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それから何とか期末テストを終え、夏休みに入った。ぼくと大谷は補習に呼ばれなかったが、新波は数学で捕まってしまったらしい。そんな訳で夏休みのはじめには彼とは全く会えずにいた。
声を久しぶりに聞いたのは家でぼんやりクーラーに当たっていたときだった。ウトウトと昼寝に勤しもうとしたところを、けたたましい音に起こされた。
知らぬ間に母さんも出かけたようで、ぼくが出ざるを得ない。受話器を取ると相手は新波だった。
「よ、俺だけど。夏休み満喫してるかーっ?」
いきなりキンキンした声をあげられ、鼓膜が破れるかと思った。
「ああ、どっかの誰かさんが電話をかけてくるまではね」
「ん。その声、寝てた?」
「そうだよ!」
お返しとばかりに声を荒げたが、寝起きだったので効果は薄かった。新波があっけらかんと話を続けてくる。
「すまん、すまん。でも、ちょっと確かめたくって」
浮かれているような口調だった。
「なに?」
「明後日、予定開いてる?」
カレンダーに目をやると、一つも印がない。実際、夏休みに予定をいくつも入れている学生などいるのだろうか。
「何もないけど」
「その次の日は?」
「ないね」
新波が笑ったような気がした。明るい声で返される。
「じゃ、その日、ついてくるか? アキ姉のとこまで」
こうして、ぼくは新波の旅行へついていくことになった。冷えた部屋の窓を突っ切って蝉の鳴き声が聞こえていた。
***
その次の次の日の朝、駅に着くと大谷も来ていた。約束の時間よりも十五分早くやってきたのにも関わらずだ。
「お前も呼ばれたのかー。のろけられるだけなのにっ! っつーか、あいつ、カノジョなんていたんだなっ」
大谷は誘いの電話が来るまで知らなかったらしい。新波が来るまで、ひたすらその驚きとカノジョへの憧れを聞かされ続けた。
その日、空は夏らしく濃い青色で、入道雲が天に向かって伸びていた。肌にまとわりつく熱気が汗を噴き出させる。ぼくらは駅のコンビニへ入り、待ち合わせ場所をちらちら見ていた。
約束の時間になると、新波が姿を現した。ぼくらよりも荷物が多く、大きなリュックを背負っていた。
「アキ姉へのお土産かー?」
大谷が訊ねると、新波ははにかんだ。知り合いだけあって、おばさんから色々と持たされたらしい。
「一泊二日だってのに、海外に行くみたいだよな」
新波はリュックを直しながら言った。重そうにしてはいたがずっと笑顔だった。彼にとってアキ姉とは何事も吹き飛ばす元気の源らしい。
それからすぐ、ぼくらは新幹線に乗り込んだ。新波が失踪した騒ぎから間もなかったせいか、おばさんが指定席を取ってくれていた。
「窓際の席じゃないと、オレ、酔うから……」
そんな大谷へ窓際の席を譲り、真ん中に新波、通路側にぼくという席順になった。行き交う景色を近くで見られないのは残念だったが、一人だけ離れた席に追いやられても困る。
「ま、四時間くらいかなー」
ポテトチップスをむさぼりながら、新波が教えてくれた。
「昼飯は?」
「着いてから、すぐのレストランかどこかで食べろって」
ぼくらは降りてからの話で時間を潰した。でも、すぐに話題は尽きて、言葉少なになる。初めて会うアキ姉にしても、ぼくは帰り道で新波から散々聞かされていたし、大谷も電話で根ほり葉ほり聞きだしたようだった。だから三人で本を読んだり、音楽を聴いたり、それぞれ別のことをして過ごしていた。
ぼくらは性格も違えば趣味も違っていた。大谷は言葉遣いこそ軽いが、実は読書家で、勉強もそれなりにできるほうだった。対して新波は本なんて読まないし、テストでは下から数えたほうが早いほど。ぼくはと言えば、その中間で、何の面白味もなかった。
それなのに三人でつるむのは居心地がよかった。新幹線の中でも、窓の外に面白い看板や綺麗な景色を見つけ、誰かが指し示したら、他の二人も目を向けた。例え音楽を聴いていようが、寝ぼけていようが、だ。それで少しの間だけ三人で他愛ない感想を言い合い、また元に戻る。
素っ気ないようにも思えるやり取りが、ぼくは好きだった。そのおかげでリラックスできたのか、行きの新幹線の中で熟睡してしまった。
「おい、昼前に寝る奴があるかよ」
新波に起こされたとき、下車まであと少しだった。大谷が寄りかかっていた窓の外には、見覚えのない景色が映っていた。
新幹線が完全に止まってから、ぼくらは新波に連れられて駅の外へ出た。大きな建物や色鮮やかな店が並んでいて新鮮だった。
「アキ姉が迎えに来てくれるはずなんだけどな」
新波は周りに目もくれず、腕時計やケータイをずっと見つめていた。都会にはしゃぐぼくらとは違い、健気にもアキ姉を待ちわびているようだった。
しかし、新波の期待を裏切り、アキ姉から遅れると連絡があった。仕方がない、と駅の中にあるバーガーショップで昼食をとった。食事中、新波はずっと心ここにあらずといった雰囲気だった。とてもではないが駅周辺を案内してくれなどとは言えなかった。
アキ姉がやってくるまで足止めを食らった。
彼女は約束の時間よりも一時間以上遅れてきた。連絡が入ったときの新波の嬉しそうな表情と言ったら。
だからこそ久しぶりの再会が望まない形であることは明らかだった。
彼の愛しのアキ姉は男の車でやってきたのだ。自称彼氏である新波がショックを受けるのは当たり前だった。
「男子バスケ部OBの、高崎さん。ここまで送ってくれたの。みんなのことも寮まで連れていってくれるって」
そう言って窓から顔を覗かせたアキ姉は、新波が夢中になるのもわかるような美人だった。健康的に日焼けした肌に、目鼻立ちのはっきりした顔立ちが映える。短い黒髪が日差しを反射してきらめき、何より、くりくりとした瞳が魅力的だった。
「さぁさ、乗って」
ぼくらは言われるがまま、後部座席に腰を下ろした。車内はちょうどいいくらいの涼しさで快適だった。
「ミツル、元気してた?」
とアキ姉が振り返りもせず、新波に訊いた。フロントガラスに映る顔は、柔らかな笑みをたたえていた。
対する新波にいつもの威勢の良さはなかった。
「あ、うん……」
うだつのあがらない返事をして、フロントガラスに映るアキ姉を見つめている。
高校へ着くまでのあいだ、新波が自分から喋ることは一度もなかった。車内で彼は青白い顔でうつむいてばかりいた。
車から降りてからもアキ姉は高崎のそばから離れようとしない。高崎は背が高く、小奇麗な印象を受ける男だった。
「新波とあの人、ほんとに付き合ってんの?」
大谷がぼくに耳打ちしてくる。彼は新波に聞こえないように気をつけているようだったが、ぼくは見てしまった。
少し離れたところで彼がこちらを気にしていたのだ。
アキ姉の高校はぼくらの学校よりも古めかしかったが、格式の高いところなのか立派な建物が多かった。圧倒されて、ぼくと大谷も口数が減ってしまった。
その緊張をアキ姉がほぐしてくれようとする。
「まったく、そんなに固まっちゃって」
しかし彼女が美人なので、それも相まって余計に緊張してしまった。
でも新波が言うほどの魅力は正直に言うと感じなかった。出会った時期が悪かったのかもしれない。
寮の部屋に案内されると、そこで自由にしていいと言われた。
「許可は取ってあるけど、あんまり歩き回ったりしないでね。何かあったら困るから」
彼女はぼくらに言いつけると、すぐにどこかへ行ってしまった。扉を閉じた音が静まり返った部屋に響いた。
ぼくらが戸惑っていたら、新波が口を開いた。
「アキ姉、たぶん、練習に行ったんだな。バスケの……」
明るくしようと声を張りあげるのが痛々しかった。微笑んではいるのに顔はずっと下に向けたままだ。
アキ姉が案内してくれた部屋は空き部屋らしく、備えつけの家具以外は何もなかった。
「あ、オレ、DS持ってきた!」
とリュックサックを広げたのは大谷だった。彼なりに場を和まそうとしたのだろう。携帯ゲーム機を取り出し、そのころ流行っていたゲームを始めた。
「新波、前に、これ得意って言ってたよな? オレ、どうしてもクリアできないとこがあってさ。ちょっとやってみてくれよ」
大谷が笑うと、新波もそれにつられて少し顔を明るくした。ぼくはホッと一息をついて二人が盛り上がるのを見ていた。
「ホントうめえなー、見ても全然できそうにないや」
そんな調子で、大谷はずっと喋りっぱなしだった。ぼくも色々と話したとは思うが、あまり覚えていない。新波の表情だけが目に焼きついている。
彼は口元だけ笑って視線は画面に集中させていた。ぼくら二人のことを見ようとしているときもあったけれど、上手くいかなかったようだ。
しばらくして新波は重い口を開いた。
「なぁ、自分の好きな人がいきなり他の男と仲良さげにしていたら、やっぱり悲しい?」
「当たり前だろ……」
「じゃあ俺も悲しい」
新波は自分に言い聞かせて、気持ちを整理しているかのようだった。ゲーム機からは規則正しい機械音が鳴り響いた。それから少し経って、部屋の扉が開いた。
「ミツルくん?」
高崎とか言う男がぼくらを呼びに来たのだ。彼自身は悪い人じゃなさそうだったが、どうもぼくらは良い顔ができなかった。それを感じ取ったのか高崎もあまり話しかけたりはしてこなかった。体育館に行くまでの間、彼の背中はやけに大きく見えた。
たどり着いた先では、バスケットボールが弾む音が絶えず聞こえていた。ちょうど体育館を男子と女子で半分に分けていて、それぞれの掛け声が響く。
コートで行われている練習試合は、どれも熱戦だった。ぼくらの授業なんて比べようもないくらいボールが行き交い、プレーヤーが走り回っていた。新波も興味があるのか、特に男子バスケのコートを見学していた。
でも、ふとした瞬間に、女子のほうへ目を向けた。彼のお目当てであるアキ姉の姿を探しているみたいだ。周りの女子の体格を見る限り、コートでプレイしているのは二、三年生らしかった。
「アキ姉は……」
新波が訊ねようと振り返ったとき、高崎はいなかった。彼はコートの向こうにあるベンチへ足早に向かっていた。その先にアキ姉はいた。彼女はベンチに腰掛け、肩をタオルで覆っていた。彼女の小麦色の腕が高崎へと伸ばされる。
新波はそれを黙って見ていた。ぼくらは居たたまれなくなって、彼の肩を引いた。
「なあ、新波。あっちに行こうぜ」
ぼくは新波の腕を引っ張り、大谷が背中を押す。
「じゃあ、休憩ー。買ってきたアイスでも食べましょ」
女子バスケ部の部長らしき人が声高に言った。きゃっきゃという女子特有の笑い声が場を包む。ぼくらは全く馴染めず、部員の集まる場所に近づけなかった。自然と下を向いたら、ボールが転がっているのを見つけた。何となく手に取ってみる。
「投げてみんの?」
新波が声をかけてきた。夏休みに入る前、ぼくは何度か彼にバスケを教えてもらっていた。
その成果があるかな、とゴールへ投げてみる。ボールは弧を描きながら、ゴール前に落ちていった。
「何と言ったらいいのかねぇ」
困ったように言ったのは、隣で一部始終を見ていた大谷だ。ぼくは頬を熱くしながら、床のボールをぼうっと眺めていると、後ろから肩を叩かれた。
振り返ると、新波の想い人が茶目っ気たっぷりに笑っていた。
「勝手にボール使っちゃだめよ。と、一応言っとくわね?」
例によってその隣に高崎がいる。目の前で寄り添い合う二人はお似合いだった。心配になって新波のほうを見やると、やっぱり落ち込んだ顔をしていた。
「ほら、これ、アイス。溶けないうちに食べてね」
手渡された棒アイスは、女子の手に引っかき回されたのか、すでに溶けかかっていた。白いバニラアイスとチョコレートのコーティングが混ざり合っている。
ぼくらと大谷はそれを渡されてからすぐに舐めた。しかし、ぼんやりとしていた新波は木の棒に伝う茶色い線で手を汚した。
「これ、どうぞ」
高崎が小ぎれいなハンカチを差し出す。新波は無言でそれを受け取ると、手の甲をごしごしと拭いた。彼の手は真っ赤になって、チョコレートの匂いをまき散らした。
その後もぼくらは見学を続けた。どうやら一年生であるアキ姉はレギュラーには入っていないようだ。コートの二年や三年に声援を送ったり、同じ学年の子と自主練をしたりしていた。でも、それよりも多くの時間を割いていたのは、高崎とのお喋りだった。
そのことも新波を幻滅させていた。彼は誰に言われた訳でもないのに、ゆらりと体育館を去った。ぼくと大谷は慌てて彼についていった。
部屋に戻ると、新波は二段ベッドの下に入って眠ってしまった。何もすることのないぼくら二人は音を消したDSで遊んだ。画面の中だけで派手なCGが暴れ、次々と新しいステージへ進んでいく。
音のないゲームは物足りなかった。退屈したぼくは窓を見た。新波と下校する道と同じ赤い空が、遠く映った。