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新波はケンカも強かったがスポーツも上手かった。特にバスケットボールは体育の授業で始まると、一気にチームのヒーローとなった。授業の最初に彼と同じチームになったぼくと大谷は、いつもその恩恵を受けていた。
「そんなに上手いのに、どうしてバスケ部に入らないんだ?」
訊ねてみたら、新波は大げさに肩を落とした。
「不良はいらない、ってさ」
ぼくはすぐに納得した。確かに、夏休みが近くなっても暴力沙汰の絶えないこいつに入部されれば色々と不都合がありそうだ。
新波は授業ではよく活躍した。一度ボールを取ったなら、ゴール間際まで離さない。前方を遮る相手も物ともしないで、すいっとゴールを決めてしまう。おかげで、ぼくらのチームと当たった奴らは最初から戦意喪失。試合にすらなっていないこともあった。もちろん、新波のワンマンプレーが面白くない奴らもいたが、大半のクラスメイトは体育の授業自体やる気がなく、彼に任せきりだった。
だから新波と彼を好かない奴らの一騎打ちになるのがほとんどだった。それも新波と同じ、つまりぼくらと同じチームの中でも彼にパスを回さない奴がいた。
多勢に無勢。あの遠足のときと全く同じことがコートの中で起こっていた。ぼくと大谷だって新波を庇いたかったが、運動音痴だったので、彼らに近づくことさえできなかった。
そこで授業が始まる前に着替えているときに大谷が新波に切り出した。
「お前、もう少しみんなにパス回したりしてみたら」
しかし、新波は首を横に振って、
「無駄なパスはできない。それとも、みんなは勝つより負けてもチームプレーすることのほうがいいのか?」
その答えに、大谷がうーん、と唸った。
「オレは、あんまりバスケ得意じゃないし、好きでもないからわからないけど……きっと、そういう奴もいるから、今いい雰囲気じゃないんじゃないかな」
「勝負で? いい雰囲気?」
理解できない、といった様子だ。その声が責めているようだったので、大谷がヒッとのどを鳴らしてぼくの後ろに回る。とりあえず大谷の肩を持った。
「もうちょっと歩み寄ってもいい、ってことじゃないの。このままじゃお前も、もちろんみんなも面白くないじゃん」
そうすると新波が口を尖らせた。
「力を抜けってことか? そんなの俺が楽しくないよ」
彼は体操着に着替え終わると、閉じたロッカーに背中を預けた。授業が始まるまで、あと数分ある。
「だいたい、俺にいいようにやられているほうが悪いんだよ。あんなに数がいるなら、一回くらい勝ててもおかしくないだろ。それができないのはあいつらの責任であって、俺のせいじゃない」
新波の高い声は、どこにいてもよく聞こえた。
「そうだな。もっと、しっかりやらなきゃな」
と、ぼくらの背中越しに返事を寄越したのは同じチームの山村。バスケ部でまじめな彼は新波のことをライバル視していた。
大谷が背中にしがみついてくる。ぼくだって修羅場に巻き込まれるのはごめんだ。
それなのに新波ときたら、いつもの調子で、
「そうだな。俺も一人で走ってても疲れちまうし」
なんて憎まれ口を叩く。それを聞いた山村は顔をしかめた。
「ああ、じゃあ、パスしやすいところにいくからな」
「ほんとだよ。いつも変なところばっかいて。だから回しにくいんだ」
もはや、彼らはチームメイトなんかじゃない。後ろの大谷に目配せして、二人でため息をついた。その日の試合、二人が互いの足を引っ張り合ってばかりだったのは言うまでもないだろう。
***
「だってバスケはアキ姉に教わったんだ。アキ姉、スゴく上手いんだぜ。高校も名門チームに入ったんだ」
夕焼けの帰り道で新波からアキ姉について聞くのが、ぼくの日課になっていた。彼は本当にアキ姉のことを慕っていて、いつも陽の光に負けないくらい表情も明るかった。
「アキ姉、どうしてるかな。春ごろはまだ入学したてで、基礎練習ばっかやらされてたみたいだけど」
「まるで見てきたみたいな言いぐさだな」
笑ったら大まじめな顔で言われた。
「本当に見てきたんだよ」
最初、ぼくは意味がわからなかった。春といったら入学式に新学期。学校は休みではない。
新波がひそひそ声で思い出させてくれる。
「これ、内緒な。俺が入学はじめのとき、学校来なかったのって、アキ姉についていったせいなんだ」
「はあ?」
気の抜けた声をあげると新波が唇に人差し指をあてた。
「静かにしろよ。そりゃ、驚くのもわかるけどさ。だって俺、アキ姉と離れたくなかったから……」
深刻な物言いからして、どうも事実のようだった。中学生でそんなことをしでかすなんて。
「離れたくない、って。そんなことで、その、アキ姉を追いかけたってこと? ど、どうやって」
「高校の寮に入るって話は聞いていたから。それで、高校の場所をネットで調べて、貯金下ろして、それで列車で……」
新波も反省しているのか口調が弱々しくなっていた。その口振りが話に真実味を持たせている。
「着いたあと、どうしたんだ?」
「アキ姉の部屋に泊まらせてもらってた」
「寮って一つの部屋に学生一人って訳じゃないだろ」
「説得した」
ぼくは頭を抱えた。今までも破天荒な奴だとは知っていたが、まさかここまでだったとは。それにしたってアキ姉もよく匿ったものだ。入学早々に処分を受けたかもしれないってのに。
ぼくはそこまで考えて、ふと思い立った。
「どうして、アキ姉はお前をすぐに戻さなかったんだ?」
新波が口をつぐんだ。
「俺さ、アキ姉と、まぁ、そういうカンケイなんだよね」
うつむきがちに明かされる。ぼくは目玉が飛び出すかと思った。
「そんなに見るな。まだ清く正しい仲なんだから」
「ほんとに?」
「そこは信じろよ! 当たり前だろッ」
焦った様子から、まあ本当なのだろうと信じることした。
「わかったわかった。で、それだからアキ姉もお前には甘いって訳か。それが、なんでバレたんだ? アキ姉が連絡したんじゃないんだろ?」
「わからない」
新波は声を低くして、また考え込むような顔になった。
「ある日突然、親父とお袋が迎えに来て、そのまま連れて帰られた。そのとき、アキ姉は授業に行っていたから、別れの挨拶もできなかった。あとでケータイからメール送ったけど……」
最後のほうは言葉を濁し、新波も迷っているように聞こえた。ぼくは何も訊かないでおいた。
夏の夕陽は空に焼けつくくらい真っ赤だった。
***
授業中、ぼくも試合で何とか役立てるように試行錯誤した。どこに行けばパスをもらえるか、どうしたらボールをゴールに入れることができるか。でも、それはすぐに無駄になった。
ある日、新波が珍しくぼくへパスをくれたときのこと。
「いったぞ!」
待ちに待ったパスなのに、ぼくは目の前に飛んでくるボールに驚いて、両手で思わず弾き返した。
ボールが床で弾むとコートにいる全員が動きを止めた。集まる視線に思わず身がすくんでしまう。
そんなぼくを山村が馬鹿にしたような目で見ていた。あんまり辛くて、恥ずかしくて、その日を境に試合になると全身が強張って上手く動けなくなってしまった。
新波もそれに気づいたのか、授業を終えるとフォローしてくれた。
「まぁ、無理すんなよ。俺は平気だから」
ぼくは自分が情けなかった。新波のほうが辛い立場だというのに、その手助けすらできないなんて。
しかし新波の他に目もくれない姿勢が授業中に怠ける奴らを増やした。大半の試合はもはや勝負になっていなかった。
こうなってくると体育教師の伊藤が黙ってはいない。伊藤はそのころでも珍しいくらいの体育会系で生徒たちに煙たがられていた。
木曜日は体育が六限目で、その日最後の授業だった。伊藤は終わり際にクラスの男子を集めた。
「今日は少し残って、クラスのみんなで話し合ってもらおう。最近、やる気のない奴が多すぎるからな。これからどうすれば改善できるか、みんなで意見を出しあい、次回の授業のはじめで発表すること。以上!」
そう言い残して、伊藤は体育館からさっさと出ていった。残されたぼくらは黙りこくって、その場に立ち尽くした。
そのままでは教室にも家にも帰れやしない。やがてクラス委員長が手を叩いてみんなをまとめはじめた。彼を中心に円を描くようにして座り込む。
「はい、じゃあ、何か意見のある人ー?」
いかにも運動が苦手そうな、黒縁の丸めがねがやけに似合う奴だった。彼の呼びかけにさっそうと手を挙げたのは山村だ。
「みんな、まず、だらだらと走るのをやめるべきだと思う」
「はい、他にも何かありますかー?」
委員長が別の意見も求めると、ちらほらと手が挙がりはじめた。みんな話し合いを早く終わらせたいらしく、いつものクラス会では考えられないほどスムーズに進んだ。
もっともらしい意見がいくつか出てくると、みんな、「それでいいよ」「さっさとまとめろ」などと急かしはじめていた。手を挙げる奴の数も減ってきていた。
そろそろお開きかな、というころ、あの男がまた手を挙げた。
「はい、山村くん」
名前を呼ばれて山村が腰を上げる。
「クラスの中で実力が違いすぎることが、元々の原因だろうから、少しは手加減したほうがいい奴もいると思う」
その目は、ぼくの隣で体育座りをする新波を見つめていた。新波も気づいたらしく、ぎろりと睨み返している。
「でも、手を抜く、というのは、どうかな」
委員長が良い子そのものといった意見を言うが、山村は咳払いを一つして遮った。
「そうでもしないと、みんながやる気にならない。時には周りに合わせることも大事じゃないか?」
彼の視線がクラス全員に注がれた。他の奴らは頷いたり、落ち着きなく視線をさまよわせたり、様々な反応を見せている。だが少なからず山村に賛成している、という点だけは共通していた。
ここまで来ると我慢できなかったのか、新波が立ち上がる。
「俺が、手を抜けば万事解決? 一人だけ犠牲になれってのか」
山村は意地の悪そうな笑みを浮かべて挑発した。
「犠牲なんて人聞きの悪い。それにお前だなんて言ってないじゃないか」
それに乗せられて、新波も口を滑らせてしまう。
「いーや、お前、さっき俺を見ながら言っただろ。まったく。自分が下手だからって、八つ当たりすんなよな」
よほど頭に来ているのか、普段は真っ白な顔が茹でたタコのように赤くなっている。
周りのクラスメイトらをぐるりと見渡して、彼は怒鳴りつけた。
「お前らだって! 人のせいにして、サボる口実作ってただけだろ。悔しかったら、もっと上手くなりゃいいんだ。それをしなかったのは誰だよ!」
その言葉は、ぼくの胸に突き刺さった。横目で見たが、おそらく大谷もそうだったのだろう。眼鏡の縁を押さえて俯いていた。他にも恥ずかしそうにする奴らがいた。
新波はぼくらのような救いがたいヘタクソを顧みずに、
「人に文句言える立場かっ」
そう吐き捨てると、新波はクラスメイトを物ともしないで、ロッカールームへと歩きだした。その背中が「もはや言うことは何もない」と語っている。
少し間を置いて、委員長がそれぞれの意見を繰り返してから、ぼくらも着替えに向かった。ロッカーに新波の姿はすでになかった。