境界の斎鬼   作:eebbi

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決戦の夜

 産屋敷邸の庭は、夜の静寂が嘘のような、張り詰めた緊張に満ちていた。

 篝火の揺らめく光が、集結した柱たちの険しい横顔を不気味に照らし出した。その中心には、当主・産屋敷耀哉がいる。

 

「私の子供たち。今宵も顔ぶれが変わらずに、この柱合会議を迎えられたことを嬉しく思うよ」

 

 耀哉の声は、いつもと変わらず穏やかだった。だが、その声が次に紡いだ言葉が、庭の空気を一瞬で凍てつかせる。

 

「今日は、鬼『斎鬼』について、皆の意見を聞きたいんだ。知っての通り、カナエを上弦の弐から救った、元下弦の鬼だ。私は、この鬼を鬼殺隊に迎え入れたいと考えている」

 

 その言葉が庭に落ちた瞬間、全ての音が消えた。篝火が爆ぜる音さえも聞こえなくなるほどの、絶対的な静寂。柱たちの間に、凍てつくような疑念が走る。

 その氷を最初に叩き割ったのは、烈火の如き激情だった。

 

「正気ですか、お館様」

 

 風柱、不死川実弥が、顔に青筋を浮かべている。その瞳は、信じられないという驚愕と、裏切られたかのような怒りに燃えていた。

 

「理解できません。どんな事情を抱えていようが、鬼は鬼です。人を喰らう化け物を、この鬼殺隊が受け入れるなど、断じてあり得ない」

 

 その言葉に、岩柱、悲鳴嶼行冥も、静かに、しかし有無を言わせぬ口調で続けた。彼の両目からは、はらりはらりと涙が流れているが、その身から発せられる気配は山のように揺るぎない。

 

「お館様のお考えに、このようなことを申し上げるのは心苦しい。しかし、鬼殺隊の理念は『悪鬼滅殺』。鬼が人を喰らい、我らが仲間を殺してきたという事実は、決して揺らぐことはない」

 

 その重い空気を震わせたのは、か細くも芯の通った声だった。

 

「ですが、私は彼に、命を救われました」

 

 声の主は、車椅子に座ったカナエだ。病み上がりのその姿は儚げだが、その瞳には柱としての強い光が宿っている。

 

「あの時彼がいなければ、私は間違いなく上弦の弐に殺されていた。これは、紛れもない事実です。仲間である私の命を救ったという事実を、それでも皆さんは無視するんですか」

 

「……俺も、この目で確認した」

 

 それまで沈黙を保っていた水柱、冨岡義勇が、静かな池に石を投じるように、短く、しかし重い言葉を紡ぐ。

 

「あの鬼は、上弦の弐と戦っていた。そして、胡蝶を庇っていた」

 

 鬼を擁護する、明確な隊律違反。二人の柱による、命を懸けた証言だった。だが、その事実は、強固な理念の壁を崩すには至らない。

 

「鬼の気まぐれだろうがァ!」

 

 不死川が、心の奥の憎悪を隠そうともせず、烈火のごとく吼える。彼の体から発せられる熱気が、夜の冷気さえも歪ませるかのようだった。

 

「腹を空かせた獣が、目の前の獲物を後回しにすることがあるかよォ!次にアンタの頸を狙わないという保証が、どこにある!」

 

 情に訴えかける言葉は、鬼への憎しみが骨の髄まで染み込んだ者たちの前では、あまりにも無力だった。

 

「だがあの鬼は一か月間、人を食わねぇどころか守ってやがった。それは、血眼になって探してたお前が一番知ってんだろ?」

 

 音柱、宇髄天元の言葉に、不死川が唸るような声で反応した。

 

「人を守ったァ?一か月喰わなかったァ?だから、これからも喰わねぇってか。そういう隙が人を殺すってことを、知らねぇとは言わせねぇぞ」

 

 議論が平行線を辿る中、カナエが割って入った。

 

「彼は、上弦の情報を持っています。あの日見た上弦の弐の容姿は、その情報と合致していました。彼の情報は信頼できます」

 

 強い確信を持った言葉。だが、その真摯な訴えを、静かな、しかし大地を震わすような声が制した。

 

「…カナエの言うことにも、確かに理はある」

 

 悲鳴嶼が、静かに口を開く。

 

「だが、鬼に奪われたものの魂に刻まれた痛みは、我々が想像する以上に深い。鬼が鬼殺隊に入る。そうなれば、鬼殺隊は己の憎しみによって崩壊する」

 

 悲鳴嶼は静かに首を振った。その動き一つが、決定的な拒絶を物語っていた。

 

「…カナエ、お前の命が救われたこと、それは何物にも代えがたい。だが、実弥の言うこともまた、真実だ」

 

 からん、と数珠の擦れる音が、夜の庭に響き渡る。

 

「鬼は滅する。それ以外あるまい」

 

 その言葉の重みが、庭の空気を鉛のように支配した。鬼殺隊最強の男が下した最終宣告。それは、覆すことのできない絶対的な結論だった。

 カナエの手が、悔しさを堪えるように車椅子の肘掛けを強く握りしめる。表情が、希望を失い、悲痛にゆがんだ。こらえきれなくなった感情を吐き出すように、か細い声で叫んだ。

 

「しかし、彼は私を助けてくれたんです…!」

 

「――まあ待てよ、胡蝶」

 

 宇髄が、最高の舞台の脚本を思いついた演出家のように、軽やかに割って入る。

 

「殺すってんならしかたねぇ。情報は惜しいがな。…だがよぉ」

 

 宇髄は、獰猛な光を瞳に宿し、カナエから不死川へと視線を移した。

 

「どうせ殺すなら、ここでド派手にやればいいんじゃねぇか?なあ、不死川。てめぇが一番、そいつの頸を斬りてぇんだろ?」

 

 その挑発は、火に油を注ぐのに十分すぎた。不死川は口の端を吊り上げ、獰猛な笑みを浮かべた。

 

「ハッ、望むところだァ!俺がこの場で、化けの皮を剥いでやる!」

 

 不死川が吼え、宇髄が愉快そうに喉を鳴らす。待ってましたとばかりに、耀哉へと向き直った。

 

「お館様。一つ、派手な提案があるんですが、いかがでしょう」

 

 飄々と笑いながら、告げる。

 

「今から、この庭で不死川とあの鬼を戦わせる。もしあの鬼が、不死川の刃の前に無様に死んだなら、それはそれで結構。鬼は斬られて然るべきという、隊の規律が証明されるだけだ」

 

 宇髄はそこで一度言葉を切り、庭の空気が緊張に満ちるのを楽しんだ。

 

「ですが、万が一。万が一、あの鬼が不死川の猛攻を凌ぎ、この場で生き残ったのなら――その時は、奴が我々の『刃』となり得る価値を持つと認め、正式に隊へ迎え入れる。…どうです?これなら、誰の顔も立つでしょう」

 

 宇髄の言葉が夜の静寂に溶け落ち、後に残されたのは、誰もが息を呑む音だけだった。理念でも、恩義でも、実利でもない。ただ一人の鬼の命を天秤に乗せるという、あまりにも大胆で、あまりにも残酷な賭け。庭にいた誰もが、その提案の意味を測りかねて言葉を失う。

 

 カナエは、宇髄の意図を理解していた。そしてそれ以外に道がないことも、その道が、彼にとっての地獄であることも。斎鬼の身を案じ、唇を噛み締める。

 

 長い沈黙。

 それを破ったのは、全てを見通していたかのように、穏やかに微笑む耀哉だった。

 

「…分かった、天元。君の提案を受け入れよう。斎鬼の処遇は、その立ち合いの結果をもって決定する。彼を、この場へ」

 

 鬼殺隊という組織が、その歴史上初めて、鬼と向き合うことを決断した瞬間。その決定は、あまりにも重く、血腥い決断だった。

 

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