どうも。レミエールを2凸&餅武器にしたせいでシグリットガチャを見送った者です。
でもクラレッタガチャは引きます。まさか令和の時分にあんな良質なツンデレを摂取できるとは思いませんでした。
最近ではゼンゼロ以外のソシャゲのガチャはとんと引かなくなってしまいました。惰性で続けるくらいなら別に続けなくともよいのではないのではないかとも思いますが、何となく後ろ髪を引かれてしまうものでして。
この小説、スウェイン編は年内に終わらせようとも思ってたんですが、終わらないであろうことがほぼ確定しましたので、まぁマイペースに更新していこうと思います。よろしくお願いします。
その日、スウェインは朝から拘束されていた。
と言っても、別に鎖か手錠などで身動きが取れなくなっていたわけではない。ただ朝ベッドの上で起きた瞬間から、何故かいつの間にかベッドに潜り込んでいた実の姉にずっと引っ付かれているだけである。
着替える時も、洗面所で顔を洗って歯を磨く時も、朝食の用意をする時も、朝食後のトレーニングの時もずっとである。スウェインとしては姉がずっと寝ぼけていて自分を巨大ぬいぐるみか何かと勘違いしているのではないかと訝しむ余地すら出てくるほどであった。
とはいえ、アストラがこうして弟に甘えてくることそのものはあまり珍しい事ではない。今日のように弟と休みの日が重なる貴重な日となれば、彼女はいつも以上にだらけて弟に世話されっぱなしになる。
一度その惨状をイヴリンに見られて咎められたが、一見ひたすら怠惰に過ごしているように見えて実は彼女なりの最も効率の良い自身のメンテナンスであると分かってからは黙認するようになった。
新エリー都でも屈指の美女にひたすら頼られ、甘えられ、物理的な距離もほぼゼロに近しい状況。異性どころか同性ですら冷静ではいられない光景だが、そんな状況下でもスウェインは動揺する事もなく家事を片付けていく。
「姉さん、暑いし動きづらいです。少し離れてください」
「えー、でもスフィーと一日一緒にいられる貴重な日だもの。離れたくないわー」
「……どうしたんですか。なんかいつもより引っ付いてくる時間長くないです?」
朝食に使った皿やらグラスやらを洗っている間、その長く美しい腕を弟の首周りに絡めて、顎を頭の上に乗せて上機嫌なアストラ。
ただ、その上機嫌な様子もスウェインから見れば何やら引っかかるところがあったようで、水を止めてからそう訊いた。
するとアストラは、首周りに回していた腕に少し力を込め、弟を強めに抱き締めた。
「……最近はスフィーが危ない事ばかりしているんだもの。お姉ちゃんが何の心配もしていないと思ってる?」
「それは、ホントにすみません」
「謝らなくても良いわ。そこでバイトするって聞いて、応援するって判断したのは私だもの。スフィーは私のために強くなろうとしてくれていて、言葉通りちゃんと強くなってくれてるのも分かるわ。――でもね」
声が沈み込む。その声はアストラが「家族」と見なした者にしか聞かせないものであり、ファンには決して見せない弱さでもあった。
「それでもずーっと心配してるの。スフィーがいつかいなくなったらどうしようって。イヴから聞いた? クリティホロウでスフィーが大怪我を負ったって聞いた時、ずっと上の空になっちゃって、見かねたイヴが午後の予定を全部キャンセルしてくれたの。いつも締め切り厳守って言ってくるあのイヴが」
スウェインは与り知らない事であったが、『ヴィクトリア家政』と関係の深い病院に担ぎ込まれたスウェインの姿を見たアストラの憔悴と狼狽はかなりのものだった。それこそ、拉致された時と同じかそれ以上くらいには。
そんな思いをしてもなおアストラが弟に危険なバイトをやめるように言わなかったのは、ひとえに弟を信じているからである。
最愛の弟が自分を置いて死ぬわけがない――心の中心にはその信頼が根付いている。その願望がただの砂上の楼閣でしかない事は彼女自身理解しているが、
「でもホントはね、スフィーにはずっとそばにいて欲しいの。ずっとだらしない私のお世話をして、イヴと一緒にずっと私を支えて欲しい。……でもそれは私のワガママ。スフィーには私に縛られずに自由に生きて欲しいから」
弟が自分のせいで窮屈で楽しくない半生を送ってきたのは十二分に理解できていた。その事に負い目を感じていなかったと言えば嘘になるが、不幸中の幸いだったのはスウェイン・ヤオという少年の精神が思っていた以上に早熟であった事だろうか。
リアルでもインターノット上でも悪意に晒された日々でなお、彼は純粋に姉を慕い続けていた。彼にとって自身が蔑まれることは、最愛の姉を蔑む理由には成り得なかった。
「僕は今でも自由に生きているつもりですが? まぁ生活費を姉さんに負担してもらっている身でなに生意気言ってるのかって話ですが」
「むー。スフィーは私が最愛の弟をほったらかして生きていられる人でなしだと思っているのかしら?」
「それと同じです。姉さんが好きで僕の面倒を見てくれているのと同じように、僕が姉さんの傍でお手伝いしているのは僕が好きでやっている事です」
この言葉自体、今まで何度言ったか分からないほどだ。それでもたまに、アストラはスウェインの自由意志を確認してくる。返す言葉はいつも同じだというのに。
「僕は、姉さんに嫌われない限り姉さんから離れるつもりはありません」
情欲ではない、罪悪感でもない。幼い頃に自分を守ると誓ってくれた人を守り続けたいと思うのは当然の事であると――そうスウェインは思い続けている。
どちらかが欠ければまともに飛ぶことも叶わない比翼連理。その表現に誤りが一つあるとすれば、彼らが夫婦の間柄ではないという事だけ。
「だから、僕は姉さんの前以外で死ぬつもりもありませんよ」
「……ダメよ。スフィーが死ぬところなんて見たら、私きっと狂ってしまうわ」
「では訂正しましょう。僕は、姉さんより先に死ぬつもりはありません」
そこまで言うと、ようやくアストラは腕の力を緩めてスウェインの体から離れた。
振り向くと、そこには安堵の表情を浮かべた姉の姿。洗い終えたグラスを置くと、姉なのに年下の女の子のような様子を醸し出していたアストラに一つ提案する。
「では姉さん、せっかくの休日にずっと家の中というのも味気ないですし、お出かけでもしましょうか」
「あら、スフィーからのお誘いなんて珍しいわね♪ 私、スフィーと行きたいところが色々あるの」
「では、そうしましょう。……一応言っておきますが、ちゃんとそれなりの変装はしてくださいね?」
「はーい」
そう言うと、見るからに高揚した様子で自室に着替えに戻るアストラ。それを見送ってから、スウェインはスマホを取り出して本日訪れる予定の場所への連絡を始める。
恐らく今回もマトモに変装をするつもりはないんだろうなと確信し、帰るまでにインターノットに幾つのアンチスレが立つのかなどとどうでもいい事を考えながら、スウェインも一度自室へと戻って行った。
―――*―――*―――
「姉さんと映画館に来るのはいつぶりですかね」
「そうねぇ。私が女優デビューする前だから数年ぶりかしら」
ルミナススクエアの映画館『GRAVITY』。最新作から往年の名作・マイナー作まで様々な作品を上映している、新エリー都でも有数の規模の映画館である。
入り口正面の受付にいたお姉さんはアストラ(変装はいつも通りサングラスのみ)の姿を見た途端驚きのあまり目を丸くしていたが、彼女が人差し指を口元に持って行ってウインクを一つしただけで、ぎこちないながらも通常の接客スマイルに戻った。
流石はプロだとスウェインが感心していると、アストラは特に迷う事もなく二枚取ったチケットの内の一枚を手渡してきた。
「一番新しい姉さんの出演作ですね」
「スフィーはもう観てくれたのかしら?」
「ミナギと一緒に二回、一人だけで三回観ました。新ジャンルへの挑戦だったみたいですが、とても面白かったです」
『冥き屋敷の花嫁』。衛非地区で撮影を行ったというその作品は、従来のホラー作品とは少し違い、後半からの粘り着くような恐怖感が特徴の映画だった。
それまでの出演作『ファミリー・スピード』や『街灯のプリンセス』などではそれこそ従来の彼女に近しい役を演じていたものの、この作品ではいわゆる妖艶な悪女役――山奥の屋敷に客を誘い込み、怪異の餌食にするといった
アストラ的にも最終的に自信作になったという自推があったため今回観ることになったが、それはそれとして――。
「姉さん、確かホラー苦手でしたよね」
「じ、自分が出演してる映画だから大丈夫よ。多分、きっと」
「……もしかして、一人だと見る勇気が無かったから僕を誘ったんです?」
「そ――んなことは、ない、わよ? えぇ」
「いや別に僕は構わないんですけど、内容は完全に頭に入ってるはずなのに、それでも怖いんですか?」
「完成した後に映画PV見たら凄く怖かったわ……‼」
「うーん、演出っていうのは凄いですねぇ」
世間的には平日の午前中とのことで、幸いにも観客自体はそれほど多くはなかった。
それでも念のため人気の少ない席に並んで座って映画の開始時間を待っていると、開始直前で部屋が暗くなった段階で既にアストラは弟の腕をガッチリとホールドしていた。
「めっちゃビビってるじゃないですか」
「ちょ、ちょっと雰囲気に飲まれてるわ。前半はあんまり怖くないはずなのに」
「今日一緒に来たのが僕だからいいですけど、他の人と来るときは初手ネタバレは控えた方が良いですね」
既に五回も観ている身としては展開からセリフ回しまでほぼ覚えてしまっているため、いかにホラー映画と言えども驚く要素は皆無に等しかった。
それでも、怖くないシーンの時に隣の演者から小声で伝えられる舞台裏の話や演じてみての感想などは、聞いていて実に有意義であった。
だが、ホラーシーンが強く現れる後半になるとアストラは強く目を瞑る事が多くなる。目を瞑ったら瞑ったで聴覚からの恐怖感が強くなるだけだとは思ったが、そこは敢えて指摘しないでおいた。
「ピィッ‼‼」
「うるっさいですわシーザー‼ 郊外の覇者がなにホラー映画にビビってんですの‼」
「だ、だってよぉルーシー、オレ様こういう映画観るの初めてなんだぜ。『ホラーの中ではまだ怖くない方』とか言われてたけどよ、普通にメチャクチャ怖えーじゃねえかよ」
「そりゃあ怖くなきゃホラー映画失格ですわよ。そんなに苦手なら『ファイナル・パンチ』でも観りゃいいんですわ。きっとあなた好みの熱血映画ですわよ」
「だ、代行とはいえ覇者がユーレーごときにビビってられねぇだろ。……な、なぁルーシー、怖いシーン終わったら教えてくれねーか?」
「メンド臭いにもほどがありますわこの猪突猛進女‼」
どうやら自分たちと同じような組み合わせの観客が他にもいたらしいと分かり、少し安堵する。
しかしながら、この映画の後半からのホラーシーンはそれこそ絶え間なくやってくる。演じた本人であればそんな事も分かっていそうなものだが、アストラは時折薄く目を開けてはビクリと体を震わせていた。
いわゆるジャンプスケアと呼ばれるような恐怖演出はあまり盛り込んでいない映画ではあるが、その分じわじわと浸食してくるような尾を引く恐怖感が特徴的である。
故に、一度網膜に焼き付けた映像はしばらく瞼の裏に残り続ける。あまり見ないタイプの演出にスウェインは姉が主演しているという贔屓目抜きでこの映画を高く評価していた。
「怖いシーン終わったら教えましょうか?」
「お……お願いできる?」
やや涙目になりながら腕を絡ませ、そう懇願してくる新エリー都の歌姫。
果たしてこのシチュエーションを夢見る市民がどれほどいるのだろうか。普通であれば優越感の一つでも湧いてくるのだろうが、スウェインはプロの弟である。映画館の入り口で買ったLサイズのコーラを啜りながら、凝りに凝った恐怖感を呷る効果音が鳴るたびに細腕から出ているとは思えない力で締め付けられる右腕の痛みから意識をそらす。
やがて怖いシーンが終わり、映画そのものも終わりに近づいたところで合図すると、ようやく力が緩められる。
身バレ防止のためにスタッフロールが流れている最中にそそくさと映画館を抜け出し、近くの喫茶店のテラス席で飲み物に舌鼓を打っていると、不意にアストラが口を開いた。
「ねぇ、スフィーって役者とかに興味ない?」
姉の目を見る。茶化しているような雰囲気はない。世間話半分、本気半分と言ったところだろう。
「普段から感情の起伏が乏しい人間に対して何言ってるんですか。向いてませんよ」
「そう? スフィーって台本用意すればちゃんと役に入れるタイプだと思うけど? クール系の役とか凄い似合いそう」
「やれと言われれば一芝居くらいは打てますけど……いえ、やっぱり駄目ですね。銀幕にお出しできるレベルには至れませんよ」
「もう。スフィーってばそうやってネガティブに考えるんだから」
アストラ・ヤオが女優の世界に入ったのは会社の方針だったが、思っていた以上に当人の適正も高かったらしい。それまでのネームバリューがあったとはいえ、僅か数年で彼女は銀幕の世界でも有名女優に成った。
無論、アストラは成果を出すために出来る努力はした。し尽くしてきた。普段の言動が緩いせいで誤解される事もあるが、彼女は中途半端な成果を出すのを何よりも厭う性格である。
だがそれら全てを加味してもなお、アストラ・ヤオは芸能の神に愛された存在であるのだと確信を持って言える存在であった。
その躍進を間近で見て来たから分かる。自分は生涯、その分野では姉の影すら踏めない凡才であるのだと。
「僕は姉さんが輝く姿を見ているだけで満足なんです。それ以上を望むのは罰当たりというものですよ」
姉に敵わないから舞台に上がりたくない、という思いではない。半端者がその世界に足を踏み入れることで姉が誹られる事が恐ろしくてたまらなかった。
スウェインが人前で歌を唄う事が出来ない理由も同じであった。子供の頃だったとはいえ、自分の歌唱力を姉と比較して貶されただけならまだしも、それによって歌手として華開いたばかりの姉の才能すら疑われたのがトラウマとなったのだ。
以来、スウェインは誓った。己のチャレンジ精神の低さを咎められようと、決して姉と比べられる分野には足を踏み入れないと。
「……そう。もしスフィーの気が変わったらいつでも言ってちょうだいね♪」
そしてその諦観は、アストラも気づいていた。
最愛の弟には幸せになってほしい。その想いは今に至るまで揺らいだことは一度もない。その中には、弟の才能の見極めも含まれていた。
事実、アストラの審美眼は優れていた。芸能界という人種と才能の坩堝の中で色々なものを見て生きてきたせいか、その人物が芸能の世界で生き残れるかどうかもある程度推測できるようになった。
弟に芸能界で生き抜く才能があるか否か。冷静に、身内への贔屓を差し引いたとしても、天秤は「ある」の方へと傾く。
確かに表情の起伏そのものは乏しいが、自分と同じく作るものへの妥協の無さと良い意味での頑固さ、そしてそれを貫くだけの努力への抵抗の無さと精神力。そして自分にはない協調性の高さも持ち合わせている。
芸能界のみならず、どの業界でもやっていけるような稀有な人間である。それでいながら自らを凡才と定義するのは、恐らく姉である自分への遠慮であろうという事まで分かっていた。
弟が己の道を狭める要因の一つに自分が居座っているということ。
本来であれば心を痛めるべきであるその事実に、仄暗い独占欲が覆いかぶさる。
結局のところ、この姉弟は根本的なところで互いを見ずにはいられない存在同士なのであった。
―――*―――*―――
「あー、今日は本当に楽しかったわ♪ 普段コンサートとか仕事とかで色々なところに行くけれど、スフィーと行くと何もかも違って見えてくるから不思議よねぇ」
「姉さんはたまに仕事抜け出してリフレッシュしに行くから探すのが面倒だってイヴリンさん言ってましたよ? あまりあの人に迷惑かけないでくださいね」
「むー。スフィーってば、愛しのお姉さまとイヴのどっちの味方なの?」
「姉さんの味方ですが、仕事をサボった時はその限りではありません。全面的にイヴリンさんを支持します」
「真面目な弟を持ててお姉さんは嬉しいわー」
夕日の色が落ちる家への帰路を共に歩きながら、アストラとスウェインは他愛のない会話を繰り返していた。
映画後のカフェでこそ少々気まずい雰囲気になってしまったものの、その後は特に問題なく休暇を楽しんでいた。
リバーブ・アリーナに顔を出した際は「恐ろしい精度でアストラ様のコスプレを作り上げている人」として集まっていた人やボンプから崇められ、ポート・エルビスではアストラが持ったポテトフライを狙う無数のカモメを追い払うためにスウェインが奮戦し、夕食のために寄ったルミナスクエアの火鍋屋では涼しい顔をして最高ランクの激辛鍋を平らげる兵士のような佇まいの女性を畏怖の念で眺めながら絶品に舌鼓を打った。
アストラにとってみれば最高の休暇を過ごせたと言っても過言ではなく、今もその表情は満足の二文字に満ちている。
「ねぇスフィー」
「はい?」
歩きながら、目の前の弟の頭を優しく撫でる。手入れの行き届いた、自分と同じ深緑色の髪。自分との血のつながりを証明する一つであるそれは、アストラにとっての宝物の一つであった。
「もし私が、芸能界が嫌になって何もかもを投げ出して逃げたいって言ったら、スフィーは私についてきてくれる?」
「勿論です」
スウェインにとってその問いは、逡巡するまでもないものであった。
「たとえ姉さんが歌姫でも女優でもなくなったとしても、僕の尊敬する人に変わりありません。姉さんのやりたい事に最後まで付き合います」
「――ふふ、そうね。そうよね。なら、もしそんな時が来たらイヴにも来てもらわなくちゃいけないわ」
「あんな優秀な人を会社から引き剝がすのも気が引けますが……まぁ、着いてきてくれるでしょうね」
「芸能界から身を引いたら、雑貨屋をやってみたいわ。可愛いものもシックなものも並べた、皆に喜んでもらえるようなお店を」
「では、六分街あたりに開きましょうか。あそこは色々と面白い場所ですし」
「良いわね♪ アキラとリンにもいつでも会えるし、最高の提案だわ」
それはあくまでも妄想でしかなかったが、二人の口は閉じることはなかった。
やがて自宅のタワーマンションの入り口まで足を進めると、自動ドアが開いたところで思い出したかのようにスウェインが言う。
「あぁ、そうでした。明日の朝食のために必要なものを買うのを忘れていました。先に戻っていてくれませんか?」
「それなら私も付き合うわよ?」
「この時間帯のスーパーに姉さんが行ったらそれこそ営業妨害になりますよ。……そんなにかかりませんから家で待っていてください。デザートも買ってきますから」
「分かったわ。気を付けてね」
そう言って自動ドアをくぐる姉を見送ってから、スウェインはタワーマンションの近くにある駐車場に向かった。
マンションの住人とスタッフ以外は利用できないタワーマンション内の専用駐車場とは違い、この場所は料金さえ支払えば誰でも駐車ができる。スウェインは所狭しと並ぶ車の中で、迷うことなく黒塗りの高級車の助手席のドアを開け、滑り込むように車内に入った。
「どこまでだ?」
「目的地は近くのスーパーですが、まぁ適当に走らせてもらえると。少なくとも、一区画後ろに停まっている枯葉色の車が諦めるまでは」
運転席に座ってハンドルを握っていたイヴリンは、その指示に頷くとすぐに車を発進させた。その様子を見てスウェインが指定した車も慌てたように動き出したが、時すでに遅し。ドライバーとしても一流のイヴリンは、十分と待たずにその車を振り切ってみせた。
「今日は見守ってくれてありがとうございました。イヴリンさん」
「構わない。今朝方連絡を受けた時は肝を冷やしたが、考えてみれば理に適っている”デート”だった。――真相はお嬢様には明かせないがな」
「姉さん、普通に勘が鋭いので気付いてた可能性もありますけどね」
窓越しに大型ホロウの影に隠れようとする夕陽を眺めながら、やや重い空気を纏いながらスウェインが再び口を開く。
「それで、
「今の君ならば、その辺りの予想もついていると思ったが」
「予想はあります。答え合わせをしようと思いまして」
そう言うと、イヴリンは信号待ちの時間を利用して一枚のメモ用紙を手渡してくる。
「映画館『GRAVITY』、『COFF CAFE』、リバーブ・アリーナ、ポート・エルビスと回って最後に『
「イヴリンさんにとっては
「ふふ、昔の話さ。――話を戻そう。連中は通常の電子機器を使って連絡を取っていたようだが、レインに頼んで傍受してもらった。そこに書いてあるのは、逆探知してもらった連絡先の住所だ」
かつてイヴリンと同じ組織で活動していた女性。現在は六分街周辺を拠点として活動しているハッカーであり、スウェインは以前、いつか役に立つかもしれないと彼女の連絡先を貰っていた。
実際レインは優秀な人物である。先日の拉致事件でも彼女が改造した追跡装置が役に立ったこともあり、その後に『Random Play』に行った際に良い機会と思い直接会って礼を言っておいた。
ビジネスライクな付き合いを好む女性であるが、その分過度な貸し借りをせずに会話ができる人物でもある。今回もその腕前をいかんなく発揮してくれたらしい。
メモ用紙に目を落とすと、そこに書いていたのはルミナスクエアのビル街の一角。スウェインの記憶が正しければ、その場所は彼が登下校する際のルートに隣接しており、今はテナントを募集中の空きフロアであるはずだった。
「不動産屋を調べたところ、三週間前にそのビルフロアを借りた者達がいた。一応は小規模のベンチャー企業の体を為していたが、実際には活動を行っていない、いわゆるダミーカンパニーだった」
スウェインの拉致事件後の出来事であれば、リモート授業に移行していたスウェインが知るはずはなかった。
とはいえ、タイミングが良すぎるのもある。スウェインは自分の予想とイヴリンの調査の結果が次第に重なり合っていくのを感じた。
「大元は追えませんでしたか?」
「お嬢様と君が夕飯を食べている間に調べておいたさ。連中、その辺りの詰めが甘かったようだ。……恐らくは君の予想通りだよ」
「フーガ・ミュージック社ですか」
ふぅ、と嘆息する。
ここまで粘着するのがただの会社同士の軋轢であればよい。ただ、イヴリンから聞いていたスターループでの顛末を見る限り、帝高エンターテインメントの看板であるアストラの排除に躍起になっている陣営がいるのは確かなのだろう。
とはいえ、落ち目とはいえフーガ・ミュージック社もTOPS傘下企業として音楽業界で長く生き永らえて来た老舗だ。経営のノウハウは勿論あり、自社の経営を蔑ろにして他者を追い落とすことに全身全霊を掛けるほど阿呆だとは思えない。
「……狙いは何だと思います?」
「お嬢様の誘拐、などと分かりやすい目的であればこちらも対処のしようがあるが、少なくとも今日一日見た限りではお嬢様の行動を監視しているだけのようにも見える。その流れで君の事も見ていたぞ」
「しばらくは姉さんから目を離さないようにお願いします。仕事の途中で抜け出すことが無いよう、僕は姉さんの家でのガス抜きにとことん付き合いますので」
「重ね重ねすまない。ただでさえ五日後には周年記念コンサートも控えて――」
そこまで言葉を紡いだところで、イヴリンは不意に路肩に車を停めた。
「スウェイン君」
「なんですか?」
「連中、まさか性懲りもなくそこで仕掛けてくると思うか?」
「スターループ事件からまだ日も空いていません。公にはなっていませんが、あの日以来フーガの株価が右肩下がりになっているところを見ると何かしらの噂は流されたのでしょうね。――本来であれば悪手です。僕が連中なら、噂が確信に変わって会社ごと吹っ飛びかねない暴挙には手を出しません。ですが……」
「警戒は、しておくに越したことはないな」
少なくともイヴリンには、その警戒をしておく義務がある。そして本来であれば、その義務にスウェインを付き合わせる道理はない。
だがイヴリンは知っている。ここまで知っている状態の彼には何を言ったところで説得などできないであろうという事を。
「スウェイン君、頼みがある」
「何でしょう」
「私は明日からお嬢様の護衛と同時に帝高上層部への説得にあたる。君には、
そう言いながら、イヴリンは上着のポケットから二枚のチケットを取り出した。
アストラ・ヤオの周年記念コンサートの関係者用の招待チケット。一般チケットはとっくの昔に完売しており、インターノット上では最低数十万ディニークラスから転売が行われているという代物である。
誰を招くか、というのはわざわざ言葉にせずとも分かる事だった。人によっては金塊よりも価値のある紙切れを大事に胸ポケットにしまうスウェインを見て、イヴリンは安堵の息を漏らした。
「すまないな。病み上がりの君にこのような事を」
「問題ありません。どの道明日六分街には行こうと思っていましたので。……まぁ、それに」
珍しく歯切れの悪い言葉尻を残す少年の方を見ると、彼はまた笑っていた。彼の姉を思わせる、どこか蠱惑的な笑みを。
「嬉しいですよ、イヴリンさん。――ようやく貴女と肩を並べて戦えるようになった気がして」
「……………………そうか」
再び車のエンジンをかける。目的地に辿り着くまでの数分間、イヴリンはスウェインと顔を合わせることはなく、言葉も交わさなかった。
形の良い唇は固く閉じられたまま、脳内と心に反芻して渦巻く熱に関して、彼女はついに口にすることはなかった。
■本日のハイライト
何故か一緒にホラー映画観に来てるシーザー&ルーシー
■本日の見えないハイライト
バイト先の『COFF CAFE』で家族の時間を過ごしているアストラと出くわしてしまい、マスターに涙目で「マスターさんアカン‼ ウチにはあそこに飲み物を届けに行く勇気があらへん‼」と訴えかける千夏ちゃん