他の拙作「或る一級呪術師の異世界日常」と並行して投稿していきたいと思います。
夏の終わり、東京の街は夕陽に染まり、ビル群のシルエットが橙色の空を背にゆっくりと浮かび上がっていた。俺たちが乗る車は、静かな路地を抜けて、幹線道路へと滑り出してゆく。
特級・一級相当の呪霊がようやく祓い終わった頃、一級術師になった俺は、専属の補助監督の
「東京の名店って分かんないんで、榊さんおすすめのお店とかあるんですか?」
助手席の俺が訊くと、運転席の榊希葉さんはハンドルを握ったまま軽く笑った。
「ありますよ。今日はあなたの“復活祝い”ですからね」
運転席から返ってきた言葉に、俺は一瞬眉をひそめた。
「復活祝いって……そんな大げさな」
「大げさじゃないですよ。
榊さんは片手でハンドルを切りながら、ミラー越しに小さく笑った。
窓の外には、夕暮れに染まる東京の街並みが近づいてくる。
長かった地方任務が終わり、こうして都会に戻ってくるのは久しぶりだ。
「ま……こういう時くらいは甘えますかね」
「そうしてください。じゃないと私の予約が無駄になりますから」
「うわ、それ断れないやつじゃん」
そんな軽口を交わしているうちに、店に到着した。
落ち着いた外観の和食店。暖簾をくぐると、木の香りと出汁の匂いが迎えてくれる。
客はまだ少なく、静かな雰囲気が漂っている。
「今日のメニューは、希葉さんにお任せしたいと思います」
「わかりました。お腹いっぱいになるように選びますね」
店内は落ち着いた空間で、ゆったりとした音楽が流れている。
席に着くと、榊さんはすぐにメニューを広げた。
「ん?、復活祝いってことは……もしや、奢り?」
「まさか。割り勘です」
「ですよねー(棒)」
笑い合いながら、季節の天ぷら盛り合わせやだし巻き卵、刺身の盛り合わせ、煮物を頼んでもらった。
料理が運ばれると、香ばしい天ぷらの音や甘いだし巻き卵の香りが食欲を刺激する。
「久しぶりにゆっくりできる気がします」
「そうですね。お疲れ様、煉さん」
天ぷらは衣が薄くサクサクと音を立て、だし巻き卵のふんわり甘い香りが漂う。
刺身は新鮮で、切り口から透き通った光が差し込んでいる。
「うまそー」
「でしょう? 今日はゆっくり食べてくださいね」
箸を取り、ひと口食べる。
口の中に広がる豊かな味わいに、自然と顔がほころんだ。
次は煮物でも食べようと、箸を伸ばそうとした瞬間、ポケットのスマホが震えた。
画面には「呪術高専・学長」の文字。
嫌な予感が、出汁の香りをかき消していく。
「……なんだ?またか?」
少しうんざりしながら、メールを開いた。
画面には、短くも重みのある言葉が並んでいた。
『八雲煉殿 貴殿を呪術高専特別教諭に任命する…』
「……は?」
目を見開き、思わず声が漏れる。榊さんが箸を止め、首をかしげた。
「どうしました?」
「いや……なんか、面倒くさいことになりそうです」
こうして俺の“復活”は、ろくに祝われる間もなく、また非日常に引き戻されることになったのだった。
――『八雲煉殿 貴殿を呪術高専特別教諭に任命する。生徒の指導及び技術向上のため尽力されよ』――
美味しい料理を頂きながら、榊さんに先ほどの事態を説明する。
「特別教諭って……高専の教師ってことですよね?」
榊さんは湯呑みを手に取り、落ち着いた声で尋ねる。
「多分そうです。任務の合間に一年や二年に術式の指導とか……いや、これ絶対面倒なやつだ」
「何を言ってるんですか。あなた、人に教えるの得意でしょう」
「いや、得意っていうか……そんな余裕があるかって話で」
榊さんは笑みを浮かべながらも、真剣な眼差しで言う。
「煉さんなら、後輩たちのいいお手本になれますよ」
「そうだといいけどな……」
俺は漬物を一口つまみ、ため息をつく。
味は旨いのに、口の中がやけに乾く。
「でもまあ、学長から直々ってことは、断る選択肢はないんでしょうね」
「そうですね。任命通知が“メール”で来るあたり、急ぎなんでしょう」
「いやそこはせめて電話で……」
「メールの方が逃げられないじゃないですか」
「……そういうもん?」
「そういうもんです」
榊さんはクスリと笑い、天ぷらの衣を箸で割った。
油の香りが広がり、さっきまでの不満が少しだけ薄れる。
「まあでも、いいじゃないですか。後輩の成長を見られるんですよ」
「それは……まあ、悪くはないですけど」
「ふふ、ほら、そうやってすぐ顔がやわらかくなる」
指摘されて、俺は少し視線をそらした。
料理を口に運びながら、窓の外を眺める。
街灯が灯り始めた東京の夜は、静かで穏やかだ。
この時間だけは、呪霊も、任務も、何もない世界に思える。
——だからこそ、今を味わっておきたかった。
次にこんな時間が来るのは、いつになるのか分からないのだから。
榊さんが湯呑みを置き、ふと俺を見た。
「……そういえば、煉さんって高専時代、どんな学生だったんです?」
俺は箸を止め、少しだけ笑みを作る。
「楽しかったよ。……まあ、その分、つらい思い出も多かったけどな」
「……あぁ」
榊さんの声が、わずかに低くなる。
彼女は大まかな事情を知っている。
だが、軽々しく口に出すような話じゃないことも、理解しているはずだ。
「自分が一年の頃には、京都の動乱の件もあって、三年の先輩が全滅した。二年の先輩も、一人残して全滅。
その一人も、結局一年後には死んじゃった。」
思い返すたび、胸の奥が鈍く痛む。
当時の光景が、夕暮れの店内に溶け込むように蘇る。
何もできなかった、あの光景。
周りの人間の死は、自分が先輩になってからも続いた。
「自分の一個下の後輩も……全滅した。二個下の後輩は、一人だけ無事に卒業したけど、それ以外は全員、帰ってこなかった。」
榊さんが小さく息を飲み、「ちょっと……そんな話、ここでしないでよ」と苦笑する。
だが、俺は首を横に振った。
「でもな、何より辛かったのは……同級生だよ、榊さん」
箸を握る指先に、自然と力がこもる。
「二人いた同級生、二人とも死んだ。任務中に、あっけなく」
短い言葉の中に、何度も見た血の色と、消えた声が詰まっている。
榊さんは、俺の視線をまっすぐ受け止め、静かにうなずいた。
「……そうだったね」
その一言に、慰めの感情と、同じ現場を知る者だけが持つ重さがあった。
彼女もわざわざ「大変だったね」なんて安っぽいことは言わない。
ただ、そこにいる。それだけで、少しだけ息がしやすくなる。
「……悪いね、変な空気になっちゃった」
「別に。あなたが話したくなったなら、それでいいんですよ」
榊さんは湯呑みを持ち上げ、ひと口すする。
湯気が、彼女の横顔を柔らかく包み込んだ。
しばらく沈黙が続いたが、不思議と嫌な静けさではなかった。
ただ、過去と現在の狭間に漂うような、穏やかな間だった。
「……まあ、今となっちゃ、その辺りも含めて“経験”ってやつですけどね…」
「そうですね。だからこそ、後輩たちには同じ経験をさせたくないわけですよ。」
榊さんの声には、ほんのわずかに力がこもっていた。
俺はその言葉に、口元だけで笑ってみせた。
窓の外には、夜の帳が降りはじめ、街灯がゆっくりと輝きを増していく。
これから待っているのは、新しい役職と、新しい日々。
――だが、その背中には、過去の重みが確かに乗っている。
それでも、歩くしかない。
あの頃と違って、今は横に榊さんがいるのだから。