場内は熱気と喧騒に包まれていた。始まりを待ちきれない生徒たちの興奮が渦となって、アリーナ全体を揺らしているかのようだった。そして、その揺れが空気を伝って、アリーナの出場選手待合室にまで届き、箒の胃をぎりぎりと絞り上げている。
出来ることなら、逃げ出したい。臓腑の底からせり上がってくるこの緊張感は、剣道の試合ですら一度も味わったことのない未知の感覚だ。どう対処すればいいか分からないし、不安が募って今にも心臓がはちきれそうだった。
「大丈夫だ……特訓はした。楯無さんの言う通りにすれば、大丈夫だ」
時間のなかった箒に、多忙の身の上である楯無は親身になってあれをこれをと指導してくれた。短い間であったが、彼女の指導がなければ今頃自分はこの緊張感に押し潰されていただろう。彼女との時間があったからこそ、箒は今逃げ出さずに済んでいる。大丈夫だ。そう言い聞かせて、箒は大きく息を吐いた。
クラス対抗リーグマッチ。年度が始まって最初の学校行事ともいうべき、イベントだ。校外からも多くのお偉い方がやってきて、観戦するという。IS学園きっての一大イベントである。
(そんな大層な行事の時に私はなにをやってるんだ)
思わず、自嘲する。
箒がこの試合に参加したのは偶然と成り行きが重なってしまったのが主な要因だった。だが、それだけではない。もっと根本的なものに立ち返れば、私的な理由もあった。
そう、至極単純で、馬鹿で、あまりにも自分勝手な理由。場違いすぎて、告白すれば全員から白けた顔で見られるかもしれない。
それでも、
「やるって……決めたんだ」
決意した想いは胸に刻まれている。どんな自分勝手な理由であれ、こんな時にすることではないとわかっているとしても、箒は貫く。
自分はあの篠ノ之束の妹なのだ。あのいつも自分勝手で、奔放で、自由気ままな彼女の実の妹なのである。手先は器用なのに、心は不器用で、いつも笑顔の下に本音を隠して、そのくせ大切な人のためならばたとえ世界だろうが、相手取ってしまう――――――彼女の妹なのだ。
姉は主張していた。いつも、派手に、場違いなときに、自分勝手に、声にならない声を張り上げていた。自らの想いを、大切な人たちに向けて。
『言いたいことがあるのなら、お姉ちゃんは言うよ! どんなときだって、どんな場所でだって、使えるものは何でも使って言うんだよ! 私はこうなんだぞ~って! 周りなんてしったこっちゃない。私は私の意志で、それを伝えたいから、その人に伝わるように、伝わってほしいから、言うんだよ! 周りを気にしてたら、自分が見えないからね!』
わはははっ、と声をあげて笑う姉を思い出す。少し、頭が痛くなった。
今からやろうとしていることは、規模が彼女よりも小さいとはいえベクトルは同じことだ。もはや、同類と言ってもいい。あの天才肌で、他人とは一生かかっても同じ価値観を持ち得ないであろう彼女と同類というのは、血の繋がった家族とはいえ、遠慮したいところだった。
しかし、今更後には引けない。
選択肢は、実行以外にはなにもない。
『それでは第一試合、一年四組対三組の試合を始めます』
本日最初の試合を告げる放送がスピーカーを通して、待合室となっているロッカールームへと流れる。
設置されているモニターには、ラファール・リヴァイヴを纏い試合開始の合図のブザーを待っている三組のクラス代表と、打鉄弐式を纏い不安げに表情を曇らせている簪が映し出されている。二人とも、かなり緊張しているようで、先からしきりに乾いた唇を舐めていた。
ブザーが鳴り、それと同時に二者共々武装を展開する。激しい撃ち合いが繰り広げられ、箒はその光景に目が釘付けになった。
これが、本物のISでの試合。
ごくりと喉を鳴らし、つばを飲み込む。背筋に走るぞわぞわとした感覚を覚えながらも、箒はその光景に見入っていった。
* * *
精密とは程遠い銃撃が、簪の先までいた空間を穿いていく。機体性能に物を言わせた、立体的な機動を駆使して簪はそれを避け続ける。もともと、第二世代の量産機である打鉄の後継機である打鉄弐式は、打鉄が防御型なのに比べて機動性に重点を置いた機動型だ。たださえ入学したてで経験と技術が欠けている彼女の射撃では、代表候補生である簪をその照準に捉えることが出来るはずもなかった。
なのに、簪の表情は芳しくない。
(攻撃が出鱈目で……接近出来ない!)
相手の攻撃は素人に毛が生えた程度のものだ。だからといって、簡単に懐に入り込めるというわけでもなかった。素人な分、その動きは出鱈目な部分がある。訓練を受けている身としては、無駄な動きが多いように見えている。しかし、その無駄な動きが今、簪が攻勢に移ろうとするのを阻害していた。
普通の者ならば、ここで無駄撃ちはしない。弾も無限ではないからだ。いつかは切れ、引き金は空を切る。だからこそ、経験者になればなるほど精確な射撃で無駄な弾丸の消費を抑えようとするのだが、簪が相対している彼女は違う。素人だ。そんな経験層に基づいた戦力など構築されていないだろうし、何しろ初めてこのような観衆の前での実戦だろう。緊張と相手である簪が専用機もちということも相まって、内心相当焦っているはずだ。そんな時に冷静な判断なんて下せないし、ましてやそう見せかけて相手を油断させるなどというどこかの女然とした男がやるようなことなど考え付きもしないはずである。
故に、掃射。機動力で劣る相手に、弾幕を張るのは確かに有効な手段かもしれない。事実、簪はそのおかげで近づくことすら困難を極めている。
「システムさえ……完成していればっ!」
まだ、簪の駆る機体は本当の意味では未完成だった。マルチロックオンシステムはいまだ完成を見せていない。それ以外、機体の根幹を為す大部分が完成しているためこうやって試合は行えているが、マルチロックオンシステム無しでは打鉄弐式本来の力を発揮することは出来ず、苦戦を強いられている。
ただし、苦戦と言っても劣勢という訳ではなかった。被弾は一度としてなく、かといって相手も被弾しているわけではない。一進一退の攻防。膠着状態であった。
このまま行けば、恐らく弾切れで簪に勝機は訪れる。だが、相手は全距離対応射撃型であり、第二世代の中ではトップクラスの後付武装の豊富さが売りのラファールだ。弾切れが起きたとしても、すぐに武装を交換されて、次なる弾幕を張られてしまうのが関の山だろう。
やはりここは弾切れを待たず、被弾覚悟で突撃を敢行するべきか…………。
(ちょっと待って……武装を交換……? そうだ、それなら……ッ!)
妙案が閃いた。なるほど、これは盲点だった。簪は己の迂闊さを恥じるように、ため息をついた。
最近、簪が実戦を経験するときは限って玄兎や紅い兎の面子、もしくは楯無が相手だった。簪では手も足も出ないような人たちと共に、ひょんなことから実戦を経験してきた。が、そうやって世界でもトップクラスの実力を持つ猛者たちばかりを相手にしてきていた弊害か、簪はここにきてあまりにも初歩的なことを見落としていた。
つまりは、武装を収納し展開する一連の動作にかかる時間だ。いかに早く武装交換することが出来るかというのは、ISでの戦闘において大変重要な要素の一つだった。何しろ、一瞬もの間丸腰になる。最高速度が超高速であるISは、その一瞬の隙が命取りになりかねない。故に一流の操縦者になればなるほど、武装が収納され展開されるまでの間は一秒よりも早くなる。玄兎や瑛梨といった紅い兎は特にそれが顕著で、あり得ない速度でそれを行う。
そんな相手とばかり戦っていた簪は、無意識のうちに武装を交換する間に隙など無いと思い込んでしまっていた。
「そうと決まれば、あとは……!」
「あたって! なんで……当たってよ!」
焦燥感に駆られる相手が、ばら撒く鉛を見ながらその顔をくしゃくしゃに歪めている。
簪の勘が正しければ、彼女の構えるアサルトライフルはもうすぐ装弾されている弾が底を尽きる。凄まじい勢いで吐き出されている弾丸の数を見る限りだと、少し早くも感じるが妥当なところだろう。
結論から言えば、簪の考えは正しかった。
「……ッ!? た、弾切れ!?」
弾数など気にしていなかったのかもしれない。相手が悪かった。もっと他の量産機相手なら、彼女も多少なりといい試合を出来たであろうに。
そんな憐憫さを感じながらも、簪は旋回していた機体を急停止させ、進行方向を敵機へと向ける。
間髪入れず最大出力を以て、突撃。手には展開された対複合装甲用超振動薙刀『
「――――――ヒィッ!」
小さな悲鳴が上がり、ラファールの深緑の装甲が袈裟懸けに叩き切られた。「ハッ!」と息を吐き、簪はもう一太刀逆袈裟に切り上げ、ラファールのシールドエネルギーを著しく奪っていく。
まだ、終わらない。この程度では完全に相手のシールドエネルギーを削り取ることは出来ない、まだ強力なもう一撃が必要だ。
背部に装備されている荷電粒子砲『春雷(しゅんらい)』の二門を脇の下からくぐらせ、その銃口を斬撃を受けばかりのラファールへと照準する。至近距離における、超高威力武装の連射がラファールを襲った。手加減など一切ない。
容赦のない、まさに嵐のような連撃が鳴りやむのと同時。
『勝者:更識簪』
試合終了を告げるブザーが鳴り響いたのだった。
「いやいや、最高によかったよ! かんざしっち!」
ピットに戻り、ISを解除するなりテンションが上がりに上がった神皇が飛びついて来た。勿論、慣れた動きで簪はそれを避けている。すぐに鈍い音と小さな悲鳴が下から聞こえたが、簪にとっては日常的光景なので一瞥もくれていない。ここで変に相手をすると、かえって面倒なほど喰いつきをみせるのが神皇という人間だ。ここは存在しない者と仮定して、無視する方が彼女の扱い方としては賢明である。
「しっかし、相手側の奴ももうちょい余裕を持てっての。あれじゃ、いくら頑張っても当たらねえよ」
「仕方ないよー。誰もがくろむーみたいに、出来る訳じゃないからねー」
「俺が初めてやった時もあれほど酷くはなかったんだがなぁ」
それは玄兎が異常なだけだ、と簪は口にしかけたが寸前のところで呑み込んだ。一々いうことでもないし、何よりなんだか心象が悪くなりそうだと思った。ただでさえ、姉に多量のリードを許している今の状況。なるべくだが、こちら側の不利になるようなことだけは避けておきたかった。
そんな乙女心満載の思考を巡らせる簪だが、彼女の思いとは対照的に玄兎の表情はどことなく苦々しい。
「点数をつけるなら、百点満点中…………七十点ってところか。さっきの試合は」
「うわぁ、意外と辛辣な評価……」
そう声を上げたのは、床に打ち付けたのであろう鼻を押さえている神皇だった。神皇からしてみれば、先の試合はかなりいい内容だったと思っていた。自らの技量差を埋めるためにあのような作戦に出た相手方、その作戦にあるほんの少しの穴をついて勝利した簪。経験の違いと機体性能の差が結果を大きく分けたとはいえ、両者共々入学してまだ一カ月ということも考慮しても褒められる試合だったと神皇には映っていた。
しかし、と玄兎は言う。
「いくら相手があんな予測不可能な乱射をしてたとしても、付け入る隙は無数にあるんだ。確かに今回のような戦い方も一つの方法さ。こっちの被害が一番少なくて済むやり方だしな、何より簡単だ」
「なら、何をそんなに気にしているんですか」
「根本的なもんさ」
ぶすっとした顔で呟いた神皇の言葉に、玄兎は即座に答えをもたらした。
「それに時間がかかりすぎる。いくら、相手との性能差を鑑みて被弾確率が限りなくゼロに近しいといってもな。それにこれは、今しか使えない。戦ったあいつも、これからどんどん強くなるだろう。今日みたいな戦い方がダメだとわかるし、武装の交換速度も早くなる。そうなれば今日の作戦は通じない」
「でも、その時はまたその時で」
「いいか? ISつうのはな、自己進化すんだ。一日経てば、またそれだけ強くなる代物だ。そんな見た目的に変わるもんじゃねえからイマイチ実感できないがな。うんでもって、ISの操縦者を育成するこの学校の生徒が最終的に目指すのは国家代表であり、その頂点のブリュンヒルデだ。モンド・グロッソは当たり前だが、専用機だらけ。ここのは自己進化プログラムが制限されているからあり得ないが、『本物』は日々進化する。厄介なことこの上ない。昨日勝てた相手に、次の日は勝てない。そんなことがざらにあるかもしれん」
「かもしれんって……」
「まぁ、俺が言いたいのはな? 相手の弱点を、作戦の穴を見つけてつくのはいい。それも戦術だし、一つのやり方だ。だが、それじゃあ先には行けない」
簪の表情が見る見るうちに弱々しいものになっていく。「じゃあ、どうすれば……いいの?」とたどたどしく言葉を紡ぐが、それも声が震えていて弱々しい。
だが、対照的に玄兎は笑顔だった。まるで簪に大丈夫だと言いたげに、肩を竦めた。
「相手の弱点じゃない。自分の強みを活かした戦い方をしろ。どうすれば自分の強みを活かせるか、それを考えて試合をするんだ」
「自分の強み…………? でも、わたしには」
そんなものないよ。そう言い掛けてた簪だったが、その言葉が最後まで紡がれることなかった。彼女の言葉が終わるか否かというタイミング、玄兎が彼女の言葉を遮ったのだ。
「それを探すのが、今さ。焦るな。お前にはお前にしかない強みが絶対ある。それに、強みってのは自分自身ってだけじゃない。お前の相棒でもある『打鉄弐式』についても、言えることだ。要は、お前と打鉄弐式。この二つの長所をどうやって戦いに活かすのか。俺が言いたいのはそういうことだ」
言い終わると何だか一仕事終えたようなすっきりとした表情を玄兎は作った。そして徐にポケットに手を入れ、その中にある飴玉を一つ口の中に放り込んだ。口の中に飴玉が入れられた瞬間、とても心地よさそうな笑みを浮かべたが、それもすぐに自堕落そうな表情へと移っていった。
そんな奇妙な変化を見せる玄兎だが、その正面にいる簪はどこかしょぼくれていた。大好きな玄兎に駄目出しされたのが堪えられなかったのだろう。その瞳から覗いている感情はどう見ても、不貞腐れている。姉妹揃って、玄兎に駄目出しされると(表に出す度合いは違うが)こうやって唇を尖らせて不貞腐れるのだ。よく似た姉妹だと、神皇はため息をついた。
「ままっ、かんざしっちもそうやってしょぼくれないって。玄兎さんのアドバイスも、これから勝ち上がっていくためには必要なことだよ? そうやってかんざしっちがそっぽ向くとそのうち玄兎さんからも見放されちゃうよ」
「それは……ッ。いや……だ」
「なら、ここは前向きに愛しい人からの愛のむちだと思って、ウゲッ!?」
「余計なこと……言わないで」
励まそうとするあまり余計なことを口走った神皇に、簪の肘鉄が制裁を加えた。鳩尾へと華麗にヒットした肘鉄に、悶え苦しむ神皇を一瞥した簪はそのまま玄兎に視線を投げる。
「あ、アドバイス……ありがと」
「おう、参考にしてくれ」
最初からわかっている。彼には悪意などかけらもないことなど、とうにわかっていた。すべてが善意に基づいての発言だということは、簪が一番よく理解している。彼女がしょぼくれたのはもっと別の理由だ。そんなことではない。確かに、原因として彼に駄目出しされたことも無きにしも非ずなのだが、それはこの際置いておく。
さて、不貞腐れた理由。それは改めて感じてしまったからだ。姉との差を、彼女に追いつくための道程の険しさを、その距離を、簪はここにきて自分の目的とする人物の言葉でそれを実感させられた。
姉ならばきっと今の玄兎の言葉を、自力で探し出していた。最初から答えを持っていたというわけではないだろうが、それでも誰かに言われなければ気付けなかった簪と違って、楯無ならばこの答えにきっと一人だけでたどり着けていた。そう思うと、胸の内からなんとも言えない悔しさが溢れだしてきた。
また、か。少しは縮んだと思い込んでいた距離は、実はまったく縮まっていなくて。
自分の思い込みで、勝手に喜んで、落ち込んで。みっともなくて、見ていられない。簪は無意識に奥歯を噛みしめていた。
「……見つかるのかな……私の強み……」
気づけば、そんなことを口にしていた。玄兎は「ある」と肯定してくれていたが、それが見つかるとまでは言ってくれなかった。絶対にあるが、それを簪が見つけ実力として身に着けられるかとは彼は言及していないのだ。それが今の簪には激しい不安をもたらしている。先の見えない暗闇が、そこにあるはずの姉の背まで隠してしまっていて、自分の歩むべき道すらも今の簪には見えない。
震える。体が震えている。怖い。たまらなく怖い。玄兎に幻滅されるのが、楯無に幻滅されるのが、父や母、神皇や本音にまで見限られてしまうのではないかという極度の不安が簪の体を震えさせていた。
試合には勝った。だが、これでは意味がない。彼に認めてもらえなければ、何の意味も――――――
「見つかるよ。かんちゃんのいいところ、私はいーっぱい知ってるかね~。きっと、大丈夫だよー」
袋小路に陥っていた簪の思考に、光が差したような気がした。声の主は本音だった。ぶかぶかで全然体にフィットしていない制服の袖で、頭を掻きながら本音は言う。
「かんちゃんはね、真面目だし、大人しいし、頭もいいんだよ~? へへ、ISの操縦だって代表候補生だから、巧いんだよ~。知ってた?」
「それは……当たり前に」
「だから、心配なんてする必要ないんだぜ~。えへへ」
本音と簪は長い付き合いだ。神皇と出会うずっと前から、彼女と簪はともに過ごしてきた。幼馴染であり、自分の専属メイド(簪としてはお手伝いさんと呼称したいのだが)である本音は、普段は間延びした喋り方で緩い雰囲気を醸しているが、時折鋭く核心をつくことがある。意識してか、無意識かはわからないが彼女は自分の名の通り他人の『本音』を見抜くことが得意なのだ。
恐らく、先も簪の些細な表情の変化に気づき、そこにある感情を読み取ったのだろう。本当に見た目によらず、怖い幼馴染だ。
「ありがとう、本音。うん……頑張ってみる」
「その意気だ、いぇ~い」
「イェーイ!」
調子に乗って神皇まで本音に便乗してきた。本当に騒がしい友人たちだ。そんな彼女らを見ていると、自分の悩みもどうにかなってしまいそうで何だか胸が軽くなったような気がした。
(敵わねえなぁ)
そんな光景を少々離れた場所で見ていた玄兎は、三人を見てそんな感想を抱いていた。肩の力を抜いて、自分を信じて戦え。そんなことを言うつもりが、どこか説教じみた感じになってしまったのは玄兎にとって反省すべき点だった。あれでますます簪の元気がなくなったのだ。自分が彼女に及ぼす影響は多大である。そのことをなまじ認識しているぶん、先ほどの発言はあまりにも軽率だったと悔やまずにはいられなかった。
「さて、そろそろ。次の試合が始まるから、撤収すんぞ。まだ、俺たちにはやることが残ってるしな」
とはいえ、そんなことをいつまでも後悔している暇など今の玄兎にはない。加えて、玄兎は感傷的な性格でもなかった。そんなことでうじうじ悩んでいるようなら、とっくの昔に潰れている。小さな失敗を悔やみ続けるより、それを糧にして次の成功を夢見る方がよっぽど建設的だ。赤神玄兎はそんな男だった。
「でも、本当に大丈夫なんですか? その、今日の待ち時間の間に完成させるって」
「おうって。そのための依頼だろうが」
「でも……私たちが何日もかけて、出来なかったことを? やれる……の?」
神皇と簪の疑問は最もだ。だが、そんなこと玄兎には関係ない。そもそも出来ないことを、やる、などと嘯くのは彼の信条から外れている。やるといった以上、やれるのだ。
それに、やるのは何も玄兎でなくてはならないという決まりはない。
『大丈夫ですよ、更識さん。篠ノ之束の一番弟子、このナギちゃんにかかればどんなシステムだって、あっという間に完成します』
どこからそんな自信が出てくるのか。玄兎の所有する端末越しに自信満々な笑顔を見せるナギに、簪はどことない心配を顔によぎらせる。
「でも……報酬は、あれでよかったの?」
『もうばっちりです。大体、他国の重要機密である第三世代のプログラムを見せてもらえるだけで、正直私にとっては渡りに船ですよ』
彼女がマルチロックオンシステムの完成を手伝ってくれる対価として要求した物は、驚くべきことにお金ではなく、システムを見せてもらうことだった。
どうやら彼女にとってはISのプログラムそのものを見れるだけでも、勉強になるという理由でよいらしい。労働に対する対価が見合ってないような気がしたが、簪にとってもこの破格の条件だ。呑まないはずがなかった。日本の重要機密に連なることだが、彼女らには安心して任せられるような気がした。知られれば、代表候補生を下ろされるかもしれないが、その時はその時だ。
「じゃあ、さっそくはじめよう~」
一抹の期待と不安を感じながらも、この戦いに勝つために必要な――――――――自らの強みを、打鉄弐式の『強み』を得るために、簪は皆の後を追っていった。
* * *
簪の試合からも幾度の試合を経た。やはり、一年生で入学したばかりということもあってどこか拙い試合が多く、玄兎とセシリアが戦った代表決定戦のときのような緊迫感は感じられなかった。しかし、勘違いしそうになるが今行われている拙い試合、これこそが本来一年生が備えている実力であるのだ。今年度の一年は何かとイレギュラーと代表候補生が多く、専用機もちが例年に比べて倍ほどの数がいる。玄兎やセシリアが突出しているだけであって、何も彼らに劣る他の生徒が悪いというわけでは決してない。
出番が刻一刻と近づいてくる。試合終了のブザーが鳴り響く度、心臓が一際大きく脈動し全身にありったけの血を巡らせていく。
武者震いがうるさく、身体を揺らしてくる。自分の出番を考えるたび、臓腑が縮み上がりそうな錯覚に陥った。中学校時代、剣道の全国大会に出場したときでもここまでの緊張はしなかった。不安が胸に居座って、出て行ってくれない。初めてのISによる実戦ということが、箒に先の見えない不安を与えている。
「くそくそ……更識も凰も勝った。次は私だ、私だ……」
そう、彼女がここまで不安を大きくしているのにはもう一つ理由があった。箒と別のブロックに登録されている鈴音と簪、その両方が一回戦を順調に勝ち上がっていたのだ。彼女たちは代表候補生であり専用機もち、よっぽどのことがなければ(それこそ玄兎のような生徒がいなければ)敗退することなどないだろう。
だが、箒はどうだ。ISを開発した篠ノ之束の妹とはいえ、この学園に来るまでISなど触ることもなかった人間である。訓練もしたことなかったし、楯無の教えなしでは動かすだけでやっとだった。楯無の計らいで、多少マシにはなったもののそれがこの舞台で通用するかはわからない。
そして、ついさきほど行われていた試合が終わった。次はいよいよ箒の出番だ。待合室からピットに向けて歩く廊下が、酷く遠く感じる。色々なものを思い出して羞恥が浮かび、後悔が残り、それを打ち消すようにこの数日間の記憶が呼び起されていく。
大丈夫だ、そう言い聞かせて箒はピットに向かう歩を早める。
「あら、随分と遅いご登場ですわね。あまりにも遅いので逃げてしまわれたのかと思っていましたわ」
辛辣な口調が箒を出迎えた。セシリアだ。どうやら彼女は箒よりも一足先にこの場に到着していたらしい。
だが、その表情には言葉とは裏腹に不機嫌そうなものは見当たらず、不敵な笑みを浮かべている。
「なんですの、その暗い顔は。しゃっきとしなさい! あなたはわたしくしの代わりとしてこのトーナメントに出場しているのですよ? わたしくが代わりとして適当だと認めたあなたに、みっともない試合をさせるわけにはいきませんの。ですから、もっと覇気を持ってくださいまし。今のあなたからは気合どころか、敗者に見えて仕方ありません」
あの時、セシリアは箒の言葉にどこかしら共感を覚えていたようなことを言っていた。箒を自分の代打として認め、この出場を後押ししてくれたのだ。後々、不満たらたらだったクラスメイトを説得してくれたのもセシリアだった。
彼女が何を思って、途端に箒の見方をしてくれるようになったかは定かではない。が、彼女から伝わるのは本気の期待であり、自分の代打たり得ると思ったからこうして後押しをしてくれているのだろう。
そんな彼女を見たら、箒もうじうじしているわけにもいかなくなった。覚悟を決めて、試合に臨まなくてはいけない。
「すまない。初めてのことで、少し緊張してたんだ」
「……無理もありませんわ。このような初舞台、ほかの方々と同じで恐縮な気持ちになるのも当然です。しかし、それでも貴方はわたくしの代わり。無様な格好を晒すことだけは、決してないように心がけてくださいな」
「ああ、善処しよう」
しきりに釘をさすセシリアに、苦笑いを浮かべ了承の意を示す。
これが彼女なりの激励なのかと思うと、胸にあった重みが軽くなったような気がした。
「ああ、それと」
不意にセシリアが何かを思い出しように、言葉を漏らした。
「あなたが来る少し前にいらしていた何某様からの伝言がありましたわ」
「何某って……」
誰だよ、というツッコミは無粋だろう。
「こほん。『箒ちゃんなら、誰が相手だろうと大丈夫。なんたって、私が直々に鍛えたんだからね! 賭け云々は試合の瞬間だけは忘れて、初めての試合を楽しんでくるように!』だそうですわ」
正直似ていないセシリアのモノマネだったが、口調とその内容からある程度人物を特定は出来る。そして、彼女の言葉を聞いてにやりと口角を吊り上げた。
――――――楽しんでくるように、か。
楽しむ余裕など、恐らく今の箒にはない。玄兎や楯無とは違って自分はまだまだ経験不足。何もかもが足りていない。本音を言えば、戦闘を成立させるだけで手一杯でそんなことを感じる暇もないだろう。だが、あの人はそれすらも見越したうえであんな文句を残していったはずだ。
「買いかぶりすぎです、楯無さん」
自分は貴方が考えてるほど大物ではないですよ、と箒は肩を竦めた。
それでも。
「頑張ってみます」
「…………何かは知りませんけど、早く準備を始めてはいかが? 試合開始まで、時間がありませんわよ?」
ピットから飛び立ち、軽く操作の感覚を思い出しながら箒は眼前を睨んだ。そこにはもう既に準備を終え一足先に会場へと飛び出してきていた対戦相手がいる。
特徴的な風貌の少女だった。顔つきはれっきとした日本人なのだが、その髪の色は鮮やかな黄金色をしている。目がくるりと大きく、愛嬌があった。
「やぁ、君が私の対戦相手かい?」
やや芝居がかった笑みを浮かべ、少女が口を開いた。それに対し、箒も「ああ」と仏頂面で答える。
「遅いんで、ちょっと待ちくたびれたよ」
大仰な仕草で両手を上げ、肩を竦める。
「悪いな。こちらの不始末だ」
「いやいや、まだ試合開始までには時間があったし、それこそ私が早く出過ぎただけだから」
そう言うと少女は頭を掻いて、「そういえば、自己紹介がまだだったね」と少々場違いな発言をかました。
そういうえば、箒は対戦する相手が誰だったか、確認をしていなかった。緊張でそれどころではなかったのだ。それに箒はあまり人とのかかわりがなく、薄い人間関係を形成している。何組の誰々、という情報を得たところで大した感慨もわかないし、強弱もわからない。神皇に聞けばある程度のことは教えてくれるだろうが、まず間違いなく多量の現金を要求されるのでお断りしたいところだ。
そんな箒の事情を露ほどにも知らない少女は、(箒と比べては可哀想だが)薄っぺらい胸を張り得意げに告げる。
「私は一年三組のクラス代表、
「自己紹介するまでもない、か」
史上初の男子生徒の二人があまりにも存在感があって霞んでしまいがちだが、この学園では箒もまた有名人なのである。言わずもがな、ISを開発した篠ノ之束の妹であるからだ。ISについて学ぶ学校で、その開発者の家族がいたらそれはそれは目立つことだろう。それに名字もあまり聞いたことのない、珍しいものだ。名が知れるのは当然の成り行きだったと言わざる得ない。
「私は君と戦えることを楽しみにしてたんだよ? 篠ノ之博士の実の妹……その実力はどうなんだろうって、ずっとね。これでもISの操縦には自信があるんだ」
「生憎だが、私は姉さんとは疎遠な関係でな。ISを弄ったことも、ましてや操縦などやったことはなかった。だから、実力の方はあまり期待しないでほしいな」
目を輝かせる紅葉に、渋面を作った箒は申し訳なさそうに言った。
それを受けて、紅葉もあからさまに肩を落とした。
「まぁ、いいです。こんな有名人と試合出来るのも、この先あるかどうかわかりませんからね。それだけでもわくわくしちゃうものです」
彼女には彼女なりの感性があるようで、ある程度名の知れた箒と一戦交えられることが嬉しいようだ。箒としては姉の影響で名が広まるのは、御免こうむりたいのだが目の前の少女にそのような感情は関係ないだろう。
箒は嘆息し、もう一度紅葉へと視線を送った。
使用しているISは箒と同じIS学園に配備されている訓練機の一つである打鉄だ。だが、形状は少しだけ本来の打鉄とは異なっている。『
換装装備とは端的にいえば、一つの期待であらゆる場面に対応できるようにするためのものである。
例を出そう。ここで二人が纏っている打鉄だが、この機体はその柔軟なOSによって多種多様な換装装備を持っている。そのうちの一つが、長距離射撃用パッケージ『撃鉄』だ。これは打鉄が持つ換装装備で最も有名なもので、現在の超長距離射撃命中率の世界記録を保持している。この換装装備のおかげで打鉄は超遠距離での交戦においてもその真価を発揮することができ、また本来の打鉄の基本装備は刀一本とアサルトライフル一丁だ。その武装からこの機体が本来近距離を想定してつくられたと、誰もが想像がつくだろう。故に、換装装備は重宝される。それ一つで、機体の可能性が無限に広がるのだから、量産機出来れば一種類の機体でありとあらゆる場面への対応が可能になるのだ。
紅葉が装備している
かくいう、箒も
そんな異なる
そして。
『試合を開始します』
試合の始まりを告げるブザーが両者の燻る火蓋を切って落とした。
* * *
箒の試合が始まる数分前。会場の一角、生徒達が試合の行く末を見守るその場所で楯無はため息をついた。
「なんで、玄兎は簪ちゃんの方に行っちゃうかなー」
不機嫌そうに頬を膨らませ、眉を寄せる。件の幼馴染はこちらの側の想いなどまるで無視しして、今まさに楯無と目下対立中ともいえる相手のところで援助を行っているのだ。当たり前に、楯無はこの状況が面白くない。そこで駄々をこねなかった分、まだ彼女は弁えというものがわかっている。相手が妹ということもあるだろう。もしも、これがアリサや見ず知らずの女性だったら間違いなく駄々をこねて怒り狂っていた。身勝手な話だが。
「仕方ないですよ。少し前からそういう約束してたんですから」
「原因の大本が何を言うか……」
神皇の慰めも、真実を知る楯無にとっては皮肉にしか聞こえない。というか、皮肉だった。
彼女が簪と玄兎を引き合わせ、あのような約束を交わさせた原因であるというのはとっくに調べがついている。神皇は楯無とともに行動していることが多いが、その実楯無よりも簪の有利になるようなことの運びかたをしている節があった。特に色恋沙汰はそれが顕著だ。普段は気の置けない親友であるが、玄兎が絡むと一気にスパイへと変貌する。油断も隙もない人物なのだ。
「でも、順調ですね。凰さんもかんざしっちも順調に勝ち上がって……次はいよいよ篠ノ之さんですか」
緊張した面持ち、ではなく顔を綻ばせ最高の演目を見せてもらえることへの喜びが感じられる笑みを浮かべて神皇は言った。箒と鈴音の一夏に対する宣戦布告は、彼女らにも記憶に新しい。しかし、鈴音は代表候補生であり、専用機もちだ。束の妹である以外、剣道しか取り柄がない箒にまず勝ち目がないようにも見える。だが、ここで珍妙な絡みが起こった。簪と楯無の玄兎との同室の権利をかけた賭けだった。その内容によれば、簪が優勝すれば簪が、楯無の賭けた相手が優勝すれば楯無が、その権利を得る。だが、その時に楯無が賭けた相手は箒だったのである。というより、初めから箒を臨時代表にして出場させ、一夏にアピールする場を作るというお節介極まりない楯無の思惑があってこその行動だったのだが、それが奇妙に絡み合った。
つまり、鈴音と箒の一騎打ちは、裏を返せば楯無と簪にも何らかの影響がある。その逆もまた然り。それに簪と鈴音は決勝の手前、準決勝で当たる組み合わせとなっており、箒とは決勝で当たる。これほど面白き組み合わせは見たことがない、そう言って神皇は笑いを堪え切れていなかった。
「箒ちゃんは勝つわ。なんたって、私が直々に指導したんですもの」
「さてさて、それはどうですかねぇ~」
飛び出してきた箒に目をやりながら、神皇が楯無の言に疑問を投げかけた。そんな神皇の態度にさすがの楯無もムッとならざる得ない。神皇がまた何かの情報を隠しているな、と直感で判断したのだ。
「どういう意味よ」
「そのまま意味です。箒さんの初戦の相手、なんたる不運か。嘆かずにはいられませんね。いきなり会長の思惑が潰れるかもしれない」
迂遠な言い方だが、言外に箒の対戦相手が只者ではないということを伝えてくる。これには楯無も訝しむ表情を崩すことは出来なかった。
「誰なの、その対戦相手って」
「会長には特別ですよ?」
その勿体ぶった口調は一々楯無の苛立ちを刺激してきたが、なんとか堪えて神皇の言葉に耳を傾けた。
神皇の視線が紅葉に向けられる。
「彼女の名前は日向紅葉。三組のクラス代表です」
「日向……紅葉?」
聞いたこともない名前だった。その真意を神皇に視線だけ問うと、彼女はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「いいですか? よく聞いてください。まず入学試験の主席が誰だったか、会長は覚えてますよね」
「当たり前でしょ。オルコットさん自身、触れ回っているのだから」
「では、次席が誰だか御存じで?」
「それは鈴ちゃんでしょ、普通に考えて」
入学試験の次席は主席と僅差で負けてしまったという話は楯無の耳に入っている。何より、二人は代表候補生だ。簪が三位という成績だったことは記憶しているので、自然とそこに入るのは鈴音以外いない。そう楯無は考えていた。
しかし、神皇の言葉でそれは一変した。まさかありえない、そう言いたかったが神皇が教える情報に嘘偽りはないことは楯無も知っている。つまりは、真実なのだ。今、彼女の口から聞かされたことは。
「入学試験の次席は日向紅葉なんです。凰さんじゃありません。代表候補生でも、企業に所属しているわけでも、専用機を持っているわけでもないただの一般人のはずの彼女のほうが、かんざしっちよりも凰さんよりも、順位は上なんです」
換装装備の説明にあたり独自の解釈を用いて、説明していますのでご了承ください。
因みに、twitterを始めました。