それから幾星霜。
おそらくは六〇という年月。
光陰矢の如しとは良く言ったものだ。
物語はこれから始まる。
小さなビコト族の大きな物語。
わたしと彼の出会いから。
☆
一人のビコトがいる。
村の外殻、小さなカボチャ畑をせっせと手入れする、素朴で変哲のないビコトだ。
そのビコトは、男性で名前はアルフォンスと言った。髪の毛は真っ赤でビコトらしくくねくねとうねっている。頬にはそばかす、鼻は丸く愛嬌がある。彼の手、その手の甲には数日前より、薄赤色のアザが浮かび上がっていた。揚羽蝶型のそれは洗っても消えなかったが、彼はひどい虫刺され程度にしか思っていなかった。畑仕事をしていればよくあることだと。
お昼の時間になると、アルフォンスは畑での作業を中断し村の中央へと歩いていくことにした。
そこは湖に近い小さな村で、『コチカ』と皆呼んでいた。
ビコトたちだけが暮らす、小さな、とても小さな村であった。
ここでのビコトたちの暮らしは慎ましやかだが活気があり、村の中央に近づくにつれ人も多くなり、賑やかになっていく。草原は奇麗に手入れされ、朝には朝露で宝石のように輝くほどだ。昼間の陽光は草木たちをより一層優美に見せ、野花も可憐に咲き誇っている。周囲の木々も活力に満ち、小さな動物たちも長閑に暮らしている。
湖の近く、村の東端に位置するひらけた場所は、市場にも催事場にも使われる村の集会場だ。今はお昼時ともあって様々な料理が並べられていた。川魚の塩焼きに、豆を煮込んだスープ、トマトとレタスのサラダなどなど。村に漂う土の香りと料理の匂いが混じり合い芳醇な香りが辺りを包みこんでいた。
アルフォンスはかぼちゃのパイを一つ買うと、少し離れた日陰のベンチで食事を摂ることにした。
アルフォンスは食事に異常なほどに気を配る男であった。外での軽食と言えど彼は妥協しない。澄まし顔でナプキンを取り出すと膝に敷き、仰々しく襟元を糺した。まずはパイの香りを嗅ぎ、上質の小麦と南瓜が使われていることを確認すると満足気に微笑む。そして、匂いをこれでもかと鼻腔内に漂わせて香りを楽しむのであった。もういい加減に食べ始めたらどうだ、というタイミングでようやく口を開けた。
「もし」
と声をかけられてアルフォンスは手を止める。
「お隣座らせてもらっても、よいかな?」
声をかけてきたのは麦わら帽子を被った若い人間族の女性。ビコトたちの中にあって、その高い背丈は浮いている。象牙色のローブを羽織り手には背丈以上の杖が握られていた。
アルフォンスは左右を見回すが誰もいない。
「ああ、ええっと、隣?ぼくの隣のこと?」
女は頷く。細めた目が相手に多幸感を齎すくらいに良い笑顔だ。
他にも空いているのになぜわざわざ、とアルフォンスは思うが断る理由がない。
首を傾げながらも
「どうぞ」
と許諾した。
「よい天気ですな」
女が言う。
面倒なことになった、とアルフォンスは思う。
──世間話をしたいみたいだけど、このあとも畑作業をしなきゃならないんだよねえ。
「そ、そうですね」
「ええ、全くです。こう天気の良い日は、特にビコトの村は気持ちがいい。昼寝をするにはぴったりじゃからの」
「そうですね」
「はっは。わたしとは話したくないか。アルフォンス・シシャよ」
「うえ!?どど、どうして、ぼ、ぼくの名前を?」
「知っておるとも、知っておるともよ。わたしは麦藁の知恵者、烟る魔術師とも呼ばれる者じゃからな」
「ええー。じゃあ、貴女がシルビア?烟る魔法使いシルビアなの?」
シルビアは袖からパイプを取り出し、もくもくと煙を吐いた。これが彼女を『烟る魔法使い』としている所以だ。
「うむ。新鮮な反応ご苦労。わたしは満足じゃ」
「いや、満足とかそういう」
「それで、アルフォンス、いやさアルよ。わたしとは話す気はないのかな?」
「いや、話す気はないとかそういうんじゃないんですよ。なんというか、こ、この後も、畑に行かなきゃならないし、そもそも、そもそもですよ?突然だったし、何話したらいいかわからないし。なんで、ぼくの隣に座るのかなーとか、なんだかよくわからない人だなーとか、怪しい人と話したく、ななな、ないなーとか、そういうのは、全く!無い!です!」
「ほう、なるほど?ともかく話す気はあると?」
こくこく、とアルフォンスは小刻みに頷いた。本人の本心は別として。
「ならばよし。とはいえこんなところで話せるものでもないんじゃが……。
そうじゃ!お前さんの家に行こう、そこでなら話しやすいし、場所もぴったりじゃろ」
「え!?うちですか?い、いきなりは駄目ですよ。散らかってるし」
「いいや、家に行こう。あまり目立ちたくはないのじゃ」
「嫌ですよ。目立ちたくないって何の話をしようとしてるんですか?」
「良いのじゃ良いのじゃ。ともかくお前さんの家に行こう。ほれ、手に持ったパイも冷めておるぞ?」
はっとアルフォンスが右手を見やるとしなしなのかぼちゃのパイが無惨な姿で握られていた。
☆
ビコトたちは地中に住まう。
地中といってもそのままの洞穴ではない。家財や材木、壁紙などを奇麗に駆使してとても住心地の良い地中の家だ。湿気とも無縁、たまにモグラが飛び出してくるくらいである。
アルフォンスの家は特に家具にこだわって作られていた。彼の曾祖父にあたる人物がインテリア好きであったこと、彼の父がビコトには珍しい探検家であり、良く
「なんじゃ、結構キレイにしておるじゃないか」
と言いながらシルビアは玄関から入ってきた。首を少し曲げているのは、ビコトサイズの家に彼女は大きすぎるからである。
「お、わたしの本『
「愛読でもなんでもないですよ、大体、その本は誰もが読んでて当然の大、大ベストセラーなんですから」
「ほっほ。当たり前のこととは言え、そんなクソ褒めるでない。しかし、全巻揃っていないのはいただけぬな?」
「父が持ってっちゃったんですよ!それで、話とはなんです?」
アルフォンスがそう聞くなりシルビアは大杖の先で彼の手の甲を指す。そこには例の揚羽蝶型のアザが浮かび上がっていた。
「令呪」
「れ、令呪?」
「そう、その手にあるものは令呪といってな。聖杯に選ばれし者である証左なのじゃ。では早速……」
「ちょ、ちょ、ちょっと、ちょっと待ってください!令呪ってなに?聖杯?選ばれし者?早速ってどういうこと?」
「説明しようとすると話は長い。さっさとやってしまった方が、お前さんもええじゃろ」
「い、嫌だー!ちゃんと説明してよ!え?説明は?説明はなしってことはないでしょう?そもそも話をしにうちにきてるんじゃないの!?」
「ふうむ。わがままではあるが一理ある」
──なあにが一理ある、だ!
とアルフォンスはシルビアを睨みつける。
「では、ちゃんと説明するから、ちゃんと聞くように」
シルビアはビコト二人がけの長椅子に腰を落ち着かせると、パイプをくゆらせながら説明し始めた。
「『厄災』というものがこの世にはある。この世に生きるすべてのものを害する存在で、極めて強力な存在じゃ。
我々魔術を扱う者はこれに抗するために、聖杯と呼ばれる魔力の器を用いて、英霊の魂を強力な
「え?じゃあ、ぼくがマスターってこと?」
「いかにも」
「サーヴァントって?」
「見ればわかる」
シルビアはアルフォンスに家の中でも一番広い居間へと案内させた。着くなりシルビアは杖で怪しげな魔法陣を書き出したが、アルフォンスは見ていることしか出来なかった。
「こんなもんじゃろ」
「いや、説明は……?」
アルフォンスを無視して
「ほい」
と言ってシルビアは彼に赤い木の枝のようなものを渡した。
「今からわたしの言うことに従って、サーヴァントを呼び出してみよ」
「ちょ、ちょっと待って、えっと、まだ、あの心の準備が」
「ほっほ。心の準備などいつだって満足にいかぬものよ。やるべき者がやるべき事をなす、これはそれだけの話じゃ」
不思議な呪文を唱え始めるシルビア。
杖で書かれた魔法陣が青白く光りだす。
屋内とは思えないほど吹きすさぶ風。
家具は音を立てて震えだし、置かれた本はひとりでにページをめくり、敷かれたカーペットは波打っている。
「──天秤の守り手よ!』、最後にこう言うのじゃ。ほれ!やってみい!」
──ええ!?どど、どうしよう?
とアルフォンスは戸惑う。逃げ出したかったが、逃げ出す場所などなく、帰りたかったが家はここであった。説明を求めたかったが、もはや猶予は無さそうで、説明不足のまま事を進めるシルビアを恨むことしかできなかった。
「なにをしておる!早く!」
「は、はい!」
とアルフォンスは反射的に肯定してしまったがために、最早如何ともしがたく片目を瞑りながら復唱し始めた。
「──天秤の守り手よ!』」
詠唱終わり。
瞬間、ふっと風が収まったかと思うと、魔法陣の中央から光が溢れた。
一面の白。
影も見えない。
遅れて、人を吹き飛ばすほどの一陣の風が流れ出てきた。
アルフォンスはたまらず顔を腕で覆い、そして顔をそむけた。
「呼ばれて飛び出て、ふんふんふんーっと。んん?今回は随分と小さいマスターだな?おっといけねえ。ここはキメる場面だった」
人の声がする。
若い軽薄そうな男の声だ。
アルフォンスが恐る恐る目を向けると、そこには人間がいる。
逆立った青く、刺々しい髪。
ぎゅっと引き締まった身体。
腰には二本の剣を携えている。
不敵に微笑んでいるその男は、殊更大きな声で言った。
「お前さんの喚ぶ声に応えて参上した。セイバー、クー・フーリン。よろしくたのまあ!」