小学生の頃、奈良の山中で滑落した俺は、“金色の毛並み”を持つ何かに救われた――。
10年後、大学生となった俺は、あの時拾った毛束をネットに出品してしまう。
それが高額で落札され、SNSには都市伝説として「金色の鹿」の噂が広がりはじめた。
大切な何かが、誰かに奪われる気がして、俺は再びあの山へ向かった

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初投稿です


金色は何処

 俺が死にかけたのは、小学二年のころだった。

 

 

 家族で奈良の山にハイキングに出かけた日だ。途中で退屈になった俺は、一人で脇道に逸れ、獣道のような細い小道に入っていった。落ち葉に足を滑らせたのだろう、気づけば斜面を転げ落ちていた。

 

 

 意識がぼんやりする中、俺は“何か”の気配を感じた。

 

 

 金色――そう、まばゆい陽射しのような光を帯びた毛並みが、視界の端にちらついていたのを覚えている。

 それ以外のことは不思議なほど思い出せない。姿も形も、目や角があったかどうかすらも。ただ、あの金色の光だけが焼きついている。

 

 

 はっとして目を覚ましたとき、俺は山道の脇に仰向けで倒れていた。

 痛みはほとんどなかった。軽いケガすらも、滑落していたことすら夢だったように感じる。

 

 

 ただ一つ、現実だった証拠があった。

 すぐそばに、金色の毛束が落ちていた。

 

 手に取ると、信じられないほどやわらかくて、けれど異様に光沢がある。友達の飼ってる犬や、動物園でみたライオンとも違う、美しく光を放っているかのような金色だった。

 反射的に、それをポケットに入れた。

 

 

 

 その後、俺は奇跡的に家族と合流できた。誰も俺が崖を落ちたとは信じなかった。「アホなことするな」と父は り、母は泣きながら俺を抱きしめた。

 

 

 

 

 

 

 それから十年以上が経つ。俺は奈良の大学に通う、金欠気味の大学三年生だ。

 毛束は、今も俺の部屋の押し入れの奥にある。忘れたふりをしているだけで、たまに気配のようなものを感じることがある。

 

 

 

 昨日、なんとなくスマホでホラー系の動画を見ていたときのことだった。

 関連動画の中に、見覚えのある言葉が出てきた。

 ──「奈良の山奥に現れる、金色の毛皮をまとう鹿」──

 サムネイルには、粗い夜間映像にうっすらと映る、金色のシルエット。

 

 

 

 それを見た瞬間、胸の奥がざわりと波打った。

 俺はあれを“夢”だと思ったことにしていた。

 でも、あの毛束は、確かに現実に存在している。

 

 

 

 

 

 

 青天の霹靂、というやつだった。

 

 

 商店街の外れにある喫茶店。昭和っぽいレトロな内装と、やる気のない店長が売りのような店、それが俺のバイト先だった。客が少なくて、シフトの融通は効いて、大学から近くて、空きコマですら働ける、理想のバイト先だった。

 

 

 しかし今日、出勤するとシャッターが閉まっていて、入り口には白い紙一枚。

 

 

 

 《都合により閉店いたします。長らくのご愛顧、ありがとうございました》

 

 

 

 急いでスマホで店長に連絡を取ろうとしたが、通話は繋がらず、メッセージも未読のまま。

 嫌な予感がして確認した口座には、今日振り込まれるはずだった前月分の給料10万が、まだ振り込まれていなかった。

 

 

「噓やろ…」

 

 

 家賃の引き落とし日まで、あと四日。

 

 

 俺は、ダメもとで友人の祐介に連絡した。数少ない地元の友達で、何度か飲みにも行った仲だ。事情を話すと、祐介は一瞬、言葉を詰まらせた。

 

 

 ──「いや、お前のこと信用してないわけちゃうけど…。でも……八万って、流石に急にはきつい額やって」

 

 

 その声には悪意はなかった。だからこそ、きつかった。

 俺は「ごめん」とだけ返して通話を切った。

 

 

 俺が大学進学を許されたのは、「生活費は自分で稼ぐこと」が条件だったからだ。

 奨学金の学費分は親が直接管理していて、俺の口座には下りてこない。バイトが唯一の現金収入だった。

 

 

 

 すぐに日雇いのバイトを探したが、田舎の現実は厳しかった。

 交通費がかかる場所ばかりで、しかも日払い不可か、即日では入れない。

 時間だけが過ぎていった。

 

 

 

 その夜、俺は初めて飲み会以外の日に酒を買った。ストロングなやつと、割引シールの貼られた総菜。

 布団に寝転んだまま、薄暗い部屋の天井をぼんやりと眺めていた。

 

 

 

 「……詰んどるやんけ」

 

 

 

 そんな独り言が、自然と口をついた。

 いつの間にか、押し入れから毛束を取り出していた。

 十年以上前に拾った金色の毛束。ふと、あのときと同じように、ほんのりと光って見えた気がした。

 

 

 

 SNSを開き、ぼんやりと画面を眺める。

 中古屋で買ったものをフリマアプリで転売する投稿が目に付いた、ありえない品物に信じられない値段がついている。

 

 

 

 ──俺のこれは、どうだろう。

 

 

 「奈良の山に現れる金色の鹿の毛束」として出品してみた。

 冗談のつもりだった。せいぜい誰かが面白半分で覗くだけだろう、と。

 

 ところが二時間もしないうちに、スマホが震えた。

 

 

 

 落札額:20万円。

 

 

 

 「……は?」

 画面を見たまま、動けなかった。

 

 

 

 落札者からは「本物であることを祈っています」とだけメッセージが届いていた。

 彼のアイコンのどこかで拾ったような鹿の画像と、目が合ったような気がした。

 

 

 

 アプリから送られてきた通知メールの定型文の通り、梱包を始める。

しかし、作業を進めるにつれ背中に冷たいものが走る。

 

 この毛束は、自分が死にかけたあの時に、何かがくれたものだ。あれは夢じゃなかったのだ、神聖ですらあるはずなのだ。

 

 

 

 それを、浅ましくも、自分の都合で、金に換えてしまうのか。

 

 

 

 封を閉じるとき、思わず手が止まった。

 

 

 ――本当に、これを手放してしまっていいのか?

 ――自分は、とんでもないことをしているんじゃないか?

 

 

 ふと、箱の中から何かがこちらを見ているような気がして、慌ててガムテープで封をした。

 発送した。もう、後には引けなかった。

 

 

 翌朝に金が振り込まれていた口座を見た時、後悔に襲われた。

 家賃を払った。電気も止まらず、水道も生きている。

 

 

 ――だからなんだっていうんだ

 

 

 

 ひと月の家賃なんて滞納しても良かったじゃないか、あれを手放す価値なんてあったのか?

 

 売ったものは、ただの思い出の品じゃない。あの時、自分を助けてくれた何か、その証なのだ。

 

 

 

 後悔がじわじわと、心を支配していく。

 手元から消えたあの毛束のことを考えるたび、心の奥が空洞になっていく。

 

 

 

 

 

 

 数日後、Xのトレンドに「金色の鹿」の文字が躍った。

 

 

 

 《奈良の山に現れるという金色の鹿。その毛皮が高額で売られたらしい》

 《マジで存在するっぽい。出品画像あった》

 《地元やから山見てくるわ。金になるならワンチャン》

 

 

 

 その最後の一文を見たとき、心臓が跳ねた。

 指先がじっとりと汗ばんでいる。

 

 

 

 「……ふざけんなや。」

 その言葉が、自然と口からこぼれていた。

 強烈な焦りと怒りが込み上げる。

 大切なものが。穢されそうになっているような気すらするのだ。

 

 

 

 気づけば、家を飛び出していた。

 先輩から安く譲ってもらった原付に乗り、ハンドルを回す。

 

 詳しい道なんて覚えていない。信号を待ちながら地図アプリを開く。道具なんてコンビニで買えばいい。

 

 

 

 金が欲しいわけでも、捕まえたいわけでもない。自分が何がしたいのかも分かっていなかった。

 

 

 

 

 動かずには、いられなかった。

 

 

 

 

 

 山に入ったのは、午後四時を少し回った頃だった。

 とにかく、誰よりも早くたどり着かなければならない、という気持ちしかなかった。

 

 

 

 

 着ていたのは大学から帰ったときのままパーカーとジーンズ。リュックにはペットボトルと、コンビニで買ったおにぎりが二つと懐中電灯。足元はスニーカーのままだった。

 この山は当時小学生の自分や母ですら登っていたのだ、過剰な準備など不要な山でしかないのだ。

 

 

 

 登山道は想像以上に荒れていた。看板は色あせ、土の階段はぬかるんで、靴の底が滑る。

 

 

 

 それでも構わず進んだ。

 心の中は、絶対に見つけるのだという思いでいっぱいだった。

 

 

 

 雨が降り出したのは、山道を半分ほど登った頃だった。

 ぽつ、ぽつ……と始まったかと思うと、すぐに激しい音を立てて地面を叩きはじめた。

 服はすぐに重くなり、髪の毛からも滴が落ちた。

 

 

 

 懐中電灯の光が雨に拡散して、前が見えにくくなる。3m前も見えない、自分がどっちに進んでいるかすら把握出来なくなっていく。

 

 

 

 

 「や、ばっ……!」

 

 

 

 

 足を取られたのは、そのときだった。

 雨に濡れた石でバランスを崩す。とっさに足を踏みなおそうとして足を付いた場所は――斜面だった。

 

 

 

 

「う、おおおおお!!?」

 

 

 

 

 

雨でぬかるんだ斜面で自力で止まることなどできやしない。体を打ち、泥にまみれ、転がり落ちる。必死に頭を抱え、痛みに耐える。

 

 

 

 木にぶつかることでようやく止まることができたと思った瞬間、鋭い痛みが走った。

 

 

 

 「っ……くそ……!」

 

 

 

 泥にまみれた体を起こす。右腕が、ぶらりと力なく垂れている。曲がる方向がおかしい。痛みに歯を食いしばり、息が荒くなった。

 

 雨が顔を叩いて、視界がぼやけていた。

 

 服は水を吸い、靴の中には泥水が入り込み、異様な寒気が全身を覆う。

 

 

 

 立ち上がれず、呼吸だけが激しくなる中で、ふと前方に何かが光った。

 

 

 

 金色――あのときと、同じ。

 

 

 

 

 痛みも、寒さも、怖さも、全部その一瞬に遠ざかった。

 

 

 まるでその光が、世界のすべてのように感じる。

 

 

 

 頭の中がぼんやりして、手足を動かしているのかすら曖昧なまま、その光を追った。

 

 

 

 

 

 気がつけば、足元が固くなっていた。

 

 登山道だった。どうやって戻ったのか、自分でもわからない。

 雨は相変わらず降り続いていたが、森の中に戻ってきたという安心感が、少しだけ冷静さを取り戻させた。

 

 

下を向くと登ってきた道があった。

 「……戻れる」

 

 

 そう思った、その瞬間だった。

 

 

 

 再び、金色の光が揺れた。

 

 

 

 登山道の脇。森の奥のほうへと。

 

 

 勝手に動いた足を、止める気にはならなかった。

 

 

 濡れた草を踏み、ぬかるんだ地面に足を取られながら、俺は道から逸れた。

 理性はもう、声を上げるのをやめていた。

 足元の痛みも、腕の激痛も、雨の冷たさも遠のいていた。

 

 

 

 光だけが鮮明で、あとはすべて霞がかっていく。

 何もかもが溶けていく。思考も、感覚も、自分という存在さえも。

 

 

 あの金色の光が、俺を導いてくれる。

 

 

 それが何処へかなんて、知る必要すら感じなかった。

 

 

 

 

 

 山道から外れた、木々に囲まれた急斜面の下で大学生の死体が発見された。

 通報したのは、たまたま写真を撮りに来ていた登山客だったという。

 地元の消防団と警察が現場検証を行い、身元が確認されたのはその日の午後だった。

 

 

 死亡推定時刻は、発見の五日前。

 死因は滑落による右腕の骨折と、それに伴う出血、低体温。

 所持品に食料や防寒具はなく、装備不十分での単独登山だったことも明らかになった。

 財布、スマートフォン、懐中電灯、だけが見つかった。

 

 

 ただ、遺体の周囲には奇妙な痕跡があった。

 濡れた土に残る、複数の“鹿の足跡”――

 それも、斜面の中腹や、落下地点のすぐ傍にまで続いていた。

 専門家の見解では、山中に生息するニホンジカがたまたま通ったものだろうとのことだった。

 

 

 足跡は、遺体の周囲を回るように円を描き、森の奥へと消えていた。

 ニュースに取り上げられることはなかった。

 大学生の遭難・滑落事故として、ひっそりと処理された。

 

 

 

 

 その後、地元の掲示板やSNSに現れた「金色の鹿」の話題も、次第に落ち着いていった。

 信じる者もいれば、嘲笑する者もいたが、毛束を持っていたはずの彼について語る声は、すぐに消えた。

 ただひとつ、山に残った足跡だけが、最後まで雨に消えずに残っていたという。

 

 


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