IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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第二十一話 交渉

 箒は当惑していた。目的を達成するためにも、ここが正念場だということは理解している。ミスの一つも許されない交渉の場において、自らの発言は交渉の成否を分ける最も重要なファクターだ。どんな旨の発言をするか、どんな言葉を使うか、表情はどうであるかなど、気を付けなければいけない部分も多い。また、相手の一言一句に耳を傾け、そこに隠されている意図を、思惑のさらに先を読むことも駆け引きにとっては重要であり、箒が今最も必要としているスキルでもあった。

 

「もう一度問いましょう。貴方がわたくし…………セシリア・オルコットよりも、その座に相応しいという理由はなんです?」

 

 冷たく、研ぎ澄まされた刃のような言葉が沈黙を裂き、箒に突き刺さる。そこには明らかな敵意が込められており、同時に相手の真意を見抜こうとする強かさがあった。

 さすがは代表候補生、入学試験主席といったところか。おぼろげながらも、貫録がある。少なくとも箒にはそう見えた。実力者が持つ圧力とでもいうべき、それが彼女からは感じられた。さすがに玄兎や瑛梨達と比べれば、大したことはない小さな圧だ。だが、それでも彼女との圧倒的な力量差を自覚している箒にとっては充分な大きさだった。

 

 息を呑み、跳ね上がる心拍に深呼吸でそれを落ち着かせる。

 

 大丈夫だ。彼女の反論は想定の範囲内。何も焦ることはない。落ち着いて、しっかりと相手の目を見ろ。怖気づこうとする自分を律し、状況に呑まれるな。まだ、事態は始まったばかりだ。

 

「そんなたいそうなことではない。ただ、今回ばかりは私に譲ってほしいというだけだ」

 

 意見を突き通す。何と言われようが、これだけは譲りたくはない。批判されたっていい、軽蔑されたっていい。それでも突き通すのが自分のやり方で、信念だ。

 箒は目を細めるように、相手の出方を伺う。箒は女性にしてはかなり目つきが鋭い方だ。なるほど、こうやって目を細められると睨まれているようにも見える。加えて、女性にしては高い背丈だ。自然とセシリアを見下ろすような形になる。これでは見様によっては恐喝されているようにしか見えなかった。この時幸いだったのは周囲に人影がなかったことだ。もしあれば、この光景は後々箒の、もしくはセシリアにとっても悪影響しか及ぼさなかったであろうから、両者ともに幸運だったのかもしれない。

 

 さて、ともあれだ。 

 

 なぜ二人がこうなっているのか。その一端をしばし語ろう。

 

 発端は今から遡ること、一日前。昨夜のことである。

 

 

      *     *     *

 

 

 

「やはり、一夏は今度の対抗戦には……」

 

「ああ。出場を辞退してもらう」

 

 確認する箒の言葉に千冬が肯定の言葉を重ねる。

 

 時刻は日暮れの放課後。そろそろ日が暮れる、そういった時間帯に織斑千冬が生徒会室を訪ねてきた。部屋にいたのは、合わせて六名。会長である楯無とその他の生徒会役員の二名、そして完全な部外者である神皇と箒である。玄兎は本日、急用があるとかでここにはいない。楯無はたいそうがっかりしていたが、日の話は彼を抜きにして話さなければいけない内容であったため、むしろ好都合であった。あと、生徒会顧問である松木遠所も忘れてはならない。彼女の場合、端の方で少し早目の晩酌をしているだけなので、忘れてしまってもたいして齟齬は生じないだろうが。

 

「でも、そうなったら今度の対抗戦は誰が出るのー?」

 

 真っ先に反応を示したのは、間延びした口調が特徴である布仏本音だった。サイズが合っていないぶかぶかの制服に身を包んでいる彼女は、これでもれっきとした生徒会役員である。IS学園生徒会の役員選抜システムは少し特殊で、生徒会長の指名制だ。会長が好きな人物を選び、役員に任命できるのである。本音の実家である布仏家は古くから更識家に仕える家系であり、今でも専属メイドとして仕えているらしい。ちなみに本音は簪の専属メイドである。

 

 そんな経歴を持つ本音の質問に、唸るような仕草をしている神皇が答えた。

 

「順当にいけばオルコットさんでしょうね。イギリスの代表候補生で、専用機もち。何より入学試験の首席ですから、これ以上はないってぐらいの人選でしょう。もともと、実質彼女がクラス代表だったんですし、当然の成り行きなんじゃないですか?」

 

 と、神皇は横目でその隣で縮こまっている箒に目をやりながら言った。しかし、それに箒は気づかない。いや、気付かないふりをしているといった方が無難か。

 

 そんな二人をよそに、本音は「なるほどー、そうなるよね~」と納得したように頷いていた。基本、物分りは良いタイプなのだ。

 

「とはいっても、正式にクラス代表としての立場ではないオルコットさんが、何の協議もなしに臨時の代表になるのはありえませんので、そこは然るべき対応の後にでしょうけどね」

 

 神皇の言葉を引き継ぎ、補足したのは本音に続くもう一人の生徒会役員、布仏虚だった。マイペースな妹とは正反対の生真面目さを醸し出す彼女は、楯無の傍らで状況を冷静にそう分析していた。確かに、名実ともに今一番臨時のクラス代表に近いのはセシリアだ。実力だけならば玄兎が最有力候補なのだろうが、やる気の問題で彼の場合論外である。その点、この中に誰もが理解していた。

 

 しかし、だ。いくら実質的に彼女しかいないという状況であろうとも、無条件で彼女がその座に就任するというのはありえない。虚も述べたように、形式上協議というよりも確認をやっておかなければならないのだ。クラス代表を選出する際も、自薦他薦問わない挙手方式であったように、今回もまたそのような形式をなぞらなければならなかった。もしかすると、臨時代表を引き受けたい、そういう生徒がいるかもしれないからだ。あり得ない話ではない。

 

 虚が言いたいのはそういうことだ。十中八九、セシリアに臨時の代表が任されるであろう状況であっても、前回の代表選出のような形を取らなければならない。形式上仕方のないことだ、と。

 

「まぁ、その時に誰かが自ら立候補するという可能性も無きにしも非ずよねぇ」

 

 楯無がにやにやと面白がるような笑みで、箒を見た。相変わらず、人の感情を逆なですることがうまい。提案したのはそちら側であろうに…………受託したのは箒であったのだが。

 

 そんな一連のやり取りを見ていた千冬は、何かを思案するような顔つきで一同を見遣る。

 

「色々と策謀するのはよいが……くれぐれもいらぬ揉め事は起こすなよ? ただでさえ、そこの生徒会長とその男が起こした数々の不祥事の後処理をさせられてるんだ。これ以上、仕事を増やされたら私も実力行使に出なければならんからな」

 

 静かに、ふつふつと湧き上がる怒りを抑え込みながら千冬が呟く。その言葉にこの場にいた松木以外の全員の背筋が凍ったのは言うまでもなく、特にその視線が熱く注がれていた楯無は心臓を握りしめられているかのような緊張感に襲われていた。

 

 今のは軽い警告だ。要するに、次に騒ぎを起こしたらただではおこないぞ、ということらしい。彼女の恐ろしさを実際に体感している神皇などは、恐ろしくて視線をそらしてしまっている。

 

「しかし、篠ノ之がどういった経緯で代表になりたがってるかは知らないが……まぁ、大方察しはつく」

 

「ちょっ、まだ私は!」

 

「オルコットは強い。はっきりいえば、お前では歯が立たん」

 

 千冬の言葉に反論をしようとする箒を無視する形で、千冬が言葉を挟む。事実を淡々と述べる彼女に箒は喉に言葉を詰まらせた。

 

「代表になろうとするなら、あいつを倒すつもりでいろ。それぐらいの覚悟無ければ、あいつからその座を奪うことは出来ん」

 

 虚が注いだ紅茶を口にしながら、千冬は言う。彼女にしては珍しい助言だが、その内容は歴然とした事実である。「精々、頑張れ。応援してるぞ」と最後に小さく付け加えて、千冬は席を立つ。言いたいことは全て言った、とでも言いたげに彼女はそのまま無言で踵を返した。扉を開き、そのまま足音を廊下に木霊させながら、生徒会室を去って行った。

 

 沈黙が舞い降りた。誰も言葉を発そうとはしない。ただただ気まずいだけの空間がそこにあった。箒の臨時代表になるための作戦会議を実行しようとしていた矢先の襲来だったのだが、見事なまでに策謀を看破され、さらには不安要素までごっそりと置いていかれた。そのため、妙な緊張感と「誰か本題を切り出してくれ」という思いが皆の胸中に飛来していた。この空気を打開したい。だが、切り込むのはいささか勇気がいるという状況。誰でもいいから、一言でも言葉を発してくれ。

 

 そんな願いが聞き届いたのか、ようやくこの静けさを切り裂く第一声が飛び出した。今まで蚊帳の外にいた松木によって。

 

「なんだなんだ~、みんな揃って気まずい顔しやがって。酒がまずくなるだろうが。あれだろ? 篠ノ之の嬢ちゃんが織斑の事をどうこうするために、臨時代表になっていいとこ見せようって魂胆なんだろ? いいじゃねえかよ。さっさと、そのオルコットとかいう気障な女を懲らしめて、代表になっちまったら」

 

「懲らしめたりはしませんけど……え、えーと、話聞いてたんですか? 先生」

 

「何言ってんだ。私だって、生徒会の顧問だ。色々と知ってるさ」

 

 話の核心まで内容を知っていた松木に楯無は驚きを隠せない表情になった。確かに彼女の目の前ですべての事柄を話はしていたが、その時彼女は既に素面でなく、出来上がっていた。話など微塵も興味も示さず、ひたすら晩酌に明け暮れていたのでてっきり訳など知りもしていない、と思っていた。これは予想外であった。

 

 そんな周りの反応が面白くないのか、松木は「ちぇっ」と拗ねたように唇を尖らせ、再び晩食に戻っていった。

 

「ま、まぁ先生の言う通りかもね。こうなった実行あるのみ。鈴ちゃんに先を越されないためにも、早めにやる必要があると思うよ?」

 

 認めたくはないが松木が切り開いてくれたこの場の空気を、楯無は逃さず掴んでいた。前々から打ち合わせしていた通り、彼女には実行してもらおう。そのためのこの人員なのだから。

 箒はしばし迷いがあるのか、少しばかり間をおいていたが、腹を括ったのか力強くうなずき、

 

「わかりました。やるからには、絶対に勝ちます」

 

 決意の言葉を口にしたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「とはいったものの、具体的な案がまだ決まってないんですよねぇ」

 

「当たって砕けろ~作戦とか?」

 

「本音ちゃんって偶にえぐいこと言うよね」

 

 神皇が地味に失敗すること前提で作戦を立案する本音に、苦笑いを浮かべた。折角決意を固めた箒に、その決心が揺らぎそうになる言葉をかける。面白そうな展開になりそうだと予感している神皇にとっては、ひやひやする発言だ。そういうことは本人のいないところでやっていただきたい。

 

 話はいくらかまとまった。主に箒と楯無と虚、そこに神皇がいくつかの情報を提供して作戦を組み立てていく形で会議は行われた。

 まず、早くとも明日の朝にでも例の一件がクラスで発表されるだろう(今回、千冬が先んじてここへやってきた意図は不明だが、案外箒のことを聞きつけて激励に来たのかもしれない)。だが、肝心なのはその場で急に箒が代表に立候補したところで、勝ち目は薄いだろうという話である。名声、実力ともにセシリアに負けている箒。どう足掻いても、クラスメートからの反感、および疑問によって当選確率は低くなるだろう。なにせ、優勝したクラスには副賞があるのだから、血眼になって彼女らは応援するに違いない。そうなれば、必然と勝つ確率が高いセシリアに代表が決まるのも当然だ。

 

 だから、ぶっつけ本番で舞台に上がるのは、玉砕するのに等しい。そうならないためにも、今日という日がある。

 何かを仕掛けるのなら、今日しかない。現状、丸腰での勝負だ。工作の一つでもやらなければ、勝てないというもの。

 

「交渉、とでもいいましょうか」

 

 虚が言った。

 

「篠ノ之さんがオルコットさんに立候補勝負で勝てる確率が極めてゼロに近しい状況で、どうやって代表の座をもぎ取るのか、となりますとやはりこれしかないと思われます」

 

「交渉というと、やっぱりセシリアちゃんに今回は諦めてっていうとかかな?」

 

「その通りです、会長。要するに、立候補しないでほしい、という旨を伝えるのです」

 

 ふむ、なるほど、と箒はうなずく。確かに、それは妙案だと思うのだが…………果たしてそううまくいくのだろうか。

 不安が顔をよぎった箒を見て、虚は小さく嘆息した。

 

「駄目ですよ、篠ノ之さん。すぐに感情を面に出しちゃ。交渉の場において、外面というのも重要な鍵なんです。表情一つで相手に与える印象はころりと違いますからね。うまく使い分けることで、交渉を有利に進めることが出来るか、出来ないかが決まってしまいます」

 

 たしなめられ、箒はうなだれるように「はい」と返事をした。なるべく気を付けよう、そう思った。

 

「でも、さすがに懇願だけでは相手もそう簡単に承諾してはくれないでしょう。なにせ、相手は第三世代の試験機のパイロットですから。ある意味、新型のデータ集めにはこういったイベントはもってこいですからね」

 

「では、どうすれば?」

 

「メリットを提示すればよいのです。デメリットであるデータ採取の不可能と釣り合うような、メリットをこちら側が提示すれば幾分マシな交渉をすることが出来ると思います」

 

「といっても、メリットって言われてピンとは来ないわね。何かあるかしら?」

 

 楯無が皆の言葉を代弁するように、首を傾げた。

 

 彼女の言う通り、確かにセシリアが自らのデメリットに目を瞑るほどのメリットといわれても、なかなか思いつくものでもない。かといって、なかったなかったで不味いことになる。メリット無くして、セシリアにこちらの思惑をくみ取ってもらうのは希望的観測もいいところだ。

 

「ふふっ! こういう時にこそ、神皇ちゃんの出番でしょ!」

 

 情報屋として看板を出している以上、この学園に彼女以上に情報を持ち得る人物もいないであろう。楯無が彼女をここに呼んだのはそういった考えがあってことだったのだが、

 

「残念ながら、大した情報はないんですよねぇ」

 

「がくっ……じゃあ、一体何しに来たのよ、貴方は」

 

「えーと、密かに行われている作戦会議についての取材に」

 

「もう帰ってくれない!?」

 

 外部に漏らす気満々だった。一応、こういった類のことはあまり外部に知られたくない。楯無が箒への好意でこういうことを行っているだけに、会長が一人の人物を贔屓していると見られかねないのである。散々権力を振りかざして玄兎へのアプローチをしている身の上だ。それについては暗黙の了解となっているが、箒の場合は違う。公平な立場を保っていなければならない生徒会長が、一人の女子生徒に肩入れしているとなると、それこそ箒の不利益に繋がりかねないからだ。会長の権力で臨時代表になったと思われるのは、箒とて癪であろう(半分はそうである部分もあることは否めないが)。

 

 そういった理由も込めて、彼女には速やかな退出と記憶と記録の忘却を行ってもらいたかった。

 

「冗談! 冗談ですって! ちゃんと情報はありますって!」

 

「じゃあ、初めからそう言いなさい。もし次言ったら、今までの行いを全て織斑先生にばらすから」

 

「それだけは勘弁!」

 

 最強の抑止力、織斑千冬。名前だけで妖刀すらも震え上がらせるその圧倒的な存在感は、もはや圧巻だ。

 そんな漫才じみた会話を終了させ、神皇が苦々しい顔でメモ帳を取り出した。彼女の取材メモである。

 

「個人情報やその他諸々は省かせていただきますが、まぁ言っちゃなんですけどかなりの努力家ですね。オルコット家を存続させるために寝る暇もなく勉学に励み、代表候補生となり、そこで実力をつけて晴れてブルーティアーズの一号機のパイロットに選ばれる、と。あとは知っての通り、クラス代表を決める試合で量産機を相手取りながらも玄兎さんに引き分けてしまい、それを負い目にして代表を辞退。繰り上がりで織斑君が代表に。専用機は、第三世代のブルーティアーズ。遠距離射撃型で、特に遠距離操作が可能なビットと呼ばれる兵器が厄介で、これに玄兎さんも織斑君も苦戦していましたね。玄兎さんの場合、手加減が見え透いていましたけど」

 

 言うや、その情報が際限なく飛び出してくる神皇。さすがの楯無も呆気にとられるように、彼女を見ている。恐らく内心で「早く言えよ」と思っているに違いない。

 

「気位の高い家系で育ってきたこともあってか、その立ち振る舞いや口調からはお嬢様って感じが漂っています。入学したての頃は男子を見下したような態度が目立っていましたけど、最近ではそれも軟化。ですが、プライドだけは相変わらずのようで、自分の腕前にかなりの自信を持っているようです。玄兎さんに負けたのが相当悔しいのか、一人で自主トレに励む姿が度々目撃されてます」

 

 それを聞いて、箒は合点がいった。あの異様なまでに高いプライドと自信。その根底にあるのは並々ならぬ努力なのだ。一介のスポーツ選手として、箒は不思議と共感を得ることが出来た。箒にまた経験がある。努力とは自らの実力の裏付けだ。誰よりも努力をした、だからこそ自分は誰にも負けない。努力とは実力を伸ばすだけではなく、自信としてもその者の中に存在する一つのステータスなのである。努力の次第によれば、セシリアのような実力が伴った自信家が出来上がるだろう。それは立派なことだ。

 今までの人生を殆ど剣道に捧げてきた箒にとって、それは親近感を抱かせた。あの高飛車な発言の裏には、そういった背景もあったのだと思うと自然と彼女を憎めくなってくる。

 

「ますます、付け入る隙が無くなってきているわね」

 

 楯無が苦々しく言った。彼女の背景を知った今、自分たちが行おうとしていることの難易度の高さを改めて思い知ったのだ。ただの自信家、身も蓋もないことを言えば調子に乗っている人間ならこうも悩まずに済んだろう。だが、厄介なことに相手は努力を惜しまず、その努力に裏付けされた自信家だ。そんな彼女から、あろうことか学園の正式なデビュー戦の機会を奪う。イギリス本国の思惑も重なって、確実といっていいほど無茶なことである。自信家という者は揃って、自らの腕前を披露したがるものなのだ。

 

「行き詰まりですね」

 

 虚の発言は、今の現状を如実に表していた。この作戦の成功率の低さを、皆一様に理解し始めていた。そのため、無意識のうちに諦めムードが漂い始めていた。悪い傾向だ。

 

 だが、それも一瞬の内だけだった。とある人物の一言によってその空気は霧散した。

 

「なら、頼み込むしかなくねえ?」

 

 松木は口に含んだ焼きするめを噛みながら、ぽつりと呟いた。

 

 もはや、彼女らにそれ以外に手立てはなかった。

 

 

    *     *    *

 

 

 といった経緯で、箒はセシリアに喧嘩を――――――もとい、交渉を持ちかけたのだ。勿論、結果は

「なぜ、そんなことを?」と訝しむような表情をされただけだった。そこから一夏の対抗戦不出場の理由と、明日臨時代表の選出があるということを伝えた。それを聞いたうえで、セシリアのの答えはなおも同じことだった。

 

「それで、貴方はこのわたくしよりも自分のほうが、その座にふわしいと?」

 

 こう答えたのだ。何もそこまで言ってはないのだが、彼女にはどうやら同じ意味だったらしい。細められた双眸から、ひしひしと敵意が伝わってきて箒も怯みそうになる。――――――だが、虚に言われた通り、ここで素直に感情を面に出してはいけない。飽くまでも余裕を持っていなければ、すぐに相手に呑まれてしまう。こちらが不利だということを相手に悟られないためにも、箒は必死に表情を作った。

 

「もう一度問いましょう。貴方がわたしく…………セシリア・オルコットよりも、その座に相応しいという理由はなんです?」

 

「そんなたいそうなことではない。ただ、今回ばかりは私に譲ってほしいというだけだ」

 

 こうして話は元の時間軸へと戻ってくるわけなのだが。交渉は相変わらずの平行線をたどっていた。予想はしていたが、これはなかなか辛い。圧倒的優位に立っている彼女からしてみれば、箒のお願いなどなんてことはない戯言だろう。それこそ無視しても、何ら不利益にはならないのだから。

 それでも彼女がこうやって足を止めて、最低限の会話が成り立っているのは箒の表情が真剣みを帯びていたからだ。決意を固めた者の顔をしていた。セシリアとしても、こういった顔をしている者を無下には出来なかった。想いには思いで答える。それがセシリア・オルコットの信念なのだ。

 

 セシリアは少しばかり考えてから、探りを入れるように言葉を紡ぐ。

 

「大体察しがつきますわ。なるほど……やはり、似た者同士、考えることは同じということですわね」

 

 一人で納得し、嘆息する。その表情はどこか訳知り顔だったが、それは箒の知るところではない。

 

「もし、これが平常のなんてことない一幕でしたら、快くお引き受けしたでしょうが……生憎、こちらにも事情というものがありますの」

 

「そこをなんとかできないものか」

 

「無理ですわ。実力的にも、それにもともともクラス代表はわたくしでしたのよ? もしも、貴方のいう臨時代表というものがあるのだとしたら、一番の適任はわたしくを置いてほかにいませんわ」

 

 くしくも皆との会議で結論付けられたものと同じ物言いだった。あの場ではまだ空想の中にしかなかった答えだが、こうやって目の前にしてしかも本人に言われるとなると、その重みはまた違った意味合いを持ってくる。

 悔しさを押し殺し、唇を噛み切る。情けなかった。あそこまで自分に尽くしてくれた楯無たちに申し訳なかった。自分はセシリアを前にして、怖気づき彼女の言に何の反論も返せないままでいる。想定していた事態なのに、それに対する対抗策が思いつかない。

 

「これ以上、わたしくが話すことはありません。それでは」

 

「ま、待ってくれッ――――――!」

 

 らちが明かないとばかりに話に区切りをつけ強制的に終わらせようとするセシリア。そのまま抜き去って行こうとする彼女の腕を咄嗟に箒は掴んだ。

 

「…………なんですの?」

 

 もはやそこにあるのは怪訝でもない。全身から溢れるように発せられる嫌悪感だった。

 正直、箒もなぜここまでこれに拘っているのかはわからない。だが、なぜだか引けなかった。引いてはいけないような気がした。

 

 ――――――――ここで諦めたら、恐らく後悔する。

 

 

 そんな気がするのだ。諦めたくない。そう心が叫ぶ。

 

 

 ――――――――もう二度と足手纏いになりたくない。誰かを守れず、呆然と見ている事しか出来ないなんて嫌だ。

 

 知らない感情が、思いが溢れて困惑する。ただ、身体はそんな根源不明の感情に付き従って動いていた。

 

「わ、私は……私は!」

 

 口の中が乾いて、うまく言葉を紡ぐことが出来ない。つばを飲み込み、何とかその先を喉から絞り出す。

 

「私はもう誰にも、がっかりしてほしくない! 私はやれば、出来るんだ! 努力はした! 頑張ったんだ! だから、次は証明してやるんだ! 皆に、一夏に、姉に、玄兎さんに、父さんと母さんに!」

 

「あ、あなた……」

 

「だから頼む! 私にチャンスをくれ! 絶対に勝つから! 私は、私はッ!!」

 

 爆発した感情がどこに向かっているのか。暴走列車の如く、走り続けている。セシリアの姿が昔日の誰かの影と重なり、それが呼び水となって枷が外れたのだ。堰き止めていたものがなくなり、濁流のように感情の奔流が箒の中を駆け巡っていく。

 

「とりあえず、落ち着きませんこと? 深呼吸でもしたら、いかが?」

 

 眉をよせ、激情に駆られる箒をたしなめるような口ぶりでセシリアは言った。感情の昂ぶりに我を忘れている箒に、冷静になれと促しているのだ。

 その言葉を耳にして、箒はようやく自分がおかしなことを口走っていたことに気付いた。どうやら追い詰められて、精神が振り切れていたらしい。思いだしても、なんであのような言葉を口にしたのかわからなかった。

 

「――――――すまない。落ち着いた」

 

 幾度かの深呼吸の末、箒は冷静さを取り戻した。

 

「しかし……そうですわね。わかりました」

 

 しばしの黙考。そして、セシリアは深いため息をついた。

 

「今回の件は、箒さん貴方に譲りましょう。さすがにああまで言われてしまっては、わたくしとしても頷く以外ないですわ」

 

 苦笑する彼女の表情は、諦観に似た何かがあった。箒の先の感情発散に、彼女の心境を変化させる理由があったとは思い難いが、どちらにしろ結果オーライだ。

 

 しかし、そんな安堵を見せる箒をしり目に、セシリアは少しだけ切ない顔をして、

 

「ルイス兄様……もう一人、ここにも」

 

 その呟きは誰の耳に届くこともないまま、静かに虚空へと溶けていく。セシリアの瞳を哀しみに濡らして。

 

 

   *    *    *

 

「以上により、織斑は今回の対抗戦には出場できない。よって、臨時のクラス代表をここで決めてもらいたい。さすがに不出場というわけにはいかんからな」

 

 朝の第一声から信じられないような言葉が、千冬によってもたらされた一年一組の教室は徐々にその喧騒を強めていった。織斑一夏の突然の体調不良と、それに伴う対抗戦への出場停止および彼に代わる臨時の代表の選出。どれも彼女らにとっては衝撃的な内容であり、唐突に告げられればざわめきだす内情を抑えることは出来ないであろう。数秒の間を置き、意味を噛み砕き飲み下す。そうすることでようやく彼女らは千冬の意を理解する。

 膨らんだ喧騒の気配がさっと萎んだ。その視線が一斉に千冬へと向けられ、彼女は「理解したか」とでも言いたげに伏せていた瞼をあげた。

 

「前回同様、自薦他薦は問わん」

 

 そう短く告げ、再び口を閉じた。次は喧騒ではなく、静けさが充満した。各々が思い、最善を、どうするべきか、何が正解なのか、と考えを巡らせる。ただ、誰も身動きもしない。アクションが一切起きない。皆、心のどこかで「誰かがやってくれるだろう」という思いがあるのだ。責任という枷を背負いたくない、その一心で、あるいは無意識のうちに彼女らはこの事態の行方を自分ではない誰かに任せていた。故に、静まり返る。何も起きず、誰も意思を示そうとしない。彼女らには確信があった。織斑一夏が出場不可となった今、その穴を埋められるのはあの人しかいないと。あの人ほどこの役目に適う人も、このクラスにはいないだろう。だからこそ、皆が無意識のうちに彼女が動くのを待っている。

 

 だが、彼女は動かない。きつく口を引き結び、瞼を閉じその瞳に光を求めていなかった。まるで、自分ではないと、ここで挙手しなければいけないのは自分などではなく、別の誰かであるとそう言いたげに。

 手が挙がる。ぴしゃりと天を突くような、美しく真っ直ぐに伸びた一つの腕。意を決した彼女の表情からは、ただならぬ思いが感じれた。

 

「私が……私がやります。一夏の代わりに、対抗戦に出場します」

 

 確固たる意志の宿った言葉が、静寂を突き破り教室へ響く。

 

 千冬はそれを見て、頬が緩むのを自覚した。待ったかいがあった。――――――――これで彼女は逃れられない。

 

「……オルコットはどうだ。あそこまで代表に対して、プライドを持っていたお前は」

 

「一度は譲り渡した座です。いまさら未練なんてありませんわ」

 

 きっぱりと言い切り、拒絶を示す。セシリアにはプライドがある。一度は捨てた座に一時であるとはいえ就くのは、いささか抵抗があった。最初は仕方のない、そう思っていたときもあった。が、それ以上にあの箒の感情の爆発を見て、何が彼女をそこまで掻き立てるのか興味がわいたというのが心変わりの大きな要因だった。

 セシリアの答えに、教室が再びざわついた。彼女らの期待が、一挙に裏切られた瞬間だったからだ。箒ではあまりにも心許ない。本当に勝てるのか――――――皆、内心で予想外の出来事に不満を募らせ始めていた。

 

「では、臨時クラス代表は篠ノ之箒で決定だ。異論は認めん!」

 

 宣言された千冬の一言は、この教室内にいる数人を除くすべての生徒の不満を、疑心を晴らすことは出来なかった。

 

 

 

 

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