苛立って五反田食堂を飛び出してから数分。アリサはいまだその頬を不快そうに膨らませていた。
理由は言わずもがな、鈴音のことである。彼女があまりにもめそめそと負け惜しみのような言葉を撒き散らしていたので、思わず組み伏せて本音をぶつけてしまった。あれはさすがにやりすぎた。彼女はああだが、飽くまでも依頼人だ。つまり、自分たちの大事な客なのである。その大事な客にあろうことか暴力を振るっただけではなく、侮蔑を含んだ言葉を浴びせたのだ。到底許されることではない。普通の会社ならば即刻解雇レベルだ。反省すべき点である。
アリサはもう子どもではない。感情だけで動いて、喚いて、今だけを見てのうのうと生きていていい年齢ではなくなった。どんなに思うことがあっても耐えて、忍んで、先を見据えていなければならない。動くよりも早く、思考しその中から最善を選び取る。それが大人だ。
アリサはそうありたいと思う。もう自分は子供ではない。そう決意したというのに。
「なんでこうなるかなぁ……」
空を仰いで、ため息をこぼす。
アリサがこういう類のミスを犯すのはこれが最初ではない。前に数回に渡って、やってしまったことがある。とはいえ、今回のように年下の少女を組み伏せたのはさすがに初めてだった。大抵、アリサが暴力を振るったのは玄兎がほかの女にデレデレしているときか、あるいはスケベなジジイ共を相手にしたときだ。さすがのアリサもむやみやたらにむかついたら殴るというわけではない。見境ぐらいはある。
しかし、時には我慢も必要だ。たいていの場合、アリサは最初の内は我慢しているが、最後の最後になってその我慢が限界に達して、破裂してしまう。昔からこうだった。あの時は隣に長年ともに過ごしてきた部下がいたから、まだよかった。しかし、今ではその部下もフランスだ。要はスットッパーがいない。そのため、一度破裂すると今日のように歯止めが利かなくなってしまうのである。アリサの悪い癖だった。
もう一度深いため息をついて、アリサはとぼとぼと歩いた。昼食は食べたが、家に帰る気分ではない。そもそも玄兎からの呼び出しだったので、それなりに楽しみにしていたのだ。鈴音のせいでそれは吹き飛んだが、今更素直に帰るのもなんだか癪だった。今日は日曜、どうせならショッピングモールにでも行って買い物でもしよう。そう思い立って、アリサはその歩をショッピングモールへと向けた。
「なんか、騒がしいな」
遠くから何やら喧騒のようなものが聞こえてくる。訝しみながらも、アリサは歩みを緩めなかった。徐々に近づいていくと、その喧噪が比例して大きくなっていく。ここまで来ると、さすがに事態の異様さに気付き始めていた。なにしろ、日本で休日の真昼間から全身を食い散らかされた死体に出くわすなど滅多にないからだ。さらに、それがアリサの視界いっぱいに広がっているのだから、否が応でも理解できた。何かが起きている、と。
「妖刀か」
犯人に心当たりがあった。というより、それしかこの惨状を生み出すことのできる存在を知らなかった。
しかし、こうも吐き気を催す光景も久しぶりだ。大抵妖刀が作りだす光景は醜いが、これはいくらなんでも酷過ぎる。辺り一面に血の鉄臭い臭いが漂っていて、鼻が曲がりそうだ。床には血溜まりが出来ており、折角新調した靴が血で紅染めのように真っ赤だった。粘り気のある血が、歩くたびに不快な音を立ててアリサの顔を歪ませる。
嫌々ながら死体に近づき、アリサは死体に手をかけた。
「死因は……喉のこいつか。酷いな、食い破られてやがる。その他も肩か腕、足を食い破られての出血多量ってとこか」
アリサは医者ではないのでそれほど詳しく調べられないのだが、致命傷ぐらいならば程度はわかる。今回の妖刀はどうやら、血がお好きなようだった。さながら吸血鬼のようである。
さて、ここにきて問題がある。この惨状は理解した。その原因である犯人も、どんな者なのかは判明した。あとはその妖刀をどうにかすることだが、間の悪いことに今アリサは肝心の武器を持っていなかった。武器がなければ戦うことも出来ないし、仮に逃げようとしてもその途中で妖刀と出くわしたりしたら一巻の終わりだ。かといって丸腰で赴くわけにもいかない。アリサだって命は惜しいのだ。
しかし、それでもこの状況を見過ごすわけにもいかないだろう。自分はこれを引き起こしたものの正体を知っている。止める義務があるとまでは言わないが、権利はあるのだ。それにあれを止められるのは、自分か玄兎のような連中でなければ無理だということも経験上判明していた。自分がやるしかないという状況下で、逃げ出すのは正直プライドが許さなかった。
「あとでどうなっても私は知らんってことにしておこう。どのみち『青龍』は使わねえと勝てないんだ。悪いが、全力で行くぞ」
直後、目にもとまらぬ速さでアリサは自らが所有するIS『青龍』を腕部のみ部分展開した。同時にその手には愛銃であるヘカートを呼び出してある。
間髪入れずに、引き金を引く。照準は後方、モール内の天井だ。腕部のみ部分展開だったためか、アンチマテリアルライフル発射による衝撃でアリサの身体が宙に浮いた。きちんとした体勢での射撃ではなかった。体が吹き飛んだのではないかと思うほどの、衝撃がびりびりと腕を伝ってアリサの身体に流れた。
「うおぉおお……やっぱり、アンチマテリアルライフルの片手撃ちはやるもんじゃないな」
咄嗟の事とはいえ、やはり正規の手順を踏んでいないやり方では少々精度に欠けるようだった。その証拠に先の銃撃を逃れた一匹の妖刀の、その血塗られた真っ赤な双眸が獲物を見つけた獣のようにアリサを睨みつけていた。
「いきなりのお出ましとは、もてなしがなってないな、おい。日本人ってのはもっと、そういうもんを大事にする奴らじゃなかったのか?」
「血ィ血ィ血血血血血!」
「聞いてないな、こいつ」
軽くこめかみを押さえながら、アリサはその身に青龍を展開していく。次は部分展開ではない。妖刀の運動能力は驚異的だ。それに匹敵する性能を得ようとするなら、必然的にISを展開せざる得ない。アリサの青龍はその特性故に部分展開では少々やりづらく、狭所での戦闘には不向きな機体だ。そもそもIS自体、このような場所での行動を目的として作られたわけではないので当然といえば当然なのだが。
粒子変換の淡い光がアリサを包んでいき、徐々に青龍がその姿を現し始めた。セシリアのブルーティアーズとはまた一味違う、深みのある青色。背部と腕部、さらには脚部にまで搭載されている二対の銃砲が物々しい雰囲気を青龍から醸し出している。束の持つ技術を惜しみなく注ぎ込んだ、四神の一角。通常のISの何倍もの火力によって敵を制圧する全距離対応射撃型。それがアリサの持つ青龍であり、彼女の射撃センスを存分に生かせる最高の機体であった。
最初に動いたのは、アリサだった。手に持っていたヘカートの照準を、距離を取るために後方に飛びながら妖刀へと合わせる。そして容赦など一切なく、発砲する。今度は続けざまに二発、三発と引き金を絞った。ヘカートはボルトアクションのライフルだけに、装填に時間がかかる。それが難点だが、アリサにとってみればそれは僅かな時間に過ぎない。多少のロスはあろうとも、威力と浪漫を重視するのがアリサの戦い方だった。
牽制も込めた射撃は二発ほど妖刀の後方へと流れたが、かろうじて一発だけその肩に命中していた。基本的に人への射撃が目的ではないアンチマテリアルライフルは、その一発の威力が桁違いに高い。人体に命中すれば、たとえ驚異の回復力と強度を誇る妖刀の肉体であろうとも肉片へと帰してしまう。
だが、妖刀は飛び散った肉片に一片の興味も示さず、まっすぐにアリサへと向かい突進してきた。まるで痛覚がないかのようだ。いや、実際にないのであろう。でなければ、肩を吹き飛ばされて嬉々とした笑みを浮かべることなど不可能だ。
一切の迷いもなく、妖刀は跳ねた。その人間離れした跳躍力はISをまとったアリサにも、肉薄できるほどのものをもっている。
「ちっ!」
青龍は射撃に重点を置いて作られているぶん、接近されると途端にその強みを失ってしまう。常に間合いを取り続けなければ、攻撃することすらままならない。しかしながら、接近戦に弱い青龍だが何も対策をしていないというわけではなかった。
青龍は全距離対応型だ。勿論、遠距離や中距離だけではなく、近距離での射撃も行える武装を持っている。
ヘカートを収納し、代わりに呼び出すのは二挺のリボルバー式拳銃。しかし、この銃はすこしばかり特殊なつくりになっている。グリップから銃身の手前まではリボルバーなのだが、銃身はオートマチックという奇妙な形状をしているのだ。この銃は束のお手製であり自信作らしく、これを作った時えらく自慢された(とはいえ、束がこのような武器を作った背景にはアリサの「浪漫と実用性を兼ね備えた武器をつくってくれ」という無茶なお願いがあったからなのだが)。
その銃の名を『Avarice(アヴァリス)』という。フランス語で七大罪の強欲を意味する言葉だ。アリサの欲から生まれたこの銃にはぴったりな名前である。
アヴァリスの銃口が接近する妖刀へと向けられた。目と鼻の先に近づいてきた妖刀を、嘲笑するかのようにアリサはその無防備な腹部へと装填されているすべての鉛弾を見舞った。リボルバー式拳銃とはいえ、アヴァリスは連射が可能だ。強欲の名の通り、貪るように妖刀の腹を放たれたすべての弾が抉り、穿いていく。
「仕上げだ」
アヴァリスの掃射によって動きが止まったその瞬間、アリサは勢いよく妖刀を蹴り上げた。脚部のスラスターによる推進力を得て、その威力は倍増している。鋼鉄の塊が勢いを持って肉体に衝突し、妖刀の肉体を天高く打ち上げた。
――――――――高エネルギービーム砲『Gourmandise(グルマンディーズ )』
『Gloutonnerie(グルトヌリー)』――――――――
起動するのは、背部にある二対の銃砲。それが背部から脇の下へと移動していき、銃口を前面へと照準させる。七大罪における暴食を意味するフランス語。暴食とは即ち一種の暴力である。それは全てを喰らい尽し、根絶やしにする本能的な破壊衝動。
「チェックメイトだ。化け物」
一閃。眩い光を砲撃が、宙を舞う妖刀へと襲い掛かった。高エネルギーをビームとして放つこの一撃は、青龍の中でも最高の威力を誇る。たとえ軍事用ISであっても、まともに受ければただでは済まない破壊の一撃だ。妖刀であれ、耐えることは出来ない。その遺体すら残らず、消滅してしまう。
消し炭になった妖刀を眺めて、アリサは表情一つ変えずにこう呟いた。
「汚い花火だな」
* * *
「やっぱりお前だったか、アリサ」
妖刀を肉片すら残さず滅したところで、アリサを呼ぶ声があった。振り向くと、こちらに手を振りながら走ってくる人影が見えた。数は一つ。遠目からは靡く黒い長髪にそれと一緒に揺れるフリルスカート、俗にいうメイド服が確認できた。「改めて思うのだが、似合いすぎだ」アリサが眉をひそめる。死体と血で溢れ返っているこの場において、あまりにも場違いな格好だった。血にまみれた美少女メイド。なるほど、いかにも日本人が好みそうな絵面だ。そうアリサは思った。
「たくっ、派手にやりやがって。今は混乱しているからいいものの……ばれたら洒落になんねえぞ」
メイドがやってくるなり、周囲の惨状に目をやりながら苦々しい表情で言った。確かに、この現場を見る限りでは洒落で済むような範疇をとうに超えている。何十という死体の数に、おびただしい出血の跡。現代の誇る最強の兵器を以て実行した一撃で、破壊された天井。とてもじゃないが、これが現実だとは思いたくない。しかし、フィクションでないのは確かだった。血の臭いは本物だし、転がっている死体も偽物ではなく、本物の肉体だ。妖刀という化け物によって行われてた殺戮は、作家が綴る物語の一場面ではなく、現実という名の一ページに刻み込まれた出来事なのである。洒落で済めば、どんなにいいことか。
メイドは頭を抱えていた。酷く場違いな格好をしている彼女だが、外見だけはアリサも認める一級品の美少女だ。女性にしては少々背が高いようだが、触れたら壊れてしまいそうなほど華奢な体つきのせいか、こうやって接している限りだとそんな印象は受けない。どちらかといえば、守ってあげたくなるような感情を抱く。人が小動物を見た時に感じるものと似ている。保護欲をそそられるのだ。
そんな少女がメイド服を着て、接客してくれるのだというのだから、こういった類の女が好きな男にはたまらないだろう。
だが、現実とは大抵皮肉なものだ。現実は小説より奇なりというが、まさにその通りなのである。
「うんで、アリサ。瑛梨達は一緒じゃないのか?」
「まだ五反田食堂だろう。おいてきた」
「おい。お前、仕事は?」
「………………ふ、ふん!」
「可愛い言い方で、現実から目を逸らすなよ」
「いくら玄兎からのお願いでも、聞けることとそうでないことがある。そもそも私にあんな小娘の恋愛相談なんぞ、向いてないんだ」
そう言ってアリサは玄兎を半眼で睨みつけた。胸の内の不満を表すように、頬には特大の風船を膨らませた。その仕草はまるで年頃の女の子のようだ。
いや、それだと少しばかり語弊がある。一つの事実として、アリサは年頃の乙女だ。だが、普段があまりにもクールな性格なためか、それともその峻厳とも比喩される顔立ちのせいか、彼女は初めて会う人物には大抵男性だと間違われる。玄兎とは真逆の性質だった。玄兎ほど異性に顔立ちや雰囲気が寄っているわけでもないので、誰からも男性に見られるというわけではない。ただ、男装の麗人が行き過ぎているだけだ。もしくは、この貧相な胸の影響もあるのかもしれない。これがもう少し大きければ、一目で女性だとわかるというのに。
そういった理由から、彼女が女の子らしい仕草をすると妙に新鮮味があるのだ。ギャップ萌えというのは、こういうことを言うのだろうと玄兎はひとり感じていた。
「それよりお前、バイトに行っているんじゃなかったのか。店はどうした店は」
「こんな事態だからな、皆逃がしたよ。適当なところまで逃げてたら、急に銃声が聞こえて、俺だけ慌てて戻ってきたんだ。まぁ、案の定お前がビームぶっ放してたんだけど」
呆れ気味に玄兎は経緯を説明する。玄兎が行っていたバイト先にも妖刀は現れたのだが、幸運なことに客と従業員は無事だった。出現したすぐに妖刀がどこかへ去って行ったため、その後も負傷者なく逃げ切ることが出来ていた。
そこでポケットに振動があった。仕舞ってあった携帯端末に着信のようだ。相手は天宮瑛梨と表示されている。
「あ、瑛梨か。どうした」
『どうしたじゃないよ! 玄兎、どうなってんの!? さっきものすごい砲声聞こえたんだけど! はっ! もしかしてアリサちゃん!?』
「そうだ。てか、お前今どこにいんだ?」
『まだ蘭ちゃんを堪能してない!』
「あー、なるほど五反田食堂ね。じゃあ、そこから動くなよー。あぶねえから」
異様にテンションが高い瑛梨に釘をさす。あのテンションから察すると、もうじき蘭が瑛梨の、瑛梨が厳の拳骨の餌食になりそうだが、あえてそこにはツッコまない。面倒だからだ。
『……大丈夫なの?』
玄兎の言葉に瑛梨が先とは打って変わって低い声で言った。心配そうな声音だった。そんな彼女に対し、玄兎は答えはあっけらかんとしたものだった。
「大丈夫大丈夫。お前が出る幕じゃねえよ。ただでさえ、一回出るたびにしばらく日常生活に支障が出るお前を、そう簡単に使えるわけないしな。いざというときに、対応が遅れちまう」
それにアリサもいるしな、と付け加え玄兎は会話を切った。瑛梨はまだ心配そうな雰囲気をスピーカー越しに漂わせていたが、彼女が何か言うよりも早く玄兎が通話自体を終了させてしまった。これ以上、話していると余計な方向にこじれそうな気がしたからだ。瑛梨は確かに『紅い兎』が保持する最高戦力である。切り札といってもいい。しかし、身体的な理由から彼女はそう簡単にこういった戦線に出すことが出来なかった。今回の事件は規模こそ最大級だが、まだ彼女の出る幕ではない。前のように『紅い兎』しかいない状況とは違って、幸いに楯無と神皇がいる。片やIS操縦者の国家代表であり、片や妖刀の力を宿した少女だ。戦力として頼もしいことこの上ない。
携帯端末をしまい、玄兎はアリサに向きなおった。アリサはまだ膨れていた。
「機嫌直せよ……今度の日曜、お前に付き合ってやるから」
「へっ、私がそんなことで機嫌を直すとでも思ってるのか。甘いぞ」
「にやついた顔で言われても、説得力ねえよ」
発言と表情がまったく噛みあってなかった。照れ隠しのつもりが、思い切り顔に出ている辺り彼女らしい。「さてと」と玄兎は気を取り直すように、背伸びをした。
「これからどうするか」
「どうするも何も、妖刀を殲滅する以外やることはないだろ」
「でも、居場所がわかんねえんじゃどうしようもないだろうに。それに、どうも複数体の妖刀が一斉に出現したみたいなんだよなぁ。一匹は楯無たちが引き受けているとはいえ、全部で何体いるかわからないしな」
問題はそこだった。玄兎達は過去に妖刀と対峙してきた経験から、妖刀の出現にはある一定のルールがあるという結論に達していた。妖刀を大きく分けると二種類だ。自然に発生するタイプと、何らかの事情によりその力を宿しているタイプである。前者は大抵の場合、暴走して自我を失っていることが多い。周囲の人間を見境なく殺していく殺戮マシーンと比喩できる。そして、もう一方が玄兎達が最も遭遇率が高かったタイプ。一か月前に街中で戦闘を行った切り裂き魔(ジャックザリッパー)や神皇が典型的な例だろう。要は本物の化け物だ。
自然発生するタイプの妖刀は、本当に突然現れる。何の前触れもなく唐突に、まるで何かに召喚されたようにいつの間にか姿を見せているのだ。恐らく、今回のもそれと同じだ。ただ、今回は規模が大きい。犠牲者も多量に出ている。前に玄兎達が遭遇したのも、山奥の洋館で二匹だけだったが、今回は恐らく三体以上いると推測できた。
「ISか妖刀のような力がなきゃ対抗できないし、正直今すぐ殺さないといけないんだが」
「それなら、空から見てみるか? その方が全体を見渡せる。ISのシステムを以てすれば容易いことだ」
「あとで国際問題に発展するだろ。特に俺たちの場合は」
「状況が状況なんだ。致し方ない」
「出来れば、そういった姿を晒すようなことはしたくないんだがな……」
事態が一刻を争うことも、猶予がないことも玄兎にはわかっている。理解もしている。だからといって、その後のことを考えずに行動するのはどうかと思う。「じゃあ、どうしろと言うんだ」アリサが苛立ちを込めて、言い放つ。アリサの意見は尤もだ。優先事項は当たり前のことで、事件の解決と妖刀の殲滅である。だが、冷静に考えるとそれも少し違うような気がしてくるのだ。要は後より今、という考え方なのだろう。正しい。それは真に正論だ。しかし、それは本当に最善なのだろうか。もっと他にいい案があるのではないか。玄兎は思う。「後先を考えて動く」というのは、このような危機的状況においてあまりにも保守的な行動に見えるだろう。ある程度の見返りを求めるためには、それ相応のリスクも覚悟しておかなければならないのは当然だ。
だが、いいのか?
本当にそれが最善なのか?
本当はもっといい答えがあるのではないか?
玄兎の考えにある「後のことも考える」というのは、ある種の反省だ。三月の切り裂き魔(ジャックザリッパー)との戦闘時に壊したビルが原因で、玄兎はIS学園へと半ば脅迫されて入学した。学園に入って悪いことばかりあったわけではないが、それでも悔いだけは残っていた。
それに、あとを考えて動くという言葉は、この危機的状況を脱することが出来るということを大前提としていた。この状況を打開できると思っているからこそ、その後のことに気を回す余裕がある。そういった気の持ちようの表れでもあるのだ。
短絡的に「強行突破」を敢行するのは、本当に危機的状況に陥ったときだけでいい。今は冷静に現在打てる最善を考えるのが大事だ。それが玄兎の本音でもあり、長らく軍にいたことで培った考え方であった。
「ああ、もう! 私はお前のそういう保守的なところが嫌いなんだ!」
「お前は感情で走り過ぎだろ。もうちょっと冷静にだな」
「お前が冷静過ぎるんだよ。外見と精神年齢が見合ってないんだよ」
「な、なんだと!? お前、たださえ外見の事気にしてんのに! 今度は中身の事まで言うか!」
「ああいうさ。言ってやる。いつまでも初恋を引きずっていないで、私と付き合ったら、いや結婚したらどうなんだ!」
「話がとんだぞ! ていうか、それ今ここでいうことじゃねえだろ!」
二人ともヒートアップしすぎて、話がおかしな方向に流れ始めていた。主にアリサが欲望を吐き出しただけだが。
と、そこで足音が聞こえた。喧騒が遠のき、静寂に包まれていたショッピングモール内ではそれすらも天井や壁に木霊し、はっきりと二人の鼓膜を揺らしてくる。不規則な足音だ。まるで酔った人の千鳥足のような、覚束ない足取り。さすがに日曜の昼下がり、ショッピングモール内で千鳥足になるまで酔いつぶれた人間はまずいないだろう。いたとしたら、早く逃げろと言いたい。というか、今まで何していたんだといいたい。
足音はさらに不規則に、かつ不気味な息遣いとともに近づいてくる。ここまでくれば疑いようがない。これは…………。
「来たか」
「まさか、あちらさんからくるとはね。探す手間が省けていいこと」
「はっ。どうやって探すのかさえ、考えてなかったくせによく言う」
「……男は体力が自慢」
「探し回るつもりだったのかよ……」
アリサが深いため息をつき、肩を落とした。相変わらず、詰めが甘い。結論に至る直前まではいいのだが、肝心の結論に至ることは出来ない。赤神玄兎という男はそういう人間だ。強いて言えば、妙なところが抜けているのである。
「血ィ血ィ血血血血血!!」
興奮するように妖刀が叫ぶ。金切り声のようなそれは、聞いているだけで不快感を植え付けられる。
「うるせえなぁ、おい。叫ぶな、耳キーンってなるだろうが」
「何言ってんだ、お前は。ほら、さっさとISだせ」
妖刀相手に愚痴をこぼしていた玄兎に訝しむような視線を送って、アリサは急かした。事態は切迫している。残された猶予も残り少ないというのに、この男はなぜここまで綽綽な態度でいられるのだろうか。不思議でならない。「へいへい」と軽い返事をすると、玄兎の全身を粒子変換されたISが包み始めた。
* * *
轟音とともに空へ打ちあがる一筋の光。凄まじい熱量を帯びたそれは、離れた位置にいた箒も見ることが出来た。
「な、なんだあれは!?」
箒の動揺した叫び声が遅れて上がる。ただでさえ、妖刀という非現実的な敵を前にしているというのに、ここでまた別の脅威が現れでもしたらたまったものではない。実際に戦っているのは一夏とはいえ、箒にも現状がどうなのかぐらいはわかっているつもりだった。出来ることなら一夏に加勢して、二人で倒すことが出来ればよいのだが…………生憎、箒はISを持っていない。専用機というのは非常に希少であり、それこそ選ばれた者のみに与えらるものだ。いわば『エリートの証』なのである。代表候補生であるセシリアと鈴音、世界で二人しかいない男性操縦者の一夏。三人が三人とも、技術的あるいは存在価値が認められたからこそ、専用機を持っているのであって、開発者の妹というだけである箒が専用機を持っているはずもなかった。
ついさきほどもはぐれた一夏の元へと戻ってみれば、激しい戦闘の真っ只中であった。加えて、遠回しに「邪魔だ」とも言われてしまった。逃げろという内容だったのだが、本旨はきっとそういうことを言いたかったのだろう。そして、この切羽詰まった状況で駄々をこねるわけもいかず、箒はなすすべもなく駆けていた。どこにいけばいいのかは知らない。ただ闇雲に走っているだけだ。少しでも遠くへ、という思いから道筋など頭になかったのである。
「くそっ……どこだ、ここは」
案の定、道に迷ってしまっていた。このショッピングモールは日本でも最大級の規模を誇る場所らしく、異様なまでにその全容は広大だ。一度はぐれてしまえば、数時間は会えないとかいう噂まで囁かれているほどだった。それを聞いたときには馬鹿にしていたが、案外真実だったのかもしれない。
そんな呑気な事を考えていると不意に空気が揺れ、爆音が周囲に轟いた。「っ!?」息をのむ。直後、箒の目の前にあった建物に何かが勢いよくぶつかり、コンクリートとガラス片を箒の足元へと撒き散らした。
「くそ、今度は何だ!」
立ち込める煙を手で払いながら、箒は目を凝らした。徐々に煙が晴れていく。最初に視認したのは、赤い光の線だった。尾を曳くように赤い何かが、煙に混じって箒の視界に捉えられた。
あれは瞳だ。妖刀独特の紅の双眸。つまり、今目の前に落ちてきた何かの正体は妖刀だということだ。
「し、しまっ――――――!」
箒が我に返り、急いで踵を返そうとしたとき不意に妖刀と目が合った。
こちらに気付いたのだ。土煙の中でその二つの双眸が、睨みつけるような視線を放棄に向けていた。
箒が反射的に身体を動かしたときには、既に妖刀は土煙の中から姿を露わにし、箒の眼前へと飛び込んできていた。人間の限界を優に超えたその動きに、箒は反応すら出来ずに立ちすくんだ。
死ぬ。その言葉が脳裏を駆けて、走馬灯のようなものが一瞬にして浮かび上がってきた。
もう駄目だ。そう諦めかけた時、妖刀の動きが突然おかしくなった。突撃のような構えから、急に重心を後ろへとずらし、身体を何かから逸らすように動かしたのだ。
「箒ィィィィィッ!」
妖刀が身体をひねる。その直後、一夏が頭上から雪片の切っ先を真下に向けた状態で落下してきた。
再び土煙が立ち込める。破壊されたセメントやコンクリートが小さな粒となって、空気中に放り出されていき、飛び退いた妖刀の姿をまたも隠してしまう。
「大丈夫か、箒」
「あ、ああ。私は大丈夫だが……一夏?」
事態の急変具合に戸惑いながらも返事を返した箒だが、次の瞬間その表情を困惑で塗りつぶした。
「え? なんか言ったか?」
「お、お前……顔色が……」
そう言う箒の視線の先には青ざめた一夏の顔があった。額からはこれでもかといわんばかりの大量の脂汗がにじみだしており、呼吸も浅い。この視界が悪い中でも、一目で彼に身に起きている変調に気付けるぐらいだ。その具合といったら、相当なものだった。
箒が心配そうに一夏を見上げる。しかし、そんな箒とは対照的に一夏はそんな自身の体調不良にまるで気づいていないような口振りだった。
「まさか、お前はまだ体調が……!?」
思い当たる節などそれしかない。一夏が睡眠障害からくる意識喪失を起こしてから数日、保健医からの助言もあって一夏の体調は右肩上がりによくなっていた。実際、今朝も顔色は優れていたし、つい先程まで体調不良の兆候などは一切見受けられなかった。
しかし、それ以外に一夏の不調の原因など思いつかない。
「なに、言ってんだ、箒。早く逃げろよ…………あぶ、ねえ……ぞ」
「い、一夏っ!」
力なく笑いながら箒の言葉を一蹴しようとした一夏の膝が、堪え切れなくなったように折れた。そのまま立ち上がることもできずに、地べたに両手をついて、苦しそうに喘いでいる。
箒が慌てて駆け寄った。迂闊だった。自分の軽率さと甘さに心底嫌気がさした。
一夏はまだ病み上がりだ。いくら体調が優れているとはいっても、万全には程遠い状態だった。それに一夏にとって先の戦闘が、ISを使った初めての実戦だったはずだ。さらにその相手が人間という枠組みを超えた未知の存在ともなれば、肉体的な疲労は勿論、精神的な疲労も相当なものだろう。状況が状況だったとはいえ、あのような「非現実的」な光景を目の当たりにして、平気でいられるほど彼は経験を積んではいない。加えて、最近の体調不良である。
これだけの悪条件が重なっていて、よくも自分はのうのうと一夏を置いて逃げられたものだ。あの時逡巡などせずに、無理やりにでも一夏を引っ張って、逃げるべきだった。逃げ切れた可能性がいかに低かったとしても、彼に任せるべきではなかったのだ。
自分の責任である。箒は後悔した。一夏をデートに誘えたことで、彼と休日を過ごせているという昂揚感のせいで、気分が浮かれすぎていた。どこか夢見心地でいた。だから、妖刀と出くわしたときもどこか心の隅で現実から目を逸らそうとしていたのかもしれない。これは現実ではなく、「非現実」だと心のどこかで思っていたのかもしれなかった。
「くそっ! せめて、私に力さえあれば……! ISさえあれば……!」
一夏の代わりに戦ってあげられるのに。
虚しさと悔しさが入り混じって、感情を練り上げていく。煮えたぎる感情が胸中で行く当てもなく彷徨っている。吐き出したい。今すぐにこの感情を吐露して、全てを目の前の敵にぶつけたい。
「またなのか……私は、また……」
箒は自嘲した。束と自分との間にあった溝を修復するきっかけとなったあの事件の時と同じだ。また自分は何もできずに、大切なものが目の前にいる何者かに蹂躙され尽くすところを見ていることしかできないのか。無力故に、虚しさが胸に沁み込んでいく。
あの時の玄兎のように、自分が力を持ってさえいれば。あるいは救えたのかもしれない、あの人たちを、一夏を救えたのかもしれない。この危機を打開することが出来たかもしれない。
「ほ、箒逃げろ……あいつがくるぞ!」
「馬鹿野郎! お前を置いて逃げられるか!」
「それじゃあ二人とも死ぬぞ!?」
「だからって、お前を置いて逃げられるわけないだろう!」
もはや意識もかすれて、視界がぼやけ始めている。このままでは意識がなくなるのも時間の問題だ。そうなったら今度こそ二人とも終わりだ。妖刀に殺さ、見るも無残な死に様を晒すことだろう。
箒は頑なに動こうとはしない。意固地になって、一夏に傍から離れようとしてくれなかった。
そんな間にも妖刀は態勢を立て直して、再びこちらへ肉薄しようとしていた。
(ちくしょう……ここにきて、なんで! ちくしょう!)
立ち上がろうにも四肢がいうことを訊いてくれない。まるで鉛を流し込まれたように重かった。さらに息苦しさもあって、先ほどから何度も吸っては吐く、吸っては吐くを繰り返しているが一向にそれが治まる気配がない。おかげで脳に酸素が十分に送られず、思考すら霞みががっておぼろげだ。これでは逃げることすらもままならない。まさに万事休すだった。
煙が晴れ、悪かった視界が良好になった。今度は離れた位置にいる妖刀の姿がはっきりと確認できた。髪の長い女性。鋭い牙から滴る血の滴が、その不気味さをより一層引き立てている。
妖刀が跳んだ。地を蹴って、二人の頭上へと移動する。そのまま直線状の位置にまでやってきた。そして、そこからは重力による落下に身を任せ、勢いよく為すすべを失った二人へと迫った。
その動きは素早く、箒の動体視力ではその影を追うことすら出来なかった。彼女が頭上に妖刀の姿を確認した時には既にもう、彼女の鋭く伸びる牙がその口から解き放たれていた。距離は近い。一メートルもなかった。直後、瞬きさえ短い時間の中で自分は殺されるであろうということを箒は感じ取った。
終わった、と。
「柳生慧眼流壱の型……『
その声が耳に届いたとき、箒の眼前にまで迫っていたはずの妖刀が横合いからの強烈な衝撃を受けて吹き飛んだ。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。理解できなかった。なんだ、この状況は。
「
宗玄はそう言うと、その顔を獰猛な笑みで彩った。肉食獣を彷彿とさせる雰囲気をまといながら、抜き放った愛刀を握る手により一層力を込める。
「我が名は柳生宗玄。手合せ願おうか、物の怪よ」
――――――――――古き友の娘と、その最後の弟子のため。柳生宗玄、ここに馳せ参じたり。