境界の斎鬼   作:eebbi

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訣別

 緊迫した空気が、山の麓を支配していた。木々のざわめきが不気味に空間を満たし、夜の闇の中、隊士たちは息を殺して持ち場に着く。

 やがて、風の音さえ止んだ。万物を圧するような静寂が下りた、その瞬間。一羽の鎹鴉が、甲高く夜空を裂いた。

 

「行くぞ」

 

 決戦が始まった。

 

***

 

 偵察隊のルートは三つ。別の入り口から、先の接敵地点へと向かう道を通る。各班は腰縄で結索し、鎹鴉は補助とした。前進速度は懐中時計で管理する。

 

 声による合図ではなく、点滅符でのやり取りを徹底し、異変があった場合には爆薬を鳴らす。偵察隊の前進に合わせ、主力隊は待機線で備える。鬼を発見次第、報告用の爆薬を鳴らす。そして、山の中腹にある谷底に偵察隊が設置した、藤の花の煙壺へ誘導する手筈だ。

 

 進行は奇妙なほどに順調だった。爆発音はなく、すべての部隊がルートの中間地点まで進んでいた。鎹鴉の索敵にも、今だ掛からない。

 

「……いつ仕掛けてくるか」

 

 敵の血鬼術は、感情の起伏が引き金になる。それを起こす仕掛けが必ずあるはずだった。

 音もなく、三部隊の所在が把握できる位置取りで移動し続ける。

 

「……飛び出しすぎだな」

 

 鎹鴉に、伝令を頼もうとした時だった。 

 

 ――爆発音が響き渡った。

 方向は一番隊。前進が速かった分隊だ。それ以外の偵察隊へ向かう準備をするよう、鎹鴉に主力隊への伝令を頼む。続く爆発音はない。

 

「……餌か、本命か」

 

 木々の間を駆け抜ける。いずれにせよ、これで奴は姿を見せるだろう。

 

***

  

「なんか、何もないですね、須藤さん」

 

 気の抜けた吉岡の声。同じ班の隊士たちが呆れたような表情を浮かべている。木の幹に背を預けていた須藤が、警戒を解かずに低い声で返した。

 

「おいおい、そういう事言うと大体なんか起きんだよ」

 

 咎めるような声色。しかし、吉岡の目には不安が見えない。朗々とした声で口を開いた。

 

「正治さんの作戦ですから、大丈夫ですよ」

 

「お前なぁ、嵐の前のなんとやらって奴かもしれねぇだろ?」

 

 その言葉に須藤が眉を顰めた時だった。遠くで響いた爆発音。仕事の合図だ。同時に、鎹鴉が伝令を伝える。

 

「……ほらな。行くぞ」

 

「すみません。役目をしっかり果たしましょうか」

 

 三人の影が、山の暗闇へと消えていった。

 

***

 

 闇夜を駆ける。その最中、背後からも二回、立て続けに爆発音が聞こえていた。聴覚に違和感があった。恐らく、鬼に近づくほど効果が強くなっている。そして、その強度が上がるのがこの付近ということだろう。

 

「これなら、居場所は割り出せる」

 

 鎹鴉は飛ばした。毒と鬼の発見報告用の爆薬準備を指示。だが、爆薬は幻覚の可能性がある。最後は、自身の感覚次第だ。

 

 目前に分隊がいる。聴覚は戻ってきている。こっちは餌だ。隊士達も、既に平静を取り戻していた。二名の顔が青ざめ、仲間同士で距離を取っている。その怯えた視線は、日輪刀に固定されていた。

 

 ――遠方で爆発音。

 甲高い音。主力隊のものだ。同時に響く、二回の爆発音。また段階が進んだ。動ける三人に、負傷者の救援に回るよう指示を出す。隊士たちのサインを確認した上で、残りの二部隊のもとへと向かう。

 

 主力隊の実力であれば、即座にやられることはない。無茶をしない隊士でカナエに編成してもらった。たとえ追い詰められたとしても、あのプライドだけが高い鬼が逃げることはないだろう。あとは、焦れるのを待つだけだ。

 脳裏を過ぎる、血で汚れた蝶屋敷。帰還の時に見た、皆の悲壮な表情。

 

「……絶対に殺す」

 

 森を駆ける。接敵は近い。

 

***

 

 雪の積もった山の中を、季節外れな隊服を来た男が駆け抜けていた。全身に刻まれた傷痕。その瞳は、その先を鋭く睨んでいる。

 不死川の脳裏には、書状の一節がこびりついていた。

 

 ――あの鬼が派手に戦うところ、地味に見ておけ。

 奥歯が割れんばかりに、固く噛み締める。お館様からの救援依頼の書状と同時に届いた、宇髄からのそれ。神経を逆なでするには十分だった。

 

「……クソがァ」

 

 腸を灼くような怒りの濁流が、低い唸り声となって漏れ出る。鬼と共闘など、反吐が出る。しかし、これは隊士を救う戦いだ。己にそう言い聞かせ、吐き捨てる。

 

「――舐めた真似しやがったら、てめェごと斬り殺す」

 

 戦場へと、音さえ置き去りに駆け抜けた。

 

***

 

「爆薬が効かねぇ!」

 

 須藤さんの怒号が響く。その戦場は、混乱状態だった。同時多発的に隊士が発狂。重傷者が出ていないのは奇跡に近かった。拘束具を着けられた隊士が数名、運び出されていく。絶え間なく響く爆発音。しかし、爆薬は意味をなさなかった。

 

 ついさっきまで、戦況は安定していた。血鬼術に掛かった隊士を運び出しながらも、確実に前進し、エリアは絞り込めていた。

 異変は突然。脳が揺らされるような痛みが広がった。その直後、複数人が同時に絶叫し、虚空を切り裂き始めた。

 

「――最終段階だ!こいつら連れて行け!」

 

 須藤さんの声。同時五名発症、三連爆無効、指揮断絶三分。最終段階――完全撤退の合図だ。点滅符では伝達が間に合わないと判断したのだろう。動ける隊士が、撤退を始める。

 

 ――奴は絶対に弄びに来る。

 悪辣で下劣な鬼。この近くに仕掛け人がいると確信していた。一瞬の躊躇うも、虚ろな目をした隊士を抱える。そして、山の麓へと向かおうとした、その時だった。

 

「おいおい、それはダメだろぉ」

 

 頭上からの声に総毛立つ。嘲るような、本能的に不快感を覚える声だった。抱えた隊士ごと飛び退く。そこに現れた鬼の双眸に浮かぶ文字。

 

 ――下弦、弐。

 肌をチリチリと焼く威圧感。今まで狩ってきた鬼とは比べ物にならない圧力。咄嗟に、鬼発見用の爆薬を鳴らした。思わず後ずさる。きっと、それが合図だった。

 

 頭蓋が割れるような激痛。視界が眩み、次の瞬間には空を見上げていた。流れ込むいつかの絶叫。記憶の底に固く蓋をした断末魔が、脳裏に反響する。血の匂い。引き裂かれる感覚。胃から逆流したものを吐き出す。それでも、脳を灼く地獄は吐き出せなかった。

 

「いいねいいね、それを求めてたんだよぉ」

 

 不快な声が頭を揺らす。周囲を、甲高い音と怒号が飛び交う。須藤さんの顔が鬼に変わった。大量の足音。死んだ仲間の声。鬼の声があらゆる方向から聞こえる。意識の糸が切れる、その瞬間。

 

 ――轟音が、辺りを包んだ。

 

***

 

 徐々に濃さを増す血の匂い。絶え間なく響く爆発音。遠くから聞こえる怒声。最早、戦況は制御不能だった。

 見誤った。血鬼術の強度が、想定より上だった。

 息を深く吸う。足に力を込め、加速する。懐を探る。最終手段を、切る。

 

 視界が開けた。斬り合う隊士。地面に散らばる血液。深手を負い地に伏せる者。その中心に、虚ろな目でもがく吉岡がいた。視界が、赤く染まった。

 

「すまない」

 

 手のそれを上方に投げ上げる。瞬間、世界が白に染まった。聴覚が吹き飛び、世界を静寂が包む。

 宇髄から預かった、特製の爆薬だった。諸刃の剣だが、念の為持ってきたのが功を奏した。鬼が視界を失い、隊士たちが停止しているうちに、戦闘不能な者を回収する。

 

 動ける者は七名。こちらの姿を捉えている五名に撤退の指示を出す。すぐさま行動を開始した。

 

 刹那、鬼に接近。日輪刀を振るう。しかし、交わされた。そのまま踏み込み。その刃が頸を裂く――。

 刀が空を斬った。鬼の姿が背後にあった。感覚は正常。そのはずだというのに。

 

「……掛かったか」

 

「あぁ?この前の鬼だなぁお前」

 

 不愉快な声。その声が奇妙に反響する。声自体も術なのだろう。腹の底から、黒い何かが湧き上がってくる。それ以外の思考が吹き飛んだ。

 

「殺す」

 

 一閃。しかし、また空振り。

 

「おいおい、人殺し同士仲良くしようぜぇ」

 

 その言葉で、何かが壊れる音がした。頭上から声。その腕に、一人の隊士。その目は虚ろに宙を彷徨っている。

 

「ほら、美味い肉だ。お前も喰いたいだろ?」

 

 瞬間、脳が灼け、視界が暗闇に包まれた。産着の手触り。血溜まり。悲鳴。手が、真っ赤に染まる。

 脳を支配する、死ぬことも生きることもできない無力。生に縋ることが存在理由となる孤独。何のために生きているのかさえわからない恐怖。

 

 ――それを喰らえば、満たされる。

 反響する声。脳を掴まれる。孤独な洞窟の奥、飢餓に耐えるだけの生命。満たされない空洞な心。舌によみがえる鉄錆の味。満ち足りた全能感。

 視界の先に人間が見える。喰い甲斐のある人間。喰えば満たされる。もっと喰えば強くなれる。強くなれば――。

 

「……みんなを、守れる」

 

 ふわりと、陽だまりの香りが鼻に入る。優しい声が鼓膜を揺らした。きれいな三日月。肩から染み渡る体温。温かい笑い声が響いている。

 

 躊躇なく、日輪刀を自らの右腕に突き立てた。肉を裂き骨を削る激痛が、脳を灼いていた悪夢を吹き飛ばす。飛び散った己の血の赤が、ようやく正常な視界を取り戻させた。

 

 視線の先に隊士はいない。いるのは、害獣のみ。

 それが口を開く瞬間。踏み出す。左腕で日輪刀を振るう。刃が、頸を捉えた。

 

「……残念だったなぁ」

 

 刃が途中で止まった。動かすことができない。醜く口を歪ませ、鬼が腕が突き出した。灼熱の鉄杭が胸を貫き、肺が沸騰するような激痛と共に、呼吸が血の味に変わる。己の血で赤く染まった手で、最後の切り札を抜き取り、固く握った。

 

「――死ぬのはお前だ」

 

 手に持ったのは一本の注射器。それを、叩きつけるように腕に突き刺す。赤紫の液体が、注入された。

 

「なんだぁ、こりゃ。悪あがきにしても……」

 

 その瞬間、腕が崩れる。筋を浮かべ、もがき苦しみ始めた。

 

「お前ぇ……!」

 

 土を掻き、悶えながらこちらを睨む鬼。

 無意味に命を喰らうだけの存在。歪まされた本能で、ただ生きながらえるだけ。その姿が、どうしようもなく哀れだった。

 

「……俺たちは、何のために生きてるんだろうな」

 

「強くなって……あのお方に……」

 

 鬼の存在理由。無惨が鬼を支配する常套句。その空虚な生の先に、何があるというのだろう。

 

「……それが、お前のしたかったことなのか?」

 

 奪って、奪って、最後は奪われる。そうして生まれた惨劇の連鎖が、千年続いた。カナエ、しのぶ、炭治郎。人は、それでも希望を捨てていなかった。

 鬼が、目を見開く。そして、遠い何かを思い出すように視線を彷徨わせ、潤んだ声で呟いた。

 

「……俺は、あいつを――」

 

 手を繋ぐ兄弟。穏やかな食卓。頭を撫でる大きな手。断片的な感傷を遺し、鬼は崩れ去った。灰が空へと舞い上がる。

 それを見送った時、視界が揺れた。硬い土の感触。染み込む冷たい血。五感が消えていく。視界が再び暗闇に沈む瞬間。

 

「おい、テメェ!」

 

 こちらに駆け寄る影。それをとらえる前に、意識が途絶えた。

 

***

 

 蝶屋敷に雪崩込む怪我人。山から連れ出された隊士たち。血を流しながら、互いに支え合う彼らを、アオイは次々と治療していた。

 消毒液と血の匂いが屋敷を満たしている。呻き声が屋敷中から聞こえ、医療器具のぶつかる音が響く。しかし、比較的軽症が多く、対応が間に合っていた。

 

「むしろ、精神のほうが心配……」

 

 数名の虚ろな瞳をした隊士たちを見る。うわ言を呟く者、小さな音に怯える者、ただ呆然と一点を見つめる者。声をかけても応答はなく、ただ宙を眺めるだけだった。

 

「アオイ!こっちは終わったわ!」

 

 しのぶ様の鬼気迫る声。カナエ様と一緒に、重症者の対応を済ませたところだった。急いで駆け寄る。

 

「こちらも終わりました!何とかなりましたね……」

 

 幸い、命に別状のある者はいない。誰もが、時期に復帰できるだろう。その安堵の中で、アオイは気づいてしまう。いるべきはずの、たった一人の顔がないことに。

 

 ちょうどそこで、すみが駆け寄ってきた。隊士の身元確認の書類を手に持っている。その瞳が、不安げに揺れていた。

 

「こちら、確認できました!二十二名です」

 

 その数字に心臓が跳ねた。慌てて名簿の文字を追う。

 

「……すみ、ありがとう」

 

 何とか声を絞り出す。すみが、隣で視線を泳がせている。

 

「……正治さん、大丈夫ですよね……?」

 

 わずかに揺れた声。もう、祈るしかなかった。

 そこに、カナエ様がやってくる。異様な雰囲気を感じ取り、細い声で口を開いた。

 

「……治療は終わったのよね。……何か、あったの?」

 

 その視線が、身元確認書に向く。奪うようにそれを見ると、カナエ様の体が震えた。

 

「まだ、帰ってきてないの?」

 

 その瞳が揺れている。その時だった。

 屋敷の外で鎹鴉が叫ぶ声が響いた。

 

 ――下弦の弐、討伐。

 軽症の隊士たちが叫ぶ。蝶屋敷に活気が満ちていく。その声が、今はただ酷く遠くに聞こえた。底冷えするような不安が拭えない。境界線が引かれたように、肌を刺す凍てついた空気から逃れられない。

 縋る思いでカナエ様を見る。その手が、小さく震えていた。

 

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