IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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今回はやたらと長いです。



第三話 切り裂き魔事件 中篇

「くそ……血の止まりが遅い……毒でも塗られたのかな?」

 

 そう呟く神皇の顔は蒼白だ。腹部からの出血がひどく、ショック状態にならなかったのが不思議なくらいだった。

 現在では出血はだいぶ治まりはじめている。もう数分もすれば完治、できなければ動く程度はできるようになると神皇は踏んでいた。

 

「とりあえず、場所を……移そう……」

 

 血が足りない脳が辿り着いた答えがそれだった。なによりここでは人目に付くし、今の自分を他人に見せたくないというのもある。

 立ち上がろうと足に力を入れると、多少なりとふらついたが、刺された直後に比べたら大分マシだ。

 

「これなら……いいかな?」

「なんだ、立てたのか」

 

 不意に後ろから声が聞えた。声に覚えがある。振り返った先にいたのは、一人の女性。

 一見、男と間違えてしまいそうな凛々しい顔つきにいつも不機嫌そうな表情をしている。

 この女性を神皇は知っていた。前に一度楯無に連れられて行ったロシアで会ったのだ。もう半年以上前だが、未だにその時のことは覚えている。一度見たら忘れられない、というより他人の印象に残り易い顔なのかもしれない。

 

「はは……いつから、いたんです……か?」

「三分ほど前だ」

「結構前からいたんですね……アリサさん」

 

 なら何故助けてくれなかったのかと、神皇は思ったが彼女に常識は通じないとこれまでの経験で分かっているし、なによりもしも彼女が三分前の時点で神皇を助けていたとしても、あまり状況は変わらないだろう。そう思い、あえて口にはしなかった。

 

「どうした、顔色悪いぞ?」

 

 蒼白な神皇の顔を覗き込みながら、アリサがそんなことを言った。その原因は一目で分かりそうなものだが、彼女は気付いてないらしい。

 事を詳細に伝えるのはかなり面倒だったので、神皇は血まみれの腹部を指差した。

 

「ああ、なるほど。蹴ってやろうか?」

「なんでそうなる……!」

「痛みをさらに強い痛みで消してやろうと言ってるんだ。さっ、準備しろ」

「何、やる前提……で、話を進めてるんですか!」

 

 何故か半身で構えはじめるアリサに神皇は慌てて止めに入った。彼女は冗談は言わないたちだ。そのため、普通ならば冗談で済む話題も彼女にかかれば本気で実行されかねない。怪我人相手に蹴りを入れるという、先の話もまたしかり。

 

 もちろん、彼女に悪気はないと思われる。

 

「で、貴様は何故こんな場所で血まみれで倒れてる? あれか、生理か」

「どうやったら、それで腹部から血が出るんですか!」

「おいおい、叫ぶな。傷に障るぞ?」

「誰の……所為ですか……!」

 

 歯が擦り切れるのではないかと思うほど歯ぎしりする。

 そんな神皇を知ってか知らずか、アリサは持っていたレジ袋をあさり始めた。

 

「ということで、ほれ。これ食え」

 

 レジ袋から取り出されたのは食品パックだった。中身を見ると、普通の食用レバーだ。

 それをアリサは押し付けるように神皇に差し出していた。

 

「なんですか……これ」

「レバー」

「いえ、それは分かってるんですが…………なぜに食えと?」

 

 レバーには多くの鉄分が含まれており、貧血状態である神皇には確かに適した食品なのだろう。だが、今これを渡される意味が神皇は理解できなかった。

 

 その理由を問うとアリサは微笑を浮かべ、

 

「間違えて買った」

 

「…………私は今、人生で初めて年上の人に殺意がわきました」

 

「ほう、それは困った。じゃあ、どうやってこれを処分するか」

「自分で食べてください。私は……もう行きますので……」

 

 そう言うと神皇は踵を返した。だが、その足取りはふらふらと覚束ない。まだ完全に貧血が抜けてないのだろう。

 そんな神皇を見ているとさすがのアリサもいたたまれない気持ちなった。怪我人が苦しそうにしているのを、見ているとどうもアリサは“お人好し”が働いてしまう。

 はぁ、とため息を吐き出すとアリサは神皇の隣に行くと、すかさず自分の肩を貸した。

 

「まともに歩けん奴が何を言ってるんだ。貧血には鉄分がいいんだ。さすがにすぐには効かないが、気休めにはなる」

「さらっと、私にレバーを食べさせようとしないでくださいよ」

「肩を貸してる」

「それとこれとは別問題です」

 

 アリサはふて腐れたように頬を膨らませ、そっぽを向いた。その仕草はまるで年頃の女子――――彼女は今年で二十歳になる正真正銘の女性である――――のようなその仕草は、アリサの凛々しい顔にはあまりにも不釣り合いだ。

 隣の神皇がじわじわと込み上げる笑いを堪えているのを露とも知らないアリサは、またも不機嫌そうな顔で言った。今度は空いている方の手に握られたレバーを見せながら、

 

「そんなことより……ほら、お前なら生でも大丈夫だろ」

「これって豚の方ですよね……いや、確かに私は大丈夫ですが……」

 

 そう言ってもう一度アリサの持つパックへと視線を落とした。そこにあるのは、鉄分を多く含むとされている食品の代表格であるレバーがある。彼女はこれをこの場で食え、というのだ。常人なら腹を下すが、神皇ならばそういう心配はまずないのでいいのだが、今これを食べる必要性はない。

 

 しばらく、逡巡する。

 

 腹部の傷は大分回復してきた。今の状態なら普通通り動けるだろう。意識もきちんとある、貧血は残っているものの支障はない。しかし、あえて問題点を挙げるとするならば、目の前で怪しい笑みを浮かべているアリサだろう。彼女はどうしても、神皇に間違えて買ってきた食品を処理させたいらしい。確かに、今の神皇には必要なのかもしれないが、別に食べるのは事が終わってからでも遅くはない。

 

「大丈夫だ。食え。貧血にもいい」

 

 彼女は既にパックを開封していた。食べさせる気満々である。

 

「私、人間ですから今食べたところで意味ないですよ。これ」

 

 食べてから胃で食物が消化され、栄養分として体に吸収されるまでにかかる時間は神皇が知る限り、早くとも半日はかかる。それも調理や食材によって遅くなったりも早くなったりもするので、一概には言えない。

 神皇がこの場をどう乗り切るか貧血が治ったばかりの頭で必死に考えていると、隣のアリサが神妙な面持ちで、

 

「私の知る限り、一番人から遠く、また一番人間らしいのはお前以外誰もいないのだが?」

 

 その言葉に神皇は少しだけ眉間にしわを寄せた。

 この人はさらっと爆弾発言をするな、と神皇は思う。

 それではまるで、神皇が人間ではない、と言っているようなものではないか。

 アリサとしては、この言い方は言い得て妙ではないと思っているのだが、何しろ他に言い方を思いつかない。

 

「どうした。いきなり黙り込んで」

 

 アリサが顔を覗き込むようにして、こちらを見ていた。

 先の言葉に少しムッとしていた、とは言いづらい。少しだけ思案し、次の話題を模索する。本当はこのようにアリサと話をしている場合ではないのだが、肩を貸してもらっている以上、アリサをどうにかしないことには動こうにも動けないのだ。

 だから、神皇はあえて話題をぐるりと百八十度変えてみた。

 

「……アリサさんって意外に人から好かれるでしょ?」

 

 唐突な話題変換だったが、アリサは表情一つ変えずに答えた。

 

「意外には余計だ」

「はは、すいません。でも、アリサさんの言葉って確かに棘あるけど……なんだか、微笑ましいんです」

 

 そう言って神皇が笑みを浮かべる。一方のアリサは不満ありげに、

 

「……どういう意味だ」

「だって、なんだか心の底から言っているようには思えないんですよ、アリサさんの言葉って。うーん、言うならば……子供の強がりみたいな」

 

 それはいい意味として捉えていいものなのか、中々判断がつきにくいものだった。

 アリサは眉間辺りをひくつかせながら、

 

「つまり、私はお子様だと……そういうことか?」

「はい」

 

 次の瞬間、神皇の口にレバーが飛来した。

 

「あうっ!?」

「むかついた。イラついた。だから、無理やり食わせてやる」

「ひひゅうに、ひゅっひゅっいいいでれふ!」

「何? もっと食わせろ? いいぞ、ほらっ!」

 

 ついにはパックに入っていた全てのレバーが神皇の口に押し込められた。

 口を押えられ、吐き出そうにも吐き出すことができない。そうなると食物の行きつく先は一つ。

 

 ごくり、という音が神皇の喉から鳴ったのを確認し、アリサは力を緩めた。

 

「よし、そういうことで私は行くぞ」

「はぁはぁはぁ……ちょっと、待ってくださいよ!」

「忙しい」

「人に無理やりレバー食わせといて、それないでしょ……」

「うるさいやつだ。逆にお前は私に感謝しなければならないだろう。ただで食べ物をくれたのだから」

「うわぁ……この人最悪だよ。私の生きてきた人生の中でもトップクラスに嫌な人だよ……」

 

 少しでも彼女をいい人だと認識してしまいそうだった自分が悔しい、と神皇が項垂れた。

 

「まぁ、冗談はさておきだ……。貴様、そろそろ大分腹の傷は癒えてきたんじゃないか?」

「え……?」

 

 アリサの言葉にハッとして、下を見た。今までアリサとのちょっとした喧嘩紛いに気を集中させていたため気付かなった、傷が治っている。

 

 男に刺されたはずの腹部が見事なまでに完治していた。

 

「……知ってたんですか? これのこと」

「ああ。伊達に彼奴らと一緒にいるわけではないからな。そのことぐらい把握しているさ」

 

 なるほど、と神皇は納得した。彼女は最初からこのつもりだったのだ。無理して男を追おうとしている神皇を引き留め、傷を癒させる――――これが目的だった。今までの不毛と思える会話は、彼女なりの気遣いだったのだろう。

 

 

 

 ――――――不器用だなぁ、この人。

 

 

 

 

「ありがとうございます。私はもう大丈夫ですから、行きますね」

「そうか。じゃあ、とっと行け」

 

 はは、と笑い神皇はアリサに背を向けた。

 

「少し、遅れちゃいましたね。今から追いつくとなると結構、きついなぁ」

「お前なら、すぐだと思うが」

「それもそうですけど…………いた」

 

 その声が波紋のように静かに広がる。人間のようで、人間のものではない冷たい声だ。

 神皇が走り出す。地面を蹴り、加速していく。

 

「速いな……」

 

 数秒もすると、アリサから神皇の姿は人差し指ほどしか見えなくなっていた。

 

 

   *    *    *

 

 電話が鳴った。

 

『ハロハロー! アリサちゃん大好き、瑛梨ちゃんでー』

 

 そこまででアリサは通話を終了した。

 少し間を置き、再び着信音が響く。

 

「なんだ?」

『いきなり電話を切るなんて、酷いよーアリサちゃん! この瑛梨ちゃんからのラブコー』

「黙れ」

『……あれ、ご機嫌が悪い?』

「少なくとも、お前からの電話があるまでは機嫌はよかった」

 

 つまり、彼女からの電話が原因で機嫌が悪くなったということだ。

 電話越しで瑛梨が苦笑いしているのが分かった。

 

『ははっ、私のラブコールはまだアリサちゃんには届かないか』

「安心しろ。私以外にも届いてないと思うぞ」

『それはないない』

 

 瑛梨は俗にいう同性愛者と呼ばれる者だ。彼女は普段では物静かで、いざというときは頼りになる姉御肌の人物なのだが、身体的にある特徴を持つ女性と話すさいは、ちょっとした暴走を起こすことがある。

 アリサ自身、同性愛というものにはとやかく言うつもりはない。誰が誰を好きになろうと自分の知ったことではない、と思っているからだ。しかしながら、その愛が自分に向けられるとなれば話は別だが。

 彼女自身、自分が好きになった人物は皆自分を好きになっている、と訳が分からない自慢話をしていた。

 

「で、何か用か?」

『そうそう、忘れるところだったよ』

「忘れるなよ……」

『えーとね、なおちゃんがね「きちんと食材買ってきてね。言われた通りに!」って言ってたよ?』

 

 ぎくりとした。先の神皇との会話でも分かるように、アリサは今朝出掛ける際に頼まれた食材を買わなかった。いや、正確には間違ったというべきか。その結果が先程のレバーである。

 ここで言い訳をしては恰好がつかない。そう考え、アリサはありのままに事実を告げた。

 

「案ずるな。失敗した」

『なんで堂々と言えるのかな……それ』

「事実だからだ」

『少しは言い訳しようよ。いや、理由を聞きましょうか』

 

 呆れと諦めの感情が入り混じった声がスピーカーから聞こえた。

 相手側が言い訳を求めているなら、拒否する理由はアリサにはない。

 

「出掛けた後、すぐに近くのスーパーに行ったんだが、なかったんだ。豚のばら肉」

『それでどうしたの?』

「仕方なく、他の店でレバーを買った」

『なんで、レバー!?』

「いや、適当に手に取って会計を済ませたら……ばら肉ではなくレバーだったんだ」

『いやいや、確認してよ。というより、どうやったら間違うのか知りたいよ』

「まったくだ」

『アリサちゃんのことだよ!』

 

 一通りのツッコミを終え、息が荒い瑛梨は大きなため息を吐き出すと、

 

『分かったよ。もう、なおちゃんには今夜はレバーでよろしくって言っておくから……』

「いや、そのレバーはさっき《なんちゃら》とかいう女に食わせた」

『なんちゃら……?』

「そうだ。名は忘れた……ただ、顔は覚えていた」

 

 盛大に瑛梨がため息をついた。ため息をつくと幸せが逃げるというが、もしかすると逆なのではないだろうか。幸せが逃げていったから、ため息が出るのでは。

 

 アリサが頭の片隅でそんなことを思っていると、

 

『はぁ、買い物のことは後で江波さん辺りにでも頼んでおくよ…………。もう、アリサちゃんは一人でお使いすらできないのかな? そんな悪い子にはこの瑛梨さんがたっぷりと教育をしてあげま』

 

 後半の声音に若干危ないものが混じっていたので、強制的にこちらから通話を終了した。恐らく、これに対するお咎めはないだろうが、念のため電源は切っておくことにした――――身の安全を確保するために。

 

「さて……どうするか」

 

 夕食の買い出しの任は既に解かれている。今やらなければならないことは、何もない。

 

「帰るか」

 

 ここは素直に帰路に着く方が吉だろう。神皇のことは多少ながら気になるものの、首を突っ込めば厄介ごとに巻き込まれるのは目に見えているので、それは遠慮しておきたかった。

 アリサが踵を返すと、丁度空を飛んでいる飛行機が目に入った。それを見ると無意識のうちに腕を空へと伸ばしていた。

 人差し指と親指を立て、ピストルのような形をつくり空へと向ける。

 

「ぱぁっん」

 

 その声が虚空に消えるのと同時に、街のどこかで誰かの叫び声が聞こえたような気がしたがアリサは気にせず、道をまっすぐに歩いていった。

 

 

    *    *    *

 

 時間は少しだけ遡る。

 

「さぁ、もう逃げられないわよ」

 

 住宅街から少し離れた路地裏で、楯無はようやく男を追い詰めることに成功していた。

 

「お前は俺に肉まんを奢る! これは決定事項だからな」

 

 楯無の横に並ぶようにして立っている玄兎が、男を指差し大声で叫んだ。食べ物の恨みは恐ろしいというが、これほど執着する人間は稀だろう。

 楯無の記憶にある玄兎はこのような人間ではなかった。普段は物静かで落ち着いた性格だと、楯無は記憶していた。冷静沈着と言えば聞こえはいいが、正直なところ何を考えているか分からないという印象が強い。とりあえず、楯無は彼がこのように声を荒らげている姿を見たことはなかったため、今は心底驚いていた。

 

「……オマエラ……ナニモノ……」

 

 片言の日本語を男が発した。

 

「見知らぬおっさんに素性をペラペラと話す趣味は、俺にはない」

 

 それは楯無も同じだった。情報を他人に教える場合、かなりの注意を払う必要だと昔父親に言われたことがある。ネットワークを介し世界中が繋がっているこの時代、情報というものはあちらこちらに点在している。知りたい情報を一瞬で知ることさえ可能であり、それは人々の暮らしを豊かかつ便利にした。だが、どの時代にも悪事を働くことを生業とする者はいるものだ。

 

 この時代、ネットワークを使ったサイバー犯罪というものがある。個人情報の流出もその内の一つだ。これがネットで起こり得る最も怖いことと言っても過言ではないだろう。情報の流出というのは、すなわちその人、個人を知られるということである。ほんの些細な情報から、住所、行動範囲、性格、交友関係などなど得られるものは意外に多い。相手にこちら側の情報を与えるというのは、少なからず危険が伴うのである。

 それはこの場合にも多少なりと当てはまる。この男の正体、素性を二人は知らない。大体検討はついているものの、確実性がない以上それをもとに行動するのはいささか危険だ。男にこちら側の情報が渡れば、万が一男を逃がした場合、危険が及ぶのは当人たちだけではないのだ。その辺りを考慮して、楯無は玄兎の発言に首肯した。といっても、玄兎にはそのような思惑は毛頭なく、ただの情景反射だったのだが。

 

「まぁ、話はあとでゆっくりと聞いてやるから……今はおとなしく捕まって、くれ!」

 

 玄兎が地面を蹴り、男に迫った。右腕を引き、左腕を突き出す。間髪入れず加速力を利用した掌底が男の鳩尾に炸裂した。

 

「オォゥ……!」

 

 呻きにも似た声が男から漏れる。

 手応えはあった。普通の人間ならば無事では済まない衝撃だったはずなのだが、男は低い呻き声を上げただけでビクともしていない。

 

 男が玄兎の腕を掴んだ。

 

「うおぉっ」

 

 玄兎の視界が反転した。上下が逆さまだ。持ち上げられた、玄兎の身体を男が軽々と片手で持ち上げている。

 確かに玄兎は平均的な男性と比べ小柄な方だが、それでも細身の男が片手で持ち上げらるとは到底思えない。

 

「ウォオオオオオオオッ………ッッッ!」

 

 男が咆哮と共に、玄兎を思い切り地面に叩き付けようと腕を振り下ろした。だが、それと同時に楯無も動いている。

 男と玄兎の隙間を縫うように水が空間を穿った。ナノマシンで制御された高周波振動する水が螺旋を形成しているランスが、男の顔から一寸の距離にある。男が咄嗟に玄兎の拘束を解き、後方へと退いた。

 男の拘束から抜け出せた玄兎は難なく着地し、痛々しそうに腕をさすりながら楯無に対し、

 

「あぶねぇな、お前。もうちょっと俺に当たるところだったじぇねえか」

「私の腕を信じなさい。間違っても、耳が飛ぶぐらいだから大丈夫」

「よし、俺は今日から絶対お前のことは信じないぞ!」

 

 彼女が仕掛けた先の攻撃は明らかに男だけを狙ったものではなかった。もし寸分でも手元が狂えば玄兎に風穴を開けていた可能性だってある。だが、彼女は躊躇なく衝いた。それは自分の腕に絶対的な自信と自負があったからだが、だとしても彼女は平然としすぎだ。これはいわば経験から成るものであり、場数を踏んだ者にしか分からない“勘”である。

 

「そんなことよりも……あの男」

 

 楯無の視線が男へと向けられる。男は次の攻撃に備えてか、前かがみに腕を胸の前で交差させるという奇妙な態勢をとっていた。

 

「はなっから分かってたけど、さっきのではっきりしたな」

 

 玄兎が服に着いたゴミをはたきながら、言った。

 

「えーと……確か《妖刀》だっけ? 名前」

「ああ、通称だけどな。飽くまで」

「正式名称なんてあるのかしら?」

「知らん。知ってても、別に《妖刀》でいいだろ。呼び方なんて」

 

 呼び方なんてどうだっていい、それが玄兎の考え方である。

 妖刀とは一般的に歴史上や神話に登場する妖しい刀剣のことだ。一般的に認知されているものとして、八犬伝に登場する村雨や徳川家と因縁があると言われている村正が代表的だろう。

 どれも実在はしない。いや、玄兎はそのような類のものは信じない性格だから、そう考えたいのだろう(因みに村正は実在する刀だ)。

 そして、当然目の前にいるこの男もそれとはまったく関係ない。

 その名は過去に束とその妹である篠ノ之箒が勝手に命名したものだが、今はそれが玄兎達の間では定着してしまったものだ。

 

 

 玄兎が楯無から男の方へと視線を向けると、今まで遠くの方でこちらの出方を窺っていただけだった男がすぐそこまで迫ってきていた。伸ばされようとしている腕の先にあるのは、玄兎の首。それに気づき、間一髪のところで玄兎は後ろに飛び跳ねた。

 

「危ねぇな、おい」

 

 着地した時にバランス崩しかけたが、両足で思い切り踏ん張ったことで何とか倒れるのは免れた。

 バランスを修正しながら、男を見据える。男はつかみ損ねた所為か玄兎同様バランスを崩しかけていた。それを好機だと踏んだのか楯無は、既に展開し終えている『蒼流旋』を男めがけ衝こうと構え、

 

「馬鹿っ! 逃げろ!」

 

 玄兎の絶叫にも似た声が楯無の耳に届いたときには、もう遅かった。

 男は逆立ちのような姿勢になると、崩れかけていた態勢を地面につけた腕の力だけで修正し、そのまま宙へと跳んだ。そして、そのまま楯無の後ろへと着地する。

 

「なっ……!」

 

 その動きに楯無は反応することができない。ISのハイパーセンサーだけが男の動きを追随していたが、その情報を楯無が認識した時には既に男は背後にいた。

 

 ISはその特徴として高性能センサー、ハイパーセンサーを搭載していることにある。ハイパーセンサーが知覚の補佐を行うことにより目視不可能の遠距離、視野外である後方も知覚が可能となった。それに加え、ハイパーセンサーは従来のコンピュータより早く思考し判断することができるため、一種の危険感知システムとしての役割も担っている。だが、それは飽くまで“補佐”であり、もたらされた情報をもとに動くのは操縦者自身だ。つまり、今回のようにハイパーセンサーが相手をとらえることができていても、操縦者である――――楯無がそれに反応できなければ意味がない。

 

「……イッピキメ」

 

 男の低い声が聞こえるの同時に、楯無は背中に強い衝撃を感じた。ふわりと体が浮く感覚。気が付くいたときには既に楯無は目の前にある小さなビルに突っ込んでいた。

 

「かはっ……はぁぁはぁはぁ」

 

 失った酸素を取り戻そうと必死に空気を吸い込む。

 

「なんなの……今の?」

 

 あり得ない、そう言いたげな呟きだった。

 

 ISの突出した防御力は世界でも折紙付だ。ISの周囲に操縦者を守るため張り巡らされているシールドバリアーは、従来の兵器ではもちろんのことISであろうと簡単には突破することはできない。万が一、シールドバリアーが突破された場合には絶対防御なるものが発動するのだが、これは操縦者の生命が危険にさらされる場合でのみ発動する機能だ、いわば最後の砦である。そのため、この機能はよほどのことがない限り発動はしない。

 

「エネルギーの消耗が早い……やっぱり、絶対防御が……」

 

 発動している。ISの最後の砦であるはずの絶対防御が先の一撃で発動していたというのだ。あり得ない、恐らくISに関わっている者なら十人中十人がそう口を揃えるだろう。

 

「おい、大丈夫か?」

 

 気付くと横に玄兎が立っていた。大丈夫か、という言葉とは裏腹に彼の表情は心配しているとは思えないほど無表情だ。

 

 立ち上がりながら、辺りを見渡す。どうやら楯無が突っ込んだここは廃ビルのようで、周囲には特に目につく物はない。目の前にはぽっかりと空いた穴。そして、その先に立つのは燕尾服姿の男。

 

「改めて訊くけど……なによあれ」

 

 まだ痛みが残る背中をさすりながら、楯無は言った。

 玄兎は少し困り顔になって、

 

「だから、詳細は不明だって。俺らも《妖刀》とは二年近くチャンバラしてるが、正体どころか実態すらあまり把握してない」

 

 そう言って、頭を掻いた。

 

「ちゃんばらって……」

 

 そんな玄兎に何かを言いかけた楯無だったが、それ以上は口にしなかった。

 

「でも、何も知らないってわけじゃないわよね?」

「……聞きたい?」

「うん。とってもね」

 

 何故か渋っている。その理由までは分からないが、とても危険なことなのだろうか。そんな思考を巡らせていた楯無に玄兎は、

 

「あまり気は乗らないが」

 

 と言う玄兎の表情は渋々といった感じだ。本当に気が乗らないらしい。

 

「まず言っとくが、俺には期待するな」

「どうして?」

「《妖刀》と俺は相性が最悪なんでな。基本的に俺は戦力として数えない方がいい」

 

 そこで、楯無は首をかしげた。玄兎が今言った言葉の中にある違和感を感じ取ったからだ。

 その違和感の正体は記憶の糸を辿ると以外にもあっさり判明した。

 

「さっきは戦ってなかった?」

「…………こっちにも色々とあるんだよ」

 

楯無から顔を逸らし言葉を濁した。出来ればその色々を聞きたかったのだが、言いたくないことを無理に聞くのは少し気が引ける。楯無はあえて追及はしなかった。

 

「じゃあ、どうすればいいの? 具体的には」

 

 彼を戦力として数えられないのなら、自分がやるしかない。

 

「でも、お前……大丈夫なのか?」

 

 男の動向を気にしているのか、視線をぽっかりと空いた穴に向けている玄兎が楯無にそう言った。

 

「なんのこと?」

「国家代表がこんな場所でIS使って、って意味だ」

 

 その問いに少し唸りながらも楯無は、

 

「大丈夫。騒ぎになる前に雲隠れするから」

 

 そう言う楯無の表情は笑顔だ。

 彼女は昔からこうで、やるといったらそれをやり遂げるまでどのような妨害が入っても諦めようとしない。悪くいえばわがままで頑固、よく言えば妥協しない性格なのだろう。

 

「そういう問題じゃないような気がするんだが……」

「男なんだから、細かいことは気にしない気にしない!」

「…………」

 

 うまいように言いくるめられたような気もしたが、いつものことだと割り切ることで玄兎は納得した。

 

 

 

 

『前方からの敵機接近を確認』

 

 

 

 突如、ハイパーセンサーから攻撃を知らせる表示とけたたましい警告音が鳴り響き、楯無はハッと視線を前方――――――建物に穿たれた穴にへと向けた。

 

「おい、とりあえず話は彼奴をどうにかした後でな!」

 

 そこで言葉を切り、玄兎が後ろへと跳んだ。間髪入れず、燕尾服の男がさっきまで玄兎がいた場所に鈍色に光る短刀を突き立た。

 

 突然現れた男に楯無は一瞬だけ動揺を見せたが、すぐに平常心を取り戻し、玄兎を追おうとする男の顔面に回し蹴りを見舞った。

 

「さっきのお返し」

 

 その言葉が男に聞こえたかは分からない。だが、少なくとも先ほどまで楯無が感じていたもやもやとした気分は晴れている。久しぶりに人間を――――そもそも、あれを人間と呼んでいいのかすら分からないが――――力いっぱい蹴ったからか、妙な爽快感を感じる。

 

 男が飛んでいく姿を見る。楯無は自分で驚くほど思い切り振りぬいた蹴りで、手応えはあったのだが男はさほど遠くない場所に着地した。それを見る限りだと、大して先程の攻撃は効いてないようにも見える。

 

「化け物ね。言葉通りの」

 

 普通の人間が鉄の塊であるISに顔面を蹴られ、無事でいられるはずがない。

 化け物。その言葉が一番楯無の中でしっくりと馴染んだ。

 

「…………」

 

 男がジッと楯無を睨んだ。警戒しているのだろう。腰をかがめ、低い姿勢を保っている。

 お前が気を緩めればすぐにでも襲ってやる。そう警告しているにも思えた。

 だが、楯無は動じない。ロシア国家代表として同じ轍は二度も踏む訳にはいかないのだ。

 少しでも相手に圧力に屈したり、臆するとその隙に付け込まれる。

 なら、こちらも相手に負けじと堂々としているのがいい。

 

「だからじゃないけど……その一発は譲るね。玄兎」

 

『サンキュー、楯無!』

 

 玄兎の声がオープンチャンネルを通して聞こえてきたのと同時。男に迫る一つの影を楯無は見た。

 黒いIS。黒というより玄に近いその装甲を纏い、玄兎は疾駆する。

 男でありながらISを操る玄兎は、男の側面まで移動し、

 

 

 

「てことで、吹っ飛べ!」

 

 

 そんな捨て台詞を吐きながら、男を手加減なしに殴り飛ばした。

 

   *  *  *

 

 男がこの空きビルにもう一つの大穴を穿つのを見た届けた楯無は、玄兎をちらりと見て、

 

「派手ね」

 

 と苦笑した。

 

 実際、男が大穴を開けた際に轟音とも呼べる音が辺りに響いたことで、辺りが何やら騒がしい。この調子ならば警察が駆けつけるのも遅くはないだろう。

 

「警察だけは勘弁だけどね」

 

 ロシアの国家代表がこんな場所でISを使い大暴れしていたとなれば国際問題に発展しかねない。これだけは何としても避けたい事態であり、そのためには一刻でも早くあの男をどうにかする必要がある。あの男がISすらも吹き飛ばせる腕力と、もはや人間という枠を超えている跳躍力と脚力を有していると分かった以上、警察といえど任せるわけにはいかない。

 

「それにいくら空きビルだからって、壊しちゃまずいわよね……」

 

 それが今楯無の中にある一番の問題点だった。空きビルとはいえ他人の所有物。それを一部壊してしまったのだから、もちろん弁償しなければならない。額も相当なものだろう。

 

「その点については問題ない。逃げればな」

 

 隣に移動してきた玄兎が来るなり真面目顔でそんなことを言った。

 

「まぁ、金の面では心配すんな。俺がどうにかしてやっから」

「……信じていいの?」

 

 彼が真剣な表情で言うので楯無も思わず唾を呑んだ。

 少しばかり期待してしまう。

 

「いいさ。いざとなれば束と江波に頼むから。土下座して」

 

 土下座、というのがまたリアルな話だと楯無は思う。そして、その光景を少しだけ想像してしまって、笑ってしまった。

 

「わ、笑うな」

「ふふっ……ごめんごめん。玄兎が必死で土下座しているのを想像したら、なんだか……ふふふっ」

 

 堪えるのに必死、という具合だろう。今にも腹を抱えて笑い出しそうだ。

 

「……まぁ、お前だからな許す」

 

「ありがと。ふふっ」

 

 未だ笑い続けている楯無にむっとした表情になるが、しばらくすると諦めたように視線を楯無からぽっかりと空いた大穴へと移した。

 

 男は未だ、瓦礫に埋もれたままだ。

 

「死んだの?」

 

 楯無のその問いに玄兎は小さくかぶりを振った。

 

「いや、彼奴らは殴った程度じゃ死なないよ。それで終わったら、どんだけいいことか……」

「じゃあ、なんであいつ動かないのよ」

 

 男は玄兎に殴り飛ばされてから、ぴくりとも動いていない。呼吸すらしていないのではないか、そう楯無に思わせるほどに。

 

「さぁ? 大方“回復”でもしてるんだろ」

「か、かいふく……?」

 

 まるでその言葉を初めて聞いたかのような、妙な発音。理解できない、そう言っているようにも玄兎には聞こえた。

 

 一時し、楯無は我に返ったように玄兎に訊きかえした。

 

「そ、それって……ど、どういうこしょっ?」

 

 何をそんなに慌ててるのか。楯無はその短い言葉ですら噛んでいた。

 

「彼奴らは骨折位の傷だったら、五分もすれば治る。さっきの俺とお前ので相当傷負っただろうからな、回復するのに時間かかってんだろ」

「は、はぁ?」

 

 思わず間抜けな声を出してしまった。

 彼の言った内容があまりにも馬鹿らしく思えたからだ。

 

「それ、何の冗談よ」

 

 ここにきて冗談とは笑えない。緊張の糸がほぐれている今の状態だからこそ許容できるが、いつまたあの男がまた仕掛けてくるか分からない現状でそれはあまりにも“笑えない冗談”だ。

 だが、言っている玄兎の顔は真剣そのもの。とても冗談を言っているようには見えない。

 だからこそ、楯無はそれが“冗談”だと信じたい。いや、信じたかった。

 男が再び何事もなかったかのように立ち上がるなど、絶対にないと。

 

 

 

 だが、彼らは正真正銘の化け物だ。人知を超えた、人という枠組みから逸脱した存在。もはや、なんと形容していいのかすら分からない。

 そして、今まさに楯無は目にすることになる。

 本当の意味で人間のという領域を、自然の理すらも超越した本物の“化け物”を。

 

 

「やっぱ、回復してただけか」

 

 男が瓦礫の中から姿を現した。埃だらけの燕尾服の袖から伸びる鈍色の短刀を携え、男はまた何事もなかったかのようにそこに立っている。

 

「やっぱ、お前さん方はバケモンだわ。IS展開した状態での回し蹴りとストレートを受けて、立ってられるか? 普通よ」

 

 玄兎の笑顔が引き攣っている。

 

 楯無の方を向き、彼女にだけ聞こえるような小声で、

 

「やべぇ。怒らせたかも」

 

 と言った。

 

「……一応、訊くけどそれってどういう意味?」

 

 楯無が横目で玄兎を覗き見る。その表情は笑っているようにも見えたが、どこかぎこちない。

 ぎこちない笑みを浮かべ、玄兎は言った。

 

「相手さんが本気だした、ってこと」

 

 そう言って、はははっ、と乾いた笑いを発した。

 相手が本気を出した。それが意味するのはなんなのか、楯無はうすぼんやりだが理解していた。

 

「なら、やることは一つしかないわね」

 

 楯無は自分を鼓舞するように顔を叩き、玄兎を見た。

 

「教えて。あれをどうにかする方法。あるんでしょ?」

 

 楯無がジッと玄兎を見据えた。楯無は美人の部類に入ると思う玄兎はこうやって見つめられるのは好きではないが、嫌いではない。だが、彼女のこういう時にする眼だけはどうも苦手だ。鋭い眼つきというべきか、何か抗いがたいモノを秘めているような気がする。

 そして、玄兎は楯無の頼みならば大抵のことは了承してしまう性格である。

 

「……時間ないから、短くいうぞ」

 

    *   *   *

 

 楯無のIS『霧纏の淑女(ミステリアス・レディ)』は普通のISと比べ装甲が少ない。が、その代わりにアクアクリスタルと呼ばれるナノマシンで構成された水のヴェールが、操縦者を包み込むように左右一体で浮かんでいる。

 この機体は元々、ロシアが設計した『モスクワの深い霧(グストーイ・トゥマン・モスクヴェ)』という機体のデータを元に楯無が組み上げた物だ。楯無としても特別な思い入れがある機体である。

 

「せいのっ!」

 

 その掛け声とともに楯無は手にもつ蒼流旋を男に向け、男がその延長上を避けようと動くより早く、蒼流旋に装備されている四門のガトリング砲の引き金を引いた。

 なるべく派手な乱射を避け、最低限の弾数で男を射抜くため楯無は蒼流旋を持つ腕に全神経を集中させる。

 

 玄兎が示した《妖刀》に対しての対処法は次の通りだ。

 

 その一、接近戦をなるべく避け、遠距離からの攻撃に徹す。

 これは、対妖刀戦の基本戦術だと玄兎は言っていた。《妖刀》は基本、接近戦しかしない――――正確にはしないというより、できない――――からだ。理由はあの短い間には聞き出せなかったが、彼らはどうやらISのエネルギーシールドを無効化する術を持っているようで、むやみに接近するとあの馬鹿力の餌食になりかねない。これを避けるためにも、遠距離からの攻撃が必須なのだと、玄兎は言っていた。

 

「フッ!」

 

 男が息を吐き、手に持っている短刀を横に薙いだ。

 すると、男に命中しようとした弾丸が両断され、地面にその無機質な音を立てた。

 出鱈目だ。超高速で飛来する弾丸をあの小さな刀で両断するなど、ハイパーセンサーがあっても出来る芸当ではない。

 男が空きビルを円を描くようにして、駆け抜ける。今更ながら気付いたが、このビルは案外広い。こうやって戦闘ができるほどのスペースはあり、なおかつ楯無や男がいくら暴れまわってもビクともしない強度がある。 一体何をしていたところなのだろうか。ふとそんな疑問が脳裏を過った。

 

 だが、それを深く考えているような余裕はない。

 

「さっさと……当たっ、て!」

 

 先ほど戦闘ができるスペースはあるといったが、それは飽くまである程度だ。さすがに人二人が動き回るにはいささか窮屈である。この建物は長方形をしているがため、男がどう動くかどういう風に逃げるのか、容易に想像が可能だ。

 

 そして、それは同時に動きを先読みすることができるということだ。

 ガトリング砲から放たれる弾丸が男の右肩をえぐり、右頬を掠める。その一瞬、ほんのわずかな間だけ男の顔が歪んだ。駆ける速度が落ちた。

 

「今よ!」

 

 楯無が叫んだ。それを合図に楯無の後ろで待機していた玄兎が、一気に加速し男の直線上に飛び出す。

 男は負傷している。右頬の傷はもう治りかけており、ISのハイパーセンサーがそれをはっきりと捉えている。だが、右肩の銃創は未だ治癒が始まってないのを見るとどうやら、あれは“治せない”ようだ。

 未だガントリング砲の弾雨が降り注ぐ中、玄兎が男に肉薄する。その距離は見る見るうちに縮まっていき、楯無が気付いたときには既に二人が動き始めていた。

 男が右腕を庇うようにして、短刀を持つ左腕を引くがその動きは少しぎこちない。

 

「遅いよ」

 

 玄兎が男が引いた左腕の付け根、肩をめがけ拳を突き立てた。

 骨が砕ける嫌な音が、男の肩から響く。

 男は悲鳴を上げない。それどころか、庇うようにしていた右腕で玄兎の左腕を殴りつけてきた。

 

「――――――」

 

 激痛が全身を駆け回る。

 玄兎は苦痛に顔をゆがめ、低い呻き声を上げた。息苦しい。肺の空気がなくなったのではないかと勘違いしてしまいそうだ。

 

 膝をつく。腕の具合から骨折だろうが、これでは当分動かせそうにない。

 

 だらりと垂れている左腕を庇いながら男が右手に持ち替えた短刀の切っ先を玄兎に向けた。

 

「玄兎っ!」

 

 引き金から指を離した。彼が男に肉薄したときからすでにガトリングの乱射はやめているが、引き金からは依然と指をかけたままだった。が、今は男の思わぬ反撃で動揺してしまい指を離してしまっている。

 

 援護が間に合わない。

 

 男の腕がぴくりと動き、楯無もそれに反応するように動く。

 

 

 ――――――させない!

 

 ここまでは瞬間の出来事。楯無が動いたのは無意識のうちで、次の行動で男が玄兎を切りつけると思ったからだ。

 

 だが、男がとった行動はそうではない。

 男が短刀を持つ腕を、前ではなく横へと振った。

 

「え」

 

 楯無が気付いたときには、すでに短刀は楯無の頬を掠めるようにして後方に流れていた。

 それに少し遅れて楯無は横に跳び、男を睨んだ。

 

「ニゲルガ……カチ」

 

 男がそう言い、唇の端を吊り上げる。ぞっとする笑みだ。

 

「待ちなさい!」

「……ナンダ」

 

 男が案外あっさりと応答したことに内心驚きながらも、楯無は蒼流旋の切っ先を男に向ける。

 

「あなたを逃がすわけにはいかないの。切り裂き魔《ジャックザリッパー》さん?」

「ジャック…・・ザリッパー……」

 

 男が何かを悩むような素振りを見せた。やがて、薄ら笑いを浮かべ、

 

「イイナダナ」

 

 と感心するように何度も頷きながら言った。

 自分につけられていた呼称が気に入ったのだろうか。

 そこで、男が何かに気付いたようにはっと顔を天井へと向けた。何かを探すように瞳をせわしなく動かしている。

 

「動かないで。動いたら、突くわよ?」

「…………」

 

 男が視線を楯無から玄兎へと移し、それにつられ楯無も玄兎を見た。

 折られた腕を庇うようにして、膝をついている。顔色が悪く、息が荒い。

 

「ど、どう……したよ。俺なんか見て……」

 

 何とか言葉を絞り出す。

 が、その言葉とは裏腹に彼の表情に余裕はなかった。

 

「おい……おっさん。腕痛いから、一回しか言わないけど…………大人しく捕まってくんねぇかな?」

「ムリダ」

 

 即答だった。

 

「……オマエラ……ヨウナイ。ダカラ、ニゲル」

 

 まるで機械と話しているような、聞き取りにくい日本語だ。

 辛うじて意味は分かった。要するに、お前らには用はないから逃げます、ということだろう。

 だが、ここで逃がすわけにはいかない。男には聞きたいことがあるし、楯無は初めからそれが目的で追っている、みすみす見逃す道理もなかった。

 

「コイツ、ジブン、ケガシテル……ダカラ、ヒキワケ」

 

 玄兎と自分を交互に指差し、男はそういった。

 どうやら、自分も玄兎も怪我をしているのでここは一旦お預けとしないか、と言っているらしい。無表情ながら、何か企んでいる顔だった。

 

 男の左肩はよほど重傷なのだろう、先から力なく垂れ下がっているだけで、ぴくりとも動いていない。右肩も重傷ではあるが、動かす分にはどうってことはないのであろう。

 

 こちらといえば、玄兎が負傷している。楯無が見る限りでは、ただの骨折だろうと思うが、用心に越したことはない。

 お互い、戦えるような状態ではない。だからこそ、男はこの機にこの場を収めたいのだろう。

 しかしながら、こちらにはまだ無傷の楯無が残っている。

 相手がいくらISのエネルギーシールドを突破する方法を持ってたとしても、今の二人ではどちらが有利かは明白だ。

 

「駄目よ。あなにはまだまだたっぷりと訊きたいことがあるの。だから逃がすわけにはいかないわ」

 

 だからといって、逃がすほど楯無も馬鹿ではない。

 

 楯無にも楯無なりの理由がある。そのためにはこの男に逃げてもらっては困るのだ。

 楯無が半身となり構えた。手にもつ蒼流旋で男を突く気なのだ。

 だが、そこで楯無と男の間に玄兎が割って入った。

 

「えーと、そこのおっさん。今日のところはやっぱいいや。帰っていいよ」

 

「なっ……!」

「俺も怪我してるし、それに……もうすぐ、警察が来ちゃいそうでね。お互い、騒ぎは勘弁だろ?」

 

 そう男に持ちかけた。悪い話ではない、玄兎にとっても男にとっても。デメリットはこちら側にしかないが、メリットは双方に存在する。男がこれに頷くのに時間はかからなかった。

 

「よかったよ。じゃあ、次会ったらそん時はよろしく」

 

 玄兎が引き攣った笑みでそう告げると、男はこちらを振り向きもせずに走り去っていった。

 

 

「なんで、あいつを逃がすような真似したの?」

 

 楯無がそう訊ねると、玄兎は痛む左腕を抑えながら、

 

「あのままやれば面倒なことになるのは目に見えていたからな」

「面倒なことって……警察?」

「そそ。警察警察。ほら、たぶんもうすぐそこまで来てる」

 

 耳を澄ますと確かに数人の足音と共に近くでパトカーのサイレンも聞こえている。どうやら、いつの間にか騒ぎが大きくなっているようだ。

 

「んで、とりあえず事情は説明しないとな。嘘のな」

 

 ISを解除した玄兎は立ち上がると、そんなことを言った。

 

 一応、筋は通っているようにも見える。だが、楯無は納得できなかった。

 

「もうちょっとで、あいつを捕まえられたのにね。おしかったわ」

「お前……なんでそこまで彼奴にこだわるんだよ。別に彼奴とお前が知り合いってわけじゃあるまいし」

「それは……」

 

 言葉に詰まる。

 だが、そこで穴の開いた方から声がした。男の声。

 

「そこの君たち! 何をしてる!」

 

 振り向くと警官が二人ほどこちらを見ていた。騒ぎを聞きつけて来たのだろう。

 楯無は既にISを解除している。

 そこで改めて周りを見渡した。

 

「これ……どう説明したものかしら」

 

 大きく穿たれた穴に、いくつもの弾痕。到底虚偽の説明で警官を騙せるとは思えない。

 近寄ってくる警官に楯無は作り笑いで応答した。

 

   *    *    *

 

 男が屋根の上を走っている。

 

(……アノ、オトコ。キミガワルカッタ、ナ)

 

 玄兎が自分をいとも簡単に逃がしてくれたことに対して、男はそう思った。

 あまりにもあっさりとしすぎだ、と。

 自分で「逃げる」といっておいたが、それは希望的観測であり逃げようとすれば彼女が必ず追ってくるだろうと考えていた。

 だが、実際には玄兎が男を“逃がしてくれた”という構図になり、男が誰かに追われることもなくこうやって走っていることができているのだ。

 おかしい。何の意図があって、彼は自分を逃がしたのか。それが男にとって気がかりなことだった。

 

「……ッ……!?」

 

 考え事をしている最中、強烈な殺意を後ろに感じた男は短刀を右手に握りしめ、振り返った。

 目の前にいたのは一人の少女。栗色の髪を腰のあたりで結ってあり、それが彼女の背で揺れているのが確認できる。

 

「みぃーっけ」

 

 直後、男の顔面に少女の拳がめり込み、男を数メートル先へと吹き飛ばした。

 両肩に傷を負っている男はうまく受け身を取ることができないのか、何度か屋根に身体をぶつけながら転がっている。

 

 しばらくして、男は立ち上がった。

 

「オマエ……」

 

 少女に見覚えはない。

 男は短刀を少女に向けると、警戒心むき出しの声で言った。

 

「……ダレダ」

 

 その短い問いに少女は、淡白なひと言で答えた。

 

 

「瀧岸神皇……貴方達と同じ《化け物》よ」

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