と、今回はちょっと早めにあの方が登場しちゃいますよー! 会長もちょっとだけけど、登場するよー。新キャラも登場するよー!
「それで……あんたとしては、どうなのよ」
「そりゃもちろん、やるなら勝ちにいくさ。男としてのプライドもあるからな」
そういう一夏の表情には自信があるようには見えない。
一夏が今いるのはIS学園内にある食堂だ。全寮制であるIS学園には当然のように食堂が完備されており、生徒は朝食、昼食、夕食の三食をここで食べる。使用できる時間は決まっているものの、その時間内であれば生徒は好きな物を好きなだけ食べることができるという素敵な食堂だ。勿論、食堂内の飲食物は一部を除けば全て無料である。
「それにしても、このうどん美味いな」
何となく注文したうどんだが、何気に美味い。さすが国立なだけはある、と一夏は思った。
「まっ、この酢豚は私のやつの方が美味いんだけどね」
そう言って凰(ファン)鈴音(リンイン)は酢豚を一口頬張る。自分が作った酢豚の方が美味い、と口で豪語しているものの内心ではこの酢豚の美味しさに驚いていた。だが、それは意地でも表情に出さない。出してしまえば、負けを認めてしまったことになると思っているからだ。この酢豚にだけは負けたくない、この食事中彼女はそんなことを密かに思い続けていた。
「ごちそうさまでした」
予想以上に料理が美味かった所為かいつもより箸が進み、あっという間に食べ終わってしまった。
「さすがはIS学園、というところね。料理一つにしても一級品じゃない」
「ああ、そうだな。にしても、これどうやって作ってるんだろうな。後で千冬姉辺りにでも訊いてみようかな」
学園に入学する以前、というより昨日まで一夏は千冬と二人で暮らしていた。千冬が家にいるのは数か月に一回のペースだったので、実質一人暮らしだ。当然、家事全般は一夏の仕事であり、特に料理の腕前は千冬も認めるほどである。主婦ならぬ主夫の血が騒ぐのか、一夏はこの料理を作った人物に会ってみたくなった。そして、訊くのだおいしい料理の作り方を。
なんてことを、一夏が頭の中で思い描いているとき、鈴がふと口を開いた。
「そういえば、あんたともう一人いたわよね?」
「何がだ?」
「男子よ男子。ほら、あかなんとか、ってやつ」
「赤神、って言いたいのか?」
「そうそう、それそれ。そいつ、さっきここに来る前千冬さんに連れて行かれてたけど、何かあったの?」
「あぁ、それね……」
鈴音の質問に一夏は思わず苦笑いを浮かべる。鈴音が言っているのは、恐らく四時限目の授業が終わった直後のあれのことだろう。あれについては一夏からは何も言えることはない。言えるとすれば、
「千冬姉には従順にしてよう」
「ど、どうしたの……一夏?」
突然、遠い目をした一夏がそんなことを言ったので鈴音は何故か心配になった。四時限目の授業で一体何があったというのだろうか。
そんな疑問を残しつつ、二人は食堂を出た。食道は人が多い、長居すると女子に囲まれておちおちくつろぐこともできなくなる。一夏にとってそういう事態になるのはどうしても避けたい。朝からいい意味でも悪い意味でも仰天することが立て続けに起きているためか、今の一夏は疲労困憊だ。あの少し騒がしい女性たちを相手にするのは、いささかきつい。
「暇だし、屋上にでも行く?」
「おう、いいぜ」
屋上ならば人も疎らだろうと思い、一夏はすぐさま了承の返事を返した。
* * *
「はぁ……酷い目にあった」
屋上で一人ため息をついているのは、玄兎だ。この季節にしては少し肌寒い風にさらされている屋上で、玄兎は一人でぼうっと空を見ている。
彼がここにいるわけは単なる偶然だが、なぜこうも沈んだ表情をしているのかはいくつかの理由があった。
四時限目の授業は一般科目である国語だ。教壇には一年と二年で国語を担当している秋庭という教師が立ち、弁をふるっている。
「はぁ、お腹すきましたね~。なんで、この時間帯なんでしょうか、私の授業。あ~、やだ」
――――――とはいっても、決して熱弁というわけではない。
この秋庭という教師はどうやら腹をすかしているらしく、先ほどから「お腹が減りましたね」などと言って授業が脇道にそれてばかりだ。
「先生、真面目に授業を」
「先生! 愚痴を言うなら、さっさと授業終わらせて昼飯にしましょう!」
「いいアイディアですね、赤神君。でも、残念ながら私も教師という立場ですので、授業を放り出すと怒られちゃうんですよね……。特に織斑先生あたりとかに」
「また、あの人かぁ…………!」
玄兎が悔しそうにうなだれる。
秋庭の授業が脇道にそれてばかりなのは、何も彼女のせいだけではない。彼女の発言に一々食いつく輩が弱冠一名ほどいるからだ。その一名が秋庭の戯言をさらに関係ない話へと広げていってしまう。真面目に授業を受けたい生徒としてははた迷惑な話である。
千冬がいた三時限目までの玄兎はやけに静かだった。真面目に教科書を読むわけではなければ、ノートをとるわけでもない。ただただ、魂の抜けた抜け殻のように椅子に座っていただけだ。時折、千冬に拳骨をくらっていたがそれ以外大したことはしていない。だが、今はどうだろう。千冬がいなくなった途端、生気を取り戻したとばかりに生き生きとしだしたではないか。まるでうっぷんを晴らしているにも見える。
「では、次の行を……谷本さん読んでください」
きちんと授業を進め始めた秋庭を見て、玄兎はがっかりするような表情をした。自分に考え方が似ているこの教師ならば、うまく言いくるめることができるかもしれない。そう思ったのだが、さすがに無理があった。
秋庭も何かと愚痴をこぼしてはいるが、授業はきちんとやっている。内容も面白く、わかりやすい。愚痴をこぼし、時折見せる怠惰な表情や言葉を除けば、彼女もよい教師なのだ。いくら口でだるいと言っていても、教師本来の職務である授業を放り出すような真似を秋庭が犯すはずがない。
目論見が外れ、玄兎はますます気怠い気分に襲われた。授業が終わるまで残り十分と少しだけなのだが、この時間が玄兎には一時間以上にも感じられる。終わりそうで、終わらないこのまどろっこしい感覚はいつ体験しても慣れないものだ。
昼休みを告げるチャイムを今か今かと待ち続けること数分、待ちに待ったそれが鳴り響くと玄兎は勢いよく立ちあがった。楯無に前々から聞かされていた伝説の“食堂”に直行するためだ。
「赤神はいるか?」
さぁ飯だ、と言いながら玄兎が駆けだそうとしたとき、教室の入口のほうから玄兎を探す声が聞こえてきた。その人物を見て、玄兎が顔をしかめる。なぜ、こんな時に限って彼女はやってくるのだろうか、実にタイミングが悪い。
「……なんですか、織斑先生」
ぶすっとした表情で玄兎が返事を返す。
「少し話があるんだが、ちょっと来い」
「嫌です。俺は今から大事な用が」
「御託はいい。さっさと来い」
「ちょっ、そこはつかまないでくださいよ! ちょっと!? 俺は食堂に行きたい――――――嫌だ嫌だ嫌だぁあ」
食堂へと急ごうとする玄兎の首根っこをつかみ、千冬が強引に玄兎の進路を食堂から職員室へと変更させようとする。駄々をこねる子供のように抵抗する玄兎だが、さすがに千冬の腕力にはかなわないようで、されるがまま、職員室へと連行されていってしまった。
職員室へと連行された玄兎は、入ってすぐ千冬の前で正座をさせられていた。
「職権乱用、暴力……どれも教師のやるようなことではないですね……はぁ」
「お前の溜息を見ていると、なぜだか殴りたくなってくるな」
「そういいながら、こぶしを振り上げるのはやめてください……!」
頭めがけ振り下ろされたこぶしを間一髪のところで受け止めた玄兎が、そう反論する。いくら今の世の中が女尊男卑とはいえ、この仕打ちはあんまりだ。
千冬の横暴さに呆れながら、玄兎は彼女の腕を横へ受け流した。
「ちっ!」
「生徒に受け流されたぐらいで舌打ちしないでください」
「次は関節技でいくか……」
「おいこら! 今、聞き捨てならん言葉が聞こえてきましたよ!?」
「おお、すまん。つい考えていたことが口に出てしまった」
「誰だ! このおっかない人間を教師にしたのは!」
秋庭といい千冬といい、普通の教師ならば言わないようなやらないようなことまでやってしまう教師というのは果たして教師としてどうなのだろうか。玄兎としては、そのあたりを今一度ゆっくりとIS学園の学園長と話をしてみたい。
玄兎が学園長との対談計画について考えていると、千冬が小さな溜息をつきながら玄兎を見た。
「さてと、そろそろ本題に移るか。私は昼食もあることだしな」
「俺もあるんですがね」
「用というのはほかでもない。急ぎで追加の書類を書いてもらいたい。できれば、今日中に」
「書類ですか……?」
玄兎が怪訝そうにつぶやいた。入学までに書かなければならなかった書類は昨日のうちにすべて提出済みだが、何か手違いでもあったのだろうかと心配になってくる。
ここIS学園は世界にたった一校しかない、IS操縦士の育成を目的として教育機関だ。そこに男子である玄兎がひっそりと入学してくるとなると、それはもう膨大な量の書類を書かなければならない。学園関係の書類に加え、政治関連や軍事関連などなど、もはや玄兎の脳味噌では処理しきれないほどの量であった。
あんな思いは二度としたくない、というのが玄兎の偽らざる本音だ。更識姉妹か紅い兎の皆が協力してくれれば、もう少し玄兎の負担も軽かったかもしれないが、前者は入学前の準備で忙殺されておりとてもじゃないが駆り出せる雰囲気ではなかったし、後者は言わずもがな相手にされなかった。
紅い兎のメンバーはもともと、紅い兎にいる理由としてそれぞれ確固たるものがある。長い期間一緒にいるため信頼感は抜群だが、それ以外となると案外あっさりと裏切ったりする連中だ。紅い兎として厄介ごとに巻き込まれるならまだしも、玄兎個人が持ってきた厄介ごと――――それも書類の処理という地味なうえにきつい作業を自ら進んで手伝ってくれる者など、あの中にはいない。たとえ手伝ってくれとお願いしたとしても、無理であろうが。
一人で昼夜問わず書きまくって、一週間近くかかったあの書類のことを思い出すと今でも頭が痛くなる。
「これがその書類だ。ざっと、二十……いや、三十枚といったところか」
「うわぁ……」
玄兎が思わず書類から目をそらす。前と比べれば大したことない数だが、それでも多いものは多い。これだけの量を今日中に終わらせなければならないというのは、いささか酷なことではなかろうか。
早くも絶望感にさいなまれ始めた玄兎を見て、千冬は肩をすくめた。
「そう落ち込むな。なんでも、一人でやれと言ってるわけじゃないんだ。放課後に更識姉あたりにでも手伝ってもらえ」
そういって千冬は立ち上がると、さっさと職員室を出てどこかへ行ってしまった。大方、昼食をとりに食堂へ行ったのだろう。
一人残された玄兎はのそのそと立ち上がり、退出時のあいさつもせず重い足取りで職員室を出た。
というのが、ことの発端だ。ちなみに玄兎が屋上に来たのは単なる偶然である。
「本当にどうすんだよ、この書類……」
冷たい風がふく屋上で玄兎は一人頭を抱えた。紙袋に入った書類の束を見て、本日何度目かの溜息をもらす。職員室を出た後、ちょうど食堂帰りの秋庭に会った際に書類を入れる袋を貰っておいてよかった。そうでなければ、持ち運びが不便でしょうがない。
ふらふらと気の赴くままやってきた屋上だが、何気に居心地がいい場所だ。最近の高校にしたら珍しく開放されたここは、生徒たちが過ごしやすいようにかベンチやら自動販売機やらが置いてある。玄兎としてはそこに売店があったらなおよかったが、食堂がこの施設のどこかにある以上それは致し方ない。
「は、腹減ったぁ」
風の音に混じり、ぐぅという腹なりが聞こえてくる。玄兎の腹部の音だ。
腹が減っている理由はもちろん、昼食を食べていないからである。昼休みが終わった直後、千冬に職員室に連行され、職員室での用事がすんであとまっすぐこの場所に向かってきたので、当然何も口にしていない。
食堂に行けば万事解決、のようにも思えるが玄兎にはある重大な欠点がある。食堂へ行こうにもいけないある理由、それは――――――――
「どこにあんだろうなぁ……食堂」
玄兎はとんでもない方向音痴だ。一人なら必ずと言っていいほど道に迷ってしまうし、道も覚えることができない。誰かと一緒ならば迷うこともないし、道もきちんと覚えることができる。玄兎はこの奇妙な〝癖〟のせいで、幾度となく道に迷ってきた。ドイツで暮らしていたころには、道に迷ってわけのわからない裏通りに入り込んだ挙句、マフィアやギャングといった類の連中との抗争に巻き込まれたことすらある。
そんなこともあってか、紅い兎では玄兎が出かけるときは必ず誰か一人が付き添いで一緒に行かなければならない、という決まり事まで存在するのだ。
「どうすっかなぁ」
「何が、どうしたんだ?」
玄兎が飛び越え防止のフェンスに背中を預けて途方に暮れていると不意に前から声が聞こえた。玄兎がおもむろに顔を上げる。そこにいたのは玄兎のクラスメートで、この学園で玄兎を除いたら唯一の男子生徒である、織斑一夏だった。
「ああ、一夏か。ちょうどよかった、食堂がどこにあるか知らねえか?」
「食堂? それなら、一階にあるけど……」
「そうか、一階だったのか……」
一夏から場所を聞いた玄兎は悔しそうに肩を落とした。一階となると、屋上とは正反対の場所に位置するところだ。ただただ勘だけを頼りにして、ここまで来たのだがとんだ見当違いであった。
自分の馬鹿さ加減に玄兎が呆れていると、一夏の後ろから見覚えのない人影が姿を見せた。
小柄な体躯のツインテールの少女だ。
「一夏、こいつが例のもう一人?」
一夏の耳元でひそひそと囁く。もう一人、というのは男性でありながらISを操縦できる人物を指しているのだろう。一応、世間一般的に男性でISを動かせることができるという人物は織斑一夏と赤神玄兎のふたりだけという認識をされているはずだ。一週間前までは、連日のようにテレビのニュース番組で二人のことが報道されていたので、彼らの知名度はそこらの芸能人よりもよっぽど高い。学園の生徒ともなると、なおさらその関心は高いはずだ。
だが、表情と口調から察するとどうやら彼女は玄兎のことを知らないようである。一夏以外にももう一人男性操縦者がいる、という事実は認知しているようだが名前と顔は知らない。そんな具合だろう。
「そうか。鈴にはまだ、玄兎のこと紹介してなかったか」
「あたりまえじゃない、クラス違うのに。廊下で見たのは遠目からだったし」
鈴と呼ばれた少女、凰鈴音は呆れ顔で一夏を一瞥し、玄兎のほうに顔を向けた。
「私は一夏の〝幼馴染〟の凰鈴音。気軽に鈴でいいから」
なぜか、幼馴染、という部分だけがやけに強調された自己紹介だったが玄兎はあえてそこは指摘しなかった。指摘したら、またろくでもないことに巻き込まれそうな気がしたのだ。そういう野暮なことはしないほうがいい。玄兎は直感的にそう思った。
「俺は玄兎。呼び方は好きにしていいぞ」
教室で自己紹介をした時と同じようにそう告げる。呼び方などその人本人が自分のことだと認識できるならばなんでもいい、と玄兎は考えている。実際、紅い兎内でも呼び方はまちまちだ。
「うんで、一夏たちはこんな場所でなにしてるんだ? 逢引でもしてんのか?」
「ば、馬鹿! そ、そんなわけないでしょ!」
何気ない玄兎の一言に鈴音は頬を真っ赤に紅潮させながら怒鳴った。まるで迫力がないその表情は、どことなく嬉々としているようにも見える。一夏とデートしているのかと問われたことが、彼女中ではよほど嬉しかったのだろう。
そんな鈴音に困惑している玄兎を見て、一夏がため息交じりに、
「俺たちは小学校からの腐れ縁なだけで、全然そういう関係じゃないぞ? というか、女の子にそういうことを軽々しく言ったら嫌われるぞ、玄兎」
「「お前がいうな!」」
二人の声が重なる。
二人とはまだ数時間の付き合いしかない玄兎だが、鈴音が一夏に対しどのような感情を抱いているのかぐらいは、一目見た時からわかっていた。玄兎もだてにアリサや束といった女性陣に囲まれて生活してきたわけではない。
だが、先の発言からもわかる通り一夏はそんな鈴音の思いに気付いている様子はない。むしろ、その思いを別の方向にとらえているようだ。彼女が寄せている好意は、異性としてではなく友達としてだと、一夏は思い込んでいる。とんでもなく質の悪い勘違いだ。これが俗にいう〝鈍感〟という呼ばれる類の人間なのだろう。
「はぁ……一夏、あんたって本当に唐変木よね」
「ほへぇ?」
二人の思わぬ反論に面喰っていた一夏が、間抜けな声を出した。唐変木というのは、気の利かぬ偏屈な人を罵る言葉で、理解力の乏しい男を罵る言葉でもある。まぬけ者や愚鈍な人物を指す言葉でもあるのだ。今の一夏を表すに、ぴったりな言葉である。
「そんなことより、あんたたち時間はいいの? もう、次のチャイムまで二分もないんだけど」
屋上に設置されている時計を指さしながら、鈴音は言った。時計の針が指している時刻は、次の授業が開始される時間よりもいくばくか前の時刻だ。が、ここから三人の所属する教室まで移動するとなると残された時間はもうほとんどない。
思っていたよりも残り時間が少なかったことに一夏と玄兎は動揺した。次の授業は確かISの各種装備について、だったはず。その授業の担当は――――――織斑千冬だ。
ごくりとつばを飲み込む。やばいやばい、と心の中で連呼する。次のあの〝鬼〟の授業だ、もし遅刻でもしたらその時は――――
「「殺される!」」
ある意味で千冬の真の恐ろしさを知っている二人にとって、何が何でも避けたい事態がいつのまにか目前にまで迫ってきていた。
ここから全速力で教室まで走り切れば箒のときのように間に合う可能性もあるが、あれは玄兎の遅刻とタイミングよく重なったからで、あんな幸運は恐らく二度も起こらない。
ならば、残った選択肢はたった一つ。
「走るぞ、鈴!」
「え? ちょっと、一夏!」
突然走り出した二人に戸惑いながらも、鈴はそのあとを追って屋上を後にした。
その数分後、無情にもチャイムともに男子二名の悲鳴が学園の内に響き渡ったのは言うまでもない。
* * *
「うっ……ここは?」
気が付くと目の前には白い天井があった。まわりには病院の一室を思わせる白いカーテンが玄兎を取り囲むようにして垂れている。
それらから察するに、ここはIS学園の保健室なのだろう。仄かにだが薬品のような匂いも漂ってきている。
「あら、起きた?」
カーテン越しに誰かの声が聞こえてくる。聞き覚えのある女性の声だ。
「た、楯無……か?」
「ピンポーン、大正解! 皆のアイドル、生徒会長の更識楯無ちゃんでーす!」
「………………」
「ちょっと!? そこは何か突っ込みをいれてよ!」
「ごめん。ちょっと、ドン引きしてたわ……」
カーテン越しで楯無ががっくりと肩を落としたのがわかった。窓から差し込んでいる太陽の光が彼女の姿を影として、カーテンに映し出している。その隙間から見える景色は、黄金色に染まった夕焼けの空。どうやら今は放課後のようだ。
そこでふと玄兎は思った。自分はここで一体何をしているのだろう、と。玄兎が自分の記憶にある最後の場面を思い出してみる。確か、玄兎は昼休みの終わりごろ一夏と二人で廊下を全力疾走していたはずだ。次の授業が開始されるまでの時間があと残り少なかったから、かなり焦っていた。だが、結局は間に合わなかった。正確には遅刻ギリギリで教室に飛び込んできた二人に、千冬が容赦なく手に持つ出席簿で頭を殴る、という処罰を下したのだ。これは、
「廊下は走るな」
という学園の規則に従ってのことであるらしい。だからといって、出席簿でたたくことはないだろうと玄兎は思った。角で叩かれなかった分ましだが、それでも痛いものは痛い。もし、神様に願えるものなら彼女のそういう部分を直してほしい、と願いたい気分だ。
頭の隅でそんなことを考えながら、玄兎は思い出そうと頭をひねった。どうも、その後の記憶が曖昧だ。殴られ、頭をさすりながら席について授業を受けたはず、なのだがそこを思い出そうとすると記憶に靄がかかったようにわからなくなる。
「それで気分のほうはどう? 悪くない?」
仕切っていたカーテンを開き、楯無がそう尋ねた。
「大丈夫……だと思う。この空腹感以外は」
気分はさして悪くない。ただあえて挙げるとするならば、先ほどから一定の間隔で音を鳴らしているこの腹だろう。ぐるぅ、と一際大きな音が玄兎の腹から聞こえてくる。まるで早く食い物をよこせ、と催促しているようだ。
「そっちのほうは相変わらずのようで、何よりね」
腹鳴りの音を聞いた楯無が呆れたような笑みを浮かべる。
「本能に忠実なんだ、俺は」
「はいはい。じゃあ、そんな獣な玄兎君にはこれを進呈してさしあげてしんぜよう~」
そういって、楯無が脇にあったカバンから取り出したものは大きな風呂敷に包まれた重箱だった。重箱に何が入っているかは言うまでもない。食料だ。
そこで玄兎の顔つきが変わった。まるで獲物を目の前にした猛禽のような、獣のような獰猛な表情に変化する。
「それは、もしかして……飯か!?」
そこでいつからその手に持っていたのかわからない扇子を楯無が広げる。そこに書かれている言葉は、
「その通り」
というものであった。
つまりそこにある重箱は彼女が玄兎のために用意してくれた、手作り弁当なのだ。玄兎とお昼を一緒に過ごそうと思って、楯無が早朝から時間をかけて作った手作りの馳走である。
「いただきます」
気づけば玄兎は風呂敷を広げ、重箱の中身を確認しようとしていた。気の早い男である。
「あ、ちょっと待った!」
玄兎がふたに手をかけた時、楯無の腕がそれを阻止するかのように伸びてきた。
「……なんだよ」
不機嫌そうに玄兎が楯無を見る。重箱の隙間から漏れ出した匂いが、嗅覚を刺激しさらなる空腹感を玄兎にもたらしていた。そんな状態で寸止めをくらったのだ、不機嫌になるも無理はない。
「食べるなら生徒会室に行きましょう。保健室は飲食禁止だから」
「そこは生徒会長権限でなんとかできねぇのか? 飯食うぐらいいいだろ」
ケチなこと言うなよ、と玄兎は唇を尖らせた。玄兎としては一刻も早く目の前にある食料を胃に収めたいのだが、どうやら楯無いわくそれはできないらしい。
ここ、IS学園の一階にある保健室では原則として飲食は禁止されており、それを破った生徒には厳罰がある。それは生徒会長である楯無も例外ではない。もしも玄兎がここで食事したのが教師にばれた場合、罰を受けるのは玄兎だけではなく、その場にいた楯無も同様の罰を受ける羽目になるのだ。罰則を犯した生徒もそれを知りながら止めなかった生徒も同じ罪ということらしい。
そもそも、楯無は生徒会長だ。一般生徒の模範として行動するべき立場の人間である。目の前で罰則を犯そうとしている生徒をみすみす見逃すわけはない――――たとえ、それが幼馴染であってもだ。
「あなたがそれをしちゃうと、後々私が責任を問われちゃうの。わかった?」
自分のせいで彼女が叱責を受ける、という事実に玄兎は顔をしかめた。ただでさえ、彼女には今の今まで散々迷惑をかけてきたのだ、これ以上しょうもないことで彼女の負担を増やすのは玄兎としても御免こうむりたい。それも〝保健室で弁当を食ってたから〟なんていう理由ならばなおさらである。
「うん。素直でよろしい」
いまだ納得できないような表情する玄兎を見て、楯無が満足げに笑った。一本取ったり、と書かれた扇子を勝ち誇ったように広げる。
「さて、玄兎も無事目を覚ましたことだし、本来の目的を達成するとしましょうか」
「本来の目的って……」
名残惜しそうに風呂敷で再び重箱を包んでいた玄兎が、苦虫を噛み潰したような表情で訊いた。妙な胸騒ぎを覚えたのだ。嫌な予感がする、玄兎の第六感がそう告げていた。
「勧誘よ。か、ん、ゆ、う!」
「勧誘って、なんの?」
「私が勧誘するんだから、生徒会に決まってるでしょ」
「誰をするんだよ、勧誘って」
「鈍感って、ある意味玄兎みたいな人物を指すんでしょうね……」
「失礼な、俺は一夏みたいに鈍感じゃねえぞ?」
「一夏君がどんな鈍感なのかは知らないけど、あなたは言える義理じゃないのよ」
がっくりと肩を落とした楯無が、どうしようもないなとでも言いたげにかぶりを振った。
「私が勧誘しにきたのはあなたよ、玄兎。今日からあなたを生徒会長補佐任命して、私が生徒会長である間、私の手や足となって働いてもらうためにね」
「絶対に嫌だ」
「……即答しなくてもいいじゃない」
半分冗談で言ったつもりだったが、予想以上に玄兎の表情は清々しかった。覚悟はしていたが面と向かって言われると結構つらい。
楯無が今日この場に来た本当の目的は玄兎を生徒会へと勧誘することだ。正確には強制連行ともいうが。
玄兎の生徒会入りは彼の入学が決まった直後、千冬から楯無に持ち掛けられた話だ。何かと問題行動をおこしがちの玄兎を、生徒会長である楯無に任せるのは一理ある。IS学園における生徒会長とは、〝学園最強〟の称号だ。千冬や麻耶といった教師陣を除けば、この学園で一番強いのは楯無なのである。それらから考慮しても、玄兎の身柄を楯無たち生徒会に預けるというのは監視という意味もあって適当であった。
もちろん、楯無はこの申し出を二つ返事で了解した。まず断る理由などどこにもないし、千冬に言われずともそうしようと思っていたのだ。それに千冬という後ろ盾があれば、玄兎もそうそう断ることもできないだはずである。まさに鬼に金棒といった具合か。
「でも、これはもう決定事項なのよ。勧誘というのは冗談だけど、今日から玄兎が生徒会長補佐になる、というのは本当だからね」
「拒否権は?」
「織斑先生に聞いてきたら?」
屈託のない笑顔で楯無は職員室の方角を指さした。つまり生徒会に入りたくなければ、千冬に直談判してこい、ということなのだろう。
これにはさすがの玄兎も手詰まりだった。千冬の名前が出た時点で玄兎に勝機は微塵もないことは、他ならぬ玄兎自身が一番よくわかっている。この学園にいる間は彼女を敵に回すのは避けたほうがいい、そうしなければ一日を無事に過ごせる自信が玄兎にはなかった。
身の安全と平穏な日々をとるか、それとも己の好き勝手に生きて無様な死にざまをさらすか。玄兎に残された選択肢はもう一つしかなかった。
「わかったよ。入ればいいんだろ、生徒会」
投げやり気味玄兎がいう。こんなとことで不毛な逡巡をしていても意味がない、腹のほうもとっくに限界を超えている。
「うふふ。それじゃあさっそく生徒会室に行きましょうか。玄兎のお腹も限界みたいだし」
「ううぅ……早くしてくれ、逆に吐き気がしてくる」
「……乙女の前で吐かないわよね?」
「胃に何も入ってないから、出てくるものがねぇよ」
「私への愛とかは、出てきてもいいんじゃないのかしら?」
「胃に入ってないものは無理、おうぉう」
玄兎としては結構真面目に答えたつもりだが、楯無には不評だったようで力のこもった重い一発を無防備なみぞおちにくらってしまった。
唐突な一撃に玄兎は思わずその場にうずくまる。
「If it says once again, because it will kill (もう一度、言ったら殺すからね?)」
「英語わかんねえけど、何か怖いこと言ってるってことだけはわかるぞ……」
第六感からくる恐怖に耐えながら、玄兎はのそのそと立ち上がる。みぞおちを殴られたせいで少し息苦しいが、それは我慢するしかない。
玄兎が立ち上がるのを見て、楯無はちっと舌打ちをしたが玄兎はこの際見なかったことにした。
入りが浅かったかな、と小声でごちる楯無を無視して玄兎はいったん保健室の外へと出た。日が傾き始め、夕焼け空が段々と黒い夜空へと変わりつつある。この時間帯になると、生徒たちの喧騒も聞こえない。
「生徒会室はこの上の階よ」
いつの間にか隣に来ていた楯無が上を指さしながらそう言ってくる。それに玄兎はうなずき、ふとあることを思い出した。
「なぁ、楯無」
「なに?」
「なんで、俺……保健室にいたんだ?」
それは当然の疑問だった。保健室のベッドで目覚めた時から、不思議に思っていたことだ。なぜ、自分はあの場所にいたのか。
その問いに楯無は苦笑気味に、顔をひきつらせ、
「五時間目の授業中、あまりの空腹でぶっ倒れたらしいわ」
「…………」
憐れむような視線を楯無から向けられ、玄兎は彼女から思わず目をそらした。とてもじゃないが、これでそれを体験するのは三度目だとは言えない。
気まずさを紛らわすために玄兎は窓の外を見た。そこには二羽のカラスがいる。
暗くなりつつある夕焼け空を飛んでいるその鳴き声が、やけにうるさく静寂な廊下に木霊していた。
意識がなくなるほどの空腹は、まだ体験したことがないですが……実際にあったらきついですよね(-_-;)
今回、鈴さんがちょっと早めに登場。これにはちゃんと理由がありますよ、ええ理由がね。決して、なんとなくなんかじゃないですからね!?
と、冗談はここまでで……。箒VS鈴、さてさて一夏が選ぶのは果たしてファーストか? それともセカンドか? こうご期待!(笑)