またか、と思う。この件はすでに却下したはずだが、なぜにまた浮上してきているのだ。

 

「お前がそれにこだわる理由は知らんが、同室云々を言うならお前より男の一夏のほうがどちらかといえば妥当なんじゃねえの?」

 

 玄兎にしてはまっとうな意見だった。そして、その意見を突き付けられた楯無は言う術もなく答えに窮するように固まった。何しろ、そのことが完全に頭から抜け落ちていたからだ。

 そうだ一夏がいたんだった。楯無は思わず頭を抱えたくなる。

 一夏の同室者は今のところ箒となっているが、これは副担任である麻耶のミスが原因であり、本来ならば男同士で同じ部屋となる手はずだったはずだ。しかし、どういうわけか一か月経った今でも一向に箒のもしくは一夏の転室が行われようとしない。学園の寮とはいえ、そうほいほい生徒の部屋を変えることができないのは生徒会長である楯無にもわかる。今現在、それについては準備中だとは耳にしているが、果たして実現するのはいつになるのやら。少なくとも五月ではないであろう、そう楯無は踏んでいた。

 ならば、と楯無が思案したのは「一夏が来るまでの間、その代わりとして自分が同室になる」というものだが、これではほんの一時期しか一緒にいられないため自身で却下した。一時期では意味がないのだ。少しでも、ほんの少しでも多く、彼と長い時間を共にする。そうでなければいけないのだ――――――自身と彼との空白を埋めるには、そうするしか。

 

 そんな中で声が聞こえてきたのは、本当に不意の事だった。

 

「なるほどなるほど、それで昨晩会長が元気がなかったんですね」

 

 玄兎と楯無が雷に打たれたような動きで、顔を上げた。

 声の主は天井にいた。天井の角を器用に足を使って、蜘蛛のごとくへばりついている彼女は驚愕に顔を染めている二人を見て、してやったりと言わんばかりに笑みを浮かべた。

 瀧岸神皇。自称学園の情報屋にして、玄兎と楯無双方の秘密を知る数少ない人物であり、その正体は人間ならざる力を有する〝妖刀〟と呼ばれる異端なる存在である。

 

「さてと……事情は殆どわかりました」

 

 天井から降り立った神皇は着地と同時にそう言った。彼女に今二人が抱える事情は話していないはずだが、なぜ知っているのだろうか。楯無はそんなことを疑問に感じていたのだが、彼女相手にそのような質問をするとこちらが火傷しかねないことを思い出して口を噤んだ。

 

「何がわかっただ、いきなり現れやがって何の用だ」

 

「用はないですよ。私はただ、二人のスクープを狙っていただけですから」

 

「スクープって……あなたねぇ」

 

 まるで新聞記者のような台詞に楯無は眉をひそめた。確かに世界で二人しかいない男性操縦者のうちの一人と天下のIS学園生徒会長が密接な仲になれば、それはそれで大ニュースであろう。しかし、楯無にもプライベートというものがある。さらに今回の一件はかなりデリケートな部分であり、むやみやたらに詮索されるのは当人としてはいい気分ではない。

 しかしながら、そんな楯無の心情など神皇には関係なかった。彼女からしてみれば、仕事のネタが見つかったことの方がよっぽど大事なのだ。それに二人は見知った仲でもあるから、余計にずけずけとした行動に出れるのであろう。

 

 神皇がおもむろに胸ポケットからメモ帳とペンを取り出した。「ずばり、二人は付き合ってるんですか!?」と半ば核心に迫るような質問を投げかけてきた。

 質問をされた当人たちは二人が二人とも相違な反応を見せた。

 一人は「えええ!? そ、そんなことないわよ! え、ええと、今の話はね玄兎のためを思って」と凄まじいほどに動揺し、もう一人はしかめっ面で神皇を見据えているだけであった。勿論、前者は楯無、後者は玄兎である。

 

「ふむふむ。では、お二人はまだ男女の関係ではないと? ほうほう、これは朗報」

 

「まだ!? まだって、そんなことは、あわわっ!」

 

「楯無は慌てすぎだ。キャラ壊れてるし、神皇のペースに乗せられてるぞ」

 

 軽くため息をつく。鈴音の依頼の関係上、楯無を動かすことが重要であったからこの場に立ち寄ったのだが、どうも厄介なことになりそうな雲行きだった。毎度のことだ。この闖入者と関わった日が、何事もなく終わったためしは今の今まで一度たりともない。そこはかとない不安が玄兎の胸の内に飛来していた。

 

「と、とりあえず!」

 

 そこで楯無は自身の動揺を打ち消すように少しだけ声を張った。彼女も神皇のペースに乗せられていることを自覚していたのだろう、微かに上気した頬に動揺の度合いが伺える。

 

「神皇ちゃんは、何しに来たのよ!」

 

 問題はそこだった。彼女は何をしにこの生徒会室にやってきたのであろうか。そして、なぜ天井に張り付いていたのであろうか。

 

 神皇の答えは非常に簡潔なものだった。

 

「玄兎さんに用があったんです。でも、来てみたら誰もいないし、来たと思ったら何やら面白そうな話をしてるじゃないですか。これはチャンスと思い、天井に隠れていたというわけですよ」

 

 つまり、彼女は最初からこの部屋に潜んでいたということになる。楯無と玄兎が話ししていたのは約十分程度。その間、彼女はひたすら天井に張り付き続けていたというのか。何という少女だ。それでおいて、まったく疲れを感じさせないのだから、驚きを通り越して感嘆してしまう。

 

 しかし、それで感嘆はするが納得まではしない。

 

「それだけで、私たちの会話を盗聴していたわけ?」

 

「障子に目あり壁に耳あり、というでしょう」

 

 全然反省していなかった。むしろ、胸を張っているようにも見える。

 

「はぁ……あなたには何回言っても無駄なのはわかってるけど、そろそろ勘弁してもらえると私としても助かるんだけど」

 

「私情につき、無理です」

 

「この子、はっきりと……!」

 

 やはり一筋縄ではいかなかった。

 そんな二人のやり取りを蚊帳の外に置かれかけている玄兎は、静かに見守っていた。

 

 

 ――――――仲がよろしいことで。

 

 

 玄兎の目には一種の感慨があった。彼女らを見ていると、なるほど時間の流れというものは立派なものだと思う。神皇の昔を知る玄兎だからこそ、覚える感情だった。

 彼女は一人だった。天涯孤独というわけではなかったようだが、それでも玄兎が聞いた限りだと彼女は自分の両親に関する記憶は殆どないのだという。物心ついたときには既に施設だったらしく、中学に上がるころには既に一人暮らしをしていたというのだから驚きだ。

 彼女に友達という友達は一人もいなかった。皆から恐れられ、煙たがられ、無視され続けてきた。もはや人間というより、化け物を見る目だったという。

 彼女は実際に化物だ。常人をはるかに逸した運動能力を持ち、その体に宿すのはこの世の理から外れた異能なる力。神皇のクラスメートとは幼きながら、そのことを直感的な何かでわかっていたのであろう。玄兎も口伝いに彼女の独白を聞いただけなので、詳しくは知らない。だが、それがまだ幼かった神皇にどれだけの精神的苦痛をもたらしか、はかり知り得ないだろうし想像することさえできなかった。

 玄兎が出会った当初の彼女は今とは真逆の性格だった。表情に乏しく、暗く生気が欠けた瞳。生きながらにして、彼女は死んでいた。

 しかし、ある事件を機に簪や楯無、それと玄兎や玲也と出会った彼女は変わっていった。明るく、賑やかで、いつも楽しそうで、悪戯好き。そんな性格へと変貌し、今に至っている。

 玄兎が最後に彼女に会ったのはいつぞやの事か。まだ、『紅い兎』も今いる面子が幾人かいなかったときだ。寒い極寒の地、ロシアで楯無に連れられてきていた彼女はまだ楯無とはこのような関係にはなかったような、記憶がある。簪の後ろに隠れて、居心地が悪そうな顔をしていたのが印象的だった。

 

 そんな彼女が今では楯無に向かって軽口、それどころか弱みすら握ろうとしている始末。なんとも微笑ましい光景ではないか。玄兎は彼女たちの視界に入らぬよう、また話の標的にされるよう気配を消しながら、そんなことを考えいた。

 

 不意に神皇が玄兎の方に首を向けた。そして思い出したように、それを口にする。

 

「かんざしっちが、用があるから整備室で待ってるって」

 

「整備室? なんでまた、そんなところに簪がいるんだよ」

 

「行ってみてのお楽しみです。私はもうちょっと会長に用があるので」

 

 そう言って神皇は楯無に向き直った。その向こうでは楯無が奮戦の構えを示していた。

 

 

     *     *    *

 

 IS学園は世界でただ一つISのエキスパートを育成する教育機関だ。それはISを操縦する者だけを指すのではない。それを整備し、常に万全たる状態へと修理する者もまとめて育成されるのがこのIS学園であった。

 最初の一年間はISの基礎を学び、皆一様に実技を受け、座学を受ける。操縦者を育てるにしても、整備士を育てるにしても、それは変わらないプロセスだ。勿論、この学園に来る者の中には最初から整備士を志している者も大勢いる。しかし、そんな彼女たちも例外になく一年時に受ける授業に整備という文字はない。基礎は習うものの、そこから先は授業では触れられず、二年次に新たに追加される整備科へと進級するまで本格的な整備の授業など殆どない。これは通常の高校の授業プログラムにプラスして、ISを扱うための授業を行わなければならないIS学園が授業内容を極限まで切り詰めた結果だ。相対的に操縦者の整備に関する知識、技術が乏しくなるのは避けられなかったが、一流の操縦者は独学でそれを身に着けるものである。さしたる支障は、なかった。

 そして、ISの整備に関すること学ぶためにある整備科。その生徒が実技の授業の際、使う場所がここ第三アリーナ整備室である。整備室は各アリーナごとに設置されており、学園の生徒であれば誰しもが利用できる場所だ(もっとも、一年生が使用するのは極稀なことだが)。

 そして、その場所に更識簪の姿もあった。

 黙々と作業に没頭する簪は、ものすごい勢いディスプレイを流れる文字列と数列を見ながら、ぶつぶつと独り言を繰り返し、そしてまた空中投影されたキーボードを打っていく。それの繰り返しだ。

 彼女の目の前にあるのは、灰色の装甲を持つISだった。その名は『打鉄弐式(うちがねにしき)』という、第三世代型である簪の専用機である。

 簪はセシリアや鈴音と同じく日本の代表候補生であった。そして、その簪に与えられる予定だったのが、この『打鉄弐式(うちがねにしき)』というわけだ。打鉄弐式はそもそも一夏の白式と同じ、倉持研究所で開発されていたものだが、打鉄弐式の開発途中で研究所にいたすべての技術者が別のISの開発にかかりっきりなってしまったことで、その開発がストップしていた機体なのである。その研究所がかかりっきりになったというのは、何を隠そう白式なのであるが、このことを当人である一夏が知るのはまだ先の話。

 

 さて、簪だが彼女がなぜその開発途中である打鉄弐式を持っているのかというと、実のところ研究所が完成される気がないのなら自分の手で完成させてしまおうという思惑があったからだ。簪の姉、楯無はそれをやり遂げている。未完成だったISを、独力で完成させるというのは途方もないことで、それを成し遂げたというのはもはや天才としか言いようがない領域だった。

 簪はそんな姉が憧れていた。自分もいつかああなりたいと、昔から常々思っていた。だからこそ、だ。姉がやり遂げた「未完成のISを独力で組み立てる」という作業をやらなければならないのである。これが出来なくて、どうやって姉に追いつくことが出来るのというのか。姉が出来たこともできないくせに、姉に追いつくことができるわけがない。簪はそう思っていた。

 しかしこれが、思ったよりも厄介な作業であったのだ。通常、何人ものプロフェッショナルの技術者が集まって構築されるISのシステムを一介の代表候補生に過ぎない簪一人で構築しようとするのは、無謀の極みともいえた。何しろデータの数が多く、一つに一つにやたらと時間がかかる。これが完成へとこぎつけた日には、一体どれほどの時間が経過しているのだろうか。考えるだけで気が遠くなる。

 

 しかし、やらねば姉と肩を並べることはおろか、その背すら見ることは叶わないであろう。

 

 姉に追いつきたい。

 

 もはや、簪を突き動かしているのはその感情ただ一つであった。

 

「熱心なことは感心するが、不休なのは感心できねえな」

 

 その声を認識することができたのは偶然のことだった。先まで周りの雑音すら聞こえないほどに意識を集中しきっていたので、声がかかるまで彼がそこにいたということさえ気づかなかった。

 彼はいつからいたのだろうか。少なくとも、入ってきてすぐに声をかけたというわけではあるまい。なにせ、発言の節々から少々自分を観察していた、という意が読み取れるからだ。もしかすると彼は簪の集中が一瞬だけ途切れたその隙を狙って、声をかけたのかもしれない。大した人だ、と簪は内心苦笑した。

 振り返ると、やはり想像通り玄兎がいた。黒く艶にある髪に、女性と見間違いそうなほど整った顔立ちは少年と呼称するよりも、少女と言った方がしっくりくる。これでも姉の楯無よりも一つ年上だというのだから、世界は広い。

 彼は手に缶ジュースを持っていた。近くにある販売機で買ったものだ。二つあるうちの一つをひょいと簪の方へと投げた。

 

「あわわっ」

 

 唐突なことだったので少しばかり焦ったが、さすがは代表候補生に選ばれたこともあって難なくそれをキャッチすることができた。ラベルを見ると炭酸系の飲料だったので、開けた時に中身が溢れないか心配になる。

 

 プシュッ、という音とともに飲料の中身が少しばかりあたりに飛び散った。やはりこうなるのか。

 

「前にちらっと話には聞いてたけど、まさか本当に一人で組み立てるとはな」

 

 横目で打鉄弐式を見て、玄兎が苦笑交じりに言った。「……何しに来たの?」簪はそう短く問い、ぐいと缶を口につけた。簪の問いを聞いた玄兎はしばし意外そうに目を見開き、黙考した。答えはすぐに出た。

 

「あの野郎……騙しやがったな」

 

 玄兎がわしゃわしゃと頭を掻いた。ものの見事に騙された。そもそも簪が呼んでいるということ自体嘘だったのだ、理由は分からないがここ一か月で感じた瀧岸神皇という人物を鑑みればやりそうなことではある。

 

 とりあえず、と玄兎は簪に状況を説明することにした。

 

「……神皇なら、やりかねない」

 

 簪が呆れ半分、困惑半分といった表情を顔に浮かべた。しかし、簪にはなぜ神皇がこんなことをしたのか大方予想がついた。

 まず一に、自分への嫌がらせ。意中とは言わぬが、気になっていると言えば嘘になる相手をわざわざ嘘までついて自分と二人っきりの場所へと呼んだのは、ほかでもない簪への悪戯なのだ。今頃、神皇はどこかでほくそえんでいることだろう。

 そして二に、不休で作業にかかりっきりである自分を休ませたいという、彼女なりの気遣いだ。悪戯と気遣いというのは矛盾しているようで、神皇という人物に当てはめると妙なほどにフィットする。要するに、彼女は気遣いと悪戯その双方を同じ事柄で為そうとしたのだ。事実、為している。

 

 そして、今の自分は彼女の思い描いた通りになっていた。手玉に取られたようで少し悔しかった。

 

「ところでよ」

 

 と玄兎が不意に言葉を発した。

 

「お前、本当に一人でやるつもりか、あれ」

 

「……うん」

 

 あれとは勿論、打鉄弐式のことである。彼女がやろうとしていることの無謀さは、玄兎もわかっていた。何しろ、玄兎はこのISそのものを開発した張本人と数年間衣食住を共にしていたわけであり、その技術の粋を直で見ている。彼女を見ているとふと思うのだ、本物の天才とはああいう人物の事をいうのだと。

 そんな天才すらも、ISを整備するときまたは新装備の開発に着手する際は自身が作った仕事を補助してくれる様々な機械をたっぷりと使って行うのだ。勿論、優秀な人間の助手もついている。しかし、簪には優秀な助手も作業を補助してくれる機械もない。それに簪自身、ISについての知識、技術にはまだまだ未熟な面がある。そんな彼女に、この無謀なる挑戦を完遂することができるとは、玄兎には到底思えないのだ。

 今からでも遅くはない、楯無やほかの皆に協力を要請するべきだ。そんな旨の言葉を簪に告げる。

 しかし、簪は頑なにそれを拒んだ。

 

「……お姉ちゃんに、追いつきたいの」

 

 はっきりとした宣言だった。

 姉に追いつきたい。それは彼女の夢、いや目標なのだろう。そこには確固たる意志があり、鋼のごとき想いがある。誰が何と言おうとも、彼女はそれをやめることはない。それが初恋の彼であっても、最愛の友であっても、だ。

 玄兎はそんな簪の内心に気付いていた。すべてを覚悟した者の顔つきは、常人のそれとは違う。だから、今の簪の表情を見ればだいたいのところは察しが付く。

 

「そっか。じゃあ、俺も手伝うかな」

 

「え……?」

 

「なんだよ、その意外そうな顔は。これでも昔はドイツ軍のIS部隊に所属していた身の上だぞ? それに束の技術もこの目で見てるんだ。役に立たないってことはないと思うんだがな」

 

 簪の顔が急に渋くなった。思案顔になり、黙りこくってしまった。

 確かに、玄兎という人物は妙に頼りになることがある。一つ、それは彼の経験であり、目で見た記憶であり、知識であり、人脈だった。

 玄兎は元軍属の人間だ。詳しくは聞いたことはなかったが、ドイツ軍IS部隊所属だったと今目の前で公言したので恐らく本当の事であろう。そうなると、簪並とはいかずともそれなりの知識はあるのではなかろうか。彼がISというものに触れている時間というのは、総じると簪の何倍もの時間になる。知識面だけでは補えない、実戦経験というピースはあるのとないのでは大きな差だ。そう考えると、彼の申し出は簪にとって有難いことこの上ないことだった。

 

 だがしかし。

 

「(……一人でやらないと)」

 

 そう思う自分がいる。これは自分一人でやらないと意味がない、と。 

 

 しかし、そう思う反面、これは一人では無理なのではないか、と感じている自分もいる。

 姉に追いつきたいという思いは本物だ。だが、そこに至るためのプロセスは姉とまったく同じでなければならないのだろうか。最近になって、簪はそんなことを考えるようになっていた。姉に追いつくためには、本当に姉が辿った道をそのまま辿って行かなければならないのか。

 姉は確かに天才だ。物心ついたときから、実の妹である簪は楯無の才覚を直に感じてきた。ISの操縦技術にだけを言えば楯無はあの歳ですでに自由国籍権によってロシアの国家代表であるし、IS学園内では一部教師陣を除けば最恐とすら言われているほどの腕前を誇る。まさに敵なしといった具合だ。

 

 しかし、簪はどうだ。確かに代表候補生にはなれたが、いまだ専用機は完成しておらず、その実力を十二分に発揮しているとはいいがたい。発揮したとしても、同じ代表候補生であるセシリアや鈴音に勝てるという確実な自信もなかった。

 目標と覚悟だけが一人前でそれを遂げるための実力がない半端者。近頃の簪は自分の事をそのように評価していた。ダメだ、弱気になっては駄目だ。自分はやれる。そう言い聞かせても、心の奥底で燻る焦りというものが消えない。

 最初はただ純粋に姉に追いつけたら、肩を並べることが出来たなら自分も胸を張って彼と会うことができる。そんな思いだったのだ。玄兎に会うにはまだ自分は未熟者で半端だから、と。

 簪にとって姉に追いつくというのは一つの指針でもあったのだ。それを達成した時自分はようやく彼に会う権利を得るのだと、そう考えていた。

 最初はあの入学して間もないころの、一組のクラス代表を決める模擬戦を見た時だった。

 圧巻だった。その一言に尽きる。訓練機ながら、専用機に劣らぬ攻防を繰り広げるその光景に簪は目をくぎ付けられた。

 

 ――――――玄兎さんは、ここまで……。

 

 漠然とした焦りが生じた。なぜなのかは分からない。ただ置いて行かれるような気がしたのだ。

 次は何時だっただろうか。それすら覚えてない。あの時は確か、神皇が私情で簪が一人で食堂にいたときだ。

 遠くから何やら賑やかな声が聞こえてきた。複数の人の笑い声。その中には見知った声もあった、玄兎と楯無だ。他にいるのは一夏、まだ簪は名も知らぬが箒と鈴音の姿もあった。団欒とした光景だった。仲の良い高校生グループが集まれば、きっとあのようになるのだろう。

 その光景を見た時、漠然としていた焦りがはっきりとしたものに変わった。その理由もわかった。

 妬みだ。嫉妬なのである。

 玄兎とずっと一緒にいる楯無に対するどうしようもない嫉妬であり、そんな姉に早く追いつかなければ玄兎は自分のことなど忘れてしまうのではないかという焦燥感。簪を今まで駆り立てていたのは、そういった無意識の強迫観念だったのだ。

 

 しかしながら、

 

「どうするよ。俺は暇……じゃないが、暇なときにはいつだって手を貸すぜ?」

 

 ずっと昔から会いたいと思っていた人物が思いもよらぬ形で、こうして目の前にいる。簪の心の中はもうぐちゃぐちゃだった。混乱の極みである。

 考えがまとまらず、頭の中でいくつもの思考の糸と糸が絡まって解けない。思案すればするほど、糸は一段と絡まっていく。自身で課した試練と、心のうちにある欲の二つがひしめき合って退こうとしない。

 

 そうして、数秒後。彼女の頭は機能を停止した。容量オーバー、パンクしたのである。

 

 

 

 

 結局のところ、玄兎に押し切られるような形で簪は手伝いのことを了承した。玄兎としてはどこに渋る要因があるのかということだったのだが、所詮彼も男だ。女心など分からないのである。

 さて、話は空が黄昏から黒塗りの星空へと変わった頃。整備室を出た玄兎と簪は夕食のために食堂へと向かっていた。

 

「なんか、こうやってお前と喋るのもだいぶ久しぶりだよなー」

 

「……そ、そうだ、ね」

 

 あの後数時間、玄兎と作業を共にした簪であったがいまだその体から緊張が抜けきってない様子であった。目も合わせられない、というより直視すらできないのである。幾らなんでも恥ずかしがりすぎであろうと他者が見れば思うであろうが、簪にとってすれば一大事なのだ。

 

 動悸が激しい。心臓の鼓動がいつもの何倍も速かった。

 

「そ、その……」

 

「うん? なんか言ったか?」

 

「う、いや……なにも」

 

「ありゃ? そうかい」

 

 先からこの繰り返しだった。話しかけたい、そう思ってもいざ話しかけようとすると口が金縛りにでもあったかのように動かなくなる。何とかして紡ぎだされるのは、なんでもない、という否定の言葉だけ。そんな自分に簪は憎かった。この役立たずと、叱りつける。

 自分にもうちょっと勇気があったら、と簪は自分の意気地なしさに肩を落としつつアリーナから出た。アリーナから食堂のある建物までざっと五百とちょっとだ。歩いていけば、あっという間に着いてしまう距離である。

 

(よ、よし!)

 

 覚悟を決めろ。話しかけるんだ、出来れば気軽に親しそうに。お姉ちゃんのようには出来ないかもしれないけど、なるべく自然体で何気ない風に話しかけるんだ。

 なぜ自分がこんなことでこんなにも緊張しなければならないのだろうか、そんな考えが一瞬脳裏をかすめたがすぐにそれを振り払った。

 

 よし、行くぞ。

 

「あ、あの! 玄兎は」

 

 そこまで言いかけた時、簪は正面から何かがぶつかってきたような衝撃を受けた。不意の出来事だったので受け身を取ることが出来ずに、そのまま勢いよく地面に身体を叩きつけられた。「痛っ」と簪が小さく悲鳴を上げる。

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

「だ……大丈夫」

 

 地面にぶつけたところをさすりながら、簪が体を起こす。ずれた眼鏡を直してから、改めて自分にぶつかってきた人間に目をやった。

 

「……っ!? え、ええと」

 

「……どうした、簪? そんなに慌てて」

 

 急に狼狽しだした簪を見て、玄兎は訝しむような表情で問いかけた。簪は狼狽えながらも、視線でそれを訴えかけた。助けてくれ、と。

 そして、そこで玄兎はようやく簪にぶつかってきた生徒に視線を移した。見覚えのあるツインテールだ。体格もとある誰かさんに似てなくもない。いや、そっくりだ。というより、

 

「鈴、か?」

 

 凰鈴音、その本人だった。

 鈴音といえば第一印象から明るく、活発的な少女というものが玄兎には根強くあった。皆に男勝りとまでは言わないが、勝気な印象を与えるのが凰鈴音という少女である。そう玄兎は認識していた。

 だからこそ、今玄兎と簪の前にいるこの少女があの鈴音であると、一瞬ではあるが思えなかった。

 

 端的に言う。鈴音は泣いていた。

 

「く、くろ……と?」

 

 おもむろに顔を上げた鈴音はその虚ろな目で玄兎を見た。その顔は酷い有様だった。泣きはらしたのか目元が真っ赤に腫れており、頬には涙の跡らしきものが月光に照らされてなおはっきりと見えた。目じりには若干だが涙が溜まっている。

 

「ど、どうしようぉ……あたし、もう……」

 

「え、ええと、鈴。一旦落ち着こうか、だから泣かないで……!?」

 

 再び泣き出す鈴音に玄兎もどうしようもなく狼狽する。とりあえず、鈴音を落ち着かせないことには事が進まない。そう判断し、いまだ簪の上に乗っかってる鈴音をどかし、どこか適当な場所にあるベンチへと腰かけさせた。

 

「それで……もしかしてだけどさ」

 

 ベンチに座るなり玄兎は口を開いた。しかし、その言葉は口にしずらそうで何度も濁していた。後ろで所在なさげに立っている簪と鈴音を交互に見比べる。言うか言うまいか、迷っているのだ。恐らく玄兎には鈴音がこうなった理由に確信があるのだろう。しかし、それは鈴音にとってはとても悲しいことでもある。だからこそ、口に出そうかどうか迷っているのだ。

 

「お前さ、もしかして一夏に」

 

 ――――――フラれたのか。そう言い掛けた時、鈴音がぼそりと呟いた言葉がそれを遮った。

 

「一夏は忘れてたんだ…………あの日の約束。絶対だって、言ったのに……嘘、だったのかなぁ」

 

 約束、とは何だろうか。玄兎は首をかしげた。もしかすると、鈴音と一夏は昔に何かしらの約束をしていたのかもしれない。そして、鈴音の方はその約束をずっと覚えていたが、一夏の方はすっかり忘れていた、という具合なのだろう。鈴音のこの有様と、このタイミングの事を考慮するにその約束というのは、

 

「約束……って、なんですか?」

 

 唐突に簪が質問した。その問いに鈴音の肩が少しだけ強張るように震える。そして今にも消え入りそうな声で語ったのは、今から一年ほど前の冬の出来事だった。

 あの夕暮れの教室でかわした約束のこと。彼はそれに対して、いいよ、と返事をしたこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 「一夏。あの約束、忘れたら承知しないからね!」

 

 それは鈴音が中国へ帰る間際の空港で鈴音が放った言葉だった。それに対して一夏も大きな声でこう言った。

 

「ああ、忘れるもんか。絶対酢豚食べさせてくれよな」

 

「っっ!? そ、そんな恥ずかしいことこんな場所で堂々と言わないでよ!」

 

 清々しい顔でそう言う一夏に鈴音は頬を赤らめた。まったくこの男は、と呆れ半分嬉しさ半分と言った心地で鈴音は一夏を見た。彼とあの、料理がうまくなった毎日酢豚を食べてくれる、という約束を交わしてから一日。興奮さめあらぬ中、鈴音は本国への帰路へとついていた。

 

「鈴。時間よ」

 

 母の声が聞こえ、鈴音は名残惜しそうに踵を返した。「あのさ、一夏」

 

「絶対忘れないでよね、この約束」

 

「うん? 当たり前だろ、忘れないよ」

 

「絶対?」

 

「おう、絶対だ」

 

「絶対絶対絶対ぜっっったいっ?」

 

「そこまで言われるとなんだか怖いな……」

 

 そう言いながらも一夏は、うん、と首を縦に振った。それを肩越しで見た鈴音は、「絶対だからね」ともう一度だけ念を押してその場を去った。

 顔が熱かったが、気にはならなかった。なぜなら、ようやく想い人に自分の想いが通じたと『思った』のだから、そんなこと気にする余裕もなかったのである。

 大きなボストンバッグを背負い駆けていく鈴音の背には確かな希望があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――――絶対に忘れないでね。

 

 

 少女の希望は儚く散りゆき、彼女の笑顔は涙に塗りつぶされ、幼き頃から見た夢とともに消えていく。




もはや何も言いますまい。
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