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その日からポルカたちの演目は無音のうちに交わされるダンスに変わった。ポルカは道化の衣装でなく、王子からもらったワンピースを着て舞った。あたりを飛び跳ねていた道化とはちがい、たしかに彼女が女の子だとわかる。
回数を重ねるたびにふたりの息が合っていった。アスワドの腕がポルカをエスコートすることすらあった。身をゆだね、より自然にステップの踏めるようになったポルカは踊る最中に笑みをこぼすようになっていた。
ひとびとにもその空気が伝わるのか、すこしずつ観客が増えていった。新しい街に行くたびにふたりを囲む人だかりが多くなる。
「これもおまえのおかげだ、ポルカ」
宿に戻って硬貨を数えていると、アスワドがポルカの黒髪をくしゃりと撫でてきた。ふしぎなことにまったくいやではなかった。
その夜ポルカは目が冴え、寝つけなかった。となりのベッドで眠るアスワドの寝顔をじっと見つめて時間をつぶした。
口をだらしなく開けていびきをかき、からだにかかる毛布は今にもずり落ちそうだった。
母や団長がいたころと変わらぬ寝姿。だが昼間にアンコールを重ね、疲れているのだと知っている。
ポルカはベッドから降り、アスワドの無防備にさらされている腹へそっと毛布をかけた。
ただ行く先々の町でいくら人を呼び寄せても裕福からは程遠かった。街ゆくひとが投げる硬貨はそう多くなく、町ですごすあいだの宿をとるので精いっぱいだ。
人々がふたりの踊りに飽きたら次の町へ移動する。そんな日々がつづいていた。
そうした中、アスワドとその日の夕食をとるべく店へ向かっていたときのこと。ポルカの青い瞳に、露店でひろげられた、色鮮やかな紋章が染め抜かれたワンピースが映った。
ちょうど王子からもらい受けた一張羅が古くなってきたところだ。
「お嬢ちゃん。あんたの象牙色の肌に、この淡い青色は映えるだろうね」
店主の老婆が顔じゅうしわくちゃにしてほほ笑む。人懐こい笑みに気を許し、すすめられるがままにワンピースを手にとってからだに合わせてみる。
「へぇ。紅もいいけど青も似合うんだな」
そばにいたアスワドもそう言ってくれるので、ポルカははにかんだ。
「いくらするんだ?」
すかさずアスワドが訊くと老婆の口から思ったよりも高い値段が出てくる。
「ちぃっとまけてもらえないか」
「ニーサン、この染織物は希少品でね。これでも安いほうなのさ」
けっきょく交渉がうまくいかず、ワンピースを店に戻した。
帰りぎわにアスワドを見あげるとどこか考え込んでいる顔をしている。
ポルカの胸にツキンとした痛みが走った。もしかしたら……いや、そんなことをするはずがない。彼にとってポルカは仕事仲間でしかないはずだ。
危険をおかすはずがない。そうはわかっていても不安が心へ暗雲のように立ち込めていた。
食事をとってから宿に戻り、床についてポルカが寝入ったふりをしたのを見守ったあと、アスワドがそっと部屋を出ていった。
***
翌朝、不安が的中した。アスワドが息を切らして入ってきたので目をこすりつつ起きると、
「ポルカ。きのうのババアがまだいたから買ってきてやったぞ」
そう言ってひろげられたあのワンピースは朝陽の中で眩しく見えた。
「着てみせてくれよ」
頼まれればすなおに着るしかなかった。部屋から出ていってもらい、そでを通すとまだ毛羽立ってもいない布地のやわらかさに包まれる。
入ってくるなりアスワドが褒めてくれた。
「似合うじゃねぇか。今日はそれを着ていっしょにおどろう」
うれしくもあったがすなおに表情に出せず、あいまいな笑みしか返せなかった。
おそらく深夜にアスワドはまた賭博へ出かけたのだ。たしかな証拠はないものの、このワンピースを買う金などきのうまでなかった。きっとイカサマをして勝ったのだろう。
アスワドに手を引かれて町を歩くと肩が重かった。通りすぎるひとすべてが自分を見ているのではないかとおびえながら日中すごした。
アスワドと踊るときも、いつもより調子が出なかった。
すくない硬貨を数えると、またアスワドがイカサマをするのではないかと怖くもなる。そんなポルカの蒼ざめた顔を覗き込んで彼は問いかけてくる。
「だいじょうぶか?」
問い以上の感情が声から感じとれず、また哀しくなった。
その日の夕食はいつもより良いものを食べさせてもらえた。ポルカのために宿からもう一室借りようか、と言われたが首を振る。
また心配そうな顔をされたので、ふだんより早く床についた。
しずかな夜だった。アスワドもいびきをかかず、ぐっすりと眠り込んでいるようだった。ポルカは耳をすませて遠いフクロウの声をきいていた。
そのとき、複数の男の声が下の階から聞こえてきた。叩き起こされた宿の主人がなにか言っており、その後けたたましい物音がする。大勢が階段をのぼってくるのがわかった。
なにがあったのかと上半身だけ起こして身をかたくする。アスワドもむくりと起きあがり、ぎらついた目で扉をにらんでいた。
その扉があっさりと蹴破られる。いかにも柄の悪そうな男どもが四、五人。
「探したぜ、舞踏家のあんちゃん」
ひとりが暗闇でにやりと笑った。それを囲む男どもの口もとにも冷ややかな笑みが浮かぶ。
ポルカはぞっとして毛布を胸まで引っ張りあげた。
「なんの用だ」
アスワドのドスを効かせた声も効果はない。
「なあに、ズルしたあんたにちょっとばかしお仕置きをしにきたのさ」
「知らねえな」
しらを切る彼の胸倉を、やってきた中でも屈強な男がつかんだ。
「証拠もあるんだ。昨夜稼いだぶん耳を揃えて返してもらおうか」
「そう言うなら証拠とやらを見せてもらわなけりゃぁ」
男が舌打ちをする。もしかしたらアスワドは本当にイカサマをしていないのだろうか。
だとしても男どもが彼を見逃すつもりなどないことは明らかだった。
「……わかったぜ。見せてやるからいっしょに来い」
「いやだね。隙をついて殺されるのがオチだ」
火に油をそそぐとはこのことだ。男どもがしんと静まり、ぶきみな沈黙が部屋に満ちる。
そして拳が振りあげられた。アスワドの腹をめがけて。
苦しげな短いうめき声。すかさず次の鉄拳が飛ぶ。目の前でくりひろげられる暴行に、ポルカはまず目をおおった。だがこのまま放っておけばアスワドは死ぬか、連れてゆかれるか。
からだを震わせながらもベッドからおり、渦中へ飛び込んでいった。男の太い腕にしがみついて体重をかける。
「なんだ、このガキ!」
振り落とされそうになるのを必死でこらえた。男の据わった目と視線が合う。
首を横に力なく振れば男が口を閉じた。まわりにいる男もアスワドを殴る手を止め、蹴る足を引っ込めてじっと見てくる。
ねっとりとした視線に囲まれて身がすくんだ。だが手を離せば男たちは再びアスワドを傷つける。ポルカが動けないでいると男の口もとがゆるんだ。
「あんちゃん、この子を売ってくれんなら今回のことはチャラにしてやるぜ」
驚いた隙に、あっけなく振りほどかれる腕。アスワドに話を持ちかけた男がポルカを抱きすくめ、高くあげた。父が子どもにするような格好だがポルカには恐怖しかなかった。
「よく見るとなかなか上玉だ。もうすこしすれば踊るだけじゃなくて他でも稼げるだろう。あの店はいろいろ扱ってんだ、この子は良い商品になる」
かたかた震えたが同時に覚悟も決めなくてはならないと感じていた。
自分が犠牲になればアスワドは助かる。彼が望むならそれでもいいと思った。そもそも賭博に手を染めるきっかけになったのは自分だ。
下から見上げられ、じろじろと眺められるのは怖気がしたが必死で耐えた。
一時だけ解放されたアスワドはうつむいて黙っている。真っ赤に腫れあがったまぶたの下のまなざしは暗闇の中でもぎらついていた。
ポルカはただ彼の判断を待つ。
「……その汚ねぇ手を離しな」
アスワドがまず、そう言った。そして瞬きする間もなく、その拳がポルカを抱え上げる男のあごにめり込んだ。肉のつぶれるいやな音がする。
「このやろう!」
男どもが一斉に襲いかかった。だがアスワドは今までが嘘のような身のこなしで複数の男たちに立ち向かってゆく。気絶した男の身を投げつけて足留めし、横からナイフを取り出した男の腕を手刀で叩き落とした。骨が折れたのか男の腕がありえない方向に曲がる。
「きさまら、オレだけならまだしもその娘に手出ししたら容赦しねぇ!」
ポルカは扉に向かって走った。アスワドがそのつもりなら自分は捕まってはならない。宿の主人はおそらく男たちに殴る蹴るなどされて動けない。
ならば町の警備隊まで駆けつける。階段をもつれる足で降りながら、目をこすった。
息が苦しくても立ち止まらず、裸足のまま夜の町を駆けぬけていった。
アスワド、どうか無事で。それだけを願いながら。
***
警備隊がやってくると、男どもはたちまち御用になった。アスワドはポルカが最後に見たときよりも顔が膨れあがり、真っ赤になっていた。目を覚ました宿の主人がすぐに濡らしたふきんを持ってきてくれたので、それをあてがっていると警備隊のひとりに声をかけられる。
「あんたも目立つ真似はしないほうがいいよ。ここらはガラの悪い連中がうようよしてるから」
それでポルカもアスワドがここまでされる理由がわかった。
「ちと魔がさしただけさ」
くぐもった声で答える彼は、どこか居心地が悪そうだった。
男どもが連れてゆかれるとしずけさが戻ってくる。まずベッドのそばの燭台にろうそくを灯し、アスワドをベッドに寝かせた。
しばらくしてから話しかけられた。
「城からさらってきたってのに、なんでおまえはオレによくしてくれるんだ」
ポルカは答えなかった。自分でもわからないからだ。
最初は不安で泣いていたのに、踊るのもいやだったのに、今ではふたりで踊って日々を暮らし、こうして身を寄せ合って生きている。すこし前なら考えられないことだ。
いまのポルカが道化としてアスワド扮する剣士と追いかけっこをしても、きっと上手くはいかないだろう。あのころは腹いせから本気で蹴られることも多かった。アスワドだって同じだから傷つけたってへいきだと思っているにちがいないと。
それがいまでは、放って床につけないほど心配させられている。
「……オレはおまえがうらやましかったんだ」
ばつの悪そうな顔でアスワドが明かした。
「父の顔も母の顔も知らない。団長に拾われるまで盗みやバクチ、ケンカで相手から金をかすめとることで一日をやっとしのいでいた。そこをただ見目がいいだけで職につけてもらえるなんて幸運だったと思う。だが日に日に大声を出して暴れるしかねぇ自分に嫌気がさしてきたんだ……シスルやおまえを見ていてな。団長だって落ちぶれてはいたが声は良かった。なにもないのはオレだけだ。だから城でも適当にあしらわれるだけだった。わかっていたが認めたくなかった。また元の生活に戻るのもごめんだ。そんなとき、おまえが王子に声をかけられたと聞いていままでの不満が爆発してな。ひとこと嫌味でも言ってやろうと思ったんだ……」
包帯の下にある瞳がポルカを映している。ろうそくのあかりに照らされ、暗闇にふたりだけ切り取られたように思えた。
「あのとき、おまえを見て驚いた。いつも道化の衣装を着ていたからわからなかった。シスルの娘なんだから当然なのに……」
ポルカはしずかにうなずき、アスワドの手に自分のてのひらを添えた。
傷のせいか熱っぽかった。
「気づけばおまえを城から連れ出していた。宿で泣きつかれて眠っているおまえを見て、とんでもないことをしたと思った。でも連れ帰したら捕まっちまうし……なにも考えずに動くのはよくねぇな、あとで悔やんだって遅ぇんだ。『だからできるだけ優しく』と頑張ってはみたが、結局オレにできることと言えばこんなことだけだ。一座に入る前とすこしも変わらない」
申し訳なさそうに詫びるアスワドの手を何も言わずに撫でつづける。口もとには自然と笑みが浮かんでいた。腫れた目で見づらそうに見上げてくる。
「おまえ、ほんとに喋らねぇよなぁ」
そう言うとアスワドはむずかしそうに笑った。
***
次の日はアスワドが来られないため、ポルカひとりだけで広場で踊った。だれかとタイミングを合わせることなく自分のリズムで踊るのは楽だがさみしくもある。
彼といる時間が長すぎた。踊り終えて硬貨を集めるとすぐ宿へ戻った。
だがそこで見たものは町の警備隊など比べものにならないほどりっぱな部隊。白い旗になびく紋章に見覚えがあった。少人数ではあるがよく訓練された本物の騎士たちが宿に馬車と馬をとめ、だれかを待っている。
立ち尽くしていると宿を囲んでいた騎士のひとりが声をあげた。
「おお、見つけたぞ! 王子の踊り子だ」
ポルカに駆け寄ってくる彼らは誇り高い白の鎧に青のマントを身にまとっている。晴れやかな表情で手をにぎられ、たじろいでいると宿から担架のようなものでなにかが運ばれてきた。
包帯から浅黒い肌が覗いている。アスワドだ。
ポルカは彼のもとへ走ろうとしたが止められてしまった。
「我々が来たからには、もうだいじょうぶ。あの男を恐れる必要などありません。それにいまは重傷の身。なにもできやしません」
安心させようと穏やかに笑って告げる騎士。
ポルカはうまく声を出すべく息を吸い込んだ。しかし喋ろうとしたとたん、ことばがのどでつっかえる。ひゅうひゅうとのどを鳴らしているあいだにアスワドが別の護送車へ押し込まれた。
なにか言わなくては。彼を助けなくては。
そうは思っても、ポルカはどうしてもうまく喋ることができない。
「ひとりきりで、さぞ恐ろしかったでしょうね……。王子も心配されています。戻られればきっと優しいおことばをかけてくださることでしょう!」
必死になればなるほど彼らは誤解する。騎士らしく丁重に馬車まで案内された。
「さあ、城へ戻りましょう」
ポルカの青い瞳から、涙がひとすじ流れた。きっとそれすら恐怖によるものだと思われたにちがいない。
彼らにとって、ポルカは悪漢にさらわれたかわいそうな女の子でしかないのだから。