王子と幼なじみである大臣の娘。
彼女が見合いをすると知った王子。
自分が候補に入っていないことに気づく。

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幼なじみの王子は、私のために王冠を奪った

登場人物

 

 

 

ワカモレ王子(16)

 快活でちょっと鈍感な第二王子。民の人気は高いが、恋愛には疎い。

 幼なじみであるリアに、ずっと「一緒にいるのが当たり前」と思っていた。

 

 

リア・ポソレ(16)

 宰相の娘。王子の学友かつ幼なじみ。しっかり者で、ワカモレの世話を焼くのが日課。

 淡い恋心を隠していたが、縁談の話が来て、自分の気持ちにケリをつけようとする。

 

 

 

 

 

 ケサディーヤ朝モレソース王国、王都セビーチェ。

 昼下がりの中庭。王宮の緑がきらめき、噴水の音がさざめく。

 ワカモレ王子は、ベンチに腰をかけたリアの隣に当然のように座っていた。

「ねえリア、最近ちょっと痩せた?」

「……またそうやって、軽いことばっかり言って。お菓子の食べ過ぎは控えてるだけ」

 ふっと笑いながらも、リアは目線を本に戻す。

 だが次の瞬間、ふとももからお尻にかけて、ふわっとした感触が走った。

「っ! ちょ、ワカモレ殿下!? いま、お尻触ったでしょ!」

「え? ……触ってないよ? ちょっと手が滑っただけかも」

 悪びれもせず肩をすくめる王子に、リアの頬がかぁっと染まる。

「滑ったのは手じゃなくて頭でしょ! セクハラ禁止! 教育係に言いつけるから!」

 リアはぴしゃりと手の甲を軽く叩きながら、怒ったような、けれどどこか呆れた笑みを浮かべた。

「それに……私、今度お見合いなの。そういう、軽はずみなこと、本当に困るんだから」

「……お見合い?」

 その一言でワカモレの笑みがすうっと引いていくのを、リアは見逃さなかった。

「うん。父様がいろいろ候補を立ててきてね。国のためにもって。ほら、私って大臣の娘だから」

「へぇ……そうなんだ」

 口元だけ笑って、視線が少し泳ぐ王子。

 いつもみたいに茶化してくるかと思いきや、それ以上何も言わず、ただ黙った。

 リアはページをめくる手を止め、ちらとその横顔を盗み見る。

 ほんの少しだけ胸の奥が痛んだ。

(……どうして今、そんな顔するのよ)

 沈黙が少しだけ流れる。

 リアはわざとらしく咳払いをして、話題を軽くしようとした。

「まあ、殿下みたいにちゃんと婚約者が決まってるわけじゃないからね、私は」

 さらっと言ったつもりだった。

 けれど、自分の声がほんの少しだけ震えていたのに気づいて、胸の奥がまた少しだけ軋んだ。

 ワカモレは驚いたように目を丸くした。

「……決まってないよ、俺」

「は?」

 思わず聞き返したリアに、ワカモレは不服そうに眉をひそめる。

「第一王子ならいざ知らず、俺は第二だし。好き勝手してるって、よく言われるしさ。だから誰かとの婚約話なんて、ぜんぜん出てない」

「……そう、なの?」

 チレ・レジェーノ公爵令嬢やエンチラーダ子爵令嬢が相手だと噂に聴いていた。

「うん。チレ嬢か。彼女は確か⋯⋯宮廷で妙な噂があるだろう? なんだかメイドのナミを異常に可愛がっているとか。結婚の話が面倒なことになりそうだ、と父上が言っていた。……まあ、もし誰かを選ぶとしたら、って考えたことはあるけど」

 ワカモレはそう言いながら、ちらりとリアに視線を向けた。

 だが、彼女はそれに気づかず、膝の上で指を組んでいた。

「……リアの親父さん、見る目あるからさ。いい人紹介してくれるんだろ」

「それって慰め?」

 リアはふっと笑って、立ち上がった。

 風がそっとスカートを揺らす。

「じゃあ、そろそろ行くね。

今日は午後から、チャモヤダ侯爵家のご令息タマル様とお話があるの。父様が同席するから、逃げられそうにないし」

「……そっか。タマルか」

 排除という考えが一瞬、ワカモレの脳裏に浮かんだ。

「変な噂が立つから、王子とふたりっきりってのも、もう難しいかもね」

 冗談っぽく笑って、リアは軽く会釈をした。

「セクハラは、今日で最後ってことで。じゃあね、殿下」

 ワカモレは言葉を返せなかった。

 リアの背中を見送るだけだった。

 胸の奥に、名もないざらついた感情が、ゆっくりと沈んでいった。

 老僕の侍従、カルネ・アサーダが殿下、よろしいのですかと伺ってきた。

「よろしいも、よろしく無いもあるか。彼女が決める事だ」

 しかしワカモレの顔色は暗い。

「殿下。お言葉ですが、やらないよりはやったほうが影響を与えます。何事も行動に移るのが遅いという事はありません」

 ワカモレは顔をあげた。

「そう思うか」

 信頼する侍従の言葉に、ワカモレは動き出した。

 

 

 

 

 午後の陽射しが傾きはじめる頃、リアは見合いの会場からひとり帰ってきた。

 庭園の小道にさしかかったところで、不意に背後から名を呼ばれる。

「リア!」

 振り向けば、ワカモレが息を切らして駆けてくる。

 整った王族の顔に、珍しく焦りが滲んでいた。

「ちょっと……殿下? どうしたの? 走ってくるなんて……」

「……さっきの見合い、どうだった?」

 唐突な質問にリアは少しだけ眉をひそめる。

「別に、普通よ。お互いまあご縁があればって感じ。よくある話」

「……リア」

 ワカモレの声が少しだけ掠れる。

「俺じゃ、だめだったのか?」

 その問いにリアの目が見開かれる。

 けれどすぐに、ふぅっと深く息を吐いて、呆れたように笑った。

「だめだよ」

「……やっぱり、そうか」

「そりゃそうでしょ」

 リアは一歩近づき、じっと彼の顔を見た。

「だって、公共の場で、何の前触れもなく裾に手を入れて、お尻とか太ももとか揉んでくるヤバいセクハラ王子なんて、だれが結婚相手にしたいって思うのよ?」

 ぐさりと突き刺さるリアルな正論に、ワカモレは顔を赤くする。

「そ、それは……なんというか、つい……!」

「ついで触られたこっちの身にもなってください」

「……っ、でも俺は……リアのこと、ずっと……」

 言葉に詰まる彼に、リアは少しだけ表情をゆるめた。

「ねえ、殿下」

「……なに?」

「本当に、私を大事だと思ってるなら。私の気持ち、ちゃんと尊重して。からかったり、誤魔化したりしないで。王子としてじゃなくて、ひとりの男として私を見てほしい」

 ワカモレはその言葉に、まっすぐリアの目を見る。

 けれどそこに返す言葉は、まだ持っていなかった。

 その沈黙の中で、リアはそっと微笑んだ。

「じゃあね。私、着替えてくる。お母様、きっと今日の話聞きたがってるだろうし」

 そして踵を返す。

 彼女の背が遠ざかろうとする。

 ワカモレの心の中で、これまでの関係に戻れない予感だけが強くなっていった。

 リアは数歩、歩きかけた足をふと止めた。

 そして振り返らずに、その場に立ったまま小さく呟いた。

「――――どうしても私が欲しいなら、王位ぐらい奪ってみせてよ」

 ワカモレは息を呑んだ。

「……リア?」

 彼女はゆっくりと振り返り、いつもの穏やかな微笑とは違う、どこか試すような瞳で彼を見つめていた。

「王子の気まぐれじゃ、誰も私を守れないの。殿下の遊びに付き合えるほど、私は器用じゃないんだよ」

 ワカモレは言葉を失う。

 彼の立場と彼女の立場。

 未来を決める重みが違うことを、今初めて突きつけられたような気がした。

「欲しいって言うなら全部捨てて、それでも私に来て。……それができないなら、せめてもう触れないで」

 そう言い残しリアは歩き出す。

 今回は振り返らなかった。

 ワカモレの胸に残ったのは、彼女の言葉とその背中の余韻だけだった。

 

 

 

  

 リアが去った夜、王子の私室は静かだった。

 灯火が揺れる書き机の前で、ワカモレはじっと地図を見つめていた。

 北はフリホーレス王国、南は港湾都市同盟、西は諸侯の半独立領、東は宗教都市。

 その中央に王都セビーチェとモレソース王国がある。

 ただの幼なじみの一言が、この国全体を違う色に見せていた。

「……王位ぐらい奪ってみせてよ」

 その挑発は、軽い冗談のはずだった。

 しかし彼には刃のように突き刺さり、頭から離れなかった。

 机の向こう、老侍従カルネ・アサーダが茶を置く。

「殿下、お考えはお決まりですか」

「……兄上が王になれば、リアは政略結婚の駒になる。それだけは避けたい」

「であれば、奪うほかございませんな」

 ワカモレは視線を上げる。

「父上はまだ健在だ。正面からではなく、流れを作る」

「陛下は老齢で、第一王子派の宰相と枢密院に依存されております。そこを突けば……」

 数日後。

 ワカモレはまず近衛軍と憲兵の司令官に接触した。

 ピコ・デ・ガヨ近衛中将、アル・パストール憲兵少将。彼らは古参の将軍で、第一王子の無能を嫌っていた。

「殿下、軍は忠義を重んじます。ですが……その忠義を捧げるに値する主を選ぶ権利はあります」

 その言葉は暗黙の同意だった。

 続いて、主要諸侯家の若手を王宮の狩猟会に招いた。

 そこで彼は兄の外交失策と贅沢三昧を、事実だけで静かに語った。

 派手な非難はせず、数字と記録を並べる。

「このままでは冬の税収は減り、北の防備は手薄になる」

 沈黙の中、誰もがそれを否定できなかった。

 そして最後に行ったのが、王妃の私室。

 ワカモレはあえて母クルダを訪ねた。

「……母上。俺は、リアを妻に迎えたい」

 王妃は微笑むが、その奥の瞳は鋭かった。

「第二王子の立場で宰相の娘を娶る? 相手の立場は難しい事になるでしょうね」

「だからこそ、俺が王になる」

 王妃はティーカップを置き、少しだけ笑った。

「――――いいわ。王位を奪いなさい。陛下はあなたを嫌ってはいない。ただマリアッチ、第一王子を表向き優先しているだけ」

 彼女は机の引き出しから、王印の写しを取り出した。

「枢密院の臨時会議を開くための召集状。陛下の署名は私が用意する。あなたが軍と諸侯を掌握した時、それを使いなさい」

 動きは早かった。

 王都で第一王子派が進めていた新税法案は、市場の商人たちの反発を招き、暴動寸前となっていた。

 その混乱の最中、近衛軍は「陛下の安全確保」の名目で王宮を封鎖。

 同時にワカモレに同調する諸侯が、議会を包囲し枢密院を臨時召集した。

 玉座の間。

 高齢の国王ペスカードは、息子たちの前に立っていた。

「……マリアッチ、お前の政務には失望した。王都の混乱も、北境の不安も、お前の責だ」

 兄は蒼白になり、振り返って支持者を求めたが誰も目を合わせなかった。

 国王は深く息を吐き、ワカモレに視線を向けた。

「ワカモレ。お前はこの場を作り、私の退位を迫るつもりか」

「……はい。父上。国を守るため、リアを守るために」

 その名を口にした瞬間、王妃がわずかに微笑んだ。

 しばし沈黙が流れた後、国王は立ち上がり、王冠を外した。

「ならば譲ろう。ただし――――国を滅ぼすな」

 冠が差し出され、膝をついたワカモレがそれを受け取った。

「王命に基づき、第二王子ワカモレ殿下を臨時摂政に任ず」との勅書が枢密院で朗読された瞬間、全ての力学が反転した。

 誰も流血を望まなかった。ただ、王印が押された公文書一枚が玉座の所在を決めたのだ。

 こうして、表向きは円満な政権移譲、実態は諸侯・軍部・王妃の同盟による無血クーデターが成立した。

 第一王子マリアッチは外交研修の名で隣国の離宮に送られ、実質的な軟禁。

 王都は静かに、新しい王の誕生を祝う鐘の音に包まれていた。

 ワカモレは即位式の前夜、王冠を前にして一人呟いた。

「……王になった。あとは、お前に見せるだけだ」

 

 

 

 

 王宮の中庭。

 かつてリアと何気ない日々を過ごしたあの場所に、再びワカモレは立っていた。

 彼の服は、王子の礼服ではなく、即位直後の新王としての礼装。

 胸元の金刺繍が、陽光を受けて輝いている。

 やがて小道の向こうからリアが姿を現した。

 彼女はどこか緊張した面持ちで近づき、止まる。

 そこには、もはや軽口を叩くだけの幼なじみではなく、国を動かす男としての風格をまとった彼がいた。

「……ほんとに、やったのね」

 リアの声には驚きと、少しの震え、そして信じたくないという戸惑いが混ざっていた。

 ワカモレは、ふっと笑った。

「やったよ。無血クーデターってやつだな。兄上は国外の離宮に丁重にご静養いただいてる。諸侯も、文官も、軍も、俺に付いた。父上は……まあ、俺の説得には根負けしたみたいだ」

 彼女は目を見開く。

「本当に……王になったの……?」

「ああ。お前の一言で、火がついたんだ」

 ワカモレは、ゆっくりと彼女に近づく。

 その目は、どこまでも真剣だった。

「王になってみせろって言っただろ? だからなった。これでもう、気まぐれな王子じゃない。俺は――――お前を選ぶ覚悟を持った男になった」

 リアの喉が、ごくんと鳴った。

「……それ、まさか」

「そうだよ」

 彼は彼女の目の前に跪き、微笑んだ。

「リア・ポソレ。俺の妃になってくれ」

 リアは震える唇を押さえ、視線をそらす。

「……ほんと、バカなんだから」

 その声は泣きそうに笑っていた。

 ワカモレの前で、リアはそっと首を振った。

 涙は落ちない。でも今にもこぼれそうな瞳で彼を見つめていた。

「……どうして、そこまでしたの?」

 問いかけは責めるものではなかった。

 ただ、あまりにも眩しすぎるその結果に、心が追いついていないだけだった。

 ワカモレは、短く息を吐いた。

「だって、お前が――――」

「言ったよ、確かに。王位ぐらい奪ってみてって。でもね、あれは……」

 リアの声が、かすかに震える。

「私、本当は……一緒に駆け落ちしてくれるだけで、よかったんだよ……」

 沈黙が降る。

 中庭の噴水の音だけが水面を叩いていた。

「身分なんかどうでもよかった。名前も、肩書きもいらなかった。ただ、貴方と一緒にいられれば、それだけで――――」

 リアは俯き拳を握る。

「王になってみせたって言われて、嬉しいよ。誇らしい。……でも、私のために全部背負ってしまった貴方を、どうしても――――」

 その先の言葉は、うまく続かなかった。

 ワカモレは笑った。一歩近づき、彼女の肩にそっと手を置いた。

 そして静かに言う。

「……俺が王になったのは、逃げないためだ。だが、逃げる者もいる。チレ・レジェーノ公爵令嬢は、公爵の意に反して、メイドのナミと国境を越えたそうだ。マリアッチ兄上の混乱に乗じて、身分も財産も捨てて。お前が望んだ道を彼女は選んだ。……駆け落ちでも、きっと俺は幸せだった。でも、逃げないって決めたんだ。お前と未来を作るなら、堂々と国ごと背負ってみせようって」

 リアの肩がわずかに震える。

「だから今度は、俺のそばで逃げるなよ。王妃としてとかじゃなくて、俺の隣にいてくれ。リア」

 リアは、しばらく沈黙してからまた言った。

「やっぱり……ほんと、バカなんだから」

 だけどその声は、たしかに笑っていた。

 沈黙の中、風がそっとリアの髪を揺らした。

 ワカモレは黙って彼女の肩に手を置いたまま何も言わず待っていた。

 その静けさが、リアの胸をしめつける。

 彼は本当に何も責めなかった。

 すべてを投げ出して、国を背負って、ただ彼女の言葉を待っていた。

 リアは小さく息を吸い込み、口を開いた。

「……ごめんなさい」

 その一言は、ずっと押し込めていた想いのすべてだった。

「勝手に突き放して、傷つけて、試すようなことを言って……本当は、あんな言葉……言いたくなかったのに」

 ワカモレの目が、わずかに揺れた。

「それでも、貴方は全部受け止めて、全部、叶えてくれた。……だから」

 リアは、一歩、そして、もう一歩近づいた。

「ありがとう。私のこと、こんなにも、まっすぐに……」

 次の瞬間、リアは勢いよく彼の胸に飛び込んだ。

 ワカモレは驚いたが、すぐにその細い体をしっかりと抱きしめた。

 彼女の頬が、彼の胸にあたたかく押しつけられる。

 ワカモレは微笑んで、小さく囁いた。

「……やっと捕まえた」

「もう逃げないよ。王様」

「……じゃあ、名前で呼べ」

「……ワカモレ」

 そう呼ばれた瞬間、彼の中で何かがほどけるような気がした。

 中庭の噴水が、きらきらと午後の光を跳ね返していた。

 王と王妃。でもそれ以前に、一人の男と一人の女として。

 ふたりはようやく、ほんとうに繋がったのだった。

 ――――そして、物語は静かに幕を閉じる。

 ハッピーエンドのはずだ。

 ワカモレはリアをその腕に抱きしめたまま、そっと目を閉じた。

 騒がしく、激しく、痛みすら伴った道のりだった。

 それでも今、この瞬間だけは、すべてが報われたと感じていた。

「……国王としてじゃなくていい。ただ、お前の隣にいたかった」

 胸元に顔を埋めたまま、リアはくすりと笑った。

 そして、彼の胸に指を立て、いたずらっぽく囁く。

「――――ううん、違うよ」

 ワカモレが戸惑って顔を上げかけたそのとき、リアはまっすぐにその瞳を見つめて、優しく静かに言った。

「私の陛下」

 その声は、誓いの言葉よりも甘く、戴冠の儀よりも荘厳で、何より彼の心の奥底に響いた。

 ワカモレは笑い、そっと彼女の額に口づけを落とした。

 そして、ふたりの物語は、ここに至ってようやく始まった。

 ワカモレはリアをそっと抱きながら、そのぬくもりが、ようやく自分のものになったという実感に変わっていく。

 腕の中の彼女は、小さな動物のように胸元に顔を埋め、しばらくじっとしていた。

 鼓動がふたつ、重なるように伝わる。

「……なぁ、リア。俺は昔から、お前に惚れてたんだよ」

 彼女は小さく肩を揺らして、くすっと笑う。

「ふふ……言うの、遅いよ。もう、ぜんぶ奪っておいて、今さらそんなこと言うなんて、ずるいんだから」

 そして、顔を上げると、まっすぐにワカモレの目を見つめた。

「でもね――――もう、何もいらない。この腕の中にいさせてくれるなら、それで全部足りちゃうの」

 ワカモレの心臓が、どくんと跳ねた。

 そのとき、リアは両手で彼の頬をそっと包んで、

 ほんのすこし背伸びして、唇が触れるくらいの距離で囁いた。

「……愛してるよ。ずっと」

 その声は、風よりも優しく、光よりもあたたかくて、ワカモレのすべてを溶かしてしまいそうだった。

「もう誰にも渡さないから。絶対に、ずっと、私の陛下でいてね?」

 ワカモレは微笑んで、彼女の額にキスを落とした。

「じゃあ、君もずっと……俺だけの女王でいて」

 ふたりはそのまま額を寄せ合い、誰にも邪魔されない世界に沈んでいくはずだった。

 王も、王妃も、国も、未来も、全部、この愛の延長線上にあった。

 そして、物語は静かに甘く、幸せという名の始まりへと続いていくはずだった。

 ワカモレの言葉を聴いた瞬間、リアはぴたりと動きを止めた。

 次の瞬間、ぷっと吹き出して思いきり、彼の額を指でつついた。

「……いやいやいや、女王はちゃうやろ!」

「えっ?」

「王はあんたや! 私は王妃! しかも大臣の娘出身! つい最近までただの貴族令嬢! 何言ってんの!」

 思いがけないリアの全力ツッコミに、ワカモレは目を丸くした。

「え、なんか……ロマンチックな流れだったからつい……」

「そのついで国政進めるつもり!? こわすぎでしょ我が国!」

 リアは両手を腰に当て、ぷんすかと頬を膨らませた。

 けれど、その頬はすぐに赤くなって、目元も緩んでいく。

「……もう。そういうとこ、嫌いじゃないけど」

「じゃあ直さなくていい?」

「ええんやで。……しばらくは許す。王様」

 そう言って彼の胸に再び抱きつきながら、耳元でそっと囁いた。

「でも私の陛下は、撤回しないから。だって、それは私だけの特権でしょ?」

 ワカモレは、たまらず彼女を抱きしめた。

「うん。俺も、お前だけの王様になる」

 ふたりの声は風に溶けて、

 やがて中庭に咲いた花たちのように、やさしく揺れていた。

 

 

 

 

 即位から半年。ワカモレの治世は、諸侯の支持を盤石にし、税制改革や地方民兵の再編、各都市への巡察など、表向きはどこまでも公正で穏やかだった。

 ――――しかし。

 夜毎、王都の奥では、密やかに声なき声が消えていた。

「反王派の貴族五家、旧王派の一部文官、王位継承を覆そうとした神殿内の高司祭、民衆を煽動した匿名の印刷者……」

 報告書を読み上げる近衛司令官に、ワカモレは頷くだけで応じる。

 目には一切の感情がない。

「……今後の動きは?」

「混乱は収束しつつあります。世論操作は宮廷詩人と巡察官が協調しており、すべて自然死もしくは国外逃亡で処理可能です」

「必要なら、災厄のせいにしてもいい。だが見せしめではなく、気づかれぬ整理で頼む。不安を掻き立てる統治は、つまらない支配者のやることだ」

「……御意にございます、陛下」

 やがて司令官が去ると、ワカモレは静かに目を閉じた。

「……誰も死なせたくなかったのにな」

 そんな独白を背に、扉が静かに開いた。

「陛下?」

 リアだった。

 薄絹の夜衣をまとい、髪を下ろしたまま、心配そうに彼を見つめていた。

「ごめん、起こした?」

「……ううん。なんか、ちょっと寒くて。……あなたが、遠くにいる気がした」

 ワカモレは立ち上がり、彼女の肩をそっと抱いた。

「……大丈夫。全部終わったよ。夜の霧も、もう晴れる」

「うん。……でも」

 リアは胸に額を預けながら、ぽつりと呟いた。

「本当の霧は、あなたの心に降ってない?」

 その問いに、ワカモレは小さく笑った。

「お前がいれば、俺の夜は明けるよ。――――だから、ずっと、そばにいてくれ。リア」

「……はい、陛下」

 その声は、ひときわあたたかくて、やさしかった。

 

 

 

  

 秋の終わり、王都北門に急報が届いた。

 隣国フリホーレスの国境線を越えて、第一王子の兄マリアッチを担ぎ上げる第一王子派が帰還した。

 その背後には、隣国正規軍の旗と補給段列。

 彼らはマリアッチの正統な王位継承者の名を掲げ、進軍してくる。

 報告を受けた執務室で、ワカモレは淡々と命じた。

「参謀本部、作戦会議を即時招集。……兄は生かして帰さない」

 各諸侯は王命に応じて武装民兵を供出し、総計2万の兵が七日でフラウタス河へ進発した。

 王都の徴発部は夜を徹して野戦食糧と馬匹の補給を整え、国庫は半年分の戦費支出を即決していた。

 集まった将官たちに、王は現状を一枚の地図で示した。

 

 

 

1. 状況判断

 

 

 敵:賊軍は隣国の全面的支援を受け、第一王子マリアッチの正統継承を名目に侵攻。主力はフリホーレス正規軍1個軍団(歩兵3個師団、騎兵2個旅団、野戦砲兵1個連隊)、補給線は隣国首都ペピアンからの陸路依存。

 王都奪取後に傀儡政権を樹立する意図が明確。政治的正当性を宣伝戦で拡散中。

 

 

 我:王国正規軍:歩兵2個師団、機動打撃兵力として近衛騎兵1個旅団。

 王都近郊に要塞化済の防衛線ウイトラコチェ線。

 予備兵力:王都防衛義勇兵団1個旅団(都市戦対応)、砲兵2個大隊。

 国内治安は安定、諸侯の支持により徴発可能な兵站網あり。

 

 

 地形・気象:王都北方はノパル丘陵と河川地帯、防御に有利。冬季前で天候は安定、夜間作戦可。

 

 

  

2. 任務分析

 

 

 目的:王都防衛および賊軍の壊滅、隣国の介入意志の喪失。

 目標:敵の機動戦力(騎兵)と砲兵の無力化、補給線断絶による作戦持続能力の喪失。

 制約条件:王都被害の最小化、民間人避難の確保、隣国との全面戦争化回避。

 

 

  

3. 行動方針案出の糸口となる行動

 

 

 前線防御ではなく戦略防御+機動反撃。

 偽の戦力配置と通信欺瞞で、敵を予測進路に誘導。

 主決戦は王都北方フラウタス河渡河地点。

 

 

 

4. 主決戦方面の決定

 

 

 北方防衛線(フラウタス河沿い)での迎撃戦を主決戦とする。

 河川障害と事前設置した浮橋破壊装置を活用、敵の渡河部隊を分断殲滅。

 

 

 

5. 戦闘展開方式の決定

 

 

 第一段階:前衛騎兵と散兵隊による敵主力誘引、河川沿いに集結させる。

 第二段階:砲兵による集中砲撃で橋梁破壊、敵先鋒孤立化。

 第三段階:近衛旅団による側面突撃、残存兵力を河岸に追い込み殲滅。

 第四段階:追撃部隊により敵後方補給拠点を制圧、退路遮断。

 

 

 

6. 撃破目標の選定と前提条件

 

 

 最優先:敵砲兵と騎兵旅団。

 次優先:渡河拠点確保中の歩兵師団。

 前提条件:敵補給線遮断および隣国内の政治混乱の誘発。

 

 

 

7. 戦力配分

 

 

 前衛防御:歩兵1個師団+砲兵1個大隊。

 機動打撃:近衛騎兵旅団+義勇兵団(都市予備)。

 予備兵力:歩兵1個師団+砲兵1個大隊を王都西方丘陵に配置。

 

 

 

8. 敵の可能行動と採用公算順位

 

 

 1. 北方フラウタス河川からの正面突破(高)。

 2. 東方山道、ウェボス・ランチェロス経由の迂回(中)。

 3. 南方港湾ソバ・デ・リマからの奇襲上陸(低)。

 

 

 

9. 我が行動方針

 

 

 主行動:北方フラウタス河川での決戦防御後、機動打撃による殲滅。

 支作戦:東方山道ウェボス・ランチェロスの封鎖(軽歩兵連隊配置)、南ソバ・デ・リマ港監視(沿岸警備隊強化)。

 

 

 

10. 企図の秘匿と欺瞞

 

 

 前線部隊に偽装退却命令を発令、敵を渡河に誘導。

 偽の補給拠点を東方山道ウェボス・ランチェロスに設置、敵迂回部隊を誘引。

 

 

 

11. 速度の発揮

 

  渡河破壊と同時に騎兵突撃開始、48時間以内に敵先鋒壊滅を目標。

 

 

 

12. 総合的結論

 

 

 主攻:北方河川での集中殲滅戦。

 支攻:東方迂回阻止、補給線断絶。

 理由:短期決戦で敵戦意と隣国支援意志を削ぐため。

 

 

 

 彼は全軍の配置を読み上げながら、最後に低く言った。

「決戦はここだ。奴らをフラウタス河の中で屠る。補給路は断ち、退路は消す」

 翌日、北方防衛線は整った。

 敵先鋒が渡河にかかる瞬間、砲兵の斉射が河面を揺らし、仮橋を粉砕する。

 水しぶきと悲鳴の中、孤立した敵師団に近衛騎兵が突撃した。

 橋梁は大河に呑まれ、敵騎兵は半ば水没しながら混乱。

 丘陵の裏手から近衛旅団が突進した。伝令旗三本が揚がる―――これは突撃の合図だった。

 鋼の蹄が地を穿ち、槍が甲冑を貫く。

 丘陵からの側面砲撃が、敵の士気を完全に砕いた。

 三日目の夕刻、敵軍は潰走。

 兄マリアッチは近衛兵に包囲され、降伏を迫られた。

 ワカモレは馬上からその姿を見下ろす。

 血の気を失った兄の眼には、かつての傲慢はなかった。

「……生きていれば、また駒にされるな」

 誰にも聞こえぬ声で呟き、視線を合図に変える。

 次の瞬間、矢が飛び、兄は沈黙した。

 公式発表では戦闘中の流れ矢による戦死。

 戦場での荼毘、墓標もなく、ただ野心から復権を目指し、野望のため殉じた者と記録された。

 フラウタス平原の戦死者名簿は、すべて戦務局が編纂した。名の横には、王印の朱が押される。

 誰もそれが事実なのか尋ねなかった。記録こそが真実であり、陛下の沈黙が裁定だった。

 だが戦は終わらない。

 フリホーレス側は、なおも黙して謝罪せず、援軍撤退も遅延させていた。

「ならば、学ばせてやる」

 王は軍に密命を下した。

 

 

 

1. 兄王派残党処理

 

 

 主決戦にて兄マリアッチは戦闘中に戦死したこととして公式発表。

 実際には捕縛後、密かに処分。死因は流れ矢による致命傷と記録。

 遺体は戦場で荼毘に付し、墓標は建てず、賊軍の首魁として公報。

 これにより王国内でのマリアッチ派の正統性は消滅。

 

 

 

2. 隣国フリホーレスへの要求

 

 

 謝罪要求:正統継承を名目とした越境軍事行動について、公式謝罪を要求。

 賠償要求:戦費・被害補償金・捕虜送還費用の全額支払いを請求。期限内に履行されない場合、報復作戦継続を明言。

 

 

 

3. 報復越境作戦

 

 

 目的:隣国軍の戦力低下と国境地帯における影響力の排除、敵国内政の不安定化。

 手段:国境地帯での機動打撃部隊による夜襲・火力支援行動。

 交易路・補給路の寸断、駐屯地への継続砲撃。

 工作員による要人暗殺、反政府勢力への資金供与。

 停戦条件:隣国側の謝罪・賠償履行まで。

 政治効果:隣国内での戦費負担と被害による政権批判を誘発。

 

 

 

4. 作戦の特徴

 

 

 公には国境警備強化として発表。

 実態はフリホーレスへの限定攻撃を伴う持続的軍事圧力。

 作戦部隊は少数精鋭を運用、速攻・撤退を徹底して戦果を宣伝材料化。

 王国軍の戦意高揚と、諸侯への求心力維持に寄与。 

 

 

 

 

 夜陰に紛れた騎兵の越境夜襲。交易路の焼き払い。策源地である補給拠点の砲撃。

 そして敵後方に潜り込む影が、要人を一人ずつ消していった。

 実態は、隣国が謝罪と賠償を履行するまで続く、静かで執拗な報復だった。

 王城の高窓から、ワカモレは遠く北の山並みを見つめる。

 冷たい風が吹く中、背後からそっとリアが近づき、肩に触れた。

「……おかえり、陛下」

「ただいま。……全部、終わらせるまでは、まだ帰ってきたとは言えない」

「ふふ、じゃあ私が、ちゃんと帰らせてあげる」

 彼女の言葉に、ワカモレは初めて、戦場で見せぬ柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 どっとはらい。


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