IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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第三十八話 思い出は現実の先に

 ――――懐かしい夢を見た。

 

「おれ、織斑一夏! よろしくな!」

「…………」

「にしても、お前無口だなぁ……人見知りなのか?」

「……」

「おーい、なんか喋ってくれよー」

 

 私がこっちに来てから、数週間が経ってしまった。こちらでの暮らしは故郷での暮らしと比べると、言葉通じないだけじゃなく、習慣や規則まで違うのでかなりやりづらい。なんでお母さんも、お父さんもこんなところにわざわざ来ようなんて思ったんだろう。

 

 それに……。

 

「織斑じゃなくて、一夏って呼んでくれ。なっ、鈴」

 

 妙に馴れ馴れしいこいつはなんなのよ。何度も何度も、しつこく付きまとってくる、この男。いくら私が無視しても、いつも隣から話しかけてくる。

 正直、うんざりしていた。私は誰とも馴れ合う気はなかったし、それに私はこういう妙に馴れ馴れしい奴が一番苦手だった。

 だから、話しかけられても一切反応もしてやらないし、目も合わせてもやらない。こいつが勝手に諦めるまで、我慢するだけ――――でも、一向にこいつは話を止める気配はなかった。むしろ、時間が経つごとにどんどん踏み込んだ話題まで話すようになっていく。まるでストーカーのようで、気味悪かった。

 他の生徒達は最初こそ物珍しさで話しかけてきたいたが、私の態度の悪さに今では近寄ってくることすらなくなっている。こいつを除けば、私に近寄ってくる人間は教師ぐらいだった。

 

 でも、それでよかった。

 

 仲良くする気はない。

 

 故郷の友達と別れ、どうしようもない寂しさとやるせなさを感じて、私は無気力になっていたのだ。

 

 だけど、そんな私をあいつは諦めることなく付きあい続けた。もう殆ど、あいつの独り言だった。

 私がそっぽを向いて、あいつが勝手に話す、それの繰り返し。

 

 いつの間にかそれが私の日常になっていった。

 

 ある日、あいつが学校に来なかった日があった。単なる風邪だと、担任の教師は言っていた。

 その日、私はいつも以上に退屈だった。ここまで退屈だったかなと、自分でもびっくりした。次の日になって、一夏がいつものように私の傍に来て話を始めた時、私は少しだけ嬉しいと思ってしまった。

 そんなはずがない。一時の心の迷いだと、私は自分にそう言い聞かせた。

 

「おっ、ようやく笑ってくれた」

「……?」

 

 その時、私は何を言われているのか分からなかった。

 

 一夏は私の困惑が分かったのだろう、少しだけ不敵な笑みを浮かべた。

 

「今まで全然、反応してくれなかったのに……これもくじけず話しかけた結果だな!」

 

「な、なにを、い、言って」

 

 当時の私はまだ日本語をうまく話すことが出来ず、たどたどしく途切れ途切れに話していた。

 

「お前、今までずっとむすっとしてたからな。やっぱり、女の子は笑顔じゃないと」

 

 悔しいことに、そこまで言われて、私は気づいた。

 

 笑っていたのだ。笑顔を浮かべていたのだ。

 

 一夏が自分の隣で前と変わらず一人話をしてくれる事が嬉しくて、頬が緩んでしまったんだ。

 あの時の恥ずかしさったら、すごかった。一夏へ告白した時よりも、初めて自分で作った酢豚を食べてもらった時よりも、たぶん人生で一番恥ずかしかった。

 

 それから一カ月。相変わらず私と一夏のこの奇妙な関係は続いていた。

 一夏が独りで話して、私がそれをただ無言でじっと聞いている。互いに言葉を交わすことはない、話し手と聞き手、ただそれだけの関係。

 結局、最後に会話を交わしたのはあの一件だけだ。というのも、あれ以降私は恥ずかしすぎて、まともに一夏の顔を見れなくなっていた。まぁ、もともと見ていなかったので何の問題もなかったのだが。

 そして――これはまぁ、予期していたというかある程度予測していた事態が起こった。

 放課後、私の前に三人の同級生の男子が道を塞ぐように立っていた。言わずもがな、私は理解していた。というより、ようやく来たか、という感じだった。

 

「よぉ、お前がうわさの中国人か?」

「……」

「おい、なんと言えよ」

「たぶん、あるね、って言わねえとわかんねえんだよ」

「ああ、なんせ中国人だもんな!」

 

 中国人なら、あるね、をつけるというのはなんと安直な発想なんだろう。子供ながら、私はそいつらのあまりの馬鹿さ加減に呆れてしまった。

 そんな私の態度が気に入らなかったのか、そいつらはムッとした表情になると、私に近寄ってきた。

 だけど、私が同学年の子よりも一回り小柄だったのと、そいつらの体格が他の子たちよりも一回り大きかったせいか、私にはそいつらがまるで大きな壁のように見えてしまった。正直、怖かった。二回りも大きな男の子を相手にするのは、当時の私ではまだ無理だった。言葉もまだよくわからない、うまく話せない時のことだ。余計にそういった、目に見える、肌で感じられるものに恐怖を抱きやすかった。

 

「な、なに……い、いや」

 

 話そうにもたどたどしい日本語では、誰も状況を解ってくれない。いや、もし誰かが理解していたとしても、誰も助けてはくれなかっただろう。それだけ私はクラスの皆から見放されていた。当然だ、仲良くする気もない癖に自分の都合の悪い時だけ助けてもらおうだなんて、いくらなんでも都合が良すぎる。

 小学四年生にしては、体格の良かった男子生徒はじりじりと私に迫った。故郷でも喧嘩ぐらいならしたことがあるが、さすがにここまで体格差のある相手となると話が違う。

 壁際に、追いやられ男子生徒の顔はにやついていく。ああ、よく覚えている、あれは弱い者をイジメて悦に浸る、くっそたれの顔だ。

 

「おい、お前ら」

「あん? また、お前かよ、一夏」

「男女がいなくなったら、次はこいつかよ!」

「そんなに女が大好きなら、お母さんのおっぱいでも吸ってろよ!」

 

 私に迫っていた男子生徒がそう言った瞬間、一夏の拳がその男子生徒の頬に深々と突き刺さっていた。

 

「なにすんだ!」

「いや、ちょっとむかついたから」

「てめえ、毎回毎回俺たちにちょっかい出しやがってぇ」

「ちょっかい出してんのはてめえらだろ。むかつくんだよ、そういうの」

「いい気になりやがって。またボコってやる!」

「へっ、来いよ!」

 

 私の目の前で、一夏とその男子生徒達は私そっちのけで殴り合いの喧嘩を始めてしまった。遠巻きに見ていた生徒達も、これには慌てて教師を呼びに行ったり、止めようとしたり、もう完全に私は蚊帳の外だ。

 それからしばらくして、教師がやってきて四人の仲裁に入ったことで喧嘩は一応収まった。

 三対一でも物怖じせず、むしろ果敢に一夏は戦っていた。最後の方は相手の方が泣きべそをかいていたぐらいだ。

 その姿は少しだけ、ほんの少しだけ――――カッコいいと思ってしまった。見惚れてしまったのだ。

 

「あーあー、悪いのはあいつらの方だってのに。なんだって、俺まで」

 

 説教され、職員室から戻ってきた一夏はそんな文句をずっと垂れていた。どうやら一夏は前にも似たようなことをやらかして、大目玉を喰らったことがあるらしい。

 

「って、そんなことより鈴。大丈夫だったか? あいつらに変なことされなかったか?」

「い、いや……何も、されなかった」

「そっか……よかった」

 

 ほっと胸を撫で下ろし、一夏は笑った。

 思えばその時から、私は一夏を好きになったのだと思う。

 あの瞬間、一夏が颯爽と私を助けてくれたとき、私は一夏に恋をしたのだ。

 

「あ、あの……あ、あり、ありが、?」

「え? 何?」

 

 うまく言えない。ありがとう、という言葉すら口にすることが出来なかった。

 もどかしい。気持ちを素直に表現できないことが、心の底からもどかしかった。

 

「や、なん、で、もない……」

「ははっ、変な鈴」

 

 一夏が笑い、私はそれにいつものむすっとした表情で応じる。これがあのときの私達、そして――――

 

 

 ――――私が初めて恋をした時の話。

 

 

     *      *     *

 

 

 鈴音が目覚めると、見覚えのない白い天井が視界に映った。焦点が定まらないぼやけた視界の中で、おぼろげな記憶の欠片が一つ一つゆっくりと繋がっていく。

 

 ――――そっか、私……負けちゃったんだ。

 

 はっきりとしない意識の中で、敗北の感慨だけが行き場を失ったようにぽつりと浮かんでいる。

 柳生宗玄との一騎打ち。自身のプライドを賭けた戦いに、鈴音は敗北した。言い訳の余地も残さず、完膚なきまでに。

 ここに来るまでに、いろんなことがあった。一夏と別れて故郷へ帰り、血反吐を吐くまで訓練をした。何度も挫折して、何度も逃げ出そうとも思った。だが、その度に一夏や母を思いだして踏みとどまって、泥まみれになりながら代表候補生にまで上り詰めた。

 彼女らの夢や意思を背負っているなんて、おこがましいことを言うつもりはない。だが、そうした夢半ばで敗れ去った人達が歩みたかった道に鈴音がいることもまた事実だ。

 

 この道は決して簡単ではなかった、険しく辛い道のりだった。鈴音は生き残った、何人もの屍を乗り越えて、その上に立っている。その道を歩いている。

 

 この道は勝者の道だ、無数の屍で作り上げられた生者の道だ。

 負けることは許されなかった。負ければ、全てが否定される。鈴音までもが無数の屍の、その一つになってしまう。今まで鈴音が築き上げてきた道が、その意味がなくなってしまう。

 

 血反吐を吐いた、悔しさで泣いた日もあった、それでも諦めず努力して、ようやく掴んだこの道。そのすべてが一つの敗北によって、否定されてしまった。

 

「はは、いいことないわね……」

 

 ようやく意識がはっきりとしてきた。記憶の一片一片が繋がっていき、本来の絵図を浮かび上がらせる。

 

 思い返せば、ここ最近はいいことがあった試しがない。散々な日ばかりだ。

 大事な約束は忘れられ、箒と一夏を賭けた試合は最後の最後で潰され、挙句の果てには大事な試合を台無しにした張本人に鈴音は敗北を喫した。

 

 思わず、笑ってしまう。笑うことしか出来なかった。

 

「あら、目が覚めたのね」

 

 仕切られていたカーテンの奥から顔をのぞかせたのは、保健医のティア・ブライトだった。

 夕日に照らされ赤く染まった金髪を揺らし、ティアは鈴音の冴えない表情を見て「あれ?」と首を傾げた。

 

「どうしたの? あまり元気がなさそうなんだけど、って怪我人だからそりゃあ元気はないわよね」

「は、はぁ……」

 

 早口気味にまくしたてるティアに、鈴音は困ったように生返事を返す。

「さて、私は上へ報告があるのでよっと出てくるわね……あっ、一応脚と胸の傷口は縫合してるけど無理しちゃ駄目よ? 激しい運動とか、やっちゃ駄目だから」

「わ、わかりました」

「よろしい。じゃあ、さっさと行きますか……。若人の邪魔するのも野暮だし」

 

 謎の台詞を残して、ティアは部屋から出ていった。まるで台風のような人だった。短い会話だけで――なっていたかは怪しいが――今日の疲れがどっと出てしまったみたいだ。

 

「にしても、確かにちょっぴり痛いわね」

 

 記憶では胸のあたりをばっさり斬られたはずだ。あの時は戦いの最中で気分が高揚していて気にしなかったが、よくよく考えてみなくとも大怪我だった。

 血の気が引いた。服の上からそっと胸を触ると、ちくりとした痛みが走り、鈴音は顔を青ざめた。

 いよいよ、冷静ではいられなくなった。というより、戦闘中の自分はどうしてこんな大怪我を大丈夫だとか、大したことないと思ったのだろう。そういえば、足も怪我をしていた。

 

「あわわ……! ちょ、まだ嫁入り前なのに傷物になるとか、洒落になってないわよ!?」

 

 人間、冷静さを欠いた状態では正常な思考が出来なくなるという本当らしい。

 鈴音も年頃の少女だ、自分の体に一生残るかもしれない傷が出来たという事実に、少なからずショックと後悔を覚えていた。

 

 急いで服をまくり、胸の傷痕を確認しようとする。

 

「入るぞ? ……鈴?」

 

 服をたくし上げた瞬間、ガラガラとカーテンが開かれた。

 入った来た人物が誰なのか確認するまでもなかった。しかし、何故こうも絶妙なタイミングでやってくるのか。

 

「い、いいいいいいいいいい、一夏!? あんた、なんで!?」

 

 顔上げると、一夏と目が合った。そして、今の自分の状態を思いだして今度は顔が一瞬にして真っ赤になった。たくし上げていた服から手を放し、即座に胸を隠す。

 ちなみに一夏は、思わぬ場面に遭遇したせいか固まってしまっていた。しかし、その視線はしっかりと鈴音の胸元に注がれている。

 

「出ていけぇぇぇえええ!! この変態ぃぃぃいいいい!!」

 

 

 

「え、えーと……とりあえず、ごめん」

 

 顔に真っ赤な紅葉をこしらえた一夏は、まだ痛みが引かない頬をさすりながら謝罪の言葉を口にする。事故とはいえ、その原因は何も確認せずカーテンを開けてしまった一夏だ。彼が少しでも罪悪感を抱いているのなら、当然の行いだろう。

 

「い、いいわよ。見られたところで減るもんじゃないんだし……恥ずかしかったけど」

 

 頬を赤らめ、鈴音が視線を逸らす。自分で言っておいてなんだが、恥ずかしさが逆流してきてしまった。穴があったら入りたい気分だ。

 一夏もまたそんな鈴音に視線を逸らし、恥ずかしそうに頬をかいている。もしかすると、鈴音のあられもない姿を思いだしているのかもしれない。そう思うと余計に恥ずかしくなって、いらない悪循環に陥ってしまいそうだった。

 

「それで? 何か用だったんでしょ?」

 

 まさか鈴音の寝顔を眺めに来たわけではあるまい、と考えそうになって鈴音は慌てて思考を切り捨てた。

 

「あ、ああ……その、大丈夫なのかなって」

 

 言いにくそうに、一夏が鈴音の反応を探るように言った。

 その言葉がなにを意味しているか。それを察せないほど、鈴音も鈍感ではない。

 

「……大丈夫だって言ったら、嘘になるかも」

 

 まだ生々しい傷痕が残っていた胸に触れる。「だってこの傷、大怪我じゃない」鈴音は笑った。笑うしかなかった。それでしか、自分を慰めることが出来なかった。

 

「ごめん、俺がもうちょっと早く来れていたら」

 

「一夏のせいじゃないわよ、この傷は私の責任。私が勝手に挑んで、負けただけ。やろうと思えば、逃げることだって出来たんだから」

 

 嘘だ。あの状況で敵が鈴音を見逃してくれるわけがないし、代表候補生で専用機もちの鈴音に敵前逃亡が許されるわけがない。それ以前に鈴音のプライドがそれを許さなかっただろう。

 

 だから、この傷が自分の責任であるという点は間違いではない。

 

「だから、あんたが謝るのはお門違いよ」

「だけど!」

「もしも、あんたがもう少し来ていたとしても状況は変わらなかったわよ。いや、私とあんたの二人がこの傷を負う羽目になっていた。そう考えると、あんたが遅れてきたのは幸いだったのよ、きっと」

 

 迂遠に、一夏の力不足を指摘する。代表候補生の鈴音ですら宗玄に敵わなかったのだ、素人の一夏がいたとしても恐らく結果は変わらなかった。だとすれば、一夏が余計な怪我をしなかっただけ、鈴音から見ればこの結果はマシなのだ。

 

「そう言うあんたも、随分と怪我してるみたいじゃない。なんかあったの?」 

 

 鈴音の記憶は宗玄に最後の意地で衝撃砲を放ったところまでで途切れている。その後、宗玄がどうなったのか、駆けつけてきたであろう一夏たちがどうなったかは、目覚めたばかりの鈴音には知る術がない。

 

「色々とな」

「なによ、勿体ぶって」

「長くなるんだよ、それにあれはなんて説明したらいいかわからないし」

 

 そう言う一夏の表情は、本当に言葉を選びあぐねているようだった。

 

「……まっ、それはもういいわ。それで? 結局、今はどういう状態なの? あんたやあの教師を見ていると、あいつらに占拠されてるなんて最悪な事態だけは避けれたみたいだけど」

 

 近くにあった椅子に腰かけ、一夏は事の顛末を掻い摘んで話した。

 鈴音が気を失う直前、一夏が駆けつけたこと。

 そのあとすぐに宗玄は退却し、殿として残った無人機に苦戦したが、皆のの力もあってなんとか撃退したこと。

 既に生徒達は自室に帰っているが、怪我している生徒も多く、混乱はまだまだ続いていること。

 あちらこちらで破壊された建物の修復や瓦礫の撤去作業に皆が追われていること。

 幸いだったのは、一般生徒に大きな怪我なかったことだ。これは偶然にも生徒達が、アリーナでもっとも頑丈に作られている観客席に閉じ込められていたためだった。

 それでもあの混乱で押し倒されて怪我をしてしまったり、襲撃の恐怖で精神的に弱っている生徒も多数いることも事実だ。楯無達、生徒会や教師陣がケアを行っているようだが、この混乱はしばらく続くであろうことは、誰の目から見ても明らかだった。

 

「さすがに一日やそこらで収まるわけがないよね、この混乱は」

「俺だってまだ実感がわかないよ。初めてあんな奴らと戦ったっていうのにな」

「あんたは昔から、変なところで妙に肝が据わってたしね。覚えてる? 私がこっちに来たばっかの時、あんたがあのガキ大将に喧嘩売った時の事」

「ああ、あれかぁ。あんときも後で千冬姉に滅茶苦茶、怒られたんだよな……」

 

 鈴音の問いかけに、一夏は懐かしむように顔を綻ばせる。

 鈴音にとっては初恋のエピソードであるだけに、一夏の口からその出来事を語られると妙に嬉しかった。

 

「あの時は今と違って、鈴が全然喋らなかったんだよな。俺がずっと一方的に話してて」

「むっ、だって仕方ないじゃない。言葉も全然わかんなかったし」

 

 母国の言葉も親しい友人も全て置き去りにして、鈴音達はこの日本へやってきた。まだ幼かった当時の鈴音には、見るものすべてが異質に映り、不安な毎日を過ごしていた。今にして思えば、鈴音がこの日本を好きになれたのは、不安と恐怖から日本に馴染めずにいた鈴音と周囲の橋渡しをしてくれた一夏のおかげだ。

 

「もう六年近く前の話なんだよな……懐かしいな」

「本当ね……ねえ、一夏」

 

 窓から差し込む夕焼けが、室内を黄昏色に染めている。もうじき日没だろう、真っ赤に染まった夕暮れの空は奇しくもあの日に見た空と同じ色をしていた。

 

「あの日も、こんな夕暮れの教室だったわよね――覚えてる?」

 

 それは意地悪な問いかけだった。

 どう逃げようと、この問いの答えを逸らすことは一夏には出来ない。あの出来事が胸に刻まれているのなら、一夏はきっと逃げるという選択肢を選べない――――鈴音の知る織斑一夏という少年は、そういう人間だった。

 

 

「――――確か、『料理がうまくなったら、毎日酢豚を食べさせてあげる』だったよな?」

 

 

「え?」

 

 思いもよらない返答に、問いかけたはずの鈴音が逆に言葉を詰まらせた。

 どういうことなのか、一夏はあの約束を忘れてしまっていたのではないのか。そんなことがばかり考えてしまって、中々現実を呑み込むことが出来ない。

 

「鈴が中国に帰る前日でさ。皆でお前を見送る会をやって……その帰りにお前に呼び止められて、そう言われた」

「い、一夏……」

「ごめん。ようやく思いだせた。なんで俺、こんな大事な約束忘れてたんだろうな――忘れないって、約束したのに」

 

 そう言って一夏が苦笑する。

 

 一夏はその約束を忘れていたはずだ。前はいくら説明しようとちっとも思いだしてくれなかったのに、なんでこういう時に限って彼は思いだすのだろう。

 

 本当にずるい。心が弱りかけている時に、なんでそんな嬉しい言葉を言ってくれるのだろう。待ちに待った言葉を言ってくれるのか。

 

 忘れていたことは本当に酷いことだ。女の子との約束を忘れるなんて男の風上にも置けない――――だけど、それでも彼の記憶のどこかに鈴音との思い出が、約束が残っていた。完全に消えたわけじゃなかったのだ。それだけで鈴音は報われた気がした。諦めないでよかったと思えた。

 

 いつの間にか涙があふれていた。 

 

 でも、この涙は哀しみの涙じゃない。あの日のように絶望の底で流した涙ではない。

 

「――――遅いわよ、バカ」

 

 この涙はきっと鈴音の望んだ幸せの欠片なのだ。

 

 

    *      *      *

 

 一方その頃。保健室の外では、四人の少女が隠れるように室内を覗き込んでいた。

 

「中々、良い雰囲気ですねぇ~。これはもしかすると、もしかするかもしれませんよ?」

「何がもしかするのだ! そんなこと、あの一夏に限ってあるわけないだろう!?」

「あーもう、静かにしていてくださらない? 会話が聞こえてこないではないですか!」

「……頑張れ、凰さん」

 

 一夏よりも少し遅れて鈴音の見舞いに訪れた四人だったのが、着いてみれば何やら二人がいい雰囲気になっていたので、慌てて隠れたのだ。

 

「それにしても、やっぱりこの距離だと途切れ途切れですねぇ……さすがに中に入ればばれますし」

「いや、ばれてもいいだろう。なんで見舞いに来ているのに、私たちが隠れなければならないのだ」

 

 箒の疑問はもっともなのだが、そういう箒もちゃっかり隠れているので微妙に説得力がない。

 

「とは言ってもですねぇ……なんといいますか、入りづらいじゃないですか」

「それもそうだが……そこはほら、瀧岸ならそんな空気もお構いなしだろう?」

「篠ノ之さんは私をどんな人間だと思ってるんですかねぇ……」

 

 箒の辛辣な評価に神皇が口をへの字にして、不満を口にする。確かに神皇ならそれをやりかねない。だが、彼女は空気を読めないのではなく、あえて読んでいないだけなのだ。まさか、少なくとも鈴音にとっては大事なシーンに割って入れるほど、厚顔無恥ではない。

 それに神皇には二人の邪魔をする理由がなかった。むしろ、二人を傍から見守っている方が面白いことが起きそうである。 

 鈴音は既に一夏への告白――とはいかないまでも、それに近しいことをやってしまっている。以前まであった躊躇いも、今では少ないだろう。この雰囲気に流されれば、案外すんなりと告白出来てしまいそうだ。

 

「――ですが、篠ノ之さんは本当にこのままでいいんですか?」

「……いいわけがないだろう」

 

 不機嫌そうに箒は言った。

 それを聞き、神皇は少しだけ相好を崩した。

 

 素直になった、とは言い難い。だが、依然と比べれば一夏への想いをはっきりと示すようになった。騒動の最中、何があったかは知らないが――――どうやらあの演説は、相当彼女にはてきめんだったらしい。

 

「なら、行きますか。このままだと、凰さん、告白までしかねませんよ?」

「神皇……余計な事、しないで」

「そうですわ。告白とは女性にとっては一大イベントなのですから」

「オルコットさん、なんかいつもよりもテンション高めですね……」

 

 いつもは冷静沈着、傍から見てもエリート貴族という風格を漂わせていたというのに。やはり、彼女もまた年頃の少女だということか。

 

「あのね、一夏。お、覚えてるよね……? 試合前の約束……」

 

 そうこうしているうちに、鈴音が攻勢に出た。試合前の約束というのは鈴音と箒、どちらかが優勝すれば優勝したほうが一夏と付き合えるというものだ。勿論、当事者である箒は勿論、セシリアを除く二人も鈴音の発言の意図には気付いている。

 

「約束……とは?」

「まぁあれですね……凰さんが優勝すれば、織斑さんと付き合えるっていう約束です。あ、一応篠ノ之さんにも適応されてるんですが……」

「…………」

 

 箒の戦績はセシリアも知っている。

 だからこそ、悔しそうに唇を噛みしめる箒にかける言葉が見つからなかった。ただ、何となくその姿は哀れに見えた。

 

「あ、凰さんが」

 

 一人、静かに鈴音を見守っていた簪が、思わず声を上げた。

 三人の視線が一気に部屋の中へと集中する。

 窓から差し込む夕日のせいで、鈴音の表情は判別できない。黄昏色に染まった彼女の顔は、まるで熟れた果実のようだった。対して、四人に背を向けている一夏の表情は覗き視ることすら出来ない。

 

「し、試合さ……結局うやむやになっちゃってさ、約束果たせなかったからどうしようって思ったんだけど……や、やっぱり言わなくちゃ、いや――言いたいな、って思って」

 

「「「「き、キタ……!」」」」

 

 叫んでしまいそうになるのをグッと堪えて、二人の会話に耳を傾ける。もはや完全にギャラリーと化してしまっていた。

 鈴音が勝負に出てしまったことで完全にタイミングを逸してしまった箒と神皇は、少し喰い気味に室内を覗き込む。前者は気が気でなく、後者は好奇心に心躍らせて。

 

「ゆ、優勝は出来なかったけど、その……一夏。付き合って、くれる?」

 

 誰かが息を呑んだ。

 

 とうとう言ってしまった。その一言を口にすれば、もう一夏との関係は今までのようにとはいかないだろう。成功しても、失敗しても、その一言は爆弾のように今までの鈴音と一夏の関係を吹き飛ばし、新たな関係を構築させる。良くも悪くも、鈴音にとってこれは賭けなのだ。

 

 しかし、思いのほか一夏からの返答は軽いものだった。軽く、そして困惑するように、一夏は笑顔を浮かべながらこう言った。

 

「――うん? なんだ、そんなことか。いいぜ、鈴。そんなことならお安い御用だ。付き合ってやるよ」

 

 世界が一瞬、静止したようだった。静まり返った空間で、ぽつりと一夏の言葉だけが宙を舞っていた。

 

「え……? う、嘘? ほ、本当に……?」

「何言ってんだ、こんなことで嘘ついてどうするんだよ」

「で、でも……私、え、ええと……」

 

 想像していなかったわけではない。だが、いざこうなってみるとどうしたらよいのか。嬉しいのやら、呆気ないのやら、戸惑っているのやらで感情がごちゃごちゃだ。

 

 軽いパニック状態になっている。どうすればいい、なにを言えばいい。

 

 そして、鈴音がそんな風に混乱している一方で、外でその様子を覗いていた四人は、鈴音とは対照的にぽかんとした表情を浮かべていた。

 

 ――――まさか、あの一夏が? いや、でも、そんなはずは。

 

「少し見直しましたわ。ただの乙女の純情を踏みにじり続けるだけの殿方かと思っておりましたが……男らしいところもあるのですわね」

「惚れたんですか~? オルコットさん~」

「それはないですわ、絶対に」

 

 辛辣な言葉で本音を喋りだすセシリアに、神皇が茶々を入れる。即座に否定が返って来たところ見ると、さすがにこれだけでは彼女の心を射止めることは出来なかったようだ。

 

「凰さん……おめでとう」

「よかったね、かんざしっち。次はかんざしっちの番だよ?」

「…………」

 

 純粋に友達として祝福を述べていた簪だったが、ましても神皇が茶々を入れたおかげで、簪までも鈴音のように顔を真っ赤にしてしまった。

 

「…………ッ! ッ!!」

「言葉にならないくらいショックなら、いっそのこと箒さんも飛び出して告白すればどうです?」

「ッ!? ……ッ!」

 

 ふざけたことを言うな、とでも言いたげに箒は神皇を睨みつけた。根っからの真面目な箒のことだ、きっと初戦で負けてしまった自分にはその資格はないと思っているのだろう。

 

 神皇は苦笑しながら大仰に肩をすくめた。

 

「約束と言っても、単なる口約束。それも強引に取り付けただけの、強制力も何もないものなんですよ? 言っちゃえばいいんですよ。それに凰さんだって、厳密にはその約束を果たしきれていない。ならば、箒さんだけが破ったことを糾弾されるのはおかしいでしょう? 大丈夫ですって、いざとなったら色仕掛けで強引にでも行けばいいんですよ!」

 

 凄まじい暴論だった。それに一夏は既に鈴音の告白を受け入れてしまっている。そんなところに今更のこのこと出て行って、告白するのはいささかおかしいのではないか、というのが箒の意見だ。勿論、神皇は無視して、箒を渦中へと放り込んだ。

 

「うわっ、瀧岸、貴様!」

 

 強引に引っ張り上げられ、背中を押されてしまった箒は不安定な体勢のまま室内へと入ってしまった。転びそうになるのを何とか堪え、前のめりのような格好でピタッと立ち止まった。

 

 視線を上げると、パニックに襲われている鈴音とそれを怪訝そうに見ている一夏の姿がある。

 

 躊躇った。足が、腕が、声が震える。

 声が出ない。何と言っていいのか分からない。

 鈴音の嬉しそうな笑顔を見た瞬間、胸の奥を刀で切り刻まれたようが痛みが走った。

 なんで、なんで、なんで!

 そんなどす黒い嫉妬の感情が、箒の心を満たしていく。

 駄目だ、止められない。

 本当は祝福してあげなければいけないのに、するべきなのに。

 

 ――――ちっとも、おめでとう、という五文字が脳裏をかすめない。

 

 悔しい、なんで、どうして、あいつなんだ。

 

 そんな感情ばっかりが、蠢いて、這いずり回っている。

 

「一夏!」

 

 止められない。理性なんか、とっくに吹き飛んでいる。

 

 いや。大人しく鈴音を祝ってやれる理性なんて、最初から箒の中にはない。

 

「付き合ってくれ! 私は初戦で負けたかもしれない。約束は果たせなかった……だが、それは凰も同じことだ。なら、私にチャンスをくれ! 一夏! 私はお前がいいんだ……!」

 

 こうなれば自棄だ。突き通すしかない。しなければ、一生後悔するはずだから。

 突然の箒の乱入に、二人はしばし間を置いて、

 

「はぁ!? あんた、自分が何言ってるか、理解して」

「そういえば、箒もだったんだよな……困ったな」

「ほら、一夏だって困って……うん?」

 

 さすがの鈴音もこの暴挙は許せないようで、鬼のような形相で箒に迫ろうとして、気付いた。

 

 一夏の発言が、その表情が、何かおかしい。

 

「本当は決勝まで行った鈴の方を優先するべきなんだろうけど、どちらにせよ優勝してはないから、箒の言いたいこともわかるし……う~ん、困った」

 

「一夏……?」

 

 やはり、何かがおかしい。何かが引っかかる。

 鈴音もはっきりとは口に出来ない、舞い上がり過ぎて気付けていなかった微かな違和感。

 

「そこまで強くお願いされると、さすがに断るのも悪いし……あっ、なら二人一緒にってのはどうだ?」

「はぁ!? 何考えてるのよ、あんた!」

「二股だと!? お、お前よくもまぁ、そんなことを口に出来たものだな!?」

「は、はぁ……? 何言ってるんだ、お前ら。〝買い物に付き合う〟ぐらいで、そんなにムキにならなくても……」

 

 

 ――――――買い物に付き合う?

 

 

 鈴音と箒の時間が、再び静止した。思考が停止し、現実を受け入れようとしない。

 

 今、こいつは何と言った?

 

 買い物? 買い物に付き合うと言ったか?

 

 どういうことだ。今、確かに一夏とどちらが付き合うのかを話していたはずじゃ……。

 

「だって、この前の約束ってあれだろ? 優勝したら、買い物に付き合えって話じゃなかったのか? 鈴には色々迷惑かけたし、荷物持ちぐらいなら安いもんだと引き受けたんだが……?」

 

 この男、本気で言っているのだろうか。

 いや、こんなことを本気で言うのが織斑一夏という男だ。それが一夏クオリティーだ。

 

「――――そ」

 

「そ?」

 

「そんなわけがないだろうがぁあああ! この唐変木がぁああああああああああ!!!!」

 

 一閃。箒の渾身の投げ技が一夏にさく裂した。

 まさかこの場面で技を喰らうとは思っても居なかったのだろう、一夏は受け身もとれずそのまま床へと叩きつけられた。

 

「いたっ!?」 

「この鈍感! お前は正真正銘の鈍感だ! もう私は、知らん!」

 

 そう言って、箒は保健室を飛び出して行ってしまう。

 床に蹲る一夏は状況が呑み込めていないのか、更に困惑したような表情で彼女の走り去っていった先を見つめていた。

 

「なんで? 箒! どうしたんだよ、一体!?」

「一夏……」

「箒の奴どうしちまったんだ。鈴、俺何か不味いこと言ったかな?」

「ああ、うん……」

 

 もはやこれには言葉にする価値すらない。

 この男が、究極の鈍感野郎だということをついさっきまで失念していた自分を呪いたくなる。

 中学の時、一体何度この男が女を泣かせた場面を見たことか。この男のトンチンカンな返答に困惑し、勘違いし、翻弄される女子を幾度と見てきたというのに。そんな彼女らを憐れんでは、ああはならないと誓ってきたのに。

 

「あーあ……何やってんだか、私。しおらしく、告白しようなんて……ホント、バッカみたい」

 

 笑えてくる。もう何だか、笑いたい気分だ。

 

「鈴?」

「負けたわ、あんたには。そうね、こんなやり方、私らしくないわ。私はもっと力づくで奪ってやる方が性に合ってるのかもね」

 

 ロマンチックな夢を見た。夢を見過ぎて、現実を見ていなかった。だから、現実を突きつけられて絶望した。そしてまた、そんな夢に賭けてしまった。

 

 大切なモノを。大切な人との約束を――――大好きな人たちとの思い出を。

 

 夢は、所詮夢だ。どんなことでも叶うまさに天国のような世界だが、人は夢には生きてはいない、現実を生きている。

 現実は非情だ。どんなに頑張っても報われないし、どんなに頑張っても時が経てば、大切な約束も思い出も忘れてしまう。

 

 いい加減、乙女の夢から覚めて現実を歩かなければいけない。

 

 いつまでも夢を見ようとするから、現実でつまずく。

 

 ならまずは目を醒まそう。そして、その目でしっかりと現実を見て、目の前の道をしっかりと歩いていこう。

 

 鈴音が本当に手に入れたいものは、現実の中にしかないのだから。

 

「ほら、私のことはいいから箒のところへ行ってやりなさいよ。早くしないと、また口きいてもらえなくなるわよ?」

「え? あ、えーと……」

 

 一夏からすれば鈴音の見舞いに来て、昔の約束を思いだしたことを伝えて、買い物に付き合ってと言われて、それを箒にも言われて、良いよと言ったら投げ飛ばされた――という感じになるのだろうか。

 

 とにかく、一夏にしてみれば状況が目まぐるしく変化しすぎて、脳が処理しきれないでいるのだ。

 

「まったく、織斑君は相変わらずの鈍感野郎ですね。女の敵です。私が篠ノ之さんだったら、八つ裂きですよ」

「女の敵……!」

「前言撤回。やはり貴方は殿方として、失格ですわ」

「あんたら……」

 

 機を見計らって、隠れていた残りの三人がぞろぞろと入ってくる。三者三様の表情を浮かべているが、神皇の睨みだけが妙に殺気が込められていて、全身から冷や汗が噴き出した。彼女にとっての八つ裂きが、物理的な話であることを知っている一夏には笑えない冗談なのである。

 

「凰さんは私たちがついているので、織斑君は篠ノ之さんを追いかけてあげてください。それが、一番だと思いますよ?」

「え、ああ。頼んだ」

 

 そう言って、一夏は保健室を飛び出し、どこに行ったかもわからない箒を追いかけていった。

 どうやら見舞いに来たにもかかわらず、他の女子を追いかけて行くのに多少なりと抵抗があったようだ。妙なところで気が利くというか、いらない世話を焼くというか。

 

「で? あんたらは仲良く覗きと」

「ええ、ばっちり」

「凰さん、頑張ってた……うん、頑張ってたよ」

「わたくしはただの付き添いですわ」

 

 悪びれる気すらない三人に、鈴音は深いため息をついた。せめて釈明ぐらいはしてほしいものだ。

 

「もういいわ。一応、見舞いには来てくれたわけだしね」

「ほうほう。では、凰さんの寛大な心に感謝して早速、織斑君にフラれた感想を」

「もう、蒸し返すか。って、私はまだフラれてないわよ!?」

「あ、あんまり大声出すと……傷口に障るから、気を付けて……? 神皇も、そういうこと聞かないであげて」

「え~。これを楽しみに、来たのに~。かんざしっち~」

「誰かこいつ摘み出してくれないかな……!」

 

 いい加減にしないと怒りとストレスで傷口が開いてしまいそうだ。既に少し前から傷口が痛い。

 

「……で? 簪はともかく、その二人は何しに来たのよ。来てもらっておいて何だけど、お見舞いに来てもらうほど親しかった記憶はないんだけど?」

 

 一連の騒動である程度親しくなった簪を除けば、二人とも鈴音との接点はあまりないはずだった。それこそ簪や玄兎経由で神皇と会うことはあったが、クラスも違うので合同授業でも顔を合わせたことはない。セシリアに至っては合同授業で代表候補生同士だということでよく実習に駆り出されることを除けば、話すらしたことなかった。入学試験主席であるということは知っていたが、それはあくまでも鈴音が一方的に知っていただけだ。だから、セシリアの訪問には少しだけ驚いていた。

 

「私は凰さんに少しだけお話をと思ったんです……大勢の前ですることでもないですし、日を改めて出直してきますよ」

「そ、そう……。あんたがお話があるってだけで、嫌な予感しかしないわね」

「同感……神皇。失礼なこと聞いちゃ、駄目だよ?」

「篠ノ之さんもそうでしたが、皆さんの仲での私の評価はどうなってるんですか!? これでも一応、マナーは守れるんですから!」

 

 つまり、いつもはわざとふざけているということだ。よけいに質が悪い。

 

「わたくしはただ、興味があっただけですわ。同じ第三世代ISを持ち、代表候補生でもある貴女に」

「それは光栄ね。セシリア・オルコットとか言ったわね? 私もあんたに興味があったのよ。初日から一夏たちに喧嘩吹っ掛けたらしいじゃない?」

「……あれはわたくしが浅はかだっただけですわ。視野が狭まっていた、とでもいいましょう」

「要するに、調子に乗ってたってことよね。観てたわよ、あんたの試合」

「上には上がいる。忘れかけていたことを、思いだしただけでも十分な収穫でしたから」

 

 鈴音の挑発めいた発現にも動じず、セシリアは淡々と答えを返していく。

 そんな彼女が面白くなかったのか、鈴音が眉をひそめて肩を落とした。

 

「……そう。ちぇ、面白くないわね。もうちょっと、不機嫌になるかと思ったのに」

「事実は事実ですわ。現実を見ようとも受け入れようともしないのは、愚か者がすることです。それではいつまでたっても、成長なんて望めないですわ」

 

 まるで心中を見透かすされたようなセシリアの言葉に、鈴音は内心ドキッとしたが顔には出さなかった。

 

「さて、わたくしはこれぐらいでお暇させていただきますわ。わたくしもそこの方と同じく、聞きたいことがあったのですが……まだ、体調も万全じゃないようですし、それはまたの機会にさせて頂きます」

「なによ揃いも揃って。気持ち悪いわね」

「まぁまぁ、それが病人怪我人の特権ということですよ」

「そんなこと気にしないで聞けばいいじゃない。気にしないわよ、そんなこと」

 

 親しい仲ならいざ知らず、殆ど話したことのない相手には遠慮がちになるというものだ。それが重症の身の上となれば、尚更だろう。セシリアも神皇もその点ではまともな対応をしていたのだが、どうやら鈴音はそれがお気に召さなかったらしい。

 

 そんな鈴音を見て、セシリアは目を丸くして、それからくすりと笑った。

 

「不思議な方ですわね。わかりました、一つだけ質問をして帰るとしましょう」

「初めからそうしてればいいのよ、まったく」

 

 一夏との一件で吹っ切れたのか、今日の鈴音はどこか楽しそうだ。いや、これが本来の彼女なのだろう。

 

「貴方は襲撃者の一人と戦ったと聞きましたが……その襲撃者は、あの男一人だけだったのですか?」

 

「一人? まぁ、後ろになんかよくわかんない奴いたけど……戦ったのはあいつ一人よ。それ以外の奴は知らないわ」

 

 後ろにいた奴というのは、無人機のことだろう。鈴音はまだあれが無人機であることを知らないのだ。

 

「質問が悪かったですわ。あの襲撃者の中に、細身で眼鏡をかけた……そう科学者のような、医者のような男性はいなかったでしょうか?」

 

「――――」

 

 鈴音は少しの間、考え込むような仕草をしたがやがて両手をあげ、白旗を上げた。

 

「ごめん。覚えてないわ。そんなやつ、いたような記憶はないわね。そもそもあの場にはさっき言った奴らのほかには、誰もいなかったはずよ」

 

「そう、ですか……」 

 

 残念そうにセシリアは呟くと、「では、わたくしは今度こそ失礼させていただきますわ。ブルーティアーズの修理もありますので」と保健室を出て行ってしまった。

 

「結局、何だったのかしらね」

 

 鈴音の言葉に、誰も言葉を返すことが出来ない。簪も神皇もまた、セシリアの真意を測りかねているのだ。

 

(彼女もまた業を背負っている、ということでしょうか)

 

 去っていくセシリアの背中は、神皇にはどこか寂しそうに見えた。

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