「お前も雷の呼吸なんだって?宜しくな。俺は男鹿。階級は戊だ。同門と仕事ができて心強いぜ」
そう話してきたのは、階級『戊』の隊士であった。獪岳より頭一つ大きく、白髪の混じった男鹿という先任に対して、獪岳は深々と頭を下げる。
「こちらこそ、勝手知った雷の呼吸の方と任務を共にできることは誇りです」
獪岳の階級は『壬』。隊士としては最低から一つ上だ。
獪岳の所属する私設暴力組織……鬼殺し集団、『鬼殺隊』には柱を頂点として十一の階級がある。戊は柱から数えて六番目だ。
「鬼を相手にするにあたって作戦を決めておくか。……お前さん、刀を見せてみな」
(……何の圧力も感じねぇ。大した相手じゃなさそうだが、ここは媚を売っておくか……)
獪岳には何としてでも成し遂げなくてはならない夢があった。
鬼殺隊。大正の世の裏で蠢く鬼を狩る組織のなかでのしあがり、やがては柱へと至る。それが獪岳の夢であり、野望である。その夢のためなら目上の人間に対しては特に慎重に対応する必要があった。
「どうぞ」
腰に下げた日輪刀を獪岳は恭しく献上する。男鹿はスッと目を細めて日輪刀を抜き放った。
「おお、お前さんの刀はすげぇなぁ。雷の紋様が浮かんでやがる。幸先が良いってもんだ。いや、一目見てそうじゃねぇかと思ってたんだ」
「いいえ、そんなことはありません。俺はまだなにも成し遂げてはいませんから」
獪岳の日輪刀の刀身には、鮮やかな雷を思わせる紋様が浮かんでいる。獪岳は謙遜した。
(そうだ、俺はまだまだこんなもんじゃねぇ……!)
階級が上がるまでの間に、獪岳は単独で三匹の鬼を斬った。鬼のうちの一人は血気術という理外の術を持っていたが、自分の敵ではなかった。煽てられ満更でもなかったが、獪岳は自分を戒めていた。
「俺も雷の呼吸を覚えたが、刀の色は真っ黒けでな。正直見れたもんじゃあねぇ。お前の才能に期待してるぜ、獪岳」
男鹿は刀を鞘に納めて獪岳に返すと、とんと肩に手を置いた。
「……さぁて、今回の任務についてだ。今回森のなかに鬼がいること、子供が浚われていること、隊士が一人やられてることまではわかってる。しかしだぜ、敵の能力まではわからねえ」
「はい。子供が浚われたのは?」
「二人が2日前だ。隠のかたによれば、年は六つと五つだそうだ。……俺は生きてはいねえと思って戦う。鬼殺隊が来たとなれば、鬼も喰って力をつけておこうと思うだろうからな」
男鹿はそう言った。獪岳は無言で頷いた。
(正直死んでた方がやりやすいな……)
とさえ思った。
鬼殺隊は鬼を殺し、人を救うのが仕事だ。しかしそれは理想に過ぎないと獪岳は思う。
たとえば鬼が生きた子供を人質に取ったりすれば戦いの難易度ははね上がってしまう。獪岳は見知らぬ子供のために命を落とそうとは思えなかった。
「今回の任務、俺が先行しようと思う」
獪岳は先任隊士の言葉に有り難みを感じた。
鬼は人間以上の筋力を持つ。中には、理のそとにある技、血鬼術を使うことができる鬼もいる。
能力がわからない鬼と戦うにあたり、前に出ることの恐ろしさを獪岳は肌で感じていたし、先輩の申し出は素直に嬉しいものであった。
それだけ死ぬ確率は減るのだから。
「森を拠点とした鬼と遭遇したら、俺が囮役になる。お前さんに壱の型での首斬りを頼めるか?」
「っ……」
獪岳は一瞬、言葉につまった。まさか、壱の型が使えません、とは言えない。
雷の呼吸には六つの型がある。型はどれも鬼の頚を斬って落とすための技だ。
獪岳は雷の呼吸の才能こそあるが、そのうちの基礎である壱の型だけは習得できなかった。
「いえ……いえ!先輩に危険な役をさせるわけにはいきません。自分が二の型で前に出ます」
獪岳のプライドは素直に申し出ることを拒否した。
(くそ……前に出たくなんかねぇのに……!こうなったら、肆ノ型で距離を詰めて殺られる前に殺るしかねぇ……!!)
視界確保も難しい夜の森の中で先行することは恐怖が伴う。獪岳ははじめて鬼と遭遇した時の恐怖がぶり返してくるのを抑えながら虚勢を張った。
「しかしだぜ獪岳。敵に突っ込んでいくのは危なかろう。俺が前に出て引き付けるから、霹靂一閃で頚を斬ってくれ。それが一番威力があって、確実な戦法だ」
男鹿がそう言ったのは、近接戦闘で波長を合わせながら連携することが難しいからだ。
鬼殺隊において、複数の隊士が合同で任務を行うことはある。しかし、刀を持ち高速移動しながら鬼と戦闘を繰り広げる時に、仲間と囲んで切り落とすことは言うほど簡単ではない。
獪岳も隊士になったあと講習を一度受けただけで、複数人での連携はこれがはじめてなのだ。複雑な連携などできるわけもなかった。
霹靂一閃とは、納刀状態から敵陣に突撃し頚を斬る神速の居合斬りである。
他の型でも頚は斬れる。しかし、鍛え上げた全身をバネにして放つ突撃は、一撃の火力だけなら雷の呼吸の中でも最大を誇る。
男鹿に言われ、獪岳は己の命とプライドのどちらかを取らねばならなかった。
「お……俺は……壱の型が使えません……」
(屈辱だ……!!)
「……壱の型を……?」
男鹿の目に宿った困惑と、そして哀れみのようなものを獪岳は受け取れなかった。
「いや、そうか。なら作戦を変えよう。俺が遭遇したら何とか引き付けて時間を稼ぐ。獪岳は後ろから回り込んで頚を斬れ。……出来るな?」
「やります!やらせてください……!」
獪岳は必死に頷いた。下がった評価は、自分の手で取り返さねばならなかった。
***
(糞っ!糞糞糞がっ!……何でコイツにできて、俺には出来ねぇ……!!)
「あああ痛い!痛いよぉっ!!!助けて、助けてよぉ!!」
「うるせぇ!とっととくたばれ!鬼畜生が!」
獪岳のはじめての合同任務は、つつがなく終了した。獪岳は頚を落とされて泣きわめく女の鬼を踏みつけにし、鬼を塵に変えた。
「その辺にしとけ、獪岳。子供の前だ……よくやった」
男鹿は鬼の作った籠に格納された子供を落ち着かせようとしていた。獪岳は舌打ちしたい気持ちを堪えた。
「……近い縄張りに二匹も鬼が居たとはな。前の隊士も運がなかった。……でなきゃあ負けはしなかったはずだぜ……」
男鹿は鬼に手を合わせると、捕らえられていた子供をの手を取った。
鬼は一匹ではなく、二匹いた。通常鬼は群れることはないが、五十年ほど潜伏していた一匹の鬼の縄張りに、五年前にもう一匹、新入りの鬼が入ってきたのだ。
鬼は連携しない生き物だ。しかし山で迷い混んだ人間を喰うために、結果として二匹の鬼が連携するような形になった。
獪岳の見た限り、殉職した隊士は運と実力の二つが足りなかったのだ。
戦いはさほど難しくはなかった。
一匹目の鬼は、若い鬼であった。遭遇と同時に男鹿が放つ霹靂一閃によって頚を落とされたのである。
二匹目の鬼は人質がいることをほのめかして、男鹿を脅してきた。防戦一方に追い込まれる男鹿の後ろから獪岳が忍び寄って、参ノ型 聚蚊成雷で切り裂いたことで戦況は獪岳たちに傾いた。
鬼は籠を出現させ、その籠を落として中に人間を拘束する血鬼術を持っていたが、自分もその籠を壊すことは難しかったらしい。接近してしまえば途端に術の切れ味が落ち、獪岳と男鹿が取り囲んで、獪岳が頚を落とした。
それでも獪岳は満たされなかった。男鹿の見せた霹靂一閃は、獪岳にとってどうしても腹に据えかねる一人の弟弟子を思い起こさせたからだ。
「……お前もめそめそと泣いてんじゃねぇ!生きてるだろうが!生きてさえいればな、いくらでも勝つ機会は巡ってくるんだよ!」
獪岳は怒りのままに子供に心ない言葉を浴びせてしまった。
「落ち着け、獪岳」
「……申し訳ありません。取り乱しました」
「……ごめんな坊主、怖いよな?すぐに村まで帰してやるからな……」
獪岳は子供が嫌いであった。
過去の、己の中に残る屈辱。濯ぎようがないどうしようもない恥を思い起こさせるからであった。
***
「よぉ獪岳。いい店を知ってんだが、一緒に行かねぇか?」
「いえ、自分は予定がありますので……失礼します」
「何だよ、付き合いわりいなぁ……」
「いやいや無理に付き合わせたら悪いだろうが。……またな」
獪岳は男鹿や同期の茶戸の誘いを断った。その獪岳の背中に、男鹿は声をかけた。
「獪岳。お前はそれでいい。止まるんじゃねぇぞ!」
人混みの中に紛れ、獪岳の耳にその激励は届かなかった。
***
獪岳が鬼殺隊に入り、半年が過ぎようとしていた。獪岳の階級はさらに二つ上がり、庚となった。
(……柱になるには……甲になって、鬼を五十匹斬らないといけねぇんだ。遊んでる暇はねぇ……!)
階級があまり上がらなかったのは、血鬼術持ちの鬼に遭遇して重傷を負ったからだ。男鹿の階級も一つ上がり、同期の茶戸は辛になっている。獪岳にとっては足踏みした時間を取り返すためにも、丁にならなくてはならなかった。
鬼との戦いで負傷し、余った時間と金を獪岳は博奕に注ぎ込んだ。そうすれば、自分に足りない勝負の勘が養えると考えたからだ。
***
「そいや、聞いたか?最近入った隊士にすげえのが居るって噂」
「すげえのって?」
「なんでもな、鬼を食うやつがいるんだって」
「マジかよ!?気持ち悪っ!」
「他にもな、猪の面をつけた野獣みたいなやつと、ド派手な金髪のが居るんだってよ」
「うげっ、金髪?西洋人かよ?」
「オイ、無駄口叩くな。鬼が居るってのに何をヘラヘラと気を抜いてんだ。てめぇ死にてぇのか?」
「てめぇが死ぬ分には構わねぇが、巻き添えでこっちが死んだらどうすんだ」
「あ、ああ悪い獪岳……」
(ちっ!何で俺みてぇに出来ねぇんだ。俺が下っ端の時はもっと丁寧だったぜ!)
獪岳は下の階級の隊士に対して高圧的に接した。
獪岳も鬼殺隊で生き残るうちに、下の階級の人間と合同任務をすることが多くなった。そんな中、獪岳の気に入らないことは山ほどあった。
上の階級である自分に対して同い年だからと緩んだ態度の目の前の隊士もそうだが、それよりも気に入らないことはある。
(……ざけんなよ……カスが……)
弟弟子が試練に合格して隊士になったことは獪岳にとって恥であった。
修行を逃げ回り、鬼との闘争を嫌がる弟弟子。記憶の中のその姿は、鬼を相手に土下座した過去の自分を彷彿とさせた。
鬼。人を喰うこの世で最もみにくい生き物。
それに屈した過去は屈辱であり、恥辱だった。
消えぬ記憶を払拭するためにも、獪岳は腹の底から声を出して叱咤した。
「……そら、鬼との任務だ。てめぇら足を引っ張るんじゃあねぇぞ!」
獪岳は鍛練を惜しんだことはなかった。その日も、他の隊士が死なないように仕事をこなし、鬼の頚を斬った。
***
「……ちっ!綺麗な字を書きやがって。当て付けのつもりか?あの野郎、どこでそんなもん覚えやがった……」
弟弟子の善逸から来た手紙を、獪岳は無視した。
幼少期に尋常小学校に通い、寺では親代わりの悲鳴嶼行冥から一通りの読み書きと計算が出来るよう教わった。しかし、字は下手くそもいいところであったし、筆を取って手紙を書くという発想すらなかった。
(まさかあの野郎、先生にも手紙を出していやがるのか……?)
獪岳はふと思い至った。
行く宛もない獪岳を拾った恩師、桑島慈悟郎のことを。
己の恥が原因で寺を追われ、その後は方々を転々として行く宛もなかった獪岳が最後に拾われたのが桑嶋である。
耄碌ゆえか、自分と、修行を逃げてばかりの我妻善逸を共同の後継者とした元剣士。獪岳のプライドは、老人から渡された共同後継者の証の羽織に袖を通すことを拒否した。
しかし、恩義はあった。桑嶋のもとを出てから、獪岳は一度も筆を取っていないことに思い至った。
(……く、くそぉ……手紙を……手紙を書く?先生に?どうすんだ、そんなの……)
(わ、わからねぇ。どうやって書けばいい?何を?鬼との戦い?隊の愚痴?)
善逸の手紙を詳しく読めば一般的な手紙の体裁は整えられるだろう。しかしそれは、不出来な弟弟子の手を借りるようで嫌であった。
何よりも。
(も、もし……やつの手紙と比べて読みづらかったり、文字が間違っていたりしたら……)
まがりなりにも恩人に恥を晒したくはない。そんな獪岳は、結局一度も筆を取ることは出来なかった。
***
「ふー、終わった終わった……。いや、良かったよなー」
「警官が来る前にずらかるぞ。残ってたら面倒なことになるんだ」
獪岳は共同で任務にあたった隊士の松村に声をかけて、さっさとその場を引き揚げた。
鬼殺隊は非合法組織である。大正の世に帯刀して夜中を彷徨き回る不審者だ。
警官と揉めたとしても金でなんとかなりはするが、経費がかかる。上官たちの覚えも悪くなる。だからこそ、面倒ごとは避けなくてはならなかった。
「俺さ、この間鬼喰いのやつと任務に行ったんだ。いや、最初は気持ち悪いと思ったけどさ……すげえのなんのって……」
「ったく。無駄口を叩いたかと思えば、鬼喰いに絆されて掌を返しやがって。矜持ってものはねぇのかてめえには」
獪岳は目の前の松村の言動にあきれた。
「え、いや……そりゃあ俺は軽いやつだけどさ……そこまで言うことなくね?」
「だったら最初から言うんじゃねぇよ、カスが」
獪岳の言動は本音であった。獪岳は階級が下の相手に対してはどこまでも高圧的で、自分を隠すことをしなかった。
(……強さだ。実力をつけて実績を積む。それがここでのしあがる方法なんだ……!)
それは獪岳なりに鬼殺隊という組織を見た上での結論であった。
鬼を相手に死なない強さ。生き残れるだけの強さ。鬼を殺せるだけの強さ。
それさえあれば、他のものは無くても構わない。柱になれば、尊敬される。柱になれば、満たされる。
それが獪岳の夢であった。
***
「炎柱、煉獄杏寿郎が死んだ。俺たちは気を引き締めなくてはいけない!柱を支えて、いざというとき、柱の役に立てるようにだ!」
(……は?)
村田という隊士が言った言葉を、獪岳はぼんやりと聞いていた。
(……柱、が……?)
獪岳の中の何かが崩れたのは、この瞬間であったのだろう。
***
「オイ聞いたか?庚の隊士が上弦の鬼の頚を斬ったって話……!」
(……何だ、カスどもが。庚が?上弦を?……そんなわけがねぇだろうが)
獪岳は不機嫌な気持ちを抱えて、藤の家の鬼灯を眺めていた。
獪岳は不愉快でった。鬼殺隊において最強の剣士、柱が死んだという報が流れて暫くのあいだ、獪岳は己の中のモチベーションを保つことが難しくなっていた。
柱は過去にも戦死することはあったという。しかし、現在の鬼殺隊の柱は過去最強だと、男鹿をはじめとした先輩たちは口を揃えて言った。
獪岳自身、それを肌身で感じたことはあった。霞柱の任務に同行する機会を得た獪岳は、現役の柱の剣を目にする機会があったからだ。
そんな柱でさえ死ぬ。それが鬼殺隊の現実なのだ。
「……その庚ってどんなやつなんだ?さぞかしデケェんだろうなぁ」
「や、何でも背中に籠を背負って額に痣があるやつと、猪頭の面をつけたやつ。そんで、金髪のうるせぇやつなんだってよ……」
(!?)
(バカな。そんなわけねぇだろう。冗談も休み休み言えよ……!)
獪岳はその噂を耳にして、ぎり、と萎えかけた野望に火が灯るのを感じた。
あの我妻善逸に出来て、自分に出来ない筈がない。そう、そうでなくてはならないのだ。
いまだに霹靂一閃だけ出来ないことは、獪岳の中で消えない傷であった。しかし、この頃には獪岳は内心で言い訳をするようになっていた。
獪岳の身体能力は選抜試験の時とは比べ物にならない。居合の技術も学んだ。博奕でスッて度胸もつけた。
それでも出来ない。否、出来ないのではない。
(俺は霹靂一閃が出来ねぇんじゃねぇ。しないだけだ。……必要ねぇんだ、あんな突っ込むだけの技は……!)
ゴールポストを動かすことで獪岳は己の中のプライドを保つことを選んだ。
獪岳の階級は、この時丙。鬼も三十六匹を斬り、柱までの道も近付いてきていた。
***
***
「……黒い刀の……持ち主か……」
「……上弦の鬼だ!皆囲んで……!」
男鹿の指示が届くより先に、強烈な何かが男鹿の身体を切り刻み、細切れにしていた。
「……死に腐れ鬼がぁ!」
茶戸たちや松村たちは、勝てないとわかっている鬼相手に突っ込んでいく。
「……あ……」
獪岳は。
「……う……」
獪岳は、動いた。刀を地に置いて、無我夢中で頭を下げていた。
他人に口にした矜持も、恥も、恩義も、その全てが一貫性のないものであったと獪岳は証明してしまった。この瞬間、獪岳という人間の人生は終わったのである。