IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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第二十二話 開幕前夜

 その場所は暗かった。本来部屋全体を照らし出す照明はその働きを停止しており、足元を照らし出すのは現在では忙しなく働かされているコンピュータ達から漏れる光だけだ。とても人ひとりが生活するための、スペースとは思えない。複数のコードやケーブルに覆われて見えなくなっている床を、かろうじてある隙間を縫うように歩いていた宗玄は、この異様な空間にただただ嘆息した。

 

「健康に悪いな」

 

 第一印象通りの言葉であった。

 

「第一声からそれだと、ここの主として結構傷つくんですけど」

 

「その通りだから、しょうがないだろう」

 

「その点は少し議論の余地があるような気もしなくもないですけど…………とりあえず、何か用ですか?」

 

 納得がいかないといった風に未練がましい言葉を残すルイスだが、頭を振り切り替えるように言った。彼の前には隈が出来ており、ここ数日間の彼の奮闘ぶりが伺えた。

 

 宗玄がふんと鼻を鳴らした。

 

「どうもこうも。作業の進捗状況を見に来ただけだ」

 

「もうちょっとって感じですね。どうにか予定日にまで間に合わせたいんで、こうやって徹夜してるんですけどね、は、ハハハッ」

 

 眠気覚ましのコーヒーを飲み干しながら、彼は笑う。テンションが少し高いのは徹夜明けの独特の気分のせいだろう。

 

「でも、まだ早いですよ。調整もまだ終わってないんですから。というか、いくらこっち側にいるといっても、あっちではまだこの前の件から一日ぐらいしか経ってませんよ? いくらなんでも焦り過ぎですって」

 

 まるでクリスマスに届くサンタからのプレゼントを待ち焦がれる子供のように、宗玄は来る戦いが待ち遠しいようだ。それをルイスは呆れ顔で見てから、彼に背を向け再び作業を再開した。

 

「逸るのだ。昂ぶるのだ。もう一度、あの死闘を、死を身近に感じたいと体が疼くのだ」

 

 武者震い。全身が歓喜に震える。あの時、妖刀と生身で刀を振るいあった瞬間、暴走する織斑一夏のISと戦った瞬間、あらゆる瞬間を思い出しては身震いする。もう一度、あの幸福を噛みしめたい。生を感じられる、死を実感したいと脳が、肉体が叫んでいた。

 常軌を逸した考えだとは思っている。宗玄も何も最初からこのような価値観を持っていたわけではない。昔はもっと普通の、一般的な価値観を持っていたはずだ。いつから、こういう歪な快感を求めるようになったのか。もうお覚えていない。現実を捨て、偽りの世界に来た時からか。それともあの全てを失った、生きる意味を失ったあの時からか。

 

 わからない。ただ、今は胸の内で燻る欲求を満たしたいだけだ。それ以外は酷く、どうでもよかった。

 

「わかりませんね。その感情は。長い付き合いですけど、いまだに」

 

「理解されとうもないし、されたくもないな」

 

 宗玄の素っ気ない答えに、「そうですか」とルイスは肩を竦めた。

 

「でも……まぁ、これが完成したあかつきには派手にやらかしますので、それまで待っててくれるとありがたいです。なにせ、これは僕の自信作」

 

 そういったルイスはガラス一つを挟んだその先にある物体を見た。宗玄もつられてそれを視界に収める。

 その異様としか形容できないフォルムに、彼は慄き、滾る想いがあった。

 

「かつて世界を一人で相手取った天才、篠ノ之束と唯一真っ向から対立することが出来たもう一人の天才、コードネーム『シルバーキー』。その彼が残したIS『ゴーレム』の改良機――――――完全自立型IS『アルマ・ハルマ』。世界を終わらせるための、僕の秘密兵器です」

 

 

   *     *    *

 

 言い訳などなかった。彼は男らしく、事実をあるがままに受け止める。落ち度は自分にあるから、それも当然のことだと割り切ることもできていた。しかし、彼にもただ一つ欠点があった。

 

「お前は一体何度言ったら、反省してくれるんだろうな……!」

 

「あはは……すいません」

 

 まったく反省をしないところである。

 

 いくら注意を促しても、怒り、矯正させようとしても彼はその場をしのぎ切るとまた矯正させる前に戻ってしまうのだ。質の悪いことこの上ない。上っ面だけは聞き入れているようで、その実まったくその脳に自らの行いの悪辣さを刻み込んでいない。やんわりと表現すれば自由奔放、率直にいえば常識に欠けているのである。

 

 何とか怒りを抑え込んでいるものの、千冬の怒りは既に臨界点に達そうとしていた。引きつる頬が、忙しなくぴくぴくと動いているのは何よりの証拠だ。もう堪忍袋の緒が切れようとしているのだろう。それは火山が噴火する前兆のようにも、玄兎には思えた。

 

「本来ならば、反省文をたっぷりと書かせてトラウマを刻みつかせるところだが……どうやら、お前にはそれでは足りないようだ」

 

 さらっと恐ろしいことを呟く千冬。それを聞いて、玄兎はしかめっ面になった。嫌な予感がした、とてもとても嫌な予感が。

 

「こうなれば更識姉の力を、もしくは更識妹の力を借りざる得ないな」

 

「楯無と簪を……?」

 

 頭をよぎる数日前の楯無との会話。全身から血の気が引いた。冷や汗が額から流れて、掌がべっとりと湿りだした。心臓が早鐘を打って、自らが思い浮かべた可能性を頭の片隅に追いやりたくて頭を二、三度振る。だが、嫌な予感としてそこに居座り続けるそれは、なおも留まり続けた。

 千冬が悪戯っ子が悪戯を成功させたような笑みでこちらを見る。悪魔の笑みだった。こちらの策にまんまとはまってくれたまぬけな人間を嘲笑うような、そんな恐怖すら感じる笑みだ。全身が粟立つ感覚に晒されながら、玄兎は彼女の言葉を待った。

 

「簡単さ。姉妹のどちらかをお前と同室にし、監視をさせる。そうすれば寝坊も遅刻もなくなることだろう……強制的にな」

 

「やっぱりか――――――ッ!?」

 

 この案は最終手段といってもいい。そもそも思春期真っ盛りの男子と女子を、それも互いに想い合っている二人を一つ屋根の下どころか、同じ部屋で過ごさせるなど教師として認めるわけにはいかなかった。だが、それではこの問題は恐らく解決しない。彼の意識をどうにかこちら側の常識とすり合わせなければならないこの状況で、彼を一人で生活させるというのはあまりにも意味を成さないことだ。普通ならば、同室候補として真っ先に名前を挙げられるのは一夏のはずである。同性であるため、間違いなど――――――可能性はないわけではないが――――――まず起きないだろう。

 

 ならば、なぜ千冬はその提案をしないのか。

 

(一夏。お前の気持ちは姉である私が一番よく分かっている)

 

 それはただ単純に彼女のお節介であった。表面化しないお節介である分気づきにくいし、何より自身の権力を最大限に使ってくるので彼女もまた質が悪い。

 

 そういった理由から千冬は玄兎に提案、もとい脅迫をしている。彼に真意を気づかれぬようにと、最大限彼の泣き所を突きながら条件を提示していく。

 

「本来ならば年頃の男女を同じ部屋に一晩でも一緒にさせておくのは気が引けるのだがな…………致し方あるまい。お前を更生させる。そういった内容であれば、あいつらは協力を惜しまんだろう。いや、むしろこういった条件につけこんでくるかもしれん。どのみち、お前の寝坊癖と遅刻癖の矯正にはそれぐらいの粗治療が必要だろう」

 

 反論は即座に思いついた。そもそも破たんした意見だ。異論を見つけるのはそう難しくはなかった。しかし、彼女の射抜くような視線を受けると、どうしてもその言葉が喉から出てこなくなる。自分が説教をされている立場だからだろうか。こうなったのは自分の行いの愚かさのせいで、自業自得だからと思っているからだろうか。自分に非があるという明白な状態の今、無闇に反撃をすると痛いしっぺ返しが来るのは解りきっている。

 

 ならばここは口を噤むのが一番賢いやり方だ。玄兎はそう思う。千冬の掌で踊らされている感は不快な面持ちにならざるえないが、彼女の言う通り自分の招いた結果なのだ。受け入れるしかなかった。

 

「さて、そうなれば問題はどちらを、というところだが」

 

 無人の部屋でただただ沈黙が、嫌気がする沈黙がやってきた。踊らされているとわかっていながらどうすることもできないもどかしさが、胸の中で燻る。

 

 今二人がいるのは、かつて玄兎が脅迫じみた言葉で入学願書にサインを迫られた場所だ。玄兎にとっても眉を顰めたい思い出であるし、何より彼女の思惑を見抜けずまんまと引っかかった自分を恥じたかった。自分の運命の分かれ道となったこの場所で、玄兎は再び数奇な運命の小路へと誘われようとしていた。

 

「参考のためにも……そこに隠れている若干三名の意見を聞かせてほしいものだな」

 

『――――――ッ!?』

 

 だいぶ前から千冬はおろか玄兎にすら気配を悟られていた三人が息を呑む気配が伝わってきた。まさか気づかれているとは思っていなかったのだろう。幾分、相手が悪かった。人の身でありながら時折人の域を超えていないかと思わせる超人っぷりを発揮する千冬と、そういった類の気配には敏感な玄兎だ。常人よりも鋭敏な感覚を持つ二人を相手取って、気配を悟られないなど並大抵の技量ではない。つまり、彼女たちが見つかったのは当たり前で、それをわざわざ口にしなかった辺り二人は性根が悪いといえよう。

 

 さて、話が逸れた。本題へと戻そう。

 

 隠れていた三人はさすがに千冬を相手にしてこのままやり過ごせる見込みはないと判断したのか、そのまま大人しく部屋の中に入ってきた。

 

「いやぁ、偶然通りかかったら何やら面白そうなことを話されていたんで、つい盗み聞きしてしまいました」

 

 反省の色などまったくない。むしろ、悪戯が失敗した悪ガキのような無邪気さを神皇は振りまいた。

 

「そこは言い訳をするところだ、馬鹿者。しかし、お前らが盗み聞きしてくれていたおかげで、いくらか話は早くなるな」

 

 溜息をついて神皇に力なくそう言う。千冬からしてみれば彼女は入学以前からの問題児であり、現在進行中で玄兎と並んで学園の教師陣の悩みの種であった。面倒な奴に絡まれたな、と内心彼女に辟易とした感情を覚えていたのである。出来れば、さっさとこの問題を終わらせて神皇とは離れておきたい。下手をすれば、何かしらの個人情報を抜き取られている可能性もある。注意するに越したことはなかった。 

 

 視線でいくらか神皇への牽制を交えつつ、千冬の意識は残る二人――――――黙り込んでいる更識姉妹へと向いていた。

 

「私としては面白い話ではあるんですけどね。まさか、こちら側が呼びかけるまでもなく、こんな事態が転がり込んでくるなんて…………まさに運命ですよ!」

 

「え、えーと……そうだね、うん」

 

「ううっ…………」

 

 面白いものを見つけた神皇の輝く笑みとは対照的に、姉妹の表情はどことなく暗い。微かに頬を上気させ、必死に思考を巡らせている故に二人とも反応が希薄なものになっているのだ。二人とも事態の唐突さについていけず、シナプスが焼き切れるのではないかと思うほどに思考回路が回転している。二人から言わせれば、この状況を楽観的に神皇が見れるのは何の関係もない第三者であるからだろう。当事者からしたら、自分たちのこれからの人生を左右しかねない大事な場面であるのだ。少なくとも、楯無も簪もそう思っている。先の千冬の発言から考えて、ここで選択を間違えるとそれはそのまま相手のアドバンテージになるからだ。故に、慎重にいかなければならなかった。

 

「どうだ。悪い話ではないだろう?」

 

 やはり彼女は悪魔だった。その囁きは悪魔の囁きだった。

 二人にとって、彼女の提示する案が魅力的でないはずがない。そもそも千冬の言う更生案は楯無が玄兎に詰め寄った時と同じものだ。その時はフラれたが、今度は千冬という権力のお墨付きだ。断ろうにも、玄兎にはそれが出来ないはずだった。

 またとないチャンス。しかし、楯無は躊躇する理由があった。簪である。妹である彼女の存在が、楯無の更なる困窮を招いていた。

 簪の玄兎に対する想いは、姉である楯無も承知のこと。本人の口から直接言われたわけではないが、さすがに生まれた時からの付き合いだ。口にせずとも、胸の内を読み取ることなど造作もなかった。そもそも彼女は感情を面に出すことが苦手であり、また出してしまった感情を隠すのが非常にへたくそだ。そんな簪が玄兎と接しているところを目撃すれば、否が応でもそこに介在する想いに気付く。

 

 しかし、だからこそ楯無は困っていた。

 

 簪は唯一の血のつながった姉妹だ。その恋を応援してあげたい気持ちが、姉である楯無には勿論ある。だが、その相手が自分の恋する相手と同一なのだから、困ったものだ。応援してあげたいが、自分も諦めることなど出来ない。袋小路に迷い込んで、出口を見失っていた。

 

 どうすればいい。

 

「……わ、わたしは……うう」

 

「え、えーと……う~ん。困った、困った……」

 

 結果的にはこうなる。お互いある程度の譲歩をしているくせに、肝心な場所で引こうとしない。相手に譲りたいのか、それとも奪いたいのか。はっきりとしない姉妹だった。 

 

「私から見れば、とんだ茶番ですけどね」

 

 誰にも聞こえない程度に神皇が呟く。

 

 この情景、全てとはいかずとも結論を推測できるだけのピースを既に獲得している神皇にとっては茶番以外の何物でもなかった。玄兎、楯無、簪の三人にある背景を思えば滑稽過ぎて逆に笑えない。

 簪も気付いているから、言い出しにくいのだろう。千冬もまた、それに気づいている。どのみち、千冬の問いにおいて答えは一つしかない。回帰する結論は初めから決まっているも、同然なのだ。見え透いた出来レース。当事者達だけがそれに気づかずに、いまだレースをしていると思い込んでいる。これを滑稽といわずして、なんといえるか。

 

(仕方ないね。ここは親友のかんざしっちのために、ひと肌脱ぎますか)

 

 このレースにおいて楯無は絶対的な優位を誇っている。ならば、少しぐらい外部から手助けしても文句はないだろう。

 

「ではでは、そんな煮え切らない二人に提案があります」

 

「ほう。提案か、言ってみろ」

 

「簡単ですよ。賭けをするんです。その賭けに勝った方が、玄兎さんの監視及び同室になる権利を得るというルールで」

 

 賭けか、と千冬が頷く。賭け事といっても、金銭をかけるわけではないから教師としても口を出さなくて済みそうだ。神皇はそこまで織り込み済みなのだろう。

 

「それで? どんな賭けをするんだ」

 

 千冬の問いに神皇が笑う。口角を吊り上げ、悪戯っ子がする悪い笑みを携えて。

 

 その瞬間、千冬を除く全員の脳裏に嫌な予感がかすめたのは言うまでもなかった。

 

 

     *     *    *

 

 遅い、と鈴音は思う。約束した時間から、過ぎて一時間近くが経とうとしている。このような美少女(自称)を何時間も待たせるなど、あの男は(下手するとこの男の方が、美少女なのだが)男としてどうなのだろうか。食後のデザートである杏仁豆腐を口に運びながら、鈴音はご立腹だった。

 

 なにせ、一時間である。幾らなんでも遅すぎる。鈴音の知り合いには待ち合わせに来なかった相手を六時間も待っていたという健気な者もいたが、それとこれとは話が別だ。そもそもその知り合いが待っていた相手は、その日その者との約束を忘ていて、別の人物とデートしていたのだから、この話と比較している時点でこれがそういう類のものかもしれないと鈴音は意識し始めていた。つまり、相手がこの約束を忘れている、という懸念だ。

 

 まだ数分の誤差ならば許せる。だが、一時間はどうだろう。こうなると、自分が約束の場所もしくは日取りを間違っていたのではないかと疑ってしまう。しかし、自分に落ち度はないとわかっている。何しろ、この約束を持ち出したのは自分なのだ。間違えるはずもない。即ち、鈴音がこうして待っている原因は、

 

「玄兎ぉ……!」

 

 思わず心の中の呟きが外に漏れたが、鈴音はそれも構わず顔を怒りに染める。

 

「遅い遅い遅い遅い!」

 

 苛立ちが募って、膝が何度も上下運動を繰り返している。行儀が悪いというのはわかっているが、それでもせずにはいられないほど今の鈴音は苛立ちが大きかった。

 そうやっているうちに、食堂からは徐々に人の騒がしさが遠ざかっている。夕食時はとうに過ぎている。普段ならばこの時間帯、自室で自堕落な格好を晒して自由な時間を貪っているはずだった。勿論、今日もそうする予定だった。それも彼のせいで予定変更しなければいけない。

 

 最高頂点に達そうとしている苛立ちに、杏仁豆腐が減る速度が比例して早くなっていき、次で三杯目というところで食堂の扉が勢いよく開かれた。

 

「悪い、遅れた!」

 

「遅いわよ!」

 

 ばつの悪そうな顔を浮かべ、謝罪を述べる彼に対して即座に鈴音は苛立ちをぶつける。

 

「そう言うなよ。こっちだって、色々と大変だったんだよ」

 

 予想外のことが多くて、と玄兎は言い訳じみた言葉を並べる。どれも真実なのだが、この状況では言い訳としか聞こえない。彼としても不本意な結果なのだろうが、こればかりは自分の不運を呪うしかなかった。

 

「それで? 俺をここに呼び出して、何をやろうっていうかな」

 

「はっ。その顔でよくそんなこと言えたわね、あんた」

 

 察しがついている、と言わんばかりににやにやとした笑みを張り付けた顔。募り最高潮にまで達している苛立ちが再び募りそうになり、鈴音は頭を振った。

 

「まぁ、察しがついてるならいいわ。…………わかってるわよね」

 

「ああ、お任せあれ。これでも外国育ち、決闘の仲介には慣れてるんよ」

 

 外国育ちという生い立ちが、決闘の仲介に慣れるということにどうつながるのか甚だ疑問だが、鈴音はそのことにあえて目を瞑った。彼がドイツで育ったことなど、今は関係ない。鈴音は脳裏をかすめた、あの得体のしれない男の声を思いだす。だが、それもすぐに思考の奔流に呑まれ、消えていった。

 

「決闘とは少し趣旨が違うがな」

 

「――――――そうね」

 

 彼の言葉に鈴音が唇を引き結んだ。覚悟を決める。一度は跳ね返され、絶望したそれと向き合うために。それと向き合うために、母との約束を果たすために。

 

 そんな鈴音を見て、玄兎は安堵するようにため息をついた。

 

「まっ、そもそもあってなかったような『約束』だろ? 今更怖気づくこともねえよ。前となんも変わってねえ、ゼロだったものを勝手に十だと思っていただけで、事実はゼロのままだからな」

 

「こっちの気持ちも介さず、よく言うわ。でも、本当にその通りだから言い返せないけど」

 

 苦笑して鈴音が言った。彼の言ったことは、嘘偽りは微塵もない。まさにその通りだった。

 

 何も変わってなどいない。鈴音がそう感じて、ただ一歩進んでいると勘違いしていただけだ。当然、一夏も悪い。非があるのは彼だ。そこは責められても文句はいえないところだが、それだけである。忘れていたことに非があるのであって、そこから先は彼の責任ではない。彼との間に強固な楔を撃ち込めていなかった鈴音の責任だ。勝手に違え、勝手に自爆し、絶望したのは鈴音で、一夏は関係がなかった。ただ、それだけだ。

 だから、進もう。幻の楔にしがみつき、歩みを止めていたその足を今踏み出させよう。今度こそ、彼に自分を以外を見られなくなるような、強烈な楔を撃ち込んでやろう。

 

「見届けてよね、きちんと」

 

「おうよ。任せろ」

 

 力強くうなずいて、玄兎は唇を吊り上がらせる。

 

 

 ――――――――さぁ、不良少女の更生タイムだ。

 

 

 人知れず、思い描いていた未来を想像し、玄兎は事態の進歩をこの目で確かめる。

 

 まずは、一歩、と。

 

 

  

 

 

 

 二人は目的の場所で足を止めた。片方が落ち着かない心臓を落ち着かせるため何度も深呼吸し、もう片方がそれを見守る。何度、それに期待したことだろう。何度、それに縋ったことだろう。何度、それに夢見たことだろう。何度、それに泣いたことだろう。何度、それに絶望したことだろう。

 数えきれないほどの数、鈴音は彼との間に交わされた約束に頼ってきた。辛い訓練にも彼との約束があれば、乗り越えることが出来た。乗り越えた先に、輝かしい未来があると信じて、母と父の笑顔があると信じて、ここまでやってきた。それが裏切られたときは、この世の終わりかとも思いもした。それほど彼女にとって、母との約束は、彼との約束は大事だった。

 

 だから。その大事な約束を今、為そう。大事なのは彼がそれを覚えていることではなく、それを成せるかどうか。忘れていた。彼が約束を忘れていようがいまいが、その約束を果てせればそれいいのだということを。彼と結ばれる華やかな未来さえ現実に出来たら、いいのだということを。

 

 大事なのは手段ではない。手段と目的は違う。手段を目的にしては本末転倒だ。だからこそ、手段に縛られるのはもうやめよう。彼との約束は手段。彼と結ばれるための手段に過ぎない。なら、その手段が使えなくなったら、目的は達成できなくなってしまうのか?

 

 いや、違う。自分の抱く想いはその程度では、崩れはしない。

 

 使えなくなったら破棄し、別の手段へと移りかえればいいだけのこと。手段に固執する理由は、ないのだ。

 

「行くわよ」

 

 揺るぎのない確かな覚悟を秘めた瞳は、まっすぐ一夏の自室の扉を射抜いていた。そっとドアノブに手をかけ、奥へと押し込む。

 彼女の緊張は目に見えて、高まっていた。傍らに立つ玄兎にもひしひしと伝わってくる。覚悟を決してもなお、その胸の内に潜む不安を殺しきれていないのだろう。不安げな表情が時折、表層に出てきては引っ込んでいた。

 

 彼女の後ろに付き添い、玄兎は部屋に侵入した。自分達に用意されている部屋と寸分違わず、同じ間取りの部屋だ。いや、左右の間取りが逆の場合もある。楯無と簪の部屋はそういう造りだった。

 

 しかし、入った瞬間、この部屋に玄兎は違和感を覚えた。気を張っていなければ気付けないような、些細な違いだっただろう。まるで誰かに監視されているような感覚が、玄兎の並々ならぬ感覚を刺激してきたのだ。

 

(なんだ……? 何かが、違う?)

 

 しかし、その疑問もすぐに目の前で展開されようとしていた事態に霧散してしまう。

 

「うん? なんだ、鈴か。それに玄兎? どうした、こんな時間に?」

 

 ノックもせず、ずけずけとやってきた鈴音達を訝しむ様子もなく、無垢な表情で一夏はそう尋ねた。彼はどうやら予習の真っ最中だったようで、その邪魔をしてしまったかと鈴音は少し表情を曇らせる。

 

「ああ。大丈夫、今ちょうど休憩に入ろうと思ってたところだから」

 

 彼女の胸中をいち早く察した一夏は、そう言って手に持っていたシャープペンを机に置き、身体ごとこちらに向き直った。

 優しいな、と玄兎は思う。こういったさりげない心遣いが、女心にぐさりと突き刺さるのだろう。顔も整っているし、声も憎たらしいほど美少年のそれだ。美少女の声といわれる玄兎とは正反対の美声。恨めしいとは思うが、彼は彼なりにそのせいで苦労していることもあると知っている今、そこには同情の感情もいくらか含まれていた。

 

 と、玄兎の一夏評はこれぐらいでいいだろう。

 

 さて、鈴音だ。相対して、大きく息を吐いた彼女は意を決する。

 

「一夏、話が……大事な話があるの」

 

「大事な、話」

 

 その言葉を聞いて、一夏は表情を引き締めた。彼もまた、その優しさの仮面の裏には憂いと悔いの色を帯びている。それは鈴音を見た時から、ずっと続いているものだった。彼からすれば、彼女との約束をのこのこと忘れていた大馬鹿野郎と自分を見ることもできたはずだ。この数日間、彼が何を想ったかは知らないがかなりの葛藤があったのだとは、玄兎も理解していた。

 

 だが、そんな色合いが混ざる彼の顔にも、幾分か気色のいいものも混ざっているように思えた。鈴音と同じ、何をすべきか、憂いを晴らしたような面持ちである。

 

 鈴音が口を開く。

 

「こ、この間は……ごめん。勝手な約束押し付けて……その、色々と喚き散らしたりして」

 

「――――――ッ! こ、こっちこそ! ごめん! そ、その、約束を忘れてたりしてッ!」

 

 率直な謝罪は予想外だったのだろう。一夏が慌てふためくように、同じような謝罪の言葉を口にする。

 

「俺が悪かった。正直、まだ約束は思いだせてないけど、鈴を傷つけたのは確かだから……ごめん」

 

 深々と頭を下げる一夏に、この謝罪劇を始めた鈴音のほうが逆に鼻白んだ。まさか彼の方からあのような言葉を聞かされるとは思っていなかった鈴音は、この展開に大いに慌てた。

 

「わ、私こそ! い、一夏に悪いことしたし! そ、その無視したりとか、そ、その!」

「お、俺こそ!」

「私こそ!」

「俺こそ!」

「わた」

 

 

 

「うるせえええええええ! いいから、話進めんかあぁぁぁあぃぃぃいいいい!!!」

 

 

 

「「は、はい」」

 

 永遠に続きそうだった謝罪の繰り返しは、堪忍袋の緒が切れた玄兎によって一区切りが付けられた。正直、先の光景を見せられる立場としては胸焼けしそうな光景だった。とはいえ自分と楯無の会話や、アリサと自分のじゃれ合いは他者にこんな風に映っているのだろうな、と玄兎は少しばかり自省したりもしたが。

 

「謝罪はそれぐらいにしとけ。謝るぐらいだったら、笑っていようぜ。笑って、そいつを笑い飛ばしてやろう。そんぐらいの気力がねえと、世の中やってけねえよ?」

 

 玄兎が嘆息し、そう告げる。それを聞いた二人はおかしそうに目を細めて、相好を崩した。

 

「それもそうね。玄兎の割にはいいこと言うじゃない」

 

「俺も鈴に同感だ」

 

 そう言って、鈴音は改めて一夏と向き合った。その表情はどことなく、かつての自信家だった頃の懐かしい色を持っていた。

 

「一夏。さっきのも大事な話なんだけども、今日ここに来たのはもっと別の事を言うためなの」

 

「お、おう……」

 

 ごくりと喉を鳴らし、一夏はその言葉を待つ。彼女からはただならぬ緊張感と覚悟が感じられて、思わず一夏も真剣な表情をせざる得ない。

 

「今度、クラス対抗戦があるわよね」

 

「ああ、あるな。俺は出れなくなったけど」

 

「そ、そこでなんだけど……あの、お願いというか、なんていうか……うん、そう。勝負しましょう、一夏」

 

 もじもじと恥ずかしさから中々本題を言えずにいる鈴音を目で牽制した玄兎に、鈴音が小さく顎を引いた。

 

「勝負? でも、俺は試合には出場できないって」

 

「勝負とはいっても、私たちが戦う訳じゃないわよ。要するに、賭けをしましょうってわけ」

 

「賭け?」

 

「そう、賭け。正確には、私が優勝するか、それともしないのか賭ける、大博打だけど」

 

 彼女の申し出に、一夏は思わず言葉を失っていた。

 

 彼女の真意がわからない。

 

 なぜ賭け事を? と言い出す前に玄兎が「おっと。詮索するよりも先に、この賭けに乗るか乗らないかを言ってもらおうか」と一夏の思考を遮ってきた。交渉における常套手段。相手側にこちらの意図を読み取らせるよりも早く返答を求める、シンプルでそれ故に言い逃れしにくい手段だ。これを使ってくるということは、一夏がこの賭けから逃げるという選択肢をつぶしておきたいということ。

 

 玄兎はなにを狙っている?

 

「なぁーに、単純だよ。こっちも必死だってだけさ」

 

「……」

 

「うんで? 乗るの、乗らないの?」

 

 意味ありげに答えを返した玄兎に、一夏はさらに困窮を極めた。この賭けごと事態に裏がありそうで、乗ること自体躊躇われた、が――――――彼女の瞳を見て、鈴音の確かな信念の宿る双眸を受けて。

 

 一夏はとりあえず、彼の思惑に乗ってみることにした。

 

「ああ、乗るよ」

 

「なら、決まりだ」

 

 そう言って、玄兎はにやついた笑顔でさっと後ろに下がった。ここからは鈴音の仕事だ、とでも言いたげに彼女に目くばせをする。

 

「賭けって言っても、何か金銭とかを賭けようってわけじゃない。ただ、お願いを聞いてもらいたいの」

 

「お願い?」

 

「そう、お願い。私から、一夏に対しての」

 

 真剣な眼差し。何を要求されるのか。一夏は頭を回転させて、最大限の思考を働かせる。

 だが、そんな彼の思考も空しく、その答えはもたらされた。

 

 

 

「も、もし、私が優勝したら――――――――わ、私と! つ、つ、つ、つつつつつ……ッ! 付き合ってもらうんだからね!」

 

 

「へ?」

「おいおい、ドストレートだな」 

 

 予想外の鈴音の告白に、度胆を抜かれた一夏も、そして事情を知る玄兎であっても、間抜け面を晒していたのだった。

 

 

   *     *     *

 

 

「そんなに落ち込まないでよぉ、かんざしっち。これも、何かの巡り合せってことで、ね?」

「原因が何を……」

 

 整備室からの帰り道、寮の廊下での会話。簪と神皇の態度はこれ見よがしに違っていた。片方の簪はふて腐れ気味で、なんだか暗い。逆にもう一方の神皇といえば、気のせいかやけに明るい。こうも対照的な雰囲気を纏う二人組も珍しいことだろう。 

 

 さて、この二人がここまで雰囲気を違わせているのにはある理由がある。

 

 時は戻って、夕暮れのとある一室。そこでかわされたとある密約が、今の二人に大きな影響を与えているのだった。

 

 そう、千冬が考案し、神皇がさらにその混沌とした案を更なる混沌を混ぜ込んだあの一幕だ。

 

『今度の対抗戦でもしもかんざしっちが優勝したら、同室の権利はかんざしっちに。もしも、会長が推すに推す誰かが優勝したら、権利は会長に。ってな具合でどうでしょうか』

 

 彼女の悪気があったわけではない。親友のためを思って、少なからず彼女の有利になるような博打を仕掛けてくれたのだ。それは解ってる。

 

 だが、それでも、

 

「時間が足りなくなった!」

 

「あはは……まぁ、そこは置いといて」

 

「玄兎も手伝ってくれたのは……時間の短縮になったり、なかったりするけど……それでも間に合わない」

 

「そこをどうにかするのが、今回の博打を成功させるかどうかの瀬戸際でしょうに」

 

 頭を抱える仕草をする簪に、神皇がため息交じりにそう言った。

 事実、先の交渉内容は当事者である全員に知れ渡っている。教師である千冬も了承しているし(若干、了承する意図が分からなかったが)、玄兎渋々ながらそれでよいと言っていた。

 

 では、なにを悩む必要があるのか。

 

 それは簪の専用機『打鉄弐式』が、いまだ未完成だということだ。大まかなものは既に完成しており、あとはこの機体に搭載されているある主要システムの完成を急ぐところなのだが…………そのシステムが一向に完成する兆しが見えないのである。

 

 マルチロックオンシステム。それは打鉄弐式が有する高性能誘導八連装ミサイル『山嵐』を、最も有効かつ的確に敵へと撃ち込むために考案されたシステムであり、打鉄弐式の有する第三世の武装に該当するものである。

 

 詰まる所、打鉄弐式はそのもっとも重要な武装の根幹となる部分がいまだ完成をしていないということであった。

 

 これなしでは、機体のスペックがややいい打鉄とあまり変わらない。これで、あの凰鈴音という中国代表候補生には勝てるとは思えなかった。何しろ、第三世代のISだ。スペックもこちらと同様で、かつ最新鋭の兵装を扱う正真正銘の規格外である。それを相手に、重要なシステムが未完成のまま挑むなど、自殺行為にも程がある。

 

 簪の不機嫌の理由はこんなところであった。

 

 差し詰め、彼女には自分が敗退する将来の展望が浮かんでいるのだろう。

 

「どうしたものですかねえ」

 

 神皇はそんな彼女をどうやって励まそうか頭を悩ませていた。

 自分が言い出した以上、自分はやれることを全てやってあげる所存だ。情報ならいくらでも提示するし、協力者だって募る。それこそ、人脈を辿って整備課に在籍する優秀な生徒を集めたり…………。

 

 そこまで考えて、ふと視界に二つの影が映った。

 

 とある部屋の前に立ち、その中を覗き込むような形で見ている二人組。怪しい。見るからに怪しかった。見知った二人ではなかったら、きっと千冬辺りに報せていたことだろう。

 

「なにしてるんですか? 会長、箒さん」

 

「しぃ――――ッ!」

 

「ええ!? うふっ」

 

 話しかけたら、突然口をふさがれた。肺への酸素の供給が途絶えたことで、神皇が反射的にその障害を取り払おうと反応した。常人では負えぬ速度で、口を塞いできた腕を取り、そのまま柔道の投げ技のような格好で相手を床に投げつける。「え、ちょ、きゃっ」と悲鳴あげる暇もなく、楯無の身体は宙を舞い、無様な格好で地に伏した。

 

「いたぁ~い……もしも、私じゃなかったら怪我しているところだよ?」

 

「なら、私相手にそんなことやらないでくださいよ。死にたいんですか?」

 

「神皇がそういうと、嘘に聞こえない」

 

 打ち付けた顎をさすりながら、楯無が減らず口を叩き、それに神皇が嘆息してツッコミを入れる。そして、それを見て簪が一言。これが彼女らの通常運転時の会話である。

 

 そのまるでコントのような一場面を見せられた箒は、なにを言ったらいいのかわからないという風に口を開け、呆然としていた。

 

「……ッ!」

 

 しかし、次の瞬間彼女の相好は一変。何やら緊迫した表情へと変わった。

 

 それを見て、楯無もまた興味津々といったように彼女の隣へと再び移動する。

 

「というか、ここ織斑君の……」

 

 なるほど、と神皇は合点がいった頷いた。楯無と箒のこの喰いつき様、そしてなぜ自室にもかかわらず箒が足を踏み入れないのか。自身の持つすべての情報を統合し、ありとあらゆる選択肢を構築、そうして上で玄兎が今やりそうなことを模索、該当外の選択肢を除外し、そうして残ったもののなかでさらに選択肢を絞り込み、結果的に残ったのが。

 

「凰さんの、告白タイムってわけですか」

 

「そうなのよ! ああ、鈴ちゃんが動いたわ!」

 

 もはやただの野次馬気分の楯無であった。隣で歯をこれでもかと食いしばっている少女の気持ちは無視か、と言いたくなってくるほどの野次馬っぷりだった。…………普段野次馬を演じている神皇ですら、ため息をつきたくなるほどの、それはもう見事なまでの。

 

 しかし、確かに気になる。神皇は思う。もしも、自分の推測が正しければ彼女らがここを訪れた理由は一つ――――――――

 

「要するに、賭けをしましょうってわけ」

 

 壁や扉を跨いでいても、神皇の耳には確かに彼女の声が聞こえてきた。その内容を聞いて神皇は、やはり、と思った。

 推測通りだ。現時点で、一夏にもっとも強烈なインパクトを与えるために鈴音が行えることはごくわずかである。一夏はそもそも普段の生活で、女性から寄せられた好意には一切気づかない。ならばどうやったら、より彼の中に強烈な印象を叩き込めるのか。

 

 大観衆。その目の前しかないではないか。

 

 今回のように前もって宣言する辺り、さしずめこの案を立案したのは紅い兎の参謀役である江波・アルバ・フォードだろう。彼ならばその顔立ちから女性からの好意に晒される機会は多々あっただろうし、一夏側の気持ちもある程度汲める数少ない人物だ。とはいえ、彼には特殊な性癖があり、その影響か初対面以外の人物で彼を慕う者はあまりおらず、その点が唯一の不安要素であろうが。

 

 事前に宣言することで、彼の意識に鈴音の好意を刷り込ませる。そして、彼女が優勝したあかつきには、晴れて彼にその時の答えを聞き出す。

 

 なるほど、確かに正鵠を得ている。好意に鈍感な男ほど、迂遠な告白は逆効果であるというもの。ならば、度胆を抜かれるほどの直球をぶつけるほかなかろう。

 

「も、もし、私が優勝したら――――――――わ、私と! つ、つ、つ、つつつつつ……ッ! 付き合ってもらうんだからね!」

 

「なっ!? あいつ……!」

 

 鈴音が画策していることはやはり神皇の予測通りのことだったらしい。それを聞いた箒が顔を青ざめて、唇を噛んだ。

 

 やられた、という顔だった。どうやら箒も鈴音の思い描く未来図を読み取れたらしい。

 

(さてさて。先手を取られた貴方は、一体どう動くんでしょうかねぇ)

 

 頬の表情筋が弛緩しようとするのを堪えつつ、神皇は箒を観察する。

 

 どうする。意中の相手が、恋敵にとられるかもしれないという状況の今。貴方はどんな判断を下し、行動するのか――――――興味深いですね。

 神皇の趣味、もとい癖は人間観察だ。相手の癖、仕草、言動パターンを推測し、記憶することが昔からの癖だった。しかし、これまでの観察相手といえば、玄兎や紅い兎の面々だったり、楯無や簪といった更識家に関係する者達しかいなかった。単純に彼女の交友関係が狭かったというのも、その要因の一つだった。

 

 思いだしたくもない小学校時代は勿論、中学校時代は簪以外友と呼べる間柄の人間はいなかった。故に今までに挙げた人間を除いては、彼女の観察対象となり得る者がいなかったのだ。街に出て道行く人を観察しても、たいした興味を抱けず、結局神皇の人間観察は身内と呼べる範囲内だけで留まっていた。

 

 だが、ここIS学園にやってきて、彼女は数名の人間に興味を抱いた。

 

 そのうちの一人が、篠ノ之箒というわけだ。別段、何の因果もなく興味を持ったわけではない。篠ノ之と神皇は切ってもきれぬ縁を持っており、束を通じて少なからず親近感に近い感情を感じていたのである。

 

 故にこの時。神皇は不謹慎だと思いながらも、

 

「そ、そそそ、その勝負! わ、私が受けてたとう!」

 

 予期せぬ彼女の行動に、頬が緩むのを抑えることが出来なかった。

 もはや彼女らに後先や羞恥心を考えている暇などないのだろう。恋する乙女が、ここが勝負時と定めた。それはもう、どう考えても…………。

 

 

 

「私が勝ったら、貴様の言うその、い、いち、一夏と付き合う権利は私が頂く!」

 

 

 

 神皇にとって、最高に面白い舞台が出来上がったという事実に他ならないだろうから。

 

 

 

   *     *    *

 

 

 さて、本日もまた彼ら彼女らの物語を一端区切らせてもらおう。さしあたり、今日はこのような文面で締めくくらせてもらう。

 

 

 かくして、IS学園の今年度最初に行われる最初の生徒によるISトーナメントは、水面下で様々な波乱を抱えたまま幕を上げようとしていた。

 

 

 ちなみに、鈴音と箒が微妙にやらかしたその後、正気に戻った彼女らがその日からクラスリーグマッチ当日まで一夏と顔を合わせることが出来なかったのは、言うまでもない。

 

 

  *     *      *

 

「出来たっ。これで、今日の観察分は終了~っと」

 

 凝り固まった肩をほぐし、彼女は意気揚々と睥睨していたその者らから視線を上げた。その仕草がまるで人間のようで、どことなくぎこちなかった。それを見ると、人間の皮を被っていてもやはり彼女は人間ではなく、自分らとは生きている次元が違うのだと、改めて認識をさせられる。芝居臭さが見て取れるのだ。

 

「それでどうだい? 君の方は。順調かい?」

 

 幼げな少女の姿を模している彼女は、その身体に見合った無垢な笑みをこちらに向けた。だが、その笑みもそこはかとない〝何か〟がにじみ出ていて、人間味を感じさせない。

 

 彼女の問いに、問われた女は不機嫌そうに眉を寄せた。腕を組み、目を伏せているその格好は人間でありながら、彼女に謁見できるだけの威圧感を備えている。

 

「滞りなく。ただ、前回の大災害で無理やり同調しようとした影響か、人体に多大な影響が出始めています。伴って、安定していたシンクロ率が極めて不安定になっており、浸食率も比例するかのように増大、速度を増しています」

 

「つまり、今度の演目には彼を出演させない?」

 

「……はい」

 

「是非もない。いいさ。だって、彼がいないとこの世界最後の演目が上演できなくなっちゃうからね。健康第一ってことで。何より、彼を失うと君の願いも叶わなくなっちゃうし、ねぇ?」

 

 相手の反応を伺うかのようなその言葉に、女の目じりが少しだけ吊り上がる。そこにあるのは怒りではない。彼のことを慮ってくれた主への、敬愛の感情だ。この身をささげたい、その一心が今の彼女のすべてだった。

 

 いつもの報告を聞き終え、少女は手持無沙汰になった。やることがない。彼ら彼女らに大した動きはなく、今日もまた普遍的でどことかつまらない時間が過ぎていっただけだった。

 

「もう、お暇が過ぎて世界壊しちゃいそうだよ」

 

「時期が早すぎます」

 

 女が屈託に笑う少女をなだめ、その考えをすぐさま拒否した。今ここで彼女に癇癪を起されてはたまったものではない。何十年とかけて準備をしてきた計画が全て水の泡になってしまうではないか。彼女がその気になれば、こんな偽りだらけの世界など一瞬にして元々の『何もなかった無の世界』に戻されてしまう。彼女の暇が原因で、世界が終わりかねないのだ。

 そんな女の葛藤など露にも知らぬ少女は、彼女の反応に「冗談だよ」と舌を出して応じた。そんな少女の言葉が嘘だと見抜けたのは、数十年とはいえ長い付き合いがあったからであろう。女は安堵した。

 

「あ、でもね。外の方もなんだか面白くなってきたんだよねぇ。ようやくあの、〝アオイロ〟とそのお気に入りの〝オリジン〟が動き出したんだ。くくくっ、予想通りとはいえここまで思惑通りにことが運んでいると、なんだか笑えてくるね」

 

「ええ。まったくです」

 

 少女の同意を求める言葉に、女は苦笑を交じりに答えた。外の事情など自分は塵のかけらほども知らぬというのに。

 

「さてさて、今日はこの辺で君とはお別れしようかな。もうすぐ、お待ちかねの演目が開始されるからね」

 

 見た目にそぐわぬ浮かれ具合で、少女は言う。そうしていれば人間とそう変わり映えしないようにも見える。が、彼女の正体を知る女からしてみれば、どの面提げて、と思わざる得ない。それが敬愛する主であっても、人ならざる者が人を模倣することに嫌悪感を抱かないほうが無理だ。

 

 そんな内情を内に秘めたまま、女は頭を垂れた。

 

「では、また次の機会に」

 

「それじゃあね。期待しているよ、ブリュンヒルデちゃん」

 

「…………アカイロ様、その名はおやめください」

 

 

 少女――――――アカイロと呼ばれたこの世界の創造主に、女は顔をしかめて訂正を要求した。

 

 ブリュンヒルデ。そう呼ばれ、輝かしい栄光を手にしていた時期も自分にはあった。だが、それも遠い昔のこと。今となっては取り戻せない、日常の一幕に過ぎない。今更、そう呼ばれたところで呼び起こすのは発散しようとのない憤りだけだ。そういう感慨は思い起こすだけ、無意味というもの。故にその名は嫌いだった。

 

「ああ、ごめん。つい、ね。じゃあ、改めて……またね、織斑千冬ちゃん」

 

 主に名を呼ばれ、千冬は身体が熱を帯びるのを感じた。主から名を呼ばれたその名誉を、その至高を、幸福をその身に沁み込ませながら、また深くその頭を垂らした。

 

 

 

 

 世界は等しく、残酷で哀しい。

 

 

 この物語もまた、そんな世界と同じ残酷で哀しい――――――――――神々の暇つぶしでしかない。

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