次回からはなるべく投稿ペースを早めたいと思いますので、よろしくお願いします。
二十一世紀騒乱。十年前、篠ノ之束が開発したマルチフォーム・スーツ――――インフィニット・ストラトス、通称ISをめぐり世界各国で発生した事件の及び暴動のことを総称してそう呼ぶ。
当時、一介の高校生である束が開発したISは圧倒的な性能を誇っていたものの、それにかかる研究費用は莫大で、度重なる不景気により財政難に陥っていた諸国はさほど注目はしなかった。
だが、それから三か月後に起きた《ある事件》によりISは世界中からの注目を集めることになる。宇宙開発を目的とするのではなく、兵器として。
ISの攻撃力、防御力、機動力は既存する兵器を優に凌駕していた。たった一機……ISが一機あるだけで恐らく世界中の軍隊を一日もあれば壊滅させることができるだろう。そんな超兵器を世界中の国々が、企業が欲した。
――――――――だからこそ、事件は起きた。
ISには既存の兵器とは異なる重大な《欠陥》が存在する。それはISは男性には扱えない――――つまり、女性にしか起動させることができないのだ。何故そうなるのか、それは開発者である篠ノ之束に訊かなければ恐らくは分からないだろう。
各国はISの開発、研究を進めるのと同時に操縦者育成にも力を注いだ。機体だけが完成しても、それを操る者が未熟だと宝の持ち腐れとなるからである。そうなると各国が考えることは一つ――――操縦者の卵である女性を優遇する政策を次々に打ち出した。最初のうちは戸惑っていた人たちも、一ヶ月も経つ頃にはすっかりと馴染んだようで今では女性が男性をこき使う光景は珍しくはない。
だが、各国が女性を優遇すると相対的に男性の扱いは決して良いと言えるものではなくなった。例えば何らかの原因で見ず知らずの女性と口論になった場合、いくら女性側に非があろうと警察は男性を逮捕する。ましてや警察官までもが女性ならば男性は抵抗するどころか、言い訳すらも許してもらえず即連行となる。
行き過ぎた女性優遇政策、それが……二十一世紀騒乱の引き金となった。
***
「……で、その先は?」
「う~ん……だめだ。かすれてて読めない」
向かい側に腰かけている
「あの基地にあったものだから、何か面白いことでも書いてあるかと思ったが…………期待外れだ」
「仕方ないさ。なにせ7年も前に書かれた手記なんだし」
手に持っている掌サイズの日記帳を一通り見終えた玄兎は、そう言うとグラスに注がれた飲み物を口に運んだ。
グラスを傾けながらこの甘酸っぱい緑色の液体はなんて名前だったかな、などと考えていると対面する形で座っているアリサの足元がふと視界に入った。すらりと長い脚はいつも見ても綺麗で、思わず見とれしまう。
だが、そんなことを口にすれば彼女は顔を真っ赤にして怒号と罵声を浴びせるに違いない。もしかすると、恥ずかしのあまり黙り込むかもしれない。罵声を浴びせられるのは勘弁だが、赤面する彼女は見てみたい……。などという変な考えを振り払うように玄兎は一気にグラスの中の液体を飲み干した。
「で、あのナタなんとかというのはいつになったら来るんだ?」
「ナターシャ・ファイルスさんだ。なんでお前は嫌いな人の名前は何時まで経っても覚えないんだよ!」
「嫌いだからだ」
「即答……って、答えになってないからな、それ」
苦笑いを浮かべながらポケットから携帯型端末を取り出し、時刻を確認する。まだ、約束の時間まで三十分近くあるのだが、待ち人であるナターシャ・ファイルスは未だ来る気配すらない。待ちあぐねているのかアリサは机の下で足を小刻みに上下させており、時折勢いよく机にぶつけては顔をゆがめている。そんな光景を見ていると思わず顔が綻んでしまい、アリサに怪訝そうな視線を向けられた。
「……何を笑っている」
「いや……可愛いなぁ、と思ってな」
「なっ……か、か、かわひぃ!?」
玄兎の唐突な告白に顔を真っ赤にしながらも、何か言わなければと次の言葉を模索しようとするが、噛んでしまった恥かしさも相まってか呂律がうまく回らない。一旦大きく深呼吸をし、暴走しかけている思考を落ち着かせる。
――――――こいつのことだ、言葉自体に対して意味はないはず……。
だから、落ち着けと自分に言い聞かせながらアリサは目の前に置いてあるグラスを手に取り、それに注がれている名前も知らない飲み物を一気に飲み干す。仄かな甘酸っぱさが口の中に広がり、つい「ぷぅはぁ」と言いそうになり口を噤んだ。あと数か月で二十になるのに、これではまるで中年の親父ではないか……。心の中でそう呟き、本日何度目かの嘆息を漏らした。
冷静になった頭でなんとかアリサは言葉をひねり出す。
「ごほん…………殺すぞ」
「いきなり殺害予告されても困るんだけど……」
困惑気味で玄兎がそう呟いたのと同時にウェイトレスが先ほど注文した物を運んできた。それを軽い会釈をし、受け取る。
そこで店の入口に取り付けられた客が来たことを知らせる鈴が鳴った。無意識にそちらにアリサが視線を向けると、先ほどより一層怪訝さが増した表情を浮かべた。
玄兎がそれに気づき、彼女の視線をたどっていくとそこには一人の女性が誰かを探すように辺りを見回していた。
殺風景な店内にいきなり仏様が降臨されたようだ、という言葉を呑み込み玄兎はその人物に向かって声をかけた。
「お~い、こっちだ、こっち」
玄兎の言葉に反応を示した女性は、こちらを向くと眩しいばかりの笑顔を浮かべた。
「うわっ、まぶっしぃ。うぎっ!」
彼女の笑顔につい反応してしまい、アリサの容赦ない蹴りが玄兎のすねを直撃した。ばつの悪そうな表情で俯く玄兎を一瞥し、アリサはようやく訪れた待ち人……ナターシャ・ファイルスに向かって、
「遅い、のろま」
罵声を浴びせた。
「三十分の遅刻だ。いや、正確には三十五分か」
「君って見かけによらず、しっかりしているというか時間に厳しいというか……」
「お前がルーズなだけだ」
「これでも急いだつもりなんだけどねぇ」
ははっ、と笑う。
そんな彼女に更に文句をつけてやろうかと思ったが、やめた。ここで彼女と口論したところで状況はまったく変わらない。それよりも早く本題を片づけてしまった方が得策だろう、とアリサは判断した。
「ほらっ、これが依頼されたモノだ」
机に無造作に置かれている日記帳を半ば投げつけるようにして、ナターシャに渡す。空中で縦回転するそれを器用に人差し指と中指で挟むようにして掴み、上着のポケットに突っ込んだ。
ふぅ、と息を吐き出しアリサの横に腰かける。一瞬アリサが顔を顰めたがナターシャは気にしなかった。
「何故、座る……」
「いいじゃないの。たまには貴方達とお話しても」
アリサは不満そうだったが、諦めたように机に突っ伏した。
近くにいた店員に玄兎達と同じものを注文すると、ナターシャは玄兎とアリサを交互に見るとこう言った。
「相変わらず仲がいいわよね、貴方達。付き合ってるの?」
ぶっ、と何かを噴き出したのはアリサだ。
「ないない。それはない」
肩を竦め、かぶりを振るのは玄兎だ。
「きっぱりと否定するわね……でも、アリサちゃんはどうなのかしら?」
「どう……というと?」
「玄兎君のこと、どう思ってるのかってことよ」
今度は玄兎が噴き出す番だった。噴き出した勢いで気管に先程の飲み物が入ったのか、何度も咳き込んでいる。
一方、質問された当人は、
「奴隷」
と、即答した。
「なるほど。玄兎君を独占したい、と」
「待て待て。何故、そうなる」
「奴隷ってことは彼は貴方の所有物なんでしょ?」
「そうだ」
――――俺が奴隷なのは決定なんだ……。
玄兎の心の中で呟いた言葉は目の前にいる二人聞こえるわけもなく、話は進んでいく。
「つまり、誰にも渡したくない! 独占したい~ってことにならない?」
「なるわけ…………ないだろ」
一瞬だけ考えてしまった。玄兎が自分だけに付き従い、生活している光景を。
そんなことを一瞬だが妄想してしまい、アリサは自分の馬鹿さに呆れたくなった。
何を夢見ている、もう既に彼奴は私の純朴な下僕だろうが! これ以上何を望もうというのだ。
見当違いの事を考えているアリサを余所に、ナターシャが立ち上がった。
「まぁ、貴方達は若いんだから、焦らず考えなさい。じゃないと後悔するようになるわよ…………私みたいに」
そういいながら店員がもってきた緑色の液体を飲み干すと、ナターシャは立ち上がった。
「代金は私が払っておくから」
最初からそのつもりだ、と言いかけアリサは口をつぐんだ。ここで機嫌を損ねて、お代を払わず出ていかれれば、こちらとしては思わぬ出費となる。最近、便利屋として仕事の依頼が少なってきている所為もあるのか、家計費は火の車。余計な出費は控えるよう、江波にしつこく言われているのだ、それだけは避けねばならない。
彼女機嫌を損ねぬよう、アリサは慎重に言葉を紡いだ。
「すまんな」
いつものアリサからは想像もつかない言葉が飛び出した所為か、ナターシャは少しの間呆然と立ち尽くした。それもそのはず、当の本人であるアリサも自分の口から発せられた言葉に唖然としているのだから。
だが、しばらくするとナターシャは微笑を浮かべ、「どういたしまして」と言い残し、店を出て行った。
一方、玄兎もアリサの珍しい言動に目を見開いていたが、しばらくするといつもの気の抜けたような表情に戻り、いつ注文したのか分からないポテトフライを口に放り込んだいた。
最後の一切れを食べ終えた玄兎はナターシャが残していった緑色の甘酸っぱい飲み物を飲んでいるアリサに、
「俺たちも帰るぞ」
と、だけ告げるとふらふらとした足取りで出口に向かっていった。
外に出ると少しだけ雨がぱらついていた。
季節はもうすぐ四月になろうとしているが、まだ肌寒いのはどういうことか。そんなことを考えていると、店の入口の方から鈴の音が聞えた。
「雨か……傘は?」
持っているか、というのを省いたその言葉に玄兎は小さくかぶりを振った。店に来る前の空は快晴で月明かりが街の明かりに負けじと照っていたのだ、雨が降るなど誰が予想したのだろうか。
そんな玄兎を見たアリサは少しだけ勝ち誇ったような笑みを浮かべ、珍しくもってきたバッグから折り畳み傘を二本とり出し、その内の一本を玄兎に手渡した。
「用意がよろしいことで」
「江波が言っていたからな。それに私の日課は天気予報を見ることだ」
今の言葉のどこに勝ち誇る要素があるが玄兎には分からなかったが、アリサの機嫌を損ねてまた面倒なことになるのは御免だったのでこの場は何も言わずに傘を開いた。
滴り落ちる水滴を眺めていると視界の端に無言で催促しているアリサが見えたので、仕方ないなと言いたげに肩を竦め歩き出した。
「なぁ……」
夜遅いというのにまだまだ昼と変わらぬ活気を見せている街を見ながら、玄兎がぽつりと独り言のように呟いた。
「お前……熱でもあるのか?」
「はぁ?」
「いやさ、お前さっきナターシャさんに対してお礼言ってたじゃん?」
「ああ、それがどうした?」
「いやぁ、いつものお前ならあそこで『当たり前だ』とか言ってそうじゃん。だからさ、素直にお礼を言った事に対して驚いているわけだよ、俺は」
実際、彼女は直前までそれに近い言葉をナターシャに浴びせようとしていた。だが、出かかったその言葉を呑み込み、「すまんな」という謝罪ともとれる言葉を紡いだ。彼女と二年近くの付き合いとなる玄兎だが、かつて彼女が自分や江波らを除いた《知り合い》に対しお礼や謝罪をしたことなど今日に至るまで目にしたことは一度もなかった。
そんな彼女が――――恐らく初めてであろうが――――《知り合い》に対し謝辞を述べたのだ。思わず熱があるのか、と聞いてもおかしくはない。そんな言い訳じみた言葉が頭の中を駆け巡り、玄兎は自分のことながら呆れそうになった。
「私を甘く見過ぎだ。これでも二年前とは心身共に成長したという自負はあるのでな、あれぐらいのことは出来るのさ」
彼女も今年で二十歳となる立派な大人だ、いつまでも子供みたいにわがままを言ってられないと本人も自覚しているのだろう。
「お前もなんだかんで成長したんだなぁ…………まっ、胸は相変わら」
そこまで言いかけた時、玄兎は腹部に強烈な痛みを感じた。アリサの肘鉄だ。
「貴様、その話題には触れるなと言ったよな?」
鬼の形相、その言葉がこれほどまで似合う人物はいるのだろうかと思えるほど今のアリサは恐ろしい表情をしていた。
彼女の胸は世間一般的に見ても貧層と言われる部類に入る。つまり貧乳なのだ。玄兎達と知り合いってから二年間、毎日欠かさず努力してきたのだがその成果は散々なもので、その腹いせにとやけ食いしたせいで体重が増え、ダイエットに苦労したのは記憶に新しい。
俯き、腹部を痛々しそうにさする玄兎を一瞥したアリサは先ほどよりも歩くペースを速めた。
確かに自分の胸をは小さい、だがそんなことは言われなくともとっくの昔に既知の事実として受け入れているつもりだ。胸が小さいのは個性であり、別に大きくなくたっていいではないか。二年前まではそんなことあまり気にしてはいなかった。自分の周りに同年代の女性がいなかったことと、いるとすれば筋肉質の立派な体躯をした男だけだったことも原因としてあるのかもしれない。
アリサは歩きながらふとどんよりと曇っている空を仰いだ。まだ、星は見えない。
* * *
――――――三年前、ドイツのある路地裏でのことだった。当時、アリサがまだマフィアだったころ偶々訪れたドイツで謎の黒服集団に襲撃された。拳銃を所持していた黒服集団に対し、アリサは無防備、逃げるしか方法がなかったのはそうなのだが、逃げる方向がまずかった。彼女はその時、ドイツに来たばかりで辺りの地形を把握しておらず、また夜も更けようとしていたので辺りは薄暗かった。だからこそ、間違って路地のさらに奥の方……つまり助けすら呼べそうにない路地裏にまで追い込まれた。当時の心境を彼女は後に『腹が減っていたのでな、そ、その……うん、ちゃんと思考ができなかったのだ!』と語っている。
幾つか角を曲がっていると、ついに行き止まりへと行きついた。万事休すか、と半ば諦めかけた時、アリサの耳にその場では決して聞こえないはずの『ある音』が聞えてきた。
「グーグゥゥウ、グゥゥーゥ」
人のいびきだった。咄嗟に音の発信源を辿ってみると、そこにいたのは…………。
「グーゥゥグゥウ……うへぇ?」
場に似合わぬ声を発し、起き上がったのはアリサよりも年下であろう日本人の少年だった。少年は眠たそうに瞼を閉じたり開いたりを繰り返しながら、周囲を見た。因みに、今の状況と簡潔に説明するとこうなる、『黒服にサングラスという男の集団が、齢十六という少女を壁際に追い詰めている。しかも銃を持って』と。
普通ならば一目散に逃げ出すか状況が呑み込めずその場に立ち尽くすのだろうが、この少年はそのどちらでもなく、
「うん……? ねぇ、これどんな状況?」
状況説明をアリサに求めてきた。とりあえず、追われてる、とだけ伝えると少年はアリサと黒服の男を交互に見ると、小さく頷きとんでもない言葉を発した。
「あれ、ぶっ飛ばそう」
そこからは早かった。そう言うや否やとんでもない速さで男たちに近づき、中央にいた男の鳩尾に肘鉄を撃ち込んだ。地面を思いっきり蹴ったことによる加速で威力を増した肘鉄により、男は勢いよく後方に吹き飛び壁に激突した。突然のことに一瞬唖然としている男たちだったが、すぐに手に持っている拳銃を少年へと向ける。敵だと認識したのだろう、撃つ気だ。
どくん、と心臓が跳ね上がるような感覚に襲われる。撃たれる。そう直感した時には既にアリサは動いていた。黒髪の少年を背後から狙っている男の側面に回り込み、片足で男の足を薙ぐように蹴り、左手は銃を掴み、右手で男の顔を手前に思いっきり引き寄せる。思わぬ攻撃にバランスを崩した男は空中で一回転し、地面に叩き付けられた。すかさず銃を奪い、銃口を倒れている男に向け――――。
「っ!?」
視界が真っ白になった。煙だ。白い煙が周囲一帯を覆っている。
「こっちだ!」
手を掴まれた。声からするにさっきの日本人だろう。アリサの手を引き、先の見えない煙の中をものすごい速さで駆けていく。出所不明の煙は時間が経つほど濃くなっていき、もはや一メートルも離れていないはずの少年の顔ですらおぼろげにしか確認できない。
もう何十分と走ったのだろうか。アリサの体力もそろそろ限界に達しようとしていた。なにしろ数十分間、ノンストップで全力疾走してるのだ、いくら体力に自信があるアリサといえど無理がある。そんなアリサの心中を察したのか、少年はゆっくりと減速しながら辺りを見回し、誰もいないことを確認する(そもそも濃い煙が充満している所為で何も見えないのだが)と、ふぅと息を吐き出した。
「どこだ……ここ?」
…………はぁ?
アリサは心の中でそう呟いた。彼は後頭部を右手で掻きながら、道間違ったかな、と言った。最初はその言葉の意味を理解できなかった、状況が目まぐるしく変わりすぎて思考が現状に追いついていないからだ。しばらくの考察、そして――――。
「もしかして、迷ったのか?」
「うん。そうみたい」
即答だった。
「まてまて、自分がどこに向かってるのかも分からず走ってたのか!?」
「いやー、逃げるのに手一杯で……。てか、お姉さん日本語上手だね」
「昔な……って、そんなことはどうでもいいわ! 今はどうやってこの路地から出るのかと訊いてるんだ!」
「そんな叫ばないでよ。耳痛い」
「貴様…………!」
殴りたい、アリサは心からそう思った。初対面の更には年下であろう少年に抱く感情ではないが、この少年の言葉を聞いていると何故だか心の奥底からふつふつと怒りが込み湧き上がってくる。もしも、目の前にいるこの少年が気に触れるようなことを言えば、自身の怒りを抑えておく自身はアリサにはなかった。
アリサが自身の怒りをどうにかして抑え込んでいる中、少年はポケットから携帯端末を取り出していた。
「何をしてるんだ……?」
「お姉さんが来る前に呼んでた迎えがもうすぐここに来るって。十分もしない内にこの薄気味悪い路地裏から出れると思うよ」
「ほ、ホントか!?」
「ホントホント……って、言ってるそばから来たよ」
少年がそう言ったのと殆ど同時だった、上からプロペラと思しき轟音が聞えてきたのは。
煙が濃くて見えにくいが、上空には確かに二つのイトがこちらを照らしている。音から察するにヘリだろう。
それからは早かった。少年の仲間が操縦するヘリに乗り込み、そこから一気に広い表通りに出て着陸場がある場所へと移動し、そこでヘリから降りた。あの少年も一緒に。
「貴様は行かなくていいのか?」
「いや、ちょっと用事があってね」
少年は後頭部を掻きながらそう言った。
「そういうお姉さんこそ、何か用事があったんじゃないの?」
「いや……用事というほどのことじゃない、って貴様には関係ないことだ」
つい自分のことを口走りそうになり慌てて誤魔化した。そんなアリサを少しだけ訝しむように見ていた少年だったが、納得したのかすぐに表情を笑みに変えた。
「そっか……。あ、名前まだ言ってなかったね。俺、
そう言って手を差し出す少年――――玄兎をアリサは一瞥した。
「貴様の名前など興味ない」
「うわぁ、可愛げのない人だ」
「ほっとけ」
そこで玄兎のポケットから小さなバイブ音が聞こえた。端末を取り出し、画面を見た玄兎は少しだけ顔が引き攣った。
「あ、やべっ……もう、こんな時間だ。じゃあ、俺もう行くね」
「勝手に行け」
「じゃあね、え、えーと…………」
玄兎はしばらく唸った。それもそうだ、彼にはアリサという名前をおしえてないのだからいくら唸ったところで出てくるはずもない。しばらく、アリサを凝視しながら唸っていた玄兎は何かを閃いたように目を大きく見開いた。
――――――その瞬間、何故か背中に悪寒が走ったのをアリサは感じた。
何が面白いのか、玄兎は笑いをこらえるような表情でこう言った。
「じゃあね、貧乳のお姉さん」
もちろんこの言葉は彼なりのジョークというものだ。もちろん、会って一日も経ってない名前も知らない年上の人物に言うことではない。身体的特徴をジョークにするということは、捉え方によっては相手を侮辱しているに等しいことだ、軽々しく口にしていい事ではない。最悪の場合、今までの関係にひびが入り一生修復できない、ということもあり得る。印象というものは後から変えようと思ってもなかなか変えられるものではない、だからこそ最初の第一印象というものは人と付き合っていくうえでかなり重要視されるのだ。
この時のアリサが抱いた玄兎という少年の印象は文字通り『最悪』だった。当たり前だ、初対面……とは言いづらいものの知り合ってまだ半日も経っていない年下の男から『貧乳』呼ばわりされたのだから。
「しかし、まぁ……なんだかんだで彼奴と一緒にいる、私も大概だな」
呆れるよ、とアリサは独白した。確かに彼に抱いた印象は最悪だった、だがらこそ自分は彼とこうやっていられるのかもしれない。始まりが頂点ではなく、底辺だったからこそ……あんな他愛もない会話をしたり、ジョークを言い合ったりできるのかもしれない。それ以上、下がることはないと思ったからこそ――――彼に希望を持てるかもしれない。
いつの間にか、アリサは足を止めていた。曇天の空から降り注ぐ雨粒が落ちて弾けるさまを、じっと眺める。
自然が生み出すモノは儚く、美しい。前に一度だけ玄兎がそんなことを言っていたことがある。どういう意味だとアリサが質問すると、玄兎はどこか遠くを見ながら、
「雨粒みたいに自然が生み出すモノはさ、一瞬でなくなっちゃうモノが多いだろ? 人によってはさ、それを虚しいとか意味がないとか思うっちゃう人もいるんだけど……俺はさ、こう思うんだよ」
一呼吸置き、
「儚いからこそ、その一瞬の輝きは何にも代えることのできない美しさを持つんじゃねえかってな」
彼にしては珍しく難しいことを言っていた所為かその言葉だけはいつまでも記憶の中に残っている。雨を見るといつもその言葉がふと頭に浮ぶ。そして、その言葉を思い出すたびに何故か原因不明の焦燥感に駆られるのだ。彼がある日を境に突然自分の前から姿を消すのではないか、と。
物思いにふけっていると、不意に肩を掴まれた。咄嗟に投げ飛ばそうと体を捻りかけるが、常識的に考えてここで投げ飛ばすのはいささかまずいだろう、と思い“普通”に振り返った。
「なんだ、貴様か」
「なんだとはなんだ!」
そこにいたのは玄兎だった。
「ちっ……こんなことならばそのまま投げ飛ばしておけばよかったな」
「……あの、もしかして怒ってる?」
てっきりツッコミが来るかと思っていたアリサは、意外な玄兎の反応に目を丸くした。
そんなアリサの反応が怒っているためのものだと判断したのか、玄兎は少しだけ焦ったような表情をした。
「その、あのさ……さっきのはあれだよ! そうあれ!」
「あれでは分からん」
あれと連呼するだけで具体的な内容を言おうとしない玄兎に、アリサは困惑気味に言った。
「そのさっきの……胸は相変わらず成長してない、って言おうとしたやつ。まだ、怒ってらっしゃるのかなぁ……と思いましてね……」
そこまででようやく彼の言わんとしていることを悟った。
まだ、アリサが玄兎や束と行動し始めて間もない頃、一度だけ大喧嘩をしたことがある。原因は些細なことだったが、思いのほか喧嘩は長引き、終いにはISの暴走事件にまで発展するというまさかの展開を見せた。結局、最後は双方が謝罪することで決着したのだが……。
「大丈夫だ、気にしてはいない。第一、貴様のような奴隷が言ったことを一々気にしていては、身がもたん」
「はははっ…………セーフ……!」
アリサが怒ってないと分かり、思わず余計なことを口走ってしまった。慌てて口を塞ぐ。幸い、玄兎が口走った言葉はアリサには聞こえていなかったらしく、こちらに背を向けて歩き出そうとしていた。
「ほら、もう行くぞ」
先に歩き出したアリサに急かされ玄兎も慌ててアリサに追従した。
* * *
「あーもう! 一体どこにいるのよ……」
幾つもの書類が散乱した机を険しい表情で睨みつけた。薄暗い部屋の中、一人頭を抱える。《彼》の書類を整理し始めてから約二時間が経過しようとしていた、夕食の時間が近いためか腹の虫がうるさく部屋に木霊している。
しばらく書類を見つめると、諦めたように机に突っ伏した。
「無理……もう、無理」
疲労困憊といった様子で呟いた。机に突っ伏し、うぅと唸っていると部屋の入口からノックの音が聞こえた。
唸り声で返事を返すと、扉の向こうの人物が大きなため息を吐き出すのが分かった。
「会長……何やってるんですか?」
「書類を整理しているんです」
机に突っ伏したまま真顔でそう言った会長――――
「私の目にはサボっているようにしか見えないんですが……?」
「休憩中です」
「さっき、『もう無理!』とか言ってませんでした?」
「聞こえてた……の?」
楯無が恐る恐る訊ねた。自分では小声で呟いたつもりだったが、本当は無意識に大声で叫んでいたのではないかという恐怖に駆られたからだ。
「私は耳がいいんですよ」
その答えが返ってきたということは、彼女の耳がいいだけで別に楯無が無意識に叫ぶような変人ではなかったということだ。そのことをが分かりホッと胸をなでおろしたが、同時にある疑問も生まれた。
「貴方って、どれぐらい耳がいいの?」
いくら耳が良いとはいえ、扉越しにそれも小声で呟いた声がそう簡単に聞こえるはずがない。楯無がその意を略した問いかけに
「獣以上」
という、どうにも判断が下しにくい答えを返してきた。
そこまでで
「……って、その書類玄兎さんのヤツじゃないですか!?」
「そうなのよ……だからこそ、面倒なの」
心底面倒くさそうな顔をした楯無に
世界中を、便利屋《紅い兎》として駆け巡っている彼を捕まえるのは容易ではない。ここ一年の目撃情報ではアメリカ、フランス、中国、イギリス、ロシア、日本など世界各地で彼が目撃されており、各地を転々と渡り歩いているようで捕まえようにも今どこにいるのかすらも分からないといった状況だ。まさにお手上げ状態。
「神出鬼没、それが《紅い兎》なんですから。まぁ、私視点からですけど」
「いや、実際あの人たちがいつ現れるなんて私にだって分からないわ」
苦笑交じりに言った
「それにしても、今どこにいるんですかねー?」
「案外、近くにいたりしてね」
二人は笑った。そんなはずはない、今彼らが日本のしかもIS学園付近にいるならば外国にまで捕まえに行く手間が省けるというもの、むしろそうであってほしいぐらいだ。
そんなことをしていると、楯無のお腹がぐぅという音を立てた。
「あ……」
「食堂行きましょうか」
気を遣ったのか
――――――ふふっ。
「え?」
「どうしました、会長?」
「今、笑い声が聞えたような……気のせいかな?」
席を立ち、部屋を出た時に一瞬だけ誰かが笑ったような気がした。
「私には聞こえませんでしたけど……気のせいですよ、きっと」
耳が自称獣以上の彼女がそう言うなら、きっと気のせいだろう。幽霊でない限り。
――――――――頼んだよ、彼のこと。
その言葉は楯無には聞こえなかった。
話が進んでない? すいませんm(__)m
次回からは楯無さんの出番だぜ! ようやくメインヒロインが出てくるのか……。
次回も見てくださいね!