「嘲笑、と呼ばれておりますがね、あそこの森から聞こえてくるのは嘲笑だけじゃありません。怨嗟だったり怒声だったり、歓声だったり様々な声がいたします。風やら木の配置やらなにかが関係しているんでしょう。ただ、よく聞こえてくるのが笑い声、それも嘲笑っている声なものだから嘲笑、と呼ばれているんですな。中?中がどうなっているかなんて知るものはおりませんよ。入ったものは皆気が狂い、出て来れた者は一人としていないのですから。まあ、帰った者がいないのですから、気が狂うというのも、全て噂話でしかありませんが」
アルフォンス一行は嘲笑の霧森にほど近くまで来ていた。シルビアが言うに、一番近くの町であるという人間族の町に彼らは一泊したのだが、そこの宿屋の主人が先のように嘲笑の霧森について教えてくれたのだった。
「さて、この先じゃぞ」
とシルビアがとうとう口を開いたところで、アルフォンスは今更ながらにこの説明を思い出したのだった。
三人がやってきたのは草原であった。
人が立ち入った形跡はない、獣道すらないのだから。それでも生えているのは背の低い草ばかりで、視界は拓けていた。離れたところには鹿の群れが見え、疎らに生えた野花には蝶が集っている。
この先、とシルビアが言ったように少し先には木々によるさながらそびえ立つ崖のような緑塊が、左右に長く展開されていて、その中は暗く先が伺い知れない。よく目を凝らしてみると、頭を出した高層の木々、その合間にはなんとか陽の恩恵を受けるために間隙を縫うようにして中層、低層の木々が生えていて、それぞれの幹の間を青白い霧が漂っている。
「おいおい、ちょっと待て」
突然セイバーはシルビアに向かって怒鳴りつけた。
「こんな魔力濃度が濃いなんて聞いてねえぞ」
「魔力?」
とアルフォンスは首を傾げた。
「ああ。お前さんにも見えるだろ?あの青白い靄。あれはな、魔力そのものだ。要は見えるくらいに濃度が濃いってこった。あんな濃いところにお前さんが入ろうもんなら一分ともたねえぞ」
「いかにも」
とシルビアは麦わら帽子を被り直し、パイプを艷やかな紅の引かれた美しい口に咥えた。
「じゃからわたしがいるのじゃ。烟る賢者と呼ばれるこのわたしがな」
そう言ってふーっといつもより長くシルビアは煙を吐いた。煙はアルフォンスを包み込み、暫くすると彼に吸い込まれるようにして消えていった。
「今のは?一体」
とアルフォンスが言った瞬間、口から耳から目から、もう頭部の穴という穴から白い煙が立ち上った。
「う、うわー!?」
「ぶわっはっは!マスター、なんだよそりゃあ。大道芸か?」
「わからないよ!なにこれ?シルビア、止めて止めて!」
ギャンギャン泣きわめきながら、アルフォンスはシルビアのローブの裾を引く。
「ええい、だまらっしゃい!それはわたしの煙であって、お主に幻覚をかけておるのじゃ。そのまま森に入ればお主は狂う。じゃが、こうして幻覚をかけて異常なものを異常でないと錯覚させることにより、お主も中へ入ることができるのじゃ」
「へえ、なるほど。そりゃいい案だな、おい」
と言いつつセイバーはアルフォンスを見てにやけている。
「嬢ちゃん、俺にはかけねえのかい?」
「何を言っとるんじゃ。お主はサーヴァントじゃろ?わたしの幻覚なんぞ効きゃあせんし、ここの魔力にも十分耐えうるわい」
シルビアはそう言ってから、アルフォンスを見て真剣な顔つきで言う。
「アルよ、それはあくまでも幻覚に過ぎん。森の中でおかしなものがあったからといって見つめたり、耳をそばだててはならぬぞ、よいな?」
「は、はい」
アルフォンスは最早煙で真っ白になった顔で答えた。だが、それはあくまでも傍目にはであり、彼の視界はすこぶる良好だった。だが、セイバーに笑われていることは気恥ずかしかった。
☆
森の中は思ったよりも明るい。何故かと言えば青白い霧そのものが仄かに発光しているからであり、見通しは悪いものの足元は見えたり、三人が互いに視認できるほどには明るいのだった。人が全く入っていないので、地面は枯れ葉と腐葉土が多いので踏み心地は柔らかく、そこここに太さも長さも様々な倒木が、倒れるがままに転がっていた。青臭い臭いもすれば、枯れ葉が分解されているのか香ばしい香りもするが、不快な臭いは一切ない。幸いなことに『嘲笑』はアルフォンスには聞こえなかった。聞こえるのはそれぞれの足音と、遠くで鳴く虫やカエルの声ばかりであった。
やや足に疲労が溜まってきたな、というところまで歩いてくると三人の眼前には樹齢幾千年と思しき大樹の倒木が立ちふさがった。
「この幹の下を行くのじゃ」
とシルビアは身を屈めて、倒木と地面の間、丁度ビコトが立ったままでも通れそうな隙間を抜けていく。セイバーが背を丸めるのを見つつ、ふとアルフォンスはその倒木を見た。
自分が両腕を伸ばしても全く手が回らなそうな太い幹。完全に手を回すには自分換算で言うと恐らく二〇人程度は必要だろう。あまりにも巨大だ。幹にある洞もまた巨大だ。自分がすっぽり入ってしまいそうな洞で、今は三つ見えている。配置的に二つは目に見える。大きく窪んだ二つの眼窩。その下に枝元があり、それは鼻だ。残る一つの洞がそうすると口であり、生気を失ったようにあんぐりと開かれている。
──なにか、言おうとしている?
(ウフフ)
──ん?やっぱりなにか(キャハハ)聞こえたような?
(ハハハハハ)
──そうだ!(フフフフフ)この木は(オイ!)なにか(アーア)ぼくに(キャッキャ)言おうと(ウワーン)している。
──……なんだか、ね(アハハハ)むく(エーンエーン)なっ(クハハハ)てき(オラー!)ちゃ(ヒャーハッハ)っ(カハハハ)た。
「アル!」
ぶわっと煙が吹きかけられる。
アルフォンスの視界は火花が散ったようにチカチカとし、彼は左右を素早く見回した。視線を前へと戻すとエメラルドの瞳を真剣に輝かせてシルビアが、見つめ返していた。
「気を取られるな。注意を向けてはならぬ。ここにはわたしら三人しかいない。知らない声は聞こえない、見知らぬ影は見えない、そう頭で念じるのじゃ」
「は、はい」
シルビアは真剣な面持ちのまま頷くと、アルフォンスを先へ行くようへ促した。アルフォンスは倒木に触れながら、その下をくぐったが、もう先程の声は聞こえなかった。
☆
──知らない声は聞こえない、知らない影は見えない、知らない声は聞こえない、知らない影は見えない。知らない砂は……砂?
念じながらアルフォンスは歩いていた。シルビアの忠告の通りであったし、アルフォンスはあまり辺りを見ないように下を向きながら歩いていたのだった。だが、突然足元が薄暗い腐葉土から、乾ききった砂原へと変わったので、彼は驚いて顔を上げた。
「こりゃあ」
と風に飛ばされないように麦わら帽子を抑えながらシルビアが言った。
「誰かの固有結界じゃな」
「固有結界?」
アルフォンスは尋ねる。
「早い話が誰かの思い出、記憶、夢じゃな。気をつけよ、わたしらはもう誰かの手の中というわけじゃ」
「何者か?」
そう声がして三人は同時に視線を声の方へ。後方であり、少し視線が上になる。そこには相変わらず偉そうに腕を組んだライダーがふわふわと仁王立ちの要領で浮いているのだった。
「勅もなく我が界域に立ち入るとは、如何なる了見だ?粗暴なるクー・フーリンよ」
「あ、そのナチュラル真名看破やめれる?」
セイバーはそう言いつつ剣を抜いた。
「聞きたいのはこちらじゃ、ライダー」
セイバーを制するようにシルビアが尋ねた。
「ここは嘲笑の霧森じゃぞ?何故入ってきた?お主はともかく、お主のマスターには耐性がなかろう」
「戯言を申すな。いかなる場所であろうと全ては我が領地なれば検分して回るのは必定。加えてこの地からは宝と思しき反応もある。我が立ち入らぬという道理はない。しかし、魔術師よ」
「なんじゃ?」
ちらとライダーはアルフォンスに視線を向けた。アルフォンスは怯えるように視線を逸らす。ライダーはその反応には興味を示さず、再びシルビアの眼を見据えて言った。
「奇怪な策ではあるが、有効な手段を持つ者を我は評す。故に許す。崇高なる我に、否、我らに愛を与える栄誉を貴様に許す」
「な、なにをいきなり言うとるんじゃ?愛がなんとか。わたしの愛はもう亡い」
「愛は滅びぬ。この茫洋なる砂原と同じく、どこまでも続くものよ。流浪の民どもよ。我が許すのだ、ついて参れ」
そう言ってライダーは背を向けると、浮いたまま三人から離れるようにして飛んでいく。その速度は歩くのと同じくらいであったし、そもそも視界を遮るものは何も無いのでどうしてもライダーに視線が向くのだった。
「どうするよ、マスター。いっちょ後ろから切りつけてやるか?」
セイバーはその無防備な背を指差して言った。
「えっ!?それは……やめておこうよ。ついて来てって言っているんだから、取りあえずは後を追ってみよう」
そう言ってアルフォンスが一歩歩き出したので、セイバーとシルビアも後をついていくことにした。
☆
なにもない砂漠がひたすらに広がっていた。空にも雲一つなく、ただ燦々と輝く太陽が大海原の如く平坦な砂漠に我が物顔を晒している。先を行くライダーはセイバーの問いかけにも「黙して伴をせよ」としか言わず、目的地さえ定かではない。幸いにシルビアが煙による傘を展開しているため、日射は防げてはいるものの、無為にさえ思える砂漠行は苦行の如しであった。
「止まれ」
とライダーが突如として言った。
止まれとは言うものの、そこは他と変わりなくただきめ細かい砂の海が広がっているだけだ。
なにがあるのだろう、とアルフォンスがライダーの背の先を覗き込んだその時、ライダーは指を鳴らした。
すると、目の前の砂が鯨が海面から出でるようにこんもりと起き上がり始めた。立ち上がったお椀型の砂塊はざぱん、と大きな音を立てて細かな流砂を流し終えると、洞穴の入口のような大口を開けた。
中に人と大きなカエルが一匹いる。
人は横たわっていて、カエルも手足をだらしなく伸ばしてぺしゃんこであり、口からは長い舌を出しっぱなしにしていた。
「お、王様やー。ケロ吉は日差しに弱いけ、あんまし開けないでくれろ」
と頭だけもたげた横臥している人は、か細い声でそう言った。
「同盟者よ」
ライダーはずいとその砂でできた洞の中へ入って行きながら声をかける。
「光明を得た。我らの雌伏の時もこれまでよ」
「は、はあ?」
そう言って横臥した人は顔をアルフォンスたちへ向けた。目が合った瞬間、彼は飛び上がり大蛙を背にしてアルフォンスたちへ叫ぶ。
「マスターとサーヴァントでねが!おらたちを倒しに来ただべか!?」
「いやいやいやいや」
とアルフォンスは困りながら言う。
「そのライダーさんについてきて、と言われたので」
「お、王様ー?」
「安心せよ。我が眼に狂いはなし」
ライダーは難解な言葉を並べるばかりで、マスターらしき青年は一向に話の要領を得ない様子であった。代わりにアルフォンスが説明をしてやると、彼、六平寺杏介はようやく事の経緯を理解した。彼はうやうやしく自分の事、大蛙の事を紹介し、これまでの経緯を恨み節で話し出した。
「……ほんで、サーヴァントは良くても生身の人間じゃあおじゃんだべって言ってんのに王様が行くって言って全然きかんもんで、おらたちはこの森に入ったわけさ。王様曰く『我の領域を展開しながら進めば宝にたどり着けるのでは?』と言うわけやったんけど、まあ魔力切れれす。無理無謀なんだべさー。早めに見切りつけて、帰れば良かったんに全然帰ろうとせんもんでこんなんさ。結局、もうにっちもさっちもいかんで、こう休んでたんべさ」
「帝王に後退はない。広げた版図には前進あるのみよ。そもジグラットですら展開せず、貴様の回復に費やしたのだ。我が愛に感謝せよ」
「それでじゃ」
とシルビアはケロ吉の頭を撫でてやりながら言う。
「アルフォンスにしたように幻術をかけてくれってわけじゃな?」
「出来るであろう?魔術師よ」
「出来る出来ないで言えば出来る」
ならば、と言いかけたライダーをシルビアは手で制した。ずい、と手を六平寺たちに向けピースサインを作った後、少し考えてからもう一本指を立て、三本指とした。
「条件が二つ、じゃなかった、三つある」
「なんだべ?」
六平寺は無垢な黒い瞳を向けて尋ねた。
「一つ、この森を抜けるまでわたしたちに協力すること」
「わかったべ」
「二つ、ライダーの真名を教えること」
「いいだろう」
ライダーが六平寺の答えを待たずに言った。
「我が名はシャルキン。貴様らに通りよく言うなればサルゴンとなる」
六平寺は顔を顰め、自ら額を打った。
「些事である。同盟者よ、時が来たのだ。そも、我が名は誰しもに知られているが故、秘匿することなど能わず」
シルビアはその名に驚いて、ライダーを二度見たが、驚きの声は出さずに言葉を継ぐ。
「三つ、……この巡礼においてわたしたちに勝ちを譲ること」
「し、シルビア……そ、それは……」
アルフォンスは不安気に口に手を当てて言う。シルビアは視線を六平寺たちに向けたまま、じっと動かず彼らの返答を待つ。ライダーは眉一つ動かさない。六平寺は苦笑いしながら答えた。
「無茶苦茶言うべな。そら、無理な相談だべ」
「では助けぬが?お主たちだけでここから出る術はなかろう」
「そりゃやってみんことにはわからんべさ。おらたちだっておらたちなりの夢があって巡礼しとるんさ。そげな降伏勧告みたいなんを受け入れるんだったら、もがけるだけもがいてみるべ。例えば、今ならまだ戦える。王様がおりゃあ、おめえさんたちを脅すことだってできるべさ」
「ふむ」
シルビアは視線を六平寺からライダーへ、ライダーから六平寺へと移す。セイバーは剣を抜く。アルフォンスは、ごくり、と固唾を呑んた。
「良いじゃろう、三つ目の条件は変える」
シルビアは笑みを浮かべて言った。セイバーは残念そうに剣を納め、アルフォンスはほっと短いため息をついた。
「そも、こんな条件を即断で受け入れておったら怪しすぎて信用できんかったわい。では、三つ目の条件は、巡礼の大勢が決したら互いに協力する、これでどうじゃ?」
「なんじゃあ、カマかけられとったんべか。ま、ぜーんぶ片付いた後ならなあんも問題ないべや」
六平寺は少し落ち着いた笑顔になって言った。
横にいるライダーは腕を組んだまま、堂々とした声で言う。
「誇るが良い、魔術師よ。貴様らはこの帝王たる我の助力を取り付けた」
フハハハ、という高笑いが砂漠にこだました。