その後、新波に対する風当たりはまた一段と強くなったと思う。ぼくらは変わらずつるんでいたけれど、それまで新波と打ち解けていたのに離れた奴もいた。
確かに彼の物言いは乱暴で、デリカシーもなく、腹を立てられても仕方がなかったかもしれない。でも、ぼくは納得がいかなかった。新波は間違ったことは言っていない。
「そう言ってくれると助かるよ」
その気持ちを伝えると新波が笑ってくれた。それでも目元は寂しげだった。いつもは威勢の良すぎる彼も、だいぶ参っていたようだ。
体育の授業では、新波に反則を使ってまで向かってくる奴も出てきた。例えば腕をつかんだり、後ろから体当たりしたりだ。伊藤はそれに対して、
「少しは闘志が湧いたかッ」
と、妙な思い違いをしていた。大谷が、
「なあ、オレ、ちょっとイトーに言ったほうがいいのかな。闘志でも何でもない嫌がらせだって」
と新波に耳打ちしたが、首を横に振られた。
「そういう卑怯な真似に立ち向かうのが、男だろ」
ぼくは溜息をつくばかりだった。卑怯に立ち向かうよりも、止めさせるほうがいいに決まっている。
「変なところで強情だよな~」
大谷もぼくに苦笑いを見せた。ここまでまったく問題がないとは言わないが、まだマシだった。
物事とはエスカレートしていくもので、この件もそうだ。きっかけになったのは因縁の体育の授業。もはや新波に対して何をしてもいいという無法地帯になっていた。
その日も新波にタックルを仕掛ける奴がいた。最初はそれだけのことだった。
体育館の冷たい床に新波が倒れ込んだ。その音がいつにも増して響いて、その場にいるクラスメイト全員の耳に伝わったようだ。ぼくも全身が震えあがった。
「大丈夫かッ?」
大谷が飛び上がって新波に駆け寄った。他の奴らは、ぼくも含めて立ちすくむだけだった。
抱き起こされた新波はゆっくりと顔を上げた。どこからか悲鳴があがる。
額から真っ赤な血が流れていたのだ。
「何があったんだ?」
これには鈍感な伊藤も心配そうな顔をしていた。体育館の反対側から走ってきて、新波の顔を覗き込んだ。いつのまに持っていたのか救急箱から消毒薬と包帯を手に取った。
応急処置を手際よく済ませて、伊藤は言った。
「保健室、行けるか?」
新波は一人で立ち上がろうとしたが、途中でよろけてしまう。そこを大谷が支えた。
「オレが連れていきます」
そうして新波は彼の肩へ寄りかかりながら保健室へ向かった。横切る際に「大丈夫か?」と訊いたが返事はなかった。声が掠れていたので聞こえなかったのかもしれない。
「他のみんなは、試合に戻ってー」
伊藤がクラスメイトに呼びかけ、試合が再開された。新波がいなくなったことで、白熱した試合になったかと言えばそうでもなかった。大半の連中はダラダラした動きで、何も面白味もない試合だった。
それなのにぼくは何故か熱心に試合に挑んだ。とにかくコートを走って、走って、ただそれだけに集中した。足の力が入らなくても走り続けた。そんなことをしても、もう遅いと知っていたが、これまでの自分のふがいなさを振り切りたかった。
滅茶苦茶な試合が終わるころだった。体育館の扉が開き、二人が戻ってきた。新波は頭に包帯を巻いたままで痛々しかった。
「新波、どうだった?」
伊藤に訊ねられると、新波が笑みを浮かべた。
「まあ、軽く頭を打っているけど、大丈夫だって。ちょっと擦りむいただけって言われました」
「そうか」
伊藤が胸を撫で下ろした。ぼくもホッと息をつく。
「まぁ、今日は見学でもしとけ」
新波が体育館の隅へと歩きだした。それについていこうとした大谷を止める。
「新波、ホントに大丈夫なのか?」
眼鏡の先の目が不思議そうに見返してくる。
「ああ、さっき本人が言ったとおりだよ」
ぼくは何となく落ち着かなかった。真っ先に新波を抱き起こした大谷に引け目を感じていたのかもしれない。
新波はと言うと、体育座りで身体を丸め込んで、じっと試合を見つめているようだった。その姿は普段よりもか細く映った。
やがて授業の終わりを知らせるベルが鳴った。先生がいつもどおりにまとめて、ぼくらは平坦な返事をして、ロッカー室へ急ぐ。新波もそれに続いた。
「あんまり酷くなくて、良かったな」
ぼくは着替えながら彼に言った。すると仏頂面で、
「まあな」
とだけ寄越された。機嫌が悪いようだった。
新波は明後日の方向を睨みつけていた。そちらに目をやると体当たりを仕掛けた奴が笑っていた。何食わぬ顔で友人と喋り、まるで自分は悪くない、とでも言うように。
それが新波にとって面白くないのは当たり前だった。それまで我慢していたものが限界を振り切ったらしい。新波は着替え終えると、そいつのそばへ向かった。
「ん? 何だ……?」
と、そいつが脳天気に言った瞬間、新波の拳が飛んだ。衝撃でそいつの身体がロッカーへぶち当たる。更衣室に金属音が響きわたった。
辺りが凍りつく。大谷なんて両目を手で覆っていた。それは賢明だったかもしれない。倒れ込んだそいつの鳩尾に、新波が膝をめり込ませたからだ。
その後も殴る蹴るのオンパレードだった。周りが新波を止めようと割って入っても、なかなか収まらなかった。それどころか新波の拳が他のクラスメイトに当たったりして、それが別のクラスメイトの頭に血を上らせたりと、さらなる惨劇を呼んだのであった。
結局クラスの半分以上の男子が束になって、やっと新波を押さえつけることができた。もちろん伊藤も駆けつけ、騒ぎに加わった生徒全員を叱り飛ばした。
実を言うと、ぼくはそのことに腹を立てていた。今もだ。伊藤に彼らを説教する資格なんてなかった。
彼がもっと真剣に状況と向き合っていたなら、こんな事態は起こらなかったんだから。
伊藤が色んなことを見逃していたとき、新波は一人でじっと耐えていた。それが「強さ」だと信じていた。
もちろん、それが良いことだとも思っていない。そのせいで新波は彼に不満を持っていた奴らからはめられた。
新波と、彼に体当たりをした奴、その両方が謹慎を終えて登校してきた日のことだ。クラスメイトは揃いも揃って彼らを避けていた。ぼくと大谷だけは新波へ挨拶をしたけれど、普段と同じようにはいかなかった。
彼も口数が少なかった。その日、ぼくらはいっしょに帰らなかった。そのせいで新波に起きたことに気づくのが遅れてしまった。
帰宅して夕食を食べているとき家へ電話がかかってきた。
母さんが受けたが、すぐに呼ばれた。
「新波くんのお母さんが、あんたに訊きたいことがあるって」
ぼくは疑問に思いながら替わった。すぐにおばさんの切羽詰まった声が耳をつんざいた。
「ミツル、そっちに行ってないかしら? まだ帰ってこないのよ」
え、と声が漏れた。母さんや父さんの視線を感じる。受話器からは、まだおばさんの声が聞こえていた。
「もう八時になるのに。いつもはとっくに帰っている時間なの。それなのに。大谷くんのところにも電話したんだけれど、知らないって……」
登校したとたんにこれだ。おばさんに落ち着くように告げると、すぐに通学路まで走った。母さんたちは心配したが先日のような後悔はしたくなかった。
いつもの道が真っ暗に染まっていた。新波とよく寄り道する公園には、地元の不良がたむろしている。街灯の下でたばこの煙が揺らいでいた。
道で出会う人も、ビールでいっぱいになったビニール袋を持った中年男や、疲れきった顔のOL、昼間には見かけない人ばかりだった。こんな時間にしょせん中学生の新波が出かけるとは信じがたい。
しかし家に戻っていないのは事実だ。いつの間にかぼくは学校まで来てしまっていた。
「お前もか!」
と息を切らして近づいてきたのは大谷だ。こいつも新波を探していたらしい。
「あいつ、ケンカっ早いけど、夜中にほっつき回るような奴じゃないから……」
大谷の言葉に頷いた。ぼくらは校舎の中に入ってみることに決めた。
静まり返った校舎はホラー映画の舞台みたいだった。役者が何故あんなにもわざとらしく怯えるのか、わかった気がした。比較的建物が新しいのが救いだった。
「音楽室に行ったら、ベートーベンに睨まれるかな?」
大谷は平気なのか、そんな冗談まで口にしていた。彼はホラーやオカルトといったものを好んでいたので、完全に腰が引けていたぼくにとって救世主みたいなものだった。
あらゆる部屋に入ったが、そのどれもが新波と縁もゆかりもなさそうだった。大谷が言った音楽室、骸骨がいる理科室、上級生の教室など。くまなく探したけれど新波は見つからない。
「あいつが行きそうな場所なんてあるかなぁ」
教室で机に腰掛けて大谷と話し合った。そのときには校舎内はほぼ回りつくしていたし、何より季節は夏だったので全身汗みずくになっていた。
「プレハブのほうはどう?」
と言ってはみたものの、あまり確信は持てなかった。大谷も眉間にしわを寄せて「ううむ」と唸った。
もう諦めようか。そんな空気がぼくらの間に漂っていた。
そんなとき教室の窓からうっすらと見える建物が目に留まった。新波にとっては因縁の場所だ。
「体育館って、探したっけ」
ぽつりとこぼすと大谷から首を横に振られた。探したかどうかだけでなく「そんなところにいるはずない」と伝えているかのようだった。ぼくも半信半疑ではある。その日、体育の授業はなかったのだから、新波が体育館へ行く理由はない。
だが、ここまで足を運んだ場所にはいなかったのだから、調べてみてもいい気がした。
ぼくらは机から降りると体育館へと向かった。校舎の中とは違い、外の廊下はほんの少し明るく感じた。
「普段はこんな時間に出歩かないから新鮮だな」
と大谷が呟いた。彼の厚ぼったいメガネが、暗闇の中で月の光を反射していた。
体育館に着いたものの、ぼくらはとあることに気がついた。鍵がかかっていたのだ。
「無駄足ってことかよ」
扉を蹴ってみても、金属製なので鈍い音がするだけだ。
そこへ、いきなり明かりが照らされる。
「おおーい、きみたちかね、こんな時間に校舎をうろついていたのは」
ぼくと大谷は驚いて飛びあがった。振り返ってみると、たっぷりとした白い髭をたくわえたじいさんが懐中電灯を持っていた。
「親御さんから連絡があってなー、もしかしたらそちらへ行っているんじゃないか、と言われたんだよ」
見覚えがないと思っていたが、どうやら見回りの人らしい。それならば、とぼくは訊いてみた。
「すみません。友達を捜していて。でも、校舎にはいなくって、ひょっとしたら、ここにいるかな、と……」
「ふむ、そういえば戻ってこない子供は三人だと言っていたな」
じいさんは懐中電灯を持っていない方の手でひげを撫で上げると、くるりと背を向けた。
「どこ行くんですか?」
大谷が不安そうな声で問いかけると、じいさんは、
「鍵を取ってくるんだよ。三人見つけないと心配だからな」
とは言ったものの、どこか飄々としていて、本当に心配しているのか疑わしかった。ぼくらは大丈夫かな、と目を合わせたが幸いなことにじいさんはすぐ戻ってきた。
「ほれ、鍵」
ピカピカ輝く鍵をぼくらに見せつけて、じいさんは鍵口に差し込んだ。今までびくともしなかった扉が簡単に開く。その中へと、じいさんがさっさと入った。ぼくらもその後を追う。
「新波、いるかなぁ」
大谷がじいさんの背にぴったりと張りついていた。真っ暗な体育館はぼくらの靴音をやたら大きく響かせ、ゾッとさせた。
「新波ー!」
恐怖を振り払うかのように、ぼくは叫んだ。天井に反響し、周りの空気が震える。それに続いて大谷も新波を呼んだ。
「新波ぃ~っ」
「新波ーッ」
「にいなみくーん」
いつの間にか、じいさんまで呼びかけていた。暗い体育館の中で、ぼくらの声が何重にも聞こえてくる。ここまで呼んで、返事がないならここにはいないのだろう、と三人で判断した。
ぼくらは体育館を一周すると、肩を落とす。
「ほんと、どこ行ったんだろ……」
じいさんが扉を開ける横で、ぼくはひとりごちた。プレハブのほうだろうか、そう考えながらも諦めきれずに体育館を見渡していた。心でもう一度、新波を呼ぶ。
それに応えるかのように、あの音は聞こえてきた。
コンコン、コンコン……
弱々しく、耳を澄ませなければわからないような音だった。だから、ぼくらが大声をあげていたときには気づけなかったのだ。
どこから聞こえるのかと集中したが、じいさんが扉を開ける音がうるさかった。大谷も背を向けている。
ぼくは二人に訴えかけた。
「ちょっと、ちょっと待って下さいっ! 音が聞こえるんだ……」
二人はピタリと動きを止めた。半分開いた扉から、虫の声が聞こえてくる。
それにすらかき消されそうな、かすかな音がまだ耳に届いていた。
「新、波……?」
大谷が両耳に手をあてた。じいさんも口をつぐんで、懐中電灯で音のする方向を探っていた。
ぼくは体育館の中央へ歩いた。靴音がしないように、そっと。あの音はどんどん弱まっていた。
何かを叩いている。でも、何を? こんなだだっ広いところで、床や壁以外に叩けるものなんてあるだろうか。
頭を抱えていたら、大谷がひらめいたようだった。
「これ、倉庫からじゃないか?」
ハッとして倉庫に耳を傾けた。音は止んでいた。急いで駆けだす。
後の二人も遅れて倉庫の前にやってきた。
「新波、新波!」
ぼくは倉庫の扉を掴みながら彼の名前を呼び続けた。鍵がかかっているのか開かない。
「こら、そんなに強く叩くな、怪我するぞ」
じいさんに叱られてもどうしようもなかった。こんな暑いときに倉庫に閉じこめられたらどうなるか。幼稚園児でもわかる。
「新波ぃ~っ」
大谷もぼくといっしょに叫んでいた。扉を叩けなくなるほど消耗している新波が、気を保てるように。
その後ろでじいさんはずっと身体を揺すっていた。が、何かを見つけると、扉の前で騒ぐぼくらを押し退けた。
「倉庫の鍵だ」
鍵穴を懐中電灯で照らしながら、じいさんが鍵を開けた。ガチャリという重々しい音とともに、ぼくと大谷は倉庫の扉を開けた。
やはり新波がいた。扉にもたれかかっていたらしく、ぼくらの足下に倒れ込む。
「新波!」
ぼくは大谷と彼を起こした。ぐったりとうなだれる新波の身体は、異様に熱かった。
「呼吸はあっても、こりゃ危ないな。おい、どこからでもいいから、どっちか早く冷やすもんを持ってこい」
ぼくは真っ先に体育館を出た。近くに自販機があったので、そこからジュースか何かを買ったと思う。この辺りのことは焦っていたせいかあまり覚えていないが、じいさんが新波の脇やらに缶ジュースを当てていた。
熱中症になっていたようで、もう少し遅れていたら本当に危なかったらしい。
かくして新波は無事に保護されたのだった。
「まぁ、良かったよ。無事で」
新波が元気になってから、じいさんがそう笑った。
「わしは週に一日くらいしかおらんからな。もし、わしがいなかったら……」
それを聞いて新波はちょっと怯えていた。それ以来、彼はじいさんには頭が上がらなくなった。
それで、新波がどうして体育館の倉庫に閉じこめられていたかだが、どうも山村が関わっていたらしい。
新波は、放課後、体育館のそばで缶ジュースを買おうとしたと言う。そのとき体育館でバスケ部の練習をしていた山村と会ったらしい。
「怪我はどうなった?」
と訊かれたので、新波は「まぁまぁ治った」と答えた。それに、山村がこう返した。
「その性格は治らなかったんだな。残念」
これに新波はカッとなり……あとは山村と取っ組み合いになっている間に、バスケ部員たちに倉庫へ押し込まれたそうだ。と言っても一年生が中心になっていたと聞いた。山村が普段から悪く言っていたせいで、大半の部員が新波を良く思っていなかったらしい。
だからと言って倉庫に押し込めるだなんて許されない。バスケ部は当面活動停止となった。大会を控える二・三年生にとってはとばっちりでしかない。再開してからは一年生への指導が以前よりも厳しくなった、とのことだ。
体育の授業が発端となった騒ぎはこれで収まったが、変わったのはあちらだけではない。
「俺も強情すぎたかな」
昼休憩中、ぼくと大谷と新波で教室の窓際の席に座っていると、新波がいきなり反省の弁を口にした。
新波が疲れた顔で椅子に寄りかかっていたのを覚えている。ぼくは夏の日差しを浴びる顔を見ながら、それまでのことを思い返した。
「これで懲りたろ。ちょっとは大人しくなれってことさ」
大谷が茶化すと、新波も返す言葉がないのか苦笑いを浮かべていた。弱りきった表情から相当堪えたということが伝わってきた。
ぼくも反省していた。新浪一人がターゲットになっていたとき、くよくよしてばかりで何もできなかった。
大谷を横目で見る。彼は、ぼくよりも立派だ。新波が額を怪我したとき、すぐに駆け寄った。おろおろしているだけのぼくと違って。
悔しかった。少しは頼りになる男になりたかった。
「な、新波」
「何だよ」
「バスケ、教えてくれないかな」
新波は丸くした目でぼくを見た。
「なんで? 授業終わったじゃん」
そう言うのも無理はないが食い下がる。
「いや、何かあったら、少しは役に立ちたいからさ」
新波は面食らったらしく、口をぽかんと開けた。緩んだ口元に徐々に笑みが浮かぶ。目を糸のようにして、彼はぼくを見ていた。
「あ、オレもオレも!」
と大谷も手を挙げる。新波は「わかった、わかった」と言った。
窓の外には、ギラギラ光る太陽があった。そろそろ七月も終わり、夏休みがすぐそばに近づいていた。