Fate/Fantasia edge   作:わがし狂太郎

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24話

 

 走る。

 青年は悔恨とともに走る。

 蹴り上げる砂は激しく舞い、確かに彼の走りは速い。

 だが。

 その後を追ってきている背びれはそれよりも更に速い。背びれは今はまだ遠く、子犬程度にしか見えなかったはずだが砂塵を巻き上げて追ってくるその背びれは、振り返れば既に親熊程度の大きさに見えているのだった。

 ──隠れる物──、……隠れる物……。

 と青年は念じながら駆けるものの、広がるのは茫洋とした砂原だ。天際まで小石一つ見当たらない。

 ──隠れる物──隠れる物!

 なだらかな砂丘を駆け上り、地平線を越えるとようやく彼は目的物を見つけられた。

 赤岩。

 ずん、と砂の海に突き出たそれは身を隠すには充分過ぎるほどに大きい。

 青年は一度転げながらも丘を下り、最早手足の動きも滅茶滅茶になって岩へと駆け寄る。ぐるりと回り込み、自分と背びれの間に岩を置くようにした。乾いた岩を背にして青年は、荒くなった呼吸を整える。血液が沸騰しているかのように汗が噴き出し、肺には綿でも詰まっているのではないかというくらいに息苦しい。

 まだ、と青年は思う。当然この程度で逃げ切れると彼は思ってはいない。しかし、岩を迂回するだけの時間は稼げるはずだった。あまりにも淡い期待、その楽観的な予想は無慈悲に砕かれるのであった。

 彼の周り、足下の砂が篩にかけられでもしたように小刻みに震えだす。青年は岩を掴み左右を見回す。立っているのが精一杯なのだ。

 次の瞬間、ごう、と轟音がなり赤岩と彼は前方へと押し出される。押し出す力は強く、受け身もとれずに肩から砂地へと叩きつけられる。青年は勢いそのままに数度回転し、止まったところで上半身を起こすと急いで後ろを振り返った。

 砂鯱。

 巨躯を砂の上に現して、今は赤岩を咀嚼していた。砂鯱はそれが岩であることに気がつくと、ぺっと吐き出し頭部を右へ左へ旋回させた。青年を探しているようだ。青年は呼吸すらできず、尻もちをついたまま砂鯱を見ている。まばたき一つ、まばたき二つ。青年の顎から汗が落ちた時、ついていた右手ががくん、と落ちた。

 

 「え」

 

 と思わず声を上げる青年。右手はちょうど流砂の縁に飲まれて少し下がっただけであったので、直ぐに引き抜くことができた。

 だが、砂鯱はその声で彼の位置を掴んだ。

 

 「くっ」

 

 青年は覚悟する。

 砂鯱は左右の胸びれで砂地を強く叩き、巨躯を中空へと跳ね上げた。頭から落ちてくる砂鯱は、大きな口を投網のように開き、今にも青年を捕食せんと落下してくる。

 どうして、どうして背びれに気が付かなかったのだろう。青年は悔恨する。これまでの悔恨と内容は同じ、そして同じように解法はない。

 だが、救いはある。

 

 「しゃがめ!」

 

 と声がして思わず青年は頭を下げる。既に尻を地につけているので、しゃがむことはできなかったが、恐らくは背を丸めろという意図であろうと青年は理解した。

 

 「だあ!しゃあ!」

 

 という謎の掛け声と、大きな音がした。

 

 「大丈夫か?」

 

 と声がしたので青年が顔を上げると、そこにいたのは青い髪を持つ一人の男。仁王立ちであり、肩越しに目線だけをこちらへ向けている。男の前方には横倒しになった砂鯱がいるが、全身を揺さぶって再びこちらへと向き直る。

 

 「マスター!」

 

 青髪の男は砂鯱に視線を戻して言う。青年はようやく気がついたのだが、知らぬ間に自分の傍らには麦わら帽を被った赤い縮れ毛のビコトがいたのである。どうやら彼がマスターと呼ばれる人物らしかった。ビコトが返答する。

 

 「ここにいるよ!どうしたの?」

 「釣りを多少嗜んでるから俺にはわかる、ありゃ相当大物だ。ちょっくら魔力を貰うぜ」

 「や、わかった。逃げてた方がいいかな?」

 「いんや、あんまり俺から離れるな。こいつみてぇのが辺りにまだいるかも知れねえからよ」

 「わかった」

 「さあて、ちゃっちゃっとやっちまうかね!」

 

 すると青髪の男は、みるみるうちに赤髪の男へと変貌し蒼穹へ向かって片手を差し出した。その手の内が輝いたかと思うと、どこから取り出したのか朱槍が握られていた。

 砂鯱が再び飛び上がる。大きな影を直下に下ろし、大口を開けて三人に向かって落ちてくる。

 

 「大物釣りは久しぶりだ、滾るねえ」

 

 と青髪だった赤髪の男が言う。

 

 「恨みはねえが、襲ってくるんなら仕方ねえ。冥途の土産だ、こいつを食って逝きな!『滅殺豪朱槍(ゲイ・ボルグ)』!」

 

 赤髪の男は体を捻って投槍した。射出された槍は砂鯱の口の中へと飛び込んでいき、ちょうど人間でいうところの腰のあたり、つまりは胴の中下部から突き抜けた。砂鯱は巨躯を中空で反らし、糸を失った人形のように脱力して砂の上に落ちた。

 

 

 「にしても」

 

 とセイバーはアルフォンスと頭巾を被った青年を小脇に抱えて言った。

 

 「なんだこいつは?並みのサーヴァントくらいの強さがあるぞ?」

 

 セイバーの言うこいつ、とは今、目の前に横たわる大きな魚のことだ。小脇から降ろされた青年は答える。

 

 「オルカ」

 「ん?」

 「あ、ああ。ウヌス語、言い直す。砂鯱、言う」

 「砂鯱?シャチなんだね」

 

 青年は首肯する。彼の身なりはボロ布だらけではあったが、布の使用枚数が多いため貧相には見えない。青年はいたって普通の人間族のようだったが、アルフォンスはある一点に強く惹かれた。彼の目だ。角膜は茶系で変哲もないが、本来白目であるはずの部位が赤くなっている。

 

 「しっかし」

 

 とセイバーは頭の後ろで手を組んで言った。

 

 「どこ見ても砂ばっかだな。こりゃまた迷っちまったか?」

 

 あえて言えばアルフォンスたちはずっと道に迷っていたのだった。シルビアはろくに地図も置いて行かなかったので、世間知らずのアルフォンスとセイバーでは当然、トゥンブークへの道行きなどわかるはずもなく、宿屋の主人や偶然居合わせた人に聞きながらなんとなくの方角を目指して歩いているのであった。無論、彼らはここがオイライキ砂漠であることも知らないので、青年の存在は意外にも渡りに船であった。

 

 「ごめん。もしだけど、道を知っていたら教えてくれるかな?」

 「教える?足りない、感謝。だから案内、する。お前たち、どこ、いく?」

 

 赤目の青年は言った。どうやら、彼はウヌス語は不得手であるらしい。カタコトの言語と赤目が相まって神秘的な存在感がある。

 

 「ああ、なんてったかな?」

 

 とセイバーはアルフォンスに視線を送る。どうやら目的地の名前を覚えていないらしい。

 かといってアルフォンスも覚えているわけではなかったので

 

 「ええっと」

 

 とポケットから綺麗に二つ折りされた書き置きを取り出し

 

 「トゥンブーク。トゥンブークへ行くんだ」

 

 と言った。

 青年はアルフォンスがそう言ったのを聞くと、一拍置いてから僅かに眉間に皺を寄せた。そして、小さく何事かを呟くと腕をクロスさせ✕印を作った。

 

 「ダメ。トゥンブーク、ダメ」

 「えっ?ダメ?どうして?」

 「いいところではない」

 「いいとこじゃない?治安がよくないのかな。でも、友達と待ち合わせをしているから……」

 「んー」

 

 と唸って青年はじっとアルフォンスを見た。

 

 「わかった。案内する。ついてくる、いい?」

 「ありがとう!いやあ、本当に良かった。このままじゃあ二人とも干からびるところだったからね」

 

 こうして親切な青年を先導にしてアルフォンスたちは砂漠を行くことになったのだった。

 

 

 「あ、こっち」

 

 と青年はアルフォンスの袖を引く。それまでの進行方向からは90度くらいに変わる方へと歩を変えた。

 

 「え?どうしてこっちに?」

 「砂鯱、いる」

 「ええ?」

 

 とアルフォンスは先ほどまでの進行方向を見やるが、ただ砂の海原が広がってるようにしか見えない。

 

 「俺にも見えねえぞ」

 

 とセイバーが言ったその時、砂鯱が跳ねるのが見えた。見えたと言ってもそれは、遠い青空に髪の毛が浮いている程度のものであったが。

 

 「いた……」

 

 と呆然としてアルフォンスは呟いた。

 

 「目、いい。任せる、俺」

 

 青年はさも当然といったように言い放った。

 青年はこの砂漠について様々な説明をしてくれた。カタコトながらも懸命に伝えようとする姿にアルフォンスの心は打たれたものだった。彼が教えてくれた通り、砂漠には厄鬼はいなかった。だが、災霊の方は時折接敵することがあり、日陰で丁度快適に歩けそうな箇所に限って出現するのであった。

 伽藍の回廊のように頭上に砂の庇がある細い通路にてセイバーが四、五体の災霊を倒した。その細い通路を抜け、小高い砂丘を数個越えたところで青年は立ち止まった。最早、食傷気味とも言える見慣れた砂原の先に、一際高い砂丘がある。丘の頂上、てっぺんのあたりに小さな木が見えた。彼はそれを指さして言う。

 

 「トゥンブーク」

 「あれがトゥンブークなのかい?」

 

 アルフォンスは疲れた声で尋ねた。

 青年は首肯すると

 

 「ここまで、案内。残念」

 

 と言った。

 

 「残念がるこたあねえさ」

 

 とセイバーは青年の背を叩いて言う。

 

 「俺とマスターだけじゃあ、絶対にここまでたどり着けなかった。助かったぜ」

 

 そうそう、という心持ちでアルフォンスも頷く。

 青年はそれでも心残りなのか、懐をまさぐると象牙色の巻貝の貝殻を二つ取り出した。

 

 「これ、やる」

 「え?なに?これは」

 

 アルフォンスは貝殻を摘んで尋ねた。

 

 「それ、水、作る。水、できる。汗、血、小便、飲める水、変える。その水、飲む、不思議。不思議、貝」

 「へえ、すごいね。砂漠では水が貴重だから、そういう機能が必要とされているんだねえ。でも、これ大切なものじゃないの?流石にもらえないよ」

 

 青年は首を振り、返品しようとするアルフォンスの手を押し戻した。

 

 「俺達、アサラス人、恩、返す、必ず」

 「そ、そう?」

 

 青年は首肯し、セイバーにも貝殻を渡した。

 

 「いや、俺は……」

 

 とセイバーは言いかけたが、青年が首を振るので言葉を止めた。

 

 

 「じゃあ、それじゃあ」

 

 とアルフォンスは言って手を振った。巻貝は青年に手伝ってもらい紐でくくり、首から下げて服の中にしまい込んでいた。

 ゆっくりと右足から歩みだす。

 アルフォンスとセイバーは数歩歩いて振り返ると、青年は微動だにせずこちらを見ていた。

 

 「気をつけて帰るんだよ」

 

 アルフォンスは手を振り言った。

 歩き出したものの、まだ視線を感じるため振り返ってみると、同じように立ち続けたままの青年がいる。

 

 「ありがとう!」

 

 大声でアルフォンスは叫んだ。最早叫ばなければ聞こえないであろう距離であったからだ。

 再び歩き出し、もう一度振り返ってみる。

 豆粒程の大きさであるが、確かにいる。

 アルフォンスは両手を振った。

 また歩き出す。

 もう姿は見えない。

 見えないが、アルフォンスは振り返って、大きく両手を振った。

 

 「じゃあね!」

 

 少しだけ大きな声でアルフォンスは叫ぶと、背を向けて歩き出した。

 もう振り返ることはなかったが、アルフォンスの背中には陽だまりのような暖かみがいつまでも残っていた。

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