IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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第二十七話 後悔と約束

 負けた。

 

 そのことを認識するまで、多少の時間を要した。自分がどうやってピットに戻り、ISを解除したのかも憶えていない。彼女の中ではISのシールドエネルギーの表示が零になった瞬間から、戻り玄兎に出迎えられるまでの数分間の記憶が曖昧だった。それほどまでにショックが大きかった。ただ、あるのは敗北の直前確かに聞こえたあの声だ。冷たく、まるで刃物ように鋭い声色をした鈴音の声。明るく、元気でいつも笑顔を浮かべている鈴音とは違う。日常の彼女が晴天に浮かぶ太陽だとすれば、先の彼女は深淵の底に潜む『魔』のようだった。

 

 あの瞬間、全身が粟立ち、臓腑が縮み上がる錯覚があった。無意識に感じた恐怖が、そこにあったのだと思う。ピットに戻り意識をはっきりさせてからもその感覚だけは背筋に張り付いて、消えてはくれなかった。

 

 末梢の神経さえ、鋭敏に研ぎ澄まされていた。簪の動物としての生存本能が、警告を鳴らしている。

 

 敵が来る。

 

 逃げろ。

 

 そう訴えかけてくる。

 

 何が起きても反応が遅れぬよう、思考回路が通常の倍以上の速度で回転を続けていた。心臓が早鐘を打ち、体温が上昇していく。どくりと心臓が波打つたび、意識と空間が切り離されていった。まるで全体を俯瞰しているような感覚。五感全てが現実と隔離されたかのようだった。

 無音無色の空間が、ある。そこにあるのは自分という存在だけ。鼓動する己の命だけが、音となって世界を震わせている。

 

 呼吸すらも忘れ、簪の意識がその存在から離れていくような感覚に――――――――

 

 音が鳴った。かつん、というコンクリートの床を踏みしめた音。それが恐怖によってどこまでも鋭くなった簪の聴覚を刺激し、発生源を知らせてくる。それは前方、それも距離にして一メートルもない場所だった。

 

「おい、いつまでボケっと立ってるんだ。大丈夫か?」

 

「――――――ッ!」

 

 その声によって、簪の意識がこちらに引き戻された。

 

 音が生まれ、色に縁どられていく。極限状態にあった簪の五感が、意識が、徐々にその熱を取り戻し始めた。意識が現実に引き戻され、自己が更識簪という存在に再び収まる。

 途端に息苦しさが襲ってきた。思いだしたかのように肺が酸素を欲した。乱れた呼吸が、浅く何度も繰り返される。

 

「おい、本当に大丈夫か?」

 

「……だ、大丈夫」

 

 気遣わしげな玄兎の声。その声を聴くと、この上ないほどの安心感がもたらされる気がした。

 

「でも、すごい汗だぞ」

 

 言われてから、気付いた。この大量の汗に。

 額を軽く拭うと、ぬるっとした感触と生温さが手の甲に張り付いた。全身がサウナに入っていたかのように、冷や汗で濡れていた。全身から水分という水分が出ていったのではないかと疑うレベルの発汗量だ。

 

 遅まきに、自分の置かれている状況が思い起こされてきた。

 

 鈴音に試合で負け、その直前に聞こえてきた彼女の声の冷たさに恐怖し、敗北のショックと相まって一種のトランス状態に陥っていたのだろう。あの自分と現実が切り離され、世界を俯瞰する感覚。あれはいうなら、この世界ともいうべき存在から更識簪という自己が忘れ去れているような…………そう、まるで魂そのものが消失しようとしているようだった。

 不思議な感覚だ。自分でもなぜ先の現象をそんな風に捉えているのか、表現しているのかが分からない。だが、直感的に簪は悟っていた。もし、自分があのまま現実に引き戻されていなければ、自分は恐らくこうしてまた玄兎の言葉に胸を浸らせることは出来なかったのだろう、と。小難しい理屈抜きで、簪はそのように思っていた。

 そのあと、玄兎に勧められて汗を流すためシャワー室へと向かった。シャワーを浴びていると、混乱していた思考がようやく冷めていくのを感じた。

 

 三度、状況を整理する。

 

 第一に鈴音との準決勝に、自分は敗北した。自分が持てるだけの力を振り絞り、負けたのだ。悔しさと歯がゆさで、奥歯がきりきりと不快な音を立てる。

 そして、ここで負けてしまったということは、玄兎の同室の権利を賭けた勝負もまた、簪は勝利することが出来なかったということだ。幸いなことに、楯無が指示していた箒もまた初戦で敗北を喫している。そのため結果的にはこの勝負引き分けということになるだろう。互いに支持した者、もしくは自分が優勝した場合のみ、この賭けは勝利者を選ぶ。もしも、優勝したら、という文言がなければ今頃賭けは簪の勝ちで、玄兎との同室ライフに胸を膨らませていたに違いない。なんとも惜しいことをした。

 

 しかし、今簪の胸中を占めているのは試合に負けたショックでも、賭けに勝つことが出来なかったことでもない。彼の期待に応えることが出来なかったことだった。

 玄兎は神皇と成り行きのせいだったとはいえ、打鉄弐式の組み立てを嫌味一つ言わずに手伝ってくれた。システムの完成が間に合わず、当日になっても作業をしていた自分に仲間を無償で紹介してくれ、ついには完成どころか当初よりも性能が向上したシステムを構築してくれた。彼がいなければ、出場すら危ぶまれていたところだ。

 

 これで救われたのは何度目だろうか。もう数えきれないほど彼に救われている気がする。だが、簪はそのどれもその恩義に報いたことは出来ていなかった。今回もそうだ。機体を完成させてくれたことに対しては、少しでもうまく扱い、勝つことこそが至上の報いだと思っていた。だというのに、結果はベスト4。代表候補生であり、第三世代の操縦者である自分が、だ。つくづく情けなさを痛感した。姉に追いつくとはいうものの、彼女よりも多大な人に支えられているにも関わらず、成果としては彼女よりも低い。これを情けないと言わずして、なんというのだろう。

 

 自然とため息がもれた。

 

 日に日に恩は募り、比例して恋心もまた大きく膨れ上がっていく。だが、その最大のライバルは自分の目標にして、尊敬する姉。さらに玄兎は明らかに姉の事を、好いている。だが、双方とも気付かず、いや気づかないふりをして、日常を過ごしているのだ。出来レースといってもいい。もはや、出来レースといってもいい。彼を取り巻く恋愛事情は、その出来レースを知っている者達が足掻き食らいつこうとしている哀れな構図となっているのだ。

 

 なら、諦めればいい。そう思うが、そう簡単に吹っ切れるほど簪の想いもまた弱くはなかった。

 

 彼の意中になりたい。でも、そこに自分が割り込める余地が幾何もないということを簪は知っている。故にもどかしい。

 今日のことで、自分はまた彼の期待に応えられず、裏切ってしまった。これではいくらやったところで、彼の簪に対する好感度は上がるはずもない。

 シャワーを止め、十分に体を拭いてから、制服に着替える。

 

「よぉ、長かったな。そろそろ、次の試合始まるぞ?」

 

 シャワールームを出ると、玄兎が待っていた。顎でモニターを示し、そこに映っているものを教えてくれる。

 

 ちょうど準決勝第二試合、あの日向紅葉の試合が始まるところだった。しかし、見なくとも結果は見えている。技量の差が違いすぎるのだ。彼女の実力は入学試験次席ともあって、代表候補生のそれと同等以上である。まだ入学して一カ月しか経っていない素人(紅葉もそうなのだが)に勝てるはずもない。

 玄兎もそう判断したのか、興味を無くしたようにモニターから視線を移した。簪にである。

 

「元気ないな、どうした」

 

「あ、いや……ちょっと」

 

 玄兎は何かと敏感だ。こちらの心の機微を神妙に嗅ぎ取ってくる。読心術とまではいかずとも、勉強以外ではそこそこ頭のまわる彼はどことなく感覚でその人の思っていることを当ててしまうのだ。彼曰く、時折しかわからないし、殆どが直感で頼りにならないとのことだが、よりにもよって今その直感が発動しなくてもよいのではないか。簪は少しばかり、彼の間の良さを恨めしく思った。

 

「やっぱ、気にするか。さっきの試合」

 

「……うん」

 

 注意深く、相手を傷つけないように玄兎は言葉を選んだ。先刻の失敗が脳裏を過っている。簪を慰めようとして、逆に彼女の落ち込む原因の核心をついてしまい、さらに深く落ち込ませてしまった。ついつい余計なことまで口走ってしまった結果だ。さすがに今またその失敗を繰り返すわけにもいかない。先とは違い、今度は負けた上でのことだ。深刻な傷を残すのはもはや確定事項となる。

 

 それだけは避けたかった。

 

 それは自分の言動一つ一つが、彼女に与える影響を自覚しているからに他ならなかった。先も玄兎は勘というか感というか、そういった類のものが鋭い。少なくとも、一夏のように異性からの好意に恐ろしいほど疎いというわけではなかった。故に知っている。簪の中にある自分への想いというものを。それに応えてあげられないということもまた知っておきながら、玄兎は素知らぬふりをしている。

 そんな彼の思惑を知らない簪は、その顔に翳りをみせていた。ぽつりと、その翳りが乗り移ったかのように元気のない声で呟く。

 

「……せっかく、手伝ってもらったのに……か、勝ってなかった……ごめんなさい」

 

 細々とした頼りない声が、耳朶を打つ。

 

 なるほど、と玄兎は思った。それは確かに彼女の性格からして、落ち込む要因となり得るものだった。いくら玄兎が「自分が好きでやったことだから」と弁を取り繕っても、彼女からしてみればそうではない。玄兎がそんなことを思っていなくとも、簪自身はその責任を感じている。それこそ、考え方の違いであり、立場の違いからくる見解の相違だ。立っている位置や、その背景によって人とは物の見方を三百六十度変える。それはもうどうしようもないことであり、当然のことだ。

 要するに、彼女は玄兎達に手伝ってもらったからには優勝あるのみという意気込みだったらしい。それがああいう形で幕切れ、不完全燃焼とまではいかないがその機体を完全に使いこなしきれなかったことに対して、思うところがあったのだろう。今回の場合、いくら玄兎が気にしていないと言ったところで簪がそれに納得できるかどうかはわからない。いや、恐らくは納得しないと考えている。

 

 彼女は頭がいい。よく回るし、知識も豊富だ。だが、その点考えすぎるところがある。自分一人で結論を出そうとして、結局出ずに一人悩む。そうして、答えを出せないままずるずると時間が経ってしまう。彼女の欠点の一つで、悪い癖だ。他人に頼ったら負けという考えがあるというわけではない。姉という絶対的な強者の傍で育ってきた弊害かもしれないが、簪はよく自分を卑下する。だからなのかもしれないが、誰かに頼みごとをする自分は疎ましく思われるのではないかと考えている節があった。加えて、姉という天才に追いつくにはまず彼女と同じ場所にたどり着かなければならないと考え、可能な限り一人で全てをこなそうとしていた。無茶にもほどがある。前に玄兎はそう思ったが、やはり彼女も更識の血族。姉とは別のベクトルの才能を備えていた。それにまだ、簪当人は気づいていない。その才能と努力で、彼女はこれまでの人生の大半を過ごしてきたのだ。頼ることが負けではない。だが、姉に追いつくには他人ではなく自分の力で進まなくてはならないという考えが、簪にはあるのだ。

 

 環境もまた悪かった。親友と呼べるのが神皇、そして本音しか同学年にはいなかった。頼れる人物が限られていたのだ。

 簪という少女がなぜあのような責に負われているかなど、誰もわからないだろう。玄兎ですら、実際に会って短いながらも濃い時間を過ごした仲だからこそ、多少なりとわかる程度だ。簡単に人を理解できるようなら、この世は誰も苦しまずに、生きていける。

 人が一人いれば、一つの考えがあり。人が二人いれば、二つの考えがある。考えとは、人の数だけあり、それをまた完全に理解することは出来ない。自身すら理解できない思惑や感情を、他人が解るはずもないのだ。解るのならば、それは洗脳であり、誰かが誰かの考えを意図的に「こうである」と捻じ曲げているに過ぎない。あるいは、表面上だけ理解した、されたと思い込んでいるだけでしかないのである。

 

 故に玄兎は彼女がなぜ気にも留めていない責務に押し潰されようとしているのか、その思考が読めなかった。しかし、その考えを「違うよ。そうではない」とは否定しない。その人にとって、自らの考えとは是である。時折、他人の考えに同調したり、なんらかのきっかけで変異することもあるが、基本的にはそうであることにあ変わりない。そこに誰かから否定される道理も理屈もなく、またその否定は考えの不一致によるものでしかなく、結局考えとは何を軸としているかによって様々だ。正義を軸とすれば、悪もまた軸として然り。

 迷う。彼女の胸にある重石をどうすれば、軽くすることが出来るのか。それを可能とする言葉が、一体どれなのか。脳裏に飛来する言葉群の中に、果たして正解はあるのか。

 慎重に選ぶ。傷つけない、それでいて否定ではない言葉を。紡がなくてはならないのは、そんな魔法のような言葉。

 

『まぁ、私としては気にしてないんだけどね』

 

 横やりが入った。ナギだ。

 

『気にするなっていうのは簡単だけど、こればっかりは更識さんの問題だからね。私としては、とやかくいうつもりはないよ』

 

 気にしていないのは玄兎やナギであって、責任を感じているのは簪だ。その責任に、二人の意思は関係ない。この問題を解決するのはナギでも玄兎でもなく、簪本人なのだとナギは言った。

 

『私がいえることは一つ。貴重な機体を弄らせてもらってありがとう。そして、次にもしもこんな機会があったら、その時こそ優勝してみせてよ。それが今回、私や玄兎、手伝ってくれた他の皆への最高のプレゼントだと思うよ? 負けちゃったものはしょうがないから、次だよ次。今日がダメでも、明日がよかったらすべていいんだよ。アリサちゃん曰く』

 

「つ、次……でも」

 

『今回のことは別にずっと気にしてもらっても、構わないよ。でも、これを糧に次は絶対勝って! それが今回、負けたこのお詫びということで、どう?』

 

 まるで子供に言い聞かせるような口調で、ナギは言う。

 

 それを聞いて、簪は微かにだが首を縦に振った。

 

『じゃあ、約束だね』

 

 そう言ってにっこりと画面の奥でナギは笑った。強くて、どこまでも清々しい笑みであった。

 簪は少し照れくさそうに、約束を交わした。

 その隣で玄兎は何も言わず、その微笑ましい光景をただじっと見守っていた。

 

(俺の出番を奪われた……)

 

 人知れず、ショックを胸に抱えながら。誰にも悟られないように、微笑を顔に浮かべて、静かに悔しがったのであった。

 

 

 

    *     *     *

 

「……っ!」

 

 電流が走ったような鋭い痛みに顔を歪ませる。先程まで襲われていた酷い疲労感と嘔吐感から回復すると、次に待っていたのはこの断続的に続く疼痛だった。覚悟はしていたが、こうも毎度毎度使うたびに体調不良を起こすようではそう簡単に実戦では使えない。この感覚が実際の戦闘の最中襲ってきたら、堪え切れる自信がなかった。今回は運がよかったのだ。咄嗟のことだったとはいえ、行使したのは一瞬で、その一度だけだった。もしもそれ以上行使していれば、今以上の激痛に見舞われていたに違いない。

 

 乱れた息を整えるように、深く息を吸い込んでいっては、吐き出していく。

 

 落ち着かなくてはならない。まだ、大会は終わってはいないのだ。次の決勝が終われば、晴れて願いは叶う。いや、夢の実現に一歩近づくといった方が妥当か。

 

 とりあえず、油断はまだならない。次の相手は十中八九、日向紅葉だ。油断ならない相手であるうえ、その実力は下手すれば自分をも上回る。先の簪戦以上に気を引き締めないと、大金星を与えかねない。

 

「どうやら、まだ慣れていないようだな、その苦痛には」

 

「……ちふ、織斑先生」

 

 背後にいる千冬を一瞥すると、鈴音はため息交じりに肩を竦めた。

 

「何か用ですか?」

 

 声に棘がある。鈴音にとってみれば、彼女は厄介者だった。恩人ではあるものの、それは飽くまでも利害の一致による協力の結果にすぎない。依然として自分と一夏の仲が進展することを良しとしない面があり、思うばかりか箒と彼の仲を取り持とうと奔走している節がある。千冬と鈴音の関係は表面的においては主従の関係とも言えなくないが、内面的には気に喰わない相手同士だ。そんな相手がこの苦しさを覚えているときにやってきたのだ、鬱陶しく思うのも致し方ない。

 

「ふん。用件など、とうにわかっているだろう?」

 

「負け惜しみですか?」

 

「…………口の減らん小娘だ」

 

 予想していなかった方向からの切込みだった。思わず頬が引きつるのを止められない。だが、ここで感情に駆られたところで現実が変わるわけではないのだ。堪えるしか、千冬にはない。そもそも日向紅葉があのような場面で出しゃばってくるなど予想外だった。本当ならば箒はこのまま鈴音との決勝に挑んでもらいたかったのだが、それも今となっては叶わぬことだ。今更あれやこれやといったところで虚しさが増すだけである。

 

 それよりも、今は鈴音だ。

 

「ふん、まぁいいさ。これから先、いくらでもチャンスはある。何も今日でなくともな」

 

「それは私が優勝しなかったらでしょう、織斑先生?」

 

「そうだな。優勝したら、だな」

 

「まさか、負けるとでも思ってるんですか?」

 

 どうも釈然としない千冬の物言いに、鈴音は訝しむように問いかける。

 

「試合はやってみないとわからん。何が起こるか分からないのが、戦いというものだ。それに、お前が優勝できないということは既に決まっている」

 

「……試合はやってみないとわからないんじゃなかったでしたっけ?」

 

「ああ。試合は、な」

 

 迂遠な言い回しだ。それがそろそろうるさく感じ始めている。鈴音としては次の試合のために、気を休めておきたいのだが。

 そんな鈴音を見遣って、千冬はその顔に憎たらしい笑みを浮かべた。何やら企んでいる表情だ。彼女がそんな顔をするのは決まって面倒事を持ってくる。古い馴染としての勘がそう言っていた。

 

「凰。よく聞け。これは凰鈴音という一生徒への言伝ではない。同じ目標を持つ同志へのものだ」

 

「……わかったわ」

 

 千冬の顔に真剣さが宿った。それだけで今回の件が、どういうった案件なのか鈴音には理解できた。

 

 心を凍らせ、顔から表情を一切消し去る。

 

 今、ここにいるのは凰鈴音という少女ではない。

 

 叶わぬ願を、夢を、絆を、希望を追い求める亡者だ。

 

 心を殺し、冷徹なる兵となった人間だ。

 

 神に誓いを奉げた、世界への反逆者だ。

 

「それで。一体なんの用っていうのよ。わざわざこういった時に話すからに、多少なりと重要なことなんでしょうね」

 

「勿論だ。だが、多少なりと厄介でな。貴様にも少々、損を被ってもらわなければならん。なに、心配するな。被るのは今回の件に関わる全員だ」

 

「もしかして、もう動いたの?」

 

「ああ。多少予想よりも早いが、誤差の範囲内だ。貴様にとっては、許し難い誤差だろうがな」

 

「…………それで? 私に何をしてほしいの?」

 

 いい加減、その遠回しな喋り方にもうんざりしてきた。これは早く本題を切り出してもらうに限る。そう考え、鈴音は本日二度目のため息とともにそう言った。

 

「なに……簡単な小芝居さ」

 

 

    *     *     *

 

 

 準決勝第二試合はこれでもかと実力を見せつけるかのように紅葉の圧勝であった。こうなると試合の内容というよりも、次に紅葉がどんな動きで攻撃をかわしてくれるのか、どんなふうに華麗な攻撃を決めてくれるのだろうか。そういったものに観客は熱狂した。簪と鈴音の試合が本来の意味での戦いであるなら、紅葉の試合は等しく見世物のようだった。実力の差がありすぎるのだ。泥臭く、策を弄して勝ち上がってきた鈴音とも簪とも違う。どこか優雅で、余裕があり、笑みを崩さない。それが日向紅葉という少女の戦い方だった。それでいて、まったく嫌味がないのだがから天晴れという他ない。

 

 こういった点から見ても、決勝はまったく毛色の違う二人が激突する試合となるだろう。ひとりは代表候補生であり、現代における最新鋭機第三世代を持つ。片や代表候補生でも企業に所属しているわけでもなく、その見事なまでの腕前で勝ち上がってきた異色の天才。観ている側としても、これほど胸躍らせるマッチングもないであろう。観客の多くは今か今かと試合開始を固唾を飲んで待っていた。

 

「……本当に信じていいのね?」

 

「ええ、勿論。こちらの条件さえ呑んで貰えれば、私としても断る理由はないですから」

 

 いまだ不安げな表情を崩そうとしない楯無に、苦笑いを浮かべて紅葉は答えた。こればかりは正直絶対という保証は出来ない。彼女の心配もごもっともだ。紅葉が彼女の立場だったら、絶対にこんな胡散臭い人物に任せようとは思えないだろう。

 

 だが、楯無は頼らざる得ない。正確には自分が焚きつけた箒のためにも、彼女はこの危ない橋に託すほか道がないのだ。

 

「それでも相手はあの凰だ。油断は禁物だぞ」

 

「心配性だなぁ、篠ノ之さんは。君に言われずとも、油断はしないさ。たとえどんな人が相手であろうと油断もしないし、隙なんて作ってやらない。どんな小さな存在でも、時には人を殺すことだってある。まぁ、次の相手はかなり大きいけど」

 

「簪ちゃんが善戦したとはいっても、それでも鈴ちゃんはまだ手の内を全て出し切ったわけじゃないわ。まだこちらが知らない武装があるかもしれない」

 

 楯無の予想はすべからく的を得ている。彼女はこの決勝に至るまでのすべての試合、大型ブレード『双天牙月』と肩部にある衝撃砲だけで勝ち進んでいた。いくら試作機とはいえ、『甲龍』にそれだけしか武装がないということはない。少なくとも、あと一つ以上あると予測しておくのが賢い選択といえる。その点、紅葉は抜かりはなかった。

 

「了解です。それと、ついでにといってはなんですが」

 

「うん? なにかな」

 

「妹さんの仇もとってきますね」

 

 そう笑顔で言い残し、紅葉は鈴音の待つアリーナへと飛び出していった。

 

 残された二人はただ、彼女の勝利を願うばかりである。

 

 

 

「初めまして、だね。私の名前は日向紅葉。よろしくね、凰鈴音さん?」

 

「自己紹介だなんて、結構な余裕ね」

 

「いえいえ、初対面での自己紹介は礼儀ですから」

 

 朗らかな笑みの裏に張り付く余裕を読み取った鈴音は仏頂面で彼女を睨んだ。その表情からは緊張といったものは感じられず、逆に綽綽とした態度である。度胸があるとは思うが、ここまで余裕があるとなると逆に不気味だ。初心者ではないことは動きである程度わかるが、それにしても慣れている感がある。それがどことなく奇妙で、恐ろしかった。

 

「まぁ、いいわ。どのみちボコボコにするのは変わらないから」

 

「ちょっ、怖いよ、凰さん……。出来るだけ、ボコボコにされないように気を付けないと」

 

 そんな軽口さえ叩けなくなるぐらいに圧勝してやる。鈴音の中に芽生えるのは、そんな闘争心だった。彼女だけには負けられない。そんな思いが鈴音にあった。

 

 一方で紅葉は鈴音の言葉の意さえ介してはいない。飽くまでもあちら側の挑発に乗らない姿勢を保ったままだ。挑発に乗り感情的になれば、それこそ相手の思うつぼである。直情的な攻撃は読みやすく、カウンターをしやすい。格好の的になる。

 

「でも、観客が期待しているのは私の大物喰らいだよね。うん、ISに乗り出してたった一か月で専用機もちの代表候補生を破る。胸躍るね」

 

「そんな簡単にやれたら、この世界中のISに従事する人は苦労しないのよ」

 

 本日何度目かのため息がこぼれる。ここまで言い切られると、もう何を言っても無駄なのだろう。そう思い込んでいる。まるで夢物語を語っているかのようだ。

 

「じゃあ、現実を見せてあげないとね」

 

 鈴音のその言葉を合図とするように、試合の始まりを告げるブザーが高らかに鳴り響く。

 

 決勝戦が始まる――――――――。

 

 

    *     *     *

 

 

 動いたのは量産型を纏う少女からだった。その機体の特性を生かした素早い機動で相手に的絞らせず、巧く立ち回っている。

 相手も負けじと、その機動に追随し敵のほんのわずかな隙を突いて攻撃を繰り出している。衝撃砲と呼ばれる中国の第三世代ISの武装なのだそうだ。ルイス曰く、「砲身そのものを空間圧で作りだして、そのついでにつくった圧を弾丸として飛ばすから、死角がない。さらに飛ばす弾丸は衝撃そのものといっていいから、当然目に見えない。まさに、不可視の弾丸だね」とのこと。初めてこの目で見たが、それは確かに肉眼では捉えることは出来ない。遠く離れた上空から覗いたところで、ハイパーセンサーを駆使しなければ視認はおろか感知すら難しいだろう。

 

「是非ともやりあいたいものだ」

 

 試合を眺めながら、宗玄が低い声で呟いた。今すぐにでもあの試合に乱入し、あの二人と剣を交えたい。燻る闘争本能が昂ぶり始め、武者震いのように体を震わせる。

 

『待たずとも、もうすぐにでもやりあえますよ。ただ、今は突入の隙を伺っているだけで』

 

「なら、もう行くぞ」

 

『だから、待ってくださいって。ほら、もうちょっと試合を見守ってからでも』

 

「イドラの小娘は、既に配置についたのだろう? ならば、あとは仕掛けるだけのはずだが」

 

『だ、か、ら! 襲撃といってもただ行くだけじゃなくて、千冬や玄兎君やほかの観客の目を一気に宗玄さんに引きつける必要があるんです! ですから、試合の盛り上がりが最高潮に達して、かつあの二人の間がいい具合に開いて、緊張感が高まっているその瞬間に行くんです!』

 

「う、うむ……」

 

 ルイスの力説にさすがの宗玄も「そ、そうか」としか返せない。彼にここまで言われてしまっては、そうするしかなかった。何せ、彼は自分の主だ。ある程度の我儘は許されど、こう大事な作戦に支障をきたすような真似は出来ない。彼がそこまで拘るのなら、部下である自分はそれに従わざる得ないのである。

 

 しかし、そこで通信しているルイスから声が上がった。宗玄は何事かと瞑っていた目を薄らと開いた。

 

『試合が動きます。皆、準備しておいて。ここからは一瞬たりとも気を抜かないで。タイミングは一瞬だよ』

 

 彼の言葉に宗玄は眼下に広がるアリーナを見た。その中央で二機のISが激突している。そのうちの一機、量産型が専用機へと肉薄していた。

 

 

 

 アリーナがどっと湧いた。膠着状態にあった試合がついに動き出したからだ。

 

「隙ありです」

 

「くッ!」

 

 それは隙といっても、鈴音の視線がほんのちょっとハイパーセンサーから得られる他の情報に目をやっただけだ。時間にすれば数秒にも満たないごくわずかな間だった。だが、それは言い換えれば確かに隙だ。紅葉はそんな些細な隙さえも見逃さず、『紫電』の出せる最高速度で鈴音に追い縋っていた。

 

 『飛電』の刃が、迫る。それを条件反射だけで鈴音は避けた。空中で横に身体を回転させ、紅葉の一撃をなんとか直撃だけは避ける。が、それでも完全に避けきることは出来なかった。すぐ隣を駆け抜けていく紅葉が、器用に片方の切っ先を鈴音に突き立て、追い越す寸前に『甲龍』の相好を切り裂いていったのだ。

 これにはさすがの鈴音も彼女の実力を認めざる得なかった。彼女は強い。それも技術だけでは自分よりもはるかに上だ。優っているぶんといえば、機体の性能と実戦の勘ぐらいか。それでも後者に至っては僅かな差といってもいいから、実質第三世代のスペックに助けられていた。

 

(こんな化け物がまだISを動かしてから一カ月って、冗談もいいところよ!)

 

 絶対にありえない。こんな高等テクニックを駆使する人間が、素人であるなどあるはずがないのだ。これがもしも彼女のプロフィール通り、まだ一カ月というならば本物の天才である。かの織斑千冬以上の化け物のような才能だ。

 

 もしも、彼女が専用機を手に入れた日にはもう手を付けられなくなるほどの力を発揮するだろう。それこそ、生徒会長である更識楯無と戦っても遜色ないほどの実力を。

 

 この試合中、鈴音の紅葉評は鰻登りに上がっていた。

 

 だが、しかしどんな相手だろうと今の鈴音には負けられない理由がある。

 

「見てなさいよ!」

 

 紅葉が旋回し、再び肉薄しようと加速していく。彼女は既にその機体性能を補えるほどの実力で、第三世代の機体と戦えている。それだけでも異常だが、もっとも警戒すべきなのは先の読めない攻撃パターンだ。ありとあらゆる角度から攻め込んでくる彼女は、まるで演舞のように華麗な動きをする。それはどこか規則めいていた、それでいて何にもとらわれていない。故に先読みが非常しづらかった。

 

 武装が『飛電』だけということも、それに拍車をかけている。他のものを使うことを考えないでいい分、彼女の全力が『飛電』に注ぎ込まれて、見事な斬撃を生み出しているからだ。

 ならば、接近戦は危険。そう判断した鈴音はすぐさま衝撃砲を撃ち込んだ。威力を弱め、連射を可能とした衝撃砲が次々と紅葉めがけ空を穿いていく。

 

「――――――ッ!」

 

 息を呑んだ。鈴音は再びそれを目にした。紅葉が不可視とされる衝撃砲の一撃を、避けたのを。一度ではない次々とやってくる衝撃砲の弾丸を小回りを利かせた機動で、ひょいひょいと避けていくのだ。

 

 まただ。また避けられた。

 

「無駄だよ。私には見えてる」

 

「あんた……まさかっ!?」

 

 恐らく、彼女は見えている。不可視とされる衝撃砲の弾丸が、しっかりと。

 衝撃砲にも弱点はある。衝撃砲その構造上、使用する直前大気に影響を与えてしまっていた。空気の流れが乱れるのである。それをハイパーセンサーに感知され逆算されてしまえば、あっという間に衝撃砲の弾道予測が可能となるのだ。

 

 多少なりと頭のまわる者なら、すぐに思いつく攻略法である。そのため前の簪が気づかなかったのは意外であったが、それでも状況が状況だった。彼女の場合、気付かなかったのは無理もないことであった。気付けば、衝撃砲の最大出力の一撃はかわすことが出来るだろう。あれは隙も大きく、何より連発出来ない。だが、それでも連射されればそれは難しくなる。弾道を予測できたとしても、それを直接動きに活かせるとは限らない。体が衝撃砲の連射に追いつけず、まともに喰らってしまうことだってあるのだ。

 

 それを紅葉はやってのけている。正直なところ、これをかわされるとは鈴音も微塵にも思っていなかった。完全な誤算だ。

 

 そして、その驚愕が再び鈴音に決定的な隙をもたらした。

 

「これでッ!」

 

 加速。紅葉の身体がさらに速度を得て、迫ってくる。

 

 対する鈴音は動けない。

 

 この一撃は恐らく、この勝負を左右する一撃だ。そんな気がする。喰らっては駄目だ。避けるか、もしくは受けるか。どちらかでないと――――――

 

 

『上空に熱源感知。被照準』

 

 

「なにっ!?」

 

「上だッ!」

 

 突然の警告に鈴音は困惑した声を上げた。上擦った声が、直後に響いた怒鳴り声にかき消される。

 

 直後、鈴音の眼前が白い光で覆われた。

 

 

 

   *      *     *

 

 ISからの警告に紅葉は反射的に身を後退させていた。熱源が感知されたということは、鈴音の『甲龍』の攻撃ではない。彼女の機体には熱を発する武装はなかったはずだ。ならば、答えは必然と一つしかなくなる。

 

 闖入者がいる。

 

「上だッ!」

 

 叫んだ直後、紅葉と鈴音の間に極太の熱線が奔った。あと一瞬でも遅れていれば餌食となっていた。

 

 冷や汗を掌に感じながらも、紅葉はすぐにISが感知した反応を追った。

 

『IS反応を三つ確認。データ照合:一致しません』

 

「一致しないということは、まさか……」

 

 データベースにも載っていないIS反応。つまりそれは、どこの国にも、企業にも帰属しないISということに他ならない。つまり、アンノウン。所属不明機ということだ。

 ハイパーセンサーがそのアンノウンの姿を捉える。全部で三体。そのうち二体は今まで見たことのない機械的なシルエットで、右に馬鹿でかい銃口を備え、左に大剣を装備していた。何より特徴的な頭部から全身にわたって繋がっているケーブルだ。それはまるで自分を機械だと主張しているようで、全体的な無機質さを増長させていた。

 

 そして、そんな二体を差し置いてこの場で最も目を引くのはその二体の中央に腕を組み、仁王立ちしている男だった。

 

「な、なによ……こいつら!?」

 

 鈴音の当惑した声が通信越しに聞こえてくる。かなりの混乱具合だ。これでは冷静な判断を下せる思考力はないだろうな、と紅葉は異常なほどの冷静さで分析していた。

 

 しかし、それも致し方ないだろう。何しろ、今目の前にいる人物は男。それもISを纏っているのだ。

 世界でISを扱える男は織斑一夏と赤神玄兎の二人だけということになっている。まさか、三人目がこういった形で現れるとは思っていなかったのだろう。

 と、そんな中で男が口を開いた。巌のような顔に獣のような鋭い視線に、鈴音がびくりと肩を震わせる。

 

 獣のような気を放つ男は、まるで鉛が詰まっているような低く重い声で呟いた。

 

「柳生慧眼流免許皆伝――――柳生宗玄。IS学園の首、頂戴仕る」

 

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