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新たに訪ねた場所は古くから王の治める都市だった。その中でも大きな広場で、いつもどおりの道化と悪漢の追走劇を演じていると、なんと城から使者がやってきたのだ。
この地を治める王家は代々芸術を愛し、ポルカたちのような小さな一座でも呼び寄せては王の前で演技をさせるらしい。言われるままに城へと連れていかれた。
ひろい宴の間であの茶番劇をするのは勇気がいった。大勢の身分の高い人々が集まる中、ひときわ高い位置に腰かける王は、母の語るおとぎ話と同じように豊かなあごひげを持ち、赤いビロードのマントと黄金のかがやく王冠をかぶっていた。
となりにすわる王子は長い金髪をひとつにまとめ、王より小振りの冠をつけていた。ポルカたちに用意された下座からもわかるほど顔立ちが整い、立ち振る舞いもうつくしい。
ふたりの目に緊張しつつも一座は唯一の演目を演じきった。
するとふたりだけでなく周りにいたお付きの者たちも温かい拍手で迎えてくれた。ポルカはすこしだけ誇らしい気持ちになった。母の顔を見るとやはり微笑んでいた。団長はもちろん、あのアスワドまで照れたそぶりを見せている。
拍手が鳴りやんだあとに王が母のシスルへ直接声をかけた。
「そこの女。ここに楽士もいる。ひとつ、なにか踊ってみせよ」
その命令に母はすぐ進み出て王の指し示した楽士をちらと見た。彼はリュートをつまびき、これから演奏するつもりだろう曲のさわりを聴かせる。
母のシスルが踊る体勢に入り、軽くうなずいてみせた。
そして流れるようにメロディが奏でられると、しなやかな肢体が音をまとわせて舞う。
郷愁に満ちただれもが知る曲。ふるさととそこに住むひとびとへの想いが、ひらひらと宙をつかむ両腕に抱かれているようだった。足先はふるさとへの道に向きながら、その空色の瞳は決してそちらを見ることはない。
最後にこの地で強く生きてゆくことを決意する曲でもあるからだ。母はそれをからだ全体でみごとに演じきり、音と一体になってみせた。
母がひとりで踊るのを、ポルカが見たのはこれが初めてだった。今まで母はかたくなに音楽にのせて踊るのを拒んできた。見せても稽古のときにすこしだけ。あの劇ではポルカとアスワドが主だから目立つ動きはない。
それを疑問に思わざるえないほどすばらしかった。母が踊り終えたとき、劇を終えたあとよりも大きな拍手が宴の間を揺らした。王も王子も立ち上がるほどの出来栄えだったのだ。
王が弾んだ声で言った。
「女! あの劇からもすばらしい踊り手と感じたが、これほどまでとは。そなたのような踊りの名手、ぜひ城の舞踊団の一員として迎えたい」
頭をたれていた母が一瞬だけ肩をふるわせた。ポルカもどきりとした。
母がこの城に仕えることになれば、自分はどうなるのか……?
はらはらしながら見守っていると母がかたい声で答えた。
「……おおせのままに」
***
母が舞踊団の見習いとして稽古を積むあいだ、ポルカはひとりでいることが増えた。城の中にはよく手入れされた庭園があり、虹をえがく噴水や、物語の登場人物たちのオブジェ、それと解放されている花畑が遊び相手になってくれた。
花畑の向こう側に母の学ぶ建物がある。花でかんむりや首かざりをつくりながら、母が舞踊団のまとめ役に教えを請う姿を見守っていた。
あれだけすばらしい才能をかくし、なぜ日陰で暮らしていたのだろう。幼いポルカには考えてもわからなかった。そして日に日に悩みがふくらんでゆく。
母が正式に舞踊団に入団したら、いまは客人として扱われている自分はどうなるのか。母と別れなければいけないだろうか。
ポルカが花をいじっていると後ろから呼びかけられた。
「おうい、ポルカぁ。ここにいたのか、大事な話があるんだ!」
張りのあるバリトン。団長だ。振り向くと巨体をゆすぶって駆けつけてくる。
「実はな、一座を解体しようと思うんだ。王からシスルのような踊り手を教育した報酬を頂戴して……これからは田舎で畑を耕して余生をすごすつもりだ」
頭をガツンと殴られたようだった。困った顔をしたらかんらかんらと笑われる。
「なに、おまえもなかなかの踊り手だ。他の劇団に入れてもらえるようワシが掛け合ってやる」
つまり、やはり母とは……。
その後も団長がなにか言っていたが耳からすりぬけてゆく。
満足した顔で去る背中がにじんで見えた。声もあげずにポルカは泣いていた。
こんなにも早く母と別れる日が来るとは思ってもみなかった。自分が救い出す必要などなかった。彼女がその気になれば、いつだってあの暮らしから抜け出せたのだ。
それをしなかったのは、きっと自分がいたからだ。だからこそいっしょにいたいとは言い出せなかった。これ以上、母の重荷になるのはいやだ。
建物で踊りを学ぶ母から隠れるように花畑で突っ伏する。
そうしているうちに、まただれか彼女を訪ねてきた。
「こんなところで、なぜ泣いているんだい?」
頭をあげると、碧色の瞳に吸い込まれそうになった。
波うつ金髪。優しい声。下座から見上げるだけだった王子がポルカの顔を覗きこんでいる。
驚いて目を皿のようにしていると優しく微笑まれた。
「驚かせるつもりじゃなかったんだ。ただ花畑を散歩していたら、きみが泣いているのを見つけたので放っておけなかった。よかったらこのハンカチで涙をお拭き」
受け取ったハンカチは上等な絹で織られていた。すべやかで、涙ごと哀しみを包み込んでくれるようだ。
「きみは、たしかポルカと言ったね。ぼくでよかったら理由を教えてくれないか?」
やがて多くの民を治める地位にいるせいか、王子にはすべてを任せられる雰囲気がある。ひょっとしたら母と同じように踊りで話が通じるかもしれない。
ポルカは立ち上がり、ゆっくりと踊りはじめた。まず踊り子の母とアコーディオンの父を身振りであらわし、そのあいだに立つと道化のうごきを見せる。それから父が演奏途中で倒れるしぐさで亡くなったことを伝えると母とともに踊ることで生きてきたと一人二役で演じた。
母のいる建物へ手を伸ばし、力なくうなだれてみせる。そうして王子を横ぎりみずから身を引こうとしていることを暗に語った。
「きみは優しいんだな」
王子はまずそう言った。さすが芸術に通じる家柄、話が伝わったらしい。
「まだ母親が恋しい歳ごろだろうに。その優しい心に敬服する。なぐさめになるかはわからないけれど、ぼくのサロンへおいで」
ポルカは王子に手を引かれ、庭園に建つ小さな離宮へ連れてゆかれた。質素であるがゆえに品のあるただずまいで、白亜の外壁と曲線を活かした造りが心を和ませる。
中へ案内された。星を模したかざりが上から吊り下がり、その先の天井は真っ青に塗られている。ところどころ真綿のような雲が描かれ、合間に神話の登場人物が立ち並んでいた。
その下で奏でられる音楽のなんとすばらしいことか。見知らぬ弦楽器のしらべは幾重にも重なり、それらをボンゴのリズムが支えている。笛の音が宙を舞いながらもたしかに絡み合い、すべての音がその場で溶けあっていた。
ポルカが圧倒されていると、となりで王子が片手をあげる。音楽がぴたりとやんだ。
「みんな、新たな友人だ」
楽器を持つ人々に見つめられる。みんなしずかで穏やかな目をしていた。ポルカはあわてて頭を下げる。
王子がくすりと笑って頭を上げさせた。
「緊張しなくてもいい。ここはぼくの憩いの場。音楽や絵画、彫刻……父上とは別の、ぼくだけの宝物の集まるところなんだ。だから訪れたひとにも安らいでもらいたい」
白い手袋のはめられた手がポルカの黒髪をすく。
「あそこに腰掛けるいすがある。きみ好みの音楽を聴かせてあげよう。なにが好き?」
考えるそぶりを見せれば王子が思いついたように笑った。
「わかった。きっとこの曲だね」
王子が曲名を楽士たちに言えば演奏がはじまる。ポルカのだいすきな曲……母のシスルが王の前で踊った曲が大きな音の波となって押し寄せた。
ふるさとを思い返しながらも、新たな旅路へ目を向ける。心細さと力強さ。懐かしさと希望。どちらもが交互に寄せては返す。
気づけばポルカはからだを両腕で抱きしめていた。それを見た王子がふとこぼす。
「さっきのようにおどらないのかい?」
ハッとしてポルカは彼の顔を見た。なにか期待しているように口もとに笑みが浮かんでいる。
ポルカも踊り子の娘、言われずともわかった。
すっくと立ち上がり前へ進み出て、舞う。
母ほどではないが、しなやかな音楽に導かれるようにステップを踏む。なにも考えずに感情のまま。母への想いが指先まであふれていた。
夢中で踊っていたらいつのまにか音がやみ、みんなが静まって自分を見ていることに気づく。また気恥ずかしくなって姿勢を正すと王子が拍手をくれた。
「やはり達者だね」
立ち上がり、ポルカのそばに立って手をにぎる。
「まだお母さんほどではないにせよ、その歳でこれだけ踊れるのはすばらしい。ごらん、みんなもきみを気に入ったようだ」
王子が顔を向けると楽士たちも次々とうなずいた。ポルカは頬が熱くなるのを感じる。
「ポルカ、きみさえよければぼくの踊り子になってくれないか。稽古を積めばもっとうまくなる。そして、その過程をぼくに見せてほしい」
驚いたが、ポルカはこくこくと首を振った。それを見て王子はまた笑みを浮かべる。
離宮に温かな歓迎の拍手が響きわたった。
***
ポルカの日常が一変した。王子のもとで音楽を習い、踊りも学ばせてもらえるようになった。とても満ち足りた日々をすごしていた。
しかし一座の中で未だ先の見えない者もいる。
城の食堂の奥でアスワドは毎日酒をのんでいた。ひとりだけ声もかけられず、やけになっているようだった。
そのうわさを聞いてポルカは彼と距離を置いていた。なにしろ虫の居所が悪いだけでひとをぶつ男だ。この状況、顔をあわせればなにをされるかわかったものではない。
しかしその努力もむなしく、ある日、離宮に向かう途中で出くわしてしまった。
罰当たりにも英雄の像を背にして、にやにやしながら腕を組んでいる。
「よう、ポルカ。王子さまとのレッスンは上手くいってるか」
含みのある言い方だった。無視して通りすぎようとしたが、腕をつかまれる。
「いいよな、おまえは。ガキのころからよくできた母親がいて、踊りも教えてもらって、こんなところで認められて。もはや将来も安泰ってか? 大したタマだよ、ったく」
いつかのように顔をずいと近づけられてもポルカはじっと耐えた。
「すこしはかしこくなったみたいだな。上等なおべべ着せてもらって、しとやかになったか?」
アスワドの手が着ているワンピースに触れる。この一帯の民族衣装で赤地に緑で伝統的な模様が織られている。王子が贈ってくれたものだった。
むずがるように身をよじらせると、とつぜん抱きすくめられた。
「おまえはいつもそうだ。ガキのくせにお高くとまって、オレをばかにした目で見てきやがる。シスルの手前、今まではがまんしてきたけどよ。もう限界だ」
ブラウンの目に暗い火が見えた。
のどに力をいれ、声をあげようとしたが口をふさがれる。あっというまにかつぎあげられると離宮とは反対の方向へ連れていかれた。
ポルカは初めてアスワドを心の底からこわいと思った。
やがて彼は城の門から抜け出て、街をとおりすぎ、ポルカを連れて別の地へと去っていった。