武蔵が「資本主義と自由(フリードマン)」を「奨めない」話 作:ヒルベルト
原作:艦隊これくしょん
タグ:武蔵(艦これ) 夕立(艦これ) 独自設定 経済学 ミルトン・フリードマン 赤くはないと思われる艦これ
その日、私・黒鉄武蔵は、現場から宿舎(いえ)に戻る前に、甘味処・間宮に立ち寄った。
帰宅する前に間宮さんのアールグレイ(ホット)を飲むためだ。
時折、甘味処・間宮は何の理由も無く混雑することがある。
その日の甘味処・間宮は、何の理由も無く混雑していた。
本当は何らかの理由はあるのだろうが…少なくとも私には思い当たる理由は無かった。
混雑していたということで、私は他の客と相席することにした。
「ああ済まない、相席しても良いか?」
「良いっぽい。」
私は夕立と相席することになった。
夕立は、私が現世に顕現した時には、既にここ、海神警備・岩川台営業所に居た。
だから顔見知りになってから随分経つし、その間、共に業務に携わることもあった。
しかしそういえば、私がこの夕立と、私的に話をするようなことは無かった…。
夕立は本を読んでいた。
その本は…
ミルトン・フリードマン「資本主義と自由」
私はこれまで艦娘として生き、活動してきて、他所の夕立と行動することもあった。
うちの夕立もそうだが、どこの夕立も実に頼りになる駆逐艦だ。
…しかしどこの夕立も、こういう本を読むような感じはない…。
どうやらうちの夕立は、一風変わった夕立のようだ。
しかしそれにしても、フリードマンの「資本主義と自由」とは…。
「武蔵さん、どうしたっぽい?」
突然、夕立は私に問うてきた。
「…どうした、とは?」
「今、武蔵さん、ちょっと眉を顰めてたっぽい。」
「もしかして武蔵さん、この本のこと、あんまり好きじゃないっぽい?」
この夕立は一風変わっているだけではなく、その洞察力も鋭いようだ。
夕立が言った通り、実を言うと私は、ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」という本があまり好きではない。
もっと言えば、ミルトン・フリードマンという人間にもあまり好感を持っていない。
「ん…まあな…。」
「しかし夕立、お前は何でまた『資本主義と自由』なんて読んでいるんだ?」
「ああ、それはこの前イントレピッドさんと一緒に、ガングートさんのお話って言うか講義を聞いたのがきっかけっぽい。」
「まあガングートさんのお話だったから、何て言うか”左に寄った”お話だったっぽい。」
「面白いお話だったけど”左に寄りっぱなし”になるのはどうかと思って」
「ちょっと資本主義に味方する本も読んでみようかなって思ったっぽい。」
そういえばうちのガングートは、ソヴィエト艦娘にしてはあまり「革命!」を前面に出す艦娘ではない。
あいつが書いた文章を読んだこともあるが、あいつはどうも市場経済と資本主義を別物と捉えていて…市場経済を擁護し、資本主義の方を批判するというスタイルを取っているようだ。
「それで、武蔵さんはどうして『資本主義と自由』のこと、あんまり好きじゃないっぽい?」
「ん?ああ…まあ私も、本文の始め40ページほどに目を通しただけなんだが…」
夕立に問われた私は、その問いに答え始めていた…。
「『資本主義と自由』本文の始めで、フリードマンは」
「共産主義/社会主義体制と政治的自由が相容れることはないと証明する、と書いていたのだが」
「その証明が…何と言うか、お粗末な感じがして、な…」
「フリードマンと言えば、ノーベル経済学賞も受賞した、世界的な知性っぽい。」
「そのフリードマンの文章をお粗末って…武蔵さんも結構大胆っぽい?」
「それで?どんな風にお粗末だったっぽい?」
「うむ…まず、フリードマンは」
「政治的自由とは、個人が他者から何事かを強制されないことである、と定義した。」
「そしてこの政治的自由を護るには」
「個人に何事かを強制する力…強制力の集中を排除し、あるいは分散させることが肝要だと説いた。」
「そして市場、自由市場という場所は」
「個人が自由な判断と自由な選択によって取引を行い、個人がその取引に依って生きて行く場所と定義した。」
「フリードマンにとっては、自由市場はそのまま資本主義体制を意味している。」
「また、自由市場に於いては」
「個人の自由な判断と自由な選択以外に、個人に何事かを強制する強制力は存在しない。」
「強制力は各個人に分散され、集中した強制力は排除される。」
「もちろん自由市場が必ず政治的自由を確保できるわけではないが」
「自由市場はその定義上、論理的・必然的に強制力を分散させ、集中した強制力を排除し…」
「…政治的自由を護るように機能するメカニズムなのだ。」
「対して共産主義/社会主義体制はどうか?」
「共産主義/社会主義体制に於いては」
「全ての生産力、供給力…人間が何かをする力、人間に何かをさせる力を、国家…と言うか共産党が管理・制御している。」
「そして共産党がその生産力、供給力を運用し、産出された富を公正・公平に分配する…。」
「だがこれは共産党に強制力が集中していると言うことを意味している。」
「すると、共産主義/社会主義体制は、その定義上、強制力の集中を伴う体制であるから」
「共産主義/社会主義体制が政治的自由を護ると言うことは、論理的にありえない…。」
「うーん、特におかしなところは無いっぽいけど…。」
「それじゃあ、どこがお粗末っぽい?」
夕立に促されて、私は自らの見解を述べた。
「共産主義というやつは、コミュニズム…コミューン・イズムで、共同体主義という意味もある。」
「山林、鉱山、湖沼、田畑、工場、事務所…富を生み出す資産・資本を、共同体で管理・運用しようという考え方だ。」
「そして資産が生み出す富を、共同体内で公正・公平に分配しようという考え方だ。」
「(そしてこの考え方は、私有財産制の否定あるいは制限を意味している)」
「ここで言う共同体とは、本来…」
「…山林で、鉱山で、湖沼で、田畑で、工場で、事務所で、そこで実際に働いている人々の共同体だ。」
「しかし共産党は”職業的革命家集団”だ。」
「だから共産党は、山林で、鉱山で、湖沼で、田畑で、工場で、事務所で、そこで実際に働いている人々だとは言えない。」
「そんな共産党が全ての資産・資本を管理・運用する体制を、共産主義/社会主義体制と呼んで良いのだろうか?」
「え?それじゃ、フリードマンは」
「共産主義/社会主義体制と呼べるかどうかわからない体制を共産主義/社会主義体制って言ってるっぽい?」
「それで共産主義/社会主義体制はダメだ!とか言ってるっぽい?」
「それだけではない。」
「それぞれの職場で実際に働いている人々の共同体が資産・資本を…職場を管理・運用する体制が実現していれば」
「その体制に於いては、生産力、供給力…強制力が、社会・市場の中で分散していることになる。」
「ならば、共産主義/社会主義体制に於いても、政治的自由が護られる可能性はあるということになる。」
「…まあ、可能性は可能性にすぎないと言われたら、それまでだが…。」
「フリードマンは…」
「共産主義/社会主義体制は、共産党に強制力が集中する体制!」
「だから、共産主義/社会主義体制に政治的自由なんてありえない!って言い切ってたっぽいけど」
「共産主義/社会主義体制でも、強制力が分散されることがありうるとすれば」
「フリードマンがこう言い切っちゃったのは、とんでもない勇み足だった…ぽい?」
「そういうことだ。」
「だから私の目には、フリードマンは学者として研究者として、問題がある人物のように見えるのだ。」
ここで話を終えても良かったが、興が乗った私は、このまま話を続けた。
「どうも私は、フリードマンという人間とは性が合わないようだ。」
「フリードマンは『資本主義と自由』の中で」
「1940年代後半から1950年代半ばの…いわゆる”赤狩り”についても言及していた。」
「”赤狩り”は確かにアメリカで生じた、政治的自由に対する脅威であり、悲劇であった。」
「映画産業においても、幾人かの俳優や監督…映画人が職を奪われるという憂き目に遭った。」
「だが映画産業は、映画市場は、才能ある映画人を決して見捨てはしなかった。」
「市場はこうしたやり方でも、人間の政治的自由を護ってきた…」
「…と、フリードマンは述べていた。」
「だが、そもそも政治的自由が護られていると言うことは」
「最初から”赤狩り”も”大粛清”も発生しない、ということなのではないか。」
「映画産業は、映画市場は、確かに政治的自由を脅かされた映画人を保護した。」
「だが映画産業は、映画市場は、”赤狩り”を阻止するために、あるいは早急に終息させるために何をしただろうか?」
ここで夕立から指摘があった。
「確かに映画産業が俳優さんとか監督さんとかを保護したっていうのは」
「政治的自由を護るためには、ちっぽけな、本当にちっぽけな行動だったっぽい。」
「でも、映画産業は、こんな風に俳優さんとか監督さんとかを保護することで」
「”赤狩り”は間違っている!許してはならない!」
「って言う考え方を、アメリカ社会に根付かせたんじゃないかっぽい。」
「それは、政治的自由を護るためにはちっぽけな行動かもしれないけど、無意味な行動ではなかったっぽい。」
「武蔵さん、映画市場の活躍を、ちょっと過小に評価してるっぽい。」
「む…言われてみれば、その通りだったな…。」
「まあ、負け惜しみになるが、それでも政治的自由があるということは…」
「…まずは脅かされないことだ、と言うことは理解してくれ。」
意外な相手に意外な反駁を受けたが、私の興は、まだ乗っていた。
「それと、フリードマンはこんなことも言っていた。」
「誰かが自分の考え方・思想を世間に広めようとする時」
「共産主義/社会主義体制においては、考え方を広める方法…新聞・雑誌・放送などが共産党に占有されているから」
「共産主義/社会主義体制を批判するような考え方を広めることは出来ない…と。」
「対して資本主義の社会、自由市場の社会なら」
「新聞・雑誌・放送を運営するカネ持ちを説得出来れば、それで自分の考えを広めることが出来る。」
「その考えが資本主義社会を批判するような考え方であったとしても、な。」
「カネ持ちを説得するのは難しい?」
「そこを乗り越えられないようなヤツの思想など、広める価値はない。」
「資本主義の社会、自由市場の社会なら」
「強い信念と、優れた能力と、粘り強い行動力さえあれば」
「どんな考え方でも、世間に広めることが出来る。」
「だから、政治的自由を護るという点に於いて」
「資本主義社会は共産主義/社会主義体制よりも圧倒的に優れているのだ…と。」
「だが、保護や支援は支配に通じる。」
「考え方を広めるために、カネ持ちの支援を受けるということは…」
「…そのカネ持ちの支配を受けると言うことを意味する。」
「カネを出すヤツは、口も出してくるものだからな。」
「だとすれば、カネ持ちの支援を受けて自分の考えを広めた者は」
「本当に自由だと言えるのだろうか?」
いつの間にかテーブルに置かれていたアールグレイ(ホット)に口をつけて、私は続けた。
「ソヴィエト-ロシア風のジョーク…アネクドートってものがあるだろう?」
「アネクドートは、ジョークという体裁を採ってはいるが」
「これだってソヴィエト-ロシアの体制や社会を批判する”考え方”には違いない。」
「確かにソヴィエト-ロシアは、政治的自由を抑圧する体制だったが」
「それでもアネクドートは広まり、語り継がれてきた。」
「しかも今や国境を越え、時代を超えて、現代の日本に生きる我々にも伝わってきている。」
「ではアネクドートの作者…作者たちは」
「自らの作品を広めるために、新聞・雑誌・放送を占有している共産党を頼ったのだろうか?」
夕立はテーブルの上にあったフィナンシェを囓り、口を開いた。
「ん-…何か、わかったっぽい。」
「フリードマンは、資本主義社会は人の考えを広める支援をしてくれるから、共産主義/社会主義体制よりも優れてるって言いたいっぽいけど。」
「何か考えを広める時に、お金持ちや共産党の支援が、絶対に必要ってわけじゃないし」
「それどころか支援されたことで、かえって自由が無くなることもあるっぽい。」
「だとしたら、政治的自由を護るという点で」
「必ずしも資本主義社会の方が優れているとは言えなくなる…っぽい?」
…私の結論は、夕立に先取りされてしまった。
だがその代わり、私の頭に、話の締めとなる考えが浮かんだ。
「思ったんだが…」
「政治的自由…自由ってものは、確かに脅かされてはならないものだ。」
「だが同時に、安易に保護されてもならないものなのではないか…。」
「?」
「自由は、保護されてはならない?」
「ちょっと奇抜すぎる意見っぽい。」
「そうかもしれんな…ただ、自由は脅かされてはならないとも言っていることは、頭に置いてくれ。」
「お前も知っての通り、私はいわゆる、誰とでも寝る艦娘(おんな)ってやつだ。」
「営業所外での私の評判は、あまり良いとは言えない。」
「まあ、それでも受け容れてくれる人間や艦娘は居るが…」
「私が周囲からビッチだのアバズレだのと言われることなど、いつものことだ。」
「だが私はこうして解体もされず生きているし」
「岩川台営業所の皆は…お前も含めて、こんな私を仲間として受け容れてくれている。」
「私は確かに世間の倫理・道徳から見れば問題のある艦娘だが」
「それでも私は、特に迫害されているわけではない。」
「私は十分に自由だと言える。」
「一方で世間の人々には」
「世間の倫理・道徳の正しさを信じ」
「その倫理・道徳に基づいて、自身の生き方を是とし…」
「…私の生き方を非とする自由がある。」
「私も世間の人々も、既に十分に自由だ。」
「だがここで、私と世間の人々、どちらかの自由に”支援”が与えられたら、どうなるだろう?」
「世間の人々に”支援”が与えられたら、それは私に対する迫害に繋がるし…」
「…私に”支援”が与えられたら、それは世間の倫理・道徳の崩壊に繋がる。」
「自由を護れとか、権利を保護しろとか言うが」
「誰かに対する自由への支援が、他の誰かの自由を奪うことだってあり得る。」
「そして自由に対する支援が、却ってその自由を損なうことも、な。」
「フリードマンは、何よりも人間の自由を尊び」
「何が何でも自由を保護しなければならない、自由を支援しなければならないという考えの人間だったようだが。」
「しかし、フリードマンの考えに沿って自由を護ろうとしたら…」
「…却って自由は損なわれてしまうのではないか。」
「『資本主義と自由』の始め部分に目を通した時、私はそう思ってしまったな。」