いや、でもちょっと待って。何か言いたいことがあるみたいですよ。
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ゴールインしたインシルカスラムは、急ブレーキをかけるように減速すると。
「ハァ……ゼェ……よっしゃ……!」
案の定、観客に手を振る余裕なく、膝をついて四つん這いになって激しく息をする。
だが、勝ったのは分かった。
随分前から、ガルディアコダンを追い抜いて、テンカバスターとフルセイルサルートもやってこなかった。
誰もいない最高の景色だった。
もし今、"目覚まし時計"があったならゴールイン直前の瞬間に戻ってあの景色を何度だって味わいたい。
インシルカスラムは、長い時間をかけて息を整えると、立ち上がり、片手で乱暴にオレンジ色のロングヘアをかき上げる。
掲示板はⅠ:13、Ⅱ:6、Ⅲ:2、Ⅳ:9と掲示板が続いて、確定ランプが点灯している。
インシルカスラムは頬をつねり、これが夢じゃないことを確認すると。
観客席のほうへ振り向いた。
「え、ちょ、なにこれ……」
みんな、泣いていた。
それこそ、インシルカスラムが若干引くくらいに。
「ありがとう、インシー……!私は、この場の実況者としていられて幸せです……!」
「素晴らしい戦いでした……、人生長生きするもんですね……!」
レース場に響く実況と観客すら涙声だ。
「ぐすっ……インシー!」
「おめでとう……!」
インシルカスラムが後ろを振り返ると。
なんと、後ろの着外になった名前だけは知ってるダートウマ娘ですら、インシルカスラムを祝福して泣いてくれていた。
「すごかったよインシー……っ!」
そして、テンカバスターもまた、涙を浮かべて拍手を送っていた。
「ってかちょっとーーー!!」
が、インシルカスラム本人は、泣きじゃくる周囲に盛大なツッコミをいれた。
「なんでみんなして泣いてんのさーーー!?」
大井レース場にいた全員が面食らう。
去年、故障によって無念のリタイアをしたインシルカスラムが、苦難を乗り越えて、今年こそ優勝を果たしたのだ。
これが泣かずにいられるか、とみんな口をそろえたくなったが。
「アタシが勝つの、そんな泣くことじゃないだろ!?」
インシルカスラムは自信満々に自分を叩いて指した。
そこまでして、ようやく一部のインシーファンが気づいた。
……どうやら、インシルカスラム本人にとっては、みんなに感動で泣いてほしくて東京大賞典を勝ったんじゃない。
みんなに、喜んでほしくて勝ったんだ。
「--そうだな!みんな!泣いてインシーを見送るなんてらしくないぞ!」
観客席のどこかからそんな声が聞こえた。
すると、だんだんと、拍手の音が大きく聞こえてくる。
「おめでとうインシー!」
「アンタが最強だ!日本一、いや世界一だ!」
「俺、インシーのおかげで人生変わったよ!」
そして口々に、インシーのG1、7勝目を祝福した。
ようやく、自分の思い通りになったインシルカスラムは満足げに鼻を鳴らすと。
観客席の左端を指さして。
大井レース場を走りながら、観客席を右へなぞっていく。
そして、右端までなぞり終えると。
ガッツポーズで喜びを表した。
「みんなー!来てくれてありがとなー!」
観客席からも、とてもとても大きな歓声が上がった。
と、その時。
インシルカスラムの後頭部を2つの手がパシンとはたいた。
「あいたっ」
1割くらいの軽いひっぱたきだったが、後ろを振り返るとガルディアコダンとフルセイルサルートがため息をついていた。
「お前、せっかくの感動ムード台無しにすんじゃねーよ」
「せっかく泣いてあげようと思ったのに涙引っ込んだわ」
「へっへへー、2人にも喜んでほしいんだけど?」
インシルカスラムは悪びれるそぶりすらなくニヤけると、ガルディアコダンとフルセイルサルートもインシルカスラムに拍手を送った。
「ああ、お前が最強だ、このオレが保証してやる!」
「インシーと過ごしたこの3年間は私の大事な思い出よ」
「ううっ……最高のレースを、ありがとうございました、森内さん……!」
関係者席もまた、トレーナーたちが涙を浮かべていた。
打出トレーナーは涙を流しつつ、森内トレーナーに頭を下げる。
「お前……最高のトレーナーだぜ!」
小原トレーナーも珍しく、涙声になりながら、森内トレーナーの肩を叩いた。
「ハハッ、ちっくしょー。結局全部負けちまいましたが、悔いはありませんよ」
藤正トレーナーは鼻をさすりながら、泣いていることを隠そうと必死に4人のウマ娘を見ていた。
そして森内トレーナーは。
四つん這いになって、地面に突っ伏していた。
もちろん、その地面を、号泣で濡らしていたことはいうまでもない。
「ありがとう、インシー……本当に、ありがとう……!!」
泣くほど感動のシーンだけど、泣いてほしかったわけじゃないんだ。
アタシのことは笑顔で称えて!いい?