ひらひら。
ひらひら。
斑な模様。
ひらひら。
ひらひら。
蝶が飛んでいる。
アルフォンスは手を伸ばし、それでも届かないので一歩踏み出した。
すると、身体がぐるりと回転し、背中から落ちていく。
──ああ。
とアルフォンスは思うものの、体はいうことをきかない。
手は胡蝶へ向けられているものの、どんどんと離されていく。
周囲はどんよりとした闇。
闇夜に切り取られた満月のように蝶周りだけが視野内でくっきりと像を映えさせている。
幾度か手は空を掴んでは離し掴んでは離すが、いくらも手応えはなかった。
アルフォンスは落ちていく。
☆
穏やかな目覚めが訪れる。
確か、落ちたときくの字に身体が曲がっていたので腰から落ちたらしかったが、幸い着地面が柔らかったのと何故か着地の勢いが羽毛の如しであったのでどこにも痛みはない。
──あれ?いつの間に街を出たのかな。
アルフォンスは辺りを見回してそう思う。
彼が目にするのはまたもの砂漠。砂の大地。
蒼穹と砂の境目は大きな波を打っていて、いくつもの砂丘が散見される。見慣れた、否、アルフォンスは確かにこれまでの砂漠とは違うと感じた。それがなにによるものなのかはわからないが、彼の胸裏は確かにここは知らない砂漠であると告げている。
不自然なことは立て続けに起こった。
はっとアルフォンスが気がついたときには、既に場面は切り替わる。足元は確かに砂漠のままだが、蒼穹はなく古代コンクリート造りの高いドーム型の天井が代わりにそこにあった。屋外だけは確実にない、屋内とも呼べない空間には石造りのなにかしらの遺構が何個も砂に埋まっている。
そのうちの一つに老人が腰掛けていた。
人間族らしいその老人は白い髪の毛を短く坊主頭にしており、こんがりと焼けた肌には無数の皺が刻まれている。老人は皺がそう見せているのか不機嫌そうだ。
「あのー」
とアルフォンスは声をかける。
老人は言葉を返した。しかし、アルフォンスには聞いたこともない言語で理解は到底できなかった。
「全く、なんでわしが貴様らの言語に合わしてやらんといかんのだ」
アルフォンスが困り果てていると、老人はため息交じりにそう言った。驚いたアルフォンスには気もとめず、不機嫌そうな調子で老人は続けた。
「で、なにしにきた?異邦人」
「あっ、えっと、その。ここはトゥンブーク、ですよね?」
「トゥンブーク?なんじゃそれは」
老人は皺だらけの眉間に更に皺を寄せる。
「え?えっと、ぼくはついさっきまで、その街で寝てたはずなんです」
老人はぐちぐちと白い口髭を動かしては不機嫌な口元を作り、苛立だしくこれまた白い顎髭を撫でた。
「本当に寝ていただけというのか、こう柔らかくもなるとかようなことも起こり得るか」
と老人はアルフォンスに微かに聞こえるくらいに独りごつ。
「あの、もしもし?」
自分そっちのけで考え込んでいる老人にアルフォンスは言う。
「ここはトゥンブークじゃないんですか?トゥンブークじゃないならここは一体?」
「答える義理はない。じゃが、トゥンブークとかいう場所ではないことは答えといてやろう。ありがたいじゃろ?ありがとうと言え」
「は?はあ。ありがとうございます」
暫しの沈黙。老人はアルフォンスをからかい楽しんででもいるのか、いたずらっぽい笑みを浮かべてアルフォンスの言葉を待っているようだ。
「えと、貴方のお名前は?」
「作法がなってない。名を尋ねるときは先ずは自分から名乗るべきじゃろう」
「すいません。ぼくはアルフォンス、アルフォンス・シシャです」
「そうか」
「……えっ?えっと。貴方は?」
「貴様なんぞに名乗る名はない」
「えっ?ええ、そんな」
「むしろ貴様が語って聞かせよ。これまでの経緯をな」
「ええー」
仕方なしにアルフォンスは語り始める。コチカ村のこと、そこでシルビアと会いサーヴァント、セイバーを召喚したこと。その後は宝石谷で美味しい食事をしたり、嘲笑の霧林や砂漠を冒険したこと。そして、今はトゥンブークという街にたどり着いたこと。
「……その後は寝ました。確かにベッドの上で寝ました。以上です」
アルフォンスが言い終えると老人は下を向いてしまった。
機嫌を損ねたかもしれない、とアルフォンスは思う。事実、老人はアルフォンスが話している最中、眉一つ動かさずじっと聞いているだけだったのだ。
が、突然
「ガーハッハッハ」
と老人は大口を開けて笑い出す。目尻に涙が光っており、本当に抱腹といった様子だ。
虚をつかれたアルフォンスは目を白黒させて立っていることしか出来ない。
「ガハハ。見てはおったが、当事者から聞くと一層滑稽さが増すわい。ガーハッハッハ」
意図はわらかないが、笑われていることは理解できたアルフォンスは少しむっとした。
「そう怒るでないわ」
「い、いえ。怒ってはないですよ、別にさ」
「怒ってはおるだろう」
アルフォンスは答えない。答えないが、目角を立てたその顔つきは怒りの返答に違いなかった。
「怒りの感情を隠すでない。負の感情とは人であるが故の当然の機能。喜びや慈しみしかない人なぞ最早人ではないわ」
わかったようなわからないことを言う老人だ、とアルフォンスは思う。老人だからかそんな調子なのかもしれない。
──それよりも。
「ここがトゥンブークでないなら、ぼくは帰りたいんです。ここは一体どこなんですか?」
「案ずるな」
と言って老人はアルフォンスの肩を叩いた。いつの間に間を詰められたのか、アルフォンスにはわからない。肩を叩かれたと同時に肩を叩ける位置にいる、とわかったばかりだ。老人はアルフォンスの驚きには一切の反応を見せずに言葉を継いだ。
「もう
「え?」
とアルフォンスが声を上げると同時に、足が地から離れだした。足から優先して空へと向かっているため逆さまになってアルフォンスは上へ上へと昇っていく。
老人はそんなアルフォンスを座ったまま見上げて言った。
「滑稽話の礼じゃ。二つほど、冥土の土産話に持っていくがよい」
「え?え?」
「まず一つ、よいか、聖杯巡礼などない。貴様らがやっていることは紛れもなく聖杯戦争。その亜種かもしれんが、聖杯戦争には違いない。その謎を解く鍵は、やはり聖杯であろうな。聖杯とはなにか、考えてみるべきじゃ」
「えー!せ、戦争?せ、聖杯?」
「次に二つ、サーヴァントとはなにか。彼らが一体何者か、貴様は本当に知っているのか?それとも考えてみたこともなかったのか?ならば反省し、今一度その正体を探ってみよ。思考放棄は全ての誤りを生む」
「え?え?えー!ちょちょ、ちょっと待って!どういう、どういうこと?」
アルフォンスは手を振り回して老人の元へと戻ろうとするも、引き上げられる力が強く、どんどんと遠ざかっていく。
「ガハハ。見苦しい抵抗じゃ。じゃが、その生き汚さこそ人たる証。おまけじゃ、わしの名を教えてやる。わしはジェディ。ただの墓守よ」
アルフォンスの意識は徐々に遠のいていく。薄れゆく意識の中にジェディの声が微かに響いてきた。
「まずはシルビアとかいう女と会え。はじまりはそこからじゃ。さあ、目覚めの時じゃぞ。さっき言ったこと、よくよく考えてみるのじゃな。わしはいつでも見ておるぞ。また会えたのなら話してやろう、会えたのなら、な」