善意で助けてるけど、場違いな気がする。 作:しん
崩れた天井から、かすかな光が差し込んでいる。けれど、その光さえ自分の中には届かない。
胸の奥がずっと重くて、呼吸のたびに痛みが広がっていく。
ああ――しんじゃうのかな。そう、薄々感じていた。
孤児院のベッドに横たわりながら、ぼんやりと天井を見上げる。ここにはたくさんの子どもたちがいて、みんなで泣いたり笑ったりしている。
その中心にいつもいてくれたのは“お兄ちゃん”だった。
一番年上で、みんなを守って、食べ物を分けて、時には叱って。本当は泣きたいくせに、誰よりも強がって。自分たちはずっと、そんなお兄ちゃんに守られてきた。
……だから。せめて最後に「ありがとう」って言いたかった。守られてばかりじゃなくて、今度は自分が守りたいんだって、伝えたかった。
でも、声が出ない。手も、足も、重くて動かせない。ただ涙だけが、こぼれてしまう。
「――泣いてるの?」
ふと、耳に声が届いた。
ゆっくりと顔を横に向けると、そこには同じくらいの年の子が立っていた。見たことのない顔。だけど、どうしてだろう。どこかで会ったような気がした。
「……だれ?」
「ただの通すがりだよ。ねえ、もし元気になれたら、何をしたい?」
問いかけは無邪気だった。でもその響きは、胸の奥をまっすぐ貫いてくるようだった。
「……お兄ちゃんを、守れるようになりたい」
「守る?」
「うん。いつも守ってくれてるから。だから……今度は、ぼくが守りたいんだ」
その子は、ふっと笑った。……しばらくの間、ぽつぽつと会話が続く。
「君の言う“お兄ちゃん”、よく泣いてるよね」
「……知ってるの?」
「だって、見てれば分かるよ」
「……ホントは、知ってるんだ。お兄ちゃん、辛いんだってこと」
呼吸は荒く、言葉を続けるだけでも苦しい。けれど、不思議と話していると、ほんの少しだけ楽になる気がした。
「でも、このままだと君、死んじゃうよ」
その子は、まるで当たり前のことを言うように告げた。心臓が跳ねる。
「……ぼく、空の上に行っちゃうの?」
「うん」
「……いやだ」
「そうだよね。それなら……行かなくていい方法があるんだよ」
その声は優しかった。慰めるようで、どこか甘美で。
「ほんとに?」
「ほんと。すぐにでも、お兄ちゃんを守れるくらい、元気になれるよ」
身体の奥で何かが震えた。死にたくない――というよりも、守りたい、という想いが、その言葉に縋りつかせた。
「……なりたい」
「うん。じゃあ、目を閉じて」
言われた通りに、目を閉じる。視界が暗くなる。
元気になったら、何しようかな。まずは、お兄ちゃんに「ごめんなさい、ありがとう」って言おう。それから、休んでいいんだよって。それからお兄ちゃんの代わりに料理を作ってあげて――
「
息が詰まる。
熱い。熱い。熱い――!
自分のからだが、何か変わっていく。胸のドキドキがうるさくなっていって、からだが震えて、変わっていった。
「これでお兄ちゃんを守れるよ」
ああ――これで、お兄ちゃんを守れる。ぼくが、お兄ちゃんを、みんなを守るんだ。
崩れた街の一角に建っている孤児院。壁のひび割れや軋む床が戦火の爪痕を語っていたが、それでも中には小さな笑い声が満ちていた。
14歳の少年――孤児院の子ども達から“お兄ちゃん”と呼ばれる少年は、年下の子どもたちの世話を行っている。
けれど“お兄ちゃん”の目には、何もかも重たく映っていた。
――孤児院の朝は、いつも騒がしい。
まだ夜が明けきらないうちから、小さな子たちが腹を空かせて泣き、年長の子たちが木の皿を並べ、昨夜の残り物を必死に掻き集める。
「こら、取るな! 順番だろ!」
「でもお腹すいたぁ!」
声を荒げて止めに入るのは、いつも俺だった。
怒鳴り声ひとつで場は一瞬静まるが、すぐに誰かが鼻をすすり、別の誰かが空っぽの鍋を覗き込んでため息をつく。
(……今日も、足りないな)
俺だって腹が減って仕方ない。けれど、泣いている小さな子に分け与えずにいられるほど、俺の心は冷たくなりきれなかった。
パンのかけらを差し出すと、幼子は涙で濡れた顔をくしゃくしゃにして「ありがとう」と笑う。その笑顔は胸を温かくするのに、同時に重くもなる。
(俺が……しっかりしないと)
大人はいない。戦火と混乱で孤児となった俺たちを導く者は、もういない。だからこそ俺がやるしかなかった。14歳の子どもに過ぎないと分かっていても、この場所を繋ぎ止められるのは、“お兄ちゃん”である俺しかいないと信じ込むしかなかった。
だけど、子どもは正直だ。少し腹が膨れれば、外で泥だらけになって遊び出す。泣いていたかと思えば、くだらないことで笑い転げる。
その姿を見ると守らなきゃ、と思う。けれど、同時に俺だって……と叫びたくなる。
夜になれば、誰かがうなされて泣き出し、別の誰かが“怖い夢を見た”と布団に潜り込んでくる。その度に俺は背中を撫で静かに大丈夫だ、と繰り返す。
……本当は、自分こそが誰かにそう言って欲しいのに。
そんな俺たちに、時折訪れてくれるのが――アストレア様だ。正義を司る神様。混沌の時代、なお人を導こうとする存在。
アストレア様が来る時だけ、孤児院はまるで聖域のようになる。子どもたちは安心し、笑い、俺でさえ“守られている”と思える。
(……でも、それに頼りきっちゃダメなんだ)
アストレア様は俺たち個人のためだけにいてくれるわけじゃない。“正義”を背負い、この街を、人を、導こうとしている。ましてや、闇派閥という恐ろしい人達がいるこの時期だからこそ。
それに、孤児院はここだけじゃない。他にも沢山あるんだ。だから、アストレア様に「俺達だけを見てくれ」なんて言えるはずがない。
(俺は、たかが一人のガキだ。俺の願いなんかで、正義の歩みを邪魔しちゃいけないんだ)
だから俺は、アストレア様の前では笑顔で「大丈夫です」と答える。本当は大丈夫なんかじゃなくても。心の奥で潰れそうになっていても。
――分かっていたことだった。神様に“嘘”は通じないことを。だから、アストレア様は辛そうな顔をして、それから俺を励ましてくれた。
それがどうしようもなく、悲しくて、嬉しくて、安心して、とにかく色々な感情がごちゃまぜになってどうしたらいいか分からなくなったんだ。
……孤児院の子たちにとって、俺は“頼れる兄”でいなきゃならない。笑って、叱って、支えて――その役割を果たし続けなきゃならない。
だけど時々、ふと思う。もし俺が倒れたら、この孤児院はどうなるんだ?誰があの子たちを守る?……答えは分かりきっている。誰もいない。
(だから……やるしかないんだ。俺が、やるしか)
拳を握りしめても、実際に何ができるわけじゃない。怪物から子どもたちを守れる力もなければ、飯を満たす金もない。
それでも、今日もまた口にする。
「俺がしっかりしなきゃ」
そうやって言葉で自分を縛り、立っている。孤児院を照らす太陽であろうと無理をする。だが――胸の奥底では、ただただ誰かに甘えたいと泣いている自分もいた。
いっそ全てを投げ出して逃げたい、と思ったこともあった。けど、それならあの子たちはどうなる? そう思う度に胸が痛くなる。
逃げ出せば、と思う度に、自分勝手な考えをする自分が嫌になって……の繰り返しだった。
(っと、ダメだ。あの子の様子を見に行かないと)
そんな思考を無理やり切る。
……ミナトという子がいる。体が弱く、体調を崩して寝込んでしまう事も珍しくない。一日中ぐったりと布団にくるまっている姿はもう見慣れてしまったが、それでも俺の胸は毎度のようにざわつく。
今朝もそうだった。枕元に座り込み、小さな手を握りながら、ひたすらにその寝顔を見守っていた。
(今日は……症状が軽い日かもしれない)
寝息は穏やかで、額に浮かぶ汗も心なしか少ない気がした。ほんの少しだけ、安堵が胸に広がりつつある。
「お兄ちゃん!」
あの子の様子を見に行こうとしたら、どこからか声が響いた。聞き慣れた、しかし決してあり得ないはずの声。慌てて振り向いた俺は、目を見開いた。
そこに立っていたのは――ミナト。今朝まで弱々しく寝込んでいたはずの、あのミナトが。
「……嘘だろ」
口から零れた声はかすれていた。ミナトは顔色も良く、頬には赤みさえ差している。まるで病弱だったことなど最初からなかったかのように。
俺の驚きをよそに、ミナトは笑顔で駆け寄ってくる。
「ねえ、お兄ちゃん! ぼく、元気になったんだ!」
その無邪気な瞳に、俺は返す言葉を失った。
どうして? さっきまでのぐったりとした姿は、夢だったのか? 信じがたい光景に、動揺してしまう。だがミナトは気にも留めず、次々と言葉を続けてくる。
「今度は、ぼくがお兄ちゃんを守るんだ!」
――守る?
俺が守る側であったはずのミナトが、笑顔でそんなことを言う。病弱ゆえに庇護される存在でしかなかったはずのミナトが、強く、まっすぐに“守りたい”と言う。
胸の奥がざわめいた。今まで聞いたことのない言葉。いや、ミナトが口にするとは思わなかった言葉。
不気味だと一瞬思ってしまった。だがその瞳には嘘偽りの欠片もない。純粋で、無邪気で、ただひたすらに“お兄ちゃんを守りたい”という想いに満ちていた。
「……お前」
どうしてそんなことを。問いかけたい気持ちと、言葉にならない不安がせめぎ合う。
ミナトはにっこりと笑った。
「大丈夫! だってね、もう
その瞬間、背筋に氷の針を突き立てられたような寒気が走った。
――
ミナトはこれまで孤児院の子どもたち以外に友達などいなかったはずだ。外に出られる体力もなく、見知らぬ誰かと交流を持つ機会などあるわけがない。
そう考えた瞬間、軋む床板を踏みしめるように、巨大な影がどこからか突如姿を現した。
「………………え?」
それは、見る者その全てに圧を感じさせるほどの体躯。200Cを優に超える巨体の男。分厚い胸板と太い腕。だが、その表情は感情の色を一切感じさせず、石像のように無機質だった。
鼻を突くのは、煤とも血ともつかぬ匂い。まるで染み付いた“死”が人の形を取ったようだった。
「この人ね、
無邪気に、そう口にするミナトの声がやけに遠くさえ聞こえてくる。
――これは、
背筋に氷の針が突き立つ。逃げろ、と本能が叫ぶのに、足は床に縫いつけられたように動かない。
「ミ、ナト……?」
呼びかける声は震えていた。
「うん、なあに、お兄ちゃん?」
無邪気に笑うその顔は、ミナトの笑顔そのものだった。けれど、背後に立つ無表情の大男がいるせいで、その笑顔が異様に歪んで見える。
けど、歪んでてもそれは純粋で、まっすぐで――だからこそ、恐ろしい。“守る”という言葉の裏に、何か取り返しのつかないものが隠れている気がしてならなかった。
これは一体なんなんだ。ミナトはどうしてしまったんだ。これは悪夢なのか。
まるで、俺とミナトとこの大男だけしかこの場にいないような、そんな錯覚すら覚えてしまう。
ミナトはきょとんと首を傾げ、次の瞬間、心底楽しそうに笑った。
「ねえ、お兄ちゃん。
「ッ――」
その言葉が、なぜだか冷たい鎖のように心臓を締めつけたのだった。