IS~インフィニット・ストラトス~死神の黒兎   作:曾良

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第八話 特訓開始! ファーストVSセカンド

「はぁっ!」

 

 箒が気合いの声とともに竹刀を振り下ろす。振り下ろされた竹刀は一寸の狂いもなく、一夏の面を打った。

 

「そこまでっ!」

 

 箒が力強い声でそう発すると、目の前にいる一夏がずるずると床にしりもちをつくように崩れ落ちた。三十分にも及ぶ試合形式での稽古が相当きつかったのだろう。肩で息をしている。しかし、一方で箒はというと結構な運動量だったにもかかわらず額にわずかな汗を浮かべているだけで、息すら乱れていなかった。さすがは全国大会覇者といったところか。

 

「腕が落ちすぎだ。お前、私がいない六年間どこで何をしていた!」

「え、えーと……一応、六年までは剣道してたぜ?」

 

 箒からの叱責に思わず言葉に詰まる一夏。彼女と別れてから三年間は剣道を続けていたとはいえ、その後の中学三年間は竹刀を握ることすらしていなかった。バイトをするために部活にも所属していなかったので、ろくに運動もしてない。当然のように、一夏の腕は箒の知っているころと比べて格段に落ちていた。三年のブランクというのは、スポーツにおいては致命傷だ。せめて、時々素振りをしていてくれていれば少しはマシだっただろうが、今となっては後の祭りである。

 そんな一夏に箒は落胆を隠せなかった。昔は箒でも手も足も出なかったほどの実力を持っていた幼馴染が、少し見なかった間に〝ふぬけ〟へと変わっていたことが、あまりにもショックだったのだ。

 

「あんた中学の時三年間ずっと帰宅部だったもんね」

 

 道場の隅で一夏たちの練習を見学していた鈴音が、呆れたような表情を浮かべながら言った。一夏は男として体格はそう恵まれているわけではないが、やはり女子から見るとそれなりに大きく見えるもので、そんな人物が女性相手に手も足も出ずに負けるというのは、どうにも格好が悪く見ていられない。

 

「おう、皆勤賞だぜ」

「そこ、威張るとこじゃないでしょ……」

 

 何に対して威張っているのかわからない一夏の言動に、鈴音はがっくりと肩を落とした。もしかしてこの男、自分が今立たされている現状を理解していないのではなかろうか。そうだとすると、この男は救いようがない馬鹿ということになってしまうのだが、どうなのだろう。

 

 というもの、なぜ一夏たちはこのようなことをしているのか。事の発端は、遡ること今日の昼休み。箒が一夏を昼食に誘おうとしていたときのことだった。

 

 

     *     *    *

 

 

「今度こそ、絶対に誘ってやる……!」

 

 四時限目の授業も残り数分。箒は何度も何度もその言葉を口にしていた。

 昨日ことだ。箒は一夏を昼食に誘おうかと思っていたが、とある理由でそれはできなかった。そのとある理由とは一夏がもう一人の幼馴染であると言っていた――――「セカンド幼馴染」という名称から彼のネーミングセンスが伺えてしまう――――凰鈴音の存在だ。彼女は緊張が頂点に達していた箒とは対照的に、まるでさもそれが当然とばかり一夏を昼食に誘っていた。二人にとっては久しぶりとはいえ、ほんの一年ぶりだ。箒ほど思うところもなかったのだろう(箒の場合、相手が一夏であったことと自身の性格が災いしたのだろうが)。ともあれ、そういった思わぬ伏兵の出現も相まって、箒は完全に一夏を誘う機を失ってしまっていた。

 

 もっとも、今回箒が息巻いているのはそれだけが理由ではないのだが。

 

「一夏~。食堂に行くわよ~」

 

 箒がなかなか決心を固められずにいると、教室の入口の方から声が聞こえてきた。鈴音だ。どうやら、箒が色々と考えていた間に授業はとっくに終わっていたらしい。気が付くと、壇上にいたはずの麻耶も千冬もいなくなっていた。因みに、このとき玄兎の姿もすでになかった。

 

 鈴音はまるで自分の教室であるかのように、どうどうと教室に入ってくる。そして、まっすぐに一夏のもとへと歩いてきた。

 

「なにやってんの……?」

「復習」

 

 じっと教科書から目をそらそうとしない一夏を訝しむように、鈴音が尋ねた。話を聞くと、どうやら来週に行われるセシリアとの決闘を意識してのことらしい。一夏も男として、売られた喧嘩には全力を尽くすとのことだ。そのためには、まずISのことを知らなければならない、と思ったのだろう。相手は入学試験における主席であり、代表候補生でなおかつ専用機持ちだ。一夏と比べると、天と地、月とすっぽん、もしくはそれ以上の差が今の二人にはある。その差を今から埋めようと思ったところで、到底無理だということはさすがの一夏も理解しているらしく、ならばと出来る限りの基礎知識を頭に叩き込もうとしているらしい。

 

 一夏の思惑を見破った鈴音と箒はそれぞれ大きなため息をついた。確かに、基礎知識を仕入れようとしているのはよい心がけだ。基礎を知らぬのと、知っているのではやはり実力に大きく影響する。だが、それだけでは今の一夏がセシリアに勝つことは絶対にできない。知識を仕込むとはいえ、しょせんは付け焼刃だ。来週の決闘で、それが役に立つかと言われれば二人とも言葉に詰まる。役に立たないとも言い切れないし、かといって役に立つかと言われると、そうともあまり思えなかった。

 

「しょうがないわね」

 

 と言ったのは鈴音だった。「特別にこの中国代表候補生である、凰鈴音が直々に一夏の指導をしてげるわ。一夏がそのなんとかってやつに負けるのは、なんか癪だし」

 

「……お前も代表候補生だったのか?」

「今頃?」

「いや、だって……お前と別れたの一年前だし。そんなに簡単になれるものなのか? 代表候補生って」

 

 一夏としては当然の疑問だった。鈴音と一夏が昨日以前で最後に会ったのは、中学二年が終わりもうすぐで三年になるという時期だったはずで、それから今日までの期間はたったの一年しか空いていない。そんな短時間で、今や国の最重要プロジェクトともなりつつある国家代表の候補生になるれるものなのか、と一夏は言いたいのだ。

 

 それもそうだなと、箒は彼らから少し離れた位置で思った。そして、思ってあることが判った。

 

「なっ……にぃ!?」

 

 いましがたの鈴音の発言を思い出す。彼女は確か、代表候補生である自分が直々に一夏を指導してあげる、と言った。つまりそれは、この一週間限りではあるが彼の専属コーチとなって手とり足とり教えるということでは、ないのか――――――少々暴走気味の箒の思考が、警告を発する。このままでは、あの女に一夏を奪われるぞ、と。

 

「ちょっと、待て!」

 

 気づいたときには、箒の身体はすでに一夏たちのもとへと向いていた。

 

「一夏の訓練の件については、私が受け持とう」

「は、はぁ!?」

 

 突然の乱入者に一夏と鈴音が目を丸くしている。

 

「いいな、一夏。そもそもその役目は、昨日のうちに私がお前自身から頼まれている」

 

 もう自分でも何を言ってるのかいまいちわからない。ただ、やけくそだった。 

 そんな箒に目を丸くして驚いている一夏が、

 

「え? いいのか?」

「当然だ。昨日は、色々とあって……その、話がうやむやにはなった……が」

 

 と、そこで昨日の出来事が不意に脳裏に浮かんでしまった。

 

「いや、あれから返事なかったから……ダメかなと。それに木刀でも殴られたし」

「あ、あれは! お、お前が私の裸を勝手に見たからだろ!」

「不可抗力だって、あれは! 俺だって、まさか自分の部屋に入ったらお前が、あんな格好で風呂場から出てくるとは思わなかったんだよ!」

 

 

 これは昨日ことだ。一夏は放課後千冬に呼び出され、自室のカギと番号を教えてもらった。その後、すぐに自室へと行ったのだが、そこで思わぬ光景と遭遇したのだ。

 一夏が部屋に入った時、一夏の荷物とはまた別の荷物が置いてあった。これを見て一夏はすぐさま、同居人がいるのだろと思った、同時にそれが男である玄兎であろうと推測した。まさか同居人が女子生徒のはずはないだろうと、高を括っていたのかもしれない。

 部屋を眺めていた時、後ろからがちゃりと扉が開く音がした。シャワーの音が聞こえていたので、玄兎がシャワーから上がってきたのだろうとおもい、後ろを振り返った。

 

「あ、玄兎、あれから大丈夫だっ、た…………か」

「ああ、同室になったのものか。こんな格好で済まないが、これからよろしく頼……む、ななな!?」

 

 そう言って扉から現れたのは箒だった。どうやらシャワーを浴びている同居人は玄兎ではなく、箒だったようだ。

 

「よ、よう……箒」

「な、なぜ……お前がここに」

 

 体を隠すように、あるいは守るように箒は巻いているタオルをきつく抱きしめた。その頬は若干赤い。隠しきれてない肌は、シャワー上がりのせいかしっとりとしていて、妙に艶めかしい。

 

「な、見るな!」

「お、おお。すまん」

「なぜ、お前がここにいる!」

 

 恥ずかしさからか少し冷静を失っている箒の言葉に、一夏はたじろぎながら答える。

 

「いや、だって俺もこの部屋だし……」

「なに!? 男女七歳にして、同衾せずだ! 何を考えているのだ、お前は!」

「いや、俺に言われても困るんだけど……」

 

 箒の言い分もごもっともだが、さすがに一夏にはどうすることもできない。「というか、さっさと出ていけぇぇ!」そんな声が部屋に響き渡るのと同時に、箒が部屋の隅に置いてあった木刀を目も見張る速さで手に取り、

 

「え、ちょ、待て箒!」

 

 一夏の脳天へと強烈な一太刀を浴びせた。

 

 それからのことは言うまでもないだろう。彼は気絶し、胴着に着替えた箒によって保健室へと運び込まれ、あたりがすっかり暗くなるまで一夏は気絶していた。

 

 因みに、一夏が箒にISの特訓を打診したのは食堂から帰ってきた後の話だ。その話をしたとき、箒はまだ怒りが収まっていなかったのか、ろくに相槌も返事もせずにいた。そのため、彼は箒が断ったのだと思い込んでしまった、というわけである。

 

 

 話を元に戻そう。

 

「と、とにかくだ。一夏のコーチは私で間に合ってるのでな、御遠慮願おうか」

 

 箒が鈴音を睨む。箒もアリサほどではないが男勝りと言われる方で、目つきは時と場合によって変わるが鋭く、尖っている刃のようである。今がまさにそうだった。箒本人は無自覚だが、剣道をするときにも似たような雰囲気を醸すときがある。相手と対峙し、睨み、一進一退の攻防を繰り広げるとき、彼女は面の奥でこのような目をしていた。

 

 しかし、当の鈴音はそんな箒に臆する様子はまったく見せず、それどころか、「なによ。あんた、いきなり話に割り込んできて。それに一夏のコーチの話は私が先に言ったんだから、いちゃもんつけないでよね!」

 

「ふん。私は一夏から頼まれたのだ。それも昨日のうちにな。順番的にいえば、私のほうが早いさ」

「くっ……。で、でも一夏は素人だし、私のような代表候補生が教えたほうがいいでしょ」

 

 確かにそれは最もな意見だった。先ほどはあのような啖呵をどうどうと切っていた箒なのだが、実のところISに関する知識や技術はこのクラスにいる一般生徒とさほど変わらないものしか持ち合わせてはいなかった。姉が篠ノ之束というISを開発した世界的に(悪い意味で)有名な人物というだけで、あとほかに特筆すべきことは剣道以外何もない。セシリアや鈴音のように代表候補生でもなければ、玄兎のような例外中の例外というわけでもない。つまり、今の箒が一夏に教えられることは何もない、ということだ。少なくともISに関することはだが。

 

 だが、ここまで来た以上、女として武人として箒は退くわけにはいかなかった。

 

「安心しろ。私はあの篠ノ之束の妹だ。どこの馬の骨かも知らんお前よりは、一夏に教えられることはある」

 

 後には引けなかった。生涯、絶対姉にだけは頼らないと誓っていた箒だったが、この時ばかりはその誓いを破らずにはいられなかった。

 束の威光ともいうべきものは、ISの名を世に知らしめた〝二十一世紀騒乱〟から十年近くが経過した今でも健在である。ISの一部の機構や構造はいまだ謎である部分が多く、特にコアの仕組みなどはそれが顕著だ。ISの開発、研究が進んだ今現在でもコアの明確な構造および製造方法はわかっていない。そういうことから、篠ノ之束という存在は世界から見てもとても貴重な存在となっており、箒たちが重要人物保護プログラムを受けたのもそういった経緯があったからでもある。

 そして、そんな人物の妹という肩書はどんな環境においてもつきまとってくるものだ。箒にも経験がある。何をしようが、〝ISという超兵器を開発した天才少女、篠ノ之束〟の妹として見られ、比較されてきた。世界の歴史や文化から成り立っていた男女格差すらも崩壊させた天才と比べたら、箒というのはあまりにも平凡で、見劣りするものであったのだろう。そんな失望感で塗れた大人たちの視線から逃れたい、そういった感情は幼かった箒をますます剣道とのめりこませる原因ともなった。剣道している時だけは、そんな大人たちの目を感じなくなるような気がした。箒の剣道の腕前はそのころから見る者にとっては才覚を感じるものだったから、実際にはそういった面に関しては箒は姉を凌駕していたのは間違いない。が、あくまでも世間体では違う。あくまでも箒は束の妹であり、その肩書が消えることはなかった。箒にとって、それは耐え難い苦痛であると同時に、姉への憎悪を募らせる一因ともなっていた。

 

 そんなことも今となっては遠い過去の出来事だ。思いを馳せることしかできない、昔の思いである。今の箒から見たら、「何をそんなに思い悩んでいるのか、わからん」といったところだ。

 人間とは一度吹っ切れたら、昔は憎んでいたものでさえ、利己的な目的で利用したりするものだ。今回の箒はその典型的な例だった。

 

「でも、さすがのあなたでも実技までは無理でしょ? 一夏に今必要なのは、小難しい知識じゃなくて、戦闘の感覚よ! 感覚!」

 

 鈴音も負けじと反論していた。姉の名前を出したはったりが悪い方に効果が出たようで、箒は思わず苦々しい表情になる。こうなったら、と箒は「一夏、お前はどっちに教えてもらいたいのだ!」と鬼気迫る迫力で一夏へと問いただした。これならば、遺恨は残るだろうが、この終わりが見えそうにない議論には決着がつくはずだ。

 

「もちろん、私よね!」

「いいや、私だな!」

 

 両者がにらみ合いを続ける中、一夏が出した答えというのが、

 

「なら、二人にやってもらうっていうのは……どうだ?」

 

 その一夏の発言から、紆余曲折あって放課後の剣道場へと場面は移っていく。

 

 

   *   *   *

 

「では、休憩は十分したことだし、もう一回行くぞ」

 

 しばらくして、箒がそういった。

 

「え、もうか……?」 

 

 一夏が少しだけやる気なさげに呟くと箒はぎろりと一夏を睨み、「あたりまえだ。この程度、昨今の中学生なら誰しもがこなしているぞ!」と大声で喝を入れた。今の一夏はふぬけになりきっている。まずはその腐りきった根性を叩き直すことがこの特訓の第一目標だというのに、このようなことで音をあげられていては、これから先が思いやられる。そう箒は内心で大きくため息をついた。

 

「ほら、面をつけろ」

 

 急かすように箒は竹刀を床にたたきつける。本来ならば剣道をやるものとして竹刀をこのように扱うなどしたくはないのだが、一夏に少しでもこちらが本気だと思わせるためだ、致し方ない。

 渋々といった様子で面をかぶる一夏はどこか諦めているようにも見えた。

 

「行くぞ!」

 

 箒が中段に竹刀を構え、それにつられるようにして一夏も中段に竹刀を構えた。冷たい静寂が場を包み、そして一夏が動いた。

 竹刀を中段から振り上げ、箒の面へと振り下ろす。先の箒との稽古で、元通りとはいかずともある程度の勘は取り戻しつつあった一夏の一撃は、確かに先ほどまでのそれとは違ってキレが増しているよう見えた。だが、それでもまだ甘いの一言につきる。

 一夏の竹刀を横へと受け流しながら、箒は態勢が崩れたその時を狙い「これがお手本だ」と言わんばかりに、彼の面へと鋭い一振りを見舞わせた。

 

「一本だな」

 

 面の奥で箒がにやりと笑みを浮かべたような気がした。それもこちらを挑発するようなものだったから、一夏もその心の何かに火がついた。

 一夏が大きく動く。先ほどまでの中段の構えではなく、次は上段に竹刀を構え、そこから力任せに竹刀を振りぬいた。技術では箒には勝てないが、単純な力勝負では一夏に分がある。こうやって振りぬけば、先ほどのように受けることはできないはずだと、一夏は考えていた。だが、それこそ甘い考えだ。

 箒の動きは先ほどと何ら変わらなかった。先と同じように一夏の竹刀を受け流し、態勢の崩れたほんの一瞬のすきを狙って面へと打ち込む。その一連の動きは自然に流れる川のように、流暢に美しいものであった。それからどれほど修練に勤しんでいたか、見るものが見ればわかるであろう。

 一方で一夏の方は、てんで駄目と言わざる得ない。純粋な力勝負ならば勝てると踏んでの行動だったのだろうが、よくよく考えてみるとそもそもあの〝受け流す〟という行動は、力の弱い者が力の強き者に対して、力以外で対抗するための手段でもあるのだ、いくら一夏が力を込めた一撃を放ったところで箒のそれをどうにかできるはずもない。対処法を間違うどころか、さらにその技のつぼに入っていくのは、どう考えても間抜けとしか言いようがなかった。それも本人は、それが対処法だと思い込んでしまっていたのだから、これまた滑稽である。ちなみに、先の一撃で一夏はそのことに気付かなかったらしく、それと同じ行動をその後二度、三度繰り返していた。

 

「ダメダメ。そんなんじゃ、いつまでたっても箒には当たらんぞー」

 

 笑いが混じった声でそう呟いたのは、箒達がいる練習場の入口で面白そうにこちらを眺める玄兎だった。腕を頭の後ろに回し、壁に背を預けている。

 

「単に力押しで勝てるほど、剣道……つうか、俺もあまり剣道ってスポーツ知らねえんだが、甘くはないと思うぞ。箒は古武術も会得しているみたいだし、力を受け流すことにかんしちゃ、そんじゃそこらの奴等よりははるかに上だろうよ」

 

「く、玄兎……?」

 

 思わぬ登場人物に一夏が目を丸くした。

 

「よっ。ちょっくら、お前の特訓見に来たぜ」

 

 そう言って、玄兎は入口で靴を脱ぎ、練習場の中へと足を踏み入れた。中を興味深そうに眺め、しばらくして飽きたかのようにそれをやめた。本当に飽きたのだろう。

 

「にしても、お前……弱いな」

 

 単刀直入というか、容赦がないというか。玄兎の純粋な感想に一夏はぐうの音も出なかった。事実、ここまで竹刀を箒の身体に触れされることすらできていないのだから、玄兎の言葉はある意味正しい。

 一夏が内心ショックを受けていることを知ってから知らずか、玄兎はさらに言葉を紡いだ。

 

「動きに関しては、前にやってみたいだからある程度はよかったが……。状況判断能力やら、その他諸々が低すぎるな。箒の受け流すやつを見て、さらに同じ行動をする馬鹿がどこにいるか。相手は去年の全国一だぞ。三年のブランクがあるやつの一太刀を、そうやすやすと受けるもんか」

 

 すらすらと一夏の問題点を指摘していく。

 

「ただ闇雲に力いっぱい竹刀を振ればいいってもんじゃないだろ、これは。なのに、お前ときたら、力任せに竹刀を振るわ、防がれても何の対策もしないわで見ててこっちが恥ずかしくなったぐらいだぞ」

 

 か弱い――――といっても、箒の纏う雰囲気はどう見てもか弱いというより千冬に近しい、鋭利な刃物といった印象を受けるが――――少女に、同年代の男が負けているという構図はやはり玄兎にも見ていられぬものがあったらしい。声の節々に嘆息が混じっていた。

 素人の意見だが、と玄兎は最後に付け足した。確かに玄兎は剣道というスポーツに関していえば、一夏よりも素人だ。仮にも三年前まで現役だった一夏にとやかく指導できる立場ではない。だが、そんな玄兎でも思わず苦言を呈したくなるほど、今の一夏は無様であった。

 

「よくあんなにすらすらと……いつから見てたんですか? 玄兎さん」

「うん? 箒か。いや、見てたのはだいぶ前からだぞ。さっきのが始まるときからな」

「それって十分以上前よね……」

 

 鈴音が驚いたような表情でつぶやく。一夏たちの稽古が再開してから、もう十分近くが経過している。その時からすでに玄兎がこの場にいたというなら、鈴音達が気づかないはずはない。だが、実際には気づくことはおろか、気配すら感じ取ることができなかった。彼が嘘をついているならそれも頷けるのだが、事実彼は一夏の問題点を次々と指摘していったから、初めからいたのはまず間違いないだろう。

 

「てか、あんたなんでこんなところいるのよ」

 

 それはなぜ彼が気配を消して、一夏の特訓を観察していたか、という疑問にもつながる問いかけだった。彼がここにいる理由がはっきりすれば、おのずと気配を消していた理由も分かるはずだろうと、鈴音は思っていた。そもそもそれを知ったところで鈴音に何かしらの損得があるわけはないので、これはちょっとした興味本位での質問だ。気配を誰にも悟られずにいるというのは、並の人間ができることではない。そんなことができる人間が、一夏と並ぶもう一人の男性IS操縦者であるというのは、代表候補生として、ISというものに携わる一人の人間として、興味があった。

 

 鈴音のそんな思惑をよそに玄兎は少し困ったように頭を掻きながら、

 

「道に迷ったら、偶然見かけてさ、おもしろそうだったから見てた」

「気配消して?」

「邪魔しちゃ悪いと思ってよ」

 

 道に迷ったというのはなんとも玄兎らしい理由だ、と箒は思ったが一方で鈴音は呆れていた。考えていたよりも、酷くどうでもいい理由だったからだ。気配を消していたのも、自分が出て行ったら練習の邪魔になると思ってのことだった。嘘をついているという感じもない。鈴音の感じていた疑問はどうやら考えすぎだったらしい。今度の対戦相手には玄兎も含まれているのだから、一夏がどんな特訓をしているのか気になったから気配を消して観察していたのではないか、などというよく考えればあり得ないことだと分かりそうなことを――――素人の一夏の特訓など見てもためにならないのは明白。どうせ見るならば、もうひとりの対戦相手であるセシリアのほうを見たほうがよっぽどためになる――――少しでもありそうだ、と思った自分が逆に恥ずかしかった。

 

「というか、お前……誰だっけ?」

「は……はぁ?」

 

 唐突にそういったのは玄兎で、鈴音が顔を凝視しながら、何かを思い出そうとしているかのように目を細めている。嫌な予感した。というよりこの予感が当たっていたとしていたら鈴音は、彼のことが嫌いになるかもしれない。いや、確実に嫌な相手として脳の中に一瞬のうちにインプットされるに違いなかった。

 表現が難しいこの感情を苦虫を噛み潰したような表情で誤魔化しながら、鈴音は言った。「あんた、もしかして覚えてないの……?」

 

「…………あ、もしかして昨日の屋上であった?」

「やっぱりか!」

 

 予想がこうも綺麗に的中するとショックよりも、驚嘆のほうが勝るようだ。そんな鈴音はつい心の中の叫びを口に出してしまうほど、驚嘆していた。それもそのはずで、鈴音と玄兎はこれが初めて会うというわけではなく、実のところ昨日の屋上で会って簡潔な自己紹介まで済ませているのだから、鈴音の驚きもまた当然の反応だろう。むしろ、昨日の今日で同学年のしかも、学年で三人しかいない代表候補生である鈴音を忘れている、玄兎のほうがどうかしている。後者の代表候補生であるということは忘れていたとしても、別段興味がなかったという理由で片付けることができるが、さすがに昨日会ったばかりの同級生を忘れたりは、普通ならばしないであろう。それほど印象に残らなかったのか、と鈴音は少しだけ落ち込んでしまった。

 そんな鈴音と玄兎の会話を聞いて、またかと肩を落としているのは箒だ。彼女はこういった出来事に思い当たる節があるようで、深いため息をついていた。

 

「玄兎さんはいい加減に人の顔と名前を覚える努力をしたほうがいいですよ?」

「うるせぇ……こっちも好きで覚えきれないわけじゃないんだい。てか、ただ興味ない人間の顔を覚えないだけで……」

「それがダメだという言ってるんです」

 

 一夏に話しかけるときは違ってやや敬語を交えながらも、玄兎の子供のような反論に対して優しく諭すような言葉を箒は続ける。

 箒の意見は正確に的を得ていた。人の顔と名前が一致しないというのは、個人差はあるもののよくあることだ。玄兎の場合それが顕著なだけであって、何も特別というわけではない。しかし、それは時と場合によってはある弊害をもたらすことがある。当然のことだ。普通自己紹介をしたのにもかかわらず、その人物が自分の名前を忘れていたら――――挙句の果てには別人と間違われることもあるが――――よほど大きな器の持ち主でない限りいい気持にはならないだろう。

 とにかく彼が今度もそのようなことを続けていれば、そのうち知らぬ間に周りが敵だらけになっていた、という事態にもなりかねない。箒の提言はそういうことを危惧してのことだった。

 ばつが悪そうにうつむく玄兎を見て、一夏がふとある疑問を口にした。

 

「箒と玄兎って、知り合いなのか?」

「そういえば……今日初めて会ったにしては、親しげよね?」

 

 鈴音が怪しい笑みを浮かべながら、箒を見た。一夏には見えない角度でにやにやとした顔を箒に向けている。よからぬことを企んでいそうな、嫌味な表情だ。

 一夏も一夏で妙に神妙な顔つきをしていた。どうやら相当気になる事項らしい。

 

「ああ、玄兎さんとは二年ほど前に姉さんを通して知り合ってな」

「初対面じゃない、ってことよ」

 

 なるほど、と思ったのは一夏である。玄兎は束と親しい間柄だと昨晩の食堂で言っていた。ならば、束を通じて箒と面識を持っていたとしてもなんら不思議ではない。

 一方で鈴音は肩透かしを食らったような気分になっていた。もしかすると、箒の浮気の決定的証拠が見つかったのかと思ったが――――そもそも箒と一夏は結婚も付き合ってもいないので、浮気ではない――――どうやらまたもや見当違いだったようだ。今日はとことん思い違いをする日だな、と鈴音は自嘲気味に小さな溜息をつく。

 遠くで何かの音楽が聞こえてきた。子供たちに六時を知らせる音楽、流れている曲はよく知らないが懐かしい曲であった。玄兎はそんな音楽に耳を傾けながら、道場を見渡し、箒が床に置いていた竹刀をひょいと手に持った。

 

「一夏。俺とこれで勝負しよう」

 

 何を思ったのか唐突に玄兎がそう言った。

 

「勝負?」

 

 一夏が問い返すと、玄兎は一夏に背を向けたまま、

 

「そう勝負だ。しかも、条件付きのな」

「条件……?」

「お前が勝ったら今度の決闘、俺がセシリアとお前に勝ってクラス代表になってやる。だけど、俺が勝ったら……この一週間、お前は俺の一時的な弟子になれ」

「はぁ? 何言ってんのよ、あんたは。私たちが一夏のコーチをするんだから、引っ込んでなさいよ」 

 

 玄兎の突然の申し出に鈴音が抗議をの声をあげる。だが、玄兎は聞く耳を持っていない。というより、はなから聞くつもりはなかった。

 玄兎が一夏の方へ向き直る。「どうだ、受けるか」

 

「勝負自体は受けてもいいけど……いいのか? 勝っても負けても、玄兎にはデメリットしかないんじゃ」

「いいのよ。こっちにもちゃんとしたメリットがあるから。ただ俺は純粋にお前と一度勝負したいだけだ。今度戦う相手が、どの程度か把握するためにもな」

 

 そう言って玄兎はにやりと不敵な笑みを浮かべた。この勝負に何の意味があるのか、彼があげた条件に何の意味があるのか、一夏にはわからない。だが、この勝負は受けてみたいと思った。純粋に玄兎の実力が知りたいのだ。自分と同じ世界で二人しかいないと言われている男性IS操縦者のもう一人の実力を、ただ一夏は純粋に知りたかった。

 だから、一夏は「ああ、受けて立ってやる」と力強く了承した。

 

   *   *   *

 

 超展開のような気もしたが、と玄兎が小さくつぶやくと向かい側のソファーに座っている楯無が興味なさげに小さく息を吐いた。

 

「最初からそのつもりだったんでしょ? ならいいじゃない」

 

 どこから淹れてきたのか、紅茶をすすりながら楯無がなぜそんなことをするのかと言いたげな瞳で玄兎を見た。初めから企み通りだったのなら、何もそう思い悩むことはないはずだ。結果よければすべてよし、ということわざもあるくらいだ、時には過程よりも結果を重視することも大切である。

 そんな楯無の考えも実際には口に出しているわけではないので、玄兎は一人いまだ何かを心配しているように顔をしかめていた。

 

「まぁ、考えるより慣れろだな。よし、やるっきゃないな」

「使い方間違ってるような気がするけど、ここはあえて訂正しないでおこうかな。面白そうなことが起こりそう」

 

 扇子を広げ、笑いをこらえている顔を隠す。玄兎は日本で生まれた日本人ではあるが、まだ小学生だったころある事情によりドイツのほうへと移住してしまったため、日本語が少しだけ苦手だ。それでも時折難しい単語を口にするので、それなりに勉強というよりは日本語慣れはしているようである。ただ、本人曰く「日本語は英語ぐらいに難しい」とのことなので、苦手ではあるようだった。

 そんな彼を面白がっている楯無は傍から見ると、相当な意地悪に見えるだろう。事実、彼女は意地悪な〝お姉さん〟であった。親しい者には必ずと言っていいほど悪戯を仕掛けるし、今のように自分が面白いことになりそうだと思えば――――そのままにしておくとあとで痛い目に合うとわかっている勘違いや間違いでも――――平気で放っておくので質が悪い。

 

「そう決まれば。あとは飯の時間まで暇をつぶすかな」

 

 そう言って玄兎がおもむろに目の前に置いてあったティーカップに手を伸ばした。楯無が自分のを淹れる際についでと用意してくれていた紅茶だ。それを勢いよく、ぐいと最初の一口で飲み干す。驚くほど、口に合わなかった。思わずむせてしまう。もう少しで、あやうく喉を通ったはずの紅茶を机にぶちまけるところだった。

 げほげほ、と咳を繰り返す玄兎を見て、楯無の表情が呆れ顔に変わる。

 

「口に合わないものをそんな一気に飲むから」

「すまん。紅茶は慣れてたと思ってたんだけどなぁ……やっぱ、人生うまくいかねぇや」

 

 なぜか紅茶で彼は人生を感じていた。思考回路がおかしいのではないかと思ったが、常に彼の思考回路はおかしかったことを楯無は自分の紅茶をちびちびと飲みながら思い出した。因みに楯無は紅茶をよく好んで飲んでいるのだが、そこまで紅茶に詳しいというわけではない。ただある程度種類と名前を知っているぐらいだ。紅茶をよく好んで飲むのは、そこはかとなく感じる優雅っぽさが気に入っているだけで、そこに大した意味など存在しない。

 

 そういえば、と玄兎がふと口にした。

 

「俺たち、今日何してるんだっけ?」

「…………生徒会の職務かな?」

「紅茶飲んで、菓子食ってるだけが?」

「そ、そうなのよ」

 

 会話が成立しているようで、成立していなかった。玄兎の質問は風が頬を撫でるように、するりと抜けていき、楯無が適当な誤魔化しがかえってきた。どうも怪しい。玄兎がこの学園に来てからまだ一日と少ししか経っていないが、いくらなんでもこれが生徒会の業務だと言われて素直に信じるほど馬鹿ではなかった。

 どうやら楯無は生徒会の業務から意図的に目を背けているらしい。いや、それは初めから、正確には昨日この生徒会室に来たときから頭の隅でぽつんと浮かんでいた考えだった。その時、山積みの書類があった。山積みと言っても、枚数的にはそう多くはなく、どちらかといえば内容が濃かったような気もする。だが、そんな大量の書類がたった一日で生徒会へとやってくるのか、と問われると玄兎としては「そんな馬鹿な」と言わざる得ない。この学校の仕組みがどうなっているのかは知らないが、いくらなんでもそれだけの量を一気に、しかもその締切がその日だというのに渡すというのは、無謀というものではなかろうか。だからこそ、至った答えが玄兎にはあった。

 

「サボりか」

「………………」

 

 沈黙は肯定受け取っていいのだろう。そうこれが玄兎の出した答え、生徒会長更識楯無だった。簡潔にいうと、今までサボっていたつけが昨日になって回ってきた、ということである。仮にも生徒会長、つまり全校生徒の長だというのにみっともない姿だ。

 彼女はなんでもできる、と思われがちだが実際は違う。この世に完璧超人なんてものは存在しない。一見すると楯無は、頭脳明晰で、運動神経抜群で、料理も上手く、武術もそれなりに強い、そのうえ美人であるというこれまた絵にかいたような完璧人間だ。非の打ち所がない、と誰しもが思っている。だが、違う。前述したとおり、完璧超人などこの世界には存在ない。勿論楯無にも苦手なものはある。玄兎が知っている限りでは、裁縫が苦手だったはずだ。それに書類処理といった地味なうえ精神的にもきつい仕事も苦手である。

 そういったことを数えだしたらきりはないが、とにかく彼女の事を「何でもできる美人会長」などと呼び慕う、ファンクラブなるものは即刻解散すべきだ。話が脱線していることを理解しながらも、玄兎はそう思った。

 

「ここの生徒会長はね。最強なのよ」

 

 唐突に楯無が語りだした。

 

「そうか」

「つまりね、生徒の中で一番強い人がなるのよ、生徒会長というものは」

「なるほど。で、学園で唯一国家代表のお前が選ばれた、と」

「うん」

「それで?」

「生徒会長がこんなにも地味な仕事多いなんて知ってたら、ならなかったのに!」

 

 彼女の悲痛な叫びは本当に悲痛そうな雰囲気を漂わせてた。ただ、それを知ったところで玄兎には彼女の現状をどうにかできるほどの権力は、生憎持ち合わせていない。なので、言われても困るだけだ。悲痛さがしみじみと伝わってくる分、余計にそう思えた。

 とはいえ、選ばれてしまったからには嘆いてもどうしようもない。そもそも、そこまでやりたくないのなら断ればよかったものを、と玄兎は思ったがすぐにその考えを改めた。彼女は目立ちたがり屋だった、ということを思い出したからだ。更識家が対暗部用暗部というなんとも陰湿そうな家柄であることの反動かもしれない。それでも幾分か更識家当主としての自覚はあるようで、そこまで派手に目立とうとすることはなく、比較的地味に、だが少しは目立つといった妙なスタンスをとっているようだった。

 

「それで、何が言いたいの?」

「ご飯行こうか」

「よっしゃ!」

 

 もはや会話と呼べるものはこの二人の間には不要のようだ。成り立つどころか、成立させようという気力すらないようだった。

 

 ちなみに現在の時刻は七時を過ぎて、しばらくたったころである。玄兎が一夏との勝負を申し込んでから、既に約一時間が経過していた。

 

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