意気投合し楽しい時間を過ごす二人だったが、そんな時、希望を狙う大男がモールを襲撃する。
共に逃げようと爛は懇願するが、希望はコンパクトを開き、大男と戦うべくその姿を変貌させるのだった。
(はぁ〜! 映画最高だった〜!)
映画館の廊下を赤髪の少女がいかにも『ご満悦』といった表情で歩いている。彼女の機嫌の良さはゆらゆら揺れる二つのおさげにも表れていた。
彼女の名は
(ストーリーもよかったけど、何より犬楚くんが格好良かった……!)
彼女は趣味の映画鑑賞、それも推しの俳優が主演を務める映画を堪能し、その余韻に浸りながら帰ろうとしていた。しかし、それ故の不注意からか、廊下の曲がり角で人にぶつかり、力負けした彼女は尻餅をついた。
「あっ……ご、ごめんなさい」
咄嗟に謝罪の言葉が出たのは爛の方。ぶつかった相手であるガラの悪い男は舌打ちをしながら通り過ぎようとする。爛はその態度に思うところはあったが、事を荒立てたくないため我慢を選択した。
「ちょっと! あなた、待ちなさい!」
しかし、そこに第三者が介入する。ウェーブのかかった金の長髪を靡かせた少女が男を呼び止めた。
「今のはよそ見していたあなたにも非があるのではなくて? こちらの子は謝ったというのにあなたからは何も無いのかしら?」
声は凛としており、背筋がぴんと伸びたその立ち姿からは気品が漂う。ブラウスとスカートは一目で良いものとわかる。『普通の子』ではないのは爛にも男にも分かった。
そしてこの胆力、反論しようとした男だったが、口をつぐむ。彼女の介入により周囲の視線が集まったことで騒ぎになりかねないと判断したのだ。彼もまた映画を観に来た客の一人、大ごとになりその時間が潰れるのは避けたかった。
「……悪かったよ」
それだけ言って足早にシアターへと入っていった。爛としては少し溜飲が下がった気分だが、どうやら目の前の少女は不満げな様子。
「何ですのあの方! 本当に反省しているの!?」
自分のことのように頬を膨らませて怒っていた彼女だが、我に返ると未だに尻餅をついたままの爛へと手を差し伸べた。
「ごめんなさいね。出過ぎた真似だったかしら?」
「いえ、ありがとうございます……」
爛は手を借りて立ち上がり礼を言うと、彼女は誇らしそうに胸を張る。すると、その視線が爛の手元へと向けられた。
「あら、あなたもさっきの映画を観ていらしたのね?」
「は、はい……」
「私もよ! もしあなたさえよろしければ、昼食を摂りながら感想を語り合うのはどうかしら?」
『映画は感想戦が一番楽しいから』と笑う彼女に爛は戸惑う。内気な性格の爛に初対面の相手とランチはかなりの難題である。そもそも、この辺りは最近物騒なのに初対面の相手についていっていいのかという懸念があった。
だが、目の前の彼女は初対面とはいえ恩人には違いない。ならばせめて誘いを受けることで少しでも恩を返せればと考えた爛は恐る恐る頷いた。
「ありがとう! 私は
「かっ、花相 爛です」
「良い名前ね。爛さん、早く行きましょう? 感想は鮮度が命よ!」
逸る希望は爛の手を再び握り、そのまま先導するように歩き出す。慌ててついていく爛は希望が映画好きということだけは分かったのだった。
***
希望が選んだ店は意外にもモール内のファミレスだった。しかし、この店はテーブル同士の仕切りが設けられており、店内も家族連れや学生グループで賑わっているため、談笑するにはもってこいの場所だった。
「あのシーンは主人公の葛藤する演技がとても良くて……」
「そうね! 親友が自分と同じ女性を好いていると察しての、恋慕と友情の天秤が揺れ動くあの表情……流石の演技力ですわ!」
希望は聞き上手で爛の拙い感想を正確に言語化する力があり、そのうえ本人も高い熱量で語るものだから、気付けば爛も饒舌(当人比)になっていた。聞けば希望は爛の一歳歳上とのことだが、この数十分の会話で爛の緊張は解れリラックスして会話することができていた。
「……ふふ」
「?」
思わず漏れた笑いに希望がキョトンとする。爛は不審がられたかなと不安になりながら慌てて弁明した。
「す、すみません。私、こんなに話せる友達が居なかったので、その、楽しくて……」
爛の友人は少なく、休日に共に遊ぶほどの親密な相手もこれまで居なかった。まして、同じ映画の感想を語れる相手は。
それを聞いた希望は『よかった』と微笑むと、スマートフォンで時間を確認した。
「爛さん、この後のご予定は?」
「特に何も……」
「せっかく仲良くなれたのだもの、このまま解散は勿体無いわ。午後は一緒にショッピングでもいかが?」
友達とショッピング。今まで経験したことのないイベントで、少なからず憧れていたものだ。頷きかけた爛だったが、すんでのところで動きが止まった。
(でも、希望さんって見るからにお金持ちだし……私がついていっても手の届かない値段なんじゃ……)
迷い固まる爛の姿に希望は何か思いついたように『あぁ』と声を出した。
「ひょっとして予算の心配かしら? 大丈夫、私は一般家庭で暮らす普通の中学生よ?」
「えっ」
内心を言い当てられたことと予想外の希望のカミングアウトでの二重の驚愕が声に出た。魚のように口をぱくぱくとさせる爛をクスクスと笑いながら希望は続ける。
「この喋り方は映画の影響。姿勢や礼儀は親に厳しく躾けられたからよ」
「で、でも、服が……」
「装いにはお金をかけなさいというのが我が家の教えなの。そのせいで映画を観るためのお金を捻出するのが大変よ」
そう言って頰に手をあててため息をつく希望の姿はやはり気品に満ちているのだが、その話を聞いたからか爛は先ほどよりも親しみを覚えた。
「このモールには贔屓のショップがあるの。安いのに質もデザインも良くて……だから、どうかしら?」
「! は、はい。是非……」
希望が庶民であり、自分と近い悩みを持っていると分かった瞬間にガードが緩くなったのだから、現金な奴だなと爛は自嘲する。爛もまた映画のために本来なら外見に使うべき小遣いを削っていた。今の爛の装いは全てセール品である。
そんな爛のファッションは、希望に連れられて訪れたショップを出る頃には一新されていた。希望によりコーディネートされたのである。だが、爛は気恥ずかしそうに周囲を見回す。
「う……変に見られてないですかね……?」
「どうして? よく似合っていましてよ?」
「で、でも……双子コーデなんて……」
爛が着替えた服装は希望と同じもの。スカートの色だけ希望が淡い水色なのに対し爛は黒という違いはあるが。
「一度やってみたかったの。爛さんは猫背なだけで私より背が高いからこの配色なら大人らしく見えるわ」
この二人、一見するとほぼ同じ身長に見えるが、希望が背筋を伸ばしているのに対し爛は猫背のため実際には爛の方が数センチ高いのである。希望も平均身長よりやや高いことを考えると、爛は女子としては長身と言えた。
「でも、もし嫌ならお店に言ってまた着替えさせていただくことも……」
そう提案する希望の不安そうな目に爛は『うっ』と小さく呻いた。勘ではあるが、希望もまた友人の少ないタイプの人間なのではないかと爛は考えていた。
(良いとこのお嬢様って感じだし、もしかしたら高嶺の花みたいになってるのかも……)
もしそうだとすれば、この前のめりな姿勢も頷ける。初めての友人とのショッピングに少なからず舞い上がってるのは爛も同じだった。だからこそ、誤解をさせてはいけない。
「い、いや、大丈夫です。その、恥ずかしいけど、う、嬉しい、ので」
意を決して口にしたのは紛れもない本音。たどたどしい口調だっが、その想いはしっかり伝わり、希望は笑顔を見せるのだった。
「ところで、何で私が希望さんをお金持ちだと思ってるって気付いたんですか?」
「前にも同じことを聞かれたの。仲良しの後輩から」
それを聞いて『ちゃんと仲の良い人が居るんだ』と思った一方で、何故か少し胸が痛んだ。
「でも、その子たちとは少し距離を感じるの。色々あって先輩後輩の意識が強くなってしまったせいかしら。……だから、爛さんのように近い目線で話せる子は初めてなの」
安堵と共に痛みが消える。痛みの正体について、爛は気のせいだと思うことにした。
「爛さんにも今度紹介するわ。きっと仲良くなれると思うから」
ランチの際に聞いた話では希望は隣町の中学校に通っているという。ならばその後輩も同じ中学の生徒なのだろう。
(違う中学の友達の方が多くなるかも……)
奇妙な交友が生まれたことに若干の興奮を感じる爛。その後輩は何年生か、どんな性格か、希望とは何で知り合ったのか。湧き出す疑問をどう質問に変えようかと爛は頭を悩ませながらモールを歩いていた。
突然、爆発音と強い振動がモール内に響いた。
「えっ……?」
「伏せて!」
咄嗟に反応できなかった爛の身体を希望が抱いて床へ倒れ込む。周囲で混乱していた他の客もそれに倣って伏せたり物陰に身を隠した。
「まさかこんな街中で……!?」
何やら呟く希望の瞳は先ほどまでの様子とはまるで違う。この事象、あるいはそれに関連する何かに対する強い敵意を爛は感じ取った。
「希望さん……?」
「爛さん、今すぐここから逃げて。私も後から向かうわ」
周囲を見回しながら希望がそう告げる。けれど、爛はその指示を拒んだ。
「どうして……希望さんも一緒に避難しましょう!?」
「それは……。とにかく、あなただけでも──」
その時、希望の言葉を遮るように再び轟音が鳴った。先ほどの爆発音とは異なる、重い何かが落ちたような音が、希望の背後で。
「カカッ! ようやく見つけたぞ!」
舞い上がったコンクリートの破片を払いながら上機嫌な笑い声で現れたのは、メイスを担いだオールバックの大男。その身体は鋼鉄の鎧に包まれ、額には二本の鋭利な角が生えていた。素早く振り向いた希望はその大男と対峙する。赤く染まった眼が希望へと向けられる。
「エルーキ……!? どうしてこんな街中に!? あなたがたも騒ぎになるのは避けたいのではなくて!?」
「だが、こうでもしなければ貴様と
『あの二人は邪魔ばかりする』と愚痴る大男『エルーキ』は、ここでようやく爛の存在を認識した。
「なんだ、連れが居たのか。とっとと下がらせろ。闘いの邪魔だ」
「え……は……?」
爛もここでようやく思考が追いついてきた。どうやら目の前の大男は希望と戦いたいらしい。言葉の意味は理解できたが状況の方はさっぱりだった。
(闘うって……希望さんと!? こんなデカい……というか人間じゃない!? そんなの希望さんが死んじゃう!)
「の、希望さん……」
「ごめんなさい爛さん。後で説明するから、今は避難して。私は大丈夫だから」
「大丈夫って……そんなわけ……」
仮に希望が武術の達人だったとしても、エルーキの体躯は常識外れであり対抗できるとは到底思えない。渋る爛の様子にエルーキは舌打ちをする。
「もういい、とっととその姿を変えろ。後で説明するなら今見せても同じこと。あまり出し惜しむようならこちらにも手があるぞ」
「あなたの言う通りにするのは癪だけれど……」
理には適っている。そう判断した希望は爛を下がらせると、ハンドバッグから取り出したコンパクトを構えた。
「オープンアップ!」
そう唱えると共にコンパクトが開かれ、眩い光が爛の目を眩ませる。両腕で陰を作りながら恐る恐る瞼を開ければ、先ほどまで希望の経っていた場所には全く異なる装いの少女が立っていた。
「天に煌めく
胸元に黄色の宝石を携え、白と黄色を基調としたファンシーな衣装は幼い頃に憧れた変身ヒロインあるいはそのコスプレのようで、爛は思わず目を擦るもそこに映る姿は変わらない。
目の前の謎の少女が艶のある金の長髪を靡かせたことで、爛はその正体にようやく思い至る。
「希望さん……!?」
「こういうことなの。キラフ、その子をお願い」
「おまかせキラ!」
突然幼い子供のような声が聞こえたかと思えば、小さな影が爛の視界に現れた。麒麟を思わせる黄色の身体に長い首の小動物は二足歩行なのか直立の体勢で空中に浮いていた。
「早く下がるキラ! 巻き込まれるキラ!」
「えっ、あの、えっ!?」
爛が怒涛の展開に混乱している隙にキラフと呼ばれた謎の生物がその手を引っ張り柱の陰へと下がらせた。
「これで邪魔者は消えたな。さぁ……
「……」
白い歯を見せるエルーキに希望は仏頂面でその手に自身の背丈ほどの長さの棍を出現させ、両手で握り頭上で回転させた後、その先端をエルーキへと向ける。
その手には既に汗が滲んでいた。
***
柱の陰へと退避させられた爛はようやく我に返るも混乱は収まらない。
「待って待って待って、何がどうなって……?」
「巻き込んじゃった以上はちゃんと説明するキラ! 何から聞きたいキラ?」
キラフの話す言葉もロクに頭に入ってこないが、一度深呼吸を挟んで気休め程度に気持ちを落ち着かせる。
「じゃ、じゃあまず……希望さんって何者なの?」
「希望は悪者と戦う三人のヒーロー、《サントチェーロ》の一人、《ウーノステラ》キラ!」
固有名詞は一旦置いておき、それ以外の部分をしっかりと頭に入れる。それでも非現実的な事態に頭が痛くなるが、エルーキの現れ方と希望の変身を見れば受け入れざるを得ない。
ただ、一度受け入れれば他の要素もある程度予測はつく。最近立て続けに起きる犠牲者の居ない事故はこれが原因だったのかと。
「それじゃあ、あなたは希望さんをサポートする妖精みたいなもので、あの大男は敵ってことでいいんだね?」
「理解が早くて助かるキラ! 正確にはボクは《聖獣》という生き物キラ!」
(そこは横文字じゃないんだ)
思考に少し余裕が出てきた。爛は恐る恐る柱の陰から希望たちの様子を窺う。
エルーキは大振りでメイスを振るい、希望はそれを回避しながら棍による突きをヒットさせていく。
見たところ、メイスは一撃も当たっていないが希望は攻撃を必ず命中させている。爛の目には戦況は希望の圧倒的優勢に見えた。
「やっぱり、このままじゃまずいキラ……」
しかし、キラフの見方は違っていた。爛は戦闘から目を離さないまま『どういうこと?』と問いかける。
「エルーキは戦いが長引くほど、ダメージを受けるほど強くなるキラ。手数が多い代わりに一撃一撃が軽いウーノステラの戦闘スタイルとは致命的に相性が悪いキラ」
その言葉を裏付けるように、エルーキがメイスを叩きつけた地面の破片が近くの柱まで飛んできた。先ほどよりもパワーが上がっているのだと素人目にも理解できた。
「普段は三人で戦うからどうにか撃退できていたキラ。でも、一人だけじゃ……」
「他の二人は?」
「変身したことは二人にも伝わるキラ。でも間に合うかどうか……」
「ぐうッ!」
メイスを柱に叩きつけた際の衝撃波が希望のバランスを崩し転倒させる。追撃として振り下ろされたメイスを間一髪避けるも、衝撃波と地面の破片で希望にダメージが入る。
「の、希望さんも逃げた方が……! このままじゃ死んじゃう……!」
「逃げたらアイツはこのモールを破壊するつもりキラ。それに、こっちは一定のダメージを受けると死ぬ前に元の姿に戻るキラ」
キラフが言うには、コンパクトには安全装置が備わっており、戦闘不能になっても力を失う代わりに撤退のために一時的に体力が回復するという。
「幸いエルーキは何故か無抵抗の相手は襲わないキラ。だから、今のウーノステラは時間を稼ぎさえすれば最低限の仕事は果たせるキラ」
しかしどれほどの時間稼げばいいかは定かではない。それは希望の精神をじわじわと消耗させていく。
(これまでの戦いを通じて、この方の人となりはある程度把握できた。悪意の薄い彼ならば、きっと分かり合える。しかし、まずは攻撃を止めないことには……!)
荒々しさを増すメイスの振りを掻い潜りながら突きを浴びせ、エルーキの動きを阻害する。籠手を突けはメイスは動きを止め、鎧の関節部分を突けばエルーキも痛みで後ずさる。しかしどれも有効打にはなり得ない。
(口惜しい……私の力が足りないばかりに……あの子に不安そうな顔を……!)
戦闘の最中、柱の陰から見つめる爛の姿は視界に入っていた。キラフが張るバリアは外からの衝撃を遮断するため、バリアから出ない限りは危険は及ばない。しかし、できれば遠く、施設の外へと逃げてほしかった。
このような情けない姿を見せたくなかった。
(でも、私一人の力ではエルーキには勝てない! たとえ情けなくても陽川さんと香月さんが来るまで耐える……!)
当然、見栄よりも一般市民の安全が大事。希望は回避に徹しながらも隙を見ては突きで牽制し、エルーキの猛攻を捌いていく。消極的な姿勢ながらもその戦法を成立させる技巧にエルーキは舌を巻く。
「カカッ! 見事だウーノステラ! だがいつまで保つかな!?」
エルーキも自らの能力によって時間が経つごとにパワーとスピードが増していく。徐々に鋭くなるメイスのスイングに希望も少しずつ追い詰められていく。
仲間の救援が先か、希望が限界を迎えるのが先か、爛は息を呑んで見守ることしかできない。
そして、遂に均衡が崩れる時が訪れた。
「ひっ……!」
「!?」
その声はその場に居た全員の耳に届いた。爛がその方向を見れば、一階の女子トイレの入口で小学生ほどの少女が腰を抜かしていた。そして、空振りしたメイスが柱に直撃し、砕けたコンクリートの破片が不運にもその少女へと飛んでいく。
「危ないっ!」
咄嗟に身体を投げ出した希望がその瓦礫を代わりに受けることで少女を守る。だが、ダメージを受けた希望はこれまでの蓄積もありうつ伏せに倒れたまま立ち上がれなくなってしまう。
「キラフ……! その子を安全な場所に……!」
「ッ……分かったキラ!」
キラフは一瞬躊躇するも希望の意思を汲み、少女を立ち上がらせて避難誘導する。
咄嗟に動けずその様子を見つめることしかできなかった爛は、希望の棍が手元を離れ遠くの地面に転がっていることに気付いた。
「このような決着になるとはな……。だからといって情けはかけん。我の勝ちだ、ウーノステラ」
「まだ……!」
歩み寄ってきたエルーキの振り下ろすメイスを転がりながら避けた希望だが、もう立ち上がる力は無い。
(っ……ここまで……かしら……)
もう転がる力も無い。再び振り上げられるメイスを前に敗北を悟る。
「希望さん!!」
その声に顔を上げれば、棍を持ち駆け寄ってくる爛の姿が。
「爛さん! 来ては駄目!」
「フン……得物を持ってきたところで使い手がこれでは……ム?」
二人の視界に入ったのは、駆け寄る爛の頭上でヒビ割れる天井。メイスによる攻撃の余波で破損した天井の一部が二人が危惧したのと同時に崩落を始める。そして、その直下には爛が居る。
「あっ……」
爛は遅れて崩落に気付くが、咄嗟のことに足が竦んで動けない。
「チッ……これだから弱者は──」
エルーキは意外にも爛を救う動きを見せる。彼は命を懸けた闘いを好むだけで、人命を軽んじている訳ではないのである。
だが、動き出した彼よりも先に爛の下への駆ける影があった。予期せぬ事態に彼の手が一瞬止まる。
「爛さんッ!!」
「えっ……」
頭上から落下した瓦礫が、希望の全身を呑み込み、紅が弾けた。
続いて降り注いできたものは遅れてきたメイスの衝撃波により破砕される。しかし、結果としてそれには何の意味も無かった。
流れ出る紅が地面に広がっていく。瓦礫の下がどうなっているかなど、最早考えるまでもない。
「そんな……希望……」
避難誘導から戻ってきたキラフはその状況に絶望し、エルーキは苦々しげに歯を食い縛る。
そして、転がっていた身体を起こした爛は目の前で起きた事象を理解できず濡れた右頬を撫でる。付着した紅を見ても、彼女の脳は現状把握を拒む。しかし、視線を落とした彼女は目に入った光景を認識してしまう。
(あ……ブラウスが……)
紅の飛沫が付着してしまったブラウス、その箇所を手で擦るも紅は広がるばかり。擦る手もまた紅に染まっているのだから当然である。
(せ、せっかく希望さんに買ってもらったのに……希望さん……に……)
そこで彼女を思い浮かべてしまったのが失策だった。脳裏に映るその姿と目の前の瓦礫──その下敷きとなった身体を結びつけてしまった。
「あ……あぁ……」
鈍器で殴られたような幻の衝撃が脳を揺らし、頭が割れるかのような頭痛が爛を苛む。爛は理解してしまった。希望は瓦礫に圧し潰されて死んだのだと。自分を庇って犠牲になったのだと。
「……! ら、爛! 今は逃げるキラ! いつまた崩れるか分からないキラ!」
我に返ったキラフが爛の袖を引っ張る。希望の死に未だ動揺を隠せないが、それでも使命を果たすべく爛を逃がそうとする。希望の遺志を無駄にしないために。
悲鳴が掠れ咳き込む爛はまだ錯乱しておりキラフの言葉は耳に届かない。
そんな中、『すぅ』と大きな呼吸音が辺りに響き──。
「立て、小娘ッ!」
エルーキの吠えるような声が爛の全身を震わせ強制的に意識を絶望の底から引き戻した。希望との戦いで喜びに満ち溢れていた彼の表情は哀しみを経て、怒りへと変わっていた。
「貴様は友に救われておいてその犠牲をふいにするつもりか!? 貴様に出来ることなど無い! さっさと去れ!」
好敵手を失った今、エルーキに最早戦う意思は無く、元より爛へ危害を与える気は毛頭無い。せめて好敵手の死を無駄にしないためにも、絶望する弱者を立ち上がらせようというのが彼の意図だった。
だが、それでも爛は動けない。瓦礫の下にあるであろう希望の亡骸を残してこの場を離れる訳にはいかないと彼女は考えていた。たとえそれが原型のない肉塊だとしても。
だが、その内心を知らないエルーキは苛立ちを募らせ、遂にメイスの切先を爛へと向けた。
「貴様……! ウーノステラを死なせただけに飽き足らず……。今の貴様はその死を愚弄するに等しいことをしているのだぞ!」
「ら、爛には手を出させないキラ!」
向けられたメイスの前にキラフが立ちはだかる。パートナーである希望の死により力が失われつつあるキラフはその残り僅かな生命を爛を守るために使おうとしていた。
対峙する一人と一匹、その裏で爛の頭にはエルーキのある言葉が引っかかっていた。
「死なせた……私が……」
「ッ……あぁそうだ! 貴様が殺したんだ!」
頭に血が上ったエルーキの言葉が爛の心を揺さぶる。キラフは耳を貸さないようにと釘を刺すも、それはもう爛の耳には届かない。
「私が……殺した……。私が……」
自責の念が膨れ上がり、内側から爛を引き裂こうとする。その痛みは爛の心を蝕んでいき──弾け飛んだ。
「……違う!」
爛は足元に転がっていたひび割れたコンパクトを拾い上げ、ふらふらと立ち上がる。キラフは一瞬安堵するもその瞳を見て考えを改めた。
爛の瞳には先ほどまで染められていた絶望をも焼き払うほどの黒い炎が灯っていた。
「違う……私じゃない……! お前が……お前が現れなければ……!」
夢想する。希望と共に店を巡り、新たな体験をし、時間が来れば連絡先を交換してまた後日。そんな未来が待っているはずだった。
それを壊したのは──。
「許さない……! お前を……希望さんを殺したお前を!!」
途端、手に持ったコンパクトが輝き出す。しかし爛本人はそれに気付かず、驚嘆するのはエルーキとキラフの二名。
「この力は……!」
「まさか……爛も……!?」
光は爛の身体を包み込み、新たな形を成していく。それは先程の希望が姿を変えたシークエンスと同じ。それが何を意味するのか、二名は同じものを思い浮かべる。
それでもなお、爛の瞳にその光は届かず、エルーキへ向けられたそれは黒い炎で爛々と燃え盛り──光は突如黒い炎へと変貌する。
「!? 馬鹿なっ……これは……!」
エルーキはその力を知っている。キラフもまた一拍遅れてその正体に気付いた。
「爛ッ! やめるキラ!
キラフの制止の言葉も今の爛には届かない。否、聞いた上で止まらない。
憤怒の炎に焼き焦げたその心はもう復讐を果たすことでしか解放されない。
「希望さんの仇……! お前を殺すッ!!」
最後の一線を越えたその瞬間、手の中のコンパクトが砕け散った。
黒の火柱から現れたのは変わり果てた少女の姿。赤と黒の入り混じるその装いは希望たち《サントチェーロ》に近く、けれどもその象徴とも言える胸元の宝石は黒く焼け焦げ輝きを失っていた。
「……カカッ、まさか貴様が我々の同類とはな。さしずめ『
「だが……共に征こうなどとは口が裂けても言えんな」
力が同じだろうと、向ける感情は憎悪と憤怒。和解の道は無いと断じたエルーキはメイスを構え、臨戦体勢に入る。
「名は?」
「誰がお前なんかに言うか……!」
「カカッ! いいだろう小娘! 無銘の墓標の下で眠るがいい!」
エルーキが大きく踏み込みメイスを水平に振り回す。爛はその右腕に炎を纏い、拳をメイスに衝突させる。
拮抗の末、エネルギーが弾け二人が数歩分後方へと飛ばされる。
「炎と拳で闘うか! それもこれほどの力……先ほどまで迷いに塗れていた弱者がよくぞここまで!」
「黙れェ!」
今度は爛が先に攻勢に出る。炎による推進力を利用して一瞬で加速した彼女はエルーキの反応よりも先に膝蹴りをその脳天に食らわせる。
「ぐゥ……! だが、二度目は無い!」
「二度目なんて必要ない! お前は今ここで殺す!」
膝蹴りの衝撃による硬直から立ち直ったエルーキの顎へ追撃の拳が直撃する。脳を揺さぶられ一瞬意識が飛ぶも、反射で反撃を試みる。
しかし、その一瞬の分だけ早く、爛の正拳突きが鳩尾に突き刺さる。強い衝撃と痛みにたまらず怯み、膝を折ったエルーキの顔面に炎を纏った掌が叩き込まれ、そのまま押し当て炎で顔面を焼き続ける。
「ぐっ……おおおおおおおおおお!!!」
灼熱の黒炎がエルーキの顔から全身へ広がり燃やし尽くしていく。人体の焼ける悪臭に爛が顔を顰める。
爛が抱いた嫌悪感はその臭いに対するものでしかない。己の行為に対しては何の抵抗も無く、むしろ快感さえ抱いていた。
「爛! もう十分キラ! それ以上は……!」
猛威を振るう爛に圧倒されていたキラフがようやく絞り出したその言葉に反応したのか、爛はエルーキの顔から手を離す。エルーキを包み込んでいた炎が霧散し、エルーキが膝をつく。
「爛……!」
ようやく止まってくれたのだとキラフが安堵の息を漏らす。エルーキの全身は焼け焦げているがまだ治療すれば助かる状態であった。爛は彼と目線を合わせるように片膝をつく。
そして、炎を纏った右手でエルーキの腹部を貫いた。
「え……?」
あまりにも躊躇いなく行われたその行為にキラフは目を疑い、そして思い知る。自身の言葉は爛の耳に届いていなかったのだと。
「ご……ぉ……」
エルーキの口から血と呻きが吐き出される。これだけの負傷で未だ息があるのは《エモスファージ》としての力があってこそ。しかし、その命は爛が火力を上げるだけで消し飛ぶ程度のものでしかない。
「命乞いをすれば考えてやらなくもないけど」
生殺与奪の権は爛が握っている。ここでエルーキが助かりたいのならば命乞いをする他ない。たとえ、爛にその気が一切無いと分かっていても。
その上で、エルーキが絞り出した言葉は……。
「──すまなかった」
「……は?」
爛は右手を引き抜かない。無意識に放たれる熱がエルーキの内臓を焼き焦がし彼に耐え難い痛みを与える。それでも、エルーキは歯を食いしばりながら言葉を紡ぐ。
「貴様から友を……奪ったこと……だ。それに……我の蛮行で、多くの人間に……迷惑を……」
エルーキの目から赤が消えていく。続けて、角やメイスも消滅が始まる。
「……笑えん、な。正気を失い、その果てに見込みある若人の命も奪い……命乞いなど、どうして出来ようか」
エルーキの力が失われていく。それはつまり、彼の命を繋ぎ止めていたものも同様に。
彼の言葉は爛に届いている。だが、脳が必死に理解を拒む。なぜなら、目の前で語る彼の姿はまるで人間のようで……。
「……爛と、いったか。貴様は……まだ……引き返せる……」
「待て……違う……。私が聞きたいのはそんな言葉じゃない……!」
醜く生にしがみつけ。あるいは相討ちを狙い最後の力を振り絞れ。それを無慈悲に挫いてこそ、復讐が成就する。
爛はそう思っていた。だというのに──。
「言える立場では……ないが……
次の瞬間、エルーキだったモノが発火し、黒炎が包み込む。それはあっけなく全身を黒く焦がし、朽ちて、灰となって消えた。
「……違う」
爛はうわごとのようにそう呟く。最期の瞬間、エルーキの力は全て失われていた。その姿はまるで普通の人間で──。
「考えちゃ駄目キラ」
キラフの声がようやく爛の耳に届いた。縋るようにその声がした方向へ顔を向ける。しかし、声の主であるキラフの姿は半透明になり、そのシルエットは少しずつ粒子と化している最中だった。
「キ……キラフ……その姿……」
「ようやく元に戻ってくれたキラ。……希望が死ねば、パートナーの僕も消滅するキラ」
宙に浮遊するキラフに恐る恐る触れるが、その感触は無いに等しい。潰してしまうのではという危惧から慌てて手を離す。
「な、なにか助かる方法は……」
「無いキラ。それより──」
消滅は確定事項。そう割り切り断言したキラフは残り僅かな時間を爛へと捧げることに決めた。
「今すぐここから逃げるキラ」
戦闘が終了したことで避難していた一般市民や警察・消防もいずれここを訪れる。その際に不都合が生じるのだろうと爛は考えるが、首を横に振った。
「希望さんを置いていけないよ……!」
希望の亡骸が下敷きになっているのは数多の瓦礫のうちの一つ。このままこの場を離れては発見がいつになるか、その亡骸を希望と特定できるか分からない。せめて一刻も早く希望を弔ってあげたいという爛の想いだった。
だが、キラフはそれを必死に否定する。
「違うキラ! この状況は誰がどう見ても──」
そこでキラフの身体が遂に欠け始める。ショックで口元を押さえる爛に、キラフは最後の力を振り絞る。
「とにかく早く逃げるキラ……! そして今日のことは忘れて……平穏に……生きるキラ……」
「キラフ!!」
キラフは最後の瞬間まで爛を案じながら全身が粒子と化し、空へと昇っていった。
現場に残されたのは数多の瓦礫と爛だけ。
「……そんなこと、できないよ。逃げるなんて……忘れるなんて……」
爛の心は未だ動揺の渦中。だが、それでもキラフの言うことには従えないという意思は明確にあった。爛の人生において希望との思い出はほんのわずかでしかない。けれど、その時間は爛にとってかけがえのないものとなっていた。
(私のせいで希望さんは……だから、せめて……)
この十数分で、ただの内気な少女だった爛はいくつもの非現実的な経験をした。何より、友達になれた希望を自分のせいで喪った。爛はどれだけ強く決意しようとも、決して冷静ではなかった。
故に、この状況を正しく客観視できていなかった。
「これって……!?」
「希望さーん!? どこですかー!?」
背後から二人の少女の声が聞こえてきた。急ぎ振り向いた爛の瞳が二人の姿を映し出す。
桃色のセミロングと青色のポニーテール、髪色とシンクロした衣装、気性の穏やかそうな垂れ目と生真面目そうな吊り目、衣装の配色や細かな意匠は異なるものの、その胸の宝石は希望と同じ……。
「《サントチェーロ》……」
希望と共に《エモスファージ》と戦う者たちの名を爛は口にする。それに二人が反応し、視線が交錯した。
「あなたは……?」
桃色の宝石の少女が爛にそう問いかけ歩み寄る。爛は答えようとするも、どう答えればいいか一瞬言葉に窮した。その一瞬の間に、青色の宝石の少女が声を上げた。
「
「えっ?」
大声に爛は怯み、桃色の宝石の少女──未来は足を止めて相棒を見た。
「そいつの後ろ……あの瓦礫から微かに希望先輩の反応がする……!」
「っ……!?
二人が鋭い目つきで爛のそばに瓦礫を見据える。この事態を爛はむしろ幸運だと考えていた。
(希望さんに気付いてくれた! これならすぐに瓦礫を……)
『どかして希望さんの亡骸を回収してくれるはず』
そんな願望を持って、爛はその瓦礫へ、これまで直視できなかったそれへ目を向けた。
そうしてようやく気付いた。
瓦礫の下から紅色の液体が流れ出ていたことに。
そして、自身の手もまた紅く染まっていることに。
直後、爛は視界の外で強い圧力を感じ取った。それが何か特別なエネルギーなのか、あるいは殺気なのか、彼女には分からない。
ただ、自身に対してその圧力を向ける意味と、キラフが『逃げろ』と言った意味を今更ながら理解した。
希望は瓦礫の下、そこからは血が流れており、爛もまた血に染まっている。エルーキが消滅した今、この場に他の存在は居らず、そのうえ爛の姿は一般人のそれではない。そこから導き出される答えは──。
「あなたが……いや、お前が……! 希望先輩を殺したんだ!!」
「ちっ……違……」
何が違うと言うのか。希望が死んだのはお前が余計な真似をしたからだ。頭の中で声が囁く。
「じゃあ誰がやったっていうの!? この状況で、お前以外の誰が!」
激昂する佳純だが、彼女はこの現状から爛が希望を殺したと断定するのは無理もないことだ。爛もそれを分かっているからこそ、強気に出ることが出来ない。
「そ、それは、エルーキって怪物が……!」
それでも真実を伝えようと必死に主張する。それを聞いた佳純が眉を顰める。
「じゃあそのエルーキはどこへ?」
「それは……」
私が殺しましただなんて言えるはずがない。口を噤んだ爛の言い分を佳純は出まかせだと確信し、更に敵意を強める。
「仮にそうだとして、どうしてお前は無事なの? お前がエルーキの
「正……体……?」
そう返してから、爛の直感が働く。それ以上聞いてはいけないと本能が警告する。
しかし、行動に移すよりも早く、佳純の口から真実が語られる。
「奴らは人間が怪物に成り果てた姿だからよ!」
その瞬間、爛の心から溢れ出す感情。キラフの制止によって辛うじて直視を防ぎ封印できていたそれの名は、『罪』。
エルーキは散る瞬間、ただの人間のように変わっていた。佳純の言葉通りなら、それはつまり──。
「ね、ねぇ! エルーキはどこへ行ったの? それだけでも教えてくれない?」
爛と佳純の間に割り込んだ未来が爛へそう問いかける。彼女は佳純ほど爛への敵意を持っていなかった。
「ちょっと未来!?」
「だって、希望先輩言ってた! 『エルーキとなら分かり合えるかも』って! だから、せめてその想いだけでも……」
それが、トドメだった。
「あ……あぁ……アアアァァァァァァァ!!」
爛の周囲の地面から黒炎が噴き上がり、大気を焼き尽くすような高熱に未来と佳純は困惑した様子で後ずさる。
爛は両手で顔を覆い絶叫する。喉が焼き切れるほどの慟哭はやがて、言語という形を得る。
「私が……私が殺した!! 希望さんも、エルーキも……私が……!!」
誰に告げるでもなく零したそれに佳純は即座に戦闘態勢に入る。自身の得物である弓を形成し、矢をつがえて弦を力の限り引き絞る。
「やっぱりお前が……! 希望先輩の仇!!」
激情と共に放たれた矢は大気を切り裂き爛へと迫るが、黒炎が守るように爛を包み込みそれを防ぐ。
そして黒炎は空へと伸びる火柱となり、やがて爛の姿諸共、弾けて消え失せた。
「ぐっ……逃げるなッ! よくも希望先輩を……許せない……!」
佳純は憎しみを込めた視線を火柱の先端だった空間へと向ける。そこには空以外何も無く、逃げた爛の行方を追うことは出来ない。
「希望先輩はいつか分かり合えるなんて言ってたけど、無理よ……! あんな狡猾で悪辣な奴が居るのに!」
希望だけでなく仲間であるはずのエルーキまで殺した上で、彼に罪を被せ自身は無実だと装って未来と佳純に接近しようと試みた。爛の『自白』を聞いた佳純は状況をそう推察していた。
故に、仲間すら手にかけるような存在との相互理解など不可能。こちらの考えが理解されるとは思えず、向こうの考えを理解したいとも思えない。佳純はそのように考え、爛へ強い拒絶を示していた。
「か、佳純ちゃん、今は希望先輩を……」
「っ……そうね。せめて早く瓦礫をどかしてあげないと……」
憎しみに囚われていた佳純を未来の声が引き戻す。今すべきことは敬愛する先輩の遺体を回収することだ。
二人のパートナーの聖獣には癒しの力がある。失った命は戻らないが、それでも遺体の状態を無傷の状態に戻すことは出来る。それでも、一旦潰れた死体を確認することは避けられない。
「未来は目を瞑ってて。見ない方がいい」
「……ううん、大丈夫。ちゃんと向き合って、受け止めるから」
未来はこの戦いに身を投じた時から誰かが犠牲になるかもしれないと覚悟はしていた。それが希望とは思いもしなかったが、それでも起きた以上は直視するしかないと考えていた。
そんな未来の脳裏によぎるのは黒炎に包まれて消えた少女の姿。佳純は『狡猾で悪辣』と評したが、一方の未来はその見方に懐疑的だった。
(本当に……そうなのかな……?)
未来は最後に見た爛の姿を思い返す。未来は気付いていた。
(だって、あの子……泣いてた……)
顔を覆う爛の手、その指の間から流れ出る涙に。
爛の最後の言葉が自白ではなく懺悔であったことに。
***
街から数キロ離れた山中で、爛は目を覚ました。何故このような場所に居るのか記憶を遡り、胸の強い痛みと共に自らの罪を思い出した。
先ほどの黒炎は爛の防衛本能によるもの。半狂乱となっていた彼女の本能がその命を守るために逃亡を選択した結果だった。
正気に戻った彼女はその場に蹲り、嗚咽と共に懺悔する。
「希望さん……ごめんなさい……。私が余計なことをしたせいで……」
あの時、爛がすべきだったのは一般人の少女と共に避難することだった。キラフならば自身の身を守りながら希望を救えたかもしれない。爛は選択を誤ったと自らを責める。
「エルーキも……ごめんなさい……。やつあたりじみた怒りをぶつけて……命まで奪って……。なのに、あんな……」
エルーキの襲撃さえ無ければ希望は死ななかった。だが、あの時の爛は希望が自分を庇って死んだことを受け入れられず、全てエルーキに擦りつけようとした。暴走する怒りをぶつけ、既に戦闘不能だったエルーキにトドメを刺し、殺した。
だというのに、エルーキの今際の際の言葉は謝罪と忠告だった。自らを殺した相手を慮るその器量を目の当たりにしたからこそ、そんな相手を殺した自分の罪の重さを痛感する。
「キラフ……ごめんなさい……。心配してくれてたのに……私は……」
キラフは気付いていた。あの状況で未来と佳純が現れれば、爛が敵だと誤認されることに。だから、爛が自らの罪を直視してしまう前に意識を向けさせ、やるべきことを伝えたのだ。
今の爛は図らずもキラフの最期の忠告を実行したことになる。もっとも、タイミングとしては手遅れだったのだが。
『今日のことは忘れて平穏に生きろ』というキラフの言葉を思い返す。一度は考えることもせずに突っぱねたその言葉をもう一度、今度は真剣に考える。
それでも、答えは変わらなかった。
「やっぱり……無かったことになんて出来ない」
もう一度考えたところで、希望との思い出を忘れることは出来ない。その想いは変わらない。そして何より──。
「無かったことになんて……しちゃいけない」
自分のせいで希望が死んだ。自分の意思でエルーキを殺した。その罪を、責任を、無かったことにしてはいけない。罪を受け止め、十字架を背負い生きていかなければならないと、爛は顔を上げる。
「だからせめて……償わなきゃ。私に出来ることをしなきゃ……」
キラフたちの言動、《エモスファージ》という固有名詞から察するに敵はエルーキ一人ではない。そして、彼らはエルーキよりも過激だという。きっと今後も街や市民を危険に晒すことだろう。ならば、やるべきことは明確だ。
「私が止める……! この力を正しく使って……!」
エルーキ曰く、この力は《エモスファージ》と同質、今の欄は彼らと同族である。だが、それは力だけ。使い方さえ誤らなければ止めることは可能なのだ。
倒すのではなく、止める。力をコントロールし、もう二度と過ちは繰り返さない。
その決意によるものか、爛の姿が元に戻る。力を一時的に制限している状態で、本人の意思で切り替えられるようになったのだ。
爛は血に染まったブラウスを見つめ、その血の主でありブラウスを勧めた亡き友に誓うのだった。
***
かくして、《サントチェーロ》と《エモスファージ》の戦いは次なる段階へと移る。
互いに駒を失い、現れた第三の勢力。盤面は荒れ、誰もが翻弄される混沌と化す。
「アイツだけは……私がこの手で……!」
青の宝石の少女は仇敵を見据え、強い憎しみと正義感をその矢に乗せる。
敬愛する先輩の無念を晴らすために。
「あの子とちゃんと話をしないと……。希望先輩ならきっとそうするはず……」
桃の宝石の少女は消えた少女に思いを馳せ、重い何かを抱えているであろう彼女を案じる。
敬愛する先輩の背を追うように。
「希望さん……あなたと同じ場所には行けませんが、私も役目を終えたらすぐに……」
燻んだ宝石の少女はその罪を背負い、自らの使命を見つけた。
親愛なる友の想いに報いるために。
戦禍は続く。いくつもの悲劇を生みながらも止まらぬそれは、どのような結末を辿るのか。
今はまだ、誰も知らない。
【END】