でも?
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「聞くよ、理由って?」
インシルカスラムはいつになく真剣な秋川理事長の表情を見てただ事ではない、と痛感する。
「アメリカのレースは日本と違い、多くのダートレースがある。その歴史はとてつもなく長い」
日本や海外に飛んでも欧州がメインな日本の中央トレセン学園ではピンとこないが、アメリカだとむしろダートG1のほうが多い。
例えばアメリカのクラシック3冠、ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスは全てダートレースだ。
そして、3つのレース全てが、創設から100年以上の歴史を持ち。
未曾有の大災害が起きようとも、大事件が起きようとも、果ては戦時中ですら欠かさず、アメリカ一を決めるために行われてきたレースだ。
世界から見れば、そのレースの権威は有馬記念やジャパンカップ、凱旋門賞などに匹敵……いや、それ以上かもしれない。
しかもその3つだけじゃない。
アメリカには西部開拓時代に創設されたり、起源をもつダートG1がほかにもゴロゴロある。
それらの栄冠を手にするため、アメリカのウマ娘はとてつもない練習を重ねているに違いない。
そんな路線で鍛え抜かれ、鎬を削りあったアメリカウマ娘から見たら。
整備を後回し、後回しにされまくった日本のチャチなダート路線など、呆れて乾いた笑いが出るだろう。
森内トレーナーは慌ててパソコンで海外のウマ娘のサイトを検索する。
アンベールはアメリカG1のフロリダダービー、ペガサスワールドカップで1着の他、UAEのドバイワールドカップでも1着。
ハイエストフェローはまさに先ほどのアメリカ3冠に位置するケンタッキーダービーとプリークネスステークスで2冠を取っている。
「そんな日本のダート界を潰しに来た、ということか?」
「うむ。しかし、アメリカでもトップクラスの2人が相手では……正直、他のウマ娘では手も足も出ないだろう……」
そこまで話すと、秋川理事長はすっと立ち上がり。扇子を置く。
そして、膝をつき、ゴンッ、という鈍い音を立てて森内トレーナーとインシルカスラムに向けて頭を地面につけ、精一杯の土下座をした。
森内トレーナーとインシルカスラムが「何してる!?頭を上げてくれ!」という前に秋川理事長は切り出す。
「頼むッ!インシー!君でなければ務まらないのだ!」
秋川理事長とて、ウマ娘の幸せ、健康を第一に考える理想の理事長だ。
インシルカスラムが連闘するリスクを分からないわけではあるまい。
しかし、それでも、出走を懇願するほどの理由があった。
「かつてより日本のダートは"ナメられてきた"!アメリカとは比べ物にならないほど貧弱な日本のダート路線など眼中にもされなかった……!」
自分の失態のように懺悔する秋川理事長だが、これは秋川理事長1人の力ではどうしようもない。
なにせ、アメリカは19世紀から荒野の大地を力強く駆けるウマ娘の育成に力を入れ、設立のためにカネも労力も大量につぎ込んできた。
起源をたどればイギリスの芝レースを参考にして作られていった日本とは考え方も違えば、置かれた環境も全然違う。
同レベルの路線を用意するのは到底無理な話だし、今から力を入れても付け焼刃にしかならない。
「私の先代、先々代はダートでは太刀打ちできないと諦め、芝に注力し、さらにダートの拡張は後手後手に回った……」
「しかしッ!それを、私の代で終わりにしたい!これが我々の落ち度なのも、君に無茶をさせようとしているのも承知の上だ!」
「それでもッ!」と理事長は頭を下げたまま懇願を続ける。
確かに、アメリカトップクラスのウマ娘を日本のウマ娘が倒すことができれば周囲や世界が日本のダート路線を見る目もだいぶ変わるだろう。
このチャンピオンズカップで日本勢の実力をみせることは、またとないチャンスだ。
「……あのさ。そんなにお願いされても、アタシはダートの拡張とか全然興味ないんだけど」
しかし、インシルカスラムはワールドベストウマ娘ランキングの雑誌を振りながら冷ややかに答えた。
秋川理事長には反論することができない。
ダート路線に力を入れなかった結果、残ったのがそういったことに興味のないウマ娘なのだから。
心の中で秋川理事長は「ダメか、仕方ない……無理強いはさせられない……」と諦めようとする。
「けどなぁ!」
すると急にインシルカスラムは怒声を含んでワールドベストウマ娘ランキングの雑誌を地面にたたきつけた。
「負けてナメられんのはまだいい!けどそのアンベールとかハイエストフェローとかいう奴らとアタシはレースしてないだろ!」
「アタシの実力も知らねーくせに、ナメられてたまるか!!」
その怒声は、チャンピオンズカップに出走するという意思表示だった。
「弱い」と呼ばれることはまだ我慢できる。
「"どうせ"弱い」と呼ばれることだけは我慢できない。