思えば自分は武器など見たこともなかった。
無論、魔術魔法なども知りはしなかった。
それが今やどうしたというのか。
目の前で繰り広げられる出来事は、夢ではなかろうか。
かぼちゃのパイを食べようとしたあの時。
いつも通り畑を耕すつもりだったあの時。
あの時から変わった、変わってしまった。
これまでになかった日常だ。
指輪に魔力を集めるのだと。
世界を巡るのだと。
それが世界を救うのだと。
アルフォンスは心底思う。
自分には出来るのかと。
「ちょっと待ってよ!」
アルフォンスは叫んだ。
「た、戦いとかにはならないよね?あのサーヴァントと戦うとかはないよね?だって、だって、ただ禮場ってところをお互いに回ればいいだけなんだから、八つもあるし」
アルフォンスはくるくるの赤髪が震えるくらいに、怯えて言った。
クー・フーリンはそんな彼を見やり、少し真剣な顔つきになった。
「サーヴァント同士、戦うことはある」
ときっぱりシルビアは言う。
「魔力を貯めるのには大八禮場を巡るのが一番じゃが、他にもいくつか手段はある。微弱ではあるが厄鬼、災霊を倒しても魔力は集まるし、他のサーヴァントを倒すのは更に多くの魔力を得ることができる。つまりサーヴァントを倒すのは一石二鳥なわけじゃよ。大禮場を奪い合う競争者の力を削ぎ、かつ魔力も回収できる、これほど効率の良い手段はない」
「そ、そんな」
アルフォンスはすっかり青ざめてしまった。
「じゃが、わたしもできれば他のマスター、サーヴァントとは協力したいと思っておるよ。厄災と戦う時、彼らの力はきっと必要になる」
「そうだよね。なんなら主宰っていうのも譲っちゃっても……」
「それはならぬ。それはならぬぞアルよ。他のマスターが必ずしも善良であるとは限らぬ。いやさ、善良であっても厄災に立ち向かうだけの気力ある者でなければ主宰にはなってはならぬのだ。過去、そういった欲に弱く悪に近い者が主宰となったとき、厄災が蔓延った挙げ句どうなったと思う?この地上は洗い流され尽くし、多くの者たちが亡くなった。お主も聞いたことがあるじゃろう?失望王ヤッチャンドラが招いた激甚厄災『チャルチウィトリクエ』のことを」
「名前くらいは聞いたことはあるよ」
はるか遠い昔の出来事である『チャルチウィトリクエ』について、アルフォンスは祖父から聞いたことがあった。
押し寄せる黒泥の波。
黒水に触れたものは全て溶け出し溶解する。
土地は痩せこけ、空は分厚い雲に覆われた。
そんな昔話。
これはビコト族にだけではない、この地に住まう者に語り継がれた、悪夢の記憶だ。
彼にはとっては祖父から語り継がれ、その口調はとても恐ろしく、今思い出しても身のすくむような思いだった。
「でも、ぼくが善良で厄災に立ち向かえるとは限らないでしょう?」
「そこはわたしが請け負おう。間違いない、お主ならきっとできる、アルフォンスよ。今は実感がないのかもしれんが、そのうちきっとわかるはず」
にっこりと微笑むシルビア。元々顔が良いだけに言葉にも説得力が出てきている。
しかし、アルフォンスは自信なげに困った顔をして、俯いてしまったのだった。
「セイバー」
とシルビアは今度はセイバーに向いて言う。
「ああ、わかってる」
すっと剣を林に紛れているキャスターに向け、大声で言った。
「どうした!?キャスター!何をもたもたしてやがる!これだけ時間が経ったっていうのに、どうしてそこから動かねえ!見え透いた罠にかかるほど、こっちは甘くねえぞ」
「イヒヒ。罠、罠ねえ。流石に見破られてしまうか。じゃが、これだけ時間があれば、別の手も、ほうれ」
キャスターが杖を天高く掲げると、妖しげに紫に光る十個の円形と、それらを結ぶ棒線が中空に浮かび上がった。すかさず、キャスターが二枚の札をその図像に投げ入れると、図像も札も霧散した。
だが、代わりに出てきたのは氷の波濤。氷塊一つ一つが錐のようになり、三人に向けて降り注ぐ。
「ぎゃっ!」
顔を背けて喚くのはアルフォンスである。
「ちっ!面倒だからやりたくなかったが、仕方がねえ!『
今度は宙に『く』の文字に似た図像が黄白に輝き、ぼうぼうと炎が湧き上がった。
氷の波濤と炎の波濤がぶつかり弾ける。
氷は瞬時に融解し、湯気があたりに立ち込める。視界は不良、ある意味ではこれは好機とも言えた。
無論、セイバーはその機会を逃さない。
すぐさまセイバーは身を屈めると、バネのように跳躍した。弾丸のような速度でキャスターに接近すると、彼女は虚をつかれて動けない。飛んだ勢いそのままに剣を薙ぐと、キャスターの首が飛んだ。
弧を描いて飛んだキャスターの頭部は、地に着く前にセイバーが掴んだ。ちょうど頭髪を掴んでおり、人参を収穫した農夫のようでもあった。
「ただの女であれば躊躇いもあったがな。魔女となりゃあ、しかもサーヴァントであれば手加減はしねえ。悪いな、キャスター」
「ぐ、おぉ、お、おのれ、おのれ、セイバー。忘れんぞ、忘らいでか!」
首だけでキャスターは呻いたものの、それが最期の断末魔。黒い靄となって消滅した。
☆
一騒動があったものの、無事に指輪は白から緑色に変わった。アルフォンスは小さな巾着にそれを入れると顔を上げた。
何故顔を上げたのか。
それは、視線を感じていたからであった。
男がこちらを見ている。
木々の間、半身しか見えないものの、鷹のように鋭い目つきの、赤髪の男が。
「ん?お主……お主は」
シルビアも気づき声を出す。
「キャスターのマスターか?」
言いながらセイバーは剣を抜く。
殺意を向けられるなり、男は目を瞑ると、ふっと闇に消えてしまった。
「あいつは一体?」
「セイバーの言う通り、キャスターのマスターだったのかな?」
「いや」
シルビアは少し冷や汗をかきながら断言する。
「それはない。絶対にそれはないんじゃ」
「そう?良くわからないけど、シルビアがそう言うならそうなんだろうね」
アルフォンスは丸い鼻を掻きながら、微笑んで言う。
セイバーは短く息を吐きながら剣を納めた。青い髪を手櫛でかき上げ、肩の辺りを叩いた。
「ところで、さっきのキャスターの真名に思いあたりはあるかの?」
とシルビアは何が楽しいのか、突然にこにこして尋ねる。
「僕にはあるわけがないよ。どこのどういう人がサーヴァントなのかもわからないし」
「なんじゃ、ちゃんと聞いとらんかったか?
「知らねえよ。けどよ、もう倒したんだから今更真名なんていいだろう」
「ふむ。まあ、それもそうじゃのう」
と言いながらシルビアはパイプを咥える。笑顔はすっかり消え失せて、少し難しい顔をしていた。
冷たく湿った生臭い空気が三人の間を通り抜けた。
一番初めに気づいたのはセイバー。素早く剣を抜き大声で叫んだ。
「マスター!俺の後ろに!急げ!」
「え!?わ!はい!」
底冷えのする魔力があたりに漂い始めていた。空気には錆びた鉄のような味が混ざり、重く三人にのしかかる。
「ギィィ!」
と金切り声と共に現れたのは黒い靄。丁度、人の形のようであり、目の位置であろう箇所は赤く不気味に光っている。
「ぬう?災霊か!気配もなかったのに、何故じゃ!?」
もし、その黒い靄を一体と数えるのならば、現れたのは二体。しかし、二体だ、と認識した頃にはすでに五体、六体と数を増やす。
「おいおい!なんだよ、こりゃあ!」
とセイバーが言った頃には、数十にのぼる黒い靄に囲まれてしまった。更には森の奥からわらわらと厄鬼が群れをなして姿を現した。
はっ、とあたりが暗くなっていることに気がついたシルビアは天を仰いだ。空は雲に覆われているわけではない。ではないが、青かった空は朱色に染まり、雲は影を強くして真っ黒に見える。
「な!?こ、これは!?」
シルビアは更にはっとして視線を前に戻す。そこには厄鬼災霊の軍団に混じって、背から羽を生やした月群族の姿が見えた。否、それは確かに月群族の姿形はしていたが、顔に生気はなく眼球は欠け、何人かは頬から骨と歯が見える。
「屍人か」
セイバーは呟く。
「生きる屍たあ、おだやかじゃあねえな」
「これは……!?これは……!激甚厄災『アペプ』……か!?いや、しかし、何故じゃ!アペプは何千年も前にもう……」
目を見開くシルビア。エメラルド色の瞳は瞳孔までも見開かれ、元は美しいゴールデンヘアもくすんだ輝きを放ちつつ、小刻みに震える。
「嬢ちゃん!落ち着け!しっかりしろ!なんにせよ、やるしかねえ!」
「ぎゃあ!」
叫ぶアルフォンス。災霊が数体、とうとう襲いかかってきたのであった。
セイバーは身を屈めると同時に、アルフォンスの頭をぐいと下げ、彼の身体を無理矢理に屈ませる。あまりの出来事にアルフォンスは尻餅をついた。
セイバーは、片手に握った剣を半円状に薙ぐと、瞬く間に靄は霧散した。さらに返す刃で数体の災霊を霧散させるも、束の間、霧散した靄をかき分けるようにして現れた厄鬼に一刺しし、これも倒す。鮮やかな剣技ではあったが、窮地を脱するほどの戦果ではない。焼け石に水のような抵抗であった。
「打破するには数が多すぎる!なんかいい案はねえのか!?」
「わたしがなんとかする!」
シルビアはパイプを咥えたまま、杖を両手に持ち、何言かを念じ始めた。
「じゃが、もうちっと時間をかせいでくれ!」
「了解した!マスターは俺から離れるなよ!」
「は、はいいい!」
次々と襲いかかる厄鬼災霊を斬り伏せ、斬り伏せ。セイバーは汗一つかかずに何十体もの敵を倒す。ある厄鬼を一体、脳天から裂くように切り倒した。その間隙、突如として屍人が突っ込んできた。羽の生えたその屍人は滑空のように突撃してきたが、セイバーは納まっていた、もう一本の剣を素早く居抜きこれを弾く。
「くう。いいねえ。滾るじゃねえの」
なんとかする、とか言っていたが、とセイバーはちらりとシルビアを見る。
彼女は瞼を閉じていた。
シルビアの魔術はその殆どが、煙を介して行使されるものである。彼女が今やろうとしているのは、仮称『アペプ』のその魔力の源流、もっと言えばその魔力の注ぎ口。これを探知し栓をすることであった。
なぜ、そのようなことをするのか。
それは、突如として現れた厄鬼災霊軍団に屍人の群れ。その唐突さから考えるに、地脈にアペプの魔力を流し込まれていると仮定したからだ。実際にこの仮説は正鵠を射っており、地脈の乱れが感知できた。ただし、その乱れの根元、原因となる地点を探しださなければならなかった。
シルビアは杖を地脈に接続し、煙を中へと流し込み探索にあたっていた。煙を自身の感覚と繋ぎ合わせ、五感を研ぎ澄ます。感覚としては無重力空間に一糸纏わぬ己が漂っているかのようだ。
──南西の方向。違う流れを感じるのう。そこか?
ふわふわと、もはや自身の
──当たりじゃ!
今のシルビアには、地脈が大きな配管のように知覚されており、その中は魔力という七色に光る水に満たされ、ある方向性をもって流れを作り出している。彼女がそこで見つけたのは配管の破穴、つまりは地脈の裂け目であった。しかし、それは自然にできた、というよりは人為的に開けられたようであった。引きちぎられたかのようなその破穴より、どろりとした重たく冷たい魔力が流れ込んできている。
──これに栓をすれば……。
真っ裸のシルビア、厳密には彼女の
手間取ってんのか?これ以上は……と思いながらセイバーは、まず目先の災霊を斬り倒した。
自分の体は無事、まだまだ余力もあったが、アルフォンスの魔力が徐々に弱まり始めていることを感じとっていた。尻目に見える彼は、気丈に立ち続けているが、目に見えるほど脂汗をかいている。
──マスターの状況はかなりヤバい。
これでは宝具も撃てないだろう。
「ぐわ!」
隙をついて、セイバーの肩を月群族の鋭い足爪が切り裂いた。だが、彼はその足を掴んでぐいと引き寄せると、首を目掛けて剣を振り下ろした。両断された首は、小気味よく飛んでいき、屍人は土塊となってボロボロと地に落ちた。
「まだか!ドルイドの嬢ちゃん!」
セイバーは肩を抑えながら叫ぶ。
その声が聞こえたのか、シルビアははっと目を見開いて言った。
「すまん!遅くなったが、もう大丈夫じゃ!」
その声と共に、辺りにぶわっと白煙が上がる。白金色に輝くその煙は、渦を巻きながら天に昇っていき収束すると弾けて消えた。
すると、屍人たちは突如として砕け散り消え失せた。朱色だった空は青空に戻り、優しい陽光が戻ってきている。日差しを浴びた災霊たちは甲高い声を上げながら霧散し、厄鬼たちは干物のように急速に痩せこけ、ついにはばらばらと崩壊し土へと還った。
「た、助かった―」
ふぅーと息を吐きながらアルフォンスはたまらずといった様子で寝転がった。何事もなかったかのように、柔らかなそよ風が戻ってきていた。