枝葉の合間から見える空は、黄昏色に染まっていて、赤い薄雲が棚引いていていた。アルフォンスたちはエデンを後にして、ギゼウジの手前を横断する大通りを歩いていた。エデンでの演し物はまだまだ続いていたが、かの歌姫の後の演し物はドワーフ族、エルフ族、ゴブリン族によるセクシーなダンスが始まりアルフォンスは居心地が悪くなって出てきたのだった。セイバーは盛り上がっていた様子ではあったものの、マスターが出るとあっては従わざるを得ないようであった。
──主宰になって叶えたいもの……。
巡礼者たる人々には当然備わっているらしいその願望は、アルフォンスの内のどこを探しても見当たらなかった。
胸裏を剥がしてみても、どこまでもカボチャの野原が広がるばかりで、尤もらしい見解はどこにもない。カボチャの云々はアルフォンスからすれば嘘偽りのない望みであったことに違いはないのだが、それではとても不足すぎる願望であるらしい。ジェダの反応をみれば明らかに過ぎる。かといってアルフォンスには他に願望はなかった。シルビアの言われるように主宰となった後は、厄災に相対するリーダーとしてその役割を全うすることに異存はないが、それは個人的な願望ではない。自然に降ってくる配役だ。己の個人としての願望はそれきりないに等しかった。そもそも今回の激甚らしい厄災「ぬらりひょん」と名づけられたというそれは一体どんなものなのだろうか、当事者である筈のアルフォンスは些少たりとも知らない。このままで良いものだろうか、と疑念は尽きない。無造作に浮かべられた葉舟のように吹かれれば吹かれるままに船首を変え、いつでも転覆できるほどの頼りなさで漕ぎ出しているようだ。かといって疑念を払う糸口は、いや、一点気になる点はあった。
手前から歩いてきた腰を折った人間族の老爺とすれ違い、アルフォンスは思い出す。
──サーヴァントとはなにか。彼らが一体何者か、貴様は本当に知っているのか?」
あのジェディと名乗った老人はそう言った。
ちら、とアルフォンスはセイバーを見た。
青い髪に青い瞳。
右瞼の下には一本の傷跡がある。
肌は自分と大差ない。
傷つけば血は出るし、息づかいもあり、至って普通の人だ。
少なくとも外見は。
睡眠不要、食事不要、排泄不要。
それに尋常ではない力。
それらを挙げれば違和感はある。
このシステムは教えられたままのものではない。
その真相が気になる。
気になるということが動機になる。
動機とはつまり、己が願望であり原動力に違いない。
夢からの着想と言えど、それに縋る外にないのであった。
──サーヴァントがなにかって?今更どうしたんだ?まあいいや。そうだな。サーヴァントってのは英霊が英霊の座から喚び出されたものだ。英霊の座ってのはよくわからん。世界の埒外にあるとかないとかそんなやつだ。そいつの細かいこたあ、シルビアの嬢ちゃんに聞いてみるんだな。で、そこから英霊が召喚されて使役されている存在、それがつまり
以前セイバーに尋ねた時はこんなことを言っていた。シルビアから説明された内容と齟齬はない。ただ、彼自身が気づいていないような点があるのかも知れず、真像を捉えているかはわからない。
結局、シルビアに尋ねる他はなかった。
──一体どこに行っちゃったんだろう?
とアルフォンスが思いながら、背中にかけた麦わら帽子を意識した時、突然
「お」
と隣を歩いていたセイバーが声を出した。
「ここで会ったが百年目だな!ランサーくん!ハッハッハー!」
と周囲の人々が仰け反るほどに大声を出した男がそこにいた。大岩を切り出したかのように隆々の上半身を顕にして大通りの中央に立っている。両手の拳を腰に当て大笑いしているその男はアーチャーだ。隣にはマスターたる元嶺もいる。彼女の胸元には紺色の星が付けられていて、アルフォンスは彼女が一ツ星であるとの確証を得た。
「ランサーじゃねえって!ま、いいや。お前さんとは会ったときがやり時ってもんだぜ」
とセイバーが腰に佩いた二刀を抜いた時、微かにアーチャーの眉が動いた。
次の瞬間、大きな金属音と共にアルフォンスは地面に叩きつけられた。どうやら、セイバーが彼の脚を払い飛ばしたらしい。突っ伏した格好のままアルフォンスが見上げると、セイバーが突然現れた女の刀を剣で受けていた。
「誰だあんた」
くの字に曲った刀をセイバーは顔近くで受けていた。だが、セイバーの顔は余裕綽々で、相手の女の顔を睨みつけている。女は軽い身のこなしで刀を軸に身体全体を持ち上げると、そのままセイバーの横っ腹に膝蹴りを叩き込んだ。
「いっ!いてえじゃねえか!」
と思わずセイバーは叫び、剣を闇雲に振るう。だが、女はこれまた軽い身のこなしで後方へ宙返りすると、元嶺の手前まで後退した。
「元嶺上等兵」
女が元嶺に向かって言った。
「コレクトネスの残党は見つけ次第捕らえるべし、と全軍に指示したはずだが、なぜ突っ立っている?」
「張遥将軍、お言葉ですが彼らはコレクトネスとは違います」
「なに!?」
と張遥は大きな目でアルフォンスとセイバーを見た。うつ伏せになっていたアルフォンスは砂埃を払いながら立ち上がろうとしており、その胸元に菱形のバッジがきらりと光っている。
「ね?」
「ぐぬ」
元嶺に諭されて張遥は唸る。張遥は大曲刀を鞘に納めると、均整のとれたしなやかな肉体でびしりと屹立しセイバーに向き直った。一つ咳払いをしてから言う。
「これは失礼した。旅行者にしてはとんでもない殺気だったので間違えてしまった」
「いや、別にいいぜ。大したことなかったし」
とセイバーは満面の笑みて答えた。実際、先程の蹴りなど無かったようにいたって元気そうである。
「ふ。私のスピードにも動じていなかったし、相当の手練のようだな。貴方は何者だ?所属先は決まっているか?貴方さえよければ我が軍に相応の待遇で……」
と言いながら張遥はアルフォンスの手に何かを見つけたらしい。大きな目を更に見開いて、口は半開きになっている。その手の甲には赤い令呪が刻み込まれていた。はっとしてアルフォンスは慌てて手の甲を隠すものの時すでに遅しであった。
「サーヴァントか」
張遥の顔が険しくなる。
「つまり、貴様がマスターで巡礼者か」
アルフォンスは張遥の迫力に気圧されて何度も頷いた。
「聖杯巡礼のことは承知している。その経緯、結果の何如もだ。こちらの元嶺のことは知っているか?この街から選ばれた巡礼者だ。それで、巡礼者同士が出会ったからには戦わねばならぬのであろう?」
「そ、そんな物騒なもんじゃないんですよ。別に戦わなくてもいいっていうか」
とアルフォンスは唾を飛ばしながら慌てて言った。
「ふ。この街を破壊しては忍びないと気を遣っているのだろうが、そこまで気を遣わなくても良いぞ。この街は巡礼を支持している」
「いや、ちが」
「しかし、確かにここで戦われるのも問題ではある。日暮れも近いしな」
張遥は顎に手を当て思案する素振りを見せたが、直ぐに妙案を思いついたらしく顔を上げて言った。
「そうだ!我が軍の訓練所をお貸ししよう。そこでなら存分に戦えるし、我が兵士たちにも参考になるだろう。ふ、我ながら素晴らしい案を思いついたものだ」
「ちょっと、ちょっと勝手に話を進めないで」
「張遥様ー!」
とアルフォンスの声を割くように、大声を出しながら一人のエルフが走ってやってきた。先ほど『クマちゃん』と星晶に呼ばれていたロジグマというエルフだった。
「どうした?ロジグマ大尉。そんなに急ぐとはよっぽどのことだな。ほれ、これでも飲め」
と張遥は腰に着けていた水筒を手渡した。ロジグマは水筒の水を飲んでから、汗を拭い丸眼鏡をかけ直して心底疲れた様子で言う。
「張遥様が勝手に先に行っちゃうから、追いかけてきたんでしょうが。自分の速さわかってます?あとお立場も!はーもう、疲れた。あれ?元嶺上等兵にさっきの方たち?どうしたんです?」
「ロジグマ大尉、こちらの方たちは巡礼者だ。だから明日、元嶺上等兵と戦ってもらうことになった。旧市街の訓練所は空いているな?そこで戦ってもらうので、兵士たちにも周知しておけ。戦術の参考になるだろう」
「は。かしこまりました。で、まだ西区の検証が続いているんで戻ってきてほしいんですが」
「そうだったな。ふ、私としたことが熱くなってしまっていたか。では、私はここで失礼するよ。巡礼者の貴方、名前は?」
「アルフォンスですが」
「アルフォンスさん。明日、使いの者を寄越すから宿で待っているように」
「宿の場所、わかんのか?」
「ふ、勿論!この街にあって軍にわからないことはない。サーヴァントさんも大人しく宿で待っていてくれたまえ」
では、と言って張遥は手を振りながら去っていった。有名人らしく、いつの間にやら集っていた群衆は、皆、張遥について行った。そうして、路上にはアルフォンスと元嶺、セイバーとアーチャーが残された。
「明日、か」
セイバーはにやりとして言う。
「楽しみだな!」
大声でアーチャーが言った。
「今度は手加減はなしよ。最初っからね、最初から。張遥将軍も見に来られるみたいだし」
と元嶺が言う。
恐ろしくて震えているのは、どうやらアルフォンスただ一人のようだった。