紅衣の麒麟   作:にわか

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今回の話は原作「華胥の夢」に含まれている「華胥」の話を二次創作用に変更し、要約したものになります




第七章

 

 

 

砥尚(ししょう)が登極してからしばらくの間、政は清らかだった。前前王(扶王)時代に築かれた腐敗を一掃しようと、砥尚は意欲的に改革に乗り出した。

 

彼はまず、旧来の腐敗した官吏たちを大規模に罷免し、志を共にした者たち――当時の政に理想を抱いた者たちで、「高斗(こうと)」と自称していた――を政に招いた。

 

高斗の者たちが政の中枢に集められてからも、しばらくの間、官僚たちの間には強い結束があった。彼らは経験こそ乏しかったが、それを誠実な協力で補おうとしていたのだ。

 

だが、やがて政の混乱が表面化し始める。

 

国の隅々まで政令が届かず、混乱を抑えることができなかった砥尚は、ついにかつて罷免した古参の官吏たちを呼び戻した。

 

呼び戻された者たちは、政の場に復帰するや否や、再びかつてのように好き勝手をし始める。私利私欲を追い、民からの献上を求め、地方の混乱を無視して中央の安定だけを図ろうとした。

 

理想を掲げた高斗の官吏たちは、古い体制の中で身動きが取れなくなり、次第に政庁の中でも亀裂が深まっていった。

 

そんな折、采麟が突然、病に伏した。

 

その病は一進一退を繰り返し、やがて政に出ることも叶わなくなった。宮中では「失道ではないか」との噂が密かに囁かれ始める。

 

官吏たちの間にも不安が広がったが、その不安を打ち消したのは、砥尚の強い言葉だった。

 

「私は些かも揺らいでいない。私には依然として道が見えている。お前たちにも、実はずっと見えているはずだ。失望や困難に挫けて、迷ってはならない」

 

その言葉には、一片の迷いもなかった。

 

官吏たちは胸を撫で下ろし、再び王を信じて政にあたるようになる。

 

だが、それでも采麟の容体は快方に向かうどころか、日を追うごとに悪化していった。

 

そして――砥尚の言葉に、かつてのような確信が見えなくなる。

 

ある日は「このままでは国が滅ぶ」と語り、翌日には「すべて順調だ」と言い放つ。言葉の端々に迷いが見えはじめ、王自らの意志が揺らぎはじめているのは明らかだった。

 

そんな王に、苦言を呈し続けていたのが、大司寇(だいしこう)と太傅(たいふ)だった。

 

とりわけ太傅――慎思(しんし)は、砥尚の母親代わりとも言える存在であり、若き日の砥尚を政の道へ導いた人物でもあった。

 

慎思は決して王を否定することなく、ただ静かに諫めを続けていた。

 

だがある日、王の命によって、大司寇と太傅ー慎思の二人は更迭された。

 

政庁には、言葉にできない重苦しい空気が漂い始める。

 

そして、追い打ちをかけるようにして、事件が起きた。

 

砥尚の父である太師(たいし)が、何者かに殺害されたのだ。

 

同時に、砥尚の弟である太保(たいほ)が失踪した。

 

すぐに「太保が太師を殺したのではないか」という噂が駆け巡った。

 

だが、政庁の誰もが首を横に振った。太保は、王の治世にあっても誠実に仕えていた忠臣であり、そんなことをする人物とは思えなかったのだ。

 

調査が進む中で判明したのは、太師の遺体の傷が、明らかに武に長けた者の手によるものだということ。そして、太師の血痕の量が、ただ一人の死では説明がつかないものであったということだった。

 

それを知った者たちは、「太保が犯人である」という砥尚の判断に、密かに疑問を抱きはじめた。

 

そしてその矢先、王は突如として命を下す。

 

冢宰(ちょうさい)、大司徒(だいしと)、太宰(たいさい)、小宰(しょうさい)――才国の政務を担う重臣たちが、「謀反の疑いあり」として、次々に拘束された。

 

あまりに急な決定に、政庁内には動揺が広がる。

 

それでも、誰一人として声を上げることができなかった。

 

王の心が、どこを見ているのか。誰も、それを確かめる術を持たなかった。

 

砥尚は、冢宰・栄祝(えいしゅく)――叔母である太傅・慎思の息子であり、若き日には幾度も盃を交わした友――と、その妻であり大司徒を務める朱夏(しゅか)の処分を、下せなかったのだろう。

 

砥尚は2人の沙汰を後にまわし、別の仕事を任せた。

 

その頃には、采麟の病はすでに深く、床に伏したまま起き上がることすらできなくなっていた。

 

砥尚は最後の決断として、采麟を宗国へ送ることを選ぶ。

 

「療養という名目で、奏南国の公主のもとへ。……あれを頼む」

 

そう命じられた栄祝と朱夏は、采麟を伴って都を離れた。

 

異なる土地が麒麟を癒すことはない。

 

けれど、あの宮の血の匂いのなかにあっては、采麟はただただ苦しむばかりだった。

 

せめて、少しでも血の匂いの届かぬ場所で、休ませてやりたい――そうして選ばれたのが、奏国の公主・文姫のもとだった。

 

2人は采麟を公主に預けて、再び才国へと戻った。

 

政を傾けた責から逃れるつもりはなかった。己が過ちを悔い、罰を受ける覚悟を携えて、王の沙汰を静かに待ったのである。

 

だが、砥尚からの応答はなかった。

 

日を追うごとに、城内はざわつき始めた。

 

砥尚の姿が、御所に現れない――

 

最初は静かなささやきだった噂も、やがて誰の耳にも届く声となり、城中を覆い始めた。

 

「王は、どこにおられるのだ」と。

 

政務は滞り、詔も下らぬまま日々が過ぎてゆく。

 

重臣たちが問いを重ねても、返るのは「御前はお休みである」の一点張り。御前に近づこうとした近侍が謹慎を命じられたとも伝わり、次第に不安は確信めいた動揺へと変わっていった。

 

そして、ある日――

 

宮中を震わせる知らせが届いた。

 

太保の遺体が、後宮のさらに奥、誰も近づかぬはずの北宮の主殿――水陽殿で発見されたのだ。

 

遺体は腐乱しており、発見された場所、そして腐敗の進み具合から見て、あの太師と同じ時期に命を絶たれたものと見られていた。

 

なぜ、その場所に。

 

なぜ、いまになって。

 

誰も答えを出せぬまま、ひとつの疑念が静かに広がっていく。

 

――あの二人を殺したのは、王ではないのか。

 

王自らが、かつての父と弟を手にかけたのではないか――と。

 

もはや隠し立ては通用しない。

 

騒然とする城内。走る使いの足音、動揺を押し殺した重臣たちの声、慌ただしく交差する視線のなか――

 

天を裂くように、鳳の声が響いた。

 

「采王、崩御――」

 

瞬間、宮中は凍りついた。

 

それは嘆きではなかった。ただ、重く静かな沈黙が、空気そのものを縛り上げた。

 

砥尚王朝、在位二十余年――

 

民に望まれて始まった政は、誰にも見送られることなく、音もなく、静かに幕を閉じた。

 

 

 

 

ーーー

 

 

 

騶虞の背の上で、風に髪をなびかせながら、利広はしばらく遠くの空を見つめていた。

 

「……多分、今の話を聞いただけじゃ、こう思うかもしれない。“政が上手くいかず、最後には乱心した王だったのだろう”と」

 

清次は小さく瞬きをしながら、黙って利広の言葉を待った。

 

「でもね――この話には、まだ欠けているものがある」

 

利広はゆっくりと清次に視線を戻す。

 

「才国には、“華胥華朶(かしょかだ)”という宝重があることを知っているかい?」

 

「はい。書物で読んだことがあります。桃の枝の形をした宝玉で、枕辺に挿して眠ると、花が開いて“華胥の夢”を見せる――そんな言い伝えがあると」

 

「うん、よく覚えているね。けれどね、本当はちょっと違う」

 

清次が目を見開く。

 

「“華胥の夢”ってのは、その人自身が思い描く“理想の国”のことだ。その宝重はね、使った者の理想を、夢の中に映して見せる。つまり、誰が見ても同じ夢じゃない。けれど、それを知っている者は少なかった」

 

利広の声は、どこか寂しげだった。

 

「砥尚は、政が崩れはじめて焦っていたらしい。よく三公のもとへ相談に通っていたそうだ。でもある時を境に、突然、迷いを見せなくなった。“私は揺らいでいない”と、強い調子で言うようになったと」

 

清次は小さく頷く。

 

「……それって、華胥華朶を……?」

 

「ああ、ちょうどその時期に、太保――王の弟が、“兄の力になりたくて”その華胥華朶を王に渡したらしい」

 

清次は言葉を飲み込んだまま、利広を見つめていた。

 

「砥尚は、それを使った。夢の中で、理想の国を見て、そこに希望を見出した。だからこそ、もう迷わなかった。“自分には見えている”と、そう言ったんだ。

けれど――采麟は癒えず、政も良くはならなかった。

理想は確かにそこにあるのに、現実の国は一歩ごとに遠ざかっていく。

砥尚は、夢にすがるほどに、自らが理想から遠ざかっていくという皮肉に、やがて深く苦しむようになった」

 

「……」

 

「ある時、気づいたんだろう。“これは未来の国ではなく、自分の願望を見ていたのだ”ってね」

 

風が少し強く吹いて、衣の裾がふわりと揺れた。

 

「――この話は、あくまで推測だ。けれど、私の知るものはこう言っていた。“その時の砥尚王には、もはや誰の声も届かなくなっていた”って」

 

利広の目が細められた。

 

「理想を映すはずの夢が、自分を欺いていたと気づいた時、砥尚は深く動揺したのだろう。……そして、それを渡した太保に怒りを抱いてしまったのかもしれない」

 

清次は息を呑む。

 

「それで……王は……」

 

「うん。でもね、そこには“続き”がある」

 

利広の口調が少しだけ低くなる。

 

「太保の死体が見つかった後、大司徒が、冢宰に向かって叫んだらしい。“――あなたが、あの方に言ったのでしょう?『兄の力になれ』と。あなたが、華胥華朶を差し出させた。主上を惑わせ、失道に突き落としたのは、あなたなのよ……!”――って」

 

「……」

 

「それだけじゃない。砥尚の死体が見つかったのは、蓬山の麓だったそうだ。……禅譲をするつもりだったんだろう。自分の代わりに、王座を継ぐ者を求めて」

 

「でも――間に合わなかった」

 

清次が、かすれるような声で言った。

 

「ああ。どこで麒麟の死を知ったのかは、わからない。でも……砥尚は、麒麟が死んだことを知った時、自ら命を絶ったらしい」

 

利広は、わずかに目を伏せた。

 

「そして、その話を知った冢宰の栄祝と、大司馬も――自裁した」

 

しばし、風の音だけが空に流れた。

 

そして、利広は少し間を置いてから、静かに続けた。

 

「……采麟を預かった方がね。ほんの少しだけ、あの子の最後について話してくれたんだ」

 

清次は、言葉を呑んで利広を見た。

 

「“あの子の最後の姿は、見るに堪えなかった”――そう言っていたよ。

 

 高熱に浮かされて、意識の半ばを彷徨うような日が続いていたかと思えば、ふと目を見開いては叫ぶんだって。

 『なぜ……なぜ、あの方は私を裏切ったのですか』と。

 

 けれど、次の瞬間にはまるで何もかも忘れたように涙を流して、こう囁いたらしい。

 『……王を……どうか、王をお救いください』って。

 

 まるで、民の怒りと王への憂いが、彼女の中で争っているようだったそうだ。

 

 ――民意の具現として、王を恨まずにはいられなかった。

 けれど、王の半身として、どうしようもなく案じてしまう。

 

 その板挟みのなかで、彼女は苦しみながらも、誰も責めようとはしなかったそうだ。

 『自分が、もっと王をお支え出来ていれば』――そう繰り返していた、とね」

 

騶虞の背で語られた長い話が終わり、しばしの静寂ののち

 

「……おっと、長話をしすぎたようだ」

 

利広が肩をすくめ、微笑みながら清次に声をかけた。

 

「着いたよ」

 

清次が顔を上げると、視界の先に町が広がっていた。

 

それは、これまでに通ってきたどの町とも違って見えた。瓦は欠け、道にはところどころ土が剥き出しになっている。家々の壁も、日に焼けて色褪せていた。

 

けれど――

 

その町は、うっすらと光っているように見えた。

 

朝靄に包まれた町並みが、どこか柔らかな光に照らされているように感じられたのだ。

 

それは、清次の目が、そう見せていたのかもしれない。けれど胸の奥に、じんわりと温もりが灯るような、不思議な感覚があった。

 

騶虞が軽やかに地に降り立つと、清次はそっと地面に足をつけ、利広に軽く頭を下げた。

 

「ありがとうございました。……本当に」

 

「礼には及ばないよ」

 

利広は軽く手を振ると、視線を町の方へと向けた。

 

「私はしばらくこの町に滞在する予定だけど、君は?」

 

清次は一瞬迷ったあと、微笑んで言った。

 

「……清次って呼んでください。蓬莱での名前から、六太がつけてくれたんです」

 

「ほう、いい名前だね」

 

「はい。数日、この町に滞在する予定です」

 

「それなら、同じ宿に泊まろうか。その方が安全だろうしね」

 

頷き合い、二人は同じ宿へと向かうことにした。

 

もっとも、滞在中別行動だ。

利広は気まぐれにふらりと姿を消しては、時折何処からともなく戻ってくる。町のどこかを歩いていたのか、それとも誰かと会っていたのか、詳しくは語らない。けれどその様子は、どこか旅慣れた者の軽やかさと、風のような自由さを併せ持っていた。

 

清次は、一人で町を歩いた。

 

そして歩けば歩くほどに、印象は深まっていく。

――この町には、秩序がある。

 

荒れていないわけではない。けれど、道にはごみひとつなく、路傍の草も整えられていた。家々の軒先には小さな鉢植えが並び、行き交う人々の声には、どこか張りのある明るさがあった。

 

清次は町の人々に尋ねた。

 

「……ここは、どうしてこんなに落ち着いているんですか? 他の町とは、まるで違うように見えます」

 

問いかけに、年配の女性がやさしく笑んだ。

 

「ああ、それはね。この町には“先生”がいるからさ」

 

「先生……ですか?」

 

「そう。子供たちに読み書きを教えてくれる方でね。あの人が町に来てから、子供たちの声が響くようになって、大人たちの顔も和らいだんだよ」

 

別の老人も頷いた。

 

「教えるだけじゃない。子供に道理を説き、大人には思い出させてくれる。“どう生きるか”をね。……だから、里宰も安心して任せているんだろう。統治者としての役目はきちんと果たしているが、あの先生がいるからこそ、町が穏やかに回っているのさ」

 

清次は、その「先生」に会ってみたくなった。

 

町の人々に学校の場所を尋ね、礼を言って歩き出す。

 

石畳の続く坂道の先――少し高台になった場所に、木造の建物が見えた。古びてはいるが、どこか清潔で、風がよく通る造りのようだった。

 

その道すがら、不思議な感覚が清次を包む。

 

――この道は、まるで光を帯びているようだ。

 

朝の陽が差しているだけかもしれない。けれど、それ以上の何かが胸の奥にあった。

まるで何かに導かれるように、足取りは自然とその建物へと向かっていた。

 

教えてもらった道を辿るたびに、光は次第に濃くなっていった。

それは、目に映る光というよりも、空気の澄みわたる気配、耳に届く声のやさしさ、歩を進めるたびに胸の奥が波立つような――そんな、言葉にならない感覚だった。

 

人々の笑い声があちこちから聞こえ、朝の陽が差す路地を、子どもたちが駆け抜けていく。

清次は、自然と顔を上げた。

胸の内で、何かが静かに、高鳴っていた。

 

そして――

 

一軒の建物の前に立ったとき、その扉が音もなく開いた。

 

そこに現れたのは、年老いた女性だった。

髪には白が混じり、衣も簡素である。けれど、その背筋はまっすぐに伸び、立ち姿には凜とした気高さが宿っていた。

その眼差しは、やわらかく、どこまでも澄んでいた。

 

清次は、足を止めた。

 

その瞬間、全身の血が逆流するような、けれど恐れではない、何か熱く確かなものが体を突き抜けた。

 

理解した――

 

名も、位も知らずとも、この人が、王だと。

 

この人こそが、自らが歩いてきた旅路の果てに待つ存在だと。

 

胸の奥で、はっきりとした響きがあった。

それは、清次の中に眠る何かが――麒麟としての本能が――ただ一人を指し示していた。

 

彼女は、子どもたちに何か言葉をかけながら微笑み、そしてふと清次の方へと視線を向けた。

その眼差しに、清次は息を呑んだ。

 

怒りも、憂いも、悲しみも、すべてを受け容れてなお、消えぬ光を抱えた目だった。

 

清次は、ただその姿を見つめながら、胸の内で静かに呟いた。

 

――この人なら、きっと。

 

光は、視界のすべてを包み込んでいた。

それは、長い旅路の果てにたどり着いた、ただひとつの確信だった。

 






原作が素晴らしい話なので大変心苦しいのですが、オリ主が生まれるために結末を変更しました。作者の能力が低いので、扱い切れないキャラも死んで頂きました。朱夏…いいキャラなんですけどね。申し訳ありません

あと原作を読まれている方は時系列が混乱すると思うので二次創作での時系列をまとめたものも投稿しました。参考までにどうぞ

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