時刻は朝の六時。
三人で朝食を終えた後、探索の準備を整えてベルとともに隠し部屋を出ようとしたところで、ヘスティアが声をかけてきた。
「今日はバイト先の打ち上げがあるから、ボクはそれに行ってくる。君たちもたまには二人で外食でもしておいで」
その言葉に、俺とベルは顔を見合わせる。
俺たち【ヘスティア・ファミリア】は基本的に外食をしない。俺とベルが料理を作れるので、わざわざ外で食べる必要がないのだ。なによりヘスティアが俺たちの出す料理を気に入っているというのもある。
けれど、今日はヘスティアが不在とのことだ。
「今日は外で食べるか」
「だねっ!」
俺たちはヘスティアの提案に頷き、笑顔で送り出してくれる彼女に「いってきます」と告げて部屋を後にした。
*
西のメインストリートを二人並んで歩く。
俺たちの住む隠し教会は、北西と西のメインストリートの間の区画に存在する。そのため、ダンジョンに向かう際は西のメインストリートを通っている。
家と家の間を縫うようにして進む裏路地もあるが、メインストリートの方が色々と歩きやすい。
ちょうど出勤の時間帯だからか、通りには疎らながらも人が行き来している。
すれ違う人々は、ヒューマン、エルフ、ドワーフ、小人族と種族は様々だ。彼らを見るたび、ここが異世界であることを思い知らされる。それがなんとも新鮮で、飽きることのない高揚感に胸が躍る。
そんな非日常の光景を眺めていると、ふとベルが呟いた。
「そういえば、ここに来てから一度も外食したことないなぁ」
オラリオに来て、早一カ月。
俺は何度か外食をしたことがあるが、ベルは今回が初めてらしい。その様子は少し、いやかなり楽しみにしているように見える。
これなら外食する際に誘ってあげればよかったかと一瞬思ったが、すぐにそれを否定する。
俺の外食先は、決まってとある酒場だった。そこは冒険者向けの店で、癖のある店員ばかりが働いている。
そして、そこにはあの女がいる。そう──。
「──あっ、夜!」
突然、背後から俺の名を呼ばれた。
振り返ると、薄鈍色の髪をした少女がこちらに手を振りながら駆け寄ってくる。なんとも可愛らしい笑顔を湛えて。
うん。いつも通りガワだけは完璧だ。
ただし、中身はパンドラの箱であるため閲覧注意だが。
「……さっきぶりだな、シル」
俺が冷ややかな口調で言うのに対し、シルは軽やかに笑う。
「ふふっ、そうね。店前の掃除をしていたら、たまたま夜の姿を見かけたの」
嘘つけ!
豊穣の女主人はメインストリートに沿っているため、俺の姿を見つけること自体は不自然ではない。また、従業員として店前の掃除をしていることもおかしくはない。
ただし、それは彼女の意図するところでなければの話だ。
その時、ベルが遠慮がちに聞いてきた。
「ねぇ、夜。この人は?」
「ああ、悪い。この人は──」
俺の言葉を引き継ぐように、シルが口を開いた。
「はじめまして。私はそこのお店で働いているシル・フローヴァといいます」
そう言って頭を下げる。
その所作はとても丁寧で、一切の淀みがない。けれど決して硬すぎるわけでもなく、そこには親しみやすさがあった。
「僕はベル・クラネルです。よろしくお願いします、シルさん」
ベルも倣うように頭を下げた。
その瞬間、シルの目がわずかに細められたのを俺は見逃さなかった。
獲物を見定めるかのようなその視線を遮るように、俺はベルの肩を抱き寄せる。
「わわっ」
戸惑うベルを横目に、俺は目の前の女を見据える。
「こいつは俺の大切な友達だ。だから────よろしく頼むぜ、シル?」
これは牽制だ。
もしも俺の大切なものに手を出すようなら、一切の容赦はしないと。
彼女との力量差は十分に理解している。
殺し合いならまだしも、命の保証がある戦いでは勝てる見込みは限りなく低い。
それでも、今は虚勢を張ることに意味がある。
なぜなら、彼女は俺の力の一端を知っているだろうから。
やがて張り詰めた空気を緩めるように、シルはふっと笑みを零した。
「大丈夫よ、夜。
なんとも含みのある言い方をする。まるでベル以外には手を出すとでも言いたげだ。
俺が訝るように睨みつけるも、シルは意に介した様子もなく微笑む。こちらの反応を見て楽しんでいるのか。
この場の主導権はすでに彼女に握られてしまっている。これ以上なにかを言ったところで、こちらの徒労に終わってしまうことだろう。
俺は重々しく嘆息し、話題を変える。
「今日、食べに行くから」
そう言葉少なに告げると、彼女は不意を突かれたように目を瞬かせる。だがすぐに表情を崩すと、
「ふふっ。それじゃあ、席を確保して待ってるねっ!」
そう言って心底嬉しそうに微笑んだ。
……本当に、厄介なヒトだ。
*
ダンジョン六階層。
燐光に照らされた薄暗い通路の一角で、ベルが一体のモンスターと対峙していた。
身の丈は160cと人間と変わらぬ大きさをしており、全身が影のように真っ黒な人型モンスター。
新米冒険者にとっては命を落とす危険の確率が非常に高い存在であることから、『新米殺し』の異名を持つ。
その名は、『ウォーシャドウ』。
上層の前半に登場するモンスターの中では非常に強力な相手である。
「はぁああっ!!」
ベルが威勢のいい掛け声とともに短剣を振るう。
横薙ぎの銀閃がウォーシャドウの首元へと迫るが、それをウォーシャドウは自身の武器たるナイフのように鋭利な指先で受け止める。
ギギギ……、と金属同士が競り合うような音を上げながら、両者ともに譲るまいと拮抗する。
そんな彼らの様子を遠目に眺めながら、俺はベルの【ステイタス】を振り返っていた。
昨晩、ベルに初のスキルが発現した。
スキル名は『
これは原作の『
やはりミノタウロスとの戦闘が、ベルにとっての
原作ではアイズに対し懸想を抱いていたベルだが、俺に対しては純粋に憧れの気持ちだろう。ヒーローに憧れる子どものそれだ。
そして、このスキルの弱点はまさにそこにある。
このスキルの効果は非常に限定的だ。
ベルの想い──つまり精神が少しでも不安定になれば、その瞬間にスキルの効力は瓦解する。
スキルが盤石たり得るか否かは、ベルの一途さに依ると言えよう。
そう、一途な想いが────。
「──あ」
あれ、ちょっと待ってほしい。
そういえば、『憧憬一途』には副次効果がなかったか。
確か、『
「……え、やばくね?」
『憧憬一途』はアイズに一目惚れしたことで発現した、ベルの一途な想いが形になったもの。
その想いの本質が“懸想”──異性に対する一途な想いであるが故に、美の女神の『魅了』すら跳ね除けることができた。
……いや、純粋に考えたらすごいな。いったいどれだけ鋼の純愛なんだよ。もはや尊敬を通り越して、畏怖すら覚えるレベルだ。
「いや、そうではなくて」
一旦落ち着こう。まだ慌てるような時間じゃない。
おそらく『英雄憧憬』には『魅了』を跳ね除ける効果はない。それは憧れの対象が同性である俺だからだ。
ベルの想いが一途である限り、このスキルの効力が失われることはないだろう。ただ、それは『魅了』とはなんら関係のないこと。
ベルが『魅了』への耐性を持っていない場合、この先のいくつかの場面で厄介なことになる。
直近で言えば、今からおよそ二か月後の【アポロン・ファミリア】が主催する宴だろう。美の女神であるフレイヤとの初の顔合わせがその時だったはずだ。
それ以降も美の女神イシュタルや、水棲モンスターの
ベル自身に抵抗手段がないのであれば……。
「俺が創るしかないか──『魅了』を無効する
神の力に真っ向から挑むなど、他の者からは不可能だと一蹴されるだろう。馬鹿にされて、笑いものにされるのが普通だ。
けれど俺ならできるはずだ。すでにヒントも得た。ならば、あとは試行錯誤を繰り返すのみ。
「待ってろよ、フレイヤ。必ずお前に一泡吹かせてやる」
だが、俺はやられっぱなしで終わるほど諦めのいい男ではないのだ。
俺は左の掌を見つめ、決意を固めるように強く握り締めた。
その時、ベルから声がかかる。
見るとモンスターをすべて倒し戦利品の回収を終えたようで、こちらに手を振っていた。
俺は一度息をついて思考を切り替え、ベルの下に向かう。
「どうだった?」
「やっぱり五階層までのモンスターとは一味違うね。けれど、いつも夜と稽古をしているからか、苦戦するほどではなかったよ」
自身の体の調子を確かめながら、特に疲れた様子もなくベルは言った。
確かに、見たところ攻撃を受けた様子はない。虚勢を張っているわけでもなさそうだ。
この様子なら、油断さえしなければ六階層は一人でも大丈夫だろう。
「よし。それじゃあ、もう少し先に進もうか」
「うんっ。今度は一緒に戦おうね!」
ベルの提案に「ああ」と頷き、俺たちは通路の奥へと歩みを進めた。
*
時刻は夜の七時。
西の空は茜色に染まり、東の空から天頂にかけて深い紺色に変わりつつある。
少し肌寒さを感じさせる薄暗い町並みには、魔石灯がぽつぽつと灯り始めていた。
周囲を往来する人の数は、今朝よりも断然に多い。年齢、性別、種族問わず、様々な人であふれる都市の様相は、一目見ただけでも活気があると分かる。
「今から行くお店の名前って、豊穣の女主人だっけ?」
ギルドの換金所で魔石の換金を済ませ、外に出たところでベルが訊ねてきた。
その顔には疲労の色を浮かべながらも、初めての外食に心を躍らせているように見える。元気な奴だ。
「ああ、なかなかイカした名前だよな」
俺はあの店の名前を割と気に入っている。なんというか、貫禄があって格好いいのだ。
しかしそんな俺とは対照的に、ベルは「ははは……」と乾いた笑いを零す。どうやら子どものベルにはまだ早かったらしい。
「今回の稼ぎで財布は十分に潤ったし、今日は存分に食べようか」
俺が口角を吊り上げてみせると、ベルは目を輝かせて大きく頷いた。
「うんっ! 夜より食べてみせるよ!」
「ほう、それは挑戦と受け取っていいのかね?」
そんな冗談を交わしていると、不意に名が呼ばれた。
振り向くと、そこには喧騒を集める見知った団体の姿。人垣を割りながらぞろぞろとこちらに近づいてくる。
先頭を歩くのは、金髪の
隣のベルがうわ言のように「ろ、【ロキ・ファミリア】だ……」と言葉を漏らす。緊張しているのか、その表情はやや硬い。
「やあ、奇遇だね」
フィンがこちらに片手を上げ、爽やかに微笑む。金の髪を揺らすその姿は貴公子のようで、相変わらず絵になる。
俺はフィンの後ろに目を向ける。
「ずいぶんと大所帯だな」
「ああ、これから遠征の打ち上げでね。豊穣の女主人に行くところなんだ」
ここは原作通りか。
「それは奇遇だな。実は俺たちも今からそこに向かうところだ」
「そうなのかい?」
フィンが少し驚いて見せる。
そこへ緋色の髪をした糸目の女が口を挟んできた。
「なんや、この子らフィンの知り合いかいな?」
糸目の女は俺たちの前に出てくると、その細い目を薄っすらと開き、俺たちを覗きこむ。獲物を値踏みするような無遠慮な視線に、ベルが小さく肩を震わせる。
……少々不快だな。
俺はベルを庇うように半歩前に出ると、冷淡な口調で告げる。
「確かにフィンたちとは知り合いだが……それがどうした──神ロキ」
名を言い当てた瞬間、糸目の女──ロキの眉がピクリと跳ねた。彼女の反応に瞬時に気づいたフィンら上層部はそれぞれ表情を変える。だが当の女神はすぐに口元を三日月のように歪めると、どこか愉快そうに訊ねてきた。
「へぇ、自分うちのこと知っとるんか?」
「あんたは有名派閥の主神だからな。知らない奴の方が少ないだろう」
目の前に相対する【ロキ・ファミリア】は、この迷宮都市において双璧をなす派閥だ。その名は都市外にも広く知れ渡っているほどで、非常に有名な存在である。
俺の言葉に気を良くしたのか、ロキは満更でもない笑みを浮かべ、俺の肩をバシバシと叩いてくる。
どうやら彼女の辞書には“遠慮”という言葉は存在しないらしい。
「そうかそうか! 自分、よう分かっとるやないか! 気に入ったわ!」
酒の匂いこそしないが、絡み方は完全に酔っ払いのそれだ。俺は額を押さえたい衝動を堪え、苦笑を浮かべる。
すると、状況を察したフィンが苦笑いを浮かべながら助け舟を出してきた。
「どうやら目的地は同じみたいだし、よかったら一緒にどうだい?」
俺はその言葉に乗っかるように、ロキのパーソナルスペースから一歩距離を取った。
「そうだな。俺は構わないが……」
俺の背に隠れたベルを見やると、彼は戸惑いながらもコクリと頷いた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて。一緒に行かせてもらうよ」
俺がそう応じると、フィンらは満足げに頷く。
新たに俺たち二人が加わり、大所帯の移動が再開された。
目的地である豊穣の女主人へ向けて、俺たちは西のメインストリートをゆっくりと進んでいた。往来する人々の邪魔にならないよう整然と並ぶその様は、さながら軍隊の行進のようだ。
両端に建ち並ぶ建物と魔石灯の明かりでぼんやりと照らされる大通りは、夜の訪れを歓迎するように多くの人で賑わっている。
親子連れの一般市民から荒くれの冒険者まで、夕暮れに染まる彼らの顔に翳りは見られない。一見すると、そこには平和な光景が広がっていた。
そんなどこか浮き立つ雰囲気の中、俺は大所帯の最後尾に身を潜めていた。
耳を澄ませると、列の前方からベルの声がかすかに届く。その声色には戸惑いと気恥ずかしさが滲んでいる。
おおよそ質問攻めにでも遭っているのだろう。やはりベルを先頭に置き去り、最後尾に退避したのは間違いではなかったみたいだ。
うん。これは必要な犠牲だった。
……決して絡まれるのが面倒だったからなどではない。
「それにしても……やっぱり【ロキ・ファミリア】は目立つな」
周囲を見回せば、ほとんどの者が俺たちの隊列に目を留めていた。
まるでスポットライトに当てられたかのように注目されるのは、もはや有名人の宿命のようなものなのだろう。今なら俳優や女優の気持ちが少しは分かる気がする。
もっとも大通りをこれだけの人数で進んでいるのだから、こうして視線を集めるのも当然と言えるが。
この様子ならベルと二人で向かった方がよかったかもしれない。
少しの後悔を覚えた、その時だった。
「ねぇ」
真横から抑揚のない声が上がった。
振り向くと、金色の瞳がじっと俺を見ていた。
アイズ・ヴァレンシュタイン。【ロキ・ファミリア】の女剣士だ。
だが、なぜここに?
「どうした?」
そう問うと、彼女は感情の読めない顔で言った。
「あなたに、聞きたいことがある」
「聞きたいこと?」
彼女はコクリと頷く。
はて、いったいなんだろうか。
俺と彼女の間に面識はほとんどない。言葉を交わしたのは、漆黒のゴライアス戦後の自己紹介の時くらいだ。
人付き合いの苦手な彼女が自ら他者に関わることなど滅多にない。ましてや初対面も同然の相手ならば尚更だ。
そんな彼女が俺に聞きたいことがあると言った。最後尾に下がった俺の下にわざわざやって来てまで聞こうとするのは、それだけ彼女の関心が高いということだ。
たった数回の接触の中で彼女の関心を刺激したなにか。その正体に思い至ったと同時、彼女はそれを口にした。
「どうして……そんなに強いの?」
そう問う彼女の目にはわずかな焦りが見えた。
一見物静かに見える彼女だが、心の内に秘める想いは激情そのものだ。
モンスターに対する凄まじい憎しみと、強くなることへの常軌を逸した執着心。その二つの想いが呪いのように彼女の心を縛っている。
だから彼女は俺に目を向けたのだ。より具体的に言えば、Lv.1でLv.5相当のモンスターを倒し得る力に。
さて、彼女が知りたいのが俺の持つ力──【
俺は一つ、彼女に対して問わねばならない。
「質問に質問で返して悪いが、それを聞いてあなたはどうする?」
強くなることに固執する彼女が、その方法を知ってどう出るか。その点だけは予め確認しておくべきだろう。
すると俺の予想を裏付けるように彼女の目つきが明らかに変化した。先ほどまで焦燥に駆られていた瞳に、殺意にも似た鋭い意志が宿る。
魔石灯で淡く照らされた石畳の床を睨みつけて、アイズは静かに告げた。
「私も同じことをする。……もっと、強くならないといけないから」
小さく呟かれたその言葉は、やけに重たく耳に響いた。
忍び寄る夕闇に紛れて、彼女の心の奥に燻ぶる黒い感情がわずかに顔を覗かせる。
そんな彼女を見て、今度はこちらが焦燥に駆られる。
駄目だ。間違っても今の彼女に強くなる方法は教えられない。危うい気配を見せるアイズに、そう感じずにはいられなかった。
ここは、話の方向性を変えるべきか。
俺は慎重に言葉を選びつつ、口を開く。
「俺もあなたと同じだ。強くなりたい。……強くならないといけない、この上なく強く」
その言葉に、アイズは弾かれたように顔を上げた。
自身と同じ想いが俺の口から出たことに驚いたのだろう。目を見開く彼女を横目に、俺は言葉を重ねる。
「たとえ無茶をしてでも、無謀だと分かっていても……。それでも、俺にはどうしても倒したい相手がいるから」
「それって……」
ふと、彼女の口から震えた声が漏れる。
その呟きに応じるように歩みを止めると、釣られて彼女も足を止めた。
いつの間にか街を彩っていた明るい喧騒は遠のき、俺と彼女の間には凪のような静けさが流れる。
進路へ目を向けると、ベルらは俺たちに気づくことなく大通りを進んでいく。このままだと置いていかれるが、仕方ない。今はアイズが優先だ。
なにかを期待するように佇む彼女の目を見て、俺は静寂を破るように告げた。
「──黒竜」
その名を出した瞬間、彼女の目が大きく見開かれた。
その表情は驚愕に満ち、同時に求めていた言葉を得たとばかりにわずかな喜色が見て取れた。
原作知識によれば、アイズは『三大冒険者依頼』の一角である『隻眼の黒竜』となにかしら深い因縁があるらしい。詳しいことは不明のままだが、今の彼女の激しい反応を見る限り、それは間違いなさそうだ。
俺は彼女を刺激しすぎないよう注意しつつ、淡々と話を続ける。
「おそらく、黒竜はこの世で最も強い存在だ。過去の人類では敵わず、精霊の力を借りてもなお勝つことはできなかった」
十五年前、神時代最強を誇った【ゼウス・ファミリア】と【ヘラ・ファミリア】の二大派閥が討伐に挑むも失敗し、両ファミリアは壊滅した。
そしてさらに昔、古代に生きた英雄史上最強と謳われる『大英雄』アルバートですら己の命と引き替えに成し遂げたのは片目を潰すことのみ。
あまりに理不尽で、人の身ではどうしようもない不条理さだ。
「このままだといずれこの世界は黒竜によって滅ぼされてしまう。この星は終わりを迎え、すべての生命は等しく絶滅する」
タイムリミットは長くても一年──いや、もっと短いかもしれない。
『ダンまち』はベル・クラネルの一年の冒険の軌跡であるため、黒竜との戦いはそれまでに起こるはずだ。
だが厳密に言えば、この世界は『ダンまち』とは似て非なる世界。俺の知る物語の筋書き通りに進む保証はない。思わぬ因果によって、破滅の日が想定よりも早まる可能性は十分に考えられる。
──のんびりとしていられるほど、俺たちに猶予は残されていない。
「けれど、俺は終わりが訪れるのをただ待つつもりはない。この世界には俺の大切な人たちがいるから」
瞼を閉じれば、彼らの顔が脳裏に浮かぶ。
ベルにヘスティア、豊穣の女主人の従業員、フィルヴィス、デメテル、【ミアハ・ファミリア】、【ロキ・ファミリア】、リリ。そして──。
出会ってまだ日は浅いけれど、それでも関わりを持った以上は死なせるわけにはいかない。
「だから倒さなければならない。──皆を失わないために」
そこまで話し終えて、俺は胸の内に溜まった熱を吐き出すように息をついた。
……少し、自分語りが過ぎただろうか。
今のやりとりは会話というよりは、俺の一方的な宣言だったように思える。なにそれ、恥ずかしい。
アイズの心理を良い方向へ働きかけようと思っていたのだが、全く話の方向性を変えられていない。これだとむしろ逆効果かもしれない。
進路へ目を向けると、そこにはすでにベルたちの姿はなかった。
まずい。少し立ち話が過ぎたようだ。
しかし時間はさほど経っていないし、急いで追いかければすぐに合流できるだろう。
とりあえず話はここまでにして、一旦移動を再開した方がいい。俺はそう思い、アイズに伝えようと口を開きかけ、
「──そっか」
寸でのところで、俺は言葉を飲み込んだ。
そこにいたのは一人の少女ではなく、思わず見惚れてしまうほど美しい妙齢の女性だった。
いや、違う。
目の前にいるのは間違いなくアイズだ。だが纏う雰囲気がまるで違った。
夕暮れのほの暗さに包まれたアイズは街を染め上げる蜜色の光に照らされ、その美しい金色の長髪が黄金色に煌めく。
俺を映した彼女の瞳は、まるで溶けた金のように妖しく光を放っていた。
ただ呆然と立ち尽くす俺をよそに、彼女は落ち着いた声音で言葉を紡ぐ。
「あなたも、私と同じなんだね」
その言葉に先ほどまでの記憶を振り返る。
彼女が口にした“同じ”が指し示すこととは、俺が語った『黒竜を倒したい』という想いだろう。そして、
「私も……大切な人を奪われたから」
大切な人を亡くしたという境遇だ。
皆を失いたくないという俺の発言から、俺もまた大切な人を喪ったと推測したのだ。
同じ境遇の、同じ想いを抱く人と巡り合うのはそれほど珍しいことではない。探せば案外近くにいることだって往々にしてある。
俺の大切な人はモンスターに殺された。その事実だけを見れば、俺は彼女と同じ立場にいる。
黒竜の討伐を掲げる意志も一緒だ。
だから彼女が俺の過去を聞いて“喜び”を感じ、同時に“共感”を覚えることはごく普通の感性だといえよう。
けれど、俺は彼女の言葉に頷くことはできない。
俺たちは似ているようで、そこには決定的な違いがある。
「俺は皆を護るために黒竜を倒す。そのために強くなろうとしている」
そう。俺と彼女の違い──それは強くなる『目的』だ。
アイズが復讐のために強くなるのに対し、俺は皆を護るために強くなる。
俺と彼女とでは振るう力の『意味』が異なる。
「あなたはどうだ?」
故に、俺は彼女に問う。
「あなたには、なにか護りたいものはあるか?」
すると先ほどの大人びた雰囲気は剥がれ落ち、ただの少女へと戻った。
彼女はなにかを言おうと口を開くも、小ぶりな唇からは小さな呻き声が情けなく漏れるばかりだった。
その端正な顔はどこか悲痛に歪み、訴えるような眼差しで俺を見る。
やがて力なく視線を落とすと、今にも消え入りそうな声で零した。
「……分からない」
考え込んだ末に吐き出したその姿は、まるで自分の想いを上手く言葉にできない子どものように見えた。
どこか寂しそうに体を縮める彼女に胸が締めつけられるような苦しさがこみ上げる。
──思考を回せ。
彼女の言葉は額面通りではないはずだ。必死に紡がれたその言葉の本当の意味を正しく理解しなければ、彼女をより孤独へと追いやることになる。
ようやく出会えた彼女にとっての“理解者”を、失わせるわけにはいかない。
彼女は“分からない”と言った。護りたいものが“ない”ではなく、分からないと。つまり彼女の中には、俺の質問に反応を示す対象があったということだ。
そして、それは間違いなく【ロキ・ファミリア】だ。
アイズが幼い頃から共に生活を送り、戦場を駆け回り、日常を謳歌したのが彼らだ。
『ファミリア』とは、単に同じ神の恩恵を受けた者たちで集まった組織ではない。血の繋がりなどない他人同士であったとしても、その組織に属する者は等しく“家族”と言えるだろう。
アイズの心は彼らを家族と認識しているはず。護りたいという意思もある。ただ、彼女の理性がその想いを容認しない。
これまでひたすらモンスターを憎み、殺し、その薄汚い血に塗れた自分が、今さら彼らの輪の中に入ることが許されるのか。アイズは迷っている。
もちろん、これらはすべて俺の憶測に過ぎない。
だから、今からすることはただのお節介だ。
「──なら、考えてみてくれ」
俺がそう言うと、彼女はわずかに顔を上げた。目元を覆う前髪の隙間から、虚ろな瞳を覗かせる。
「あなたの心を揺らすその想いが、本当に見捨てていいものなのかどうか。しっかりと考えるんだ」
もしも本当に護りたいものがないのなら、その切なげな表情にどう説明を付けるのというのか。もっと淡々として「ない」と答えたはずだ。
だから、彼女がすべきなのは自分の本心を認めてあげること。
「そして、その答えが出たら教えてほしい」
俺はそこで言葉を区切り、代わりに右の小指を立てて彼女へと差し出した。
アイズは不思議そうに小首を傾げ、俺の顔と小指の間で視線を行き来させる。
ふむ。どうやら、彼女はこの約束の仕方を知らないらしい。
「指切りだよ」
「ゆびきり……?」
聞き慣れない単語に、彼女は聞き返す。
「そう。なにか大切な約束をする時に行う、誓いの儀式みたいなものだ」
彼女は自分の小指を数秒ほど見つめ、やがてたどたどしく胸の前に掲げた。死傷が茶飯事の冒険者であるにも拘わらず傷や荒れ一つない、白くて綺麗な指だった。
俺はその繊細な指に自身の小指を絡め合わせた。決して解けないように、固く結び合わせる。
「知っているか、アイズ。人は、護りたいもののために強くなれるんだ」
「……そうなの?」
「ああ。だから、それを見つける約束をしよう」
アイズ、あなたには頼りになる仲間がいる。
たとえどんな過去を抱えていても、彼らなら必ず味方になってくれる。
この結びはそれを自覚するまでの、ほんの短い間の契り。
アイズが一歩を踏み出し、再び心から笑える日が来るように。
──どうか、彼女の行く末に幸あらんことを。
*
あの後、俺とアイズは急いでベルたちの下まで走り、なんとか隊列へと合流した。
再び最後尾をアイズと並んで歩く中、心なしか彼女との距離が縮まっているような気がした。
それから数分。ようやく豊穣の女主人へとたどり着いた。
先頭のフィンが入り口の扉に手をかけた、その瞬間だった。
──パリンッ。ガタンッ!
店内から陶器の砕ける鋭い音と、重い家具が薙ぎ倒される衝撃音が響いた。
夜の賑わいを切り裂くような異変に、店内のざわめきが外まで漏れ出してくる。
いったい、中でなにが?
そう思った俺の頭に、不意に声が届いた。──リリの影に潜ませていた影の兵士からだ。
──まさか、リリ?!
嫌な予感が心臓を強く叩く。動揺する俺をよそに、先頭の面々は次々と店内へ入っていく。そして、
「────リリッ!!」
焦燥に駆られたベルの叫び声が俺の耳を打った。
「ちょっと、通してくれ!」
俺は声を荒らげ、前に立ち塞がる【ロキ・ファミリア】の団員たちを強引に掻き分けながら足を進める。
扉をくぐり抜け、店内の光に目を細めながら、俺はその惨状を視界に捉えた。
そこには、嫌な予感が形となった光景が広がっていた。
右手に並ぶ四人掛けの円卓。その一つが無残に横倒しになり、床にはぶちまけられた料理と粉々になった皿の破片が散乱している。
その席に座っていたのだろう三人組の男女は、突然の出来事に呆然と立ち尽くし、避けるようにしてその惨状を見下ろしている。
そして、その中心。吹き飛ばされた勢いで床に腰を打ち付けた小人族の少女と、その小さな体を支えるベルの姿。
栗色の髪を乱し、痛ましげに口元を歪める少女──彼女は昨日出会い、そして友達になったばかりのリリだった。
「────────は?」