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やっと他の町に着き、宿へ連れ込まれたときにポルカは全身から力が抜けた。アスワドはさっさと下の酒場へ姿をくらましている。しかし逃げればすぐに見つかってしまうだろう。
宿の主人に強く言いつけているのを聞いた。
目がうるみ、ベッドへ倒れると顔をまくらに押しつける。泣き疲れてそのまま眠った。
翌朝、自然と目を覚まし、宿のそばにあった井戸で顔を洗っていたらアスワドがやってきた。
「起きたか」
おびえて後ずさるがにじり寄られる。
「大人しくしてりゃ痛いめにはあわさねぇよ。当面は、これまでどおり追いかけっこでもして日銭を稼ごうぜ。そういうことだから、よろしくな、相棒」
それからというものポルカはアスワドと再び茶番劇を演じることになった。捨てたはずの衣装を着ての、王子との稽古を経て演じる道化は退屈だった。しかし従わなければ二度と城に戻れない気がした。
きっと助けが来る。その日まで、この男の言うことを聞かなければ。
母のシスルと団長の唄声がないと客足も少なかった。同じ町で繰り返せば数日で数えるほどしか客が集まらなくなる。
「くっそぅ、こんなんでなにが食えるってんだよ」
アスワドの愚痴を聞く機会も増えた。安い酒場で夕食をとっていたとき、パンにかぶりつくポルカのとなりで酒の入ったさかずきをカウンターテーブルへ叩きつけた。
忌々しく睨みつける視線の先には数えるほどの硬貨しかない。
カウンター越しに食器を拭っていた店主が茶化した。
「まぁまぁ兄ちゃん、そう腐るなよ。そっちの女の子の踊りは大したもんだ。どうせならその子をもっと前面に出せば客も増えるんじゃねぇか。なかなか可愛い顔してるし、仮面で隠してちゃぁもったいないぜ」
思いがけず褒められてポルカは笑ったが、アスワドは面白くない顔をしていた。
「それじゃあオレはなにをすればいいんだ?」
「金の管理ならおまえさんにもできるだろ。でも、そんときはその子にちゃんと稼いだぶん食わせてやれよ。あんたの成果じゃねぇんだから頭下げて感謝して」
「うるせぇ、だまりやがれ!」
剣のようにするどい声に店主とポルカ、はたまた他のテーブルにすわる客まで驚いた。アスワドはまたさかずきをとって一気にあおる。今度はしずかに置くと、
「オレだって……」
と小さくこぼした。ポルカはそんな彼を見て口もとを引き締める。
ここで嫌味ったらしい表情や態度を見せなかったのは、それまでアスワドがポルカに一度も手をあげることがなかったからだ。商売道具だからなのか、それなら殴って従わせるぐらい訳ないはずなのに彼はふしぎなほどポルカに優しかった。
食事はまずポルカに与えてくれるし、泊まる宿の主人に頼んで湯あみもさせてくれた。そのときは部屋を留守にするなど男性としての気遣いも見せてくれた。
店を出るときアスワドが寒そうに白い息で手を温めていた。季節は夏から秋へ移るころ。夜に薄着は冷えるのに面倒なのか彼は変わらず上半身は黒の上着一枚だけ。
ポルカがそっと身をすり寄せると、彼は意外そうに、
「ガキだからやっぱりあったけーなー」
と笑った。その顔が思ったよりも子どもっぽいのが印象的だった。
それから数日経ち、稼ぎが底をつきかけて次の町に着いたとき、彼はポルカだけ宿に預けて外へふらりと出ていった。
朝になると驚くほどの金貨を手に戻ってきたので、おおかた賭博にでも行ったのだろう。
「ちょっとした手口があってな」
そのことばからイカサマを使ったことが知れた。
陽が高くなってから、その町で初めて劇を披露した。相変わらず人足は少なく、アスワドの稼いできた金を切り崩して当面は生活するしかなさそうだった。
ポルカは銅貨を数えながら思う。そうすると彼はまたイカサマをするのだろう。金の尽きるたび、何度も卑怯な手口で稼いできてくれる……。
なぜだかポルカは彼にそのような真似をさせたくなかった。言葉づかいこそ粗野だが、今のアスワドは前ほど悪いやつではない。
だからこそ、彼がイカサマをしなくてもよいくらい稼がなければ。
自分の踊りならできるかもしれない。
数少ない観客も遠ざかろうとしていたとき、ポルカは記憶から音楽を引っ張りだし、ステップを踏みはじめた。王子と、あの楽士たちが教えてくれたなつかしい音とともに。
その場にはないはずの音楽をポルカのからだが奏でた。
ひとびとが振り返る。ポルカの踊りは以前とちがって、過去を懐かしむより未来へ進む意思が感じられた。力強い足取り。からだ全体がきりきりとねじれるように鋭い振りつけ。
踊り終えたときには息が弾んでいた。
ぼやけた視界を見渡すと、大勢のひとびとがポルカを囲んで拍手で迎えてくれた。
「なぜかわからないけど、とても心を揺さぶられた」
観客のひとりが涙声で言い、屈むとポルカの頬にキスをしてくれる。
ポルカは勢いをつけて振り向いた。アスワドの喜ぶ顔が見たかったからだ。
しかし見た光景は反対だった。彼のブラウンの瞳から流れていたのは、透明のしずく。
駆け寄ってアスワドを見上げると力強く抱きしめられる。
「……本当に、大したやつだよ、おまえは。それに比べて……」
彼の熱い涙がポルカの小さな肩を濡らした。
***
「オレに踊りを教えてくれ」
その夜、宿に戻って部屋に入るや否やアスワドに頭を下げられた。
ベッドに腰を下ろしたポルカは目を丸くして彼をじっと見あげる。稽古ぎらいの彼が、いったいどんな心境の変化だろう? 首をかしげると一息で言われた。
「オレはもうおまえをぶったりしない。もちろん、稽古中にサボりもしねえ。途中で投げ出すのもなしだ! だからおまえの踊りの技術をオレに教えてくれないか」
頼みこむアスワドの頬が上気している。熱意を感じ取り、ポルカはこくりとうなずいた。
次の日から特訓がはじまった。
朝から宿の物干し場を借り、洗濯ものが青空になびく中でのこと。旅人たちの、色とりどりの布地の影に大小二つの影が舞う。
小さなほうが軽やかに地面を蹴ると、追って巨体がどしんと飛びあがった。
ポルカはアスワドに振りかえり、しずかに首を横に振る。彼は無言でふたたび跳躍した。失敗するたび手本を見せてやる。
すべての振付でこれを繰り返すのだから根気がいった。
太陽が空の真上にのぼるころにはふたりとも汗みずくになっていた。
「よし、ポルカ。いちどとおして合わせてくれ」
アスワドが汗のしたたる顔を振りあげた。ポルカはひたいに張りつく黒髪をかきわけ、最初の姿勢をとる。アスワドが続く。かすかにそよぐ風にまぎれて呼吸がきこえた。
それがぴたりと重なった瞬間、ふたつのからだが動きだす。
まるで一本の糸でつながっているようだった。見る者が観ればまだ稽古不足と判断するかもしれない。しかし一方が動けばもう一方も追いかけ、時に重なり、時に離れ、ふたりのからだが交差する。呼吸がふぞろいになったときはポルカが耳をかたむけ、アスワドにそろえた。
近づけた手のひらに触れなくとも、汗ばんで濡れた感触がわかる。
ふたりの中に息づくリズムが確かにあった。
踊りの終わるころ、ポルカが地を蹴るとアスワドの両腕がぴんと張って前へと伸ばされる。
日灼けした胸に飛び込んだ。音楽と化していた呼吸がふたりぶんの息づかいに戻ってゆく。触れた耳に心臓がとくとく鳴るのが伝わった。
長く稽古につきあったポルカはアスワドの腕へくたりと身を任せる。
「どうだい、先生。ちったぁ上達したかね?」
生徒の質問に顔だけをあげてかすかに笑った。