(二人称視点の練習作になります。お蔵入りにしておくのももったいないな、と思って公開してみます)
「死してなお憧れを捨てられぬ哀れな魂よ」
「その魂に、救いがあらん事を」
気がつくと私は何か機械の操縦席に座らされていた。
両腕は操縦桿のようなものに拘束されている。自由に動かせるのは首だけだ。
眼前には球状のモニターらしきものがあり、いかにもな感じの白い空間を描写している。解像度は低く、いささか映像は暗い。昔、ゲーセンで遊んだ体感型筐体を思い出した。
突然の事に戸惑うが、拘束されている事へのストレスはあまり感じない。むしろこれって憧れのコクピットじゃないか? と少しワクワクする余裕すら私にはあった。
『ようこそ、転生者』
若い女の声がした。声がする方に振り返ると、私の左隣、何もない虚空に半透明の女がぷかぷかと浮いていた。やたらと露出の激しい衣装で、非現実的なレベルの美人だった。
金髪に赤い瞳の、胸の大きな北欧美人。それでいて顔立ちはかなり幼げで、愛嬌がある。身にまとっているのは……水着? バニースーツ? の上から野暮ったいフライトジャケットを羽織っている。バニースーツにしては網タイツがないので白い美脚とギリギリの鼠経部が惜しげもなくさらされており、よくみたらジャケットの下からチラチラ白い肌が見えている。
大胆に素肌をさらしつつチラリズムも搭載したスタイルに、女性にとんと縁のなかった私の心拍数が上昇した。
『これから適正テストを行います。“リラックス”して、私の指示と説明に従ってください』
どうやら私のトキメキは見透かされていたようだ。冷静に指摘されて、誤魔化すように前を見る。
『唐突ですが、貴方は今、全高25mのロボットに乗っている、そう考えてください。ロボットは貴方の操作に反応しますが、サイズがサイズですのでその挙動にはタイムラグがあると考えてください。まずは、右手を動かしましょう』
説明に応じて、右手が動くようになる。正確には操縦桿に固定されたままだが、その操縦桿のロックが解除された。肘から先をすっぽりと機械に覆われている状態で、軽く前後させてみる。
画面の中で、巨大な腕がジャブを放った。その動きに合わせるように、私の存在する空間が振動し、画面も揺れ動く。
女性が言う通りに、動きにはラグがあった。反応が悪い訳ではない。ただ、動きを伝えてから、大質量を動かすにあたってそれだけの力を発揮するのに少し溜めがいる……そんな感じだ。それに私は軽く手を動かしただけのつもりなのに、放たれたジャブは空気を突き破る豪速の拳だった。
『操縦システムは貴方の動きを正確に追従します。貴方の感覚では60cmほど腕を動かしただけでしょうが、それを反映した結果機体は9m近い距離の往復を同じ所要時間で行う事になります』
説明されて納得する。
巨人の歩幅のようなものだ。ゆっくり動いているようでも、サイズが大きいためそのゆっくりの歩幅に人間の全力疾走が追いつけない、そういう話だ。
『素早く動かせば動かすほど、機体にかかる負担も爆発的に増大します。注意してください』
なるほど、かなり現実よりのロボットらしい。
しかしそうなると随分操作にクセがある。動きの初動には溜めがあるし、しかし実際の動きは人間と比較した場合超高速になる。タイムラグと加速が組み合わさっている感じだ。
ゲームだったらこだわりが過ぎてクソゲー手前といった要素だろう。
『ご理解いただけたところで、次の段階に進みます。目の前に武器を用意しますので、それをうまくつかみ取ってください』
真っ白な世界に、突如として巨大な剣が出現する。まるで抜かれるのを待つ選定の剣のように、柄を上に、刃を下に向けた状態で固定されている。
これを装備すればいいのだろうか。
右腕を動かして、ゆっくりと近づける。先ほどのように生身のつもりで腕を動かしては、剣に豪速パンチを打ち込む事になってしまう。先ほど説明された25mというサイズを意識して腕を近づけ、指を開いて剣の柄を掴む。
生身の指にフィードバックを感じる。さわさわと指を動かすと、剣の表面の質感も伝わってくるようだ。指先の感覚は非常に繊細らしい。
と、そこでこのままでは逆手でつかむ事になってしまうのに思い当たる。一度指を遠ざけ、肘から捩じるような気持ちで手首を返し、剣を掴む。本体の挙動を反映するだけあって、可動域も人間のそれに近いらしい。一般的なロボットは手首がぐるぐると回転するが、人間の腕は肘から回るのだ、手首は回らない。
『上出来です。武器を振ってみてください』
声に従い、一度、二度とゆっくり素振りをしてみる。
私は別に剣術を修めている訳ではない、素人の棒振りのようなものだ。それでも、剣の切っ先が空気を切り裂く怖気の走るような音が伝わってくる。
剣の長さを、仮に10mだとしよう。私がそれを大上段に構え、足元まで振り下ろした場合角度を120度とする場合、の切っ先の移動距離は20m以上になる。機体への負担を考えて、ゆっくり振った場合の時間を0.5秒とする場合、時速に換算して140キロを超える。
一瞬ちょっと大したことないかもと思ったが、いやいや、と考え直す。確かに大リーグの選手の投球は時速150キロを超える事があるが、あれはコースやタイミングがある程度定まっており、かつその道のプロだから当てられるのだ。それでも見てから振っている訳ではないし。
引き合いに出すならプロボクサーのパンチだろうか。素人では反応すらできない超高速の彼らの拳だが、速度としては時速60キロを超えない程度だという。その倍以上の速度だ。
思ったよりもややこしい感じだぞ、と感じる。人型というのは人間のイメージ通り動かしやすい形状と言われているし実際のってみて間違っていないと感じたが、なまじ一体感が高いために距離感や速度感が狂う。
今手を伸ばしてつかみ取った剣も、机の上のペンを拾うような気持ちで手を伸ばしたが実際には5~6mの距離がある。操縦の微妙なタイムラグといい、速度感の違いといい、思ったよりも意識しなければならない要素が多い。
『よろしい。初めてでも合理的な動きが出来ているようですね。それでは最後のチュートリアルに入ります』
声が次の段階に進む事を伝えてくる。
正面モニターに、何か巨大な物の描写が開始された。最初に解像度の低いポリゴンのようなものが表示され、それが徐々に解像度を上げていく。動画が低解像度から高解像度に切り替わる時みたいだなと私は思った。
そうして現れたのは、一機の鋼鉄の巨人だった。全身が黒ずんだ鉄とも石ともつかない材質で構成されており、デザインは人間用のフルプレートメイルをそのまま拡大したような質実剛健、悪く言えば遊び心のないデザインだ。頭部はバケツを逆さにしたような形状をしており、カメラアイなのか無数のスリットが入っている。機体の脇腹など内部構造が垣間見える部分を見る限り、太いエネルギーチューブなどはなく、シリンダーやパチパチカタカタする圧力便らしき部品が無数に観察できる。動力はわからないが、駆動システムの一部に蒸気を使っているのだろうか。
未来世界の機動兵器というより、中世ファンタジー系のデザインに見える。
もしかしてこちらが乗っている機体も同じ系統だったりするのだろうか。美女に尋ねてみた。
「はい、同じ世界観の兵器同士ですね。もっともあちらは旧式のジャンク同然の品、貴方が乗っているのは名工の手で作り出されたワンオフの至高品です。性能で言えばお話にならないぐらいの差がありますね」
頷き返しつつ操縦席を改めて見渡した。技術レベルや世界観がぱっと見で中世ファンタジーに見えないが、それは超高級品だったかららしい。
ところで、もしかして。目の前のジャンク品とやらと、今から戦えという話なのだろうか。
「はい、勿論です。それでは開始しますね」
まってもう少し操作の練習させてという嘆願も空しく、最終チュートリアルが開始される。目の前で案山子のように佇んでいた騎兵の目に光が宿り、腰に差していた剣が引き抜かれた。そのまま胴に入った構えで剣を正眼に構える敵騎兵を前に、あわてて剣を同じく正眼に構えた。
さっきも省みたが私に剣の心得はない。正眼に構えたのもなんとなくだし、多分、その筋の人からみたらへっぴりごしで構えになっていないだろう情けないものだ。
いくら性能差があるといっても、こちらはまだ剣を掴んで数回振り回しただけの熟練度だ。いくら相手が旧型といっても、まともに動く相手に勝てる自身がない。
「申し訳ありませんが、現状でハンデはもういっぱいいっぱいです。あとチャンスは一回こっきりですので、頑張ってください」
一度しかできないのはチュートリアルではないのでは? 私は訝しんだ。
そもそもシステム? もよく理解していない。相手を倒せばいいといってもどうすればいいのか。HPゲージとかどこにあるのかと問いただす。
その間も、正面モニターに映る敵機から目を離せない。じりじりとすり足で間合いを調整してくる敵に、こちらもじりじりとすり足で距離を離す。
「ゲームじゃないんですからHPゲージなんてありませんよ。敢えて言うなら、相手の首元を破壊すれば勝ちです。だいたいそのあたりに操縦系をつかさどる重要な部品があります」
なるほど。首を狙えばいいのか。ところでその重要な部品とはパイロットの事ではないのかね? 外れてほしいと思いつつ訪ねた。
「私はそんなに悪趣味じゃないですよ。部品といったら本当に部品です」
それはよかった。
「でもそのすぐ下の空間に操縦席がありますので。こちらの機体も同じですよ、貴方のすぐ頭の上あたりにあります。上からたたき潰されたら普通に操縦者もミンチですので気をつけてくださいね」
あんまり変わらなかった!
それでもどこを狙い、どこを守ればいいのかわかるだけでも大分違う。攻防の要を把握して、私は改めて目の前の敵に意識を集中させた。
いつまでも逃げている訳にもいかない。それに、摺り足移動でも素人のこちらより相手の方が早い。間合いは敵の有利な状態にある。
じりじりと間合いを図りあう中、ついに敵が動いた。痺れを切らしたのか、それとも勝機を見出したのか。どずんどずんと足音を踏み鳴らしながら、剣を大上段に構えて突っ込んでくる。
生身の人間同士でいえば、避けてくださいと言わんばかりのテレフォンパンチだ。だが操縦系統に独特のタイムラグがある事を忘れてはいけない。私は冒険をせず、まずは剣をバントのように構えてその一撃を受け止めた。
正面モニターを覆うように構えられた剣に、敵の一撃が振り下ろされる。耳を劈く金属の叫び、凄まじい振動が腕を通じて操縦席に響いてくる。握っていた操縦桿がフィードバックを受けて勝手に動き、関節に変な感じに負担がかかった。
ミキミキミキ、と嫌な音が機体から漏れ出しているのが分かる。操縦席のあちこちで部品同士が噛み合って火花が散った。
「敵の攻撃をまともに受けた事で関節に負荷がかかりました。そう何度も受けられませんよ」
そのようである。まあ関節強度や機体強度は真面目に巨大ロボを考えると避けては通れない壁であり、制約が大きすぎて無視される事がほとんどだ。どんな世界観かわからないが、そこにある程度真正面から向き合っているらしい事には好感が持てる。持てる、が、ちょっと不便ではないだろうか、これ、と思わず口が出る。
愚痴ったが、しかしシステムとしては利用するべきかもしれない。
敵も同じなんだな、と女に尋ねた。
「はい。敵も同じく、行動の結果関節やフレームに反動を受けます。旧式のオンボロですから、貴方よりもよっぽど厳しい状態ですね。ほら、見てください」
女の指摘に、正面モニターを注視する。
一撃を加え、反動をいなすように数歩下がった敵機。その両腕から、ぱらぱらと破片が散っているのが見えた。
「重力加速度をいかした大上段からの一撃は高い威力を誇りますが、同時に下手を打てばその分強い反動に襲われます。鋼鉄の塊同士がぶつかり合う訳ですからね」
攻撃側もダメージを追うとか割とクソゲーみたいなシステムである。
まあ要領は分かった、と私は気合をいれた。攻撃する側も防御する側も、行動する度に耐久ゲージを消費する。勝つには、自分の出費より相手の損失を大きくするように立ち回ればいいという事だ。
「まあ、完全に打ち勝っているのにそこそこ反動が来ているのは、敵が凄まじいポンコツだからですので。普通はああなりませんよ」
つまり、これで負けたらフォローのしようがない訳だな、と私は肩を落とした。プレッシャーをかけないでほしい。
敵機が再び一撃を繰り出さんと、ドタドタ走り込んでくる。先ほどと同じ大上段の構え。
それに対抗すべく剣をやや寝かせ、左腕を引いた構えを取った。剣士というより、野球のバッターのような構え。
そこに振り下ろされる大上段からの振り下ろし。まともに受ければ大ダメージまったなしのその一撃に対し、コンパクトに腕を振るって横なぎのスイングを打ち合わせた。
狙いは敵の剣の半ば。ただし少しタイミングがずれて、剣の根本近くにぶつかった。
二つの大質量がぶつかり合い、火花を上げて金属が嘶いた。
先ほどと違ってこちらに返ってくる反動はごくわずかだ。脇をしめて必要以上に大振りをせず、敵の刃に横から打ち当てて勢いを逸らした。さっきのように相手の攻撃をまともに受けた訳ではない。
対して、敵の行動は大赤字に終わったようだ。武器での攻撃を阻止され、しかし突進していた自分自身の動きを止められない。そのままつんのめるように倒れ込んでくる敵機を、私は剣をかみ合わせたまま横に回避した。
そのまま地面に倒れ込むかに見えた敵機だが、すんでの所で踏みとどまったようである。しかし貴方から見れば無防備に半身を晒した隙だらけの姿勢だ。煮るなり焼くなり、好きなようにという奴である。
先ほどの説明を思い出す。狙うは首元である。
剣を振り上げ、しかし敢えて鋭利な面で切りつけず、剣の腹をバットのように叩きつけるようにして、敵機の頭を跳ね飛ばした。訓練もせずに、刃を振るって狙った所を正確に切り裂く自信がなかったので安全策である。人が訓練もせずにミリ単位で刃物を正確に操れるならば、包丁で自分の指を切る事なんて無い訳であるからして。
ガツーん、と心地よい手ごたえと共に敵機の首が根本から千切れてボールのように転がっていく。敵機はほんの数秒、状況をつかみかねるように硬直した後、ぐしゃりとその場に崩れ落ちた。崩れ落ちた衝撃で部品がはじけ飛び、さっきまで歩いて剣を振り回していたのが嘘のように崩壊しながら倒れ伏す。
魂が抜けたようだ、とその最後を見送りながら肩を落とした。なんだかよくわからないが、なんとかなったらしい。
「合格です。おめでとうございます、私としてもこれまでの業務が無駄にならなくて何よりです」
美女が何ごとか言っているが、私にはよく聞こえない。なんだかどんどん、耳が遠くなっていく。
それだけではない。視界も、肉体の感覚も急激に閉じつつある。同時になんだか猛烈に眠気が襲ってきたようで、意識が保てなくなりつつある。
私は不安になった。なんだか、この感覚には覚えがある。あまりよろしくない感じがして、すがるように美女に視線を向けた。
視界のほとんどが既に暗い。美女の顔ももはやはっきりとは見えない。それでも、人形のように整った口元が嫋やかな笑みを浮かべていたのが微かに見えた。
名前も素性もしらないが、誰かが私を見届けてくれる。閉じる瞼の向こうに広がる闇への恐れが、少し和らいだ。
「おやすみなさい。貴方が勇士であれば、また会う事ができるでしょう」
貴方は、見知りつつも知らない天井を見上げながら目を覚ました。
覚醒した貴方は意識が酷く混濁しているのを貴方は自覚したはずだ。既知と未知がごちゃ混ぜになったかのような、見るもの全てにデジャビュを感じるような。定まらない視線が周囲を見渡す。
ふかふかとしたベッドに貴方は横になっている。数回寝返りをうっても端まで届かない巨大なベッド……そこまで考えて、ふと貴方は己の手足に目を向けた。
そこにあったのは、いつもと変わらぬ、短く太い幼子の指という異常である。あかぎれもひびわれとも縁の遠い、ぷにぷにとした短い指をしげしげと見つめて首を傾げる貴方。
ゆれる視線が部屋を見渡す。
そう、部屋だ。ベッドが置かれているのは一つの個室。床には獣の毛皮が絨毯としてしかれ、壁には温かみのある赤茶色の壁紙が張られている。天井は木枠がむき出しのままだが、見た事のない赤い色合いの木材が複雑に組み合わされており、梁から照明が吊るされている。
そんな部屋の中央に、貴方が横になっているベッドが置かれている。そういう間取りだ。
一通り確認し、貴方は肩を落とした。貴方の求める分かりやすい答えは、この部屋には無い。
そうしているうちに、ガチャリ、と金具が動作する音がした。誰かが扉を開けて部屋に入ってくる。
「おぼっちゃま、失礼しま……」
入ってきたのは、一人の侍女だった。見覚えのある/見覚えのない彼女に貴方が、やあ、とベッドの上から手をあげて挨拶をすると、彼女は予想だにしない者を見たかのように凍り付いた。
思わぬリアクションに貴方は首を傾げる。
「き……」
「き?」
「きゃああああ!? 旦那様、旦那様ー! おぼっちゃま、おぼっちゃまが目を覚ましました!」
大声を上げながら、部屋を飛び出していく侍女。貴方はというと彼女を止める暇もなく、耳を劈く侍女の叫びに目をくらくらとさせながら、ぱたんとベッドに倒れ込んだ。
「よかった、一時はどうなる事かと……」
「いえ、意識が戻ったとしても高熱による後遺症は考えられます。もう少し安静にして頂いて経過をみないことには……」
「そ、そうか。だが意識を取り戻したのは何よりだ」
「それは、本当に。ええ」
貴方が横になるベッドの横で会話する、二人の男性。
かたや色あせた金髪の初老の紳士。もう一人はしわしわの老人だった。
初老の紳士は、貴方の父親、セガール・フォン・エメンタール。このあたり一帯の領主である、いわゆる貴族であり、階級は伯爵になる。老人はこのあたりで一番の医者である、マキリス老だ。
そして貴方の名前は、リチャード・フォン・エメンタール。セガール伯爵の年の離れた唯一の子供であり、母親が病で身罷ってからセガール伯爵が後妻を設けなかったこともあり、エメンタール領ただ一人の跡取りだ。髪の色は父親譲りの金髪だが、瞳は父親の碧眼ではなく母親譲りの赤い瞳。
全く身に覚えがない記憶がすらすらと出てくるのにも、貴方はそろそろ慣れてきた。
朧げな記憶や、横で囁き声で相談する父と医者の話から総合して考えるに、どうやら貴方は高熱を出し、生死の境をさまよっていたらしい。
そこから九死に一生を得ておきながら、呑気に侍女に挨拶などしていた訳だ。あの侍女のお化けでも見たような反応を見るに、よほどひどい熱だったのが伺える。
いわゆる奇跡の回復という奴らしい。
貴方としては生死の境をさまよっていた実感がないのだが。それよりも、貴方は自身の記憶の混乱を整理するのに忙しく、周囲に構っている余裕は全くないといってもよいだろう。
高熱をきっかけに、貴方が前世と呼べる記憶に覚醒したのは間違いない。が、一方でそれまで生きてきたリチャードとしての記憶が失われた訳ではない。そこでややこしいのが、リチャードとしての記憶にも、おぼろげだが貴方の前世の記憶が断片的に介在している事だ。
それを整理するにあたり、貴方は一つの憶測を立てた。
若年性健忘症というものがある。
幼児の間は、何もかもが成長途中で未発達なのだが、それは脳も例外ではない。子供の頃を大人になって忘れてしまうのではなく、既に子供時代で、頻繁に記憶が失われているのだ。
つまり貴方は貴方としてこの世界に生まれついたものの、健忘症によって前世の記憶を一度失ってしまった。が、高熱を出した事が切っ掛けで、前世の記憶を取り戻したと思われる。
この事は、貴方に一つの安堵をもたらした。
貴方はリチャードとしてこの世界に生を受け、今日まで生きてきた。その人生はリチャードのものであり、貴方の記憶を思い出した事で、リチャードとしての貴方も損なわれた訳ではない。
今の貴方には、前世としての貴方と、リチャードとしての貴方が並列して存在している事になる。今は記憶が混乱しているが、直に臣民の顔と名前が一致してくる事だろう。
同時にその事は貴方に一つの閃きをもたらした。
転生というのは、実はありふれた現象なのではないか、と。皆、自分が転生してしまった事を幼い内に忘れてしまっただけで……。
「リチャード。具合は、悪くないか? 先ほどから、あまりしゃべらないが……」
考え込んでいると、父が貴方に語り掛けてきた。
これは心配をかけてしまったようだ。貴方の知る限り、リチャードという子供はおしゃべりで、常日頃から父親に質問ばかりしていて困らせていた。そこからすれば、今の貴方は少し大人しすぎる。
「だいじょうぶです、父上。少し、頭がぼうっとしていて……でも、意識ははっきりしています。不思議な感じです」
「そうか……」
灰色の髭を蓄えた紳士は、あまり納得していなさそうな顔で頷いた。
あれこれ考えていると、再び眠気が貴方の意識に降りてきた。大分寝たつもりだが、身体はまだまだ休養を欲しているらしい。
うとうとしている貴方の頭を、節くれだった男の手が優しく撫でた。
頭を撫でられたのは、いつぶりだろう。人肌のぬくもりと無条件の慈愛を感じつつ、すとん、と貴方の意識は闇の中に落ちていった。
高熱を出して寝込んでから2年近くがたった。
家の者の過保護ぶりは凄まじく、家を出してもらえないどころか窓のある部屋に近づく事すら禁止されていた。
「おぼっちゃんにはまだ外は寒すぎます! いいですか、勝手にお外に出ない事、わかりましたね?」
というのが筆頭侍女のお言葉である。
おかげで貴方はこの世界の大地を踏みしめる事なく、屋敷の中で過ごす事となった。しかし屋敷の中には多数の使用人が雇われており、彼らの話を盗み聞きする事で貴方は記憶と知識のすり合わせを問題なくこなす事ができた。
まず、父親であるセガールが収めるエメンタール領だが、ここはいわゆる辺境の土地に当たるらしい。それも、極寒の豪雪地帯だ。つまりエメンタール家は辺境伯という事になる。
「辺境伯、辺境伯、ねえ……。貴族ですよ、と言われてもピンとこないなあ、正直」
辺境伯。貴方のイメージとしては、権力から遠く離れた場所に領土を構えた、いわゆる中央の政治ゲームから距離を置いた、あるいは落伍者。伯爵という称号も、中央から離れてしまっては飾りのようなもので、いうなれば中身のない看板である。だがその一方で、王都から離れている事でその気になれば反乱の為の兵力を集める事もできるし、場合によっては諸外国からの侵略に真っ先にさらされるという事で、国王の信頼が厚い者でなければ任命されない。そんなところだ。
まあつまり王家に忠誠を誓った貧乏くじである。逆にいうと、貴族間のアレコレに悩まなくてよい。現代人としての価値観を持つ貴方からすれば願ったりかなったりである。
そして豪雪地帯である点。これは極端に窓の少ない建屋から想像はしていた。だが、そこでの暮らしぶりが貴方のしる豪雪地帯とあまりに違うので、少々断言しかねていたのだ。
「雪が降るのも、寒いのも、別に豪雪地帯に限った事でもないしなー」
なんせ、この家は薪を燃やさない。幼子である貴方の事を考慮して燃やさないとかではなく、暖炉すらないのだ。それなのに、床や壁は常に暖かく、常時床暖房状態だ。それに加湿するまでもなく空気は潤っており、もしかして見た目に反してエアコン使えるぐらいに文化レベルが発達しているのかと常々首を捻っていた。
その疑問は、一つのある部屋を訪れた事で解決した。以来、毎日のように貴方はそこに入り浸っている。
そこへ向かう貴方とすれ違った侍女が軽く頭を下げ、微笑ましそうにささやいた。
「今日も図書室ですか? ふふ、お勉強熱心ですね」
「いえ、そんな」
目を逸らしながら、貴方は足早にその場を離れた。
そう、図書室。
このエメンタール家の館には、かなりの蔵書を誇る図書室が備わっている。外に出れない貴方にとって、こここそが知識の源泉となった。
当然、ほかならぬエメンタール領の情報も、ここの本には収まっている。
「まあ、自分とこが世間でどう認識されてるか、というのは知っておくべき知識だよな」
蔵書によれば、エメンタール領は、国内でも有数の温泉湧出地帯であるらしい。それもいわゆる薬効成分がある入浴用の温泉よりも、ただ地下水が地熱で加熱されただけの高熱のお湯が多いようだ。
入浴用の温泉は、言ってみれば大量の不純物が含まれている。それが蓄積し、配管を詰まらせてしまう……というのは、前世においてテレビで見た知識だ。だがエメンタール領の温泉はただのお湯であり、配管が詰まりにくい、らしい。
なのでそれをふんだんに使い、生活圏を確保している、という事だった。流石に本の著者からしても辺境であるエメンタール領の生活まで事細かに書いてあるわけではないが、それを参考に一体どのように熱源を利用しているのか。それを探る事が貴方のひそかな楽しみの一つになった。
そしてもう一つ。
絶対に見逃せない情報があった。その事を知ったのは、一年半近く書庫の蔵書を端から読み漁り、本棚の半ばに差し掛かった所であった。
貴方が図書室に毎日のように通い詰めるのも、少しでも多くその情報を得るためである。本棚から一抱えもある辞書のような書籍をひっぱりだし、机に置く。
題名にはこうあった。
『超過騎士入門 著:チャゲス・D・ゴールン』
この世界には、巨大ロボットが存在する。
超過騎士、と書いてオーバーナイトと呼ぶらしい。
この情報を知った時、まず貴方は目を疑い、ついで穴が空くまで記述を繰り返し読み続けた。あまりにも繰り返し読み返すせいで本の背表紙がボロボロになってしまったが、些細な事である。
巨大ロボット。そう、巨大ロボットである。
それも象徴や飾りではなく、実戦を想定した兵器であり、それを操る専門の軍人もいるのだという。少なくともこの世界においては眉唾物どころか、国家の武と富、技術の象徴として押しも押されぬ最強の兵器として君臨している。貴方は喜びのあまり転げまわった。
とはいえ、それがちゃんとした理屈に基づくものでなければ現代知識を用いて技術革新を引き起こすのもやぶさかではない。貴方は好きであるからこそ口うるさいタイプであった。そういうタイプは時としてアンチに反転するものである。
しかし、この世界のロボット事情は貴方をして割と納得のいくものであった。
まず、一言で巨大ロボットといっても、国家や製造元によって技術体系が全く異なる。特に違いがあるのが、その動力源だ。
巨大ロボットの動力源といえば核融合やら水素電池、未知のエネルギー資源など様々だが、この世界においては常軌を逸したアーティファクト、オーパーツがそれを占めているらしい。
曰く、永遠に脈動する竜の心臓。曰く、欠ける事なく永遠に回転を続けるマニ車。曰く、冷める事のない灼熱の血塊。
この世界には魔法とすら形容しがたい常軌を逸した遺物が存在し、それを工業的に利用する中で軍事兵器に転用する流れが当然のように生まれた。そして、替えの効かないたった一つで、しかし利用しないのが馬鹿馬鹿しいほどの動力であるならば、リソースを集中して一点物の兵器を作り出す、というのも理解できない流れではない。
むしろ分かりやすい、というのが貴方の感想だ。なるほど、巨大ロボットが非常識であるならば、それを成立させるのは物理法則をこえた非常識な物が必要というのは理に適っている。
また、この世界は貴方の前世のそれと比べても天然資源が豊富なようであった。
新しく図鑑を取り出し目を通す。
『四大元素からみる材料工学論』
『物質の格子』
『砕けぬ鋳造 いかにして彼は美しき幾何学模様を型に移したか』
様々な著書で語られる、聞いた事のない性質をもった資源や、それを生かした加工手段。中には現世で聞き覚えのあるものもあるが、それが近代に手をかけつつある程度の年代で実現しているのは実に驚異的な事だった。
某人型ロボット代表格の構成素材になっているレアメタルのように、貴方の知識の中には存在しなかった無数のマテリアルが巨大ロボットの実現に一役買ったという事らしい。すり減らないボールベアリング、曲がらないモーター軸、そんな夢の部品が、この世界では製作可能だというのだ。
そんなマテリアルの違いはロボット同士の戦闘にも影響しているらしい。火器の発展はそれに比べて大幅に遅れているようであり、真正面から装甲を破壊する事は困難。それにより、大質量を衝突させて構造そのものを破壊するのが主な決着方法になり、その結果巨大ロボットを作るだけの技術力がありながら、戦闘はもっぱら刀剣で行われる。巨大な人型が、同じく巨大な剣を持ち、言葉通りに凌ぎを削る。そんな冗談のような戦いが、この世界ではごく当たり前の戦争なのである。
面白い事に、ちゃんとその技術を応用して作られた戦車らしきものもかつては存在し、主流であるオーバーナイト達のシェアを奪おうとした事があるらしい。
「やっぱどこでも同じ事考える奴はいるんだなあ。実際に行動に移した、っていうのはなかなか凄いと思うけど」
人型ロボットを作れる技術があればそれで作った戦車の方が強い、というのはリアルロボット嗜好で必ず話題になるネタだが、この世界では残念ながらそのようにはいかなかったようだ。
前述のように火器については発達不足で正面から装甲を抜けないのに対し、巨大ロボット達の操縦者は武術の動きを生かし、巨大な機体を動かす全身の関節を駆使した一撃で容易く同重量の装甲の塊を破壊してみせたのだという。対抗して巨大戦車もハンマーを振り回したり近接格闘用のアームをつけたりして対抗したらしいが、もとより白兵戦に特化した存在である従来の巨大騎士をうわまわる事はできず、最終的に大敗し失敗作として歴史の陰に消えてしまった。今現在は貴方の前世でもあるような通常戦力として戦車も運用されているが、巨大騎士に叶う存在ではなく戦場の主力とは言い難いようである。
つまり、この世界における軍事力とは、高性能のオーバーナイトと、それを操る操縦手をどれだけ確保しているかという事なのだ。
まさに世は大ロボット時代という訳である。
半年近く蔵書を読み漁り、オーバーナイトへの理解を十分に深めた貴方は、一つの夢を確認する。
「なろう。オーバーナイトの騎士に」
夢や、憧れを、人は尊く有難い、誰もが目指すべき物のように言う。
だが、前世で30以上を生きた貴方はよく知っている。
夢は、呪いだ。それが尊く素晴らしいほど、人を苦しめ選別し、破滅へと突き落とす。あこがれることは、目指す事は簡単な事だ。だが、結果を出す事は難しい。
例えば、オリンピックの選手になりたいと夢を語る小学生は、世に何千、何万人いるだろう? だが、国の代表としてオリンピックに出るのはその中のたった一人だ。九割九分の人間は自分より優れた者の前に膝を突き、届かない夢に魂を引かれたまま、それでも生きていかなければならない。叶わなかった夢がある限り、成功者たちの輝きを見上げながら、一生自分を誤魔化して生きていかねばならないのだ。それがどれだけ苦しいか、どれだけ惨めな事か。貴方は、よく知っている。
だが。それでも。夢は、生きる意味を与えてくれもする。
だから貴方は一年考えた。本当に、それが貴方の目指すべき道なのか。踏破する事ができる道なのか。向かうべき方向は定まっているのか。何より、この胸の火が本物なのか。
よく考えた。考えて、結局結論は変わらなかった。
貴方の目指すべき道は、ここに定まった。
オーバーナイトの操縦者になる。
それを決心した貴方は、まず父親の元を訪ねた。
辺境伯といえど、伯爵家である。オーバーナイトはありふれた存在ではないが、かといって国家に一機とかそこまで少数でもない。伯爵家ほどの高家であれば、オーバーナイトの一機や二機、自前でもってないかと期待したのである。
「オーバーナイトに関心があるのか」
「はい! 本で読んで興味がわきまして……エメンタール家には無いのでしょうか?」
「無いことはないが……」
「あるのですね!!」
「これ、リチャード。そう興奮するでない」
「失礼しました」
「全く……まあお前ぐらいの年ごろなら興味を持つのもおかしくはないか。一応、エメンタール家にも一騎、オーバーナイトは保有しておる」
「やっぱりあるんですね! 銘柄は! 由来は! 乗れますか!?」
ぐいぐい父親を質問攻めにする貴方。いくら前世の記憶があるといっても、肉体は元気の有り余っている子供である。普段はおとなしくしていても、興奮すると地金がでてしまう。
そうとは知らないセガールは、普段図書室に籠っている大人しい息子の思わぬ面を見せられて目を白黒させているようだ。
「こらこら、落ち着きなさい。なんだ、ああいうのが好きだったのか?」
「はい!」
「そうか……。ふむ。まあ、いつまでもお前を屋敷に閉じ込めておく訳にもいかんしな。良いころ合いだったのかもしれん。見に行くか?」
「いいのですか!?」
「放っておいたら、屋敷を抜け出して探しにいきそうだからな……。やれやれ、年に見合わぬ落ち着いた子だと思っていたのだが」
どうやらとんだ勘違いだったらしい、とため息をつくセガール。そんな父をよそに、貴方はやったー、と喜びを示してからドアに向かって駆け出した。
「玄関で待ってます!」
「その前に防寒具を着なさい」
貴方が屋敷の外に出るとなって、侍女達はてんやわんやの大騒ぎだった。
万が一にでも何かが在ってはいけないと、箪笥からもこもこの防寒具を引っ張り出してきては被せられる。一しきり侍女が満足した時には、貴方は布達磨のような有様だった。何をするにも布の抵抗を感じる。転んでも痛みを感じる事なくそのまま転がってしまいそうだった。
つまりまともに身動きが取れない。
ふんぬー、と布の重みに抵抗している貴方の首を、誰かが猫のようにひょい、と掴んで持ち上げた。
父、セガールである。
幼児とは言えそこそこの重量になるはずの貴方を彼は軽々と抱きかかえて、侍女達に鷹揚によくやったと声をかけた。この拘束じみた防寒具の多重厚着は父の指示であったらしい。
「父上。動きにくいです」
「こうでもしないとお前はどこに走っていくかわからんからな。我慢しなさい」
「しょんぼり」
不満はあるが、流石に子供のテンションではしゃぎすぎていた自覚があった貴方は、大人しくする事にした。人間の意識というものは、肉体の影響というものがとてつもなく強いらしい。
「それでは、いってくる」
「お気をつけていってらっしゃいませ、ご領主様」
「うむ」
一同整列して見送る侍女に頷き、セガールは玄関を後にする。護衛と思わしき人物が先導して扉を開き、その拍子に外の冷たい風が吹き込んできた。記憶を取り戻してから、貴方が初めて浴びる自然の風。それは冷たく乾いていた。
扉を越える。
その先に広がっていたのは、一面の銀世界だった。
「わあ……」
思わず簡単の声が漏れ、白い吐息が舞い上がった。
エメンタール家の館は、玄関からすぐ出た先に大きな中庭が広がっている。バスが数台駐車できそうな広い庭は、しかし全てがうっすらと雪に覆われていた。中央には噴水らしきものがあるが、そこからは水の代わりに大量の湯気が舞っていた。冷水ではなく、エメンタール領特有の温泉を引いた噴水なのだろう。見ている前でお湯が吹きあがり、周辺に温水をまき散らして雪を溶かした。
庭の左右には常緑樹が植えられている。庭師の手によって丸く綺麗に刈り込まれたそれらは、今は雪に埋まって真っ白に染まっており、無数の雪だるまが身を寄せ合っているようにも見える。
コートを羽織った護衛の者を引き連れて、セガールはゆっくりと庭を横断した。貴方も父の肩から、窓越しに眺めるばかりだった外の世界をまじまじと眺める。
モコモコに防寒着を着込んでいるのであまり気にならないが、そとは随分と寒いようだ。湯気を上げて吹き上がった噴水の飛沫が、空中で見る間に冷えて氷の破片になるのが見える。鼻先にくっついたそれをつまみあげて、貴方は指の中で溶けていくのを観察した。
「氷が珍しいか? ……そうだな、何年も屋敷の中に閉じ込めてしまったからな。悪い事をした」
「いいえ! おちついて蔵書を読む事が出来たので、不満はありません!」
「そ、そうか?」
「はい!」
貴方は本心からそう答え、父に続く護衛の恰好に目を向けた。
護衛は二人。まだ若いようだが、二人とも顎髭を伸ばしていかつさを装っているようだ。戦闘要員であるし威厳は大事なのだろう、と正直髭が似合っていないという事を指摘せずに貴方は、彼らの装備をまじまじと観察した。
いわゆるサーコートという奴だろうか。厚手のコートの布地のしたに、ゴツゴツとした鎧の凹凸が浮かび上がって見える。些細な疑問がわいてきて、貴方はさっそく父親に尋ねた。
「父上! 護衛の二人ですが、鎧を着ているのですか?」
「ああ、そうだ。彼らはセヴォルとラケシスという。どちらも腕の立つ剣士だ。護衛だからな、軽鎧ぐらいは装備するさ」
「でもエメンタール領は年中を通して寒い地方です。凍傷になったりはしないのですか?」
「凍傷をしっているとはかしこいなリチャード。だがその心配はいらない、彼らの鎧は金属ではないんだ」
「? 皮鎧という事ですか?」
「ははは、違う違う。そうだな……セヴォル? 息子が鎧が気になってしょうがないようだ、少し、見せてやっても構わないか?」
「は、お構いなく」
足を止めるセガールの元にやってきたセヴォルが、コートの襟もとを解いてその下の鎧を露にする。
大理石にもにた、艶やかな質感の素材でできているようだ。見た感じ、密度が高くて重そう……実用品というより、鎧を模した石の彫刻にも見える。
「リチャード。手袋を脱いで直接触れてみなさい、理由が分かる」
「はい。失礼します」
セガールに抱きかかえられたまま、ぺたぺたと素手で貴方はセヴォルの鎧に触れた。
冷たくもあったかくもない常温の手ごたえ。これがどれだけ異常かは言うまでもない。
貴方は先ほど、温泉の噴水が忽ち凍り付くのを目の当たりにしたばかりである。いくら暖かい屋敷から出たばかりとは言え、金属の鎧の質感ではない。
「不思議な素材ですね。もしかして熱伝導率が極端に低いのですか?」
「おお、そんな言葉も知っているのか。かしこいなリチャード。その通りだ、これは白夜石といってな、硬度も金属並みに硬いのだが、それ以上に特徴的なのが熱伝導率が極端に低く、また温度変化で体積が変わりにくい性質がある事だ」
貴方は目を丸くした。まるでスペースシャトルの耐熱素材のような性質だ。この世界にはそんな魔法のような物質が普通に存在しているらしい。
「そんなものがあるんですね。知りませんでした!」
「世間には近年出回るようになったばかりで蔵書にも関連書籍がないが、我がエメンタール領の特産品の一つだ。そのうち案内するが、近くに大きな石切り場がある」
「何を隠そう、白夜石の輸出を産業として成立なされたのは先代様なのですよ」
ラケシスが補足するが、セガールは誇るよりも気まずそうに苦笑した。
「私に代替わりする直前の事だがな。だからまだ20年もたっていない。それまで白夜石はエメンタール領内で地産地消が殆どだった……寒冷地方でこれほど都合のよい素材はない。それに加工も難しいしな、職人が外にはいないのもあって、あまり儲かってはいない」
「そうでしょうか? 熱い地方でも重宝されると思いますが……」
熱伝導率が極端に低いという事は、寒さだけでなく熱さも伝えないという事だ。例えば砂漠地方では、日中は灼熱であり夜間は極寒、その両極端な気候変化に対応する必要がある。その対策として、分厚い石造りの家を建てたり、窓を工夫したりしているそうだが、この白夜石を使えばその問題も解決するのではないか?
「お坊ちゃまは本当に聡明でいらっしゃる、その通りでございます。近年は、そういった目的で輸出される事も増えています」
「だがまだまだ少量だ。どうしても人は己の体験を軸に考える。特性を説明されてもピンとこない者が多くてな……ただの石なら別に態々輸入しなくても、となってしまう訳だ」
「難しいですね……」
「とはいえ、山から切り出せるとはいっても無限に取れる訳ではない。変に輸出量を増やして、自分達で使う分が減ってしまっては意味が無い。何より白夜石は自然の恩寵に過ぎない、我らが自ら作り出したものではないのだ。いずれ無くなる物だと戒めなければならない」
父親の認識を聞いて、貴方は前世の化石燃料を思い出した。お金になるからといってむやみやたらに掘り返し、公害問題を引き起こしたり市場の価格崩壊を招いたりしていた前世の実業家達に比べれば、父セガールは随分と冷静な判断が出来ているようだ。
この世界の生活様式は中世に近いが、そこに住む人間達は随分と科学リテラシーが高い。衛生観念もしっかりしているし、信仰と科学の切り分けが出来ているのは蔵書を見ても感じ取れた。
産業革命前の経済レベルでオーバーナイトという巨大な構造体を維持・運用してきたという歴史が、そういった社会構図を育んだのだろうか。あるいは単純にこの世界の人間が、前世のそれより頭の出来がよいのかもしれないな、と貴方はぼんやりと思う。
「まあ、面倒が少なくてよいけど」
そうこうする内に、一向は街の街道へ出る。領主らしく館は街の真ん中にあり、道路は馬車の往来の為に非常に広く作られている。街はみな雪に染まり真っ白だが、そもそもその下にある建物も白いようだ。屋根に積もる降雪対策なのか、全ての家の屋根が尖塔のように鋭く高く四角錐のような形状をしている。何件か、家主が長い棒のようなもので屋根に積もった雪を落としているのが見て取れた。
道路も、無数に切り出した石を組み合わせて作られている。これが皆、白夜石で作られているという事なのだろう。道の横には側溝があり、湯気をあげるお湯が流れている。
聞いた話では排雪溝と街の保温を兼ねているらしい。街全体にアツアツの源泉を巡回させて凍り付くのを防ぎつつ、雪の処理にも使っているという話だ。それでもあまり大量に雪を捨てると詰まってしまうので、その処理は専門の業者がやっているらしい。
その知識通りに、未知の横で雪かきをしながら側溝に雪を捨てている青年を見かけて、貴方は声をかけた。
「ご苦労様です」
「ん? ああ、ありがと……ご、ご領主様!?」
作業の手を止めて振り返った青年のにこやかな顔が、着飾った紳士の装いを目の当たりにして凍り付く。泡を食って頭を下げる彼に、セガールは苦笑を浮かべる。
「今は息子を連れて散策中だ。無礼講とまではいかないが、過剰に畏まらなくともよい。顔をあげよ」
「は、はいっ」
カチコチになって敬礼する若者に、貴方も思わず笑ってしまう。
「はじめまして、リチャードです。お仕事ご苦労様です」
「こ、これはどうも。お初にお目にかかります、エイラムと申します。見ての通り、今は街の雪かきの仕事をしております」
「最近の雪はどうだ?」
「ええと、少し例年より多いようです。ですが、源泉の温度がここ数年随分と上がっていまして、溶かしやすいのでさほど苦労はしておりません。湯量も減ったりはしていませんので、安泰ではあります」
「ふむ、温度の報告は私も聞いている。雪かきは街の保全に欠かせない重要な仕事だ。しっかり励んでくれたまえ」
「ははっ」
雪かきの青年、エイラムを後に先を急ぐ。腕に抱えられたままの貴方が振り返ると、エイラムは見えなくなるまでずっと頭を下げていた。
「雪かきは産業ではないが、大事な仕事だ。手当もそれなりに多く見積もっている。とはいえ重労働だからな、基本持ち回りだ」
「エイラムさんがずっと雪かきをしている訳ではないのですね」
「ああ、そうだ。エメンタール領は大なり小なり、年中降雪に悩まされているからな。雪を放置しておけば道路は塞がり家屋は押しつぶされ、我々は凍えるばかりになるだろう。環境保全や公共設備の維持に資金を割くのは大事なことだ。それがわからん者は多いが……」
「誰しも、自分のお財布の中身は自分のために使いたいものです」
「権力者の財布というのは、自分のための財布ではないのだ、リチャード。我々は領民から信任を得て、彼らの資産を預かっているだけだ。そこをはき違えてはいかんぞ」
「はい、父上」
基本的にこの世界の貴族階級の始まりは、いわゆる士族、豪族とおなじものだ。人が集まって生きていく上でリーダーが必要になり、大多数に代わって意見をまとめて方向性をきめて動かし、外敵があれば率先して武器を手に取る。権力や権限は、いってみれば面倒ごとを引き受けてくれた事への感謝であり報酬だ。
父の言う事は極めて常識的な事ではあるが、それ故に忘れやすい。やはり、父親は為政者としてひとかどの人物であるようだった。
そうこうするうちに、目的の場所についたようだ。屋敷からそう離れていない街の中心近くに
、大きな建物が広がっていた。煙突が何本ものびて、湯気ではない黒い煙をもくもくと吐き出しているその様は、一見すると街の只中にあるには相応しくないように見える。
「騎士工房だ。ここでオーバーナイトの整備と製造がおこなわれている」
「父上。あまり街中にはそぐわない設備にみえるのですが。工場や軍事基地であるなら街はずれに作るべきなのでは?」
「もし戦争になれば、当然街は籠城戦になる。その時、外側に重要設備があっては容易く落とされてしまうだろう? 民の生活には悪影響があるが、それでも最も守りの硬い街の中央に工房をおくべきなのだ」
「なるほど」
貴方は思う所があったものの、素直にうなずく。ただ単に、何に比重を置くか、という価値観の違いなのであろう。前世の感覚だと居住区の只中に軍事設備を置くのは卑怯者のテロリストか劣勢に立たされて余裕のない国か、人命を軽視する者の所業であった。
ただ、それはあくまで空爆が行われる場合の話だ。蔵書を読む限り、この世界に航空兵器は存在していない。もしかするとこれから生まれるかもしれないが、少なくとも過去の経験に基づく限りでは決して問題のある配置ではないだろう。
それに空爆による一般市民への巻き添えが悪とされるのも、非戦闘員という概念が成立しているからである。この世界は貴族階級が強い力を維持している点から見ても、まだ人権や非戦闘員という概念が確立しているかは怪しい所だ。戦争になれば市民もろとも街は焼き討ち、略奪や虐殺が横行し、国も人も滅ぼされるという時代であれば、むしろ街の只中に軍事設備がある方が市民からすれば心強いのかもしれない。
「何機のオーバーナイトがここには配備されているのですか?」
「一機だ。祖父の代には三機あったが、二機は戦争で失われた。その戦いには勝ったがな。その戦争を生き残り唯一エメンタール領で現存しているオーバーナイト、”白鴉<ホワイトレイヴン>”がここで維持管理されている」
工場に近づくと、入口でしわしわの老人が一行を待ち受けていた。いつの間にか連絡がついていたようで、高齢の工房長と思わしき老人はどうぞ、と皆を案内した。
顔中のしわの間に埋まっているような目が、貴方を見つめる。細められているが、はっきりと光のある黒い瞳に見つめられて、貴方は元気に挨拶を返した。
「はじめまして。リチャードです。今日は私のわがままに付き合っていただいてありがとうございます」
「これはこれは、ご丁寧に。騎士工房の工房長を承っております、ギレルと申します。以後、よしなに……」
「はい! よろしくお願いします!」
必要以上に声を張り上げてしまった事に貴方は気が付いた。心の中の逸る気持ちを抑えられなかったようだ。父親がそれを見透かすように苦笑するのを見て、貴方は顔を父親の服に埋めるように隠した。
「ふふ、本でオーバーナイトの事をご覧になりましたかな? 街の子供は誰しも一度はオーバーナイトに憧れを抱くものです。かくいう私も、好きでこの職に手を付けたわけでしてな……」
「だ、そうだ。恥ずかしがる事はないぞ」
工房長や父親がフォローのつもりで慰めてくるが、貴方にとっては追撃も同じだ。
「はは、そういじけるないじけるな。今から白鴉をみせてもらうんだ、顔を上げなさい」
「ちょうど、調整が終わったばかりでございます。今の騎士がまだ若者故、成長に合わせてちょくちょく改修しますので、タイミングがよかったかと」
「ゲイン騎士だったか。昨年度の武術大会で優勝し、騎士の座を手にしたのだったな。私は生憎所要で決勝戦を見逃したが、よい騎士のようだ」
どうやら件の白鴉には既に騎士が内定しているらしい。貴方はちょっとがっかりした。騎士が内定しているのなら、乗るのは難しいかもしれない。しかし、貴方自身の肉体はまだ幼子。時間はある、その間にどうとでもなると気持ちを切り替える。
最悪作ってしまえばいいのだ。そう思って、今は工房見学に集中する。
工房の中は、大量の蒸気で満たされていた。高熱の源泉を利用した蒸気機関を動力につかっているのだろうと貴方はあたりをつける。
煮えたぎる湯が無尽蔵に沸いてくるなら、燃料代も節約できる事だろう。ただ設備との相性は悪いようで、建屋の内部は剥き出しになった鉄骨があちこち赤錆に覆われ、シリンダーやギアを回転させる用途のよくわからない機材は錆止めの油でヌラヌラと光っている。
鼻をつく異臭と、むわっとした蒸気。それに機械の作動による騒音が工房内に満ちており、貴方は少し労働環境を疑問に思った。
そんな息苦しい工房の中にあって、一際異彩を放つ存在があった。
錆塗れの機材の中にあってそれは汚れ一つなく、艶のある陶器のような質感の装甲をきらめかせ、静かにたたずんでいた。突飛な飾りや装備はなく、上品に拵えた西洋甲冑をそのまま大きくしたかのようなデザイン。かといって間延びした印象を受けないのは、要所要所にあしらわれた彫刻のおかげだろう。胸部には、エメンタール家の家紋である三角形が刻まれ、その出自を物語っている。
”白鴉”。
貴方の第一印象としては、鴉というよりは白鷲だな、というものだった。ヘルメット部分が鳥を模しているのだろう、鋭く尖っており、全体的に細見で軽量に作られているのが見て取れた。
「これが白鴉……」
「うむ。300年前に甲冑職人オリーヴァ・ロータールが40年の年月をかけて作り上げた、我が領に現存する唯一の超過騎士だ。形式としては旧型だが、職人が己の人生をかけて丹念に組み上げた機体だ、最新型といっても10年やそこらで組まれた量産型にはまだまだ負けんよ」
「300年前!?」
それは凄いな、と貴方は素直に感心した。この世界が今の技術水準をどれぐらい維持しているのかはまだ勉強中だが、300年前というと重工業も発展している最中だったはずだ。大型の工作機械もなしに、おそらくは部品一つ一つを鋳造で作り、手作業で仕上げて巨大な人型を作る。途方もない労力が必要だったに違いない。製作に40年かかったというが、逆に言えばたった40年で仕上げたともいえる。
そして同時に、それだけの手間暇をかけたオーバーナイトを所有できた事が、エメンタール領の当時の財政力を物語っている。辺境伯とはいえ伯爵家の力というのは凄まじいものがあるようだ。
「かつては他に二機あったそうですが、そちらも白鴉と同じような機体なのですか?」
「いや、白鴉は一番古い機体だ。後の二機はここ40年ぐらいで急速に普及してきた数打ち、量産型だ。大規模な工業ラインで機体を一括で作る。設計を共有する必要があるから、動力に制限があるし、性能は大したことが無いのだがとにかく安い。あと壊れにくくはあったな」
「動力……遺物と呼ばれるものですね。今の人類では再現不可能なエネルギー資源。オーバーナイトは遺物在りきの存在なので、動力源に合わせて設計するのが従来の常識でしたか」
「本当によく勉強しているな。そう、遺物こそがオーバーナイトの有り様を決める。白鴉は、蒸気核と呼ばれる遺物を組み込まれておる。かつてエメンタール領の地下水、その源泉の調査中に見つかった白熱する結晶体を組みこんだ炉になる。原理はいまだにわからんが、水を灌ぐと蒸気に変える上に、明らかに質量保存の法則を無視した量の水をため込む事ができる。科学者の中にはスチームコアと呼ぶ者もいたな。非常に珍しいが、唯一無二ではないらしい」
「他の二機はなんだったんですか?」
「量産型は単純な熱源を発するタイプの遺物に限定されている。それだけ遺物としてはありふれたものでな、エメンタール領で保有していた二機も火山から見つかった溶岩核と呼ばれる遺物を組み込んでいた。いつまでも冷める事なく熱を発し続ける赤い結晶だ。量産型は熱源系の遺物をベースに蒸気機関を稼働させる構造になっている」
それはすなわち、熱源系の遺物が最もメジャーであるか、あるいは、一番動力に使いやすという話になる。
貴方は本で読んだいくつかの代表的な遺物を思い返したが、成程、確かに永遠に脈動する心臓とか使い道が無い訳ではないが機械には組み込みにくいだろう。蒸気機関などの機械動力が発展しているなら、熱を発する遺物が一番扱いやすい。
ハンガーに収まった機体を観察していると、確かに各部から蒸気らしきものをひっきりなしに放出している。蒸気機関で基本的な動力を得ているだけでなく、蒸気圧で直接機体各部の駆動も行っているのかな、と貴方はあたりをつけた。
そんな事を考えながら、貴方はまじまじと構造を観察する。気が付いたが、機体各部に錆らしきものが殆ど見当たらない。丁寧に油を差して処理しても、この環境もあいまって機械は錆をは無縁でいられないはずだ。ましてや300年ものの機体である。しかし、白鴉のフレームは錆一つない白い輝きを放っている。質感からして塗装ではない。
「……父上。もしかして白鴉は、白夜石でフレームができているのですか?」
「おお、よく気が付いたな。その通りだ。鉄のように固く、そして温度変化による体積変化が極端に少ない白夜石は、局地戦用のオーバーナイトの素材としてとても優れているのだ。装甲は流石に違うが、骨格の大半は白夜石で製造されている」
まさかの石製である。機体構造を二度見する。
確かに話に聞いた性質であれば、寒冷地でのフレームには非常に重宝される物質だろう。温度変化による体積の変動は、意外と馬鹿にならない誤差になる。
特にこのエメンタール領で動かすとなると、年中雪に覆われた極寒と、動力源の発する高熱、その板挟みになる。下手な金属を使えば状況で部品の噛み合いが変わるどころか、繰り返される温度変化で構成素材が劣化を起こしてしまう。戦闘中に劣化で部品が脱落なんぞすれば命に係わるのは言うまでもない。
しかし、だとしても石、とは。いまいち貴方にはピンと来ないが、目の前に現実に300年物のオーバーナイトが鎮座しているのだ。想定よりも白夜石とやらが頑丈な物質であると思うしかないだろう。そうなると、そんなとんでもない物質をどうやって加工しているのか、という疑問が出てくるが。
「む、騎士が降りてくるようだぞ」
父の言葉に貴方は思索から引き戻された。顔を上げると、白鴉の胸部に職人が取り付いて作業しているのが見えた。ガコン、と胸部装甲全体が前にスライドし、ゆっくりと斜めに傾くように開放される。その内部には無数の歯車や発条がみっちりと詰まった内部構造がみえた。その中央部分に、真鍮色の球体が存在し、埋め込まれた無数のシリンダーを動かしている。恐らくこれが蒸気核だろう。
そしてその少し上にずれた位置、首の付け根あたりに騎士の姿はあった。
操縦席がある訳ではない。全身鎧のフルプレートメイルが、胸部構造と一体化するように組み込まれていく。搭乗者の挙動を直接機体に反映させるタイプの操縦方法らしい。随分と居住性が悪そうだな、という感想を貴方は抱くだろう。
技師たちが取り付き、手作業でプレートメイルを脱がせていくと、その下からまだ年若い黒髪の青年が姿を見せた。
彼が白鴉の騎士だろうか。貴方は素直に父親に尋ねた。
「父上、あの人が白鴉の騎士ですか?」
「うむ。ジョシュア・ブラウン、16歳でエメンタール領の武術大会で優勝した優秀な騎士だ。まあ、エメンタール領はさほど広くもないし武人も多くはないが、それでもなかなかやるようだぞ」
「そうですか……」
再びジョシュアという若者に視線を戻す。彼は、領主親子が視察にきている事を整備員から知らされでもしたのだろう、操縦席から大きく手をふって笑顔を見せている。
貴方もためらいがちに手を振り返す。
ジョシュアは整備員の助けで鎧を全て外すと、そのまま操縦席にたった。鎧の下は、対衝撃性能の高そうなモコモコとしたインナーを着ている。実際のプレートアーマーとかもそういうインナーを中に切るんだったな、と貴方は想起した。扱いとしては、本当に大きな鎧のようなものなのかもしれない。
と、そこでジョシュアは意外な行動に出た。操縦席の縁に立つと、そのまま飛び降りたのだ。
「えぇっ!?」
操縦席から地面までは10m近くあるはずだ。貴方はジョシュアが地面に叩きつけられるのを想像して目をそらす。ぎゅっと目を瞑って父親にしがみつく貴方を、おかしそうに父親が笑った。
「ははは。吃驚したか、安心しなさい。あれぐらいでは怪我一つしていないよ」
「え……」
父親がそんな事をいうのだから、貴方は恐る恐る目を開いて確認する。
するとそこには、言葉通り何ごともなかったように元気よくかけてくるジョシュアの姿があった。
彼はセガール一向の前で立ち止まると、どこかぎこちなくも礼儀正しく敬礼をした。
「領主様! ご無沙汰しております!」
「いや、いい。そう硬くなるな。今日はこちらから突然出向いたのだ、迷惑をかけた」
「いえ、そんなことは……」
言いながらも、ちらちらとジョシュアの視線が貴方に向いているのが分かる。セガールは肩に抱えた貴方の両脇に手を回すと、そのまま地面に抱き下ろした。
硬く冷たい地面におろされて、貴方は困惑混じりにジョシュアを見上げる。幼子の貴方からすると、まだ若いジョシュアも見上げるようだった。
「息子のリチャードだ。こうやって外に出すのは久しぶりになる。挨拶をしなさい、リチャード」
「はい。お初にお目にかかります、リチャードと申します」
「これはご丁寧に。俺はジョシュア・ブラウンと申します。以後、よしなに」
リチャードに返礼するジョシュア。何故かその仕草だけは胴に入っていてなかなかのものだった。領主に対する挨拶はかなりぎこちなかった所を見ると、騎士という身分は聊か接する相手に偏りがあるらしい。
「あ、あの……」
「うん? なんだい?」
貴方が問いかけようとしているのに気が付いてか、ジョシュアは腰を落として貴方に目線を合わせてくれた。この気遣い、さぞや若い娘にもてているのだろうな、と貴方は若干嫉妬なのかよくわからない感想を抱いた。
「さっき、高い所から飛び降りていましたけど……平気なんですか?」
「? 高い所?」
「ジョシュア。リチャードは私のせいでちょっと箱入りの世間知らずな面があってね。屋敷の階段より高い所を知らないのだよ」
「ああ、そういう事ですか。はは、心配いりませんよ。俺達騎士からすればあのぐらい、高い内に入らないから」
「えっ」
「そう驚くべき事ではないぞ、リチャード。お前も少し鍛えればあれぐらいはできるようになる」
「えっ」
いきなりとんでもない事を言われて貴方は困惑した。明らかに肉体を鍛えていると思しき騎士だけの話ならまだ納得できたが、当たり前のように鍛えさえすれば貴方もできる、と言われても実感がわかない。当然ながら、屋敷で過ごしている時に階段を上り下りしているが、それだって体格相応にそこそこ大変である。
もしかしてアクションゲームみたいに落下時のダメージ判定がない世界なのだろうかと貴方は訝しんだ。流石にそれは無いだろうとすぐに思い直したけども。
「それでだな、ジョシュア。リチャードはどうやらオーバーナイトに強い関心があるようでだな。悪いが、時間があるときに色々話相手になってやってくれないだろうか? 病弱な子で今まで屋敷に閉じ込めていたが、そろそろ外に出してやるべき頃合いだと思っていてな」
「それは身に余る光栄でございます、領主様。不肖ながらこのジョシュア、ご子息に知りうる限りの事を伝えさせていただきます」
「ふふ。だからそう畏まらなくともよいと言うに」
何やら貴方を置いてきぼりにして話がどんどん進んでいるようである。
それでもまあオーバーナイトに関われるならまあいいか、と貴方は気持ちを切り替えて、静かにたたずむ白鴉を見上げた。
いわゆるコクピットは存在しないため、いくら貴方が小さくてもタンデムは難しそうだ。立場をゴリ押しして乗せてもらうにも、もう少し手足が長くならないと駄目そうである。
絶対にそのうち乗ってやるからな、と貴方は覚悟を新たにし、父親とジョシュアに声をかけた。
「あの白鴉というオーバーナイト、私を乗せてもらう事ってできますか?」
それはそれとして、貴方は確認するだけ確認してみる。
残念ながら、返ってきた答えはNOだった。
オーバーナイト白鴉と、ジョシュア・ブラン騎士に貴方が出会って数年の時が流れた。
今の貴方は齢10歳。まだまだ子供ではあるが、ある程度体が出来上がった事である許可が下りる事になった。
騎士としての鍛錬への許可である。
体が出来上がってない時に鍛えても、返って成長を阻害するだけ。それゆえに体を鍛える事は禁止されており、本来ならばもう少し様子を見るのだが貴方の熱意に保護者達が根負けした形である。父親をはじめとして保護者達はまだまだ過保護であり、成長阻害云々の話もあくまでお題目で、可能ならばオーバーナイトにこれ以上関わってほしくないらしいのが見え見えだったが、しかし貴方もそこは譲れない。
前世ではそれこそ気が向いたときに体を動かすだけだった事を考えると、モチベーションというのは人を変えるのだな、と貴方はしみじみと実感している。
とはいえ、いくら根負けしたとはいってもいきなり本格的な訓練の許可はおりない。
関節に必要以上の負担をかけないよう、筋力をつけたりする以外の訓練が主流になる。一応許可をした手前、いい加減な事を言っている訳ではないだろうから貴方は素直にそれに従った。
内容としては、剣に見立てた棒振りだ。
今日も貴方は、街の武道館の一画で、教えられたフォームを守ってひたすら棒振りをしている。
「むむむ……」
ただの棒振りとはいうが、武術の類に全く触れていなかった身からするとなかなか難しい。何も考えずに棒を振り下ろしては意味が無い。足の踏み込み、骨格の動き、筋肉の動き、そういったものを意識して体全体で振り下ろす。それもきちんと狙った角度とコースを何度も何度も。
これが意外と大変である。
最終的にはこの動きを何も意識しなくても完璧に繰り出せるようにならなければならない。技とか型とかはその後だ。まず完璧にフォームを身に着ける事で、自分自身に剣を振るう意思がある事を貴方は証明しなければならない。
少し気を抜くと腕だけで棒を振ってしまう。それでは意味が無い。
黙々と何百回と素振りを繰り返す貴方。領主の息子という事もあって、武道館にいる者達も遠巻きに見ているだけで声をかけてくる事は少ない。目線さえ合わせなければ視線も気にならず、貴方は素振りを通しての自分自身の肉体との対話に集中した。
「やあ。よく頑張っているね」
そんな貴方に声をかける者がいた。知らない相手なら集中を乱されて不愉快に思うかもしれないが、この相手は貴方のよく知っている相手だった。
「ジョシュア! 戻ってきてたんですね!」
「五日ぶりかな、リチャード様」
騎士の正装姿である白い外套を羽織ったジョシュアが、にっこりと微笑む。背後では武道館で鍛錬している者達が、リチャードを遠巻きにしてひそひそ話している。
白い外套は、油汚れや出血を隠すためのものだ。外套の下は鎧を着る為の下地をそのまま来ているはずである。場合によっては形骸化している文化だが、貴方の嗅覚はツンとくる油の匂いをかぎ分けていた。恐らく外套の下は汚れたままで、街に帰還後すぐに来てくれたのだろう。
そう。ジョシュアは騎士としての任務にここ五日ほど街を留守にしていた。最近街道を武装した山賊が脅かしているという事で、武威を示す意味もあって白鴉と共に出ていたのだ。こうして戻ってきたという事は、首尾よく任務を果たし終えたのだろう。
「任務お疲れ様です。首尾はいかがでしたか?」
「万事度滞りなく。エメンタール領を脅かす山賊、一網打尽にしてまいりました」
腰を折って優雅に一礼してみせるジョシュア。腕白坊主みたいだった男も、立場と使命を得れば変わるものだなあ、と貴方は聊か失礼な事を考えながらも、領主の息子として鷹揚に頷いた。
「大義ご苦労。父上には?」
「これからご報告する所です。まずはリチャード様にご一報を、と思いまして」
「ふふ、ありがとうございます。では一緒に父上に報告にいきましょう。少し待っていてください、片付けますので」
こうしては居られない。貴方は急いで着替えに走った。
その日の夜は、ジョシュアの武勇を称えてささやかな晩餐が行われた。
氷柱葡萄の貴腐ワインが倉から出され、低温で熟成させた雪華ハムが切り分けられる。蓄えられたエメンタール領の豊かとはいえない恵みが、ここぞとばかりに食卓に並んだ。
街の名士達も集まり、領主であるセガールの音頭で乾杯が交わされる。ジョシュアももう20歳、酒精をとれる年齢もありそれに交じってワイングラスを鳴らす。
貴方は当然ながらその枠の外だ。氷柱葡萄のジュースを片手に、大人達の輪を外から眺めている。いや、別に貴方はお酒が好きではないのだが。
話の主題は当然、若き騎士の武勇伝だ。ジョシュアが控えめに語る山賊との闘いに、大人達は相槌を打ちながら褒めたたえている。会話スキル高い人たちだなあ、と貴方は思いつつ、今後の参考にと耳を傾けた。
「……そこで私は足元の雪を蹴り上げ、即席の煙幕にしたのです。山賊たちは雪原での戦いに不慣れなようでしたので一気に距離を詰め、あとは容易いものでした」
「いやいや、ご謙遜を。単騎で10輛近い主力戦車と相対して切り抜けるのは、ジョシュア騎士の実力あっての事でしょう」
「しかり。本来オーバーナイトといえど二機一組のエレメントが鉄則。山賊側もその点をついてきたのにものともしないとは、流石ですな」
「いえ。不遜ながら私はエメンタール領の至宝たる白鴉を預かる身。この程度の事は」
「そうそう、白鴉でしたな。動いているのは先日初めて拝見しましたが、実に美しい機体だ。まるで大理石の乙女のようでした。美しさを損なわず戦力として運用できるバックアップの厚さも感じましたな」
「ええ、ええ。三機であったオーバーナイトが一機になってしまった時はどうなるものかと思いましたが、これならエメンタール領も安泰でしょう。願わくば、せめてもう一機、運用状態にあっていただきたいものですが……」
「ご安心なされ、皆様方。工房の方で準備が進められております。遺物が新しく見つかり次第、あらたなオーバーナイトの配備は可能です」
「おお、セガール伯爵、それは本当ですかな? それは実に素晴らしい事です」
むむ、と貴方は眉を潜めて小さく唸った。
ジョシュアをほめているかと思ったらそれを出汁にしての遠回りなエメンタール領への批判。それに対し父親がそれは分かっているとばかりにカウンターすれば、掌大回転で領主を称える。面倒くさそうなやり取りが行われている。貴方は、どうしてこう政治というのはこう、厭味ったらしくなるのかね、とうんざりしている。貴族というのは性格が悪くなければ務まらないのだろうか。
とはいえ直接的な批判をする者が誰もいないのは、少なくとも弁えているのだろう。この世界には表現の自由とかいう、振りかざす者が一方的に有利になれる狂った倫理バリアは存在しない。自分の事を棚に上げて他者の批判だけしていれば安泰、なんて事は許されないから、批判する方もそれなりに頭を使って喋っている。
「そういえば、伯爵のご子息がオーバーナイトに興味があるというお話を聞きましたな」
「やはり血は争えんという事ですかな? 自らオーバーナイトを駆るのは高貴なる血の責務でありましょうし」
急に話題が貴方に移る。覚えのある顔、覚えのない顔に一斉に視線を向けられて、貴方は口にしていたものを喉につまらせるところだった。
とりあえずの愛想笑いを浮かべてその場を誤魔化しにかかる。まだ社交界にもデビューしていない身で、余計な事をいって父親を困らせてはいけないという判断は間違っていないはずだ。
「皆様方。息子リチャードはまだ幼い。子供のうちに周囲が道を決めてしまうのはいかがなものかと思われますが」
「むぅ……」
そこに父親のフォローが入る。父セガールは、リチャードがすでにオーバーナイト一筋で将来を考えて鍛錬もしているのは知っているし正直反対しているが、それはそれ、これはこれである。ほうっておけば何かしらの売り込みをやり始めると見てか、会話の主導権の奪還にかかる。
名士達も貴方に興味があるというより、話題を広げたかっただけなのだろう。普通の子供を装う貴方にあまり関心もないようで、再び政治的な話に戻っていく。
「……ふぅ」
その様子にちょっと安堵して、貴方はテーブルから距離を取った。そう広くない屋敷の広間だが、壁まで寄ってしまえば談話する貴族の声もよく聞き取れないし、こちらのボヤキも聞き咎められる事はないだろう。
皿に取れるだけとってきた料理にフォークを差し、独り自由に食事を味わう。
と、そこで貴方に近づいてくる相手がいた。同じように壁によって談話と距離を置いていたその男は、貴方の記憶にある顔でもある。小さく頭を下げて挨拶をする。
「エラントおじ様。御無沙汰しております」
「リチャード様も久しいですな。……政治家どもの生臭話にうんざりされましたかな?」
エラント・バウン。つるりと反り上げたスキンヘッドに灰色の瞳、無数の古傷が特徴的な男で、華やかなパーティの中にあって空気を呼んだ燕尾服を身に着けているにもかかわらず、火薬と油の香る戦場の空気を纏っているような印象を受ける。
彼はエメンタール領軍において、戦車中隊を率いる職業軍人だ。
いくら戦争の中心がオーバーナイトであるとはいえ、補助戦力が全く必要ない訳ではない。多少の小競り合いにいちいちオーバーナイトを持ち出していたら工房が過労死してしまう。なので、そこらの夜盗崩れや、オーバーナイトがぶつかり合う前哨戦に対応するために通常兵器の機甲部隊も若干ながら存在している。エラントはその部隊長として、何度かリチャードとも顔を合わせていた。
ただ、普段彼が詰めているのは国境線近くの砦である。エメンタール領の中心ともいえる街にはめったに顔を出すことはない。
そこを疑問に思った貴方の顔色を呼んでか、エラントは先に自分の事情を語り始めた。
「今回の一件、後詰めに我々も出ていましてね。ジョシュア様に是非に、と請われてきていましたがどうにもこのような場には馴染めず。仕方なく、壁際で置物を気取っていたところです」
「ん。本来、山賊盗賊の排除は領邦軍の仕事ですものね」
「ええ。今回はジョシュア様の経験を積む為と箔付けの為に後ろに下がりましたが、ジョシュア様もなかなか出来る。楽をさせていただきました」
そこで不意に会話が途切れる。貴方はエラントが何か言いたそうなのを判断しかねているのを見て取り、皿の上を片付ける作業に戻った。朴訥な男だ、急かさなくても必要な事は口にするだろう。
思った通り、貴方が皿の上の品を二つばかり減らしたところで、エラントは口を開いた。
「今回の件、リチャード様はいかが思われますか?」
今回の件、などと言われても何をどう思うかという話なのか、判断に困る。もう少し分かりやすい話をしてほしいが、これがエラントという男なのだからしょうがない。根本的に不器用なのだ、彼は。
貴方は少し頭を捻り、先ほど盗み聞きした会話を思い返した。確かに、いささか気になる点はある。
「ジョシュア様は10輛近い主力戦車と相対したとお聞きしました」
「ええ。数を多く見積もっていないのは私が保証します。確かに10輛でした」
「……多くないです?」
いくら主力兵器がオーバーナイトであり、戦車はその補助に過ぎないとはいえ、それそのものは十二分に強力な兵器である。分厚い装甲に厚さ数十ミリの装甲を打ち抜く主砲、それらを搭載した車体を駆動させるエンジン。オーバーナイトというものが存在しなければ地上の戦場は彼らの天下であり、それ故、決して安価な兵器ではない。
それが10輛も領内に侵入してきていた。
ただの山賊で片付けるには戦力が過剰すぎる。
「山賊の生き残りは捕らえて尋問していますが、彼ら自身はただの敗残兵や旅人崩れのようです。武装に関しては、商人から格安で中古を譲ってもらったといっていますが……」
「十中八九、敵国の工作ですね」
近頃勉強しているが、エメンタール領は辺境であれど政争とは無縁ではない。辺境という事は国境線が近く、それを越えれば別の国だ。当然、その中には敵国が存在する。
辺境伯が王の信任厚い者でなければ務まらないというのもそれが原因だ。独力で国境線を守る為に武力を蓄える必要があるのに対し、王都の目の届かない地で戦力を集めれば反乱とみなされる可能性がある。決して王に逆らわないだろうという信頼があってこそ、辺境伯という立場は成り立つのだ。
そしてエメンタール領が所属する王国、ブラウンディッシュ王国には敵対する国家が二つある。一つは東方のカルバルキア通商連合。もう一つは西部のヴァルハラン帝国。エメンタール領が国境線を隣接しているのはヴァルハラン帝国の方だ。そしてヴァルハラン帝国は、近年産業革命を成し遂げ急速に重工業を発展させている。それに伴い旧式化した戦車が大量に発生しているはずだ。その使い道として、敵国内の不穏分子に供給するというのはありうる話だ。
幸いブラウンディッシュ王国は国王の善政が何代にもわたって続いたこともあり、反乱分子等はあまり活発ではない。だが国がいくら善政を心掛けても取りこぼす者は出てくる。安定した環境で自らドロップアウトを選ぶ者もいれば、そもそも人間社会に適合できない者もいる。そういった者が山賊に身を落とすのを止められない以上、火種そのものを消し去る事はできない。
「頭の痛い話ですね。流通経路等は?」
「調査中です」
「まあ僕が言うまでもなく父上が既に指示を出しているとは思いますが、よろしくお願いします」
「それは勿論」
「……ていうか、結局政治の話をしてますね、私達」
腹の探り合いではなく実直なやり取りなので精神的にはそう疲労してはいないが。
辺境伯の息子として生きる限り、こういった話とは無縁ではいられない。仕方ないがずっとこういう世界で生きていくと思うと少しうんざりする貴方だった。
「ですが、立場だからこそ得られる恩恵もありますよ、リチャード様」
「……と言いますと」
「連絡が付きました。ジョシュア様の剣の指導者が、近日こちらにいらっしゃいます」
「そ! ……それは本当ですか?」
貴方は思わず声を上げそうになり、慌てて小声で言い直した。合わせてちらちらと会場内の賓客の反応を確認する。
幸い、壁際にいたのもあって貴方の迂闊な声を聞き咎めた者はいないようだ。
「ええ。ですが私が出来るのは呼び寄せるまでです。口説き落とすのはご自身でお願いしますぞ」
「はい、それは勿論」
とりあえず第一段階はクリアされた、と貴方はにこやかに笑った。
教本等を参考に鍛錬するにも限界がある。やはり師匠、それも出来るだけ腕が立つ者が必要だった。ジョシュアの師匠ともあれば、十分な人材である。話によれば権力に無頓着な男であるらしいが、であればこそ、父親が顔をしかめてもそうたやすく手を引かないだろうという見込みもある。
貴方が独自に動いているのは勿論事情がある。
辺境伯の子息という立場、本来であればむしろこぞって武人達が師範役を申し出るのであろうが、貴方の場合はそうもいかなかった。何せ父親であるセガールは高齢であるという事もあり、貴方の弟や妹は望めない。そうなると、辺境伯唯一の跡取りである貴方を、戦場に出すという訳にはいかなくなってくる。実際にそのあたりを組んでか、貴方についてくれる師はいない。
今は子供の憧れ、お遊びだと思って好きにさせてくれているが、もう少し成長し、貴方が本気の本気でオーバーナイトの騎士を目指していると理解すれば当然止めに来るはずである。だからその前に、貴方は騎士である事を既成事実化しておく必要があるのだ。そうしてしまえば、自らオーバーナイトを駆り戦場に立つのは貴族の義務であるからして、貴方を諫める理由はなくなるはずである。
そういった諸々の事情を顧みれば、ジョシュアの師匠であるかの剣豪はうってつけの人材であった。まあ、貴方が彼を口説き落とせるかが問題ではあるが……。
「まあ、やれるだけやってみます」
つまりはそういう事なのである。
剣豪、オブライエン・オガタ。
流しの騎士として名高い男で、叙勲こそ受けていないが剣聖と呼ばれるにふさわしい実力の持ち主だと言われている。特定の街にいつかず、愛機であるオーバーナイト、黒曜号と共に各地を回り、領主の依頼を受けて山賊や代替戦争に勝利して名を売ってきた。特定の工房を持たない流しの騎士は、オーバーナイトの整備・維持に大変な労力が必要なのだが、そんな生活を長年続けてこれるのは彼の確かな実力による騎士としての需要の他に、機体に必要以上の負荷を与えない繊細な操縦技術の賜物である。
しかしその一方で個人としての人格は傲岸不遜、例え爵位持ち相手でも気に入らない事は気に入らないとはっきり言い、腹が立てば拳を振るうのも厭わない。
良くも悪くも型破りな人物であった。
とはいえそんなオガタもそろそろ中年の峠を下った所。髪には白い物が目立つようになり、騎士としての最高値はとうに過ぎている。いくら規格外に優秀な男でもそろそろ引退していてもおかしくはない頃合いであり、ジョシュアに指導するなど次世代への引継ぎも意識している事だろう。
そのように、貴方はオガタの事を分析していた。であれば、貴方の申し出に頷く事もあるだろうと。
結論から言おう。
やはり噂は当てにならないものだ。
『馬鹿弟子! 貴様の師匠がわざわざ来てやったぞ!』
ざわざわと街人が騒めいているのをよそに、拡声器で男の声が響き渡る。
声の主は郊外に立つ一機のオーバーナイトだ。街の防壁の外で足を止めたその機体は、剣を突き立て待機の姿勢だ。その足元には、無力化されたエメンタール領防衛隊の戦車がひっくり返っており、這う這うの体で乗員が脱出しているのが見えた。戦車は綺麗に履帯の一部を切り裂かれており、乗員にも車輛にも必要以上の傷をつけまいという繊細な手加減が行われているのが見て取れた。
つまり、それだけの圧倒的な力の差があるという事である。通常兵器などもはや歯牙にもかけないという、絶対的な自信と実力。
佇むオーバーナイトを貴方は確認する。全身が黒光りする装甲に覆われ、頭部に靡く馬の鬣のような飾りが外見上の最大の特徴といえる、軽量スタイルのオーバーナイト。
足が鷺のようにすらりと細く、上半身が分厚い装甲に覆われた極端なトップヘビーの機体構造は、理論上防御力と機動力を両立できる優れた設計ではあるが、乗り手に過剰なまでの繊細な操縦を要求するじゃじゃ馬だ。操縦面での騎士の負担があまりにも多く、今となっては設計の主流から外れている。
そんな機体を愛機として乗りこなす。それだけで、騎士の実力が透けて見えるというものだ。
そう、あの黒騎士こそがオーバーナイト黒曜号<イシュー・オブ・オブシディアン>。貴方が、ツテを使ってエメンタール領に呼び寄せようとしていた、流浪の騎士オブライエン・オガタの愛機である。
『オーバーナイト同士の戦いに勝ったならいざ知らず! たかが戦車10輛程度で天狗になっている貴様の鼻っ柱を、師匠直々にへし折ってやろう! とっとと顔ぐらい見せるがいい!』
……そう言う事らしい。そしてその為に、職務に忠実な防衛隊を蹴散らしてくれたらしい。それも、領主である父親が所用で街を留守にしているというタイミングで。
貴方は意識が遠くなりかけた。
「いやいやいや……」
だとしても、オガタがエメンタール領にくる事を望んでいたのは貴方自身である。故に、筋違いでもこの場をどうにか収める必要がある。館のベランダから状況を確認していた貴方は侍女を呼びつけ、オガタを説得すべく早馬の準備をするように言いつけた。
『この馬鹿師匠!』
街に響く青年の声。貴方は思わず振り返り、そして見た。
蒸気に包まれた街の攻防。その中から、白く輝くオーバーナイトが姿を顕し、胸を張るのを。
白鴉。乗っているのは勿論、エメンタール領の騎士、ジョシュアである。彼は憤慨した様子で、いつもの騎士然とした余裕のある態度をかなぐり捨てて怒鳴りつけた。
『なんて事してくれたんだ! エメンタール領伯爵様は俺が仕えている御方だぞ! その防衛隊を手にかけやがって!』
『ふん! この程度の実力で伯爵の兵を名乗るなど片腹痛いわ! まあ、馬鹿弟子の実力には見合いか?』
『言うに事かいてエメンタール領の兵士を侮辱したな、このクソ師匠! いいぜ、そっちがその気ならやってやろうじゃないか!』
ずん、と足音を響かせて白鴉が歩き出す。それを見て貴方は慌てて部屋に戻った。
階段を駆け下り玄関に向かう。侍女の用意した外套をひったくるように受け取って玄関を出ると、雪を巻き上げて馬車が庭に乗り付けてくる所だった。
馬車とはいっても馬が曳いている訳ではない。この極寒の地では馬の飼い葉を維持する事ができないため、このあたりに住む鹿……いやヘラジカ? のような生き物を飼いならして車を引かせている。
閑話休題、そんな事を気にしている場合ではない。貴方は御者に一言かけて車に飛び乗った。すぐさま鞭が振るわれ、馬車が慌ただしく発信する。
貴方は外套の襟を合わせながら窓に埋め込まれた丸ガラスから状況を確認した。
白鴉は街の大通りを進撃し、ある程度外壁に近づいたところでぐっ、と深く屈みこんだ。次の瞬間、爆発したかのように雪を舞い上げ、その巨躯が跳躍した。防壁を軽く飛び越え、その向こう側に白鴉の姿が消える。
姿は見えないが、代わりに聞こえてくる罵声の応酬が火花を散らしているようだった。
『あんたを越えてやる! 今日、ここで!!』
『お前にそれができるかな? 片腹痛いわ、小僧!』
粗暴かつ短いやりとりの後に、大重量の金属同士が激突するすさまじい衝突音が響き渡った。あまりの大音量に、馬車の部品が共鳴を起こしてビリビリと震える。貴方も咄嗟に耳を抑えた。
その後も断続的に刃を交える轟音が響き渡る。全長20mを越えるオーバーナイト同士の戦いは、その二次被害もシャレにならない。
そうこうするうちに全力疾走する馬車が防壁のゲートを抜ける。貴方は慌てて御者に指示を飛ばした。
「ここで一旦止めて! 様子を見たい!」
ヘラジカが嘶き、速度を急に落とす。ドリフトするような形で馬車を横向きに止めた車内の窓から、貴方は二機のオーバーナイトの戦いを観察する。
二機の戦いは、防壁から少し離れた林の一画、伐採によって切り開かれた区画で行われていた。オーバーナイトの衝突によって発生するすさまじい衝撃に周囲の木々はなぎ倒され、結果として広いバトルフィールドが発生していた。
戦いは一見、互角のように見える。
攻めているのは白鴉だ。右手にグラディウスを、左手に円形のシールドを装備したオーソドックスな装備。貴方の見ている前にジョシュアは左手の盾で右手の剣を支えるような独特の構えで、じりじりと敵との間合いを図っている。
対する黒曜号は、盾を持たず右手に太刀一振りを備えた身軽な出で立ち。だが太刀の長さは白鴉のグラディウスの1,5倍近くあり、間合いの広さは尋常ではない。それにしてもあの細見であの刀身の長さ、ただでさえバランスの悪いトップヘビーの機体が振るえばその扱いづらさは尋常のものではないだろう。それによってか、黒曜号は積極的に攻める様子を見せず、肩に太刀を担ぐようにして様子見の構えだ。
それを見て白鴉が動いた。盾の縁で滑らすようにしてグラディウスを横なぎに払う。
「早い!」
一目見て理屈は理解した。オーバーナイトの振るう武器は、その体格に見合った大型の金属塊であり、当然非常に重い。武器を構えている間、オーバーナイトの腕力の何割かは、武器を支える事に使われ無駄になる。だから盾で武器を一時的に支え滑らすように繰り出す事で、振りはじめだけでも腕力を100%攻撃に使えるようにしたのだ。関節等への負担も抑えられる。
なるほど、機体への負担軽減に定評のあるオガタ、その弟子らしい技といえる。
対するオガタは、弟子の攻撃に掬い上げるように太刀を合わせた。繰り出される高速の斬撃の下に太刀の切っ先が潜り込み、斜面を登らせるようにしてかちあげる。刃同士をかみ合わせて無理やり力で跳ね返すのではなく、相手の切っ先を誘導して跳ね上げるとは、妙技といっていいだろう。
勢いを流され盛大に空ぶった白鴉が、振り回す刃の勢いにひきずられて体勢を崩す。それに対し最小限の動きで白鴉の攻撃を弾いた黒曜号には余裕がある。刃を引いて、操縦席を狙った突きを繰り出す。
その一撃を、白鴉は盾で防御した。刃が突き刺さると同時に外側に向けて盾を捻り、装甲をかみ合わせて容易く抜けないようにホールドする。
足を踏み鳴らして体勢を立て直した白鴉が、この距離ならば技は不要と言わんばかりに跳ね上がった腕をそのまま振り下ろして上段からの切り降ろしを狙う。それを、黒曜号の無手の左手が手首を抑えて封じ込める。
組み合ったまま、二機のオーバーナイトが至近距離で睨み合う。ギシギシという金属の軋む音、それぞれの動力源が唸りを上げる音が周囲に響き渡り、凄まじい力が拮抗している事を嫌でも周囲に知らしめる。
一時的に両者の動きが止まる。
その様子を見上げながら……貴方は感動に涙すら流していた。御者の止める声にも拘わらず、馬車から降りて肉眼で二機のオーバーナイトを見上げる。
凄まじい力のぶつかり合いに、両者の装甲が削れ、弾けて宙を舞う。白鴉の半透明の白い破片、黒曜号の光を通さぬ鈍色の破片がまじりあって周囲に舞い散っている。ガキン、と圧力に耐えかねて板状の部品がはじけ飛び、それは貴方の近くへきわどく落下したが、それすらも貴方の目には入らなかった。
「美しい……」
白鴉は勿論、黒曜号も精緻極まりない装飾を施された動く芸術品だ。そしてそれとは別に実際に脈動する姿を見ると、強度を重視した武骨極まりない頑強なフレームに、無数の連動するパーツが筋繊維のように組み合わされて機体を動かしているのがよくわかる。まるで生き物の体が血流に脈打ち、筋肉の収縮で盛り上がるように、硬い金属の塊であるはずのオーバーナイトの細部が騎士の意思に連動して細かく可動する様は、それらがまるで生きているようにさえ見えた。
そう。互いに凌ぎを削るオーバーナイト達。それらは冷たい工業製品でも兵器でもなく、もっと崇高な意思を込められた存在のように見えた。人型という、人の意思を体現する形がそう思わせるのだろうか。
美しい絵画のような光景。叶うなら、ずっと眺めていたいとすら思える。
だが、時は止まらない。再び戦いは流転する。
『終わりだ、クソ師匠! パワーなら白鴉の方が上だ、投了しろ! 黒曜号は壊したくない』
『ふ。何を勝ち誇っているのだ、馬鹿弟子めが! 策も無く組み合うなと教えただろう!』
『何っ』
『つまり、こういう事だ!』
黒曜号が太刀から手を放す。そして素早く、腰から新たな刃物を抜いた。白鴉のグラディウスの半分ほどの長さしかない小刀だ。それを白鴉が対応するよりも早く、盾の内側に潜り込ませて二度三度と閃かせた。
白鴉の胸に、肩に、腹に裂傷が刻まれる。抱き着くような至近距離故力が入らなかったのか傷は浅いが、楽観視できるダメージでもない。特に腹の一撃がまずかった。そこから蒸気が噴出し、白鴉がパワーダウンする。
『組み合うならば、必ず勝て! でなければこうなる!』
『うわああ!?』
脱力した白鴉の右手を掴んだまま振り回す。逆転したパワーに振り回された白鴉はそのまま、周囲に聳え立つ針葉樹林の林に背中から突っ込んだ。大きく育った大木数本がもたれかかった白鴉の重量を受け止め、辛うじて白鴉は転倒を免れた。だが、辛うじて樹木によりかかっているというあり様で、攻めるも守るも次は無理だ。
「いけない!」
それを見て貴方は駆け出した。
勝敗の結果はもはや素人目でも明らかだ。このままでは白鴉が、ジョシュアが殺される。黒曜号のオガタに聞こえるよう、可能な限りの声を張り上げる。
「両者、ここまで! 剣を引け!」
『何?』
『リチャード、様……? 駄目です、ここは危険です! お下がりください!』
「黙れジョシュア! そちらのオーバーナイト、天下に名高き黒曜号、騎士オブライエン・オガタとお見受けする!」
『……いかにも。俺はオブライエン・オガタ。こいつの銘は黒曜号。そういうそちらは、エメンタール伯爵家の関係者とお見受けする』
「その通り、私はリチャード・エメンタール! エメンタール伯爵、セガール・エメンタールの後継者である! 双方剣を引け! この勝負、エメンタール伯爵家の名において私が預かる!」
『リチャード様!? お待ちください、まだ私は戦えます!』
「聞かぬ! 私が決めた! それとも主命に逆らうのが騎士か、ジョシュア!」
『っ、申し訳ありません……』
「オブライエン・オガタ! 返事はいかに!?」
『…………』
返事はすぐに無い。黒曜号は無言で、小さな貴方を見つめている。
それを貴方は半ばヤケクソで睨み返した。ジョシュアと白鴉を倒された今、ここでオガタを言い含められなければ後はない。
数秒か、それとも数分か。長いのか短いのか、貴方にはわからない。
『ふ』
沈黙を破ったのは、思わず噴き出したようなオガタの笑いだった。
『ふはははは。大した小僧だ! 武器もなく生身でオーバーナイトの戦いに割って入った揚げ句、俺に引けと言うか!』
「……それで、いかがなさるか!?」
『いいだろう、小さな伯爵様。いや次期伯爵様か? 貴方の気迫に免じて、ここは剣を収めよう。命拾いしたな、馬鹿弟子』
『……っ』
『だが、それでどうするつもりかな、俺を。剣を収めた所で、防衛隊を蹴散らしたのも、伯爵家所有のオーバーナイトを傷つけた事実は、どうする?』
「……え。いやそれは……」
とにかく戦いを止めるのでいっぱいいっぱいだった貴方は言葉につまった。
これが単なる騎士同士の決闘で有れば戦いを止めてそれでおしまいだが、この戦いは経緯を見れば防衛戦だったともいえる。
領地に殴り込んできたオガタは言うなれば犯罪者であり、それを捕縛するなり追い出すなりする必要性が貴方にはある。だが最大の武力である白鴉はご覧のあり様であり、オガタをどうにかする戦力はここにはない。そして法と権力を正しく執行できなければ、伯爵家の家名に傷がつく事は請け合いだ。貴族において、家名に傷がつくのがどういう意味かは、考えるまでもないだろう。
どう状況を打破するか、貴方は必至に頭を捻るが、よい答えが出てこない。
「それは……」
それでも貴方が言葉をなんとか紡ごうとしたとき、場違いな拍手の音が響いた。
ぱちぱち。
ぱちぱちぱち。
その場の全員の視線が、拍手の元へと吸い寄せられる。
「よくやった、リチャード。だがここまでだな」
「父上……?」
果たしてそこには、専用馬車から降り立ったばかりの、セガール・エメンタール伯爵その人の姿があった。
その姿を確認し、黒曜号が膝をつき頭を下げた。
臣下の礼である。
『お騒がせしています、伯爵閣下』
「うむ」
これまでと打って変わって礼儀正しく振舞うオガタ。そして知古のように鷹揚に振舞う父親。
貴方は状況についていけず混乱した。どういう事だろうか。
「リチャード。オーバーナイトの戦いに割って入る勇気、臣下を守ろうという気概、見事だった。だが、先の事を考えていなかったのはいただけないな。停戦というのは、不利になってからでは遅いのだ。お互いの力が拮抗しているからこそ、停戦交渉というのは成り立つ。覚えておきなさい」
「は、はい、わかりました。しかし父上、これはいったい、どのような……?」
「簡単な事だ。オガタ氏を呼んだのは私だ。そして彼が暴れて防衛隊やジョシュアと戦ったのも、私の指示だ」
「え、ええ……?!」
訳が分からない。混乱の極みに達する貴方に、父親は苦笑しながらネタ晴らしをした。
「抜き打ちテストという奴だ。敵対する騎士が攻め込んできたとき、果たしてエメンタール領の戦力は街を守れるか。勝てない相手に防衛隊がどう立ち回るか、ジョシュアがどう騎士を相手に立ち回るか。一度、修羅場を経験しておくべきだと思ってな。お前が飛び出してきたのは予想外だったが、うむ、望外に良い物を見れた。満点はやれんがな」
『そういう訳です、リチャード様。数々のご無礼、どうかご容赦頂きたい』
「は、はあ……」
さっきまでガサツな言動で暴れまわっていた黒騎士が、礼節をもって貴方に頭を下げる。正直展開についていけなくて貴方の頭は真っ白だ。
だが、思い返せば違和感はいくつもあった。
まず防衛隊について。いくら殺すまでもない相手とはいえ、対応がいささか丁寧すぎた。人と機材に必要以上の被害を出さないよう、丁寧に履帯を切ったり砲身を破壊したりの対応は、いかな実力差があっても丁寧にすぎる。
白鴉についても、不意をついたのなら足払いをかけたりして転がしてしまえばよかった。よほど綺麗に受け身を取らない限り、自重で破損しておしまいだ。だが実際には振り回しこそしたものの、転倒しないよう林をクッションに押しやっただけ。
いずれも取り返しのつかない損害は与えていないように見える。
「で、ですがだとしても防衛隊と騎士に損害がでています。今、本物の山賊がやってきたら到底街を、領土を守り切れません」
「それも問題ない。契約の内だからな」
「え……」
『馬鹿弟子とエメンタール領防衛軍の再編と補充が終わるまでは、私オブライエン・オガタ、エメンタール領の食客として滞在させていただきます。その間の防衛は、私が引き受けましょう。以後、よしなに』
「え……ええー」
なんだか、そういう事に、なったらしい。
その日の夜は、オガタの歓迎会となった。
実際に蹴散らされた防衛隊や、演技とはいえ恐怖を味わった街人の反応が聊か気になる所ではあったが、そこは領主たる父親の信用がものをいった。
御屋形様のおっしゃることならば、と皆あまり深く怨恨を抱くことなくオガタを受け入れ、一部少し警戒心を残している者も積極的に排斥するつもりはないようだった。
オーバーナイトから降りたオガタは、浅黒い肌と黒いヒゲが目立つ、なかなか濃い顔つきの男だった。このあたりではあまりみない肌の色だが、彼はずっと南西の方の生まれらしい。それでいて纏う衣服はゆったりと袖が広い特徴的なものであり、東の方の民族衣装だとオガタは語る。
宴もたけなわ、という所でセガールが話を振り、オガタは己の旅物語について語り始めた。著名な流浪騎士とあってオガタは多数の奇妙な事件を経験したようなのだが、それを話す彼は抑揚の付け方も上手く、意外といってはなんだが語りが非常に上手だった。臨場感たっぷりの彼の語りに引き込まれ、老若男女問わず、今は首ったけだ。
しかし貴方はそんな宴会会場から一人抜け出し、ある人物を探していた。
ジョシュア。
彼の姿は最初から宴会場になかった。
念願の騎士となり、オーバーナイトを与えられ、しかし実戦の場において己の師匠に屈した事は、彼の中でどのように処理されたのだろうか。その心情を慮り、貴方は彼の姿を夜闇の中探し回った。
工房にはいなかった。
武道館にもいなかった。
彼の寝泊まりする長屋にもその姿はなかった。
どこへいったのだろう。まさかの事はないとは思うが。貴方はシンと静まり返った雪の街をさ迷い歩いた。
「……ん」
微かに物音を聞き咎めて、貴方は耳を澄ました。そのまま感覚に導かれるまま、そちらへと向かう。段々と音が大きくなるにつれ、貴方は自分がどこへ向かっているかを理解した。
街の中央から少し外れた場所にある公園。年中通して雪の降りしきるエメンタール領では公園の人気は低い。あまり人が踏み入れた様子もなく処女雪の広がる公園の一画で、ひゅん、ひゅんと風を切る音が響く。木刀が振りぬかれる音だ。
誰もいない公園で、ジョシュアが素振りをしていた。貴方が来た事にも気が付かない様子で、一心不乱に何かを振り払うように木刀を振るっている。この極寒の中で、露出した肌には大量の汗が浮いていた。
ジョシュアの太刀筋は、流石というべきか見惚れるほどにまっすぐだった。繰り返される動きはまるで同じ映像を繰り返し再生しているように僅かな揺らぎすらなく、彼が己の体幹を完全に支配下に置いているのが見て取れる。ここまでくるのにどれだけの年月、鍛錬を続けたのだろう。正直、貴方は何十年たってもこの領域にはたどり着けそうにはない。やはり、体を動かす才能というものが足りていない気がする。
まあ、貴方は騎士になってオーバーナイトに乗りたいのであって、生身で最強になりたい訳ではないし……と内心ぼやいて、そのままジョシュアの鍛錬を観察する。
やがて限界が来たのだろう。木刀を下ろし汗を拭う様子を見て、貴方はジョシュアに声をかけた。
「お疲れ様です、ジョシュア」
「え……リチャード様!? す、すいません、気が付きませんでした……」
「お気になさらず。ほら、これをどうぞ」
バッグから保温瓶を取り出して押し付ける。中には賓客に振舞われていたスープを入れてある。屋敷を出る前にちょっぴり失敬してきたのだ。本当は自分で飲むつもりではあったが。
「すいません、助かります……」
ジョシュアはおとなしく瓶を受け取り、中身のスープに口をつける。だが全部飲み干す事はなく、半分ほど中身の残った保温瓶が返ってくる。
あなたもよい匂いがするスープに口をつける。
「……うまっ?!」
思わず口にしてしまって咄嗟に抑える。ジョシュアはそんな貴方を見下ろしてくすくす笑っていた。無償に気恥ずかしくなって、顔を逸らして残りを一気に飲み干す。
しばらくの間、沈黙が両者を満たした。頃合いを見て、貴方は本題を切り出す。
「ショックでしたか?」
「え? あ、それは……。はい、正直に言えば、そうです」
「素人の私からみても、オガタ氏の実力は相当なものでした。ジョシュアが及ばなかったとしても、騎士として恥じる事はないと、思うのですが」
「ありがとうございます。でも俺は騎士ですから。そんなの、言い訳になりません」
ジョシュアはコートの襟を閉めて、夜空を見上げた。今日も天気は雪。うっそうとした雪雲が、エメンタール領の空を覆っている。
「実戦を経験して、天狗になってたとかそういうつもりはなかったんです。でもいざオーバーナイト同士の戦いになって、相手が師匠とはいえ俺は勝てなかった。負けたんです」
「ですからそれは……」
「負けたらすべて終わりです。すべて」
貴方は何も言い返せなかった。
彼の言う通りであるからだ。今回は父親の仕組んだ狂言であったが、もし本当の実戦で、ジョシュアより強い騎士が賊として襲い掛かってきた場合、エメンタール領は炎に包まれ、領民は殺されるか雪の山に焼け出されていただろう。
「私はセガール様のご期待に応えられなかった……! 私の未熟さ故に、さぞご失望なされたに違いない。そう思うとじっとしていられなくて……!」
「……それはちょっと、違うんじゃないでしょうか」
ジョシュアの気持ちは分かる。わかるが、それはそれ、これはこれ、だ。
確かに今回の件が実戦であったならば大変な事になっていたかもしれないが……それでも結局、実戦ではなかったのだから。
「オガタ氏は貴方の師匠であったのだからして、当然貴方が勝てない前提で父上は呼び寄せたのだと思いますよ。防衛軍においても同じです。父上は単に、大切な我が領の守護者達に経験をつませたかっただけだと思います。ジョシュア達を不安に思っていたとか、ましてや失望だなんて、するはずがありません」
「リチャード様……」
「大丈夫です。ジョシュア、貴方は我がエメンタール領最強の騎士なのですよ。その貴方がそんな風にしょぼくれていては士気にかかわります。貴方はいつものように、胸を張っていればよいのです。それでもどうしても今回の件を気にされるのならば……」
「ならば……?」
「勝ってください。次は。例え相手が複数だろうと、どれだけ格上だろうと、ジョシュア・ブラウンと白鴉はエメンタール領において最強だと、証明してください」
そう。本当の闘いなら次はなかったが、今回はそうではなかった。次がある。
次があるなら、それで挽回すればいい。
少なくとも貴方はそう考える。たった一度の失敗で切り捨てるような人間は、少なくとも貴方の理想とする人物ではない。
「誓えますね、ジョシュア」
「……はっ。次は必ずや。リチャード様のために、この汚名、返上してみせます」
「よろしい」
貴方はらしくもなく鷹揚に頷き返した。まだ齢10歳の小僧が何をいっちょ前に主人のような振舞をしているのだか、と内心で囁く声はあるが、貴方自身のためではなくジョシュアのためだと黙殺した。
ここでジョシュアの自信と信用を取り戻してやらなければ、彼はここで折れてしまうかもしれない。未来ある若者の為なら、多少らしくなくても望むように、望まれるように振舞う事ぐらいは貴方にもできる。
「それでは、私はこれで戻りますね。ジョシュアも、余り根を詰めないよう。……今日、千や二千の素振りをしたところで急に強くなるわけではないですからね。そんな事は貴方の方がわかっているでしょうけども」
「ふふ。そうですね……これで切り上げる事にします。館まで送らせてください」
「いえ、大丈夫です。ちょっと今晩は一人で歩きたい気分なのです」
「はぁ……。まあ、街の中なら大丈夫だとは思いますが……変なところは通らないでくださいね? 側溝を覗き込むとかしないでくださいよ? 人の歩いていない雪の上は通っては駄目ですよ、下に段差があるかもしれませんからね?」
「そりゃあ私はまだ子供ですけど分別ぐらいはついていますよ!」
全く。貴方はぷりぷりしながらその場を後にした。そういった反応こそ10歳の子供そのものであるという事に貴方が気付いたのは、雪道を歩いて大分頭が冷えてからの事だった。
衝撃の師匠襲来から一週間が過ぎた。
最初はオガタを訝しんでいた街人も多かったが狭い街だ、毎日のように顔を合わせていればそのうちそういった目も減っていった。何より、オガタが職務に忠実だったのが大きい。
もともとジョシュアが不真面目な訳ではなかったのだが、オガタは生身でも頻繁に揉め事に対応し、人々の信頼を得る事に尽力していた。二日前に山に現れた大きな獣を、剣一振りで仕留めてしまったのはいまだに居合わせた人々の間で語り草だ。
正直ジョシュアからすればやり辛い事この上ないだろうが、二人の師弟は表面上は特に険悪な様子も見せなかった。特に何ごともなかったかのように挨拶をするし、訓練も一緒にする。オガタも変に上から目線で指導する事もなく、時折一言二言アドバイスするだけだ。まあ、ジョシュアはオガタからすればもうすでに卒業した弟子であるのだし、そのあたりはちゃんと弁えているのだろう。ジョシュアも伏せた感情が無い訳ではないだろうに、周りには屹然とした態度を見せている。
一つ不安だったのが、父親であるセガールの対応だ。いくら父親自ら仕込んだこととはいえ、ジョシュアが外敵に敗れたのは事実。それを理由に、本当に白鴉を取り上げたりしないだろうか……ジョシュアに言った手前、貴方はそこを気にしていたが、幸いにして父親にそのつもりは無いようだった。
むしろ中破した白鴉の修理ついでに近代化改修を行い、よりジョシュアに合わせた調整をするつもりらしい。
少なくとも敗れた事をとやかく言うつもりはない様子なので、貴方としてもほっとしたものである。
襲来直後は少しピリピリしていた護衛や民も、一週間も平和が続けば落ち着いてくる。もともと余裕のある訳ではない市井の民は、いつまでも事件の事を引きずらずに日常の営みをこそ優先するようになる。そうなれば時折巡回にでるのが白鴉ではなく黒曜号になった事も、彼らにはさして興味深いものでもない。
戦いに巻き込まれて損傷した設備の修復こそ終わっていないが、街はすっかり元通りの姿を取り戻した。
そうなれば貴方も、元通りの生活に戻る事になる。ジョシュアの弁護の為に有力者にあいさつ回りをしたり、白鴉の破損状況を確認するために工房に通い詰める日々も終わり、木刀を手に武道館に向かう。鍛錬をサボっていた訳ではないが、やはりちゃんとした場所で詰む鍛錬の方が効きそう、というのが貴方の認識だ。
いつも通りの一人の鍛錬、そのはずだった。
しかし、今日に限っては、貴方を待っている来客の姿があった。
「よう」
浅黒い肌に黒い髭、貴方の前世で着物と呼ばれていた東の衣装。エメンタール領に二人はいない独特の出で立ちの中年の男は、オブライエン・オガタだ。いつもなら工房で職人たちに機体調整の指示を行っているはずの彼が、今日に限っては武道館を訪れていた。
それも、どうやら用事があるのは貴方にらしい。緊張に貴方は背筋を伸ばした。
「何の御用でしょうか、オガタ氏」
「そう警戒しないでくれ、傷つく。随分と嫌われちまったもんだな……ジョシュアの事を随分と気に入ったと見える」
「ええ。我が領唯一の騎士ですので、貴方と違い。オブライエン・オガタ臨時武官」
「街の連中の話と随分違うじゃないか。誰にでも人当りが良い大人しいお坊ちゃんだと聞いていたんだが」
「礼節を尽くすべき相手を見極めているだけです」
「そうか」
オガタは困ったように額を抑えた。多少貴方自身礼儀を逸した対応である事はわかっているが、改めるつもりはない。確かに彼は父親の客人ではあるが、その行いで多少、傷ついた人がいるのだ。父親らしくもない強引な手には今も疑問が残るが、それはそれ、これはこれ、である。
「んー。実はな、おぼっちゃんに稽古をつけてくれというか、騎士としての適性を見てやってくれ、と親父さんに頼まれてな……」
「分かりました今すぐ準備しますのでそこで二分ほどお待ちください」
「変わり身早いなヲイ」
きっちり二分で道着に着替えて戻ってきた貴方は、武道館の中央でオガタと向かい合っていた。道着を着込み木剣を構える貴方に対し、オガタは着の身着のまま、ラフな格好で木剣を片手にリラックスした姿勢で佇んでいる。
道場に朝から詰めている熱心な若者達は、普段隅っこで素振りをしている貴方が道場の中央に出てきた事、向かい合っているのが噂のオガタ氏という事で興味津々なようだったが、声をかけてくるものはいない。お互いの間に立ち込める緊張感を見て取ったのだろう。
「最初に言っておく。わかっていると思うが坊主が俺に勝てる事は万に一つもない。変な欲を出さずに、ありのままのお前さんを見せろ。そうでないと意味が無い」
「……わかりました」
ちょっとだけムッとしたが、紛れもない事実だろう。体も出来上がっていない貴方が、熟練のベテラン騎士に叶うはずもない。だがそれでも「勝つつもりでかかってこい」ではなく「どうせ勝てやしないんだから素を見せろ」と言われたのはいたく貴方の自尊心を傷つけた。ナチュラルに性格が悪いなコイツ、と貴方は内心オガタの人物評に書き加えた。口は回るから目上や同格の相手には不興を買わないように立ち回れるが、下に見た途端態度が横柄になるタイプとみた。
木剣を正眼に構え、相手の様子を伺う。
オガタは一見、やる気があるのかと疑うような態度で、だらりと木剣を片手で下げているだけだ。一見隙だらけというか、そもそも貴方はまだ相手の隙を伺ったりできるような腕前ではない。これが本当に隙だらけでも、実は誘っているだけで隙がない構えだったとしても、さして大きな違いではない。
やれる事はしごくシンプルだ。故に、貴方は躊躇わずまっすぐ突き込んだ。
「やー!」
何千回と繰り返した素振りの構えを寸分たがわず繰り出す。上段からの振り下ろし、基礎中の基礎ではあるが、だからこそ一番信頼できる一太刀。
貴方としても会心の一撃を、しかしオガタは容易く木剣で受け止めた。カァン、と乾いた良い音が武道館に響き渡る。
貴方は目を見開く。オガタの動きが全く見えなかった。
「どうした、もっと打ち込んで来い!」
「っ! やぁあ!」
二度、三度と同じ太刀筋を続けて繰り出す。オガタはそれをリズムよく裁いていき、それだけではなく貴方の呼吸を呼んでその合間に一撃を入れてきた。
咄嗟にそれを受ける貴方。オガタがいつまでも防戦に徹する筈がないとわかっていたので余裕をもって受けられたが、受けたというより受けさせてもらえた、というのは貴方が一番わかってもいた。
衝撃で手がしびれる。このまま間合いを維持するのは危険だ、と貴方は後ろに下がった。
「良い太刀筋だ。真面目に鍛錬していると見える」
そんな貴方を見て、オガタは冷静に批評している。少なくとも貴方の無様な後退を揶揄するようなそぶりは全くなかった。
「だからこそわかる。リチャード、お前には武の才能はない」
「…………っ!」
「頭は悪くない。堅実に確実に、出来る事をする。その場の思いつきで博打をやるような脆さも、考えなしに自分を押し付けるだけのような頑なさもない。人間としては及第点だ。だが、武というのは、殺し合いというのは、それだけでは務まらん」
ひゅ、とオガタが間合いを詰めてきた。何がどうなってそこにいるのか貴方にはわからない、気が付けば十分に距離を取っていたはずなのに彼が目の前にいる。
とっさに木剣を構える。太刀筋が見えない以上守りに入ったら負けるだけだ。選んだのは突き、距離を詰めてきたオガタにカウンターのつもりで繰り出した一撃は、しかし伸び切る前に刀身の半ばを打たれて宙に舞った。
しっかり握っていたつもりの木剣が手の中をすり抜ける。
宙をまった木剣が、貴方の背後に落下する音が聞こえた。
「鍛錬を繰り返し、型を覚え、実戦を積めばそこそこの強さにはなれるだろう。だが恐らく、一線を越える事はない。お前は凡人のままだ」
「…………」
有無を言わせず圧倒されて、貴方は肩を落とした。
自覚はあった。貴方は、武というか、荒事に向いていない。それでも、このリチャードという生が才能に恵まれた可能性を信じて、愚直に言われたとおりの事を熟した。すべては、オーバーナイトに乗る為に。
だが、それは無意味だった。
まだ幼いとか、鍛錬不足とか、大人が子供に大人げないとか、いろいろ思う事はあっても、自分が一番分かっている。
貴方には、殺し合いの才能はない。
「……だが、それは生身の話だ」
「?」
「確かにお前に武の才能はない。……だがオーバーナイトに乗りたいというなら、それでも十分だろうよ」
「オガタ氏? それは、どういう……」
「場所を変えよう。俺が見てくれと言われたのはあくまで騎士としての才能だ、剣士の才能じゃない」
ついてこい、と武道館を後にするオガタ。
後に残された貴方はしばし茫然とするも、はっと我に返ってその後を追おうとして、慌てて立ち止まる。ぺこりと武道館に一礼して、オガタの背を追った。
彼は無言のまま街を先に進んでいく。早足ではないが、大人と子供では歩幅が違いすぎる。軽く走ってその背中を追う貴方は、すぐに目的地に気が付いて首を傾げた。
「え、なんで」
オガタが向かったのは、工房だった。貴方がほとんど毎日のように顔を出している施設に、オガタも当然のように入っていく。
工房には今、彼のオーバーナイトである黒曜号が預かりになっているはずだ。もしかして実機を使って座学でもするのだろうか。
顔なじみになった守衛に一礼し、オガタを追う。
工房内部は相変わらず喧しくてちょっと汚い。だが以前は空きが目立ったハンガーに、白鴉に加えて黒曜号も収まっているのもあり、以前に比べると賑やかなようにも見える。職人にも活気があるようだ。
ハンガーに収まる二機のオーバーナイト。白鴉は黒曜号との一騎打ちで損傷した部分の修理がまだ終わっておらず、内部構造を剥き出しにされた所に職人が何やら作業をしている。この高湿度環境で錆びついたりしないのかな、という疑問がちらりとよぎるが、白鴉はそもそも構造の大半が白夜石だという話だ。石は流石に錆びたりしないし、装甲部分の白く半透明な部分も、金属には到底みえない。この世界には貴方の想像もつかないようなマテリアルがごろごろしているのを改めて実感する。
そのあたりは黒曜号も同じようだ。装甲はその名前が示すように鈍く虹色に光る黒い物質で構成されている他、剥き出しになった内部構造もざらりとした質感の何か変な金属でできている。そもそも工房に収まっているものではなく、トレーラーで何十年もの流浪の旅を越えてきた機体だ、感嘆に錆びるような素材ではとても維持費がかさんで騎士を続けていられないだろう。
その黒曜号の足元で、オガタが待っている。貴方はとりあえず駆け寄り声をかけた。
「なんですか、藪から棒に工房に来て。私の適正を見るんじゃなかったんですか」
「ああ。だからいっただろう、騎士としての適性を見ると。だったら一度乗ってみるのが一番だろ?」
「はいぃ?」
「親方。子供用のサブシートの設営、出来ているな?」
「あいよ。言われた通りにしておきましたぜ。……でもこれ、ご領主様に許可とってるんです?」
「そのご領主様からの指示にしたがったまでだ。やり方は俺に一任されている」
「え、それつまり無許可じゃ」
「ほら、こいリチャー「はい!!!」……元気がいいのは良い事だ」
食い気味で答える貴方に苦笑してオガタがリフトを操作する。その隣に乗り込みつつ、貴方は黒曜号を見上げた。
親方との会話で事情っぽいのは透けて見えたが聞こえなかったし理解できなかった事にした。オーバーナイトに乗せてくれるならそれでいい。もしかすると適正が無い貴方への最後の餞別のつもりなのかもしれないし、これを逃せばもう一生オーバーナイトに乗れないかもしれない。それだったら後でどれだけ怒られようと乗るに決まっている。
リフトが黒曜号の胸部、コクピットのあるあたりまで上昇する。
解放された胸部内部に、人が乗り込めるだけのスペースがある。白鴉と違って、黒曜号の操縦席は前世のロボットアニメでよく見たような形式になっているようだ。中央部分に座席があり、搭乗者の動きをフィードバックするための装置がゴテゴテと設けられている。と、そのメインの席の後ろに、チャイルドシートらしきものがあるのを貴方は確認した。そちらにも簡易的だが、操縦のための設備が設けられている。コパイロット用の座席、という事らしい。
リフトが完全に停止する。どうやって乗り込もうか、足場を確認していた貴方を、オガタが背後からよいしょと抱え上げた。
「わっ」
「足を滑らせたら事だからな。大人しくしていろ」
そのまま荷物のように抱えられたまま操縦席に移動する。貴方をサブシートに座らせると、ベルトやらアームカバーやらを手際よく装着させてくれた。
黒曜号の操縦システムは、籠手にもにた形状の操縦桿に腕を突っ込み、両足は座席に備え付けられたペダルに固定、生身の動作を連動するものらしい。ダイレクトリンク方式を、この世界の技術で可能な限り近づけたものだろうか。
「計器類の操作は俺がやる。お前は思うように手足を動かせばいい」
「え、私が動かしていいんですか!?」
「ああ。危なかったりしたら俺の方に操縦系を切り替える。とりあえずは物を壊さないようにだけ注意しろ」
「はい!!」
貴方の元気な返事になんともいえない顔をして、オガタは操縦席に座り込んだ。ガチャガチャと彼の方で準備をする音がする。少し手持無沙汰になって、貴方は手足を動かさないようにきょろきょろと操縦席を見渡した。
コクピットは球状で、座席は下部から伸びたアームで支えられて宙に浮いている。内側は皮らしき素材が張られており、恐らく万が一操縦席から投げ出された時のクッションを兼ねているのだろう。流石に映像が映し出されたりすることはないようで、前方にある覗き窓から外界を確認するようになっているらしい。覗き窓の周辺には無数の計器がある、圧力計とかだろうかと貴方は予測する。
「胸部装甲を閉じるぞ」
ガコン、と操縦席が揺れる。見ればハンガーのアームで、胸部装甲が蓋をするように持ち上げられているのが見えた。所定の位置に固定された後、職人たちがボルトを操作して閉鎖する。機体によってはオーバーナイト側で胸部装甲を開閉するが、黒曜号はそうではないらしい。
「ハッチの閉鎖を確認。炉心の安定稼働を確認、圧力製造。制御回路“銀の糸”、1番から12番まで異常なし。整備員の退避と、警告灯の点灯を確認。……よし。リチャード、ハンガーから機体を歩かせてみろ」
「え、いきなりいいんですか?!」
「ああ、ハンガーに収まっている間はアームで支えられてるからな、転倒の心配はない……ってそんな事を心配してる顔じゃないな、それ」
貴方に振り返ったオガタが苦笑する。しかし申し訳ないが、もう貴方は黒曜号を動かす事に意識がいっぱいだった。
手足を軽く動かしてリンク具合を確認する。ペダルを踏みしめると、黒曜号の立つハンガーの床面の感触を感じ取れた。
「いっきまーす!」
宣言して一歩踏み出す。最初の一歩はささやかに。半歩踏み出した機体が地面を踏みしめ、機体が僅かに傾いだのを立て直す。
貴方の感想としては、オーバーナイトを歩かせるのは竹馬に似ている、という感じである。
懐かしい記憶だ。子供のころ、小学校でやたらとブームになり、貴方も習熟に勤しんだ。手に豆を作りながら励んだ結果、最終的には竹馬で鬼ごっこができるぐらいには乗れるようになった。
さすがに成長してからは乗る事はなかったが、感覚は貴方の中に残っている。自転車と一緒だ、一度乗れるようになったならばそうそう体から抜け落ちることはない。
二歩、三歩と歩くうちに、記憶のそれとオーバーナイトの操作感覚が融合する。三歩目ではわずかに体が揺らぐ事もなかった。
ほう、とオガタが感心するように声を上げたのが聞こえる。ふふん、と貴方は得意げな気分になった。
「いい感じだ。今からゲートを開かせるから、そのまま街の郊外まで歩いて行け」
「はい!」
轟音を立てて工房の正面扉が開かれる。扉を動かす大量の蒸気を突き抜けて、工房の外へ機体を歩かせた。
天井の無い空はひどく明るい。おかげで、街の様子が一望できた。
「わあ……」
オーバーナイトの操縦席から見る街は、知らない場所のようだった。
林立する、氷柱のような尖った屋根。側溝から立ち上る蒸気が地面近くに立ち込めていて、まるで雲海のよう。見る角度が違うので降り積もった雪の白さばかりが目立ち、街という人工物の中なのに、まるで凍える霊峰に立っているような気持ちになる。
もちろん、そんな事はなく、視線を下げればこちらに手を振る街人達の姿が垣間見える。彼ら彼女らに手を振り返し、アレックスは再び前を見た。
先ほどの指示に従い、工房を出る。人間サイズのゲートをまたいで通り、正面通りにでる。馬車が数台横に並んで通れるメインストリートは、オーバーナイトが歩いても十分な幅がある。まだ午前中という事もあり、馬車も走っていないようだ。
必要以上に足を踏み鳴らさないように注意して歩く。力を入れすぎて道路を踏み砕いてはいけないし、あまり騒がしくするとストリート通りの家の迷惑になる。
「思った通り、丁寧な所作だ。だが同時に怯えも感じる」
「ええと……」
「関節の摩耗や負担を気にしているな? 坊主の認識だとオーバーナイトは随分と繊細な代物らしいな。別に間違ってはいないが、あくまでそれは一側面でしかない」
「はぁ……。あ、街の外に出る、といっていましたが、ゲートはどうするんですか?」
「ん、飛び越えればいいだろう」
そう簡単に言われても困る。貴方は言い返した。
「そんな簡単に言わないでくださいよ、まだ歩かせたばかりの素人ですよ? 飛び越え損ねてゲートに激突したりしたらどうするんですか」
「問題なく歩いてるじゃないか。簡単に言ってるんじゃなくて、実際に簡単なんだ。馬鹿弟子だって飛び越えていただろう? いいからやってみろ、不味かったらこっちでフォローする」
「わかりましたよ……」
もうどうなっても知らないぞ、という気持ちで貴方はぐっとペダルを踏み込んだ。操縦者の意思に応じ、ぐぐ、と黒曜号が屈みこんで脚部に力を蓄える。バジッ、バジッと発条の軋むような音がする。
貴方はそれを、えいやっ、と解放した。
気持ちとしては、小さな小川を飛び越える感じ。またいで通るには少し遠い距離を、勢いをつけて跳躍するような。
ゴッ、と貴方の未成熟な体が座席に押さえつけられた。1秒に満たない時間だったが体が完全に押さえつけられ、座席がガクガクと揺れた。とても正面を見ていられず、視界がぐるぐると回って外がどうなっているか確認できない。
そして襲ってきたときと同様に唐突に圧迫感が消える。代わりに内臓が浮くような浮遊感に包まれた。
「え……」
座席に座りなおした貴方の目に見えたのは、どこまでも白い風景だった。ややあって、それが高所からみた雪原であり雪山であり、今自分が相当な高度にいる事を遅れて貴方は気が付いた。
手足を振って重力を頼りに機体を制動する。覗き窓からはぞっとするような風切り音が聞こえてくる。
そこでようやく、貴方は今現在、黒曜号がどのような状態になっているのか理解した。
「と……?!」
およそ上空200m、いやもっとか?。飛行機のないこの世界ではまず人のたどり着く事のない高度に、黒曜号は滞空していた。凄まじい風切り音は黒曜号の巨体が風を受けながら落下しているからで、それでもなかなか地面にたどり着かない。
オガタが笑い声をあげた。
「はっはっは、高出力型の黒曜号で全力跳躍すればこうもなるわ。はっはっはっは!」
「笑いごとじゃないですよ、どうすればいいんです、これ!? この高さから落ちたらバラバラに……」
「ならんよ、そんな事には」
「え……」
「自身が出来る範疇の事であればオーバーナイトは壊れん。そりゃあ引き倒されれば壊れるが、人間だって受け身を取らずに倒れれば大怪我をするだろう? 同じことだ。その場で跳ねた人間が着地で骨を折るか?」
「それとこれとは話が……」
「同じことさ。ここで諦めるか? それなら俺が着地させよう」
「……いえ。もう少しやらせてください」
人間的には信用ならない男とはいえ、一緒に操縦席に座っている以上そんなウソはつかないだろう。大丈夫だろう、という言葉を信じて操縦に集中する。
空中では、空気抵抗こそが全て。自重は落下速度には影響しない……貴方は機体を制御し、大の字に手足を広げた上で俯せのような体勢を取らせた。空気抵抗が爆発的に増加し、落下速度が減少する。機体を傾けた事で、眼下の街が良く見える。あれだけ広い街が今は視界に収まるほどちっぽけだ。
このままでは街に落下してしまう。グライダー、あるいはムササビスーツのイメージで風を受けながら、落下軌道を修正する。街の外、防壁の向こうへ。目標地点は分かりやすいところがあった、この間白鴉と黒曜号が激闘を繰り広げた跡地だ。戦いの余波で木々がなぎ倒されハゲあがっているのでわかりやすい。
駄目だ、少し足りない。
貴方は黒曜号の腰の刀を抜刀した。刀の側面で風を受けて制動に用いる。
「ほう?」
操縦席でオガタが感心したような声を上げた事にも貴方は気が付かない。地上が近づくにつれて、体感速度が急激に上昇していく。みるみるまに地面が迫る。体を捻って、脚部を地面に向けて直立するような姿勢を取った直後、黒曜号は地上へと着地した。
振動で操縦席が激しく揺れる。上下に二度三度大きく揺さぶられ、視界が乱れる。
危うく意識が飛びそうになる貴方だったが、なんとか堪える事ができた。
そのままの姿勢で衝撃をやり過ごす。
落ち着いたら、機体の状況を確認する。黒曜号はどうやら着地地点に屈みこんだ状態らしい。衝撃で舞い散った雪が晴れると、周囲の状況が良く見えた。
着地地点は隕石でも落ちたかのようになっていた。降り積もった雪が吹き飛ばされ、黒い大地が覗いている。その地面も陥没し、その中心に黒曜号の機体があるようだった。
身を起こす。驚くべきことにフィードバックで返ってくる機体の挙動に淀みはない。関節も変わらず、よく油を差した歯車のようによく動き、衝撃による影響をほとんど感じさせなかった。
「言っただろう? 大丈夫だと」
貴方の心境を見透かしているようにオガタが言った。
「このぐらいは屁でもない。まあ言っておくが、白鴉では無理な芸当だ。黒曜号はこれでも上から数えた方が早いぐらいの大業物だからな」
「みたい、ですね」
「せっかくだから、ここでお前の認識のズレを正しておこう。リチャード、何故オーバーナイトが人型なのか、知っているか?」
「え? それは……優れた剣士の戦闘力を、より大きな戦いに拡大する為……個人から戦術単位にまで発展させるためだと、本で読みました。ゴールン博士の著書です」
「高名なゴールン博士の著書か。間違ってはないが、それがすべてではない。俺はこれまでの旅において、遠い東の地、南の地を訪ねた事がある。そこには個々の歴史があり、独自に発展したオーバーナイトも、500年以上の骨董品みたいな機体も存在した。その中には、操縦席に水晶玉一つしかない機体や、ピアノの鍵盤で操作する機体もいた」
「え……」
「そんな機体が、騎士の拡大版として作られたと思うか? 違うだろう。そもそもオーバーナイトはオーバーナイトだ、人体とは構造が根本的に違う。鶏が先が卵が先か、どっちが正しいとか間違ってるとかではない。オーバーナイトはいずれも唯一無二であり、それぞれ独自の理論において作られている。一概に決めつける事はできない」
オガタの顔は、後ろの補助席に座っている貴方からは見えない。だがあのいけすかない流浪人が、今は年経た賢者のような口調で言葉を紡いでいる。いったいどちらが、オブライエン・オガタという男の本性なのか。
「こうも思う。俺達騎士は武術を収め、その型に収める事でオーバーナイトを制御しているのだと。武はあくまで手段でしかない。他の手段でオーバーナイトを強く動かす事ができるのなら、必ずしも武は必要ではないとな。そういう意味では坊主、お前は及第点だ」
及第点。いや、適正を認められたのだから嬉しくないと言えばウソになるが、イチイチ物言いが上から目線すぎるなあ、と貴方は思った。
「さっきの滞空はなかなかのもんだった。どうだ? オーバーナイトの強度や性能は理解できただろう? もっと自由に動かしてみたらどうだ」
「もっと、自由に……?」
「ああ。機体への負担とか、関節の摩耗とか、そんな事を考えずに全力で動かしてみろ。お前のイメージを実際の動きにしてみろ」
オガタに言われて、貴方は少し考え込んだ。
再び機体をしゃがみ込ませる。そして再びの全力跳躍。二度目という事もあって、今度は落ち着いて状況を確認できた。
山頂を飛び越えるような大跳躍。遠く地平線と空の交わる線が遠くで緩い曲線を描いているのが見えた。雪雲の向こうで太陽が輝き、覗き窓から貴方の頬を照らした。
恐らくは、きっと鳥にしか許されなかった光景。それを貴方は目の当たりにしている。
「はは……」
両手両足を広げて全身で風を受ける。滑空しながら速度を落とし、滑るように山肌に着地する。一回目でコツは少し理解した。まっすぐ落ちればさっきのようにクレーターになってしまうなら、斜めに減速しながら降りればいいのだ。動き続けるなら、完全に停止させる必要も無い。
足で斜面を削りながら減速し、再び跳躍。今度は少し弱く、かつ角度を低く。山脈を這うように跳躍し、頂点でくるりと機体を反転させて足から着地した。機体の勢いを殺しきる前に再び跳躍。高度は出ないが、どんどん加速していく。視界の中で山肌が失敗した油絵のように混ざり合いながら高速ですれ違っていく。
「はははははは!」
最初こそ少し不安定さに怖さを感じたが、すぐに慣れてむしろそれが良い感じだ。転ぶ前に足を踏み出すような危なっかしい挙動ではあるが、人体では不可能な跳躍機動は刺激的な体験だった。前世では理解できないと思っていた暴走行為に手を染める者の気持ちが少しわかってしまった気がする。
オーバーナイトは歩くものだという先入観が貴方にはあった。剣を構え、じりじりとすり足で間合いを図り、刃の一刀一刀で鎬を削る、言ってみれば地味な戦いだ。
その印象故、オーバーナイトは脆いものという認識もあった。刃をぶつけ合う度に関節は砕け、動きは鈍り、先に破綻したほうが敗北する。
そんな事はなかった。オガタの言う通り黒曜号は自らを砲弾のように投射する跳躍の反動をものともせずに受け入れている。操縦席は激しく揺れるが、それだけだ。
戦いでオーバーナイトが壊れるのは、それが外部からの力だからだ、と貴方は理解した。自らの力で壊れる事はないオーバーナイトが刃をぶつけ合えば、刃には相手の力が跳ね返ってくる。普通に動かす限りでは想定内の負荷であっても、戦いになれば相手の意思による力が割り込んでくる。それが、機体を破損させるのだ。
それは重要な視点だ、と貴方は考えた。
ただ負担をかけないように立ち回るのではない、想定外の負荷をかけないようにして立ち回るのが、オーバーナイトには必要なのだ。
「っ、少しテストらしい事もするか。あの左手に見える岩、わかるか?」
言われて視線を向ける。ここから谷を一つ越えた先にある山肌に、大きな岩が一つ、デンと転がっている。その岩肌に一本、大きな木が生えている。
「あの木を跳躍からの一太刀で切り落とせ。足をつけずにだ。できるか?」
「簡単!」
安請け合いして進路を変更する。
そこでちょっと問題に貴方は気が付いた。岩が思ったより大きい。すれ違い様に木を切り落とすには刃の長さが足りない。このまま切りかかると木を切り落とすより先に下半身が岩に激突する。
そこで貴方は跳躍と同時に思い切り刀を振り回した。その遠心力で機体を制動させ、足を振り回し、空中で倒立反転する。空中で逆立ちしたまま、すれ違い様に木を切り裂く。
標的の撃破を確認して再び重心移動と体の捻りを利用して再度反転、そのまま地面を滑りながら着地した。
「っ、と」
多少無理な動きをしたので操縦席が激しく揺れた。激しい加減速にさらされた幼い体も悲鳴をあげている。これ以上は無理だな、と判断し、貴方はそこで動きを止めた。
流石というか、これだけの蛮用にも黒曜号の機体は耐えたがわずかに関節にきしみを感じる。先ほど感じた事を悪い意味で体感したといえる。急な貴方の動きが、黒曜号に想定外の負担となってしまったのだ。もっと丁寧に、機体の芯にまっすぐ負荷をかけるような立ち回りをすれば、まだまだ黒曜号は立ち回れただろう。
反省する貴方に対し、オガタが感嘆したように呟く。
「なるほどな。お前という騎士は、こういうタイプか」
「……合格は、貰えましたか?」
「一つ言っておく、今のお前ほどの空中での機動制御、誰にでも出来るもんじゃない。人間は鳥じゃないからな。どこで覚えた?」
「えと、うーん。なんとなく」
前世のゲームの中で、と答える訳にもいかず、貴方は曖昧に誤魔化した。
この世界には飛行機もないし、空を飛ぶ魔法がある訳でもない。空を行く、というのは人間には想像するしかない領域だが、前世において飛行機は高価だが一般人でも利用するものだし、ゲームの中では超高速空中機動戦はありふれた描写だ。勿論ゲームのそれに物理法則がキチンと適用されている訳もないのだが、機体を動かすイメージ元としては十分に参考になった。あとは、オリンピックでの高跳び選手の競技の様子とか。空中で体を捻ったり回転させたりする事で向きを変えるのは彼らを参考にした。
参考があったところで、実際にやれるかというと全く別の話だろうが、しかし実際に思うように動けてしまった。オガタの言う通り、リチャードという人間にはそういった才能が備わっているのだろう。世が世なら高跳びや新体操の世界チャンピオンになれていたのかもしれない。
「……ふん。まあ坊主は何年か前に高熱で死にかけたという話だったな。その時に召されかけた経験が生きたんじゃないか?」
「うわ、ひどい。思ってても言います?」
流石にその言い分はデリカシーがなさすぎる。貴方の反論にふん、とオガタは鼻をならして意に介する様子も無いようだった。
不意に操縦桿から抵抗が抜ける。脚部のペダルも突然スカスカになり、貴方は座席に座ったままつんのめりそうになり、思わず手足をばたつかせた。
が、黒曜号はぴくりともしない。操縦系が切り替わったらしい。
「帰るぞ。最後のアレは少し考えなしだったな、関節のギアが一つか二つ、罅が入ったかもしれん。工房長に怒られるのは俺なんだがな」
「う……それはその……悪いと思いますが好きに動かせといったのは貴方じゃないですか。素人にいきなり動かさせたんだから破損の一つや二つ、勘弁してくださいよ」
「アホみたいに飛び回るお前が悪いんだろうが。まあいい、帰りは俺が操作する。他人の操作もよく見ておけ」
言うが早いか、すっと黒曜号が反転し、小さな跳躍を繰り返して跳ねるように山を抜けていく。その動作の淀みなさと、衝撃を殺す操作の巧みさに貴方は舌を巻いた。今さっきまで自分の操縦で跳躍を繰り返していたときとはまるで動きが違う。まるで鉄に血が通い、発条が柔らかい筋肉のよう。
「才能云々はリップサービスじゃんかよ……」
小刻みな跳躍を繰り返して恐ろしい速度で移動する黒曜号は、まるで伝説の牛若丸が見せた八艘飛びを思わせる。あるいは軽快にサバンナをかけるインパラのステップか。近接白兵戦を主戦場とするオーバーナイトは、継続して負担をかけ続ける動きよりも、緩急をつけたメリハリのある動きの方が得意なのは道理であり、この連続小ジャンプはその機体特性にあった移動方法なのだろう。反して人間は歩くのが得意だ。あらゆる動物の中で、人間こそが最も長時間、長距離を歩き続ける事ができると貴方は聞いたことがある。なるほど、人は人、オーバーナイトはオーバーナイト、というのはここにもかかってきているのだろう。
もしかすると、オガタは早い段階から貴方の思い込みに気が付いていてそれを矯正しに来たのかもしれない。いけすかない男だが、騎士としての腕は本当に確かだ。
それでもやはり、貴方はこの男の事を好きになれそうにはなかったが。