インシルカスラムとオグリキャップはトレーニングに入る前に、かなり念入りなストレッチを行っている。
「お母さんから教えてもらったやり方なんだ。私は生まれた時、歩けないほど脚が悪かった、と聞いたことはあるか?」
「オグリも?意外、走ってるところ見ても全然そんなことなかったぞ?」
「このストレッチをやり続けたおかげかな。インシーも続ければ少しはケガのリスクを抑えられるかもしれない」
「だな、走り込むだけがトレーニングじゃないもんな!」
念入りなストレッチの後、オグリキャップとインシルカスラムはダートの練習場で併走を行っていく。
「(くっ、強いなオグリ!取りたいだけのリードは取らせてくれない……)」
速攻で逃げを打つインシルカスラムにいる後方のオグリキャップに3~4バ身の間隔は空いていない。
威圧感を常に出しながら後ろをついてきている。
今までインシルカスラムはダートにおいて基礎の強さで勝負していた。
だが今日の相手は芝ダート合わせても世界トップクラス。基礎の強さは逆にオグリキャップに大幅な有利がある。
「なら……小手先で!」
インシルカスラムはコーナーの始まりで外側からインコースに食い込むように入る。
そして、インコーナーを突きつつ、コーナーの終わりでまた外側にやや膨れるように曲がり方を緩やかにして走る。
レースにおいて曲がり方を緩やかにし、減速を最小限にするアウト・イン・アウトの走法だ。
正攻法が通用しなくても、インシルカスラムにはやれることがある。
……それでも。
オグリキャップは喰らう。
そのさらに大外を回って。
本来、外に膨らみすぎれば囲まれづらい代わりにそれだけ距離のロスが発生する。
だが、それを補ってなお有り余るスピードの差でインシルカスラムとのリードを消し飛ばし、あっという間に追い抜いていった。
「(そんなメチャクチャな方法アリかー!?)」
インシルカスラムも流石に驚きの表情を隠せない。
そのまま差はどんどんと開き、インシルカスラム奥の手の即時加速も歯が立たないほど突き放されてゴールイン。
非公式記録ながら、インシルカスラムは初めての黒星を経験することになってしまった。
「……ふぅ。お疲れ様。久しぶりにダートを走って懐かしい気持ちになれた。私もこれをきっかけに最近の不調から立ち直らないとな」
オグリキャップは余裕そうな表情で近くのクーラーボックスに入っているペットボトルを取り、遅れてゴールしてきて息切れしているインシルカスラムに振り向く。
「不調でこれかよ……」
「きっとアタシの後ろを走って追いつけなかった子たちの気持ちってこんな感じなんだろうな」と心の中で思いつつ、インシルカスラムもペットボトルをひったくってがぶ飲みした。
こちらもがぶ飲みして一瞬で空になったペットボトルを持て余しながら、オグリキャップはインシルカスラムのそばでしゃがむ。
「--去年の12月の終わりに、サルートと会ったんだ」
「サルートとオグリが?サルート、なんて言ってた?」
「『全日本ジュニア優駿、勝てなくてごめんなさい』と。泣きながら報告してくるから私もどうすればいいか困ったよ」
「あー……」
インシルカスラムは控室での出来事を思い出して目をそらす。
確かに「笠松に帰りたいって泣かしてやる!」と言ったが、まさか本当に悔し泣きしているとは。
普段は高圧的で喧嘩上等、控室でもパドックでもライブでも気丈な立ち振る舞いを欠かさなかったフルセイルサルートも……。
いや、だからこそ、ライバルに惜敗した悔しさは人一倍なのだろう。
「ほかに何か言ってた?」
「……『このままじゃ笠松のみんなに合わせる顔がない。必ずG1を獲ってから笠松に帰る』って」
「あー、それアタシも言われた。獲らせねーよ。もっかい、いや何回でも泣かしてやる」
「その意気だ。全力で相手してやってほしい」
オグリキャップは立ち上がり、ある方角を振り向く。
見据えているのは、方角的に中山レース場だろうか。
「(私も。今度こそは)」
「オグリキャップは5着」
去年の有馬記念でその実況の言葉をまだ覚えている人は多い。
今年の12月の一面記事に乗る物語は、また別の話。
続けていくのは、そんな輝かしい見出しの奥底にあったかもしれない物語の話。
実はオグリキャップVSインシルカスラムもやったことがあります。
負けました。