古の艦娘達 ~ともあれ深海棲艦は滅ぼさなければならぬ~   作:centurio_P

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後半でちょっと路線を変えたのですが、それに合わせて文を再構成するのにえらい時間がかかってしまった。

危うく三日坊主ならぬ三話坊主になるところでした。


第四話 艦娘の聖居

――西地中海 カルタゴ市街 艦娘の聖居への道

 

 

 太陽のシャマシュ神が水平線の彼方に隠れつつある。

 議会が解散された後、提督は神殿からまっすぐ〝聖居〟へと向かっていた。

 とにかく時間が無いし、考えなければならないことも多い。

 その表情は明るいとは言い切れなかった。当然である。任務は困難、敵は強大かもしれない。

 そこにいくらほぼ制限の無い自由な編成と人員、物資を選べるとはいえ、即席の、演習さえする暇も無い艦隊で挑まなければならないのである。

 

 だが、元老院の正式な手続きを経て、任務を与えられ、しかもそれに国家の未来が懸かっているとなれば、断ることは決して出来なかった。それに従うことがどの組織にも関わらず、カルタゴの高貴なる者の証であり、義務なのだから。

 

 途中、どんよりとした提督とは対照的に、ホクホク顔の商人と空の籠を持つ奴隷とすれ違った。

どうやらだいぶ稼いだようだ。

 こんなところに商人?とも思ったが、ビュルサの丘には居住区もある。そこで取引でもしたのだろう。

 酒でも振舞われたのか、皆、赤ら顔で実に幸せそうな顔をしていた。その顔に、その幸せを私にも分けてほしいなどと提督は心中でぼやいていたりする。

 しかし、ぼやくぐらいは神々もお許しになるはずだ。

 世知辛い世にひたすら髭を捻じりながら、提督は聖居に続く道をもくもくと歩いていた。

 

 歩いている内に聖居が見えてくる。と、そこで提督は首を傾げた。

 音楽が聞こえるのだ。それも宴で弾かれる華やかで騒がしいものが。

 普段は静かで安らいだ空気が漂う聖居には珍しいことであった。

 はて、今日は何か祭りか儀式があっただろうか。

 そう思いながら聖居の門に来たところで、提督は見えた光景に硬直した。

 

 その光景は実にひどかった。まさに乱痴気騒ぎというべきだろう。

 人が倒れている。それも無数の。大半は男であり、それもよく見れば自分の船の海兵達である。

 だが、醜態を晒すむさい男達に混じって、ちらほらと艦娘と思われる女達も……まあ、その寝転んでいた。

 起きている者もいるが、皆、嬉々として酒を飲み、提督の記憶では、聖居の広間等にあったはずで、断じて門の前には無かった机に……その、ぶちまけられた料理を堪能しては、思い思いに楽器を爪弾き、歌い踊っている。

 全員、共通した特徴があった。

 即ち、酒臭い。

 

「一体、何があったんだ?」

「ぁーてーとくだー」

 

 思わず零す提督に一際陽気な声がかかった。

 見ればカラステリが真っ赤な顔をして、こちらに向かってフラフラパタパタと駆けてきていた。

 

「てーとくいらっしゃーい!」

 

 どーんと飛び込んできたカラステリを提督は難なく受け止めた。

 彼女もまた酒の匂いが色濃い。甲冑姿のままなので、その大人びた柔らかい肢体の感触はあまり味わえなかったが、胸甲のところでふにゃりと形を変える胸に思わず視線が吸い込まれそうになる。

 

「あーカラステリ?この騒ぎは……」

「みてみて、てーとく!にあう?にあう?」

 

 提督の質問は無視し…というより聞こえていないのだろう。

 カラステリはピョイと離れるとその場でクルクルと回って見せた。

 ここで提督はやっと気づいたが、彼女は緋色に金の帯模様が走っている見事な布地を被っていた。 

 何の手も入れてない生地であるがよく似合っている。

 

「あ、あぁ。良い色だ。似合うよカラステリ。ところで…」

「ぅわいっ!やった!ミナキリアさん似合ってるって!ミナキリアさんもおいでよー!」

 

 カラステリはややふらつきながら両手を上げて喜ぶと振り返って叫んだ。

 ミナキリア?あぁ、よかった彼女ならこの混沌が振り撒かれた状況を説明できるだろう。

 

「あ…あの…提督。い……いらっしゃいませ」

「よかった、ミナキリア。この状況のせつ、めい、を……」

 

 現れたミナキリアに安心して声をかけようとした提督であったが、その姿を見ると再び硬直し、その声も擦れて消えてしまった。

 そこにいたのは提督の艦隊、その最古参の一人にして、冷静沈着で恐れを知らない、熟練した艦娘のミナキリア……ではなかった。

 

 着飾った少女がいた。

 いつもは自然に下ろされている長い青みがかった髪は、貴婦人風に高く結い上げられている。

 流行からは聊か外れているが、両耳の脇に一房ずつ、髪が下ろされているのが、ただ纏め上げているよりもずっと優しい印象を与えていた。

 普段は化粧もあまりしない彼女であるが、今は、派手にならない程度の、控えめで上品なものが施されていた。形の良い唇にさされた紅も淡いもので、良い引き立てになっている。

 頭には冠とパルラが一体になったものを被り、首に宝石が嵌められた葉状の〝房〟が付いた首飾りを下げ、腕にも腕輪を填めている。これらは全て銀であり、精巧な装飾と彫り物が施された一品であった。

 そして、服といえば、清潔だが、これまた露出が少なくあまり飾り気がないいつもの長衣ではなく、仄かな蒼が混じった白色の布地に灰褐色の精霊を象った文様刺繍が散りばめられた衣裳であった。首から胸元にかけて開かれ、袖も所々切れ込みが入ったデザインで綺麗に鎖骨と二の腕が見えている。

 さらに衣裳の上からは濃い藍染めの布地に白色の豊穣と守護、献身を意味する文様柄の生地を肩と腰を通るように巻きつけ、纏っている。生地は何の手も入っていないものであったが、それが返って装飾品や衣裳を強調させる魅力となっていた。

 

 彼女もそれなりに飲んだのか、もしくは飲まされたのか、それとも羞恥心からか……普段は硬質な――口が悪い海兵等からは貨幣に彫られる顔と言われる――あまり表情が変わらない顔も今は上気し、うっすらと頬を染めていた。唇は僅かに引き絞られ、緊張しているのがわかる。

 その美しい透き通るような琥珀色の瞳も潤んで揺れていた。

 

「綺麗でしょー!がんばって皆で着せてあげたんだよー!」

「あの…えっと……どう、でしょうか」

「……」

 

 カラステリに抱きつかれながら、ミナキリアは上目遣いにおずおずと訊ねるが、提督は依然として固まっていた。普段とはギャップがありすぎたのである。

 彼女の装いは、恐らく一番近くで彼女と接し、見ていたであろう提督からしても、意外で、魅力的過ぎた。

 

「……やはり、似合わないでしょうか。私が、こんな格好……」

 

 変な格好だから何も言わないと思ったのだろう。

 一方のミナキリアは見る見るうちに表情を歪め、目尻には涙がたまり始めていた。

 耐え切れなくなり、着替えてきます、と言おうとしたところで。

 提督が髭を扱きながらやっと口を開いた。

 

「これはまいった。驚いた。美しい……」

 

 意識してというより思わず零れたのであろうその言葉にミナキリアは目を見開いた。

 提督は、かつてアカデミアでその筋の講師から諦観のため息を吐かれるほど文学的表現や詩的表現が苦手な男であり、零れた内容もとても淡白で単純なものであったが、彼女にはそれで十分であったらしい。

 しばらく固まっていたかと思うと、やがて、かぁーと全身を赤くし、うつむいてしまった。

 それもまた滅多に見れない姿で愛らしい。

 

「あ、すまないミナキリア。とても魅力的で意外だったから、固まってしまったよ。よく似合っている……うん?ミナキリア?」

「あ、ありがとうございます本当はこんな格好するつもりはなかったんです初めはカラステリに買ってあげてたのですがシアナさんあ、シアナさんというのは反物を扱っている商人で今日大市場で知り合った本当に良い方なのですがそのシアナさんが他にも色んな生地を持ってきてくださいまして」

「ミナキリア?おーい、ミナキリア?」

「それで私も薦められたりして他の子達と選んでいたのですけどそのあとマスケルたいちょうたちも来てそれでいつのまにか宴になって皆がこれをきれば提督も見惚れるというからでもそんなていとくにいつもそうみてほしいなんて思ってなくてでもたまにはそうみられたいというよりいつもみてほしいですしたよりにしてほしいとやだわたしなにをいってでもみりょくてきっていわれてよかったうれしいです」

 

 ミナキリアは真っ赤な顔で俯いたまま、ボソボソと何事かを呟き続けていて、提督が呼びかけようが手を振ろうが反応がない。

 そこで提督も彼女から漂ってくる強い酒精に気付き、嘆息した。

 ミナキリア、君もか。この頼るべき戦友までもやられていたとは。神々よ、私が何をしたと。

 

「くふ。お困りだね提督」

 

 横からの愉快そうな声に提督はジロリとそちらの方を見た。

 

「あぁ、よかった。この際、君でいいシェトシェ」

「この際とはひどいじゃない。この中で一番まともなのはたぶんアタシだよ」

 

 それは見た目的にどうだろう。提督は口には出さずに思った。

 シェトシェ――重なる幸という意味の名で呼ばれた娘は、常識的に考えればとんでもない格好をしていたからだ。

 癖のある豊かな髪は高く纏められているが繊細に結い上げられているわけではない。

 ほつれ毛とうなじが、まだ見かけ上は十代であるはずの少女に得もしれぬ色気と女を表させている。

 そして、その髪の色は、色粉でなんと桃色に染められていて、その色彩をド派手に主張していた。

 更に化粧をしているが先ほどのミナキリアとは真逆というべきもので、目元を中心に下品と紙一重な、こちらも派手なものが施されている。

 

 服もまたすごいものである。

 上半身は肌着の上に中衣を着ているが、両方とも胸元と背中両面が大きく深く開いており、胸は形の良い乳房の半分以上が見えている。

 下は裾の長いものを履いてはいるが右足側に深いスリットが入っており、太ももまで露わになっている。さらに服自体が薄布で作られており、彼女の体が際どく透けていた。

 大抵の人間は彼女の格好を見ると、眉を顰め、こう思うだろう。

 淫靡な娼婦であると。

 

 シェトシェはミナキリアと並ぶ提督の艦隊最古参の艦娘であり、彼女とはまた別の頼りになる戦友だが、生い立ちの関係と趣味――七割はこっちの理由であるとのこと――でこういう格好を好んでいた。本人が言うにはこれでもまだ処女らしい。

 彼女は旗艦級受領とそれに合わせた再編成の為、解散された提督の艦隊において、残留している艦娘達のまとめ役と聖居での雑務も兼ねて留守居役を任され、試験航海には同行していなかった。

 

「あ、キミ。今、まともじゃないって思ったでしょ」

 

 向けられた視線にシェトシェはにやりとして指摘したが、提督は懸命に無視した。

 この娘、非常に人の思考を読むのが上手いのである。

 

「……少なくとも素面のようだね」

「それなりに飲んだけどね。まーこの程度は酔ったとは言わない。良いお酒っていうのは味が良くて、酔いも爽やかっていうのはほんとなんだと思った」

 

 酒の味を思い出して、うふっ、と体をくねらせるシェトシェである。

 くねらせた際に更に露わになる胸や太ももを見ないよう、提督はそっと視線を外して溜め息を吐いた。無邪気で健康的なカラステリとは違って、淫蕩な色気ある彼女のそれらは、まともに見ると本当に視線が吸い付きそうになるのだ。そして、一瞬でバレてからかわれるのである。

 提督はもう一度、溜め息を吐くと一言、口にした。

 

「状況」

「ミナキリアとカラステリが反物の商人を連れて帰ってきたんだ。それで門の前で商売を始めて、品が全部上物だったから皆、聖居から出てきて喜んでたの。そこにマスケル隊長達がカラステリの軍港入港祝いの凄い良いお酒と果物を山盛りで持ってきてね。あの人達は届けた後、帰ろうとしたんだけど、それをカラステリが引き止めて、皆で食べた方が楽しいっていうから、そのまま宴になった」

 

 提督の一言からスパッと経緯を説明し、後はご覧の通り、と手で周囲を示すシェトシェである。

 

「ありがとう。把握したよ」

 

 それならばまあ、仕方ないか。鼻からゆっくりと息を吐きながら、提督は思った。

 海の守護者、船の魂、深海棲艦を打ち払う者。

 大層なことを言われ、人々から畏怖されていても、元々は唯の女達なのだ。

 滅多にない聖居への客と娯楽に少々箍が外れてもいいだろう。

 だが、海兵達は別だまったく。全てが終わったらきつくしごかねば。

 

「マスケル隊長は?」

「向こうで裸踊りしてた。あのヒトもいい体してるよね」

「ミナキリアがあれでマスケル隊長も沈んでるのか……まいった。やらなければならんことがたくさんあるのだが」

 

 頭を抱える提督である。時間の余裕はないのだ。

 ちなみにミナキリアは相変わらず俯いたままボソボソと何事か呟き続けている。

 

「どうしたの提督。なんだか本当にお困りだね」

 

 シェトシェは提督の様子から流石に妙だと思ったらしい。

 訝しげに訊ねてきた。

 

「あぁ。元老院から言われたことがね」

「そんなに次の任務って難しい?」

 

 どかりと傍の椅子に座りながら言う提督に、彼女はそれだけで察したらしかった。

 片眉を上げつつ、それでも面白そうにシェトシェは言うと提督も頷いて、髭を扱きながら遠くを見た。

 

「運が悪かったか、神々に目を付けられたか……国も命も名誉も懸かってるな」

「へぇ」

 

 目を丸くしつつ返すシェトシェに、提督は横目でまたもジロリと見た。

 

「軽いなシェトシェ」

「いや?」

 

 シェトシェも提督の傍らにすとんと座ると

 

「これでも嬉しいんだよ」

 

 と言って右膝を抱えた。

 すらりとした足がスリットから露わになる。

 

「嬉しい?」

 

 眉根を寄せる提督である。彼からしてみれば、今回の任務は自身に加えて部下である艦娘と海兵達にも危険で厄介なものなのだ。嬉しいというのはおかしいだろう。

 そんな男の心情を実によく察した桃色の髪の娘は、ニッと口の端を上げて身を寄せた。

 

「哨戒と露払いに偵察。今まで地味な任務ばかりだったアタシ達の提督がそんな任務を受ける大物になったんだなって」

「……たまたまだ。やれそうなのが私の艦隊しかなかったんだよ」

 

 ふいと目を逸らして提督が言うとシェトシェは口元に手を当ててくつくつと笑う。

 

「くふっ。キミはいつも自己評価が低いと思うよ提督」

「私は英雄足りえる人間ではない」

 

 真顔で返されたそれに対し、シェトシェは変わらず愉快気に言った。

 

「アハッ……大体だね。この国は地中海の半分に覇権を築いているカルタゴだよ。歴史ある充実した常設海軍と専門的な艦娘の艦隊を持ってる」

「つまり、海戦に精通した人材は豊富だし、艦娘と関わりがある人もまあ、結構いると言って良いよね。そのカルタゴの艦娘の船団《ルイプロアティムス》の艦隊指揮官に〝たまたま〟なんてあると思ってる?元老院や大将軍がキミを不適格だと思ってたら、今頃、別の人物を指名して臨時に新しい討伐艦隊を編成するさ」

「……」

 

 それはその通りであった。

 カルタゴは西地中海……いや、地中海世界全土を見ても随一の海軍国といえ、それは艦娘の艦隊においても同様である。常設の海軍を持っている国など数えられるほどしかなく、そこに艦娘の専門の艦隊を加えれば更にその数は限られる。

 潤沢というわけではないが艦娘と深海棲艦への理解があり、実戦も経験している者は海軍やヒミルコといった高官達、そして、元老院にもいるにはいるのだ。必要ならば彼らが指揮官となり、討伐艦隊が臨時に編成されるだろう。

 

(酔狂で推薦はしない、か)

 

 提督は、ヒミルコの言葉を思い出した。個人的には疑わしいが、彼らは自分のことを評価しているからこそ、こうなっているのだろう。

 

「キミの言葉は半分当たってるよ。〝適当に〟やれそうなのがキミの艦隊しかなかったのはね。元老院でも……」

「わかった。降参だ。実際、スフェトのお二方も元老院もヒミルコ様もイステ様も私を寄ってたかって讃え、推してくれたよ。おかげで背中がむず痒かった」

 

 提督が軽く両手を上げて遮ると、シェトシェはまたもくつくつと笑い、そして、目を細めて提督の胸甲に顔を寄せて、蠱惑的に囁いた。

 

「だからアタシは嬉しい。キミが正当に評価されてる」

「十年以上の戦友の晴れ舞台。どんな任務だろうとやってみせるよ」

 

 寄り添う艦娘の身を支えながら提督は髭を捻じった。

 彼女の体から、見た目とは反して柔和な香料の匂いが漂い、それが心持ちを楽にさせる。

 シェトシェは比較的背が高いが、それでも軍人である提督と比べればすっぽりと腕で抱えられるほど小さい。抱き締めればさぞ柔らかいだろう。

 娼婦のような淫靡で匂い立つような色気と美しさ、それとは違う芳しき香料の匂いは相反し、それが男の感覚を狂わせ、提督に微かな獣欲を抱かせる。

 肩に手を置くと、シェトシェは顔を上げて微笑んだ。さらに体を押し付けられる。

 この艦娘は今なら何でも受け入れてくれるだろう。口づけをしようとその乳房や太ももをまさぐろうと。

 提督は両肩に置いた手に力を込め……彼女を引き離した。

 

「シェトシェ、それはありがたいことだがね。からかってるだろう?」

 

 提督の言葉にシェトシェはニヤリとすると、同時に漂わせていた蠱惑的な雰囲気も霧散した。

 

「フフン、流石に効かないか。残念だね。でも、嬉しいのはほんと」

 

 そのまま押し倒して貪ってくれてもよかったんだよ、とのたまうシェトシェに、提督はほんの僅かな未練と共にため息を吐いた。

 この艦娘は知り合って以来、こうして時折、誘惑してからかってくるのである。本気に受け取っていいかどうか、本人はどちらでも良い感じなのでさらに性質が悪い。

 

「そんなことより考えることとやらなければならないことが多くてね。今日中にできることはやっておきたかったんだが、さて、どうしたものかな」

「そんなこととは失礼な」

 

 シェトシェは流石にムッとしたが、提督は取り合わなかった。

 悩ましげな男の傍らで不満げにしていたシェトシェだったが、やがて、仕方ないなぁという顔をすると適当な酒瓶と椀を手に取り、言った。

 

「飲もう?」

「何?」

 

 押し付けられる椀とシェトシェを交互に見ながら提督が訝しげに言うと

 

「こんな有様じゃ、どうせ何もできないよ」

 

 シェトシェは軽く肩を竦めて、変わらず飲めや歌えの騒ぎである周囲を示した。

 

「だがね…」

「悩み多き時は酒こそ最上の友ていう言葉もある」

「酒は人を堕落させし謀臣であるという言葉もあるが」

「まあまあ。とりあえずは今日は楽しんで、明日から考えればいいでしょ」

 

 椀を受け取りつつも逡巡する提督に西方のギリシア、スパルタ人の言葉を言えば、対してアテナイ人の言葉が返されるがシェトシェは受け流して、提督の椀にワインを注いだ。

 カラステリへのご褒美として用意された上質のそれは芳醇な香りを漂わせている。

 

「しかしだね……」

「いいからいいから」

 

 なおも言い募ろうとする提督の口元に手の平を当てる。ちょうど人差し指と中指の腹が唇にぷにっと当たり、提督は黙らされた。

 沈黙した男の前で艦娘はそのまま続けた。

 

「それにさ提督。忘れてるかもしれないけど」

「キミは久々の陸じゃないか。船乗りなら一日くらいは何も考えずに楽しまなきゃ」

 

 言われて見ればそうだった。

 元老院に呼ばれてからすっかり忘れていたが、旗艦級の試験航海から戻ってきた初日なのである。

 船乗りという者は、久々に陸に上がればその日は楽しむというのが慣わしである。

 提督も任務がなければ、雑務を終えて酒でも飲みつつゆっくりと過ごすつもりだったのだ。

 

 提督はしばし髭を扱きながら考えると、うん、と頷いてじわりと口元を緩めた。

 

「わかった。そうしよう。できないならばできることを、だな。それが酒盛りだろうと」

「そうこなくちゃね」

 

 シェトシェは、転がっていた椀を拾うとそこにもワインを注いだ。

 そして、二人で椀を掲げ

 

「我らが都市と海に」

「アタシ達の提督と人々に」

 

 そう言って乾杯をすると、ぐいっと一息に呷った。

 

 

 

「シェトシェ、何か唄ってもらえるかな」

 

 何杯か互いに酒を交わした後、椀を抱えながら言う提督に、おやという顔をしたシェトシェである。

 

「珍しいね」

「精一杯楽しみたくなったんだよ」

「ミナキリアの方がそういうのは上手いんだけど」

「君の唄も良いものだと思っているよ。聴きたいんだ」

「そう言われたならば仕方ない。吟じて差し上げましょう」

 

 姿勢を正し、厳かに言う彼女に提督は笑う。

 

「アトペナ!竪琴《リュラー》貸して!」

 

 シェトシェは遠くで音楽を奏でていた艦娘に呼びかけると、そのやや褐色の肌をした艦娘――アトペナは頷いて、その手の竪琴を投げて寄こした。

 

「おっと危ない……アトペナ酔ってるだろう!それぐらいにしておくんだよ!」

 

 右腕をグルグル回して応える彼女に、やれやれと首を振るとシェトシェは提督の隣で竪琴を構えた。

 

「何をお望み?」

「元気の出るようなのを」

「くふ。恋敗れた乙女じゃないんだから」

 

 愉快気にシェトシェは言うと、一呼吸置き、竪琴を弾き始めた。

 ポロンポロンではなく、ポンポンというかのような早い調子に、まだかろうじて潰れていなかった周囲の艦娘や海兵も顔を向ける。

 海兵からは口笛や拍手が上がり、艦娘からは、シェトシェが唄うわ、などと聞こえてきた。

 やがて、笛や鈴などを持つ艦娘達もその音色に合わせ始める。

 注目を集める中、シェトシェはその艶やかな唇を開き、唄い始めた。

 

 

我らは東より来たり古き海の民。さあ、船を押し出し、海原へ行こう。

 

それ帆を張れ舵をきれ。

 

太鼓を叩き笛を吹いて、櫂を漕げ。

 

海の果てへ海の果てへ。

 

その先にあるは希望と富。

 

恐れるな。すでに我らは失いしもの。

 

後は得るのみ、栄えるのみ。

 

さあ、船を進め、海原を行こう。

 

 

 唄われるのは都市カルタゴの母体フェニキアの民の古唄である。

 かつてフェニキア人はカナンと呼ばれる地に住まう内陸の農耕の民であった。

 しかし、彼らは外部からの侵略者によりその土地を追い出され、今のレバノンに当たる沿岸部に移住し、海を行く民となった。

 その海への進出期に作られたであろうもので、当時は未知ばかりであった海を行くフェニキア人の船乗り達に好まれた唄であった。

 

 うっとりと男も女もシェトシェの唄に聞き惚れていたが、唄が一巡すると海兵達が合わせて、勇ましく唄い始めた。

 

 

おぉ、我らは西の海を守りし海の兵《つわもの》。さあ、船を押し出し、海原へ行こう。

 

それ弓を張れ剣を抜け。

 

太鼓を叩きラッパを吹いて、櫂を漕げ。

 

海の果てへ!海の果てへ!

 

その先にあるは栄光と富!

 

恐れるな!我らが指揮官が声を上げる!

 

後は戦い、勝つのみだ!

 

さあ、船を進め、海原を行こう!

 

 

 海兵達は勢いよく椀を掲げ、足を踏み鳴らしながら声を張り上げ、勇ましき軍歌を唄う。

 すると次は艦娘達が声を合わせて、唄い始めた。

 

 

あぁ、私達は怪異を討ち、人を守りし海のもの。さあ、船に乗り込み、海原へ行こう。

 

海へ祈れ超常へ祈れ。

 

使命に従い船になりて、櫂を漕げ。

 

海の果てへ海の果てへ。

 

その先にあるは安寧と安息。

 

恐れない。沈めど私達は海のもの。

 

考えるは人々を守り、海を守るのみ。

 

さあ、船を進め、海原を行こう。

 

 

 艦娘達は椀を掲げ、祈るかのように囁くかのように唄っていく。

 唄と音楽が艦娘の聖居の前で響く中、提督は目を閉じて、その声と音色に耳を澄ませ、呟いた。

 

「恐れるな。船を進め、海原を行こう」

 

 明日からは戦いに向けて忙しくなるだろう。

 唄い続けるシェトシェの横で、提督はワインを注ぎ、呷った。

 

 

 

 

 




シェトシェの言う「適当」は本来の意味の方です。
時間かかった割りに文字数が少なくて泣きそう。

挿絵何か入れるか思案中。



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