碧き立待月の夜、村落のある洞窟から離れて一人と一匹は山を登る。木々からは青臭くも爽やかな木立の香りが漂い、そこここより鈴虫が鳴いている。斜面が青白く照らし出されていていささか幻想的だ。六平寺杏介とケロ吉にも青い月光が投げられている。
「ここらにすんべか」
人目につかず、村から離れたところでやってこい、という村長の指示は絶対的ではないものの、彼は愚直に守っている。持たされた桐箱を背から下ろし、中から底が浅くとにかく平べったい平盃を取り出した。その平盃には漆もなにも塗られていない。ただ味気のない真白な盃であり、村長が言うには
いんやなんもわがらねえが、不思議なことばかりだな、と六平寺は思う。
数日前、手の甲にできた薄赤いイルカ型のアザ。
それができたときからだ。
村長が言うには、自分は選ばれたという。巡礼者として責務を全うしなくては。叶うのならば自分の一族の繁栄を願いたい。
それにはともかく召喚だ。
有力なサーヴァントを召喚しなくては。
言われた通りの魔法陣を描きながら、どうか、どうか、と六平寺は願う。
詠唱の後、顕れたのは一人の男。
「貴様がこの帝王たる我を喚び出したる不埒者か。面白い、その無謀を推し量ってやろう。我と同盟を結ぶに足るかをな」
男がそう言うのと同時に全身からすうっと力が抜けていくのを六平寺は感じる。抜ける速度は速く、そのまま意識までも吸い取られてしまいそうだった。横目に映るケロ吉はパクパクと口を開き苦しそうに見えた。
しかし一人と一匹は膝をつきつつもとうとう意識を失うことはなかった。
「耐えきるか。及第点ではあるが、よかろう。貴様を同盟者と認める、光栄に思え」
「はあ。なんちゃ偉そうな男だべなー」
「我は偉いぞ」
「たはは。王様みてえだな。王様」
存外に思いは叶うものだ。
彼は類を見ないほど強力なサーヴァントだった。
☆
猫地蔵が草原の中、ポツンと半身を出していた。
楕円形の囲いを後にする六平寺と彼のサーヴァント、ライダーはその草原を行き、ずらりと岩壁が立ち並ぶ地帯の前に立つ。いくつもの地面が隆起したのか、岩壁は織りなって迷路のような渓谷を成し、人が四、五人通れるほどの通路を持つ。天然自然のものであるので、抜けきれるという保証はないが、人が通っている痕跡はあるため心配はないように思えた。
「ほー、こりゃあ迷っちまいそうだべ」
「なにも愚直に通る必要はない」
と言うとライダーは腕を組んだままふわりと浮かび始め、そのまま岩壁の上に立つと首だけ振り返って六平寺を見る。
「どうした?貴様も登って来ぬか」
「いやいや、そりゃ王様はふわふわ浮かべるけんど、おらたちゃ登んなきゃなんね。見た感じえりゃあ大変そうな壁だごと。まあ、また先に行っとってくれ。おらたちは下から追いつくけろ」
「では先へ行く。敵は排除しておく故、最速で来るがいい。ゆめ逸れるでないぞ」
「あい」
と六平寺の気の抜けた返事を聞くとライダーは岩壁の上を浮かびながら、順路を無視して飛んでいった。
灰褐色の流紋岩でできた岩壁たちはその数林林総総、その形状種種雑多で、俯瞰して見るに色合いから複雑怪奇に割れた煎餅のように見えなくもない。それらは隆起して長いらしく、上部には多種多様な草木が生えている。ライダーのように俯瞰して見ずとも溢れるほどに生い茂っているものもあるので、下からも視認ができるはずだ。それらになにか目印をつけたり、千切って通路に撒くなりすれば道標にはなりそうなものではあるが、ライダーはそうはしない。六平寺の力量を信頼しているのか、そもそもそういった考えはないのか、ライダーはとにかく真っ直ぐに出口と思われる方向へと飛んでいくのだった。
迷路の出口、地帯の縁にあたる部分の岩壁の上まで来たライダーは浮遊をやめ、ゆっくりと足をつけた。見下げた視線の先、一人のサーヴァントが睨み返していた。赤い頭髪に髭、青銅の甲冑に真紅のマント、見るからに威厳のあるサーヴァントだ。一台の犀車が彼の奥に見え、ドワーフと呼称される者二名とエルフと呼称される者一名が視認できた。緑髪をしたドワーフの女が『ランサー』と呼んだので、この男はランサーのサーヴァントらしいことをライダーは知る。
「出待ちしたかいがありましたよ。ま、あまりにも強い魔力塊がこっちに向ってきていたので、丸わかりではありましたがね」
ランサーが槍を構えて言う。
「気風からして、どこぞかの貴族と思ったが、無謀にも刃を向けるとはな。見当違いであったか」
「見当違いではありませんよ。こう見えても一国の王であったのでね」
王、と聞いてライダーの目の色が変わる。腕を組んだままではあったが、ライダーの放つ空気によって周囲には寒気に似た殺気が漂う。
「人の上に立つと騙る者か。であるのならば見定めぬわけにはいかぬな。よい、戦闘を赦す。この我が愛をもって相手をする。加減など考えぬことだ」
殺気に気圧されたのか、ランサーは引きつった顔で抵抗するかのように微笑すると問うた。
「貴方、一体何者です?」
「我はライダー。全ての王たる者、王の中の王よ」
☆
負けるわけにはいかない。
こんなところで。
私は逃げ出した者とは違うのだから。
犀車の中でハナは思う。
不思議と通りの良い声のする男、ライダーだと名乗るそのサーヴァントはそう決意を改めねばならぬほどに強大な存在に見えた。
ランサーは手元で槍を一回転させると膝を軽く曲げ再び構える。だが、ライダーは腕を組んだまま、見下ろしたまま微動だにしない。瞬きすらしてないのではないか、と見紛うほどだ。
「そのままでいいんですか?構えもしないで、隙だらけですよ?もしかして、油断を誘っているとか?」
「戯け者が。我は全ての頂点に立つ者なれば、眼前の敵は全て塵芥。下郎に見せる構えなど持ち合わせておらぬ」
「そう」
と言ってランサーは体をねじり
「ですか!」
と言って槍を投げた。
マントが激しく波打ち揺れるもののランサーの顔はしっかりと相手を見据えている。
やはり身動きしないライダー。腕を組んだままで向かってくる槍すら見ず、ランサーを見返しているばかり。
「『ダガン』」
不意にライダーがそう発すると、突然、彼の足元に生えていた草木が旺盛に伸び始め、雑多な枝葉による壁を構成する。もさもさと生い茂るその壁は、柔らかく投槍を弾き返すと麦や稲の種子を弾けて撒き散らし、槍を種子と共に地に落とした。
「『イシュタル』」
呆気に取られているランサーをよそにライダーはそう言った。
☆
青い空と蒼い森の間隙を肩で風を切ってイシュタルは飛んでいく。
共をしていたエース・リーバイスタインは、もちろん空を飛べないのでどこかへ置いてきてしまっていた。
彼のことだ、直ぐに追いついてくるはず、とイシュタルは思う。そして、先程会った昔の愛人を思い返すと、歓喜混じり、否、最早怒りのみの感情がふつふつと沸き起こり拳を握りしめるのであった。
──あの人、どの面を下げてやってきたのかしら。
自信満々の顔。
ターコイズブルーの頭巾の下で、自信あり気に結ばれた唇。己の意思を反映するかのように、はっきりと黒目と白目が分かれた眼。一本気を示すかのようにすっと通った鼻筋。どれもこれもが気に入らなかった。昔のままであったから。
突然、乗っていた
「ちょ!どういうこと?勝手に動き出したんですけどー!」
救難信号の如く手足を振り回してイシュタルが慌てているうちに、弦の周りには魔力、それも神代の魔力が収縮し青白く輝く楕円球となって装填された。
「え?待って!待ってって!何もしてないのに勝手に動くなー!わあ!きゃー!」
ごうん、という音と共に魔力は無秩序にも放たれた。
一筋の光線は遥か後方へと瞬く間に飛んでいき、着弾したのか球状の衝撃波が森の向こうに小さく見えた。
「あわわわ。わ、私はなにも知らないわよー。私のせいじゃないからね!」
ラッパの要領で口の両側に手を当てて、申し訳程度にイシュタルは言った。
☆
もちろん聞こえるはずもない。
着弾の地点、大きく大地を穿った地点、つまりはハナたちやランサーがいるそこまでその声が届くはずもない。
倒れた犀車をリーファとロジャーと共になんとか起こし、逃げ出した犀を連れ戻し、ハナは岩陰に隠れながらランサーと彼と対峙しているライダーを見る。
「ハナ様、ここは退却を!これでは全滅してしまいます!」
ハナの隣で冷や汗をかいているリーファが言った。
「逃げるなんて駄目よ!」
「し、しかし……」
「ランサーはまだやられてないわ!」
「それは……そうですが」
「なら彼を信じるまで。あたくしたちが信じなくてどうするの」
そう言ってハナは扇状に抉られた地の、ちょうど要の位置にいるランサーを見る。片膝をついていた彼は、今ようやく立ち上がろうとしていた。
「一体……本当に一体何者ですか?今の宝具は明らかに神霊のもの。よもや神霊のサーヴァントだとでも?」
ランサーは再び槍を構え、ライダーに問う。マントはところどころ裂け、甲冑も幾つか弾けて消滅し、骨は何本か折れてしまったものの力はまだ残っているのだった。
「宝具?」
ライダーは不思議そうだが、さして関心もないような声色で答える。
「今のは宝具ではない。我にただただ与えられた
「まさか」
──今のが宝具ではないのか?あれ程のものがか?
槍を握ったその手のひらは冷や汗が滲んでいる。ランサーの思案をよそにライダーは言った。
「やはり顕現した者の権能であると、やや時間差がある。イシュタルめ、相変わらず面倒なことを。で、あれば、こうか。『エンリル』」
うっすらと雲が出始めた、と思った時には既に雨の前触れとも言うべき湿った香りが辺りに漂う。はっとランサーが目を空へと向けると青かった空はどこへやら。既に鼠色を基調とした分厚い雲が覆い尽くし、大粒の雨を降らせている。雲は更に暗さを増し、ついには漏斗のように地面へと触手を伸ばすと竜巻となって辺りを巻き上げる。その数ゆうに十を越え、遠くの竜巻は岩壁を裂きながらランサーへと向かってきていた。
「ランサー!」
ハナは叫ぶ。
思わず令呪を励起させ、一画を消費しランサーの一助とした。
だが。
あまりにも絶体絶命。
舌なめずりする大蛇の如き竜巻の群が、今ランサーを襲わんとしているのだ。
しかし、ランサーは顔だけハナに向けて微笑むとこう言った。
「安心してください。マスター。きっと期待に応えてみせます」
すうっと更に息を吸い、ランサーは大声で言った。
「さあ、我が朋友!我が兵たちよ!今ここに集いて絆を示し、王の道を再び征かん!聞け!これこそが王の号令!果てなき夢へいざ共に!
『