これ、後々の伏線になります。
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「この病院には、あなたのファンがたくさんいます。そして、私もその1人です」
「全日本ジュニア優駿、ジャパンダートダービー、南部杯、チャンピオンズカップ、テレビで見させていただきました。もちろん、東京大賞典もリアルタイムで……」
医者の口調が事務的なものから、熱心なファンのソレに変わる。
「えっ……アンタが……?」
それにうなだれていたインシルカスラムの顔が上がる。
「この病院には身体が弱く、闘病生活を送る患者さんがたくさんいらっしゃいます。そういった方からインシーさんについて聞きました」
「身体の弱かったウマ娘が元気になるどころか、砂埃の舞う辛いスポーツで戦い、そして圧倒的な強さでG1まで勝つ」
「こんなことができるのかと、あんなふうになれるんだと……希望と感動を、抱えきれないほど頂きました……!」
その言葉に、森内トレーナーは全日本ジュニア優駿の時に、インシルカスラムが言っていたことを思い出す。
"身体が弱くて、膝にサポーターがいるようなウマ娘だって、辛くて苦しいダートG1で勝てる。今日のレースでそう見せつけてやる!"
そうして、インシルカスラムは、ここまで3つのG1を手にした。
インシルカスラムのレースは、病院にいる者たちを確かに勇気づけていたのだ。
「私は!いえ、この病院の職員一同、あなたの快復を全力でサポートします!だから!」
数分前にお静かに、と自身が言ったことも忘れて、医者は声を大にしてインシルカスラムに詰め寄る。
「また走ってください!」
「こんなところで終わってしまったら、やはり病弱な者はこうなる運命なのか、と皆が希望を失ってしまいます!お願いです!」
医者はいつの間にか涙を浮かべてインシルカスラムに懇願していた。
インシルカスラムは、一気に入ってきた情報を受け止めきれない、という風にポカンとしていたが。
やがて、医者の懇願を理解すると、一度深呼吸する。
この空気と匂いは、インシルカスラムの人生の中で嫌になるほど感じてきた。
それこそ、プロフィールの苦手なことに病院、と書くくらいには。
「(……やっぱ、病院って"場所"は嫌いだな。何もさせてくれない場所なんだから)」
そう心の中で思ったわりには、インシルカスラムの顔には、少しだけ笑顔が戻っていた。
「(でも、病院にいる"人"たちのためなら、がんばってもいいかも)」
「……やるよ。どれだけかけても、アタシはまたレースに出る。トレーナー、いい?」
インシルカスラムは森内トレーナーに振り向いた。
ウマ娘の中には、シニア級に行くことなくレース人生を終える者もいる。
怪我をしたのに無理にシニア級に行くことはない。ここで区切りをつけ治療に専念する。という選択肢もインシルカスラムにはある。
だが、今の言葉を聞いて、その選択など選べるものか。
森内トレーナーは立ち上がり、医者に深々と頭を下げる。
「お願い致します!インシーを、もう一度レースに出させてください!」
医者は力強く頷いた。
「お任せください!必ず、インシーさんをレースの世界に戻します!」
こうして、今年の12月が終わろうとしていた。
インシルカスラムは、ベッドの上で、シニア級へ移行することになる。
ダートの世界はファンが少ない。
でも、決して0ではない。
インシルカスラムもまた、誰かの希望になっていた。