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「あなた、静のお母さまの葬儀にいらしてた方ですよね」
呼び止めてきたのは、あのときの少女だった。葬儀でもないのに真っ黒な服を着ている。
「きみは、静の彼女の……」
昼休みを満喫していた私は、思わず後ずさってしまった。しがないサラリーマンでしかない自分の目の前に、異様なものが立っていたからだ。彼女は、いわゆる『ゴシック・ロリータ』だった。
「わたし、彼女なんかじゃありません。ただの友達です」
眉一つ動かさずに否定し、さらに一歩近づいてくる。綺麗な少女ではあるが勘弁してもらいたかった。
「あ、ああ、そうか。それできみは」
「わたし、『きみ』でもありません。めぐみです」
黒の上質な布地で出来たワンピースに、白いレースやフリルがふんだんに使われている。そのうえ、小さな頭にはヘッドドレスがちょこんと乗っていた。
「そうだ、めぐみさん。私に何か用ですか?」
「別に何でもないですけど、お見かけしたので、ご挨拶でも」
そう言うと、めぐみはぺこりと頭を下げた。ヘッドドレスの端から垂れ下がっているリボンが揺れる。私はすっかり調子が狂い、頭を掻いた。そのとき周囲を見たら、妙齢の男と若いゴシック・ロリータが居合わせる図はやはり目立つらしい。好奇に満ちた視線の集中砲火を浴びていた。
「めぐみさん、ちょっとここから離れないか」
肩に手を置くと、めぐみが顔を少し上げる。
「何故です?」
基本的にきれいな少女だが、目つきが若干鋭い。まるで氷のつぶてに射抜かれたかのようだった。
「少し目立つので……気分を悪くしたなら、申し訳ないが」
そうやって歯切れの悪い言い訳をしながら、私は彼女を路地裏の喫茶店に押し込んだ。いつも、ここで食事をとる。あまり知られていないのか、昼でも人が少ないところが気に入っていた。
一番奥の席に二人で腰掛けると、店員がメニューを持ってきてくれる。それをめくりながら、
「何でも好きなものをどうぞ」
と促すと、めぐみはニコリともせず礼を言った。彼女はサンドウィッチセット、私はいつもどおりのクロックムッシュセットを頼む。
「ご挨拶だけなのに、奢ってもらって申し訳ないです」
彼女は平坦な声で一気に言い切った。私も社交辞令として「いえいえ」と顔に笑みを作ってやる。
ここまでしてめぐみを誘ったのは、付き合ってはいないらしいが彼女が静と親しい仲にあるからだ。あの葬儀の日以来、私の心は静との思い出にがんじらめにされている。
「恋人でないなら、めぐみさんは静とはどういう関係で?」
「先ほども言ったとおり、ただの友人です」
「失礼ですが、お歳は?」
「二十五です」
私は目を見開いた。ひょっとしたら、とは思っていたが成人だったとは。
「よく、そういう顔をされますよ」
めぐみはコップの水を一口飲んだ。桜色の唇がほんのり色づく。静のことがなければ、彼女自身もそそる女の子ではある。
「静のことが気になります?」
と、彼女は上目がちに訊ねてきた。どうやら感づかれていたようだ。私は平静を装い、
「何しろ、彼は何年も音沙汰なしだったからね。私だけじゃなく、みんな心配していたんだ」
「そう?」
からかうような目つきで、めぐみが私を見る。
「でも、探そうと思えばすぐ見つかったはずですよ。だってあの子はこの辺りに住んでますもん。実家からはそう遠くないのに」
まるで挑むような目つきだ。それが少し気に入らず、ぶっきらぼうに返してみる。
「きみは事情を聞かされていないのかい?」
「あの子のお母さまが暴力を振るっていた、って話?」
息をのんだ。知っていながら、彼女は話に踏み込んできているのか。
「だから、静を見逃してあげていたと?」
めぐみの瞳には確信を得たという自信が伺えた。反対に、私はこんな一回りも下の小娘にやり込まれたと憤りを覚える。
でも、肝心なところまではまだ伝わっていないはずだ。
「きみは鋭いね。まぁ、静は男だから、いずれは夕月より力も強くなったとは思うが……」
「あの子が実の母に手をあげるなんて考えられないけど」
いつのまにやら敬語をやめた彼女は、人を食ったような物言いばかりする。それも、親しい仲である静まで揶揄するようにだ。
「さっきから、『あの子』というのはどうかな。私から見れば静はそれくらいの年頃だが……きみよりは年上だぞ」
「いいのよ。わたしと彼の仲だもの」
めぐみは頬杖をついて、くすっと笑った。
「何だか、苛ついているみたい。どうしたの?」
頬が熱くなるのを感じた。彼女には何もかも見透かされているようだった。
気まずい空気の中、注文した料理が運ばれてくる。めぐみの前にはサンドウィッチとコーンポタージュ、チシャをあしらったサラダに紅茶。私の前にはクロックムッシュとコーヒー。
「それで足りるの?」
おしぼりで手を拭きつつ、めぐみが訊いてきた。私はナイフとフォークを持ち上げ、
「昔から小食でね」
と短く答える。彼女は「ふうん」とだけ言った。
食事は静かに進んだ。めぐみはサンドウィッチを小さな口でゆっくりと噛み、ポタージュを音もなく飲んでいる。私はというと、さっさと食べきって、カバンに入れておいた文庫本に目を通していた。彼女とあまり喋りたくなかったからだ。
めぐみが食べ終わったと同時に、私は足早に勘定へ向かった。彼女が後ろからついてくるのはわかったが、声をかけることはなかった。レジの前で財布を取り出すと、
「自分のぶんは払うわ」
とめぐみが言うのに、私は「いや、払うよ」と彼女の返事も待たずに払った。釣り銭を受け取り、急いで店を出る。
「何を、そんなに焦っているの?」
私の背に、めぐみが疑問を投げかける。ちらりと目をやると、彼女はじっと私を見上げていた。長いまつげに、黒目がちの瞳。顔立ちは、やはり綺麗で整っている。思わず手を伸ばしたくなるくらいには。
「そろそろ仕事に戻らなければね」
目を伏せて言うと、めぐみは「そう」とだけ寄越した。そしてスカートの裾をひらひらさせながら去っていく。小さな背中は人混みにすぐ紛れて消えた。彼女の後ろ姿に、静の気配を感じる。私の知らない、あの子の影を。
唇を噛みしめると鉄の味がひろがった。
***
静は、幼い頃は夕月の少女時代と瓜二つだった。男ではあるが、成長が遅いのか細い手足に繊細な顔立ち。彼と会うとき、いつも季節は夏だったので、薄着のために身体の線がよくわかった。
私は、彼に期待した。夕月が叶えてくれなかった望みを果たしてくれるのではないかと。思い返してみれば最悪な男だ。少年だった彼に「少女」でいることをせがんだのだから。
彼を部屋に連れ込んで、昔の夕月の服を着せた。強制ではなかったが、普通に考えて大の男に迫られたら少年は怯えるだろう。現にスカートを履くとき、静の手は震えていた。
「これでいい……?」
か細い声で尋ねてきた静は、まさに、あの頃の夕月そのものだった。髪が短いことを除いて。彼はスカートの裾をベッドにふわりとひろげ、深く腰掛けていた。
ここで私が理性を失って彼を襲ったのであれば、よくあるB級映画だ。けれど実際は違う。私は彼に膝まづいたのだ。あの日、永遠に消えてしまった少女と再会した喜びを全身に迸らせて。でかい図体を地に伏せ、身体を降り曲げ、彼の華奢な爪先に口づけた。それしかできなかった。何故なら、彼はあまりにも神聖だったから。
静は身を堅くして、それを見下ろしていた。その瞳には恐怖が滲んでいたが、少しだけ軽蔑の色も伺えた。それが私には心地よかった。
人は、自分よりも上位の人間に憧れる。それが素晴らしければ素晴らしいほど、手が届かないなら届かないほど、愛しくなる。だからこそ私はあの頃の夕月を求めていたのかもしれない。理不尽なほど冷酷な、あの少女に。
あのとき、私を見下ろしていた静に。
***
仕事を終えた帰り道で、私はコンビニに寄った。一人暮らしの男にとって、自炊は面倒なものだ。弁当を一つ買って、さっさと出る。
夜の街はイルミネーションに彩られ、もうすぐクリスマスがやってくると告げていた。聞き慣れたクリスマスソングが耳に入り、商店街の大げさな広告が嫌でも目に飛び込む。どれも私には関係ない。
道なりに進み、喧噪を逃れ、ひたすら歩く。足早に。人とすれ違うこともない。時計を見ると、二十三時を過ぎていた。ふと、めぐみのことを思い出す。
「あの女」
夜の闇に声が溶けていく。あの女の髪の色のように、またその衣服のように、艶やかな黒。そこらじゅうの一軒家や、倉庫や、公園や、マンションや……すべてにめぐみが潜んでいそうで嫌になってくる。まるで後をつけられている錯覚に陥った。気持ちが落ち着かないので、さっさと家に帰ろう。それから飯を食って寝よう。そう考える。
そうやって借りているアパートに着いた。この時間でも明かりが点っているのは、住人の大半が独り身だからだ。郵便受けには何も入っていなかった。
しかし、私は気づいた。すぐそこに銀色の車が停めてあることに。こんな時間に? 不思議に思って振り返る。その窓の向こうは暗くなっていて見えない。
二階に住む若い男のツレか誰かのものだろうか。それなら、今まで見かけなかったのは何故だ?
首を傾げていると、ポケットの携帯電話が鳴り始める。耳障りな黒電話の音で私を呼ぶ。この音に設定したのは、昔、我が家で使っていたからだ。最近の電子音は優しすぎていけない。やはり、金切り声のように呼び立てられなければ、すぐに気づくことはできない。特に、緊急のときにはなおさら。
「――はい」
『もしもし?』
不自然なほど甲高い声。ボイスチェンジャーか、ヘリウムガスでも使っているのだろう。私は息をのみ、携帯に耳を寄せる。
「何か用ですか?」
『すぐ近くの電話ボックスまで来て』
明らかに怪しいのだが、いちおう従うことにした。こういう誰か特定できない声に対して、下手な抵抗はしないほうがいい。それにしても、電話ボックスなんて行くのは久しぶりだ。少し迷っていると向こうから、
『今、どこ?』
と訊いてきた。素直に答えたら、とても丁寧に道を教えてもらえた。だからといって警戒心が解けるわけもない。
「あなたはだれ?」
その問いには、もちろん答えてもらえなかった。電話の相手はひたすら道順を告げ、私を待ちかまえている。
たどり着いた先の電話ボックスは、すでに使われていないのか、銀色の車のように電灯は点いていなかった。それでも人影がうっすらと見える。
「そこにいるのが、あなたか?」
『ええ』
ゆっくりと近づくと、ガラスの向こうに一人の女が立っていた。髪は長く、彼女が身じろぎするたびにサラサラ揺れる。身体を覆うのは大振りのコート。女性にしては背が高く、私とそう変わらないようだった。
「出てはこないのか?」
携帯に話しかけると、女性はその場から動かずにコクンと頷いた。髪のせいで顔がよく見えない。
「ここまで来させといて?」
責めるように言ったら相手がたじろいだ。先ほどから挙動不審で、何を考えているのかわかりやしない。
彼女はしばらく考え込むようにしてから、また携帯越しに声をかけてくる。
『手を合わせて……』
そうして、冷気のせいで曇ったガラスに手を這わせた。白く、骨ばった手のひら。触れた箇所から水滴がこぼれ落ちていく。
私は自分の手を彼女の手に合わせた。硬く、凍えるばかりの感触。ガラス一枚だけの距離が、二人を決定的なまでに引き離していた。
「冷たい」
文句を言ってみるが、彼女はすがるように懇願してくる。
『もう少しだけ。もう少しだけ、このままで』
あまりに必死にせがまれるので、しばらく私たちはそのままだった。夜も遅いために人は通らず、ただ夜風の冷たさが耳元をじんじんと冷えさせる。まるで、このまま二人一緒に凍ってしまおうとでも言うように、長い間、手を合わせていた。
でも、それも永遠には続かない。私達は手が真っ赤に染まると、どちらともなく手を離した。私は反対の手でかじかんだ手を温める。無意識のうちに震えてしまっていた。
相手もそれは同じだったようで、両手を擦りあわせて暖を取っている。その手のひらに携帯が挟まっており、液晶がぼんやりと灯った。
「あなたは、だれ?」
私は再度問いかける。彼女はうつむいて、首を横に振るだけだった。かぼそい声で言われる。
『もう行って……』
一方的に呼び出しておいて、随分と勝手だとは思った。文句の一つでも言おうとした。
それなのに、彼女があんまり切実な物言いをするので素直に聞き入れた。背中を見せると、できるだけ早くその場から立ち去ろうとした。夜風が身を切るように冷たかった。
電話ボックスから大分離れてから、後ろを振り返る。ちょうど彼女が帰ろうとしているところが見えた。彼女の長い髪がふわりと浮き上がって、私の心をくすぐる。
このまま帰るのは、何となく、もったいない気もした。昔からの優柔不断な性分が私を引き留めていた。
その間に、彼女は夜の闇と同化した。
***
静は夕月から殴られて育った。おそらく夕月は私が静に過去の彼女を重ねていたことに感づいていた。それだけが理由ではないだろうが、彼女は毎日のように静を殴り続け、身体じゅうに痣をつくらせた。それを私は全てが済んだ後に知らされた。彼の祖母によって。
気づくのが遅くなったのは、静が私に身体を見せなかったからだ。夕月は服に隠れて見えないところだけを狙っていた。何度も言うが、私は彼に指一本触れちゃいない。着替えの間も常に後ろを向かされていた。だから気づけなかった。そして静はあの屋敷を出た。夏の日差しが溢れる、あの場所から消え去った。
それで、私は落ち込んだか? 最初はこの世の終わりだと思った。死んでしまおうとも考えた。しかし、人は悲劇的な状況すら慣れるものでいつか感覚が麻痺した。
静との思い出は彼方へと薄らぎ、平穏な生活に戻っていったのだ。彼がどうやって暮らしているのか、そんな心配すら心の隅に追いやって。
私はそういう人間だ。苦しみから逃れるため、危険な場所は避ける。それが危険だということすら忘れる。そうしなければ、きっと、生きてはいけなかった。これからだってそうだ。私は自分が最悪な人間だと言い聞かせながらも、ただぼんやりと生きていくに違いない。
それは、まるで足が宙に浮いたような生き方だ。危険というぬかるみに足を取られぬよう、自分は別の世界にいると思いこむ。そうすることで周囲と自分を遮断できる。心を痛めなくても生きていける。
だから私は――夕月と静、二人のことを……見捨てることができたんだ。