地響きのような音と振動が、アリーナを揺らした。まるで隕石でも降ってきたかのような衝撃に、玄兎も思わず膝をついてしまった。続いて、壁伝いに聞こえてくる悲鳴と怒号の嵐。それらが再び振動となってアリーナを揺らしている。
せめて決勝ぐらいは観客席で見ようと簪とともに移動中だった玄兎は、予想外の事態に眉を寄せていた。
『どうもアリーナだけじゃなくて、学園の殆どが機能停止しているみたい。隔壁もすべて閉じきって、中にいた人は全員閉じ込められてる』
「ハッキングは?」
『やってる……けど、正直突破できる可能性は低いと思う。相手は複数で、たぶん直に学園のシステムを乗っ取ってる。時間さえあればやれないこともないけど、状況を鑑みるにそう悠長なことも言ってられなそう』
「わかった。お前はそのまま待機してろ。俺たちは他の通路を探してみる。もし駄目だったら、楯無の権力振りかざしてどうにかする」
『思ってたより、最低な作戦だった……』
しかし、それ以外に彼女も思いつかなかったのだろう。不承不承に引き下がっていった。
さて、と玄兎が立ち上がった。
「こ、これから……どう、するの?」
ナギとの会話が終わったと見るや、簪が不安そうな声で尋ねてきた。無理もない。このような緊急事態にはある程度免疫のある玄兎ですら、状況が把握できず焦燥感が募っている。代表候補生としてこのような事態に対する訓練を受けている簪とはいえ、湧き上がる不安の色は拭いきれないのだろう。
「ナギに頼ってこの学園の乗っ取られたシステムを取り返すことはほぼ不可能。出来たとしても、タイムアップか。現状としては他の道を探すほかないが、隔壁が閉じってるってことは結局状況は変わらねえ。つうことで、ナギ」
玄兎がその名を呼ぶと、少しばかり不機嫌そうに頬を引き攣らせるナギの姿が画面に映し出された。
『ついさっき、通信終えたばかりなんだけど……面倒だから言いたいことは一回で! わかった!?』
思いもよらぬ方向からの怒声の迫力に負け、玄兎も「は、はい……」となぜか縮こまっていた。この時、簪は『紅い兎』の序列を垣間見た気がした。もしかすると、設立者である玄兎は案外肩身が狭いのかもしれない。
そんな想像を膨らませていた簪の思考を断ち切ったのは、玄兎の咳払いだった。
「とにかく、さっき簪と話していたときに思いついたんだが……ナギ。この学園を乗っ取ってるやつらは複数で、直にアクセスしてるんだよな?」
その玄兎の問いにナギは、胡乱げに「ええ」と肯定の言葉を紡いだ。
「なら、そいつらさえどうにかしちまえば、学園の防犯システムは正常に作動するはずだよな?」
端的に説明すれば、現在この学園の防犯システムを乗っ取っている連中を玄兎達で撃退もしくは捕らえることが出来れば少なくともシステム自体は取り戻せるのではないか。玄兎曰く、思いついたのはそんな単純な作戦だった。
『……そうだね。でも、特定したところで二人を取り囲む状況は変わらない。動けないのに、どうやって相手をやっつけるのよ』
「一瞬だけでいいから、俺らの目の前の扉だけ敵から奪い取ってくれない? ぶっ壊すって手段もあるけど、あとでまたその分の代金請求されたら堪ったもんじゃないからな」
『簡単に言ってくれるわね……たくぅ』
確かに彼の作戦はこの状況下において、正鵠を射ている案だ。最終手段としてある強引突破は、後々の事を考えるとやはり避けておきたい。ならば、彼の言うナギの力を有効活用するというのは、現状においては最適解なのだろう。傍から事の成り行きを見守る簪は、現在進行中でこの事態の渦中にいるであろう親友達と姉を心配する一方でそんなことを思っていた。
ようやく話が一段落したのか、玄兎が簪のほうを振り返った。
「ちょいと面倒なことになったけど、手伝ってくれるか?」
「う、うん……今度こそ玄兎の役に、立ちたいし……それに、みんなが心配だし……で、でも、玄兎の願いだったら、そんなこと関係なくても……」
語尾のほうは口ごもって聞こえなかったが、その前の部分まではしっかりと玄兎に届いていた。緊急事態だといういうのに赤面し、恥ずかしそうにそんなことを呟く彼女に呆れ半分、その肝の据わり様に驚愕半分といった面持ちで玄兎は口をひん曲げた。相変わらず、彼女の対応には困るものがある。妙な部分で率直で、返しが困るのだ。
「…………ま、まぁみんなは大丈夫だろ。楯無と神皇はほっといても勝手にやってくれるだろうし、鈴たちもよっぽどのことがなきゃ心配する事態にはならねーよ。それよか、自分たちの心配したほうがいいぞ?」
『変な間があったんだけど、気にしないでおくね』
妙に早口で捲し立てる玄兎。そんな彼のヘタレな発言に二人はため息を覚えていた。簪が度々向ける好意は、他人から見てもはっきりとしている。時折、口ごもってたり、消え入りそうなほど小さな声で呟いてたりするが、それでも彼女の態度からその意図ぐらいは(かなりの鈍感でない限り)、読み取ることが出来るはずだ。事実、その好意が向けられている張本人すらも気付いている。だというのに、玄兎ときたらそれに対していまだ誠意ある行動、発言を出来ないでいた。せめて「その気持ちは嬉しいんだけど、応えることは出来ないよ」などと言ってあげれば、相手も踏ん切りがつくというのに、玄兎ときたら判然としないあたりさわりないことばかり言ってはっきりとした意思を示そうとしない。必然的に、まだ可能性があると感じて思われてしまうのだ。アリサがいい例である(彼女の場合、たとえはっきりと言われようが諦めないだろうが)。
そんなことをしているから、本命からのアタックもことごとく回避してしまうのだ。簪とナギは別々に同じことで頭を抱えたくなった。
だが、そんな与太話もしていられるのもここまでだった。
『とりあえず、監視カメラへの侵入が成功したから、映像だけそっちに送るね』
まさかあの会話と並行して作業をしていたのか。簪が驚きに満ちた表情を浮かべたが、それに気づいていない玄兎は送られてきた映像を凝視した。あれこれと場所の指示を送っている。
「試合会場そのものの映像は出せないのか? たぶん、これが襲撃ならまず初めに稼働中のISを抑えておくと思うんだが」
『そうなると、監視カメラじゃなくて別のルートになんだと思う。わざわざ観客席から丸見えのグラウンドに監視カメラつける必要はないし、玄兎の話を聞いている限りだとモニターする部屋もあるようだね』
「よし、その件は後に回すか。うんじゃ、とりまアリーナの外に出る経路を探すぞ」
その言葉にナギと簪が頷く。十中八九、先の衝撃の発生源にいると思われる鈴音と紅葉が気なるが、そこは二人の無事を信じるしか出来ることはない。
「でも、脱出して……そのあとは?」
「まずはシステムを乗っ取っている原因を取り除く」
これで今後の方針は決まった。
覚悟を決めて簪が頷くと、玄兎も安堵したように頷きを返した。
と、そこで簪の視界に見覚えのある栗色の髪が映った。視界の端にある玄兎が持つ小型の端末、そのディスプレイには監視カメラの映像がずらりと映し出されているはずだ。ならば、視界に映ったあれは監視カメラの映像のはず。一瞬のことでよくは見えなかったが、そうであるならば彼女は一体どうやってこの閉鎖空間を抜け出したというのか。
「神皇……?」
簪の呟きは玄兎にもナギにも聞こえることなく、静かに虚空に沈んでいった。
見間違いかもしれない。そう思いながらも、玄兎の後をついていく簪は未来への不穏な予感をひしひしと感じ取っていた。
* * *
目を離せない大激戦。実力者同士がこうやって相見えると、やはりその迫力たるや先の試合が御遊びだったかのような印象さえ受ける。決勝戦ということもあってか、両者の気の昂ぶりようはこれほどないまでに高まっていた。先の簪と鈴音の試合にも負けず劣らず、観客席に座る生徒たちの熱気は膨れ上がっている。
よくまあ、これだけ興奮できるものだ。それが神皇が抱いた印象だった。というものの、神皇は現在虫の居所が若干悪い。そのせいもあってか、やや評価が辛辣になっているのである。
理由は明々白々。簪の敗北だ。敗北の原因は純粋な実力の差であるため、あれこれと言う気はない。だが、そうだとしてもここまで入念の下準備をすすめ、あるゆる状況を好機として利用してここまでやってきた神皇にとっては面白くない展開だったことに違いなかった。要するに拗ねているのだ。大掛かりな悪戯が失敗した、まるで悪ガキのような態度である。そんな神皇の幼稚さに苦笑する楯無は、慰めの言葉一つも思い浮かばないまま、こうして試合を二人で観戦していた。
興味がなくなった神皇は単なる楯無のお供だが、楯無としてはこの試合の行方が気になってしかたない。なにせ、先の取引がある。楯無が簪の勝負で賭けていた箒も負けてしまい、残るは鈴音と簪の試合の行方を見守るだけという状況になっていた時、箒を倒しその状況を作った張本人である紅葉からある提案があったのだ。
その提案というのが、また奇妙なものだった。
「私を生徒会に入れてください。その代わりといってはなんですが、この大会に優勝してあげますよ」
最初は彼女の意図が読めず、眉をひそめて訝しんでいた。
しかし、この提案。彼女の言う額面通りに受け取るなら、楯無と箒にとっては僥倖となるものだった。確かに敗北し、賭けの対象から逸してしまった二人だが、まだその賭けに負けない可能性は残っていたのだ。それが引き分けである。両者の賭け共々、内容に『優勝したほうが』という項目があった。それはつまり、片方が負けようとももう片方が優勝さえしなければその勝負は引き分けということになり、勝者に与えられる特権は双方受け取ることができないということだ。
だが、これには大きな欠点があった。それが互いが勝負する者が、学年を代表する実力者であったのだ。箒は鈴音、楯無は簪。楯無は出場できないし、箒に至ってはまるっきり素人である。それに箒が負ければ、必然的に楯無と箒の賭けの対象から外れ、残るは鈴音と簪という強者のみ。しかし、ここで問題が起こる。要するに、二つの賭けが同じ条件で成立しているため、おのずと違う賭けの対象者同士がぶつかってしまうことがあるのだ。そうすれば、決戦で負けた方は賭けから外れ、その賭けは不成立となる。だとすれば、箒の敗北の時点で楯無と箒、どちらか一方だけは助かるということがあり得てしまう。そうなれば箒と楯無は(楯無側の賭け云々は楯無が勝手にやったことなので、箒が罪悪感を覚える必要はないが)互いに妙な空気を流すことになると楯無は思っていたのだ。
どうやってそれを回避するかに思考を働かせていた楯無にとっては、思ってもみない提案だったのである。
賭けに関係ない第三者。それが二人が微妙な空気を流さなくて済む唯一の方法だった。鈴音でも、簪でもない第三者が優勝すれば、二つの賭けが不成立となるからだ。
とはいえ、セシリアが不出場の今大会。鈴音と簪が優勝候補筆頭であることは言うまでもない。そんな相手を倒せるほどの実力者が、この学年にいるとは生徒会長を以ても思えなかった。だが、紅葉はその点、クリアしているといっても過言ではない。専用機相手にどこまで通じるのかは甚だ疑問だったものの、玄兎という先例もある。
賭けてみるしかない。楯無の思考がそういう結果にたどり着いたのは、彼女が握手を求めてきたのと同時だった。だが、どういうことか楯無はその手を握り返すのを渋っていた。
思考ではその手を取るほかないという結論に落ち着いている。だが、心のどこかでその手を取ることを拒んでいる自分がいた。もしかすると、彼女の不気味さにどことなく畏怖しているのかもしれない。躊躇いがいまだ胸中を徘徊する中、楯無はゆっくりと自らの腕を持ち上げた。紅葉と同じ位置に腕を固定し、指をがっちりと相手の指と絡ませた。
「じゃあ、賭けは成立ということですね。任せてください、交換条件でこちらにもメリットはありますから。絶対に勝ちますから」
その時に浮かべた紅葉の表情が、芝居がかったように見えて薄気味悪く感じたのを楯無は覚えていた。ほんの数時間前の記憶だ。
そんな過去の追想から楯無を引きずり上げたのは、突如アリーナに響き渡った轟音だった。
「な、なに!?」
反射的に立ち上がり、あたりを見回す。だが、先の衝撃で巻き上げられた大量の砂煙によってアリーナ中央の様子は確認できない。すぐにISを起動させ、そのハイパーセンサーを使い索敵を行おうとするが、その直前に防御システムが作動したことによってアリーナと観客席を隔てられてしまった。さすがのISでも物理的な障壁を突破し、その先を見ることまでは叶わない。アリーナ中央と観客席を隔てる障壁は、エネルギー質のものと日本の技術という技術を注ぎ込み核にすら耐えゆる強度に仕立てた防壁だ。例えISが史上最強の兵器と評されていようとも、あればかりはそう簡単に破ることは出来ない。
それにここには他の生徒もいる。迂闊に防壁を破壊すれば敵に見つかる危険性もあるし、巻き添えの危険性があった。
この騒ぎが何者かによる襲撃だとしたら、一刻も早くあの場所へ行かなくてはならない。このIS学園を襲うほどの連中だ。よほど用意周到に事を進めてきているはずである。でなければ、全世界でもトップクラスのセキュリティを誇るIS学園を襲撃するなど出来るはずもないのだ。
「神皇ちゃん! すぐに他の生徒達を安全な場所に誘導するわよ! いくらここの防壁が優秀だからって、籠っておくわけにもいか……ない、し?」
焦りだす心をどうにか抑えながら、神皇に指示を出そうとその身を翻した。が、そこにあったのは誰もいない座席だけで、神皇の姿はどこにも見当たらなかった。
おかしい。確かに神皇はついさきほどまでここにいたはずだ。楯無が最後に神皇を見たのは過去の回想に想いを馳せる直前だった。だが、それでもほんの数秒だけしか目を離していなかったのだ。その間、確かに隣合う誰かの気配は存在していた。完全にそれを失念していたのは、この騒ぎが起こった直後からだ。つまり、彼女はほんの一分足らずの間にどこへ行ってしまったということになる。
この緊急事態に何をやっているのか。
呆然とすること数秒。それから我に返った楯無はいない者は仕方がないと、内心の動揺を片隅に押しやった。いまだ事態の把握がままならないこの状況下で勝手に動かれてはこちらとしても困るのだ。生徒の一応の安否確認だけでも膨大な数を把握しなければならないというのに、そこで好き勝手動かれては把握にも手間取るし、何より人手少なくなって時間がかかってしまう。生徒会役員である虚と本音は試合開始直前に、飲み物を買いに出かけて近くにはおらず、またパニックを起こす寸前の生徒の中で比較的冷静な判断力を保っているのは恐らく代表候補生ぐらいだろう。だが、その数少ない生徒も今現在どこにいるのかは不明だ。自主的に動いてくれる事を願うばかりだが、皆が皆この観客席にいるとも限らない。そんな中での神皇の失踪は、限られた人員で避難誘導を行わなければならない楯無にとっては大きな痛手だった。
しかし、そんな楯無にまたしても不運な出来事が降ってきた。
悲鳴。怒号。喧騒。
それらがまるで間欠泉から一気に湧き出る泉の如く、いたる所から噴出していた。パニックは徐々に伝染していき、瞬く間に混乱の渦へと生徒達を導いていく。
「い、一体次はなんなのよ!」
舌打ちし、楯無は喧騒が溢れるその中心へと足を急がせた。喧騒を辿っていくと、ついたのはアリーナの出入り口だった。自動扉となっているそこに我さきへと生徒達が雪崩れ込んでいたのだ。春の終わりとは思えないほど熱気がこもっているそこに辟易とした思いを感じながらも、楯無はその人混みをかき分け進んでいく。最後の一人を強引にどかし、眼前に広がる光景を目の当たりにした楯無は文字通り言葉を失った。
楯無の目の前にあったのは防弾ガラス仕様になっている自動開閉扉ではなく、分厚い鉄の壁だった。
(もしかして学園のシステムが乗っ取られてる? でもそんなこと出来るはずが……でも)
不可能ではない。何も完全無欠というわけではないのだ。この学園のセキュリティーもかなり高度だが、破れないこともない。それこそ束レベルにかかれば、即座にとはいかないが一時間とかからずに突破されるだろう。だが、それでも世界最高峰なのだ。唯一可能性があると思う束も今や玄兎達に混じって、便利屋をやっている。関与している可能性は極めて低い。単純に彼女と同レベルの腕の持ち主が敵側にいただけということもある。むしろ、そちらの方が現実的だった。
一縷の望みとしてはただの誤作動というのも無きにしも非ずだが、希望的観測が過ぎている。可能性としては低い。
学園のシステムが乗っ取られている証拠として今、アリーナ全域で稼働している緊急防御システムは異常稼働を続けていることがあげられる。本来なら、この出入り口を封鎖するのは中にいる全員が観客席から脱出できたことが確認されてからだ。脱出も何も、システムと同時に作動しては中にいる人間が全員閉じ込められてしまい、そうなっては本末転倒である。それ故、今起こっている事態は異常の一言で表せた。恐らく観客席にいた生徒と来賓全員がこのアリーナ内に閉じ込められたのだ。
それに加えて、システムが敵側に乗っ取られた可能性が高いこと。これが事実なら、観客席だけではなく廊下や整備室やロッカールームにいた面々もまた同様の事態に陥っているとみていいだろう。廊下にある隔壁が降り、完全にアリーナは封鎖されているのは、容易に想像できることだ。
それにこの大混乱。敵の思惑が絡まる手中でいいように転がされている気がしてならない。
学園という日常空間の中では、どうしても警戒心は緩んでしまう。それにここは世界屈指のセキュリティーを誇るIS学園。緩み切っていたとしても、誰も文句は言えない。楯無や玄兎ですらそんな中の一人に違いなかった。そこをまんまと突かれた形だ。それに今日はクラス対抗リーグマッチという、年度初めの大イベントだった。生徒達は普段と違って、浮かれていた。それがますます皆の思考から、この事態の想定を消し去っていたのだ。
歯が欠けるほどの圧で奥歯を噛みしめる。悔しさよりも先に、この状況に何の策も講じることのできない自分への途方もない無力感を感じていた。これが純粋な戦闘であれば、楯無には勝つ自信がある。これでも国家代表なのだ。そんじょそこらの代表候補生など一捻りとは言い過ぎかもしれないが、余裕を持って戦い勝利することが出来る。そんな自信が強くあった。
しかし、それは戦場での話。敵を力でねじ伏せる強さなど、今楯無が置かれている状況下においては何の役にも立たない。肝心のシステムを奪われ、脱出経路を閉ざされ、この蠢く大観衆をどうやって導けというのか。手段がない。思いつく限り、この場で楯無が実行出来得るものは、まったくもってなかった。この鉄の扉を再び開くには敵の手から再びシステムの権限をこちらに取り戻すか、物理的に破壊するかのどちらかしかない。後者は勿論最終手段である。この鉄の扉はアリーナ中央との隔壁ほどの強度はなく、楯無の『霧纏の淑女(ミステリアス・レディ)』ならば難なく貫けるはずだった。が、それをやるともれなく、学園に所属する生徒の中で最も優秀であろう人物がそんな手段を使わなければいけないほどの緊急事態と知れてしまう。ここにいる人間は皆、賢い者達ばかりだ。異常事態とはいえ、パニックを起こす傍らでそのような結論を導き出す輩もいるだろう。そうなれば、今度はこのIS学園のセキュリティーを突破し支配することが出来る敵に今後、学園生活において怯え続けていくことになる。今まで安全だと思い込んでいた場所が、一転して誰かに絶えずして監視されているかもしれないという恐怖のたまり場になってしまう。
そうなってしまうと、今度は学園を退学する生徒すら出かねない。生徒会長として彼女らを守る立場にある身の上。それだけは絶対に避けたい事態だった。
考えられる最悪の事態を想定し、楯無は思考の海に沈んでいく。
しかし、時間があるわけではない。時間をかけ過ぎれば、このパニックはさらに大きさを増し、楯無も予測不可能な混沌と化すだろう。そうなれば、無理やり突破した後に起こり得る最悪の想定と同じだ。今はまだ全員が混乱を期しているわけではないようだが、それもいつまで保っていられるのか。逆に周りが熱くなっていくにつれて、芯が冷めていく人物もいる。周囲が混乱していく最中、一人冷静に物事を考えられる人物がいたとて不思議ではないが、危惧すべきはその人物がこの事態を思考した際にたどり着く結果の方だ。気付いても、そのまま冷静な判断で口を噤んでいてもらえたらこちらとしても万々歳なのだが、そうは問屋が卸さないのが現実である。いくら冷静な思考を持っていようが、その考えにたどり着いてしまったが故パニックになる者だっていないとは限らないのだから。
「あー、駄目。考えても、嫌なことしか浮かばなくなってきた……」
一度、嫌な想像をしてしまうと連鎖するように思考が澱んでいってしまう。思考の負の連鎖が、とめどなく楯無の巡らせる思考に張り付いてしまっている。
かぶりを振り、そんな頭を一度空っぽにする。何も考えず、ただひたすら瞑想しよう。そうすれば、何かしらの解決策を思いつかもしれない。
そんな自暴自棄ともいえる行動に楯無が移ろうとしたとき、不意にがしゃんという音と機械の駆動音のようなものが耳に届いた。
何か。そう思って顔上げると、
「よっ。待たせたな」
楯無とは打って変わって、誇らしげな笑みを浮かべる玄兎が軽く、それでいて洒脱な態度でそう言った。
* * *
紅葉と鈴音の視線の先。そこには全身を赤黒い甲冑を模した装甲を持つIS『伊吹』がある。その姿はどことなく過去の日本に存在していた武士を彷彿とさせた。そうさせるのはひとえにその操縦者の威厳にもよろう。彼ほど武士という言葉が似合う男もそうはいまい。
宗玄の堂々たる宣戦布告が、鈴音と紅葉の耳朶を打った。拡声器もなしに放ったとは思えないほどの大音量に、心なしか畏怖を覚える。
彼が醸す雰囲気やその佇まい。それを見ただけで、二人は否が応でも理解させられた。柳生宗玄という男の圧倒的な強さを、脳ではなく本能が告げている。ただそこにいるだけ。たったそれだけで、途轍もないプレッシャーを二人は感じていた。まるで彼が存在する空間そのものが、彼に支配されているような錯覚すら受ける。猛獣を彷彿とさせるその双眸は、一瞥で敵を殺せそうなほどだ。
格が違う。
これが本物。
これが幾度となく死を感じ、生を実感してきた者の――――――真の強者の風格なのだ。
「さて、まずは第一段階終了といったところか」
今にも弾けそうな緊張感のなか、静寂に包まれていた空気を破ったのは宗玄だった。
彼はそう言うと、あたりを見回し作戦が滞りなく進んでいることを確認する。後ろに控える二体の『アルマ・ハルマ』がここから直接IS学園のメインシステムに侵入し、ハッキング。その後、アリーナの防御システムを誤作動させ中にいる生徒や教師、来賓を悉く閉じ込めておく。それが今回、ルイスが考えた作戦の第一段階だった。
わざわざこのイベントを狙ったのも一ヵ所に全生徒が集まり、閉じ込めるという作戦がスムーズに遂行できるという理由からだ。無論、それだけが理由ではない。思惑は他にもある。
そして、ここまでがルイスに仕込まれた宗玄の任務だった。ここからは別の者に、第二段階へと移った作戦を託すことになる。後は、あちらで好き勝手にやってくれるだろう。
作戦第一段階が終了時点でルイスから託されていた任務の半分を完遂したことになる。なら、残りの半分とはなにか。
「先の戦い見事であった。双方、いい腕をしていた」
彼の瞳が射ているのは、絶えず交戦の構えを解かない紅葉と鈴音の二人だ。
「最近はよく血が疼く
一人、語る彼の一挙一動に集中する。一見無防備に話をしているようにも見えるが、その実一切の隙も見当たらない。
彼の放つ圧力が、無意識のうちに彼女らの心理に影響を及ぼしていた。
集中力が途切れれば、即刻死に直面する。
だが、動こうにも隙もなく、攻撃しようと動けばたちまち殺されてしまうかもしれない。そんなイメージが脳裏をかすめて、足が竦んでしまう。
初めて感じる死への恐怖が、二人の身体を鉛のように重くし、一歩踏み出すことへの躊躇を生み出していた。
もしも、この瞬間。二人のうち、一方が攻勢に転じれば状況はまず間違いなく動く。
同時に『死』もまた、寄り添うように二人の隣に現れるだろう。そうなれば二人はそれに微笑まれぬよう、死力を尽くすほかなくなる。
待っていようが、結局のところが状況は変わらない。
宗玄から感じるぴりぴりと肌を刺すような殺気は、先から徐々に膨れ上がっている。遅かれ早かれ、彼は動く。
その先に待つのは『死』か、それとも…………。
「俺が望むのはただ一つ。命を懸けた、本物の闘争だ。死を隣に感じる、命の取り合い。ただ、それだけだッ!」
「来るっ!」
「ッ!?」
猛々しい咆哮が合図だった。
動きにすれば『紫電』や一夏の『白式』ほど速いというわけではない。むしろ、先ほどで超高速で切り結んでいた二人には遅いとすら感じられた。
だが、得体のしれぬ危機感に駆られ、二人はその場から飛び退いた。直後、二人が先ほどまでいた空間を高速の斬撃が通過していった。
刀が振り下ろされたことによる風圧が、目に見えるかのようだ。とても人間業とは思えない。刀の一振りで起こせる風圧など、どんな達人であろうと微々たるもののはずである。しかし、宗玄の一振りは風を起こし、目に見えぬ圧を周囲に撒き散らしていた。暴力そのものを体現しているような、そんな一撃であった。
代表候補生といえど、さすがにこの次元の攻撃を見たことはない。一見では詳しくはわからないが、彼のISが持つ特殊兵装というわけでもなさそうだった。正真正銘、彼自身の力のみで発生させているいわば『剣圧』である。
二人の間に割り込むように飛び込んできた宗玄の二つの眼がぎょろりと動き、左右にいる紅葉と鈴音を捉えた。獲物を定める獣のような表情が、獰猛な笑みに縁どられたが最初に向けられたのは紅葉だった。
「なにかな。その顔。ちょっと不気味で怖いんだけど」
最初の厳つい彼の様相はどこへやら。今や彼は一匹の獣と化している。こちらの声さえ聞こえているかどうかわかったものではない。
「ふん、楽しませてみろ! 俺をッ!」
流れるような動作で握る刀を腰部の装甲に装備されている鞘へと収める宗玄。そのまま次は居合のような構えを取った。
「柳生慧眼流――――――弐の型『焔火箭(ほむらかせん)』」
閃いた剣筋は紅葉の目に留まることはなかった。気づいたときには、既に紅葉の肉体には鋭く研ぎ澄まされた刃が届いていた。刹那の時の中で迫りくる凶刃を、ISの絶対防御はコンマ数秒遅れて弾く。
軽く宗玄が舌打ちをする。今の惜しかった。あと少しでも絶対防御の反応が遅ければ、紅葉の身体は真一文字に真っ赤な花を咲かせていたことだろう。
瞬足の間合いを居合で詰め、渾身の一太刀を浴びせる。それが柳生慧眼流弐の型『焔火箭』だ。敵の挙動や呼吸のリズムを肌で感じ、それに合わせるように敵の刹那にも満たない隙をつき、斬る。常に動き回る敵をつぶさに観察し、自らと同調させるという恐ろしい集中力を要する技術に加えて、抜刀すら敵に悟らせないほどの剣の腕を以て初めて可能となる剣技であった。
しかし、何もこれだけが『焔火箭』のすべてではない。ミソなのは一太刀目が防がれた後だ。
『焔火箭』はその技の前提として、一太刀目は防がれる、としている。もしも、最初の一撃が入ればそれでよし。防がれたり、避けられたりすれば、その時は全身全霊を以て技を続行する。
宗玄の一撃目は、絶対防御によって紅葉の肉体を浅く切り裂くだけにとどまっている。刀は弾かれ、腕は押し戻されるような反動ですぐさま次の行動に移れるような状態ではなかった。
故に、二撃目には刀を得物として使うことは出来ない。では、どの得物で敵を切り伏せる。
答えは電撃の如き早さで、もたらされた。
宗玄が振りぬいた腕とは逆の腕で、腰部にある鞘を掴んだ。初撃から間を開けず、宗玄は掴んだ鞘を居合の要領で引き抜いた。一太刀目と入れ替わるように現れた鞘は、そのまま紅葉の腕を殴りつけるような形で彼女を襲う。絶対防御による二度目の防御が行われるが、次こそは完全にその威力を殺しきれなかった。
「――――――ッ!?」
何かが折れる音がした。中身の詰まった木の棒を折ったときのような、綺麗な骨折音ではない。
破砕音。骨が砕け散る音が、紅葉の絶叫とともに宗玄の鼓膜を揺らした。