「なんなんだ、一体」
箒は呆然としていた。目の前で繰り広げられている光景に目を剥いて、閉口している。
彼女の視線の先には二つの影があった。目にもとまらぬ速さで駆け抜けていく一方の影と、それを炯眼で射ているもう一方の影。一方の影が動き、もう一方の影へとぶつかっていく。ぶつかっては、離れ、ぶつかっては離れ。それを再三と繰り返している。
妖刀と呼ばれる人外の化け物。人間離れした身体能力で壁や地上を疾駆し、新しく現れた獲物を仕留めようと鋭く尖る牙をむき出しにする。だが、ISをまとった一夏ですら苦戦したその一撃を、対する宗玄はいとも簡単に真剣の一振りのみで受け止めていた。
鋼鉄のように硬化した妖刀の皮膚が、刃と衝突し小さく火花を散らした。
「ほう、その身体。やはり鋼のように固い。我が愛刀でも断ち切れぬとは、相当なものだ! 感服するぞ、物の怪ェ!」
宗玄が嬉々として咆哮した。久しぶりの大敵に出会えたことに嬉しさを感じつつ、その力強さに驚愕していた。期待以上だ。
鍔迫り合いに近い状態で均衡を保っていた二人だったが、しばらくするとお互い距離を取るように後ろに下がった。そして、再び肉薄し渾身の力で己の腕を振るった。二つの得物が重なる。その衝撃はまるで空中で地震が起こっているかのようだ。空気を伝って、肌を刺してくる。
「そ、そうだ! 一夏!?」
思いだしたように、箒が叫んだ。おおよそ現実とは思えない戦闘を繰り広げている両者に唖然とし、箒は大切なことを忘れかけていた。
彼女の足元でぐったりと倒れている一夏は、どうやら自力で立ち上がることすら出来ないようだった。苦しそうに顔をしかめている。しかし、そんな表情とは裏腹に彼の瞳はまっすぐに目の前で戦う二人に向けられていた。
「大丈夫なのか、一夏!?」
「だ、大丈……夫だ、箒。いつもの発作だから……すぐに収まる」
「いつものって……! お前、どうしてっ!」
言わなかったんだ、という箒の言葉は一夏によって遮られる。
「大丈夫だ。軽い……もうすぐしたら、よくなるから……さ」
「やせ我慢も程々にしろ! どう見ても、お前は大丈夫じゃない! 呼吸も浅いし、脈も乱れてる!」
「……」
「私が悪かった。体調がすぐれないお前も、無理言って連れ出したりなんかして。そうしたら、こんな事件に巻き込まれることなんかなかった。お前が苦しむこともなかった」
目を伏せ、申し訳なさそうに俯く箒に一夏は何か言葉を紡ごうとした。だが、出てこなかった。確かに、箒の言う通り自分の体調は万全ではない。むしろ、最悪だ。
自分の体調不良を保健医は単なる「睡眠障害」だと結論付けていたが、一夏は直感でそうではないと思っていた。一夏がこの『発作』を起こすのは決まって、ISに乗った後だった。最初はほんの違和感程度だったが、回を重ねるごとにそれは増していき、セシリアとの模擬戦時には意識障害すら起こし始めていた。まるで身体が何かを拒絶するように痙攣や吐き気、頭痛を催すのだ。
睡眠障害の治療の一環として、一夏はしばらくの間ISを操縦することを控えていた。激しい運動は駄目だと釘を刺されていたからだ。すると、やはりその間発作は一度たりとも起きなかった。そして、この現状だ。
(この発作はISに乗るから出るのか? まさか、そんなこと……でも、それなら次にあいつらが襲ってきたら、誰が戦うんだ? あのおっさんか? それとも、ほかの誰かが来るのを待ってろってのか?)
ようやく事態を把握し始めた一夏だが、それとともに焦慮もまた胸の内に積もり始めていた。確かに一夏は今、立つことすらままならない状態だ。こんな状態で戦闘を行うなど言語道断である。何もできず、殺されて血をすすられるのがオチだ。それならば、大人しく逃げるのが最善の手といえた。その先にある未来が死に近いものだったとしても、フラフラの状態で立ち向かうよりも遥かに生き残れる可能性は高くなる。馬鹿な意地を貫いて死ぬよりも、よっぽど賢い選択だ。
利口な人間ならば、ここで下す判断は選択の余地などはない。決まっている。
「逃げよう、一夏。幸い、あの化け物はあの男が抑えている。チャンスは今しかない」
一夏を起き上がらせ、箒は肩を貸すような格好になった。これなら、体格差のある一夏をどうにか運んでいける。
しかし、現実はそううまくはいかない。
一夏たちは派手に動きすぎた。宗玄もそうだ。派手な戦闘を繰り返せば、当然のように周囲に自分たちの居場所を知らせることになる。そして、それを察知するのは一体誰なのか。逃げ惑う市民たちか、それとも救助に駆け付けてきた者達か――――――あるいは、人ではない何か、か。
二人の視界に入ってきたそれは、まさに吸血鬼と呼ぶにふさわしい風貌をしていた。先の妖刀と同じく、鋭く伸びた牙に血走った眼。ギリギリまで開かれたその目は、もはや正気のかけらも介在してはいない。狂った者だけが帯びる、尋常ならざる気配。それがそこにはあった。
体格から見て男だろう。それもかなり二枚目な顔をしている。それが今や返り血で、醜く無残なものへと変貌を遂げていた。
男が声を発した。男とは思えないほど高く、響くような声だ。それはもう言葉ではなく、雑音に近かった。
「箒っ!」
男が瞬く間に、眼前に現れた。移動の初速が速すぎて、箒の動体視力ではその動きを感知することもできなかった。それはもはや疑似的な瞬間移動といっても過言ではない。敵の意識が追いつけない速度で接近する。認識できない時点で対処のしようはなく、ようやく意識が追いつた頃には敵の位置は目と鼻の先だ。今の箒はまさにその状態に陥っていた。
油断していたわけではない。ただ、現実の速度に箒の主観が追いついていないだけだ。人の身体は脳から発せられる電気信号によって、初めて動くことを可能とする。電気信号が発せられ末端に届き動きが起こるまでのタイムラグ、それが即ち個々の反射神経の速度の差だ。妖刀はこのタイムラグが異様に少なく、かつ強靭な肉体を持つからこそ、あの異様な速度を得ることが出来ていた。
そして、もう一つ。箒がその男を認識が追えなかった理由がある。
動体視力。動くものを見分ける人間だけではなく、動物のほとんどが持ち合わせているであろう能力。素早く動く物体を認識し、意識を追随させる。極めれば、最高速度で走り抜ける自動車のナンバープレートだって正確に視ることだって出来る。
脳は大抵の場合、五感で感じ取った感覚を頼りに肉体に信号を発している。誰かとぶつかりそうになる情報を視界から受け取れば、すぐさま「避けろ」という命令を身体に送り、身体はそれを忠実に実行するのだ。コンピュータで例えるなら、脳はCPUであり、五感は入力装置、そして身体は出力装置といえる。
だが、動体視力にも個体差は当然あった。いくら反射神経がずば抜けていても、相手を捉えきれないのでは宝の持ち腐れというものだ。認識してから動くまでは速い。だが、認識するまでが遅いのではとどのつまり、意味がないのだ。箒の主観で男が瞬間移動をしたかのように見えたのも、これが原因だった。動体視力が追いついていないばかりに、対応が遅れ致命的なミスへと繋がった。
箒の意識がようやく男を認識したのは眼前にまで迫られた後。ここまで接近されれば、いくら反射神経がよかろうとも避けることは不可能だ。
ただ唯一。彼女以外、その肩に体重を預けていた彼以外には不可能だった。
気づいたときには突き飛ばされていた。どこからこんな力が出てきたんだと思えるくらい、力強く肩を押された。身構えても、意識もしていなかった。そのせいで箒はいともあっさりとその頬を地面につけた。頭を身体を強く打ち付けるが、そんなことは関係ない。どうなっている。今、何が起こった。
混乱していく思考の中、箒の脳がある情報を視界や聴覚から得ていた。それと同時に彼女の脳から肉体へ電気信号が送られた。一つは目を見開け、という命令。一つは喉から声を出せ、という命令。そして、電気信号ともう一つ脳が発生させたものがあった。
「いっ、い、い……一夏ぁあああああああ!!」
恐怖。愛する者を失うという恐怖が、箒の全身を駆け巡っていく。
一夏の胸が貫かれていた。
* * *
黒くて、暗くて、どこでも続く闇のような空間だった。上か下か、それとも右か左か。自分がどの方向を向いているのか、逆さまになっているのか。はたまた、自分は浮いているのか、地に足をつけているのか。それすらもわからない。何もわからないまま、気付いたときには一夏はそこにいた。
何故自分はこんなところにいるのだろう。そう思い、記憶を掘り起こしてみた。確か、自分達は日曜日にショッピングモールへと出かけていた。そこであの奇妙な化け物たちに襲われ、やむなくISで戦闘を始めたのだ。だが、ある程度過ぎたところで、近頃は鳴りを潜めていた例の『発作』が起こってしまった。それで一夏は戦闘不能となり、箒も化け物を前にして絶体絶命というときに、颯爽と現れたのが「柳生宗玄」と名乗った峻厳な顔つきの男だった。宗玄はとても生身とは思えない身体能力で妖刀と渡りあった。一夏たち二人を放っておいて。その隙に箒が逃走を図ろうとしたところ、頃合いを見計らったようにもう一匹の化け物が二人の前にやってきたのだ。その時、一夏は咄嗟に箒を突き飛ばした。身体が勝手に動いていた。
「ああ、そうだ……俺、死んだのか」
思いだした。箒を突き飛ばした瞬間、一夏の胸に化け物の腕が突き刺さったのだった。そこから意識が途切れて、今に至るというわけだ。なるほど、ではここが古来より伝わる地獄、または天国と呼ばれる場所なのだろうか。地獄ならば想像とは違うが納得いくが、天国ならばがっかりせずにはいられない。もっと白く、楽しげな場所を想像していただけにその度合いは大きい。
もっとも、ここが地獄であろうが天国であろうが、一夏が死んだ事実には変わりはなかった。そういえば、あの後箒はどうなったのだろう。きちんと逃げおおせることが出来たのか、それとも奮闘虚しく今の自分と同じ状況にいるのだろうか。
どちらにせよ、自分はもう死んでしまった。彼女がどうなったか。知る術も、権利もない。ただの亡霊だ。
「本当にそう思うか?」
不意に声が聞こえた。聞き覚えがありそうで、ない声。暗闇で上下左右もわからぬ状態で、一夏はその声に耳を傾けた。ここが地獄なら鬼、天国ならば天使といったところだろうか。どちらが来たところで、卒倒する自信はあった。何しろ、想像の産物だと思っていた存在に会うのだから当然だ。
だが、声の主は一向に現れる気配がなかった。代わりに声だけが、反響しているように全方位から聞こえてくる。
「本当に箒をあのままにしていいと、お前は思ってるのか?」
問いかけだった。一夏は数秒考えてから、ああ、と曖昧に言葉を濁した。いいはずがない。箒は化け物に対抗するための手段を持っていないのだ。そんな人間があれと対峙している状態で、生き残れるはずがなかった。運が良くて、宗玄が助けてくれるという可能性もあるが今日会ったばかりの男に期待などしても無意味だ。
「嘘は良くない。本当は今にでも駆けつけて、あの化け物を殺したいはずだ。織斑一夏。もう一度、質問を変えて問うぞ?」
少しだけの空白。
「お前に、箒を仲間を友達を――――――――皆を守りたいという想いはあるか?」
一夏は返答に窮した。まさかこのような問いかけだとは思いもよらなかった。少しだけ面喰っていた。
返答の意を図りかねる。彼は一体どのような意図があって、この質問を投げかけているのか。だが、もしも。彼の問いかけを文字通りの意味で解釈していいのであれば。
一夏の問いはとっくに決まっている。
「当たり前だ」
「なら、もう一つ答えろ。一夏、お前に」
――――――――――全てを背負う覚悟はあるか?
「全てを背負う覚悟……」
男の言葉に一夏は黙り込んだ。その言葉になぜか大きな意味を感じてしまった。その言葉が示す何かを直感的に理解してしまった。
この男が何者かは知らない。ただ、どことない親近感がそういった他人という感覚を取り除かせている。まるで昔から見知った人物と話しているようだった。だからこそ、彼が何を言いたいのかわかってしまう。長年付き合った人物の考えがある程度読めるのと同じように。この男が何を言いたいのか、一夏には何故だかわかってしまっていた。
全てを背負う覚悟。それは力を持った者、全てが所有する諸刃の剣だ。誰かを守るために得た強大な力でも使い方を一歩でも誤ってしまうと、誰かを傷つける力となる。守る力がいつしか、その者を苦しめ殺す力となる。まさに諸刃の剣。それが力の本質だ。使い方次第で悪魔にも、救世主にもなれる。蛇に唆され禁断の果実を食べてしまったアダムとイブのように、人はそれぞれ己の中に悪魔を飼っている。その囁きに耳を貸したその瞬間、人は理性という枷を破り、悪魔となるのだ。
この男は皆を守りたいという一夏に、自分が悪魔になるかもしれないという未来を背負う覚悟はあるのか。そう訊いている。
力に溺れ、誰かを傷つけているかもしれない未来の自分。それを隣に潜めたまま、お前は皆を守り抜くことが出来るのか。この男は一夏にそう問うている。
「お、俺は……」
顔を下げ、視線を彷徨わせる。頭では答えはもう出ていた。しかし、それを口に出そうとするとどうしても喉につっかえてしまう。先と同じように「当たり前だ」の一言が出てこない。覚悟、という二文字が持っている重大さがまるで現実になって肩に圧し掛かっているようだった。
覚悟なんて知らない。一夏はまだ本当の意味で「覚悟」を決めたことはなかった。だから、彼がいう「全てを背負う覚悟」がどれほどのものなのか想像すらつかない。だけど、わかってしまう。直感的に、感じてしまうのだ。まるで誰かに無理やりその思いを植え付けられているかのように。
「まだ、無理か」
そんな一夏の逡巡を察した男は、残念そうに息を漏らした。
「まぁ、お前にはまだ早かったんだろ。また、次の機会に聞かせてもらうよ。お前の覚悟とやらはな。それより今は――――――」
そう言って男の声が途切れた。そして、その直後だった。不意に背後から腕を何かに掴まれた。
ぞっとして振り返る。そこにあったのは黒い腕だった。無数の黒い腕が、一夏の背後で蠢ていた。
「な、なんだ……これっ!?」
「最初の質問答えられた報酬だ。千冬姉の思惑通りになるのは癪だけど、仕方ないな。今の状況は迷ってる場合じゃない」
黒い腕の群れは背後からだけではなく、下からも上からも迫ってきていた。掴まれて、周囲に広がっている暗闇へと引きずり込まれていく。闇はまるで水面のように、波を立てていた。そこから突き出された腕の数々は、見た人すべてに恐怖を覚えさせること間違いない。それは一夏もまた例外ではなかった。
もがき、何とかして脱出を試みようとするが思いの外腕の力が強くて拘束から抜け出せない。
体が徐々に闇の水中へと浸かりだした。冷たさは感じない。ただ、水に浸ったという感覚だけは服の上からでも容易に感じ取ることが出来た。重くなった服が肌に張り付き、一夏の動きをさらに鈍くさせる。
「自分の意識をしっかりと保て。己を見失うな。お前が織斑一夏だ。そのことだけは絶対に忘れるな」
男の最後の言葉を聞き届けてから、一夏の身体は意識もろとも闇の底へと沈んでいった。
* * *
愛刀を振り回し、戦場を駆け巡っている。それだけで宗玄は途轍もない昂揚感に見舞われていた。生きている実感があった。生と死の境目にいるこの緊張感こそ、武士として自らが追い求めてきた居場所だ。隣に死を感じ、同時に生を感じる。それが柳生宗玄という男を武士たらしめる部分だった。
相対する敵は妖刀という、以前は存在しなかった化け物。宗玄自身は初めて見るわけではなかったが、こうやって真正面からぶつかり血肉を削りあうのはこれが最初だった。地上においては生身でISと同等の機動力を有し、その肉体は鋼の如き硬度を持ち、ありとあらゆる損傷を修復する力を持っている。はっきり言えば、人間が戦えるレベルの話ではない。玄兎も楯無も一夏もISを纏った状態で、妖刀に苦戦を強いられていた。その事実だけでも、妖刀の脅威は相当なものだと判断できる。
条件が重なればISすらも凌駕出来る妖刀の力だが、真に恐ろしいのは彼らではない。
そんな妖刀にただの人間が生身で、しかも互角に渡り合っているということこそが異常なのだ。常人離れした動体視力と反射神経を持つ玄兎ですらも、ISのハイパーセンサーなしでは動きを追うことがやっとの妖刀と対等に戦うなど、芸当も甚だしい。もはや彼も人の枠を超えている。
もう何度目か。再び肉薄せんと迫ってきた。それを宗玄は腰を低くし、刀の切っ先を妖刀に向けたまま腕を引いた構えで迎える。
衝突。
互いの全力を以て、その一撃を撃った。妖刀の手刀が目にもとまらぬ速さで宗玄に迫る。常人ならば認識することすらままならない時間の彼方の出来事だ。だが――――――――彼は普通ではなかった。
「柳生慧眼流四の型『鬼灯(ほおずき)』」
次の瞬間。目標を穿いたのは妖刀の手刀ではなく、宗玄の愛刀だった。
妖刀の鋼鉄にも等しい腕と宗玄の刀。その二つが交錯すると思われたその直前、宗玄が引いていた腕を唐突に前に突き出した。そこで生まれたのはほんのわずかな差だった。引いた刀の切っ先が、敵の得物と重なる直前で一気に前へと突き出す。それが柳生慧眼流四の型『鬼灯』だ。ギリギリまで敵を引き付け刀を引いておく分、技を繰り出した瞬間刀のリーチが伸びたように錯覚する。当然、相手は刀の急なリーチの伸縮に対応できず、餌食となる。攻撃の最中、それも攻撃が敵に命中するかどうかの瀬戸際である。いわば、攻撃がピークに達した瞬間だ。例え、妖刀の身体能力でも咄嗟に攻撃を中断し、避けることは出来ない。
結果、宗玄の放った刃はわずかな空間の隙間を縫うように突き進み、妖刀の喉を正面から貫いていた。対する妖刀の一閃は彼の頬の肉を抉り取り、鮮血を迸らせるだけで終わっていた。
「うがぁうがっ!」
「この状態でもまだ生きているのか。しぶといやつだ」
喉を穿たれ声をすらかすれている妖刀に宗玄はニヒルに笑った。その生命力に感嘆しながらも、愛刀を握る手により一層力を込める。片手だけではない、持て余していたもう一方の手も愛刀の柄に添えた。
「物の怪よ。楽しい戦いであったぞ。久しぶりに血が滾った。心から礼を言わせてもらおう。これはその礼のついでだ。冥途の土産として、持っていけ」
引き抜きはしない。飽くまでも敵は人ではない化け物。喉に風穴を開けたぐらいで死ぬような連中ではなかった。ならば、徹底的に殺すのならばやっておかなければならない。もう二度とその足でこの地を踏めぬように、この空をその目で拝めぬように。
まずは縦へ一文字に切り裂く。強引に全体重で刃を圧し、その圧力を以て切り伏せる。喉から一気に下半身まで裂かれた妖刀はその身から断末魔の悲鳴を上げていた。血しぶきが飛び散り、宗玄の顔を濡らす。
だが、これで終わりではない。妖刀を相手に情けは無用。徹底的に破壊しなければ、奴らはゾンビのように再び立ち上がり襲い掛かってくる。ならば、身を守るためにはこの過剰な攻撃も致し方ないことなのだ。宗玄はそう自分に言い聞かせ、この〝不要な一振り〟への悔いを断ち切った。
そして、先の一撃でボロボロになってしまった愛刀に一瞬だけ目をやると、宗玄は「すまぬ」とそれに向かって小さく謝罪し、再びその刃を上へと向けた。そのまま、いまだ繋がったままになっている頭部をめがけて腕を振りぬいた。
身体を真っ二つに切り裂かれた妖刀の胴体が、粘着質な音を立てて倒れた。辺りには血が脳漿が、水溜りのようになっていた。その光景を見て、宗玄は静かに瞑目した。
黙とうをささげ、死者を弔った。化け物とはいえ元は人だった者達だ。何の罪もない一般市民。それがこの世界の勝手な都合で醜い容姿に変えられ、殺された。それが宗玄には腹立たしい。妖刀を殺した後はいつもこうだ。戦闘中にあれほどまで感じていた喜びは、終わればいつも哀しみと虚しさに変わる。自分が奪った命の大きさを想像すると、自らが背負う罪がどれほどのものか再認識させられる。切り伏せた未来がどんなものだったのか。それは途方もないものだと、宗玄は思う。故に負けることは許されない。自分はこの双肩に、幾重の人々の奪った未来を背負っているのだ。理不尽な世界に翻弄された者達を、無慈悲に刀でねじ伏せてきた。そこにどんな事情があれど、亡くなった者を取り戻すのは出来ない。だからこそ、宗玄は背負う。奪った者の責任として、武人としての誇りにかけて。
「お前らが死んだ事に意味があるわけではない。だが、それは決して無意味でもいいというわけではない。私が生きていることで、意味を成すのだ。俺を生かしたという意味を持つのだ。だから、安らかに眠っていけ。お前らの未来、あとは俺が受け持とう」
宗玄のその言葉を最後に、妖刀の肉体は朽ち果てた。まるでその一瞬で時が何百年と流れたようだ。砂礫となって肉体の欠片すらも、残ってはいなかった。
それを見届けてから、宗玄は視線を後ろに移した。そして、瞠目した。
「いっ、い、い……一夏ぁあああああああ!!」
箒の悲痛な叫び声が木霊した。掴み損ねた彼の腕に手を伸ばそうとしているが、彼女が掴むのは何もない虚空だけ。悲しいかな。織斑一夏は彼女を庇って、その腹に妖刀の手刀を受けていた。真剣すらもはじき返す強度を持つ妖刀の肉体。それから放たれる手刀はまさに抜身の刃のそれと同等の脅威だ。それを軟弱な人間の身体で真正面から受けたとなれば、導き出される結果は一つしかない。
恐らく腹部を貫いた一撃が致命傷だろう。その大きく開いた傷口からは真っ赤な血が塊となって、吐き出されている。痛々しい姿だった。だらりと力なく垂れ下がった腕に、俯くように垂れている頭部。そして飛び散った血の数々は、まるで織斑一夏という人物を構成するすべてが彼の血で染め上げられているようだった。
(織斑一夏……最後の最後まで柳韻の娘を己が命を以て守るか。皮肉だな。まるであの時と逆だ。そうまでして、柳韻の娘を守るというのか、お前は)
瞼の裏に蘇ってくる光景が、目の前で展開されている光景と重なる。――――――――人や世界が変わっても、個人に決定づけられている運命は覆られない。あの日、壊れゆく世界で聞いた言葉が耳の内側に広がっていく。
今ならその意味が一片だけだが、理解できる。だからこそ、宗玄には忸怩たる思いがある。別段、彼女らに強い想いがあるわけではない。宗玄の抱く思いはまた別件であり、彼女らはそれと遠からず繋がっているだけである。では、何を宗玄にそのような思いを抱かせているのか。
「……やはり、お前の言うように運命とやらは変えられぬのか?」
圧倒的な存在に対する敗北感。この何十年間、それと相対するために鍛え上げてきた技術も肉体も、全てが否定されたような感覚が宗玄を襲っていた。虚しい気持ちが胸を突き抜けて、流れ去って行った。
彼の呟きは静かに虚空を駆けていく。この世界のどこかにいるその相手に向かって、飛んでいくのであろうと思うと、自然と手に力がこもった。刀がかたかたと音を立てた。武者震いだった。どこにいるかもわからない強敵を相手に、遅れて興奮が湧き上がってきた。
変えられぬ運命、不可避の宿命。いい響きではないか。強力な力を持つ者との死を隣り合わせにした闘争こそが、宗玄が望んでいたものだった。生と死は表裏一体だ。生を感じれば、死を感じ、死を感じれば近くには生を感じられる。生という実感を得るために、死をより近くに求める。宗玄は狂信論者ともいうべき人物であった。
この世界はその舞台を綺麗に整えてくれている。彼の求める闘争がある。生があって、死がある。
「上等だ。宿命は変えられぬ。ならば、その宿命とやらを存分に味わいつくすまでよ! なぁ…………そうだろう」
宗玄が再びその雰囲気を変えた。霊山のような修験さと厳かさを感じられた先とは一変して、今や肉食獣のように獰猛な光をその双眸に宿している。その視線が捉えているのは、変わらず妖刀の腕を腹に通している一夏とそれをただ茫然自失と見ている箒である。
だが、異変はあった。あり得ない。誰しもがそう思うであろうことが、その場で起ころうとしていた。
「うっ、うっ、うぅうぅぅうぅぅっぅぅぅうぅぅぅぅぅ」
「い…………い、一夏?」
動いたのだ。腹を穿たれ、致命傷を受けたはずの織斑一夏が動いたのである。しかし、どうやら様子がおかしい。動物じみた低いうなり声をあげ、一夏が垂れ下がっていた腕を持ち上げた。相変わらず力ない動きだった。そんな彼の動きが何を意味するのか、この場で見抜いていたのは宗玄だけだったに違いない。その兆候を肌で感じ、すぐさま宗玄は臨戦態勢に入った。
この感覚は、きっとあの時同じだ。全身の粟立った肌が、武者震いをしている。
宿命からは逃れられない。ならば、きっとやってくると思っていた。
「再度、この世界で目覚めるか、鬼よ!」
彼の歓喜の叫びが喉を震わせ、音となった。一夏の身体にはっきりとした変化が現れ出したのは、それと同時だった。
「アゥ?」
彼の腹部に腕を入れたまま、妖刀は首を傾げる。何かがおかしいと気付く。だが、それも遅かった。
ぐちゃり。粘着質なものが飛び散るような音だった。聞くだけで人を不快にさせるその音は、妖刀の耳朶を打ったが、その発信源は思いのほか近い場所だった。頭部である。妖刀の広い額の中央から、骨振動を伴って聞こえてきたのだ。垂れてくる血液、飛び散った脳漿、途切れ途切れにブラックアウトしては戻る意識に修復されていく傷口。何が起こったのか。妖刀の理解が現実に追いつくよりも、妖刀の視界にはその原因と思しき物体の影を捉えていた。
黒い刀身。それが妖刀の額を穿いているものの正体だった。正常ではない意識下で、その刀身から柄へと視線を移していく。
笑う顔。腹に穴を開けられている者の表情とは思えないほどの、愉悦に塗れた笑顔だった。そこに織斑一夏はいなかった。ただ、恐ろしい〝何か〟がいた。
次の時、妖刀の顔が跡形もなく消し飛んだ。噴き出す血と弾ける肉片が、その場にいた箒と一夏を通り過ぎて、遥か後方へと落ちていく。頭部を失った肉体がゆっくりと重力に引かれていった。いくら異常な回復力を持つ妖刀であろうと、脳がある頭部を完膚なきまでに破壊されれば終わりだった。これでこの妖刀は二度と起き上がって、人を襲うこともないだろう。砂礫となって、風に流され消えていった。
妖刀が倒れたことで、自然と一夏の腹から異物がずり落ちていった。しかし、そこから流れ出すべきものは一向に流れ出しはしなかった。血液である。彼は腹を貫かれていた。それは致命傷であり、本来であれば死亡していてもおかしくない。だが、今の一夏からは腹部の血どころかそこにあったはずの傷口すらなかった。あるのは、何かを焼いているような音と湯気のような煙だけである。あとは何もない。あたかも、傷などなかったと言わんばかりだった。
「一夏……?」
「離れろ! 柳韻の娘!」
立ち尽くし、一言も言葉を発そうとしてない一夏に箒が不安げな声をかけた。立ち上がり、近づこうと一歩前に足を踏み出した。宗玄の野太い声が聞こえてきたのは、そんなときだ。しかし、これが命取りだった。意識が一瞬だけそちらへ持っていかれ、いささか反応が遅れてしまった。一夏の行動にである。
一夏の手に有ったのは、見たことない一振りの刀だった。雪片のようにも見えたが、どことなく違う。色は純白ではなく、その全くの逆の漆の色のような黒である。その禍々しさときたら、妖刀と相対したときよりも大きい。正直、異質だと箒は思った。
その、黒い雪片を持った一夏が徐に腕を振り上げた。
「え――――――?」
疑問を口にする暇すらなかった。振り落された黒い雪片が箒の眼前に迫ってきたのだ。空かさず飛び込んできた宗玄がいなければ、今頃箒はあの化け物と同じ運命を辿っていたかもしれない。宗玄の屈強な腕に抱かれた箒は、激しい振動をその身に受けた。呆然としたまま、数メートル転がったところで箒を襲っていた振動がやんだ。
「相変わらず、行動原理がわからんやつだ。さっきまでと行動が矛盾してるぞ」
腸に溜まった毒を吐き出すように宗玄が嘯いた。その声はどこか苦々しい。よく見ると、肩のあたりが血で濡れていた。
「け、怪我して……!?」
「案ずるな。かすり傷だ。むしろ、四肢や眼をやられなかったことを喜ぶべきだな」
嘆息し、宗玄はその眼光を再び一夏へと傾けた。
「あれを相手取るとなると、ちと骨が折れるな」
苦虫を噛み潰したような表情だった。本来ならばこの巡り合せは宗玄にとって、最高のものだっただろう。しかし、今は箒がいる。守りながらだと、いささか戦いづらいのだ。
そんな宗玄の胸中もいざ知らぬ箒は、しばらくの動揺を置いて、
「……そもそも、貴方は誰ですか」
と言った。
今更か、と宗玄は肩透かしを食らったように肩を落とした。宗玄は箒を知っている。だが、それは一方的に見識としてあるだけだ。こうやって直に会うのは宗玄も今日が初めてだった。故に箒の疑問は当然の帰結だった。ただ、そういった疑問が浮かんでくるほどには彼女も冷静さを取り戻しているようだった。
「柳生宗玄だ」
短くそう答え、宗玄は立ち上がった。もともと彫りの深い顔立ちをしている彼だが、この混沌とした現状に眉をひそめた表情をしていると、それがより一層強く顔に出る。峻厳な山を彷彿とさせる、重々しい顔だ。
「篠ノ之箒、です」
まだうまく頭の中を整理できていないのだろう。たどたどしく箒が言った。「知ってるさ」とは宗玄も言わなかった。代わりに一言、「彼奴らしい名だ」と言った。そこには複雑な感情が込められているような気がした。感慨深そうで、昔日を懐かしんでいるような穏やかな声色だったのである。
不思議と箒にはこの男が、赤の他人には思えなかった。誰かに似ている。そう思った。それが誰なのかははっきりとはしない。が、それでも箒の中では柳生宗玄という男の印象がはじめとがらりと変わりつつある。
一時ばかり、信用してもいい。そう思い始めていた。
(暴走か。ルイスの言っていたことが、ここにきて的中したな。しかし、また面倒なときに)
「一夏は、一夏は一体どうなって……?」
不気味なほどに仁王立ちに動かぬ彼を見やりながら、箒は訊いた。まだ完全に信用しきっているわけではないが、他に人がいないのである。
「暴走だ」
彼の答えはまた短かった。要領を得ている人物なら、まだこれで話が通じたであろう。だが、箒は事情の「じ」の字すら知らない一介の学生だ。これでは首を傾げて、再度問い返すほか出来ることがない。
そして、宗玄もまたこういった類の説明が不得意であった。幼き頃から武芸一筋の、現代男児にとって類を見ない人生を送ってきた宗玄だが、昔からどうにも口下手であった。快活な性格とは裏腹に、理詰めが苦手で、面倒なことになると「やってられん」と放り出してしまうのである。まるで子供の我儘を、今もなおその肚に収めているような、そんな人物だった。
とにかく、彼は箒になんと説明したらよいものか、と思案した。そして、すぐさままどっろこしい理屈を捨て、
「要するに、あいつが持つISが暴走している。自分が持っている力の本質を知ろうともせず、行使し続けてきた結果が、この様よ」
掻い摘んで、知っていることを話した。もうこの際、ルイスに釘を刺さされていた「禁則事項」なぞくそくらえ、という心持だ。
おかげで箒も、
「ISが暴走?」
という風に更なる困窮を深める事態となっている。悪化しては元も子もないので、この点宗玄は失敗したといえるだろう。とはいえ、箒は馬鹿ではない。断片な情報から、幾つかのキーワード程度は掴んでいた。要するに、一夏がああなった原因は白式にある。詳しいことはもはや不明だが、そのことだけは先の発言から明確に読み取ることが出来た。
しかし、そうなるとまた違う点に疑問が浮き上がってくる。
ISが暴走する、という話はまだ現実味がある話だ。ISが世間一般的に認知された今の世の中。その手の事故が起きたことないといえば、嘘だ。開発初期は大いに発生していたし、一時期世界的な問題となったこともある。だからこそ、宗玄の言ったISの暴走という点には何ら疑問を感じられなかった。
問題なのは、暴走した結果がもたらす状態のほうだ。
「ぼさっとするな。理解したのなら、即座に踵を返して逃げろ。そして、二度とこの場に現れるな」
箒の思考の糸をさらに広域に巡らそうとしたところで、宗玄の言葉がそれを遮った。存外な口調の宗玄に咄嗟の反論を口に出しそうになった箒だが、現状と彼の意図に気付き仕方なく噤んだ。ここは大人しく従うほか道はあるまい。
「信じても」
「安心しろ。五体ぐらいは満足で返してやる」
それを聞いて安心――――――――は出来なかった。五体満足で返ってきても、死んでいれば意味がないからだ。言外に発せられる不吉な言葉に、箒は多少顔をしかめたが、彼の真意を確かめる間などなく、悔しさを噛みしめながら頷くしかなかった。
「一夏を頼みます」
後ろ髪を引かれる思いで宗玄に背を向けた箒は、そう言うと一目散に走り去ってしまう。
「行ったか」
箒の姿が見えなくなるのを確認して、宗玄はもう一度明確な敵意とともにその視線を一夏へと戻した。
そして、そこまで不動を保っていた一夏が徐に顔を上げた。虚ろな瞳に、狂気を宿したその双眸はもはや人間というより、妖刀のそれに近い。
「案ずるな。娘っ子は、もうどこかへ行ってしまった。ここにはお前と俺の二人しかおらん。これでお前も俺も、気兼ねなく暴れられるさ」
まるで古い知己に話すような口ぶりで、宗玄は言葉を紡ぐ。
「お前は忘れただろうが、俺は覚えているぞ。この今は無き左腕の傷。あの痛みも、屈辱も。加えて、お前の慟哭もな」
「…………ハァァァ」
低いうなり声とともに、一夏の身体に残像のようなものがまとわりついた。彼の身体を覆うように、黒い何かが現れていく。それらはまるで乱れた映像のように、薄くぶれてはっきりとは見えてこない。
だが、その虚ろな瞳に明らかな殺意が灯ったのを宗玄は見逃しはしなかった。
「あれから幾重の時間が流れたかは、知らぬが――――――――――この柳生宗玄。受けた屈辱は数倍にして返すと決めている。故に、今この場であの時の借り返させてもらおう」
たっぷりと息を吸い込み、宗玄は相好を崩した。獣の如き、獰猛な笑顔を浮かべる。
「命を懸けた、死闘をやろうぞ。織斑一夏!」
* * *
「始まったか……」
青い空を見上げて、白髪の青年は呟いた。感情も何も籠っていない、虚ろな声で青年は嘆息する。
「織斑千冬。貴方は何のために、戦う。彼女を傷つけて、殺しただけでは飽き足りないというのか?」
その問いかけに応える者はいない。代わりに吹き付ける突風が、彼の長い白髪を靡かせていく。
壊れていくこの世界を見るのはこれで二度目だ。酷く歪で、壊れていくその様はどこか非現実的で、理解しようとしても脳はそれを受け付けてくれはしない。
「だから、終わらせよう。あの駄神を殺して、僕が神になる。そして、今度こそ平安な世に作り直す」
――――――――――彼女が望んだ、世界を構築する。
天才で、そのうえで不器用で、人間が嫌いで、妹が大好きで、愛していた彼女の望んだ平安な世界。
「時間はないか……白夜叉は」
そう問いかける青年だが、彼がそれを言いきるよりも早く、答えはもたらされた。
『と、当然……!』
たどたどしい肯定の言葉に、青年は柔らかい笑みを顔に作る。
「もうすぐだ。もうすぐで、君が望んだ世界が創れるよ――――――――――束」
この世で最も愛らしい人物の名を呼び、青年は薄く笑った。
そして、再び新キャラが最後を締めくくるという……その新キャラの正体は次回で明らかに!