IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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第二十話 Reconstruction

「神皇ちゃん!」

 

「はいはい、わかってます、よっ!」

 

 楯無の声に、神皇が神速の太刀裁きで応じた。楯無の攻撃で身を翻し、跳躍した一体の妖刀がそこにはいる。それを上空で待ち構えていた神皇が、手に握る愛刀『血姫(ちのひめ)』で袈裟懸けに切り伏せる。大量の血しぶきを伴い断末魔の悲鳴を上げる妖刀だったが、落下のすれ違いざまに神皇が加えたもう一太刀によって今度こそ絶命した。肉がひしゃげる音が、神皇の着地直後、後方にて静かに響いた。

 

 それを背景音楽としながら、神皇は満足げに血の付いた血姫を手で拭った。もはや今日だけでどれだけ切り刻んだか。その度に血を手で拭うものだから、刃ば血の赤に少しばかり染まってしまっている。その名に『血』を冠するだけに、まるで血を啜っているように見る。なるほど、妖刀だ。そして、その刃に反射し映り込む自らの姿は、差し詰め赤眼の妖刀に憑かれた哀れな少女、といったところか。

 

 そんな自嘲に肩を竦め、神皇は血姫を粒子に変化させた。

 

 妖刀には不思議な力がある。人間離れした身体能力も、回復力も然り。だが、もう一つ特筆すべき点がある。

 

「相変わらず、この力だけはイマイチどういう原理か分からないですよねぇ」

 

 得物を粒子に変化させ、己が体内に留める。それが妖刀が持っている、最も特異な能力だった。

 超人的な身体能力や治癒の力はわかる。まだ、人の域を超越し、その延長線上にあるのだと(理由などは説明することもできぬが)強引に理解できる。だが、こればかりはどう足掻いても人の身で起こせる類のこととは、一線を画し過ぎていた。神皇の場合、血姫を自由自在に粒子に変化さえ、収納と展開が出来る。まるでISの粒子変換のような機能だった。

 

 とはいえ、この能力。すべての妖刀が扱えるのか、と言われればそうではないと神皇は言い切れる。証拠に、今日の大量発生だ。自然発生、ともいうべき今回の大災害で出現した妖刀のほとんどは武器も持たない素手だった。中にはそのあたりで拾ってきた鉄の棒やらを得物にしていたものもいたが、彼らには粒子変換などという本格的に人間圏外の力は使っていなかった。使っていたならば、もっと苦戦していたに違いない。

 神皇の中でも詳しいことは判明していない現状、言えるのはそこまでだ。神皇も妖刀としてのキャリアはそこそこだが、どうやって妖刀になったのか、血姫をどうやって得たのかという経緯が曖昧でよく憶えていない。そのため、ここまで玄兎や楯無が持ち合わせている妖刀に関する情報や知識は、その半数以上が経験と神皇の直感によるものだった。要するに、前者はともかく後者に関しては悉く信憑性が薄い。これが妖刀本人がいるにもかかわらず、いまだその情報が妙に欠けている原因だった。

 

「あら、私は便利だと思うけど? それなら、武器仕込む手間も省けるしね」

 

 さらっと恐ろしいことを口にする楯無に、神皇は苦笑する。対暗部用暗部という家柄の性質上、そういう意見も致し方ないのだろうが、しかしもうちょっとマシな意見はなかったものか。

 

 そんな楯無をしり目に神皇は辺りを見渡した。

 

「それにしても、静かになりましたね」

 

 少し前までは買い物客の悲鳴と怒号が混ざり合って、モール内に木霊していたが、今ではそれすらもない。静謐な空間へと成り果てている。その静けさがまた神皇の不安を煽ってくる。それに事件発生からかなりの時間が経過したというのに、一向に警察やら特殊部隊やらが来る気配がない。まさか、その手の輩が全員妖刀に殺されてしまったのか。だが、それはそれでパトカーのサイレンもヘリの音すらも聞こえないのは、一体なぜだ。

 

 小さな疑問から、更に噴出してくるのは巨大な疑問の数々。一度栓を開けてしまうと、それらは際限なく神皇の脳内を満たす。

 

「当たり前よ。もう随分と時間が経っちゃったし」

 

「それにしても、ですよ。だって、警察とか、普通だったら特殊部隊とか出張ってきたりしません?」

 

「あちらの方にも懸命な判断が出来る人がいた、ということでしょうね。彼らが出てきても、どうせ殺されるのが落ちでしょうし」

 

 神皇は首を傾げた。何か、何かが引っかかる。楯無と自分の間で、何か重要なことが食い違っているような気がした。

 

「疑問はほかにもありますよ」

 

 そう言うと、神皇は近くに転がっていた妖刀の死体を指さし、

 

「死体がいくらなんでも少なすぎます。私が知る限り、数十人単位で殺されているはずです。この耳と眼で確かめました。だけど、妖刀の死体が砂になって消えるという事実を除けば、普通人間の遺体なんてその場に残るはずです。何らかの理由で消失したとしても、跡は残るはず――――――――なのに、このショッピングモール内。いくら探しても、死体らしい死体は一つもない。血痕すら、ない」

 

 まだ整理しきってない脳をフル回転させながら、神皇は言葉を噛み砕きゆっくりと吐き出すように紡いだ。自分で意見を述べながら、改めて事実の衝撃さに眩暈を催した。

 

 あまりにも事態が非現実的だったので、そんな些細な現実的なところにまで意識が届いていなかった。恐らく、自分はこの異常さに薄々感づいていたはずだ。だが、心のどこかでこの非現実的な事態の影響下、どんな些細なこともあり得なくはない、という思いを持っていた。そんなわけがないだろう。いくら事態が非現実的であろうとも、起こっていることは紛れもない事実なのだ。現実なのである。故に、非現実的な事態が起きれば、それは異常であり、おかしいと判断せねばならぬ。それを放棄するということは、即ち現実から目を逸らすということ。思考を放棄することと何ら変わりはないのである。

 

 

 ――――――気づけよ、瀧岸神皇ッ! おかしいんだよ! 〝今、この瞬間がおかしいんだよ!〟

 

 

 違和感。妖刀の力が、人の域を脱した存在である神皇だからこそ、感じる漠然とした違和感がある。理由がわからない。だが、おかしい。何かがおかしい。

 

 楯無の悠長な発言か?

 

 それとも、死体とその痕跡の消失の謎か?

 

 はたまた妖刀が大量に出現したことか?

 

 違う、違う。そうではない。もっと根本的なところだ。

 

 神皇は今、視野狭窄に陥っている。視野を広げろ。もっと広い範囲で出来事を見ろ。この瞬間、今この瞬間どこか異常な場所はないか――――――――――俺は空が好きなんだ。不意にその言葉が神皇の脳裏をよぎった。

 

 

「……空?」

 

 

 ふと天を仰いでみた。そこには理由も、理屈も、何もない。ただ、何となくの行動だった。だったのだが。

 

「……なに、あれ」

 

 そう呟いたのは楯無だったか、神皇だったか。彼女たちが見たもの、それは無限に広がる空に映し出された巨大な二つの瞳だった。

 

 それを見た瞬間、二人の身体は鉛になった。足と地面が同化してしまったように、脚が動かない。そしてまた、それに伴ってか指も腕も手も、首も頭も眼も動かなくなってしまった。それも突然である。前触れもなく、あの空に浮かぶ不気味な眼を見た直後、二人は硬直し、楯無に至っては意識すら投げ出していた。

 

 一方で神皇は何とか意識を保っていたが、その視線はあの大きな双眸から離せない。釘付けにされてしまっている。

 ぎょろりと眼が動いた。通常の白い部分に当たるところが、黒ずんだ赤色をしているその眼は、その中央にある黒い部分に神皇の姿を捉えた。妖刀よりはるかに人間の埒外を行く、異形の化け物だった。

 

『レディースアンドジェントルマン! エー、テステス。聞いているか、有象無象の小僧ども。これより、管理者から有難ーいお詫びと、それについての有難ーいお話があるので、全員その場を動くんじゃねえ。繰り返します、これより管理者からのお詫びと、お話があります。全員その場から動くんじゃねえ』

 

 空が割れ、そこから男とも女とも取れない、逆にそのどちらでもあるような声がその割れ目から響いてきた。

 

『えーまず』

 

 神皇の思考は既に停止していた。そこには意識だけがぽつりと、正気を保っている。

 

『バグの大量発生について、だね。これはお詫びしても、しきれないから、君らには大感謝している。どうにもこの世界も寿命みたいでね、加えて最近やたらと妙な行動を起こしている輩がいてね。そいつのせいで、今日のシステムが異常をきたしまくりなんだよ! ああ、鬱陶しい! てなわけで、今回こうやって大規模な修正を試みたわけ。あんがとね、皆さま。おかげでだいぶマシになった。これでまだいくから持つ。くくっ、楽しみを無くしてしまったら、いやー、退屈だからねっ!』

 

 裂け目から響く声からは、感情とは程遠い何かが込められていた。魔力とでもいうべき、それは理解や意識の有無にかかわらず、神皇たちの頭を侵食、無理やり頭の中をかき乱していく。

 

『まぁ、いくらか余計なのが混じっちゃってるけど、いいんよねっ! どうせ、正常にシステムが作動しているなら、意識も記憶もないだろうしっ!』

 

 なおもふざけたトーンの何かは、言葉を、不快な声を発する。

 

『まぁ、私が主に任せられた仕事はそれだけ。ってなわけで、私は消えまーす、きえまーす。きえまー』

 

 ふざけた捨て台詞とともに、その声は消えていく。同時に空の割れ目も、二つの眼も忽然となくなってしまう。初めからなかったかのように、その痕跡すら残さず気付いたときにはもうなかった。

 

 あるのは神皇の荒い息遣いだけ。何度も酸素を吐き出しては、取り込もうとするがうまくいかない。口から吸いこまれてきた酸素は肺胞に届く前に、どこかに消えてしまう。いや、消えているのではなく、神皇が吐き出しているのだ。あまりにも浅く、荒い呼吸は酸素が肺に到達するよりも速く、次のサイクルを行おうとしている。そのため、結果的に酸素は肺に行く手前で外に吐き出され、再び吸い込まれているのだ。

 

 神皇はそれにすら、気付けないほど困惑していた。

 

 先のわけのわからぬ演説もそうだが、それ以前にもはや彼女の脳は彼女のものではなくなっていた。まるで別人の脳を移植されているかのように、次々と記憶と思しき映像をフラッシュバックさせてくるのだ。

 

 ――――――――血まみれの死体のそばにへたり込む自分と、そんな自分を心配そうに見つめるもう一人の少女。

 

 

 ――――――――罪の意識に苛まれ、そんな地獄から救ってくれた少年。

 

 

 ――――――――嫉妬に狂い、少年を刺し殺そうとする自分。

 

 

 ――――――――炎の中、泣き叫ぶ自分。

 

 どれも覚えのない映像ばかりだ。だが、そこに映し出されているのは自分であり、見知らぬ人物達である。知らないはずなのに、酷く懐かしく思う。郷愁にも似た感情が、神皇の意思とは別に溢れてくる。

 

「やっぱりか。瀧岸神皇、君には期待していたんだが……早まったかな」

 

 鈴の音色のような声が、聞こえてきた。それが彼女の耳朶を刺激し、震わせる。すると、突然今まで急流の如く流れ込んできていた記憶と映像が途切れ、身体にかかっていた硬直が解けた。踏ん張ることもできず、神皇はそのまま膝から崩れ落ちた。

 

「あらら、大丈夫かい? 君は普通じゃないからあれを見ても正気も記憶もかろうじて保ててるみたいだけど、ルイスたちみたいにこっちのキャリアが長くない。だから、耐性がない。よくもまぁ、発狂せずにいれたもんだよ」

 

 少女は倒れ込んだ神皇を感心するように、けたけた、と笑った。

 

「その点、君には素質があると思う。いい退屈凌ぎになる、素質がね」

 

「お、おま…………お前はッ」

 

「おお。無理するな。こちら側の正体など、すぐにわかる。焦るなよ」

 

 動かぬ身体に無理やり鞭を打ち、神皇は立ち上がる。

 重い。まるで肉体そのものが鉄で出来ているようだった。

 

「しかし、あのデカい目玉は急造のアナウンスシステムだったから、なにぶん出来が悪かった。私も見ただけで飽きた。聞いたら、もっと嫌になった」

 

「お前は、な、何者……だ」

 

「だから、直にわかるって。待つのも、また一興さ。君らにはとっておきの舞台を準備しているんだ。まだ先になると思うけど、まぁ楽しみにしといてよ」

 

 少女はまるでこちらの意を介さない。独り言を聞かせるように口を動かしていく。

 

「今日の事件はこちらの落ち度だ。だから、特別サービスとしてこっちも色々と修正しておいた。おっと、感謝はしないでくれ。どのみち、なくなる世界だ。どうせなくなるなら、派手にやりたい。そのためにもここで不具合を放っておくわけにはいかなかったんだ」

 

「な、なにを言って……ッ!」

 

「君らのお友達も全員無事さ。なぁに、心配いらない。君らは大事な暇つぶしだ。せっかく面白くなりそうなものを、みすみす手放すなんて無粋なことはしないよ」

 

 無邪気な笑みを振りまき、少女は言う。何を言っているのだ、この少女は。

 

「話の内容なんて、今は解らなくともそのうち理解が追いつてくる。まぁ、君がこれを覚えていれば、の話だが」

 

 意味深な言葉を吐き、少女はくすくすと小さく笑う。その仕草は外見相応に見えて、どこか不気味なものがあった。まるで少女の皮をかぶった化け物が少女を演じているような奇妙さと、少女の年相応のあどけなさが溶け合っているようだった。怖かった。得体のしれない者を前にして、神皇の本能が警告を発していた。この存在は、危険だと。関わっては駄目だと。

 

「さて。君への挨拶回りが済んだことだし、そろそろ帰ろうか……と思ったが、いいことを思いついた。これはいいや。面白くなりそうだ」

 

 少女は妙案が浮かんだとばかりに、しきりに頷いていた。そして、徐にその視線を神皇の隣、楯無へと移した。

 

 得も知れぬ悪寒が背筋を凍り付かせた。嫌な予感が神皇の中で弾けた。

 

「愛する者が突如として記憶を失い、赤の他人へと成り下がってしまう。そして、想い人だった人とは別の人へと恋をし、二人の仲は徐々に亀裂を生じていく。ああ、なんとも『ろまんちっく』で哀しきお話か。我ながらいい線行っている気がする」

 

 少女は笑いを堪えるように俯き、肩を小刻みに揺らした。しばらく、そうやって笑いを堪能した少女は目じりに涙を浮かべたまま、

 

「さて、そうとなれば実行あるのみだ」

 

 楯無に手を伸ばし、その華奢な手で彼女の頭を掴んだ。

 

「や、やめ」

 

「やめないよ? だって、面白そうじゃん」

 

「――――――――ッ!」

 

 彼女が何をしようとしているのか。神皇にはその欠片すらわからないが、ただ純粋に少女が何か恐ろしいことを実行しようとしていることだけははっきりと感じ取っていた。

 出来る出来ない、そんな次元の問題ではない。少女には出来るのだ、それが。記憶をけし、心を作り変えるという神の所業が。

 

 だから。

 

「じゃあ、更識楯無さん。ちょっと面白くなってね」

 

 何もできずに、ただ彼女が作り変えられようとする光景を見ていることしかできなかった。

 

 刹那でもあって、須臾でもある時の流れなかで、彼女は見ていることしかできなかった。

 

 楯無をつくりかえようとした少女を。そして、その少女の腕が吹き飛び、同時に彼女の胸に巨大な一本の大剣が突き刺さったという事態を、ただ見ていることしか出来なかった。

 

「あ、あれぇ……? どうして、君がいるのかな。ここは、直々に作った場所の……そっか。白夜叉か。彼女の力を借りたのか、それなら納得」

 

 胴を穿つ大剣をもろともせず、少女は首を傾げ、自らその答えを閃いていた。

 少女を穿いたのは、白い人だった。端的にはそう言うしかない。白く長い髪が靡き、純白な衣のようなものを纏っている。背後にいる神皇にはその顔を伺うことは出来ぬ。

 

「やはり、君も同じ穴の狢なんだな。わざわざ危険を冒して助けに来る辺り、そっくりだ。黒い方の君と、ね」

 

「…………口を開くな。殺すぞ」

 

「死なないよ。消えはするけど」

 

「じゃあ、消えろ」

 

 酷く冷たい声が、少女の声をかき消していく。低く、耳を澄まさないと聞こえない声なのに、一度空気を打つと波紋のように広がって、耳朶を打ってくる。綺麗な声音だ。雑音の中に紛れ込んだ、ハープのようだった。

 

「はいはい、わかったわかったから。ここはひとまず、君に免じて見逃すよ。君に拗ねられて、面白くなくなられた日にはこちらが悲しいからね」

 

 諦観が籠った言葉だった。

 

「だけど、一つだけ忠告だよ。君らは二人そろって、本来の姿なんだ。前にも言ったろ? 君らは、来たるべき『彼』をただ迎え入れるだけの存在だってね」

 

 

 無表情にも似た相好を浮かべる少女は、淡々と白い人に向かって言葉を示す。

 

 

「わかったなら、さっさと諦めて受け入れろよ――――――――――死神の黒兎さん」

 

 

 少女のその言を最後に、全てが白に染まった。そして、崩れゆき、何もかもが白で埋め尽くされていく。

 

 

 

 壊れ。そして、再構築されていく。

 

 

 

 

 そして、そして――――――――――

 

 

 

      *       *      *

 

 

「――――――――み、ちゃん」

 

 世界が酷くぼんやりとしている。確定させる要が安定せず、まだ揺らぎの中にある。

 

 そんな中で誰かが呼んでいた。自分の名を呼んでいた。

 

「――――――みみちゃん! 神皇ちゃんってば!」

 

 三度目の呼びかけで、神皇の意識は混濁の中から抜け出した。我に返ったのだ。

 焦点が定まり、次第にぼやけていた視界が固定された安定している世界を映しだした。そこには楯無がいた。こちらを訝しむような目つきで覗き込み、拗ねるように口を尖らせている。

 

「お待たせしました。コーヒーとジャンボパフェになります」

 

 黒い艶やかな髪に小柄な童顔が愛らしいメイド、赤神白がにっこりとほほ笑み注文の品を運んできた。玄兎の実の妹とかいうなんとも胡乱な人物を見て、神皇はようやく自分のがいる場所を思い出す。そういえば、楯無のデートの誘いを断ってまでどこかへ足を運ぼうとしていた玄兎と追走劇を繰り広げ、最終的にここへとたどり着いたのだった。そして、そこで出会ったのが先の少女である。

 

 思いだしてきた。

 

 そうだ、自分と楯無は確かここで腹ごしらえをしようと、入店したのだった。

 

「まったく。あんなかわいい妹がいるのなら、私にも紹介しろっていうのよ、あのバカ」

 

 なぜだか定まらない記憶を探っている神皇をよそに、楯無は注文したパフェを食べながら彼に対する愚痴をこぼしていた。そもそも彼の過去の経歴からして、妹がいるというのはいささか信憑性に欠ける話である。当の玄兎本人が、百人に聞けば全員が間違えるほどの女顔だ。彼がひとたび、本気の女装を披露すればああいう風になるのだろう。神皇からしてみれば、現状証拠からだけでも容易に推測がつく。しかし、そのあたり情報屋としての性か。むやみやたらに、得た情報を他人に漏らしたりはしない。飽くまでも後々のために、脳内メモにせっせと記事を追加するだけだ。

 

 さて、新情報が追加されたところで、神皇は気になっている点があった。

 

 先の酷い眩暈と意識の消失についてだ。

 

(最近、貧血気味ではないし、それにかなり嫌な感じがしたんだよねぇ……それこそ、吐き気を催すレベルで)

 

 上手く言葉に表せないが、例えるなら一瞬世界そのものが歪んだような感覚だ。途轍もない不快感がこみあげてきて、意識がしばらくの間虚空をさまよって、自分の中に定着しなかった。それこそ楯無の呼びかけがなければ、あとどのぐらい無意識と有意識の間を彷徨っていたか、わかったものではない。

 

 腕が粟立つ感覚を味わっていると、突然手前の方から大きな振動と何かが倒れる音がした。発生元は勿論、楯無。

 

「どうかしたんですか、会長。玄兎さんのことなら、今日のところは退散したほうが」

 

「一夏君が倒れたらしいわ」

 

 楯無が倒したものを丁寧に直しながら、神皇は彼女の言う出来事を想像する。なるほど、最近彼の調子がよくないという噂は真実だったのか。そして、まだ治りきってない身体で箒と買い物に出かけて、と。

 

 頭の中で合点が行き、満足げに神皇はうなずいた。

 

「それで、どうします?」

 

 

     

 

 

 一夏が搬送されたのは案外近くにあった中央病院という場所だった。意識はまだ戻っていないが、大事には至っていないらしい。近頃は静養していたこともあって、体調は好調だったらしいのだが、やはりどこかで無理をしていたのかもしれなかった。

 一緒にいた箒によると、彼の様子がおかしかったので相談事に乗ってあげ、その相談事が終わった矢先に彼は倒れたのだという。それを聞いた医者は、もしかすると精神的なものかもしれない、と口にしたが原因は今のところ不明なのだという。

 

「とりあえず、大事ないってことだけでも喜びましょう」

 

「そう……ですね」

 

 元気のない箒を慰めるように、楯無が言った。どうやらあまり体調がよろしくない一夏を連れ出したことを、悔やんでいるらしい。だが、それももとをただせば楯無が仕組んだことなので、彼女だけに責任があるわけではない。むしろ、楯無も彼の体調を考慮しない助言を慎んでおかなければならなかった。軽率だった。

 

 これには楯無も反省の色を見せた。これからはもう少しそのあたりの気遣いもしなければならない。

 

「それにしても、一夏君がここまで重症だったなんて」

 

「ただの睡眠障害って話でしたけど、ここまで来ると何だか別の病気に思えますね」

 

 楯無と神皇が揃ってそう口にした。

 病室にいるのは箒も含めて三名。そのうち、二人が彼の病気を妙だという。そうなれば自然と箒も、集団心理でそうなのかもしれない、と思うようになってきた。

 原因、といわれてなぜだかある単語が真っ先に箒の脳内に躍り出た。何故、この言葉が一夏の病気と繋がるのか。自分で考えた思考でありながら、箒は馬鹿馬鹿しくなった。彼の不調の原因が、まさか彼の持っているIS――――――白式にあるなどと、突拍子もなさすぎる。

 

 箒は雑念を振り払うように、その思考を放棄する。

 

「でも、これじゃあ困りましたね」

 

 言ったのは神皇だった。「だって」と続く。

 

「もうすぐ、学年別クラス対抗リーグマッチなんですよ? 織斑君は一組の代表なんでしょ? でも、この状態ではさすがに」

 

 そこで言葉を区切り、神皇は楯無を横目で見やる。

 

「そうね。こんな状態の一夏君を出すのは、さすがに生徒会長として容認できかねるわ」

 

「そうなれば、代表は誰が?」

 

 ちなみに神皇のクラスは簪と同じ、四組であり代表は勿論簪であり、楯無は実力の問題でリーグマッチには出場できない。

 

 要はこの二人。完全に観客気分なのである。今大会は注目株である織斑一夏が参戦するとあって、一年以外にも二年三年の生徒にも関心が高かった。そこに織斑一夏の出場停止の知らせがあれば、会場全体からため息をつかれること必須だ。

 

 あのクラスに、それを覚悟して代わりに出場するという猛者は神皇の記憶上、いなかったような気がする。いや、一人だけいた。そんな周囲の状況をもろともせず、今一番クラス代表に近い位置にいる生徒が一人。

 

「オルコットさんでしょうね。なんたって、イギリスの代表候補生で専用機もちだし」

 

 そういう楯無の瞳は、一人静かにうなだれる箒に向けられていた。何か、彼女のために言い案はないものか。楯無はそんなことを考えていた。先の一夏が倒れた件では、楯無も少なからず責任を感じている。だからこそ、せめて箒に何かしらの知恵を授けたかった。罪滅ぼし、とは大袈裟だがせめてものお詫びだ。

 

 と、そこで楯無は一つの閃きがあった。それを実行に移すため、楯無は前準備として携帯を取り出した。電話帳からコールし、呼び出す人物は玄兎だ。

 

『あー、なんだ。この忙しい時に』

 

 何度かのコール音の後、気だるげな玄兎の声が楯無の鼓膜を揺らした。気のせいか、彼の後ろでは「いらっしゃいませ」だの「ご注文は」といった喧騒が聞こえてくる。どこか喫茶店にでも、入っているのだろうか。まあ、そんなことはいい。

 

「一つだけ聞きたいんだけど、そっちの鈴ちゃんの件はどうなったの?」

 

『なんだよ、急に』

 

「いいから」

 

 急かすように訊いてくる楯無に玄兎は少し、訝しむように間を置いたが、

 

『一応、成功しただとよ。さっき連絡があった。一夏を諦めない、ってさ』

 

「ん。それだけで充分だわ。ありがとう」

 

『じゃ、俺はそろそろ。忙しいんで』

 

 そう言うと、本当に彼は電話を切ってしまった。もうちょっと雑談しようかと思っていたのに、少しだけ肩透かし気味だった。しかし、肝心なところは聞くことが出来た。あとは、これを箒に提案し、彼女にやる気になってもらうだけだ。

 

「箒ちゃん」

 

「……? なんでしょうか」

 

 突然、話の矛先が自分に向いたことで多少遅れて、箒が返事を返した。

 

「貴方、クラス代表になりなさい」

 

「…………は?」

 

「正確には、一夏君の代わりにリーグマッチに出場しなさい、って言っているのよ」

 

 楯無の突拍子もない発言にもそろそろ慣れ始めてきていた箒も、これには思わず閉口した。この人は、なにを言っているのだろう。そう素で思ってしまった。

 

「これで鈴ちゃんに、箒ちゃんが勝てば一夏君に告白できる大義名分が出来上がるじゃない!」

 

 サムズアップを決め、快活な笑顔を浮かべる楯無。当の本人が意識不明の中で、事態は徐々に奇妙な方向へと脱線しつつあった。

 

 

 

 こうして、彼女らの非日常は、誰からも記憶されぬまま、いつもの日常の中で密かに閉じたのであった。

 

 

 

      *      *     *

 

「よかったんですか?」

 

「ああ。どのみち敵対することになる者同士。その時にいらぬ感情など持ち合わせてもらっては、困るからな」

 

 黄昏色に染まる空を仰ぎながら、宗玄は言った。どのみち、敵対するのなら温情など忘れても別段差支えない。逆にそういった感情があることで鈍るものもある。そうなれば彼の望む、真の闘争というものは叶わないであろう。

 

「しかし疲れた。あそこで駄神が出てこんかったら、面倒だったな」

 

「あれは計算外でした。まさか、直々に『アカイロ』が出てくるなんて……」

 

「落ち込むな。あれはあれでよい。世の中にいらぬ混乱をもたらさんで済んだのだからまず喜べばよいのだ」

 

 おおらかな笑みで答える宗玄に、ルイスもまた静かに、そうだねと微笑み返した。

 

「尤も、それ以上に君が出張ってきたのがもっと計算外だったりするんだけど」

 

 そう言ってルイスがずり落ちかけた眼鏡を指先で上げる。その視線の先には、一人の青年が立っていた。長い白髪を風ではためかせ、青年は「僕としては」と口を開けた。

 

「あのまま、壊れてしまってもよかったんですが。そうすれば、まどっろこしいことをしなくとも、あの神は例のゲームを始めてますよ」

 

「だろうね。あれはただ暇を持て余しているだけだから。暇つぶしにもならないと思えば、なんでもやる」

 

 青年の言葉にルイスは苦笑する。二人ともあの少女に対しての意見は一致している。

 

「そう言う意味では、君はこちら側に来るべきだと思うんだけど」

 

 ルイスの何気ない言葉に次は青年が苦笑した。

 

「冗談はよしてくれ。僕と君らじゃ、根本が違う。死ねば後がない僕たちとは違って、君たちにはそれがある。思想も相容れない。僕としては、組む気にさえなれないね」

 

「はははっ。よく言うガキだな。死神の黒兎よ。そうまでして、死にたいか。せっかく、繋ぎ止めた命だというに」

 

 明らかな敵愾心を滲み出した青年、死神の黒兎と呼ばれた彼に宗玄もまた敵意を剥きだしにした。彼らとルイスたちには、かなり深い溝がある。敵対勢力といえば、聞こえはいいだろう。

 

 しかし、宗玄の発言のある部分に死神はいたく顔をしかめた。

 

「その名前で呼ばないでください。僕にはきちんと、『赤神(あかがみ)玄兎(くろと)』という名前があるんです」

 

「紛らわしいんだよ、それ。こっちにもいるから、玄兎君は。それに君は、赤神じゃなくて、名瀬(なぜ)の方じゃなかったかい?」

 

「僕にとって、あの糞溜めのような家の名字は名乗りたくない。今も反吐が出そうになる」

 

 そう言って死神、名瀬玄兎はかぶりを振った。

 

「今日、ここに来たのはただ気紛れです。それ以外の何物でもないし、何かの思惑があったわけでもない」

 

 そう締めくくって、名瀬玄兎は二人に背を向けた。

 

「あ、そうそう。一つだけ忠告しておきますね。あまり織斑千冬を、IS学園を舐めないほうがいい。きっと痛い目見る」

 

 その言葉を捨て台詞に、名瀬玄兎はふらふらとどこかへ行ってしまった。

 

 

 残された二人は互いに顔を見わせ、肩を竦ませた。今更な忠告に、漠然とした予感を覚えながら。

 

 

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