夕暮れ時。冬の寒さが深まり、蝶屋敷を静けさが包み始めていた。その静寂を破るように、突然、蝶屋敷の門扉が乱雑に開け放たれた。木が軋む大きな音とともに、派手な装飾を身にまとった男――宇髄天元が、堂々とした出で立ちで玄関へと向かう。
その様子を見たすみが、「不審者!」と叫び屋敷の中へと駆けていった。
騒がしい屋敷の様子に気がついたカナエが、慌てた様子で出てくる。その手には日輪刀。カナエの双眸が、宇髄を捉えると同時に、一瞬だけ刃物のように鋭くなる。その脳裏を過ぎるのは、いつかの斎鬼の昏い瞳と、帰還の時の晴れやかな笑顔。
カナエの、刺々しい、しかし複雑な視線に気づいた宇髄が、眉を顰める。
「日輪刀とは、随分と物騒なご挨拶じゃねえか」
カナエは、いつもの柔和な瞳を浮かべながら、その奥にある怒りを隠しもせず、淡々と告げる。
「宇髄さんこそ、たまには人の気持ちを考えたらどうですか?」
宇髄は不遜な笑みを崩さない。張り詰めた空気が、庭を満たす。カナエの胸には、判然としない感情が去来していた。口を開けば余計なことを言ってしまいそうで、落ち着かせるように呼吸をする。ひとつため息を吐き、足を屋敷に向けながら、カナエが口を開いた。
「斎鬼くんですよね。……今日来るなら、教えておいてくれればいいのに」
小さな声で文句を言う。それを見た宇髄が、愉快なものでも観たように大きく笑った。
「その様子じゃあ、順調にいってるみてぇだな」
カナエが振り向きながら、鋭く睨む。しかし、わずかに朱が差したその顔に、迫力はなかった。
***
「カナエ様、大丈夫でしょうか?」
どこか不安そうな目で、カナエが出ていった入り口を見つめるのは、アオイだ。あの後、カナエに連れられこの部屋を訪れていた。巻き込むべきではないと意見はあったものの、カナエとしのぶが動く以上、屋敷の管理を一部託す必要があった。今アオイの手には、しのぶが行っている屋敷の医療活動の管理台帳がある。
カナエを待つアオイの様子を、何とも落ち着かない雰囲気で見ている斎鬼。しのぶが、鋭い目つきで斎鬼を睨んだ。
「……あなた、姉さんに伝えてないんですね」
図星と言わんばかりに肩がピクリと跳ね、斎鬼が目を逸らす。手が忙しなく動いている。近々、宇髄が来ることを、カナエに伝え忘れていたのだ。
「……すまない」
小さな声に、しのぶの目つきが一層きつくなる。加えて、苦笑とともに、呆れるようなもう一つの視線が突き刺さった。
「それは姉さんに言ってください」
そうこうしていると、二つの足音が近づいてくる音が聞こえる。斎鬼は、その音のリズムにあわせて、自分の鼓動が徐々に大きくなるのを感じていた。
「――相変わらず、地味な部屋でやってんな」
大きな声とともに無遠慮に入ってきたのは、宇髄だ。部屋を見渡すと、机上に広がる地図に目をつけた。手近な地図をいくつか手に取り、興味深そうに眺めている。
少し遅れて、カナエが入ってきた。途端に、鋭さのこもった目で斎鬼を睨む。斎鬼の体が、また竦んだ。
「……斎鬼くん、あとで話があるわ」
死刑宣告のような響き。斎鬼は諦め、しょぼくれた目つきで小さく頷く。宇髄がまた愉快そうに笑った。
「しかし、随分と大所帯じゃねぇか。そこのチビ二人もいるとは思わなかった」
その言葉にアオイが縮こまる。その様子を見たカナエが、そっとその肩に手を置いた。強張った肩が少し緩む。しのぶは不愉快さを隠そうともせず、宇髄を睨んだ。そのまま、冷たい声で口を開く。
「それで、何をしにきたんですか?生憎、そこの鬼から何も聞いていないもので」
各人各様の視線が斎鬼に集まる。斎鬼はバツが悪そうに視線を落とし、重要な地図――あの空白地帯を宇髄に見せた。面白そうに笑っていた宇髄の表情が、途端に鋭くなる。
「手紙で言ってたのはこれか。派手に怪しいな、こりゃ」
その言葉を受け、斎鬼は仮説の口火を切る。
「冨岡が、人を喰らわない鬼を見つけたらしい。それと……しのぶ」
視線をしのぶに流す。しのぶが小さく頷き、斎鬼を指差しながら、口を開いた。
「この鬼の身体から、人の細胞が見つかりました」
宇髄が、鳩が豆鉄砲を食らったような表情をする。今度はカナエが、してやったりという様子で、愉快そうに声を上げた。
「しのぶが、鬼を殺す毒を創ったんですよ。それに、鬼を人に戻せる可能性もあるそうです」
その声は自信に満ちている。誇らしくて仕方ないという、朗々とした声色。しのぶを見るその視線には、絶対的な信頼が滲んでいる。しのぶの目が輝き、綻ぶように微笑んだ。
空白、人の細胞、毒。宇髄の思考が、その結論に至る。また大きな笑い声が響いた。アオイの体がビクリと跳ねる。その目が、目の前で起きていることが理解できないとばかりに、微かに揺れている。カナエが何か耳打ちした。逡巡するように、アオイの視線が彷徨う。しかし小さく頷くと、部屋を出ていった。
見計らったかのように、宇髄が答えを出す。
「ここに、お前みたいなのがいるってことか」
我が意を得たりと、斎鬼が大きく頷いた。そして、宇髄の言葉に続ける。
「……この空白地帯の調査が必要だ。それに、冨岡が見つけた鬼が、きっと鍵になる」
宇髄は予想通りというように、快活な笑みを浮かべ、言葉を重ねる。
「その鬼のところまで連れて行けってことだろ?ド派手なことするようになったじゃねぇか」
その言葉を受け、しのぶが口を開く。
「この鬼の情報が手に入れば、毒の研究が進む可能性は十分にあります」
しのぶの視線がカナエに向く。カナエは小さく頷き、確信を持った力強い声で告げる。
「しのぶの毒は、鬼殺隊の戦い方を大きく変えるはずです。隊士たちの命を、きっと守るものになる」
宇髄が頷く。三人の顔を見渡し、獰猛な笑みを浮かべる。その脳内は、調査の先の一手さえも描ききっていた。
「よし、乗ってやる。毒の運用も含めりゃ、お前の作戦も全面採用まで持ってけるだろ」
宇髄はニヤリと笑うと、斎鬼の肩を派手な音を立てて叩いた。
「いい顔するようになったじゃねぇか。地味な修行に付き合った甲斐があるってもんだ」
宇髄が、あてつけのようにカナエを見る。その視線に、カナエの顔が怒りに歪んだ。面白そうに笑いながら、宇髄の視線が斎鬼に流れる。
斎鬼を見る双眸に滲む信頼。今だに、宇髄に送った作戦の失敗は、ただの一つもなかった。斎鬼の胸に熱いものが込み上げる。失敗は許されないと、手を固く握った。
その時、部屋に淹れたてのお茶の香りが広がる。アオイがお茶を持って戻ってきたのだ。部屋の空気が少し緩み、それぞれが湯呑みを手に取る。
アオイは茶碗を片手に、部屋の片隅で静かに語らう四人の姿を見つめる。
しのぶと宇髄は、毒の特性や運用について、アオイがまったく理解できない言葉で話し込んでいる。一方でカナエは斎鬼に近づき、ちゃんと報告するようにとひたすらに叱っている。徐々に小さくなる斎鬼。その珍しい光景と、純粋な注意とは違う感情がこもったカナエの声色に、アオイは小さく笑った。
バラバラな四人。しかし、その全員の目に、同じ覚悟の光が宿っている。いつの間にか日は沈み、窓からは月明かりが差し込んでいる。まるで舞台の幕開けを告げるかのように、これから始まる嵐の中心となるであろう四人の横顔を、鮮やかに照らし出していた。
***
月明かりが、風柱邸の廊下を照らしている。腹立たしさを隠さない大きな足音。不死川は、辿り着いた部屋の扉を乱暴に開いた。その中にいる、数名の隊士。
「お前ら、やることはわかってるなァ」
地を這うような低い声。隊士たちが大きく頷く。言葉もなく、すぐさま動き出した。向かう先は蝶屋敷。
最近、蝶屋敷の動きがおかしいことには、薄々感づいていた。その裏にいるであろう、気に食わないあの鬼。
「怪しい動きをしたら、叩き斬る」
脳裏に過ぎる、心の奥を見透かすような目。あの嵐を、血塗れになりながらも立ち続けた姿。やり場のない感情をぶつけるように、木刀を振るった。
「胡蝶さんは、甘すぎるんだよ」
夜の空に溶けていくような小さな声。しかし、その声色には重さがある。はたして、この感情の行く末がどこなのか。それは誰にも分からなかった。