お気の毒ですが、あなたは殺処分の対象です   作:うずつるぎ

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 NHスペシャル『朧』

 六月一日理人専用防具。闇に惑う漆黒のローブは、亡霊のごとく夜に溶け込んでいる。
 ステルス迷彩にバリアー機能と、漆黒のローブは単なる装飾品以上のモノとして機能している。

 近頃では、彼に憧れてローブの模造品に手を出す者も少なくないようだ。



第11話 あなたの一番欲しいもの

 

 粉雪みたいな白銀が、ピシャリと、解毒薬の入った小瓶にヒビを走る。

 

 

 やがて砕け散って、滴と共に舞い落ちる破片。

 俺は反射的に左手を伸ばそうとして──けれど、波動砲に掻っ攫われた肩に先はない。

 一手遅れて、床を抉り飛ばす。

 

「マーシャッ!!」

 

 黄色いエプロンドレスを激しく揺らす。

 深紅の瞳に光を失った童女はもう動かない。

 俺は舌を鳴らし──いや、今は。

 

「解毒薬はッ!?」

 

 ぶわりと背後へフードを揺らす。

 小瓶から零れた解毒薬は、血のオイルを啜って泥水みたいに濁っている。

 予備を探してドレスの内側をまさぐれど、希望の感触は見当たらない。

 

 或いは、コントロールパネルの裏側にでも。

 

「……理人くん」

 

 そっと、割れ物にでも触れるような柔い声。

 掻き消すように震える両足を慌ただしく響かせる。

 義眼を凝らして、辿り着いたコントロールパネルを舐め回す。

 

 

 けれど、現実はテレビゲームのようなご都合主義を許すはずもなく、

 

 

「理人くん。もう……良いんです」

「良くないッ!!」

 

 衝動的に血だまりへ駆け寄る。

 割れた小瓶の一部を手に取り、何度も何度も、大地へ落とした麦を拾うみたいに解毒薬を掬い上げる。

 

 血に汚れた液体は、割れた小瓶を半分も満たさない。

 

 

 ぱしゃりと、両膝が血だまりを項垂れた。

 

 

 住宅路にマーシャの悪意を掻い潜り、荒れた自宅にレイを守って、セントラルタワーでの激闘を制して、

 その果てに得た結末が、屍ばかりが積み上がる未来。

 

 

 こんなの、あんまりではないか。

 

 

 盛大に床を貫く右腕。

 極めて落ち着いた冷声が、穏やかな諦念を脳内に浸す。

 

「……ありがとうございます。その気持ちだけで、私は、充分に満たされました」

 

 義眼に浮かぶ青い矢印は、俺の進むべき勇者の栄光へと導いて、

 

「さぁ、理人くん。制御パネルに近づいてください。機械兵を停止して、共栄都市を救いましょう」

 

 のそりと、幽鬼のように揺らぐ漆黒のローブ。

 訳も分からぬまま、義眼越しに飛ばされる指示に従って、色白い指先が固いパネルを叩く。

 

 

 健全なる茜色が、赤い警報に浸る共栄都市を舞い戻った。

 

 

「事態は一刻を争います。すぐにハサンさんと共栄都市を脱出してください」

「なに……言っている……!レイも一緒に──」

「はい。私の心は、どこまでも理人くんの傍に居ますから」

 

 違う。俺が訊きたいのはそんな言葉ではない。

 顔を歪めて歯を食い縛る。

 レイはこれが最期の言葉だとばかりに、途切れ途切れに囁く。

 

「嬉しかったんです。理人くんが、私なんかの為に必死になってくれたことが」

「当たり前、だろ……!」

 

 残った右手を握り壊す勢いで震わせれば、くすりと、満足げな笑声が脳内を擽った。

 

「だから、最後までサポートをさせてください。足を引っ張りたくは、ないですから」

 

 そんな風に言われてしまっては、これ以上、俺が我儘を言うことなんてできるはずもなく、

 

「……あぁ」

 

 俺は不良青年を片手に背負って、夕闇に落ちる螺旋階段を響かせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 茜に浸る漆黒のローブが、映画のエンドロールみたく、コクピットの青白い光を霞んでいる。

 

 電撃を浴び続けたように、ジクジクと痺れる両腕。

 力なく床を落ちるヘッドホン。

 背中は灼熱の真夏に座席と溶け合って、ほぅと息を吐き出す。

 

 

 ずっと、あなたと翡翠の軌道に乗りたかった。

 

 

 それだけが、私を詰まらない日々に突き動かす流星だった。

 

 

 そして、今日という日に悲願は達成された。

 真っ白なまつ毛を閉ざせば、暗闇に浮かび上がる甘美なる瞬き。

 ほつれた毛糸みたいに繊維の一本まで擦り切れた意識は、いつの間にか、闇中へと溶け込んだ。

 

「……ぅ……!」

 

 

 一体、どれだけの間、暗闇を漂っていただろうか。

 

 

 不意と、唇から溢れ出す呻き声。

 病熱に澱む瞼を、朧気に持ち上げる。

 歪む景色は、ぼやけてよく見えない。

 

 私はまだ、生きているのだろうか。

 それとも、もう死んでしまったのだろうか。

 

 

 青くて暗い空間だけが、蝶が静寂に息絶える瞬間を、捕食者のごとく見守っていて、

 

 

「…………光、を…………」

 

 

 それが実験棟での絶望を想起させたから、青白い右手は、淡い輝きへ縋り付いた。

 

 

 ドサッと、重力のままに操縦席を落ちるメイド服。

 分厚いゴムでも被せられたみたく感覚の覚束ない身体を、地上に続く階段へ捩る。

 

 見るも無様な腹ばいになって、日の出のように輝かしい自然光へと手を伸ばす。

 

「……ぁ……はぁ……!……う、ぅ……!!」

 

 いつか夢見た、死神の抱擁。

 

 そのはずなのに、私は今更になって、不可逆な闇底から逃れようとしている。

 自分で自分が分からぬままに、みっともなく息切れに声を震わせる。

 

「……理人、くん──……」

 

 水面へと必死に藻掻く意識は、力及ばず屍たちに足を引っ張られた。

 

「──レイ!」

 

 けれど、冷たい右手は、最期に確かな温もりへ触れた気がして、

 

 

 それが幻でも構わないから、私はほんの少しだけ嬉しくなって、思わず口元を緩めた。

 

 

 

 

 

 

 

 柔い夕焼けの光が、意識を揺り籠に優しく包み込んでいた。

 

 

 魂を浄化するような眩しさに、むずりと動き出す瞼。

 漆黒のローブが、陽だまりに浸る木目の天井を、魚群みたく優雅に揺らいでいる。

 そして翡翠が、大きく見開く。

 

「──レイッ!!」

 

 バッと、コウモリみたいに大きく広がるローブの隻腕。

 

「良かった……!」

 

 

 夜闇のごとく漆黒が、私の視界を奪い去る。

 

 

 ぱちりと、間抜けな瞬きが音を立てた。

 

 

 これは……死者の見る夢か何かだろうか。

 すっかり透き通った意識は、さわりと、金糸の触覚が頬を撫でる感触を確かに伝える。

 

 やがて、人肌の温もりが雨水を吸う大地のように身体中を染み渡って──どくりと、心臓の鼓動が鼓膜にまで轟いた。

 

「……あ、あの……!」

 

 頬が急激な熱を帯びたところ──森の出口を見つけた迷子の声が、耳元に震える。

 

「……今度こそ、取り零さなかった……ッ!!」

 

 ピタリと、乱れ打つ心臓は鎮まった。

 

 そうだ。これはきっと、彼が欲しくて欲しくて止まなかった初めてのことなのだ。

 彼はようやっと、それを達成したのだ。

 

 私は陽も知らぬ腕を窓辺の斜陽に翳して、大きな風穴を開けた背中を、ゆっくりと撫でる。

 

「……はい。理人くんは、ちゃんと私のことを助けてくれましたね」

 

 わしゃわしゃと、もう片方の手に掻き乱す金糸の長髪。

 漆黒のローブは一時の過ちを犯すみたいに私を床に押し倒したまま、けれど弱々しく、身体の震えを誤魔化している。

 

「あぁ……本当に、良かった……!!」

「よく、頑張りました」

 

 暗い洞窟から逃げ出した幼子を慰めるように、私はぎゅっと、漆黒のフードを胸に沈めた。

 

「……それと」

 

 曖昧に口の中で零しながら、抱き寄せた華奢な身体をそっと剥がす。

 その心音に耳を澄ませるみたく、風穴の開いた胸に、ピタリと頬を添わせる。

 

「ありがとうございます。理人くんのお陰で、私にも生きるということが、少し分かった気がしました」

 

 死にたくなんて、なかった。

 ただ、生きていく意味が欲しかった。

 

 私はこれからも、貴方と共に生きていきたいのだ。

 

 がらんどうの胸に鼓動を分け与えるように、かまくらの灯火を帯びた新雪の頬を押し寄せる。

 

 

 とそこで、ごほんと、世界を切り離すような咳が鳴り響いた。

 

 

「アーシュリット、病み上がりのところ悪いが、そろそろ出発だ」

 

 反射的に、押し倒し返した漆黒のローブを突き放す。

 ワインバーに落ちるタヌキ像みたいな影。

 ぱんぱんに腫れ上がった腕が、西日を差す出入り口を指差していた。

 

「詳しいことは、移動しながら説明を受けると良い」

「……そうしよう。レイ、とにかく今は急ごうか」

 

 隻腕は私をアッサリと胸に抱えて、建物に隙間へ沈む陽を追い掛ける。

 

 

 どうやら私はまだ、生きていても良いらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 初夏に暴れた機械兵たちが、吹雪にあてられたみたく第一区画を氷結している。

 

 ぬっと、魔王の根城から生還する人影が1つ。

 セントラルタワーを隔てる巨壁の大門から、太った背広が素早く駆け寄る。

 

 赤く染まった芝生の血だまりに、脂汗を噴き出す太った顔が苦々しく映った。

 

「A006……遂にマーシャを、破壊してくれたようだな」

 

 こくりと、頷き返すことすらままならない。

 背負った赤髪の亡骸を、尻目へ覗く。

 

 脂肪に弛んだ腕は、そっと、柔らかい芝生に命を還した。

 ハサン餞別とばかりに背広の内側から小銃を取り出して、冷たく強張った手に握らせる。

 

「コイツはコイツの思うように生き、そして希望を信じられた。本望だったろう」

 

 2人して手を合わせて黙祷を祈れば、それで物語には一区切りを。

 こげ茶色の瞳が、力強く未来を射抜いた。

 

「A006。私はこれから共栄都市を脱出し、人類連合軍のアジトへと戻る」

「マーシャを破壊した以上、その動向はMCにも確認されたはずだ。共栄都市に残ってもろくな結末にはならぬだろうが、来るか?」

 

 俺は僅かな躊躇いもなく、首を縦に振った。

 

「そうか。ならばすぐに──」

「……その前に、レイを解毒する」

 

 ピクリと、脂肪に覆われた背広が動く。

 大仏みたいに垂れ下がった頬が、宙を漂うしゃぼんへ手を伸ばす。

 

「……その気持ちは、充分に分かっているつもりだ」

「でも……まだ、タイムリミットは……ッ!!」

 

──もう、良いんです。

 

 壊れたレコードのように、冷声が脳裏を繰り返す。 

 

 そろそろ現実を見ろ。

 精一杯やったじゃないか。

 これ以上、俺がどうこうできることはないだろう。

 船の墓場みたく機械兵が目から光を失せた路上に、ぐっと俯く。

 

「俺、は……」

 

──マーシャとの勝負に、負けたんだ。

 

 諦めろ。

 それが、敗者に残されたただ1つの現実だ。

 奥歯を砕き割るほどに噛み締める。

 

「……A006」

「……あぁ!」

 

 俺は瞼を閉ざして世界を塞ぎ込み、絶望の一歩を踏み出そうとして、

 

 

「お待ちください!英雄様っ!!」

 

 

 複数の足音が、セントラルタワーと第一区画の境界線へ雪崩れ込んだ。

 

 

 思わず顔を上げる。

 白衣の老若男女が、街中の黒煙を裂いて俺の前へと整列した。

 まるで王へと跪くかのごとく、真っ直ぐな眼差しが爛漫と輝く。

 

「な、なんだ……?」

 

 訳の分からぬ事態に、身体は自然と石畳を後退った。

 何かの宗教団体が教祖を崇めるみたいに片膝を突いた連中を代表して、男が一歩、俺の前へと足を踏み出す。

 

「あなた様のご活躍、誰もが中継で見ておりました」

 

 マーシャが見せびらかしていたホログラムのことだろうか。

 

 思った瞬間、男は右手のひらを、俺の握る小瓶の残骸へ向けて、

 

「そちらは我々に任せて下さい。生き残った医療従事者が、必ず解毒薬を複製して見せます」

 

 

 夜明けに見る赤い陽光が、世界を希望に染め上げた。

 

 

「い、いいのか……!?!?」

「もちろんです。地獄を救ってくれたあなた様には頭が上がりませんから」

 

 再度、頭を下げる誰彼。

 

「あ、ありがとう……!!」

 

 俺は興奮に燃え上がる身体のままに、彼らと共に病院へ駆けた。

 

 

「──そういうわけで、なんとか解毒薬が間に合ったってことだ」

「そう、でしたか……」

 

 生き残った共栄都市の住民が、巣穴から覗くリスのように見守る道路。

 俺は柔らかいメイド服を横抱きして、真っ新な小瓶を見せびらかしてみる。

 

 

 車1つ走らぬ幹線道路の中央を堂々と歩けば、ダムみたいに巨大な環状壁が。

 

 

 共栄都市を囲む大門は、おどろおどろしい呻きを響かせる。

 

 見上げる境界線はゆっくりと顎を開きゆき、星屑のように浮かぶスペースデプリが、薄気味悪い夕闇を浮かび上がった。

 

「これが……外か……」

 

 どこまでも広がる涸れた荒野の威容に気圧されて、身体はピタリと立ち止まる。

 共栄都市の生き残りと議論を交わしていたハサンは、後ろから俺を追い越した。

 

「A006。こちらも準備は済んだぞ」

 

 強張る俺の腕に、そっと、雪のような手先が触れた。

 

 胸元に視線を落とせば、銀髪の分け目に隠れた右眼が、月光のように心を和らげてくれる。

 

「大丈夫ですよ、理人くん」

 

 果たして、この死んだ大地の先に何が待っているのかは、俺には分からない。

 

 けれど、受け継いだ祈りを絶やさぬために、そして前へと繋ぐために。

 

「……行くか、レイ」

「はい」

 

 

 俺は輝かしい街灯りを背中へ残して、まだ見ぬ荒野の闇を切り裂いた。

 

 

 

 

 

『目覚める黄金の戦士』・完

 

 

 

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